おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

そうですね。覚えなければいけないことがたくさんありますね。

2012-06-28 21:23:33 | Weblog
そうですね。覚えなければいけない
「その学校のルール」があるんですよね。

昔はお局様と呼ばれる
経験豊かな先輩から
手取り足取り教えてもらったものです
(叱られなければ、正解・・。的な判断ができました。笑)
形骸的な職員室のルールは別として
あなたの質問を考えてみます。

規範意識という言葉は一つですが、守らなければならないルールは、
学校の数だけあるように思います。

「大学はこんな風に習いました」
「こんな風に本に書いてありました」という
あなたの持っている「正解」が必ずしも
「正しい対応」として認知されない場合もあるのですよね。

「地域・児童生徒の実態」にあわせた柔軟な対応方法が現場では求められます。
「地域・児童生徒の実態」にあわせた柔軟な対応方法をどう感じるかは
あなたの性格による部分や生徒指導をどのようにとらえているかという意識の問題や
そのことに関する知識量にも影響される面があるかもしれませんね。

ただ、「地域・児童生徒の実態」にあわせた柔軟な対応方法をどう感じているかを伝える方法としては
プライベートな話し合いの中で誰かに伝えようとするより、
フォーマルな論議の中で自分の意見として同僚に伝えることが必要だと思います。

プライベートな話し合いの中で解決できることとできないこと、
フォーマルな場で議論すべきことと議論すべきではないことの見極めは、
とても大事だと思います。

ただそれは失敗しながら覚えるものなのかもしれません。
「空気を読む」ことだけに汲々としていると、
こうした見極めは身につかないようにも思うのですが、どうでしょう?
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授業の工夫と教師の努力の一例

2012-06-27 20:54:39 | Weblog
今始まっている旬の話題を取り上げてみます
プール指導です。
低学年の水慣れ遊具に水道ホースを利用して
指導する場合を例します。


プールの水慣れ指導に、昭和の時代は「碁石拾い」といってプールに碁石をまくという
荒っぽいことをして機械操作をする先輩からよく叱られたものですが、
最近はカラフルな水道ホースを10センチ前後に切って、プールに投げ入れ
子どもたちに拾わせています。

最初は一定時間に何個集められるかを競わせて
楽しんだ後
担任の先生が
水中で五本の指に水道ホースをつけて
子どもたちに示すと
きっと歓声が沸きますよ。

その後、子どもたちに 
水の中で指に一個はめる
二個はめる・・と順々に指示していくと
今まで顔もつけられなかった子が・・。
なんてことも起こるかもしれませんね。
全員に目当てを達成させるための
興味を引くような言葉かけと
子どもたちがその指示通りに行っているかの確認が
水泳指導の場面では特に必要ですね。

ただ まず、先生が一回の素潜りで
両手にいろいろな色の
水道ホースを10個つけられるということが前提になります。
(このあたりの努力が授業では必要です。
この指導ではカラフルな水道ホースを使うという工夫と
最終のめあてを教師が見える形で示すということが
大切ですね。)
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あなたたちが 頭を悩ましていること

2012-06-26 21:35:12 | Weblog
あなたたちが
頭を悩ましていることを集約すると

①他者とのコミュニケーションの取り方
(こども、同僚、保護者)
②特別支援教育を必要とする児童への対応
(特性への知識と対応方法、学級づくり)
③事務処理の要領の悪さ
の3点で困っているようですね。

①や②についてはゼミでさんざん
話したのでもういいですよね。
あなたたち個々の課題について
力点をどこに置くか、努力をどの点に
必要としているかは自覚しているはずですよね(笑)

で、講師などを経験しないとわかりにくい③について
もう少し詳しく伝えておきます。

僕が思いつくだけでも事務処理は「校務処理」といわれる
学級経営に伴う会計処理、保護者案内、学校や教育委員会への報告調査
在籍管理(出席、健康管理等)や分掌における計画報告文書、分析アンケート等の実施
学校としての研究授業等の研究資料作成などなどと
「成績処理」と呼ばれるテストの採点、ノートや提出物の分析評価や宿題の作成
そのほかに学級便りや学年便りがあるわけですよね。

一学年1クラスの学校ならすべてを一人でするわけです。
何クラスもある場合は分担ということができますが
全クラス分をするという形になるとそれほど
楽ではないのです。

こうした事務処理のほとんどに、提出期限や作成期限があり
提出を遅れると、会計の引き落としに支障があったり
主任や管理職や委員会等からの催促があったりするわけですよね

こんなことは「実習で○付けをしていただけ」「提出ノートの確認をしていただけ」の
経験では、想像していなかった事務量になるわけですよね。

「想像していなかった」ことを理由に手をこまねいていても
向上はしません。「要領よく処理する方法」を身につけるしかないと思います。

蛇足ですが、出勤簿に押印することは「事務」というより「服務」の問題で
あたり前のことです。忙しいからできないなんていいわけは
できないものだと考えておいた方がいいでしょうね。

