おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

愚痴はいつでも、ききますよ。オンラインで(笑)

2020-05-28 22:19:00 | Weblog
愚痴はききますよ。はきだすことで、課題がみえることもありますよね。

やっと子どもたちに会えましたか。

いよいよですね。これからが学校はたいへんですが😖💦頑張って下さい。

教師って意外と報われない仕事なのかもしれませんね。

医師ほど儲からないのに医師ほど守られず、病院ほど設備もないですか(笑)、厚生省と文科省の力関係みたいなものがあるのでしょうねかね(笑)。

先生もこどもの命を守る仕事だという認識がないのでしょうね。

「心と命」の問題、「生き方と命」の問題、「モラルと命」の問題より、「点数」が大事だと思う人たちが増えたのでしょうかね。

そう、校内の議論でも、困難な事態になればわけのわからない連中が、「声の大きさ」や「経験」で叫びまくる時がありますね。「現状維持こそ最大の目標」ですか。冷静にしたたかな目線で(笑)

先生の質は「何を経験してきたか」ではなく「何かの経験のなかで、何を学んできたか」だと思います。
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先生たちの笑顔が、今こそ必要な時です。

2020-05-28 13:08:52 | Weblog
9月入学見送りですか。。
やはりというか、制度や社会を優先する論議しかしないなら当然の帰結ですね。そんな論議は何度も繰り返し行われてきたし、その度に時期尚早、社会の負担が大きすぎるという結論でいつの間にか忘れてしまった事項でしたよね。ただ、その論議は、「平時」で「誰も困っていない状況」での議論だったはずです。今の論議は「現実に2ヶ月も学校に行けない子どもがいて、将来突然の休校措置で、授業が受けられない、集団での授業が保障されないかもしれない。」という状況の中での判断をくだすというものだったはずです。なら、今先生たちの目の前にやってくる「現実問題として2ヶ月学校にこれなかった子どもたち」にどう対応するのかは「誰」が考えていたのでしょうか。また政治の世界的早い遅いの議論なのでしょうか。

二倍の距離をとって授業をすれば、2倍の要員がいる。
2ヶ月分の授業時間が足りなければ2ヶ月分の授業時間を補填する。
2ヶ月の授業計画が取り消されればあと残り10か月のカリキュラムを変更(削減、組み換え)する
当たり前のことですが、すぐにできるかどうかが問題です。

オンライン学習の準備や実施にこの2ヶ月、自分たちで工夫してきた先生たちが、解除ですぐ次のことができるとは到底思えません。

学校はここ十年間は、「平時」の対応しかしてこなかったし(2011の震災で想定外という言葉が初めてつかわれましたよね。)今回の事態はまさに「想定外」の事態なのにそれに匹敵するという認識がまだ生まれてないように思えます。
ちなみに若い先生の多くは「想定外」の事態に遭遇したことがない世代です。

すぐに高学年を持てる先生を二倍にするなんて、机上の空論だと思います。

人を増やせばなんとかなる理論は今まで嫌になるほど聞かされてきた不毛の議論でした。先生はモチベーションが上がれば。二倍の仕事がてきる人もいます。そうでない人も当然います。ただ人を増やしても解決できないこともあると思います。

学校で時間確保するための「優先順位」をつける。実はこれがいちばん厄介なことだと思います。

当然小学校では「教科時数の確保」か「学校行事、特別活動の確保」なのかという議論がうまれるわけですよね。

ただでさえ時数確保が大変で「芸能教科」と呼ばれることの多い「情操教育」に必要な音楽、図工、書道などや、体力保持、健康のための保健体育が、「私立中学受験のための準備に必要のないもの」として、また、暗黙の公立中学校への忖度が行われ、へらされていくとしたら、「義務教育は人間形成の基本」というスタンスは消滅するのではという危惧はないのでしょうか。

今、現実問題として2ヶ月学校にこれなかった子どもたちにどう埋め合わせをしていくのかを、金と人だけを配るから「学校」で考えなさいは、少し酷い話だと思います。

でもそんな中で頑張るたくさんの先生、応援してます。倒れないで下さい。先生たちの笑顔が今こそ必要な時です。

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そろそろ願書の締め切りですね。

2020-05-27 21:30:00 | Weblog
そろそろ願書の締め切りですね。
今年は、一次試験の「不急不可欠」でないものは行われないようですね。感染リスクと会場確保の為、教職教養などの筆記試験や実技を中止することを検討している教育委員会が多いようですね。

