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今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

~登場ニャンコ勢揃い~ 2019年ご挨拶

2019年01月16日 | 登場ニャンコ紹介
今年は正月からニャーの結石騒動、テンちゃんの慢性腎不全発覚、シロキが猫風邪にかかったりと厄難づくしのスタートとなりました。今は本気でどこかでお祓いをと考えております。そうは言っても何とか元気でやっている老夫婦とニャンコたちですが、新年早々気がかりなこともあります。

ニャーの病後やテンちゃんの終活、みうのアレルギーと懸案事項も山積の中で、やっぱり最大の気がかりは年末にも述べた古株2匹、ソトチビとダイフクの消息です。昨年後半に出会った新顔ちゃんとミケチビは女の子と思われるのでそろそろ年齢的に気になるところ。

一方わが家は過去最多の8匹になりました。里親さん募集予定のシロキを除いてわが家の子になりそうですが、まだまだ子供のちび太にキーとクウもいます。保護者と猫の平均余命を計算しながら老夫婦でどこまで面倒見れるか、こちらの終活問題も忘れるわけにはいきません。

年末の記事「にゃんとも2018」で書いたように、このブログでは出会った猫たちのひとつひとつの命、個性や生き様をお伝えし、彼らが人間と同じようにお付合いできる存在なのだということを理解して頂ければ幸いです。なので遅筆というかテンポが遅く感じられるかもしれませんが、それぞれのニャンコたちの生き様はカテゴリーとしてまとめてあります。

8匹のニャンコたちとの暮らしは毎日気を休める暇もありません。でも生活に潤いがあるし、その癒し効果もハンパじゃないです。外にはまだまだ保護したい子がいます。家の子たちからもらったパワーで、今後もできる限りの保護を続けていきたいと考えています。

それでは本年年頭の、恒例のニャンコ紹介です。
(年齢等は獣医師さんの見立てなので、昨年からの多少の変更もあります。)

わが家の子・保護中の子

ニャー 推定4才半♂ 出会い2015年10月

店から家に越してきて、今ではわが家のホスト的存在。オジンの片腕になりつつあります。

みう 推定5才♀ 出会い2015年10月

難聴気味でコミュニケーションにやや難点も、今ではリビングの主的存在。

テン 推定14才♂ 出会い2017年1月

保護されて以来、店の人気看板猫。慢性腎不全療養のため今年からわが家中心に。

ちび太 推定1才半♂ 出会い2017年10月

人見知り(猫見知り)しない天真爛漫な子。先住猫さんに拒否され出戻って以来わが家に。

リン(旧イエミケ) 推定4才半♀ 出会い2017年10月

家裏で子育ての後、子供たちと一緒にわが家にお迎え。ちび太にストーキングされる。

キー 推定1才強♂ 出会い2017年11月

お転婆なお兄さん気質。人馴れしてるが超びびり。今はニャーとちび太の子分的存在。

クウ 推定1才強♂ 出会い2017年11月

まだ触ることもできない野生児。でも家の子気分満点でリンとキーには甘えまくり。

シロキ 推定5才♂ 出会い2018年5月

家裏で灰白くん(ハリー)との餌場争いが住民問題にまで発展した。今は家の子修行中。

里親さん宅で幸せになった子

イエチビ 推定1才半♂ 出会い2017年11月

近くに捨てられてわが家の庭に現れた。保護して間もなく里親さん決定。

テリー(旧新チビ) 推定1才強♂ 出会い2018年7月

テンちゃんを慕って店に現れた。保護して直ぐに店の常連さんの家に引き取られた。

ハリー(旧灰白くん) 推定2才♂ 出会い2018年4月

リン一家を保護して直ぐ家裏に現れた。シロキに追われて家に保護。今は里親さん宅に。

お付き合い中のノラ

ソトチビ 推定3才半♂ 出会い2015年9月

現存ニャンコでは最も古株。みうやリン一家保護のきっかけとなる。昨年2月以来不明に。

ダイフク 推定5~6才♂ 出会い2015年12月

お店のニャン歴史を知るニャンコ。1年前から足が遠のき、昨年9月以来不明に。

モドキ 推定2才半♂ 出会い2017年3月

ブランクの後、昨年店に戻って来た。店猫気取りの時期もあったが年末から再び不明に。

新顔ちゃん 推定1才♀ 出会い2018年8月

左耳カットのさくら猫。シロキの家裏時代に合間を縫って食事。今は少しづつ馴れて来た。

ミケチビ 推定1才♀ 出会い2018年11月

夜は床下を通って暖房中の観葉室に出入り。現時点で店に出没する唯一の子。

お別れしたノラ(他界、行方不明)

