おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

忘れかけてたメモ

2020-08-29 13:07:32 | Weblog
見慣れた景色になっていることが怖かった見馴れぬ風景

「そんなことして○年生として恥ずかしくはないの」恥知らずが語る没個性をよしとする恥の論理

「みんながそういってるでしょ、どうしてそれをあなたは、わからないの」同調圧力という村八分の根本ルール

「こんなかんたんなことも、わからないの」学習という名の暗記ゲームと知識という名の雑学クイズ

「それで一生懸命やったといえるの」実態のない平均値という安全地帯

「みんなが迷惑してます」数的処理という幻想に基づくステレオタイプのレッテル貼り、類型化

「いい子はそんなことしません」道徳心って大人たちが好む決めつけの連想ゲーム

「争うことはいけません」だから逃げ出すことは逃避ではなく自己保全なのさ。

「人を傷つけてはいけません」
世の中に正義があるのならそれをあなたが僕たちに示してくれ。

「いい大学いい会社いい家庭は、一生懸命勉強すれば手に入れられます。」あなたの現実社会では通用しない正義はもう聞きあきた、古くさい武勇伝と一緒にあなたの棺桶に埋めてあげよう。

「この学校ではズーとこうしてきました、だから大きな事故もなく平穏なのです。」先生が本気になればなるほどステレオタイプの子どもたちが量産される仕組み、ぶち壊したかったな。

「先生ってブラックですから。」色とりどりの山盛りの感謝の花束と一緒にね。

「定年退職する先生はもう賞味期限切れ」ですよね。

さみしがり屋の僕には、道端の名も知らぬ花を一輪手向けてほしい。

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同僚性てか、助けてくれない先輩への愚痴ですか。

2020-08-28 10:02:00 | Weblog
そうですか。

ベテランの先生は保守的で、変化を求めないですか。

ベテランになればなるほどリスクがみえまくるのは当然なのだろうと思います。保守的だと決めつけるのは簡単なんですが、「ベテランだから、○○できるのが当たり前」「ベテランなのに○○」という文脈だけで、人を見ることにはあまり賛成できません。

結局、あなたに残るものはネガティブな感情だけで新たな何かを産み出そうというモチベーションは生まれてこないように思うのですが。

一年目もベテランも、保護者は「先生」として同じ目で見るなんて幻想ですね。保護者と同じ目線であなたは、同僚を見ているのではないでしょうか。

あなたにとって都合のいい先輩であることを期待するのは、あなたが先輩になる頃にやっと気づくことができる「甘え」なんだと思います。

その先輩は、「社会の変化や時代の変化に対応できなくて、獲得すべきスキルをみにつけることができなかった」だけの人なんだと思います。

そうしたモデルにであった時、関わらないこともアリなのだと思います。
圧倒的なスキルの差を見せつけることもアリです。

ただ、そうしたモデルを見下すことは、あなたが損をしてしまうかもしれませんね。

真っ直ぐだけが、問題解決の近道ではありません。しなやかに、したたかに先生楽しんで下さい。

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オーガニックですか。

2020-08-27 08:40:19 | Weblog

極端に経済志向の風潮のなかで金のことだけを考える功利主義的な経済派と呼ばれる人たちも、僕のまわりにはいました。

また、極端な自然派と呼ばれる環境保全を志向しすぎる人たちもいました。

どちらも自分の信念を持つということではおなじなのに、お互いを受け入れられないことが僕は不思議でした。

正義は時として排他的になるものだと感じていました。しがみつくことで安心を得ようとするのでしょうか。

時代の変化を読み取る力があなたたち若い先生には必要なのだと思います。

時には、それまで「絶対」だと思っていたことへも「不確実」なのではという眼差しを向けることが若者の特権なのではないでしょうか。

最近スローな田舎暮らしと便利なICT生活を望む若者たちが増えて来たという新聞記事を目にしました。素敵ですね。

コロナで自然と共存というテーマが取り上げられれば、教育の現場で古い頭の先生たちの意識の変化が起こる可能性はあるのかもしれませんね。

自然由来の素材に関して学校は、ヤシの木🌴絡みのたわし、箒、石鹸、磨き粉などは親和性(購入に関して)があるのですが、混じり物のない天然「ハチミツ」にしろとにかく「高い」ということが、ネックです。

まだ「未来の子どもたちの健康や安全に金を払う」という意識は日本の公教育では低いように思います。

僕のすんでいる都会ではない小さな街スーパーにも今年からオーガニックのコーナーができました。

農協直販店の「安い、新鮮」とオーガニックコーナーの「安全、健康」のスローガン、定年後スーパーに買い出しに精を出す老人には悩むところです。

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学校が変わる?学校を変える?

