ピンチなんや。
確かにピンチはチャンスにかえられるで・・。
けど、むちゃくちゃエネルギーが必要やで。
泣くような思いもせんなんかもしれへんな。
チャンスにかえるという強い信念が必要なんは、
もうベテランやからわかってるはずやし、
あなたにはできると信じてるしな。
まっ、がんがんいかんでも、
前向いてたら、厳しい状況でも、
なんとか変えることができるで。
がんばらんでもええけど下向いたらあかんで。
自己完結力って大事なんやろな。
「管理職に助けてもらう」とか
「先輩に助けてもらう」とか、「まわりにささえてもらうとか」
もうそんな期待や弱音がはけへん歳になったんやと
あきらめることが大事なんかもしれへんな(笑)。
採用の氷河期乗り越えたのに
ミドルリーダの氷河期やな・・。
ベテランや管理職のなかには
こんな先生には巡り会いたくないという人がいるけど
共通した決まり文句を話すということに気づかなあかんな。
「学年主任は初めてやし・・・」
「管理職ははじめてやし・・・」
だから「今まで通り」「前任者のやり方を大切に」するらしい。
だから、若い子や担当者には「前例主義」「出る杭は打たれるパターン」といった自分の色を出させへん方向で臨むんやろ。
これっておかしいやろ。
「変化に対応できない時代遅れの考え方」やしな。
あんたはそんな人から
「この仕事は分掌の責任者や
担当者が責任を持って解決するのが
組織というものだ」といわれたんや(笑)、
その人はOJTを隠れ蓑に責任を丸投げするのがすきなだけかもしれへんな。
責任を持つことを放棄している先輩に言われとうないと思っているあんた、
あんたの、その考え方は正しいんやで。
そんな先輩はいつか、
えらそげに管理職になるかもしへんし、
もうなってるかもしれへんけど、
そのとき「ひとり」やということに
気いついて臍をかむか、
保身だけの人というありがとうないレッテルを
職場のみんなから貼られるのがおちやろから、
今はさわやかに大きな心で接してあげたらええやん。
天につばを吐くという言葉、
結構真実やし重たいんやで(笑)
度量がないとか、力がないとか、
先輩のネガティブな面ばっかりを意識しても、
あんたの向上にはつながらへんし、
しんどいだけとちがうんかなぁ。
自由にでけへんていうけど
学校には結構裁量権があり、
自分たちで能動的に動く教師が集まれば、
実はやれることがたくさんあるんや。
「あれがほしい」「これがなければできない」やのうて
「これをしたい」「こうするためにこれが必要だ」という
思考力、判断力そして表現力は教師にも必要なんとちがうんか。
「同僚に力がない」「クラスにしんどい子がいる」という発想からは
「管理職に力がない」「しんどいのに助けてもらえない」という発想しか
生まれきいひんように思うんや。その逆もおんなじやで。
で、あんたは忙しいことを理由に
「自分磨き」「自分探し」を忘れてへんのか??
じぶんがたのしんでへんで、
どうしてこどもをたのしますことができるんや?
じぶんがでけへんくせにあんたに
いろいろおしつけてくる連中と
おんなじ思考レベルでものごとかんがえてへんやろか?
