今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

子ニャンを救え ~たそがれオジンの救出作戦~(後編)

2017年11月26日 | リン(旧イエミケ),クウ,キー
注)当時は写真を撮る余裕がなかったため記事に対応する写真が殆どありません。そのため本日のスナップ写真を加えました。

(前編より続く)

「飛んで火に入る夏の虫」ならぬ「飛んで檻に入る晩秋のオジン。」
脚立を持って家を飛び出したとき、心のどこかに、事が大事になれば自分の立場が危うくなりそうな不安がありました。そう、ニャンコ嫌いの奥様方が集まってきて、「〇〇さんがノラに餌なんかやるからこんなことになったんでしょ、」というパターン。最近調べた餌やり裁判事例も脳裏にあった。

ノラに餌をやり続けた結果で通常よりノラ密度が少しでも高くなれば、ご近所に影響することは避けられない。どんなに手を尽くしても、鳴き声や姿を隠すことはできないからです。だからそれぞれの人の許容範囲を模索することになる。そして最後には、命の尊さへの理解とか不幸な境遇への同情といった、人々の奥底に流れる人間性に甘えさせてもらうしかない。

一番やってはいけないこと。それは、動物愛護法の理念でもある"命を守る尊さ"を拠り所に自分の正当性を訴え、相手を説き伏せようとすること。何故なら世の中には、「他人に迷惑をかけてはいけない」という理念の方が広く通用しているからです。

つまり「迷惑だからもう餌をやらないで」と言われてしまわないように、日頃から最大限の努力と気遣いを示さなければならないのです。たとえニャンコ嫌いの人であっても敵にはしない。それが唯一、継続的にノラたちを幸せにできる道だから。

フェンスの外から見守る人たちが手を貸してくれなくても、"敵"にならなかっただけで自分がどんなに安堵したことか。前編の最後に書いた「元気100倍」というのは偽りのない本音でした。卑屈になりかけていた気持ちも消えて、子ニャンを救うという自分の行為への自信が蘇ってきたのです。

イエミケ一家の寝床(本日)
棚(上方)の上で合流してから寝床(下方)に入る

とは言え、現実は厳しかった。
黄チビが実にすばしっこい。追っても追ってもつかまらない。ベージュのズボンはくっつき虫で真っ黒になって、運動靴はずぶずぶになって、奥様方は飽きたのか呆れたのかお互いの話に夢中になっていた。そのうち頭が白くボケてきて時間の観念がなくなり、どのくらい黄チビを追い続けたのか覚えてません。

このままじゃまずい、何か他の策を考えねば。自分の行動が空ろになっていくのがわかった。何か他の策。他の策、他の策・・・・。 ふと気づくと、黄チビが草むらの中にうずくまっていた。疲れたのか観念したのか、伏せの姿勢でじっとこっちを見ています。

チャンスかもしれない。慎重に、そーっと近づく。そうだよ黄チビ、勝手口からご飯をあげていたオジンだよ。怖くなんかないさ。 慎重に慎重に、失敗しないように間合いを十分に詰める。そして、祈るような目で自分を見つめる黄チビにゆっくりと右手を伸ばして、背中をつかんだ。

そのとき、つかみ方がいまいち不安定だったのに直す余裕がなかった。やったとばかりに持ち上げると、黄チビは思い切り叫びながら暴れだした。持ち替えたいがもうできない。迷うな、このまま梯子を登りきれ! 右手に黄チビを持ってぬかるみを急ぐ。黄チビの爪が、思いのほか深く鋭く自分の手にひっかかる。梯子までたどり着いたとき、ついに黄チビが人差し指に噛みついた。小さい口と歯の1本1本までが感じられて、それまでにない激痛が走る。黄チビは何度も噛み直し、そのうち顎に一層の力を入れたのかますます歯が指に食い込んで、自分の我慢が限界を超えたのです。

まだ梯子を上りきってはいなかった。最後の我慢と力を振り絞り、目一杯右手を伸ばして黄チビを壁の向こうに差し出すと、同時に黄チビが手から離れて、ドサッという音とともに消えた。 ・・えっ? ドサッ?

