またニャーのカテゴリを借りて、今度は読後感想を書きます。
「ペットの自由」は、6月19日付朝日新聞の"耕論"欄に掲載された意見です。養老孟司さん、小島章義さん、滝川クリステルさんが意見を寄せています。「ペット」という言葉は好きではないけどタイトルなのでそのまま書きました。本記事で多少要約して書きますが、原文はもちろん自分のような老人表現(教条的で断定的)と違って、受け入れやすい文章で書かれています。やっぱり専門家の文章は違いますね。
このオジンの思い込み等に不安な方は、デジタル版で原文を読むことができます。ただし有料登録が必要。タイトルと挿絵だけならこちらから確認できます。
耕論「ペットの自由」 ~動物福祉・五つの自由~
養老さんと滝川さんの意見を通して感じられることは、ペット(動物たち)を所有物とか従属物のように扱うのではなく、彼らと対等に付き合うということでした。"対等"に付き合うということは、彼らの本来の生き様を尊重し、彼らの生活環境をなるべくそれに近づけてあげるということです。
欧州では動物を人間とは切り離して考え、歴史的に長く身近に接してきた。そして動物には五つの自由が大切だという考えが根付いていると言います。五つの自由とは①飢えと渇きからの自由、②痛み、負傷、病気からの自由、③恐怖や抑圧からの自由、④不快からの自由、⑤本来の正常な行動がとれる自由。 欧州で提起された「動物福祉」という考え方の基本となるのが、この"五つの自由"なのです。
振り返って日本では、当然のごとく動物を飼うことが自由を奪うことになっている。ヒモで繋いだり家や狭いケージに閉じ込めたり、ペットを擬人化して高価な服を着せたり、人間と同じように過ごさせ、扱おうとする。報道ひとつとっても人間の命と動物の命を別格に扱い、人間の命だけが尊いものだと強調する。社会として、「命あるもの」という点で想像力が欠如しているのはとても危ういことだと、滝川さんは警鐘を鳴らします。
自分がこの「耕論」を読んだときはクウの捜索を続けているときでした。(「ノラと家猫と」シリーズ参照) 結局クウを呼び戻したのは妻だったけど、妻の考え方はこの動物福祉の考えそのものです。突き詰めて言えば、この考え方は猫の外飼い肯定論だ。養老さんと滝川さんが外飼いを肯定しているわけではないが、この点に関しては養老さんが触れています。
養老さんの言葉をそのまま引用すると、「・・ペットとして動物を飼うためには、残念ながらある程度自由を奪う必要はある。どの程度かは具体的に付き合いながら根気よく見守り、細かく問題のある行動を軌道修正していくか、自分が我慢して受け入れるか決めていく。動物たちの状態をなるべく動物らしく自然に保ち、できる限り自由にさせるのです。・・・」 いやはや、わが家の猫たちや店のテンちゃんが幸せなのかどうか、またぞろ不安になってきた。
ニャー、みう、ちび太、朝のひととき
上記のお二人とは立場の違う、全国ペット協会の会長を務める小島さんの寄稿には大変興味深いものがありました。小島さんは動物取り扱い業者への世の中の目が厳しくなったことを自覚し、業界は変わる必要があると言います。中でも注目すべきは、「自社では東京五輪までに子犬子猫を販売しない店をつくっていく。販売する店については展示方法を大幅に改善、全頭の健康管理を強化、24時間体制の動物病院の併設を行う」と書いています。
さて、画期的な提案をしているようで、よく読むと何を目指しているのかよくわからない。子犬子猫は売るのか売らないのか、成犬成猫は売るのか売らないのか。ネット上では早速ながら評価する書き込みと、疑問視する書き込みに分かれています。朝日新聞には是非この続きをインタビューして、その結果を掲載してほしいと思うのですが如何でしょうか。
オジン、こういう話なら自分のカテゴリどんどん使っていいからね(ニャー)
「ペットの自由」は、6月19日付朝日新聞の"耕論"欄に掲載された意見です。養老孟司さん、小島章義さん、滝川クリステルさんが意見を寄せています。「ペット」という言葉は好きではないけどタイトルなのでそのまま書きました。本記事で多少要約して書きますが、原文はもちろん自分のような老人表現(教条的で断定的)と違って、受け入れやすい文章で書かれています。やっぱり専門家の文章は違いますね。
このオジンの思い込み等に不安な方は、デジタル版で原文を読むことができます。ただし有料登録が必要。タイトルと挿絵だけならこちらから確認できます。
耕論「ペットの自由」 ~動物福祉・五つの自由~
養老さんと滝川さんの意見を通して感じられることは、ペット(動物たち)を所有物とか従属物のように扱うのではなく、彼らと対等に付き合うということでした。"対等"に付き合うということは、彼らの本来の生き様を尊重し、彼らの生活環境をなるべくそれに近づけてあげるということです。
欧州では動物を人間とは切り離して考え、歴史的に長く身近に接してきた。そして動物には五つの自由が大切だという考えが根付いていると言います。五つの自由とは①飢えと渇きからの自由、②痛み、負傷、病気からの自由、③恐怖や抑圧からの自由、④不快からの自由、⑤本来の正常な行動がとれる自由。 欧州で提起された「動物福祉」という考え方の基本となるのが、この"五つの自由"なのです。
振り返って日本では、当然のごとく動物を飼うことが自由を奪うことになっている。ヒモで繋いだり家や狭いケージに閉じ込めたり、ペットを擬人化して高価な服を着せたり、人間と同じように過ごさせ、扱おうとする。報道ひとつとっても人間の命と動物の命を別格に扱い、人間の命だけが尊いものだと強調する。社会として、「命あるもの」という点で想像力が欠如しているのはとても危ういことだと、滝川さんは警鐘を鳴らします。
自分がこの「耕論」を読んだときはクウの捜索を続けているときでした。(「ノラと家猫と」シリーズ参照) 結局クウを呼び戻したのは妻だったけど、妻の考え方はこの動物福祉の考えそのものです。突き詰めて言えば、この考え方は猫の外飼い肯定論だ。養老さんと滝川さんが外飼いを肯定しているわけではないが、この点に関しては養老さんが触れています。
養老さんの言葉をそのまま引用すると、「・・ペットとして動物を飼うためには、残念ながらある程度自由を奪う必要はある。どの程度かは具体的に付き合いながら根気よく見守り、細かく問題のある行動を軌道修正していくか、自分が我慢して受け入れるか決めていく。動物たちの状態をなるべく動物らしく自然に保ち、できる限り自由にさせるのです。・・・」 いやはや、わが家の猫たちや店のテンちゃんが幸せなのかどうか、またぞろ不安になってきた。
ニャー、みう、ちび太、朝のひととき
上記のお二人とは立場の違う、全国ペット協会の会長を務める小島さんの寄稿には大変興味深いものがありました。小島さんは動物取り扱い業者への世の中の目が厳しくなったことを自覚し、業界は変わる必要があると言います。中でも注目すべきは、「自社では東京五輪までに子犬子猫を販売しない店をつくっていく。販売する店については展示方法を大幅に改善、全頭の健康管理を強化、24時間体制の動物病院の併設を行う」と書いています。
さて、画期的な提案をしているようで、よく読むと何を目指しているのかよくわからない。子犬子猫は売るのか売らないのか、成犬成猫は売るのか売らないのか。ネット上では早速ながら評価する書き込みと、疑問視する書き込みに分かれています。朝日新聞には是非この続きをインタビューして、その結果を掲載してほしいと思うのですが如何でしょうか。
オジン、こういう話なら自分のカテゴリどんどん使っていいからね(ニャー)