あなたも、コロナショックを乗り越えてようやく試験に向きあえるようになりましたか(笑)

幸いにもあなたたち大学生の多くは、たとえ、お互いにリスペクトすることの大切さをしらなくても、大学までの競争社会をあなたたちは勝ち抜いてきたわけですよね。

でも、そうでない「あなたと同世代の若者」も沢山いますよね。

先生になればそういう同世代さらには、異世代の人たちからもリスペクトされる存在になること、そういう方たちへの本音での励ましも必要になるかもしれません

品格を磨くために必要なのことですか。

僕は、どんな子どもも見捨てないという覚悟だと思ってきました。

でも、僕には教師としての品格はなかなか身に付くものではなかったように思います。

難しい質問ありがとう。
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今年の子どもたちに必要なのは「小学校」ではなく「学習塾」なのかな。

2020-05-26 21:54:37 | Weblog
運動会は延期ということですが、実際には中止ということですよね。

早々と中止を決定しているところもあるようですね。学校行事が削られていくのは「今年だけ」のことなのでしょうか。

こんなときに「議論すること」が不毛だという意見もあるようだけど、こんなときだから見える課題もあるようにおもいます。

何のために運動会が必要だったんだろうね。
体育学習の成果発表会?保護者の参観日?集団のなかでの「子どもの比較」による、保護者への安心感を与えるための演出?地域との交流?

行事の精選は学校にとって「不急不可欠」なもの以外の削除でもあるわけだし、特別活動は、そういう位置付けだということなんだろうね。
学習発表会も参観日もなくなるんだろうな。
校外学習も、野外学習も、遠足もなくなるのかな。

初めに「時間数確保ありき」なら、間違いないなく議論はおこらないだろうな。行政のトップが、教育委員会のトップなんだからね。

儀式的な行事は「形式的、手続き的なイベント」だったのだろうか。
卒業式もなく、入学式もなかった子どもたちに「学校」は「喜び」すらあたえられないのだろうか。

授業時数確保のためとか、わかるけど、何の議論もなく、なんか教科学習だけ時間確保すればいいという発想は、悲しいね。今年の子どもたちに必要なのは「小学校」ではなく「学習塾」なのかな。
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無観客試合の教えてくれたこと

2020-05-12 18:44:00 | Weblog
スポーツはフェアプレーを重視し、紳士的な行為を尊ぶものとされてきますが、それはそのプレーを見る側、すなわち観客の「期待」するものだということは、プレーヤーとしてなんらかのスポーツを楽しんだ経験のある人たちなら理解できるかもしれません。

サッカーにはマリーシア(ズル賢さ)という文化があります。そういうことはしないという精神性があることは大事なことかもしれませんが、それとは別の「勝ち負け」という結果で物事を判断する観客や勝つことを期待する観客がいることを前提に「勝ち」なおかつ「紳士的な行為」で、という条件をクリアすることがプロなんだとしたらマリーシアもひとつの技術だと思ってしまいます。

僕らが幼かったとき、日本はエコノミックアニマルと呼ばれた時代がありました。

物まねが上手い東洋の猿なとどいわれても愚直に我慢し、臥薪嘗胆したのだと思います。我慢をベースとした「恥」の文化があったのだろうと思います。

世界が紳士的な行為を大切にしょうとしていたとき、日本人は生きることに必死だったんだと今なら思えます。

だから僕らは、プロレスに熱中し、野球を夢見、サッカーに憧れたのかもしれません。そしてラグビーでワンチームですね。

団結すれば「勝てる」という「結果」を見る「観客」が僕らの立ち位置になりました。

我慢することができなくなった日本人にこれから先どんな文化が生まれてくるのか。そのキーマンがあなたたちなのだと思います。

一度我慢することを忘れた子どもに、我慢させることを教えることは難しいことですが、我慢しなくてはならない時代がやってくるというシナリオが見えてきませんか。

まさにあなたたちが、未来を作っています。あなたたちは、現役のプレーヤーなんですよね。

目の前にいる子どもたちにとって、そう、あなたが担任として4月から担当している子どもたちを守るために最善だという判断と議論が、各学校で必要だと思います。

待っていても先のことなど誰も教えてくれない有事なんですよね。

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ノスタルジックな風に、かもね。

2020-05-11 11:13:00 | Weblog
小学校の先生の仕事は「教科指導だけではない」そして「教科指導も大事だけど笑」ですよね。

教育用コンテンツは教科指導だけに使うという固定概念にとらわれない発想が素敵ですね。今あるものでやるためには柔軟な発想が必要なんですよね。

ICT機器を「使わされていた人たち」には思いつかない発想ですね。

今必要なのは、「先生の思い」を伝えるツールで、それが伝わってこそ、子どもは学ぼうとするのではないでしょうか。

手間のかかる誰も褒めてくれないけど、子どもには受ける(笑)授業を作ることはは楽しいよね。ノスタルジックな精神論。かも(笑)