2020-08-23 16:29:37 | Weblog
コロナによって、学校が、学校教育が
どう変わるかということについての議論が始まってますよね。

学校でオンライン学習を行わざるをえなかった状況から、ようやく教育の情報化の推進状況の地域差、学校差といったものや個別の先生のICT活用スキルに差があることなとが、明らかになって教育委員会や学校のガバナンスまで問われる事態になっているようですね。

都道府県の行政も慌てて機械(ツール)や先生のスキルを向上させる方向ですか。とりあえず何もしなかったら、行政のせいにする政治家さんも多いのでたいへんですね。

そこで大学の専門家と言われる方々もそうしたICTの環境やツールにより、何が変わるかという議論ですね。
ほとんど現場ではコロナ前までは、できていなかったオンライン教育の専門家って、どんな方たちなのでしょうね。

このコロナのなかで、必死にもがいたあなたたち今、現場で頑張ってる先生が誰よりも「専門家」だと思います。

でも、これからの教職を目指す方たちには、そうしたこと(コロナで何が変わるか)より、先に、コロナのなかでも何を残すのかという議論が必要なのだと思っています。

たしかに子どもたちの管理(監視)は大きくオンラインで変わやるはずですよね。

ただ、今までの「こどもの看取り」と呼ばれてきた視点がぶれると、教師の指導評価のニコニコ動画化というしっぺ返しが起こりうる時代だということへの現場の先生たちの認識が必要です。

たしかにこどもの行動分析は記録動画をAIにクラウド上で分析させ、先生にフィードバックするというシステムについては、可能だと思います。

先生も「楽になる」はずです。データを読み取ればいいわけですから。

ただ同じことが、すでに「教師を対象として」可能だけどいかがなものかという議論も行う必要があるともいえます。

研究授業はニコニコ動画システムで、即時のフィードバックが授業者の手元になかれるなら、遠隔で研究授業は可能だと思って来ました。(校内ネットワークが運用出来れば何もその教室の後ろでならび子どもたちに圧をかけなくても教室や職員室から見学するシステムは構築できます)

他校で行っててても、何も出張しなくてもいいわけだし、事後研究もログだけで行えますね。批評する側も安全地帯からの発言だから、「本音」の意見が可能ですね。

10数年前、学校で先生たちに、ネットワークを活用した授業研究会を提案したとき、先生たちからも、ネットワークの管理者からも反対されました(笑)
先生たちの判断は正しかったと思っています。

何かを伝えるとき、言葉で伝えられる部分は少なくても、後はノンバーバルな部分で伝えることが大事だから会議や研究会は「リアルな空間」を共有することで成り立っていました。

この認識、あなたたちは、残したいかな、残したくないかな?
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いよいよ二学期がスタートしましたね。

2020-08-20 09:58:38 | Weblog
まだ、学校では、目の前の山積みの課題に、世の中は経済状況やコロナの罹患者数に目が向けられていますが、今、僕は、教育現場が気になります。

オンライン教育で危惧していたことが新聞の相談欄にありました。

18才の大学生、まだ1度も大学のキャンパスには足を踏み入れてないそうです。(今年の一回生はみんなそうなのでしょうか)

「授業はオンラインですが双方向の講義は少なく、学生間のやり取りはほぼゼロ

回答者の教授は、みんなが未曾有の出来事で対応しているので、コロナがすぎるまで、我慢しましょうという方向(笑)

 今どきの学生にそれほどの耐性(精神性でだけでなく経済的にも)があるのかなと首をかしげました。

ある大学では統計処理の課題で、学生たちにコロナの影響のアンケートをしたら、「退学や休学をかんがえている」学生が、想定以上だったとか。

金を払っているのに、映像がながれるだけのオンライン講義の課題ですね。
大学なのに進学塾とおなじなのという失望感なのかもしれませんね。

総合大学ではシステム的には可能な場合が多いので、双方向での利用の仕方をコロナ前に「習得」していない、しなかった大学の先生たちが慌てているだけなのかもしれません。

問題はさらに深刻な義務教育の現場です。

同じことが、学校や先生に文句も言えない小学校の子どもたちの学校でも起こっているということですね。

リアルだけが当たり前の風景だったコロナ以前の学校現場の限界ですね。

大学では退学や休学が学生の意思でできますが、義務教育の子どもたちは、「不登校」「登校渋り」か増えるのではないでしょうか。

東北の震災で、流れるはずのなかった校長室の巨大な金庫に入っていた「開校以来の膨大な機密情報」が海の中にしずんだように、今度のコロナで「当たり前の教室での教え方」が、消えてしまったように思います。

