労働時間の平均化だけが先生の負担軽減になるのかな。
心理的な負担軽減はやれブラックだとか、スキル不足だと喧伝されてきたことの結果、難しくなってきているよう思います。
マスコミが取り上げネットで拡散するメディアの怖さを感じる時があります。
社会から寛容さが姿を消し、厳密さがもてはやされる時代の到来でした。
そういう意味で、古いメディアの時代(公務員全体へのバッシングが始まる前の時代)の教師にとって、まっすぐな子どもたちのビュアな瞳に出会うことができる教室という場所は「自分」を考え続けるのには最適だったのだと思います。
子どもから学ぶというイメージより、子どもによって鍛えられたというイメージに近いかな。
この仕事を「なぜ選んだのだろう」という問いに、向き合わざるを得ない現実はいつもありましたよ。
若い頃はそれに押し流されないことに必死で、時間数のことなんか考えたことがありませんでしたね。
人と比べて多い少ないを考える余裕がなかったのでしょうね。人と比べてはいけませんと子どもに言ってましたから笑
持ち時間を減らし、空き時間を増やすことで「機械的な持ち時間数の平均化」を目指すことも大切でしょうが、「先生としての誇り」の平均化も必要なのかもしれませんね。
今どきの言葉なら「アイデンティティー」ですか。
まっ、ふるき良き昭和の精神論ですね。