おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

ICTを活用した指導技術の伝達ということについて。

2013-02-14 20:10:43 | Weblog
指導技術としての「電子黒板と黒板の棲み分け」が
最近よく話題にあがっているよね。

この間参加した京都市内の小学校での研究会や、
少しだけだけど研究に参加した附属小学校での
事後研などでも話題になっていたよ。

教室内に導入された電子黒板と呼ばれる
タッチパネル機能を備えた大型ディスプレイ
(PC接続されインターネットの利用が可能)や
大型ディスプレイ(BS機能がついたテレビや
インターネット接続されたPCなどの
画像拡大が中心のもの)と
旧来のホワイトボードや黒板との使い分けは、
それぞれの機器の
授業で期待する効果への見通しが必要になっているように思います。

とりあえず使えば効果があるだろうという想定だけでは
ICT機器使用の煩雑さにより、
授業の流れが止まったり、
児童への学習効果が薄まったりしてしまうという課題は
当初から指摘されてきた課題ですよね。

そしてこの課題に対して、現在も多くの学校がこうした状況を
改善するための研究を進めてきているという状態ですよね。

僕の勤務する街では
各教室にBS機能がついたテレビに
インターネット接続されたPCをつけて
50インチの大型ディスプレイで見るという
環境が数年前から実現しています。

各教室にタッチパネル機能のついた電子黒板がないという
状況だということは間違いではないのだけれど
画面に書き込みができないという点だけで、
利用意識が広がらない原因だと指摘する声があると
ただそれだけが利用拡大ができない要素じゃないだろう
という思いがあります。

もののない時代に育った教師の一人としては、
機能的に不十分な道具であるが故に使えないという論理に
素直に同意できない部分があるのです。

50インチの大型ディスプレイの「書き込みができない」という弱点は
農業用の塩ビの貼り付けや簡易フィルターを塩ビ板で製作することで、
解消することができるし、
大きく拡大する場合は、周辺機器の接続方法を習得していれば誰にでもできるし
近年プロジェクタの照度も上がり教室の電気のつけ消しを行うということに対しては
機器の機能でカバーができるようになっている。
と思ってしまう訳です。

確かに、学校での機器の設置に時間や煩雑さがついてまわります。
つこうした作業に煩雑さがきものではあることは
数十年前のOHPや実物拡大投影機といった
視聴覚機器といわれるものを使っていた時代から
いわれ続けていたことなのに
そう変化がないという状態ではあるのでしょうね。

しかし、こうしたことも
少子化の近年においては、
各フロアーにできてきた空き教室を利用することで
拡大専用の常設教室を各フロアーに設置することは
可能であるだろうとかんがえてしまいます。

むしろ問題は、
「どの教師もそういう工夫を必要とする授業を行えるのか」ということと
「誰がそれらの機器についてのサポートを具体化し行うのか」という
教師個々の力量やサポート体制等人的な課題に移りつつあるように思うのです。

十年ほど前、僕がITの利活用を始めた頃、
職員室を席巻していた
「行政が押しつけた、使わなければならないICT機器」という感覚や
「自分が使えないから、使わない」という意識は、
もはや消えつつあるのではないか、という認識を今は持っています。

むしろ「不便さを補填するもの」という意識は
若手の先生たちを中心に育ってきているように思えるのですが
「よりよい授業を作り出すためのツール」という
「授業づくり」の視点にまで高めることはまだできていない状態じゃないか
というのが今の認識です。

僕の勤務している街においても
他の市町村同様、情報モラルのみにとらわられず、
あらゆる場面(特別支援教育も視野に入れた)での
ICTの利活用においても様々な取組が進められてきたと思います。

しかし、それらの研究や取組が
単に電子黒板という機材の活用面のみに
矮小化されて引き継がれていくならば、
児童の学力につながることもなけば、教師の授業改善、
さらには学校改革にも結びつかないものにしかならないのでは
という危惧を抱いています。