黄チビを貯水池の踊り場に置いたはずが予想と違う展開。急ぎ梯子を登って確認すると、その部分は土地が1.5m近く低く、フェンスが下から建てられていた。フェンスと壁の隙間は30㎝もない。黄チビは隙間の奥の方に向かったのか、フェンスの下を潜って低い土地側に向かったのか、その姿は見えなかった。

棚の上で(本日)
白黒チビ(上方)は臆病で直ぐに逃げる

一難去ってまた一難。踊り場に出てズキズキと血の滴る右手をそのままに、左手で"くっつき虫"をとりながら状況を分析した。「どうなったの?」と奥様たちから心配そうに訊かれても答えられない。もごもごと何か説明しているうちに、貯水池の向こうの淵の、奥様方とは反対の端からひょっこりと頭を出した黄チビが見えた。(後で見たらそこに階段があったのです。) 黄チビは周囲を警戒しながら貯水池に面したお宅に移動して、一安心したのか身づくろいを始めた。で、奥様方に子ニャンの安全と、一件の終了を伝えたのでした。

ところが、痛む右手を早く処置したいのに奥様方が散会しない。もうこれ以上目立ちたくないたそがれオジン、長々と"くっつき虫"をとりつつ粘っていると、「出られるの?」と声がかかった。どうやらこっちが外に出るまで見届けるつもりらしい。あるいは一件落着してから、改まって言いたいことがあるのかも。

貯水池からの脱出には、入ったときの倍くらい時間がかかりました。その時自分は日課の朝風呂もまだで、顔も洗ってなかったけど、観念して居合わせた奥様たちに挨拶した。そして、彼女たちが自分の労をねぎらいたかったのだと知って安堵。それから、ニャンコやノラのことをいろいろ話しました。イエミケ一家だけでなくみうやソトチビのことも、このブログの記事そのままに説明。年月が経ってご近所の中外飼いニャンコが減ってきたこと、家で保護しているイエチビが、実はこの街の入口に兄弟もろとも捨てられた子猫だと初めて知った。

話はさらに進んで、動物愛護法の概要、市の殺処分ゼロの方針が実は民間ボラに丸投げなこと、市も警察も来てはくれないがノラを捕まえて持って行くと引き取ってくれるが1、2週間で殺処分される。安楽死ではなく炭酸ガスでもがき苦しんで殺すのだと、ありのままを説明。そして、市が進める地域猫活動の話をしたのです。

散会後、ようやく遅い風呂に入りながらその日の出来事を振り返りました。何だか事件の前と後では何かが少し変わったような気がした。奥様たちはこのオジンの話に感動したようだったけど、だからといって考えや行動が変わるわけでもないだろう。でも、やはり何かが変わった。ちょっとした爽快感を伴って。

その日、家に戻って勝手口から見ると黄チビがいたが
イエミケたちが戻るまで隣庭で陰に隠れていた

黄チビは夕方になって、わが家の裏で母親と兄弟に合流しました。今回はうまくこの子(♂だった)を助けた。でも、この兄弟の前途は明るくない。保護者を探そうにも店にはちび太が、家にはイエチビがいて順番がある。今回の救助が、いくばくの延命に過ぎなかったという可能性だって現実味を帯びているのです。

それを思えば、黄チビを貯水池から助けたといって爽快感に浸れるはずもない。そもそも、ノラの子を救うとはどういうことか。黄チビを助けた自分はヒーロー? ではあるけど、それは一過性のもの。一方、真の意味でノラを助けるということは、彼らに前途ある将来を提供することではないか。地域の住民に認知され、その存在を容認されることこそ、ノラにとっては最大の救いなのだ。もちろん事故や病気など、それだけでは十分でないが。

ようやく合流した黄チビとイエミケ

たそがれオジンには、あの爽快感の正体がもうわかっていました。汚れて血だらけになってしかも筋肉痛になって、あのチビを貯水池から救い出したからではない。ご重鎮の奥様方とまともに話ができて、しかも考えをしっかり表明できて、何だかいい雰囲気で終わることができたからだ。それは小さな一歩かもしれないが、チビたちを真に幸せにするための第一歩だったのです。

小さな一歩、そして小さな勇気。それは、貯水池から救い出すという大きな勇気よりも価値のあることをわからせてくれた、貴重な経験でした。

今朝のイエミケ一家
近頃の当地の朝は、0℃まで下がります
コメント (2)
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