今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

女らしさはみうの華

2018年07月21日 | (故)みう(おかあさん)
色恋沙汰はもう化石になった感がありますが、男らしさ女らしさには相変わらず一家言持っています。一方世間では同姓カップルが市民権を得たりと、性に対する区別意識がなくなりつつあるようです。政府が進める男女平等には動かなくても、新しい文化は常に若者たちによって造られるんですね。でも、男と女では体の構造が違うし(多分)思考回路も違う。スポーツの世界は男女別競技だし、文化の世界には女流○○がある。男と女は違うんです。

人間はそれぞれ理想も好みも違うから、男らしさ女らしさのイメージも同じではないだろう。自分の場合はトシもトシなので、世間からは「古いなあ」と言われちゃうのだと思います。それでも敢えて言わせて頂くと、男らしさは高い理想と包容力、女らしさは奥ゆかしさと(生き抜くための)したたかさ。まあ異論反論あるでしょうが、イメージとしてはライオンの家族かな。ちなみに、自分自身は男らしさ失格です。

と、またしても前置きが長くなりましたが、今日の話は人間ではなくてみうのこと。ニャンコ6匹と同じ家で暮らしていると、それぞれの個性が見えてくる。みうに関しては、まだ家裏で生活していた1年半ほど前に、その奥ゆかしさについて書きました。(過去記事「もしも人間だったなら」)  一緒に暮らして思うのは、やっぱりみうは前述の女らしさを感じさせるニャンコなんですね。

               
             リビングではお膳の下にいることが多い

食事のとき、みうはみなが食べ終わるのを待ってから来る。リビングでの位置取りは周りに気を遣う。オジンくっつきだけどべったりじゃなくて、いつの間にかこっちが座っている椅子の下にいる。ニャーやリンがくっついているときは我慢する。要するに、「われ先に」という行動がないのです。だからって他の猫たちから感謝されることもなく、言わば空気のような存在。たまに子ニャンたちのドタバタに巻き込まれて一緒に遊んでいます。

               
            他ニャンの前で熟睡できるようにもなりました

みう生来の臆病や警戒心の強さもあるのだろうけど、気を遣ってばかりの自分の境遇を憂うことなく、そのまま受け入れて自分の道を切り開く。 したたかに生き抜く力強さを感じます。ニャーの存在も気にしなくなったようだ。でも前を通るときはやっぱり忍び足。ニャーは今もたまに"獲物を見る目つき"でみうを見たり、実際追いかけることもあるけど、以前のように襲うことはなくなった。

               
          ニャーの傍でもくつろげるんだニャン(ちょっと緊張)

お迎えしたときに掲げた6つの目標はまだ未完のものもあります。特に、呼んだら振り向くというのは難聴気味なみうにとっては無理かもしれない。これができないと、リードで外に出すのも難しい。でも、他の事はみうなりに達成したと思います。当面はこのまま見守ろうと思うけど問題もある。ひとつは手術の問題。推定4才のみうは発情したところを見たことがないが、手術跡もないのです。果たして何がみうに起こっているのか・・。もうひとつは保護者の怠慢に尽きるのですが、目の充血と耳先のただれ。当初診た先生の言うほど単純な問題ではない気がして、なかなか前に進めない。今はウェットティッシュで目を拭いたり抗生物質を点眼したりしていますが、早めの対策が必要だ。

               
          目の周りに血糊(目やに)が溜まると顔が怖く見える

あの脱走劇から2ヶ月、みうは恙なく暮らしております。何だかすっきりした感じで他のニャンコたちにも溶け込んでいる。脱走と言っても、みうにしてみれば保護者がもたもたしている間に外に出た、久々の外は気持ちよくいろいろ探検して疲れたから家に戻った、それだけのことなんだ。ニャーやちび太と違ってみうには周辺の土地勘がある。まあ何が起こるかわからないので保護者は心配するのですが、逃げようとしたわけでもないのに"脱走"だなんて責任転嫁の極みでした。

あとは前述過去記事で書いたように、その奥ゆかしさが必ず報われることを証明したい。テツの忘れ形見であるみうには、この家を終の棲家として思い切り幸せになってもらいたいと思うのです。

               
              たまには外にも出してほしいんだニャン

コメント
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