ポン 推定3才半♂ 付き合い2015年9月~2016年2月

店における現在のニャン歴史はこの子から始まった。とても人懐こかった子猫。

チビ 推定享年1才♂ 付き合い2016年3月~9月

いくつものドラマと感動をスタッフに与えてくれた思い出深い子猫。不幸な交通事故に。

シャッポ 推定3才♂ 付き合い2016年4月~12月

ニャーとともに店の看板猫。ニャーをわが家に追いやった3ヵ月後、不意に消息を絶った。

一見さん扱いのノラ(昨年も確認できた子)

カブキ          ミセミケ          黄白ブチ  


※黄白ブチは今も時折目撃

かつてのわが家の3匹組

ハナ 享年22才♀ 付き合い1993年2月~2014年10月

息子がいじめから救って連れ帰った子猫。やさしさの原点のような面倒見のいい猫。

テツ 享年19才♂ 付き合い1998年3月~2016年9月

オジンの分身的存在だった猫。IBDと闘い、晩年は強制給餌にもよく耐えた。

くも 享年15才♀ 付き合い2000年2月~2015年1月

深窓の令嬢+お転婆娘。晩年の内臓系満身創痍に気付くのが遅れ、未だに自責の念。

※写真はいずれも再掲です。
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里帰りだぜテンちゃん

2019年01月13日 | (故)テン
大晦日の晩から療養のためにわが家に移動しているテンちゃんです。
わが家ではまずシロキのいる保護部屋に合流。その間シロキにはケージに入ってもらいました。その後は、朝から夜までは2階の旧子供部屋(現洗濯干し部屋)に移動。この部屋は思い切り日当たりがいい特等室です。テンちゃんは昨年のお客さん宅のように唸ることもなく、この2部屋には直ぐに慣れて問題なし。ただ他の猫の気配がすると低く唸りだす。でもケージの中のシロキは気にしてないようでした。

一方他の猫たちはテンちゃんに一目置いたらしく戦々恐々。あのニャーまでが、結石で弱っていたこともあって一目置いた様子。トシの功というか番猫の本領発揮というか、さすがはテンちゃんです。でもテンちゃん自身も弱っているので、威嚇と言っても迫力に欠けて、まあ、お互いに譲り合うような形で初顔合わせとしてはいい案配かも。そんなこんなで今ではシロキともうまくやっています。


絵になるリビングでのテンちゃん

問題のテンちゃんの食欲はますます減退気味で、何だか行動にも切れがなくなってきた。ボヤーッとしていることが多く、自分でも何をしたいのかわからない様子。秋ごろから食欲が落ち始めて、昨年暮れには食べる量も動きも半分以下にまで落ちた。年の瀬には鼻水も垂らして、これはてっきり猫風邪だと思ったのです。もうひとつの気がかりは暮れ当たりから口臭がきつくなってきたこと。口内炎の可能性が高く、ことによるとエイズが発症した懸念もあった。


あれだけ懐いていたちび太は恐る恐るテンちゃんに接近

ところがテンちゃん、正月になると鼻水が治まってしまった。でも相変わらず食べない。ニャーのことでバタバタしていた間にテンちゃんの通院が遅れ、今日になってようやく診察してもらいました。診察結果は慢性腎不全。数値的にはニャーの異常時よりも遥かに悪く、CRE5.8、BUN>140でした。これは残存腎機能がもう1割を切ってしかも尿毒症で食べるどころじゃないという数値。


オジンのPCの上にて

慢性なので昨日今日の話ではないが、ただ、脱水症状を起こしているので数値が高目に出ているかもしれないとのこと。脱水症状? テンちゃんは水をよく飲むのに、みなオシッコになって出ちゃうのでしょうと言われた。トシや腎臓の状態を考えると本格的な治療はできないので、当面は輸液をひたすら流し込むくらい。食欲が少しはあることから、慢性とはいえ最近急に数値が上がった可能性もあり、その場合は点滴することで改善の余地もあるかもとのことでした。