「手を抜く方法」ではなく「要領よく処理する方法」です。
職員室を見渡して「手際よく処理をする先生」を見つけてください。
必ず一人や二人おられるから、しっかりとノウハウを聞くことですね。
それと事務職員さんと仲良くなること、とっても大事ですよ。

またICTの活用はこのあたりで力を発揮します。データの一元化やデジタル化は
意識している学校ではどんどん進んでいます。
あなたの学校がデジタルデバイドにならないように工夫してください。
ちなみに僕の勤務する市では、もう何年も前から
「あゆみ」はデジタル入力、デジタル処理できるようになっています。
(小学校だけですが 笑)

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少し、考えてみましょう

2012-06-25 20:49:49 | Weblog
そうですね。

あなたのいうように
通常学級における特別支援教育は
まだまだえらい専門家の先生たちの研究も
進んでいない領域なのかもしれませんね。

でも、学校現場の切実な悩みですから
一緒に考えていけるといいですね。

特別支援教育の基礎知識(個々の特性への理解)
親とのコミュニケーションの取り方
子どもとの距離感

学校ではこの三つは別々にとらえるというより
相互に関連したものとしてとらえることが大切だと思います。

通常学級における特別支援教育においては
3方向へのアプローチが学級担任に求められるわけですから
担任のとらえ方が大切な要素になると思っています。

これからは通常学級の担任であっても
こうしたとらえ方をした上で
さらに具体としてのクラスづくりの取り組みや
ツールとしてのインターネットの利用が
試みられればと思っています。
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授業が大切という言葉が一人歩きしていませんか?

2012-06-22 20:55:02 | Weblog
「授業が大切」という言葉はよく聞きます。
ただそれがどういうことを意味しているのかと尋ねられると
少しとまどいを感じています。

車を運転する人間にとって「ガソリンが大切」ってことは
よくわかっていることで、問題はガソリンの質なのか量なのか
入れる時期なのか、いろいろあるわけですよね。

授業の何を大切にしているのかをあなたたちと議論していたときに
あなたたちの主張していた「教師の知識量」という
考え方に僕が賛同しきれなかった記憶があります。
それだけでは授業は成り立たないだろうなという
思いがありました。

「授業が大切」という言葉を
僕は否定する気持ちは毛頭ありませんし
生徒指導と比較して論ずる気持ちもありません。

ただ現実の教室では
院の講義のように
「学びたい」と主体的に
思っている子どもたちばかりが
いるわけではありません
(皮肉に聞こえたら ごめんなさい 笑)

ある部分で「勉強するのがきらい」って
思っている子どもたちがいるんだという
前提が必要なのかもしれませんよ。

授業が始まっても「黙ってにこにこしているから
授業の内容を理解している」わけではありませんよね。

何人かの意欲的に発言する子どもの発言(教師の期待する発言)を
拾い、点と点を結ぶような授業の流れを作ってしまうと
大部分の子どもたちが理解しないままにいるということもあり得ますよ。

このあたりが「塾の授業」と「学校の授業」との違いなんですが
「わたしは(ぼくは)小学校の頃、ちゃんと理解できた」から
それが標準なんだというという
あなたの経験値で、判断してしまってはいないですか?

あなたにとって当たり前だったことが
あなたの受け持っている子どもたちにとって当たり前ではないことも
想定しておく必要があるのですよね。

先生が発問し、一人の子どもが答え、そのほかの子どもは「黙って静かに聞く」だけで
先生の板書やフラッシュカードを「ノートにきれいに写す」だけでは
45分の授業を大切にしているとは、僕は思えませんでした。

一人ひとりのクラスの子どもたちの状況を押さえた上で
個々の子どもの到達すべき目標を設定し、
グループワークや論議する場面など
「自分たちで考え」る時間と「自分たちでふりかえり、まとめていく」時間を
確保していく必要があるように思います。

授業を立体的に構成してどれだけ多くの子どもたちを45分の
授業に意欲的に参加させるかに工夫と努力をすることが
授業を大切にするという意味だと思うのですが・・。


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M2の専門実習報告会が終わったようですね。

2012-06-21 21:27:49 | Weblog
あとは、教採の壁をよじ登り
修論の堀を乗り越えるだけですね。
もう、あっという間に院生生活は
終焉を迎えますよ。

>久しぶりに先生のブログを見て「お~!」となりました。
>実習での学びとブログの内容が一致している(笑)

なんてメールもいただきました。(笑)
その中にあった二つの質問を少し考えてみます。

>少人数教室に、休み時間算数のプリントが分からない子が
>集まってきます。「先生わからん攻撃」を受け、3,4人でも順番に回っていると時間は足りない、説明がゆっくりできない、
「もっともっと一人ひとりに丁寧に教えてあげたい」と思ってしまう私は過保護なのでしょうか?