ある時から「歳を刻む」という言葉が好きになったんや。
コンピュータの研究を始めた頃やから
今のあんたと同じそろそろベテランと呼ばれ始めた頃。
あと残りの教師生活をどうするのかをふっと考えたんや。
世の中バブルがはじけて
なんか変な感じでかわってきたなって感じたとき。
それまで無我夢中で「自分」なんて見てへんかった。
当然周りも見る余裕なんあらへんかったし
「子どもたちが大人になった時の社会」も
「世の中の変化」も「世の中の常識」も
知らへんかったことに気づいたんや。
その時やっと、なんも新しいこと勉強せえへんかったから
「自分には採用試験に受かったときのままのスキルしかない」と
いうことにも気づいたんかもしれへんな。
それまでは力のある先輩が助けてくれていたことにも
気づかへんかったし、
先輩との力の差を埋めることだけが
スキルの向上やと考えていたのかもしれへん。
まわりのめんどうみなあかんような役回りになってから
やっと年を重ねるごとに、自分の未熟さが一つ一つ目の前に浮かぶようになってきたんやで。
かたんでもええで
けど、まけたらあかんで
そろそろあんたも
「歳を刻む」時がきたんやろな。
確かにピンチはチャンスにかえられるで・・。
けど、むちゃくちゃエネルギーが必要やで。
泣くような思いもせんなんかもしれへんな。
チャンスにかえるという強い信念が必要なんは、
もうベテランやからわかってるはずやし、
あなたにはできると信じてるしな。
まっ、がんがんいかんでも、
前向いてたら、厳しい状況でも、
なんとか変えることができるで。
がんばらんでもええけど下向いたらあかんで。
自己完結力って大事なんやろな。
「管理職に助けてもらう」とか
「先輩に助けてもらう」とか、「まわりにささえてもらうとか」
もうそんな期待や弱音がはけへん歳になったんやと
あきらめることが大事なんかもしれへんな(笑)。
採用の氷河期乗り越えたのに
ミドルリーダの氷河期やな・・。
ベテランや管理職のなかには
こんな先生には巡り会いたくないという人がいるけど
共通した決まり文句を話すということに気づかなあかんな。
「学年主任は初めてやし・・・」
「管理職ははじめてやし・・・」
だから「今まで通り」「前任者のやり方を大切に」するらしい。
だから、若い子や担当者には「前例主義」「出る杭は打たれるパターン」といった自分の色を出させへん方向で臨むんやろ。
これっておかしいやろ。
「変化に対応できない時代遅れの考え方」やしな。
あんたはそんな人から
「この仕事は分掌の責任者や
担当者が責任を持って解決するのが
組織というものだ」といわれたんや(笑)、
その人はOJTを隠れ蓑に責任を丸投げするのがすきなだけかもしれへんな。
責任を持つことを放棄している先輩に言われとうないと思っているあんた、
あんたの、その考え方は正しいんやで。
そんな先輩はいつか、
えらそげに管理職になるかもしへんし、
もうなってるかもしれへんけど、
そのとき「ひとり」やということに
気いついて臍をかむか、
保身だけの人というありがとうないレッテルを
職場のみんなから貼られるのがおちやろから、
今はさわやかに大きな心で接してあげたらええやん。
天につばを吐くという言葉、
結構真実やし重たいんやで(笑)
度量がないとか、力がないとか、
先輩のネガティブな面ばっかりを意識しても、
あんたの向上にはつながらへんし、
しんどいだけとちがうんかなぁ。
自由にでけへんていうけど
学校には結構裁量権があり、
自分たちで能動的に動く教師が集まれば、
実はやれることがたくさんあるんや。
「あれがほしい」「これがなければできない」やのうて
「これをしたい」「こうするためにこれが必要だ」という
思考力、判断力そして表現力は教師にも必要なんとちがうんか。
「同僚に力がない」「クラスにしんどい子がいる」という発想からは
「管理職に力がない」「しんどいのに助けてもらえない」という発想しか
生まれきいひんように思うんや。その逆もおんなじやで。
で、あんたは忙しいことを理由に
「自分磨き」「自分探し」を忘れてへんのか??
じぶんがたのしんでへんで、
どうしてこどもをたのしますことができるんや?
じぶんがでけへんくせにあんたに
いろいろおしつけてくる連中と
おんなじ思考レベルでものごとかんがえてへんやろか?
ある時から「歳を刻む」という言葉が好きになったんや。
コンピュータの研究を始めた頃やから
今のあんたと同じそろそろベテランと呼ばれ始めた頃。
あと残りの教師生活をどうするのかをふっと考えたんや。
世の中バブルがはじけて
なんか変な感じでかわってきたなって感じたとき。
それまで無我夢中で「自分」なんて見てへんかった。
当然周りも見る余裕なんあらへんかったし
「子どもたちが大人になった時の社会」も
「世の中の変化」も「世の中の常識」も
知らへんかったことに気づいたんや。
その時やっと、なんも新しいこと勉強せえへんかったから
「自分には採用試験に受かったときのままのスキルしかない」と
いうことにも気づいたんかもしれへんな。
それまでは力のある先輩が助けてくれていたことにも
気づかへんかったし、
先輩との力の差を埋めることだけが
スキルの向上やと考えていたのかもしれへん。
まわりのめんどうみなあかんような役回りになってから
やっと年を重ねるごとに、自分の未熟さが一つ一つ目の前に浮かぶようになってきたんやで。
かたんでもええで
けど、まけたらあかんで
そろそろあんたも
「歳を刻む」時がきたんやろな。