蛇口からの水飲みはわが家でも変わらず

点滴は毎日行った方がいいけど、慢性腎不全が相手ではエンドレスの覚悟が必要。毎日の通院は無理だろうから間隔を空けるか、あるいは在宅での点滴を勧められた。と言われても果たしてこのジジババに針を刺したりできるかどうか。一方、どんな猫にとっても腎臓病は加齢とともに不可避の問題なので、老化現象の一部として自然に受け止める考え方もあるそうだ。我々保護者にとって突然降って沸いたテンちゃんの終活問題、大きな課題となりました。


オジンの膝の上でゴロゴロ

さて、病院の帰りはテンちゃんの古巣であるお店に直行。
まあ、歩いて直ぐの距離なので通院=里帰りなわけです。2週間ぶりに店に戻ったテンちゃん、忘れてるかと思いきやどうしてどうして、古巣に戻ってすっかり安心、落ち着いたもんでした。事務所もスタッフルームも店内の全てがテンちゃんにとっては住み慣れたわが家。早速点検見回りを行って、観葉室の例の場所で水を飲んで、ひとりひとりのスタッフにもご挨拶。そしてスタッフルームのS君やK君にはべったべたの甘え振りでした。


キャリーケースの嫌いなテンちゃんはバッグで通院(待合室にて)


病院帰りは店のいつもの場所で水飲み

そこそこで帰る予定が結局店じまいまで。心なしかはつらつとして見えたテンちゃん、少しでも元気がつけば何よりだ。テンちゃんは余生をどう過ごしたいのか。この点でも、テンちゃんの今後の身の振り方を検討する必要がでてきました。


テンちゃんのいる見慣れた光景がお店に復活しました


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ニャーの正月危機・その3 ~未来につなげよう~

2019年01月09日 | ニャー
ニャー、よかったな。正直、こんな結果は思ってもいなかった。
最悪の展開は避けるにしても、何らかの問題を抱えていく覚悟はしていた。
調べれば調べるほど、腎臓の病気の深刻さがわかったからだ。
お前はやさしい猫だから、今朝になってこっちの気持ちを察するように
少しだけs/dを食べたり、大きなオシッコ玉を残したりした。
おかげで希望が持てたんだ。


久々に自分で食べた今朝のニャー

お前がわが家に帰れないことも想定して
病院までの時間はいつもの生活を満喫してもらおうと取り計らった。
外にも出たいというから出したら
お前はあちこちでオシッコばかりしていたね。
ちび太やキーとも久し振りで遊んだ。


外に出してもオシッコばかり

ニャー、お前は病院でも評判の猫になったよ。
待合室でもとっても静かで、呼ばれるとニャーと返事をする。
診察のときも、こんなに協力的な猫は初めてだなんて。
だから、みんながお前を救おうと必死だったんだ。


待合室にて

運命の検査。結果を待つ20分。いろいろなことを考えた。
でも考えがまとまらずに、ボヤーとしていたら名前を呼ばれた。
結果は、
CRE 5.0  →  1.2
BUN 86.2 → 21.1
正常範囲のむしろ低目の方にまで回復していた。高かった白血球数も正常に。
これ以上はないという結果だった。

オシッコ玉の大きさに関しては、先生は全然気にしてなかった。
本来はトイレにいくほどオシッコが溜まってないのに
残尿感があってトイレに行くから出ないのだと。
局部をあれだけいじくられたり輸液を入れられたら
誰だってそうなるよだって。
そのうち本来の出方に戻るそうだ。

食欲が戻るのも時間の問題だ。
でもそれまでは、強制給餌は続ける必要がありそうだな。
何よりも、少なくともしばらくは療養食が中心だ。
お前の食生活が楽しくなるように、一緒に研究していこうな。


帰宅後、病院の疲れからか爆睡するニャー

ニャーよ、我々は先生に褒められたんだぞ。
猫も頑張ったが、保護者の対応もよかったと。
本当は気恥ずかしい話だけどな。
何せ便秘と間違えてお門違いのマッサージしたり
早期の治療が最も重要なのに、おかげで10時間も診察が遅れた。
もしお前に何かあったら、一生後悔するところだった。

それに、お前がこんなになるまでストレスを与え、寂しい思いをさせてしまった
この保護者の罪は大きい。
きっと神様が、この情けない保護者に罰を与えたのに違いない。
いい加減に目を覚ませと。

