上海の子どもたちを日本の小学校に迎えて、
中国製の翻訳ソフトを使っての交流。小学校2年でもツールさえあれ交流できる。
でも、上海の子どもたちは、すでに簡単な英会話ができることに、ショックをうけたました。
子どもたちは、翻訳機能の
使い方さえ覚えればすぐに話し出した。
赤白帽はなんのため
体育は何時間あるの
ボディーガードはいないの
勉強がなぜ嫌いなの
半袖、半パンツは寒くないの
どうしてみんなでやるの?
中国の子どもたちの質問は
とても刺激的(笑)だった。
目の前に日本の教育と中国の教育の違いがあった。
スポーツカーF1の中国、ファミリーカーの日本。
子どもにとって遊びのない教育、教師にとって教科指導しかない教育をまだ中国はやっているらしい。
武漢で小学校のプログラミングのワークショップをしてくれたら、無料ご招待らしいけど、どうしよう(笑)
あなたの義理の妹さんは僕が中国の偉いさんだと思い込んでいたよ、日本語で話してるのに(笑)
終わってから少し上海の親たちと話す機会がありました。
そのなかで、中国には「情操教育」がないのではないかと思っていましたが、彼らには「必要がない」のだと理解できました。
中国では人生の最初の競争が小学校から始まるという親たちの言葉がありました。
「淘汰されること」への恐怖感は、僕たちが理解できないものかもしれません。
子どもたちも、親たちも「点数」がとれなくなった時点で人生の落伍者になると信じているから、カイジの世界観です。すごく勉強しています。
親たちの子どもへの投資も半端ないようですね。落伍者となった時点で「階級」が決まる社会なのだそうです。市民と農民は「違う」のです。
ヒエラルキーがあるのが当たり前で、階級がない世界など理解できない、と言ってました。
ある意味、学びのカーストがあるみたいですね、だから特別支援教育にお金を国が投入することは信じられないようです。
できるものには手立てをするが、できないものに手立てをするのは無駄遣いだと感じる感性を彼らは持たざるを得ないと言い切ってました。
中国が豊かになったから格差がはっきりしてきたようですね。まるで経済成長期の日本とおんなじ道を歩いていますねと話したら、結構うなずく親たちがいました。
日本に来るのはエリートの親たちですから、そのうちバブルが弾けることを、薄々感じているのかもしれません。
中国で2000年以後の豊かになった「市民階級」の親たちに育てられた、「一人っ子政策」あまやかされ、わがままになった子ども達が成人になる10年後には、中国は間違いなく変化するのだと思います。