ICT機器を児童とともに創造する「よりよい授業」を構築しようという
教師の意志を実現するためのツールとして活用しなければ、
単に「教師の不便さを解消する便利なツール」という
教師の活用視点を重視した次元での
「利活用の拡大のための研究や取組」という
成果主義的な認識にとどまり、
次の段階に進めないでいるのではないでしょうか。

じゃあ、ICT活用の今後の方途はどうするのだという
あなたの質問に対する答えですが
それこそあなたと一緒に考えていきたい課題です。
セキュリティの堅いイントラ内でこそ実現できること
あたりをキーワードに考えていきましょう。
コメント
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どうすれば規範意識を作れるかですか。

2013-02-04 21:22:15 | Weblog
いよいよ 先生としてスタートですね。
みんなは学生最後の時間を楽しんでいるのに
着々と準備を始めていますね(笑)

確かに 
小学校でも「学力を付けるためには、学習規律が基本!」
というスローガンをかかげ、
厳格な点検活動を試みるという
、一昔前の中学校で行われていたような
圧迫指導が行われ
そのうち、子どもたちの生活上の乱れも大きくなり、
窓ガラスは割れ、
物は壊され、
上靴も下靴もなく平気で校舎内を歩く
子どもたちがでてきたり、
朝会など全校が集まったときには騒がしく、
話が聴けないという課題があるということを聞きたことがあります。

でも、先生たちは各クラスで
それぞれに一生懸命まじめに指導をされているのです。

ただ、厳格な点検活動だけでは大きな効果は表れないのです。

「チャイムが守れない」
「学習の用意が出来ない」など
学習規律の問題に対する解決の方法は、
これだという自信はないのですが、
「こどもたちは これぐらいのことができるだろう」という
思いこみをしないということから始めています。

教師の指導力の問題や子どもたちの質の問題などの
分析や論議をするより、
「こどもたちは、どうあるべきかはわかっているけど、
行動ができないのではないか?」という考えから始めることが大切だと思います。

つまり知識としては朝の挨拶は「こんにちは」
夜の挨拶は「今晩わ」ということは知っているけど、
嫌いな人には「ぼけ」「かす」としか
気持ちを伝える方法を知らないのではという、
いわゆるソーシャルスキルの課題があるのではという認識です。

スキルとして
「感謝したときには」
「嬉しいときには」
「悲しいときには」
「いやなときには」
どうすればいいのかということを
身につけるトレーニングをすれば改善するのでは
という考え方です。

素直に自分を表現すれば
人も素直に返してくれるという安心感を作る
取り組みでもると思います。

規範意識を作るためにはソーシャルスキル。
仲間作りのためにはエンカウンターという組み合わせでしたね。

「いま子どもたちに育てたい 学級ソーシャルスキルCSS」
河村 茂雄 品田 笑子 藤村 一夫【編著】図書文化社
という本が少し高いですが入門書としては良いですね。

ソーシャルスキルは子どもたち自身が持って生まれたものではなく、
学習によって向上するものといわれています。

これだけに限りませんが、
ひとりあなただけが取り組んでも、
一年間のあなただけの取り組みで
終わってしまう場合がありますよね。

学校として一丸となって取り組めるなら
やってみる価値はあると思いますよ。
赴任する学校が「チーム」意識のあるところだと良いですね。
こればっかりは4月のお楽しみですね

連合での2年間で出会った
最後の4期生もいよいよ新しい旅立ちですね。

この一年間は
教頭としての仕事を最優先にしていたので、
あなたたちに何も発信できませんでしたが、
せめて遠くに赴任する2・3・4期生のために
「新米先生に贈る 特別支援教育入門講座 もうすぐ春です」を
はなむけにしたいなと思っています。

通常学級に在籍する特別支援教育を必要とする子どもたちのために
「最低限知っておいてほしいこと」を伝えられればと思っています。

3月9日(土) 連合や新米でなくても参加可です。
参加希望はメールかFBで。最近LAINも挑戦しています(笑)

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