これからもこの家にはいろんな猫が出入りするだろう。
でもこのオジンとお前との関係はもう変わらないし
お前が寂しい思いをすることもないだろう。
今回の一件で、お前はやはりわが家の中心猫だということがよくわかったしね。
ニャーよ、これからもよろしくな。


ニャーがいつもの場所にいると全員が落ち着きます


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ニャーの正月危機・その2 ~出ろ、出ない、出てくれ~

2019年01月08日 | ニャー
後悔先に立たず。
しかし過ぎ去ったことをくよくよと考えている余裕はなかった。とにかく今のニャーが自分に一番してほしいこと、それだけを考えよう。ニャーはいつもと変わらない柔和な表情で、病人(猫)らしくゆっくりとゆっくりと行動した。たまにこっちの顔を見て鳴くその声は、いつものハスキーボイスに戻っていた。しかも最後にきゅっと上がる甘えるときの鳴き方だ。ところが家に帰ってからのニャーは、その時間の半分をトイレで過ごすことになるのです。

病院で膀胱をすっかり空にしてもらったニャーは、しばらくは尿意もないだろうという予測に反して真っ直ぐトイレに向かってしゃがみ込んだ。5分、10分、やがておもむろに出たその跡には何もなかった。しかしニャーはとんぼ返りでまたトイレに。そんなことを4度繰り返し、最終的に2、3滴のオシッコを残した。量が少なすぎて回収すらできなかった。

ニャーはそれから部屋を出て、ゆっくりと移動しながら1、2階のトイレを渡り歩いた。と、3回目のトイレで初めて2cm大のオシッコ玉を残したのです。それからニャーは自分の定位置、コタツ布団の上でしばらく休んでまたトイレを渡り歩いた。コタツ布団の上には、15cm大の血尿による染みが2ヶ所に残った。

そう、病院帰りのケースの中でも血尿を漏らしていたのです。あーあ、と妻の諦め顔。それからの妻は幾度となくコタツ布団を洗う羽目になるのですが、何をするにも家族の協力がなければできないのだとつくづく思います。オバンだけではない、他の猫たちだってニャーの変化や非日常の様相を察して精一杯気を遣っているのでした。

ニャーが療養室(急ごしらえの専用部屋)以外のところでトイレに行くと、必ずついて行ってその跡をチェックした。ニャーは静かになりたいときは療養室に入るので、そのときが保護者の一服の時間だ。1時間に5回くらいはトイレに行く。尿意があるのか、何か気持ちが悪いのかわからない。でもそうしないと落ち着かないのだろう。トイレにいるときはむしろ安心したような表情だった。何も出ないときもあるが、大抵は2cm径(4cc)ほどのオシッコ玉を残した。








ニャーの梯子トイレ
どんなにトイレを変えても、出ないものは出なかった

翌朝までに35個のオシッコ玉を回収。ニャーはぐっすり眠れたのかどうか。前日に吐いて以来は、一切の食べ物、飲み物にも口をつけなかった。 と、10時頃になってニャーのオシッコが出なくなった。トイレに座っても座っても何もでない。こっちの顔を見ては切なそうに鳴いた。気持ちが悪いのか、思うようにならなくて助けを求めているのか。夕方の診察の予定を急遽午前に変え、直ちに病院に向かった。

案の定、また尿管が詰まっていたのだ。膀胱には3分の1ほど残っているとのことで、やはりニャーは尿意に反して出ないのが情けなかったのだ。いや、相当な痛みもあったに違いない。前日同様にカテーテルで詰まりを解消して膀胱洗浄、200ccの輸液と抗生剤を皮下点滴してもらった。その時再び入院について聞かれたが、やはり連れて帰る決断をした。オシッコは十分ではないがそこそこ出ているので、新たな輸液を点滴できたことが心強かった。でも、自分の判断が致命的になりはしないかという不安も残った。


疲れると自室の寝床で休みます

それからの1日は前日の繰り返しでした。今度は53個のオシッコ玉を回収したが、大きさは相変わらず小さくて2cm玉程度。一度に少しづつ、回数で頑張った努力の賜物だ。ここにきて大きくなってきたもうひとつの問題は食べないこと。もう3日近く飲み食いしていないことになる。はっきり言って、先生推奨でニャーのために用意した療養食(ヒルズのs/d)はとてもニャーが食べるとは思えなかった。ニャーは日頃から偏食少食で、気まぐれなので食べるかどうかもわからない。