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オンライン学習ですか。

2020-05-09 23:29:35 | Weblog
オンライン学習ってただ課題を大量に家庭に送り付け、自学自習させることではないとおもうのだけど。。

デジタルツールを使いこなせていない学校がまだまだたくさんあるのかな。結局は保護者の負担になってないのだろうか。ドリルの無料配布と答えあわせが「授業」ってなんか変だと思ってたら、自己紹介からのスタートですか。いいですね。
 
https://kyoiku.sho.jp/48472/

こんなときだからこそ、必要なのは、本物の実践をしてきた先生の話だと思います。こうした実践が全国で広がるといいね👍
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どうすればゲーム機から離れさせることができるかですか。

2020-05-09 07:45:57 | Weblog
この質問は、僕のような世代の人間よりあなたたちの方がわかっていると思います。

僕らの世代を子どもに持った親たちの悩みは、「どうすればテレビから学習机に向かわせるか」だったように思います(笑)

ただ、これからの時代はゲーム機と共に生きることもアリだとおもうのですが。

マインクラフトや動物の森など、創造的で魅力のあるコンテンツは増えているように思います。

はまることが悪いのではなく、際限もなくやり続けることが不安にさせるのだと思います。

①使う時間は決めたら守らせ切ること。心配なら、スマホで電源をコントロールできる時代です。ゲーム機を使う時間は決められているという意識を小さい時からつけることが大事だとつたえましょう。

②生活のルーティン、リズムを守らせましょう。(特に睡眠時間の確保は意識してほしいです)、今の状態もそうですが、「徹夜」は一番よくないことなのですが、学習を理由にあなたたちも含め容認する風潮がみられますよね。
見えないところでゲームをさせないようにするには、見えないところでやってきたあなたたちが、いちばんよく知っているはずですよね(笑)それを伝えましょう。

③子どもの仕事は「勉強」だけではないことをわからせてください。家での仕事や役割りがあることを知らせて、やらせ切ることが、ゲーム以外にも自分がやらなければならないことがあることへの気づきになると思います。

家での仕事もせず、先生になろうとしているのなら、なるまでに自立しておいてくださいね。

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教育現場の情報基盤設備ですか。

2020-05-08 20:48:16 | Weblog
家庭のICT活用調査を
テキストベースのアンケートで行い
学校を通じて全戸配布するですか。

うぁ。〰️ デジタルマニュファクチャー。

たしか、あなたの勤務地は近年大量の最新情報機器や指導コンテンツの導入を行ったはずなので、環境は整っていると思っていたのですが。

あなたの勤務地と広島県の対応とは、情報基盤ができているか、できていないかの違いがあるように思います。広島県の準備や対応はすごいですね。

あなたは1日15分×5教科の動画教材でどのような学習が保証できるのかな。モジュールの3コマで一時間という数字のマジックですね。

端末はひとり一台、そこに導入されている学習コンテンツは、デジタル教科書なんてことはないですよね。たぶん例の思考ツールですね。でも、使える先生そんなにいたかな?

どんな形でこれからの日常の準備が進むのだろうね。

黒板に映像化されたあなたが同じことを二回行う講義スタイルなのかな。

行事や遠足を減らしてとにかく学校に集めて「教科学習の知識」を与えるのなら、家で動画で学んだ方が子どもは慣れているかも。

でも、給食を学校で食べることは子どもや保護者は喜んでくれるだろうけど、距離をおいて黙々となんてことになるとなんか悲しいね。

カネは出してくれる。ものも与えよう。あとは、現場の工夫で、即時実施してください、後で費用対効果はきちんと市民の皆さんに公表するので、よろしくが、○○モデル?

