おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

落ち込む先輩への対応ですか。。

2014-10-25 08:13:36 | Weblog
元気そやな(笑)

あなたに野球の話をしても理解してくれるかどうか不安なんやけど、
プロの野球チームでは不振に陥った打者やコントロールが乱れてきた投手に、
同僚はどのような声かけをするんやろな。

同僚性というのはあなたが期待していることを
他者に求めるものだろうし
あなたがそれを実現できるかどうかという問題とは
少し別のことのように思うんやけど。。

元気はつらつ毎日が充実しているあなたの言葉は
その先輩にどう届くんやろね。

まず、しばらくはほっとくのがいいのかもしれへんよ。
その先輩も大人なんやから、
友達がいて自分の中で振り返る時間があれば
だれかに相談するやろから、
ほっとくのやで。

そんなんこれからの現場での毎日の中でも何回もあることやで、
みんなあなたの先輩やから(笑)。

もし、ひとりぼっちの可哀想な先輩やとおもうんやったら
あなたの仲間にしたらええ(笑)
なにもふれずに飲むのが一番かな。

とにかくその先輩があなたに相談したいオーラをだすまで、
待つこと。

あなたの可哀想オーラや相談したげるオーラは
年上のお姉さんには素直に受け入れてもらえない場合があるから、
感づかれないようにするほうがいいかな(笑)


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秋ですね

2014-10-12 20:22:53 | Weblog

先生としての喜びってなんだろう。。

「小さな奇跡との出会い」。。かな

小さな奇跡は、
それを信じることができる感性を持った先生と
その先生を信じることができる子どもたちが
作る時間と空間の中にのみ
存在するものなんだろうな。

あと、いくつ小さな奇跡に出会えるのだろう。
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最後の運動会

2014-10-05 21:40:29 | Weblog
最後の運動会は昨日無事終了。

PTA種目綱引きでスタートの合図と共に
審判が空高く舞い上がるというハプニングかあったものの
なんとか臀部をしたたか打った程度だったが
年を取るとできていたことができなくなっている自分が
少し悲しかった。

口の悪い若手に「なかなかやりますね
受けねらいでしょ」と聞かれ、
しゃくなので「そう」となにげに答えた(笑)

前日の夕方校舎を回っていると
スローガンを張り出した廊下の窓に
てるてる坊主が、ひとつ。

運動会を楽しみに待つ、そんな子どもたちの心情が満ちた職場
いい職場です。
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「タブレットは紙に勝てるのか―タブレット時代の教育― 」を読みました。

2014-10-05 17:43:21 | Weblog
赤堀侃司先生の「タブレットは紙に勝てるのか―タブレット時代の教育― 」を読みました。

タブレット、パソコン、紙それぞれを使った学習効果について、
実証実験の結果に基づいて解説されています。

テキスト(紙ベース)での学習と
情報端末(PAD)であるタブレットを用いた学習では何が異なるのか、
どんなメリット/デメリットがあるのか、
学習にどんな影響を与えるのかについて、先生の知見を
展開されています。

メディアの活用による光と影についても
「今」の教育や教育の現場についても、解説されているので
若い先生たちに是非読んでほしい一冊です。

紙でできることは紙でする、
ITを使って便利になるのなら使う
というのが僕のICT活用における基本スタンスでした。

子どもたちは辞書や図鑑で調べることができてこそ
ネットでの情報検索もできる。

先生たちは
板書もチョークや吹き出しで授業ができる
という大前提での上で、
電子黒板やデジタル教科書を使えばいいと考えていました。

僕はいわゆる経験主義的「ICT棲み分け論者」(笑)なのですが、
これからの時代には指導ツールとしての
それぞれの特性や学習効果についての検証は必要だと思っています。
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Re 長いです笑

2014-10-03 21:48:14 | Weblog
中学年ですね。

昔はギャングエイジという言葉で
「荒れるのが当たり前」(笑)
という感覚で捉えていた学年ですよね。

自我に目覚め、
抽象的な思考の基礎を作る段階として、
最近では、とても大事な時期だという認識が必要だと思います。

この時期の子どもだからこそ、
あなたの提示している2人の子どもより、
意識的に集められたであろう「周りの比較的穏やかなこどもたち」のことが、
まず気になります。

あなたの前に
その子たちを受け持った
低学年での担任の先生の「価値観」を
従順に受け容れ従ってきたから、
「比較的穏やかなこどもたち」と思われているわけですよね。

その子たちが、あなたの「新しい価値観」を
すなおに受け容れるようにする工夫が
いるような気がするのです。

往々にして低学年の先生は
規則重視で、その枠の中に入らないない子どもたちを
「穏やかでない子」=「悪い子」という公式に
知らず知らずに当てはめている場合があります。

こうした意識が「比較的穏やかなこどもたち」にあるとしたら、
まず、それを払拭する努力が必要だと思います。

「ちがい」について考えさせてはどうでしょう。
人には「違い」があるのが当たり前で
おなじことができなくても「悪い子」ではないという意識を醸成するという
アプローチですね。

そんな意識が周りの子どもに
芽生えるとその子たちにとっても
居心地のいいクラスになると思います。

潜在的に持つ周りの子どもたちの意識に
その子たちは過敏に反応しているのではないですか。

ズーと昔ですが「キメラ顔」という取り組みをしたことがあります。
chimeric faceと言うのは 
顔の半分を切り取って反転させ合成した写真のことです。

自分の顔は左右対称ではないことは知っていますよね(笑)
だから合成写真で左右対称な自分の顔を切り取ります(ICTの活用です 笑)

左右対称でない「違うのがあたりまえ」の自分の顔 
右半分や左半分から作った「おなじなのが当たり前」の顔。
どっちが先生の顔かな、みたいな発問から
「ちがうのが当たり前だよね」みたいな乱暴な展開だったかもしれませんが
視覚から考えさせたことがありましたよ。

もうひとつ気になるのはあなたの意識かな。。
その子たちの特質を
「さりげなく」受け容れているのかという点。

○○君や○○さんがみんなに迷惑なことをしても、
仕方がないことなのだから
「みんなちがって、みんないい」と思い込みなさいと言う
スタンスで周りの子どもたち接していませんか
という指導スタンスの問題。

あなたの自然な振る舞いや言葉の中から、
周りの子どもたちは「みんなちがって、みんないい」と
子どもたちは感じるのであって
「正しい価値観」の押しつけ的なスタンスでは
周りの子どもたちの本音が見えてこないことも多いよね。

あなたはそうではないと思ってます。
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