しかしそのときのニャーは療養食どころか何をあげても食べなかった。それで強制給餌を試みたのです。自分には、1年に亘るテツの介護で強制給餌にはプロ級(?)の自負がある。まずはモンペチのスープを10ccほど流し込むと、ニャーはその勢いで5粒ほどのs/dを食べた。そのときは無理をしないでそれ以上は止めたけど、将来に望みをつないだのでした。

3日目もやはりカテーテルを入れて詰まりを解消し、後に同じ処置をしてもらいました。当初7.5だったpHは7.0まで下がっていた。オシッコの総量はよくても、出方に問題があると先生は言った。もっと普段と同じようにジャージャー出ないとね。でもいつになったら出るのだろうか。詰まりを解消したばかりでもなかなか出ない。出ない理由は、詰まりだけではないのではないか。不安は尽きなかった。


本日のニャー ①

体力の問題も一層深刻だ。4日目の今日は強制給餌を3度行いました。ペースト状の介護食を1回に15ccほど。その辺りが今のニャーにはいっぱいのようだった。強制給餌は本人(猫)が嫌がって本格抵抗する前に止めないと悪いイメージがついてしまう。キャパが小さいときは回数でカバーするしかないのです。肝心のオシッコ玉は44個で大きさは小さく感じた。何より、トイレに座り続けても2、3滴しか出ない"空振り"が多かったように思えた。

しかし夕方の診察では、詰まりはなかったと先生は言った。50ccくらい膀胱に残っていたのを全て出した。詰まってないのに何故一度に少ししか出ないのか、先生も首を傾げた。しかし全体量として出ているので望みはある。今日は結局これまでと同じ皮下点滴をしました。
先生のまとめ;
・食欲が出ないのはまだ尿毒が残っているから
・尿毒があるということは腎機能が戻っていない
・食べなければオシッコのpHが下がらない
・pHが下がらなければオシッコが詰まるので外科手術で出るようにするしかない
※外科手術とは、尿管が細くなっているあそこ(お○ん○ん)を切除することです。

結局、最大のポイントは食欲の復活だ。食欲の復活は体力の点だけでなく、腎機能の復活を予見する意味でも重要なことだったのです。ただ、ここまできてバタバタしても仕方ない。この4日間処置を続け、明日は腎機能の再チェックをすることになっていたからです。

さて、今夜は運命の前夜。さらなる強制給餌をしていいものかどうかも迷った。ニャー自身の食欲が明日の検査結果を左右するのです。こればかりは本人(猫)の問題なので、保護者にはどうすることもできない。購入したs/dがニャーの嫌いなチキン味だったことも恨めしい。いずれにしても改善しなければ入院だ。その判断は明日です。


本日のニャー ②


その3へと続きます。


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ニャーの正月危機・その1 ~素人判断の危うさ~

2019年01月07日 | ニャー
本年最初の記事は、突発の出来事で急遽変更となりました。
ニャーです。3日には自分(オジン)に代わって新年のご挨拶を果したニャーの急変。今はある病気と闘っている最中です。先生は「猫が頑張って平穏を保っているけど、人間だったら危篤状態」だと。そしてこの2、3日が正念場と言うのです。今やわが分身となりつつあるニャーが何故、突然こんなことになってしまったのか。

それは新年の挨拶記事を書いた翌日のことでした。
店から戻るのが遅れて夜になってしまい、猫トイレの掃除をしているとニャーがやって来た。掃除を始めると大抵は誰かがやって来て「早くしろ」とせかされる。きれい好きのニャーは特にそうだ。しかしそのときは待てなかったらしく、向かいにあるシステムトイレに入った。当初は断固拒否していたシステムトイレ、最近は思い直したのか使っているのを時々見ていた。ニャーはじっと動かず神妙な顔をしている。あっ、これは便秘だなと直ぐにわかった。