何年も学校現場で働いている先生なら、わかりるとおもうのですが、
オンライン学習のイメージは個別学習によるトレーニングになってしまいがちです。

復習や反復ドリルの機械化ですよね。6時間、12時間の単元を行うためのコンテンツを準備するのは大変ですね。

教育の情報化が目指してきたのはクラスという空間の中で教師が行う授業のICT活用です。

そのためにはきちんとした情報基盤(情報ネットワークや情報インフラ)が機器の配備と共に必要なのです。これらは、一朝一夕でできるものではないと思うのですが。。

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オンライン授業、公立高校準備ですか。

2020-05-07 12:01:48 | Weblog
オンライン授業ってそんなに簡単にできるものだったんだ。

「方法は任せる。いまあるものでやってほしい」それも6月までに?

これって「都道府県の教育行政のトップ」が高校の先生なら、これぐらいのことできるはずだから、自分たちで、くふうして、すぐやって下さい、という指示ですよね。

商業や工業高校には専門家と設備がありそうだけと、他でもできるのかな?高校格差が見える?

大変だ、高校の先生がんばれー✊‼️

でもそんなに簡単にできるのだったら「なぜ今までやらなかっんだろう」
「これからってずーとオンライン授業?」少なくともいつまでなんだろ。

掛け声をアピールしたり人の数を増やせばそれでいいという粗っぽい方策を国や都道府県の教育委員会が考えているのなら、それは、少し違うように思います。

教育評論家とか学者さんの多くは、「子どもの立場」とか「先生の立場」とかいう「立場論」を優先しているようですかが、どちらかの立場に自分は立つているということで、正統性を示そうとしているだけのような気がします。

教育現場といわれるところでは20人のクラスでもクラス崩壊することはあるわけで、今本気で考えるなら「教育現場へのサポートの内容」と「採用試験の質、教員育成システムの向上」がむしろ論議されるべきだと思います。

教員経験が全くない研究者の意見や教育現場で自分の「クラス」の「教科指導」だけをかたくなに突き通してきた方の意見、常に合理的に易きに走ることを得意とした先生の意見にはあまり耳をかたむける気持ちにはなりません。

職員会議で「自分のクラスの辛さ、しんどさ」を開陳し、さも「待遇や制度、子どものおかれている状況や背景」などの外的要因をとうとうと主張するなどの後ろ向きとおもうしかない先生に出会ったことも、あります。

たしかに、究極の「教育」はマンツーマンでの家庭教師にあると思います。
でもそれは、産業革命以前の貴族社会での論理で、今の学校にあてはめるには無理があるのは明らかです。

適正なクラスの人数なんて担任の資質によるところが多く平均なんてあてにならない数字ですよね。

管理職から「力がある、ほかにやれる先生がいない」といわれ、こうした理由で文句もいわず黙々と力のない先生をささえ、自分の範囲以上の業務を「経験年数だけをかんがみた同じ給与表と感覚的な評価」を受け入れ、「我慢することが美徳」として授業を行う先生が減ったからといって、声だかに均等を主張する先生方をみていると少し悲しい気分になります。

学生たちは、みんながそうおもっていると受け取ってしまいます。だから先生という仕事もブラックだと。

先生も一般企業も「働く」ことにそれほど大きな違いはないように思います、ただ、今のような状況でこそ「全体の奉社員」として、行動できるかが、問われると思います。普段から意識することが必要ですよね。職にはついたが「働かない人」をモデルにすることは学びに結びつかない場合がありますね。

低学年しか持たない先生、高学年しか持てない先生、通常学級が持てない先生が、でてくるのは、個々の先生の持ち味が機能的にいかしきれていない「小学校の構造的課題」なのです。

自動車免許に「オートマチック専用」ができたように、「低学年専用免許」とかもう少し細分化されるべきだと思います。

教科担任制の議論もありますが、中高等学校と違い「教科専門性」以外にも要求されるもの、今は「人間性」といわれています。

だだそれを採用試験で見極めるには困難な状況があります。

今年のような環境だと、各都道府県教育委員会は「人間性と授業スキル」を求めるため、「教科専門性」を確認していた一次の筆記試験を感染予防のため取り止める措置を行う都道府県や特定市もでてくることが、想定されます。

課題は「都道府県教育委員会が採用試験に関する裁量権を持っており、現場の感覚と乖離している。」という点です。

財源の問題だけで講師が多いのではなく、「質の問題で採用試験を、落とされ続けている」場合も想定されます。

これらは、「学校現場に入るまでにどれだけ人間性向上の努力をしたか」という視点での「大学などの高等教育での教員育成のサポート」がなされているかだと思います。

個々の学生がこうしたことを意識するのはインターンシップに参加する意欲的な学生だけで、それも短期間学校現場の当たり外れに左右されることが、多いように見えました。

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