「センセイ攻撃ですか」などと答えようとしている自分にちょっと自制をかけて
休み時間や放課後における補習学習での単元補習等における学習支援者の姿勢ととしては
過保護でも何でもないと思いますよ。

ただ、担任の先生なら、自分の授業への振り返りがまず必要なのではないでしょうか?
机間指導っていうか、教師が発問をして指示を出し個々の子どもたちにおける、その進行状況を
自分の目で確かめた上で、次のステップ(次の学習活動の指示や発問)につなげているかとか、
自分の発した発問の意味を、子どもたちが自分たちの持っている語彙力の中でしっかり理解しているかどうかとか
僕の見てきた院生の授業の流し方で気になっていたことですが、
一問一答になって、自分のイメージする授業を作りたいという思いが強すぎて
ひとりの子の答えでどんどん授業を進めていくというパターンになっていないかとか
いろいろ授業を検証した方がいいと思いますよ。

>最近子どもに「意味分かる?言ってる意味わかる?」と口癖のように聞いてしまうのですが、
これはあまりよくないのでしょうか?

学年やあなたとの関係にもよりますが
基本的にあなたの期待している答えは「わかった」という答えだと予測して
わかっていようがいまいが「わかっている」というのが素直な子の答えではないでしょうか?
それを確かめるのは「意味分かる?言ってる意味わかる?」とみんなに一斉に声をかけることではなく
ひとりひとりのノートやプリントを見ながら見つけていくのが
教師の仕事だと思うのですが・・。
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特別支援教育を行っていく上で大切なこと・・ですか。

2012-06-20 21:56:08 | Weblog
子どもが発達するということは,大変に複雑な現象なんだと認識することが、
特別支援教育を行っていく上では大切なことなんだと教えてもらったことがあります。

その先生曰く「3個のおはじきを取り出す、という簡単なことでも、さまざまなことが原因で
難しくなります。いち、に、さんという音声数詞を発声できない子どももいますし、
できても数えるという行動調整が難しい子どももいます、発達を援助するには、
子どもの状態をよく理解することが大切です。」

まず、その子の状態を「理解すること」それによって、いろいろな方法を考えることができますよね。

「理解すること」とは「きめつけること」でもなければ「レッテルを貼ること」でもないわけですよね。
「共感的な受容」とも少し違うように思うときがあります。
「そのままを受け入れる」という感覚かもしれませんが、うまく表現できません。
意外と「うちのクラスのこともたちは、サイコー」って思う感じ
「そのこのことがすき」っていう感覚があれば「理解できてる」のかもしれませんね。


理解できれば、「子どもの今の状態から、過去と現在について,考えることができる」のだろうと思います。
理解できていないから、今の状態だけしか見えていないのじゃないですか?

べたな答えですが子どもを「理解すること」
このことが学級の子どもたちだけではなく特別支援教育を必要とする子どもたちに対しても
とても必要だと思います。
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ふと

2012-06-19 23:30:10 | Weblog
教室にいることで壊れていくこともある。
重たい言葉です。
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特別支援の教材サイトがリニューアルされました

2012-06-19 21:53:48 | Weblog
特別支援教材として
すぐにつかえる「イラスト」とすぐに使える「プリント」が
アップされました。
http://www.e-kokoro.ne.jp/ss/1/index.html

学校にネット環境があることが前提ですが・・。
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「ほうれんそう」の腹下し

2012-06-11 23:04:57 | Weblog
人間はいざというときに
学んだことをすぐには思い出せないようですね。

仕事では「ほうれんそう」が大切だというのは
どこの大学でも、教えていることなのですが、
その「ものさし」が難しいようですね。

何をどの程度まで仕事の上で
報告・連絡・相談しなければならないのかの
基準の問題があるのかもしれませんね。

報告すべき事項は勤務時間内に起こったことだけとか、
連絡すべきことは自分がことの大小を判断して、
連絡した方がいいと思ったことだけとか、
相談は自分の期待している答えをいってくれそうな人にだけ
という姿勢での「ほうれんそう」なら栄養になるどころか
腹下しをおこしてしまいます。

「ものさし」(どの程度のことまでという基準)は都道府県によっても違うし、
学校というか、管理職の意識によってもちがうかもしれませんが、
法規に書かれている服務規程の解釈によるものだということを意識しておくことが大切です。

「ほうれんそう」は実は法規を遵守することだという意味合
いも持っているのだということを知っておくことが大切ですね。

「このくらいなら大丈夫だろう」と思っていたことで、
叱られて落ち込むことのないようにしないとね。
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