システムトイレにて、これがすべての始まりだった

トイレ掃除の後はがっつく猫たちに食事を与え、今度は人間の食事を始めた。するといつも横にいるニャーがいない。あれっ、と思って探しに行くと、まだ同じ姿勢でシステムトイレに入っていた。かれこれ40分。いくらなんでも長すぎる。何かトラブルでもあったのか・・妻と二人で様子を見たがわからない。そっと持ち上げるとニャーはそのまま出てリビングに向かった。その後何もないように思われたが、しばらくするとまたニャーがいない。今度は砂トイレの中でじっとしていた。

かなり重度の便秘だと思った。でも、かつての3匹時代に幾度も便秘と闘う姿を見てきたので、いずれは自分で解消するものだと思っていた。実際、トイレに行ったり来たりのニャーもその夜は静かだった。ただ、お尻を床に擦り付けるように移動したりという、便秘のとき特有の行動は見られなかった。


ぐったりした表情のニャー

翌朝、ニャーは朝からぐったりしてトイレにも行かなかった。感じとして便秘が解消したようには見えなかったが、もう疲れたのだろうか。朝少し食べたものは昼近くに全部吐いたけど、ニャーは日頃からとてもよく吐く猫なので気にはしなかった。 と、ニャーが突然ワオーッと叫んだのです。それはおよそニャーの声ではなかった。周りの猫たちにも一気に緊張が走る。ニャーは静かに横たわりながら、30分おきくらいにその雄たけびを続けた。

思った以上にやばい便秘だとそのとき初めて悟った。かつて得た知識、それにネットで調べて、とにかくニャーの便秘解消を補助する処置をした。少量のオリーブオイルを飲ませ、お尻にも塗って、ひたすらお腹に"「の」の字マッサージ"を続けたのです。ニャーは特に拒否しませんでした。自分(オジン)が傍にいることが安心なようでもあった。マッサージはニャーが少しでも嫌がれば直ぐに止めた。止めては始めを繰り返す。時折お尻にオリーブオイルを塗る。しかしニャーの状態はまったく改善しなかったのです。

そのうち、ニャーの雄たけびが次第に頻度を増してきた。声はもう完全に潰れて、テンちゃんの怪獣声を超えて壊れた機械音のようになっていた。お腹をさすっているときにその雄たけびが始まると、全身が硬直するほど力んでいることがわかった。それは、かつてハナと過ごした最後の晩、次第に頻繁に、そして次第に長くなるあの間欠痙攣に似ていた。いやな予感が走る。ことによると、便秘が原因ではないのかもしれない。


暗いところで横たわって時々叫んだ

病院を調べると、新年はその日から診療を始めていた。早速電話し、夕方の部の診察に出かけたのです。正月明けで混んでいて、診察時はもう夜になっていた。先生はニャーのお腹を触診して言った。「これは便秘じゃない、膀胱がパンパンになっている。結石ですね。」そして、オシッコはいつから出てないのか、としつこく訊かれた。

尿管結石? まずは自分の勘違いが恥ずかしかった。何よりニャーに申し訳なかった。自分も2度ほど経験しているからその苦痛はよく知っている。1度目は会社で、2度目は自宅で、ともに七転八倒しながら救急車で運ばれた。ニャーはその苦痛に耐えていたのだった。そして尿毒症という、生命の危険に直結した病気。

多頭飼いでは誰のオシッコかもわからず、先生の質問には答えられなかった。すると先生曰く、もう少し事態を重く見た方がいい。猫のオシッコは1日出なければ腎臓に逆流してダメージを与え、2日出なければ尿毒症になり、3日出なければ生存確率もかなり低くなる。腎臓は、一度機能を喪失すると2度と回復しない臓器なのだと。

実際、後でわかったのがCRE(クレアチニン)の値が5,0。これは腎機能が90%近く喪失していることを示す数値だ。BUN(尿素窒素)も基準の3倍ほど高く、尿毒症の併発も明らかだった。ニャーの場合は急性なので、うまく早く処置すれば戻る可能性も半々だと言うのです。唖然とする保護者に構わず先生は直ちに処置に入った。それはオシッコの出口からカテーテルを入れて、詰まりを物理的に解消する方法でした。