これからの教育の「リアルとバーチャルの往還」を可能にするシステムとそのために必要な指導者のスキルを考えなければならない理由がここにあります。

ICTが使える先生たちのなかでよく行われていたバーチャル優位とかリアル優先とかいう対比の議論をいつまでも行っている場合ではないと思います。

まず、今あるもの、今できることからのスタートが大切ですね。

短い夏休みにホッと一息ついたら、また激闘ですね。コロナにも、自分にも負けず頑張って下さい。

知識と成績という視点からの「学力」の捉え方は、とても東洋的で、科挙に代表される選抜のための手法としては魅力的だったのかもしれませんが、「学び」と「探求」という視点からの「学力」の捉え方がグローバルスタンダードであるということにようやく(ふたたび?)方向転換しようとした矢先にコロナというのも、なにか意味があるように思います。

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年寄りの冷や水です。

2020-08-07 20:18:24 | Weblog

ようやく、夏休みですか。

今年は、今までになかった最短の夏休みだそうですね。

456と3ヶ月も休んだから、子どもたちは納得してあるのかもしれませんね。

今年初めて先生になった、あなたたちは、検温と消毒の毎日が、「当たり前」になっているのかもしれませんね。

九月以降、学校行事の何を残して何を行うかという悩ましい問題もしばし忘れて、ゆっくりできるといいですね。

帰省に関しても、いろいろな規制があって大変だとテレビが放送していますね。

あなたたちがどのような話を子どもたちにしたのか。これって難しい問題だったのではないでしょうか。

ヤバそうな話題だから、意識して避けるなんてことはなかったとは思いますが、国に方向を示して欲しかったなんて言う意見も?ですね。

前に、国やある府県が「早寝、早起き、朝ごはん」というアピールを示した時に感じた違和感がまた、よみがえりました。

あのときの、やれ賛成だいいや反対だという議論が、子どもたちの生活習慣の改善に少しでも反映していたらいいのですが、結局は「個々の家庭の問題」でうやむや、今度も多分、帰省は自己規制、自己判断になるのですよね。

行政や政治に依存する姿勢が家庭にまで浸透したのはあの国や行政が個々の家庭のルールまで介入した「早寝、早起き、朝ごはん」キャンペーンだったのかもしれませんね。

自分の判断できないから、強いリーダを求め、判断を委ねることは、間違いだとは思いませんが、考えること、学ぶことを経験する場が、いつからか消えているように思うのは、年寄りの冷や水でしょうか。
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ちょっと昔話です。

2020-08-02 20:15:00 | Weblog
半世紀ほど前、大学で、近代の「学校」は産業革命後の欧州で「工場と軍隊」のため労働者と兵士を育成するための箱ものだったと教えられたことがありました。

だから、「密」でないと成り立たないものだと考えていました。


日本は独自の庶民のための学校という武士や僧侶が教育を行うというシステムが発展していたのですが、明治以降、欧米に倣った「兵士、工場労働者」養成のスタイルに変わって、ようやくその弊害からのがれ、今年から新しい学習指導要領で方向転換を模索し始めた時にこのコロナでした。

コロナがおさまれば、とか、収まるまで我慢すればやり過ごせるという文脈での言葉がまるで日露戦争前夜の臥薪嘗胆というプロパガンダのように聞こえる時があるのは何故でしょうか。

コロナ以前に戻れないことを前提と
して、新しい「教育」や「教師」、「学校」という入れ物を考えることが必要なのではないでしょうか。

でも誰がそれを考えるのでしょうか。

学校現場などきたことのない国(文部科学省)の官僚やコロナで生命と経済を天秤にかけさせて世論だけを優先する政治家なのでしょうか、

国から教育予算を減らされ、非常勤講師の確保すら四苦八苦の都道府県教育委員会なのでしょうか、

自分の学校のことだけ考えればよしとする管理職と自分の子どものことだけを考える親たちのはざまて無力感をもっている市町村の教育委員会なのでしょうか

生殺与奪の人事権もなく、伝達方法がトップダウンかボトムアップのふたつの選択肢しか持ち合わせていない校長先生なのでしょうか

個々の不満だけを集約し、明日の見えない議論に生き甲斐を感じる多数派願望の強い同僚という名前のご近所さんでしょうか

それとも。
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