ニャーは麻酔なしで処置を受けた

処置しながら先生が説明してくれた。何かの原因で膀胱内で細菌が繁殖し、膀胱炎を起こした。膀胱の厚みが正常の3倍以上に腫れているので炎症は明らかだ。その細菌がPHをアルカリ性に変え、溶けていた塩類が析出し始めた。いわゆるストルバイトです。たまに炎症した膀胱の内壁が剥がれて詰まることもあるが、殆どの場合はこのストルバイトが詰まりの原因でオシッコが出なくなる。するとオシッコは腎臓に逆流して腎臓の機能が阻害される。これが急性腎炎。さらに腎臓が機能しなくなると尿毒症が起こる・・。この大元の原因はいろいろあるけど、一番多いのがストレスだと。

えっ? ストレス・・・? ガーンと頭を打たれた気がしました。あれだけ自分との蜜月を求めていたニャーなのに、みうだハリーだリンだと邪険にする度に叱り続けた。それは追い詰められたニャーがぶるぶると震えるほど激しい叱り方だった。自分でもわかっていた。その都度反省し、今度こそやさしくと思いながらまた叱る。その繰り返しの中で、ニャーの自分に対する態度が変わってきたのでした。みうやリンを庇護するこの保護者を、じっと見ていたのもニャーだった。ニャーがこんなになるまで追い詰めた元凶は、自分の行動しか考えられなかったのです。

処置を終えた先生が言いました。こんなにいい子は見たことがない。我慢強くて大人しくて、麻酔なしで処置できた子は大変珍しい。人の顔をじっと見ていて、こっちの気持ちが伝わるようだった。痛いときや嫌なときは暴れたりする前に表情で教えてくれる・・・。さすがは先生だ。日頃から自分が感じていたニャーの特性をしっかりとつかんでいた。何だか嬉しくて自慢にすら思ったが、そんな大事な相棒をこんな目に遭わせてしまったこの保護者はいったい・・・。

ニャーの処置は、カテーテルで尿管を開通させて膀胱洗浄を行った後、200ccの輸液と抗生物質を皮下点滴しました。とにかく膀胱の炎症を治めること、毒素を除去すること、そしてPHを下げてストルバイトを溶出させること、それに尽きます。それらの工程は時間との勝負でした。そのためには一にも二にもオシッコをどんどん出す必要がある。そして輸液を入れ続けて体内を置換洗浄するわけです。

先生に、入院させる気はないかと聞かれました。尿管にカテーテルを入れ放しにしてオシッコを垂れ流しにする。そうすれば輸液をどんどん入れられるので早く正常に戻せる。腎臓が回復する可能性も高くなると言うのです。自分は考えに考え、やはり連れて帰ることにしました。何よりニャーにこれ以上寂しい思いをさせたくなかった。そしてハナやくものことが脳裡を過ったのです。2匹とも入院先を見舞ったとき、まさかこれが最後になるなんて夢にも思わなかった。死亡通知は本当に青天の霹靂だった。あの2匹を寂しく逝かせてしまった後悔は、一生消えることはないだろう。だからニャーは、何が何でも家で治す。

その思いは妻も同じだった。家に帰ると、ニャーのために最高の部屋を用意しました。最近は妻が寝室代わりに使っているかつてのみうの部屋。ニャーの生活用具一式に十分な暖房。それでもその部屋にこだわる事なく、ニャーが望めば今までと同じようにどの部屋でも過ごさせる。ただし保護者が監視できないときは専用部屋で我慢してもらう。寝るときは、最近オジンに代わって蜜月のオバンが一緒です。


特製、ニャーの療養室

ニャーと保護者の目標は、とにかく普通にオシッコが出るようになること。ストルバイトが溶出するまでは、開通したといってもいつまた詰まるかわからない。今度オシッコが出なくなるようなことがあったら即入院。先生にはそう言われている。とにかくオシッコだ。念仏のようにそう言いながら、ニャーのオシッコ記録をつけることにしたのです。

ニャーはというと、病院での処置以降は落ち着いたようでいつもの柔和な顔に戻っていた。ただ、さすがに疲れたのだろう、ぐったりとして動かなかった。その横でオシッコだオシッコだと気張る保護者。しかしニャーの闘いは、保護者が思うほど容易なものではなかったのです。


リビングのピアノの上で
ニャーが望めばいつもと同じように過ごさせています



その2へと続く。
※ニャーの闘病は現時点でまだ続いていており、予断を許さない状況です。従ってこの話の結末がどうなるか、自分にもまだわかってはいません。


ただ今のニャー
殆どトイレに入り浸りだけど果たしてオシッコは・・


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