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流れ流れてきた此処は、終の棲家にふさわしいのか?入ってみなきゃ分からない、それがリスク。

君の名は。

2016年10月16日 00時49分50秒 | 映像事
「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」など、男女の心の機微を美しい風景描写とともに繊細に描き出すアニメーション作品を手がけ、国内外から注目を集める新海誠監督が、前作「言の葉の庭」から3年ぶりに送り出すオリジナル長編アニメ。「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」などの作品で知られ、新海監督とはCMでタッグを組んだこともある田中将賀がキャラクターデザインを手がけ、「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などスタジオジブリ作品に数多く携わってきた安藤雅司が作画監督。主題歌を含む音楽を、人気ロックバンドの「RADWIMPS」が担当した。1000年ぶりという彗星の接近が1カ月後に迫ったある日、山深い田舎町に暮らす女子高生の宮水三葉は、自分が東京の男子高校生になった夢を見る。日頃から田舎の小さな町に窮屈し、都会に憧れを抱いていた三葉は、夢の中で都会を満喫する。一方、東京で暮らす男子高校生の立花瀧も、行ったこともない山奥の町で自分が女子高生になっている夢を見ていた。心と身体が入れ替わる現象が続き、互いの存在を知った瀧と三葉だったが、やがて彼らは意外な真実を知ることになる。声の出演は瀧役に神木隆之介、三葉役に上白石萌音。その他、長澤まさみ、市原悦子らが出演。

監督
新海誠
原作
新海誠
脚本
新海誠
製作
市川南
川口典孝
大田圭二
共同製作
井上伸一郎
弓矢政法
畠中達郎
善木準二
坂本健
企画
川村元気
プロデュース
川村元気
エグゼクティブプロデューサー
古澤佳寛
プロデューサー
武井克弘
伊藤耕一郎
制作プロデューサー
酒井雄一
音楽プロデューサー
成川沙世子
キャラクターデザイン
田中将賀
作画監督
安藤雅司
音響監督
山田陽
音響効果
森川永子
音楽
RADWIMPS
制作
コミックス・ウェーブ・フィルム

キャスト(声の出演)
神木隆之介:立花瀧
上白石萌音:宮水三葉
長澤まさみ:奥寺ミキ
市原悦子:宮水一葉
成田凌:勅使河原克彦
悠木碧:名取早耶香
島崎信長:藤井司
石川界人:高木真太
谷花音:宮水四葉

by 映画.com

一番最初に思ったのは「あの昭和なメロドラマをアニメでやるのか?」だった。

違っていた。

情報が入ってきて「おれがあいつであいつがおれで」山中恒原作の「転校生」らしい、という。

でも、時代が違うとかっていうから「ある日どこかで(=Somewhere in time)」でも絡めているのかと思いきや。

全く関係なかった。



仕切り直し。

最初は、公開初期に見に行こうと思ったのですが、



「満席」



映画を観に行って満席ってほとんどあり得ません。



結論から。

面白けど、考証が甘すぎる。

SFとか時代考証ではない。

それだったら未熟で済ませられるけど。





「夢の中」で「人格(意識)の入れ替わり」が「何度か起きて」「夢じゃなく現実」だと思って「入れ替わりの人物に会いに行く」内容です。

Yahooや映画.comのレビューを見たんだけど、誰も書いていない。

なんで?

みんなはそれでいいの?

俺は、

それは致命傷だと思うんだけど。

それは、

お互いに入れ替わったときにすること=自分(相手?)の身体を見て、「なんじゃ、こりゃ」になっている。

で、異性の身体の違いを確認する。

入れ替わりの王道です。

進行もネタにもしているし。

で、そのあと、ちゃんとお互いに学校に行っている。

その時の体験は、映像でなく叙述にて終了する。

お互いの社会的秩序を保とうとする。

立派ですな。



でも。

ごく一般的な日本人なら。

夢でもいいけど、非現実的なことがあって、その検証をするなら。

1)これはなんだ?=現状把握=WHAT
2)自分はだれ=WHO
3)ここはどこ=WHERE
4)今はいつ=WHEN
5)なんで=WHY

が順不同で検証されるはず。

でも、映画では、4)が軽くスルーされている。

この映画の肝でもあるにもかかわらず。

いくつかのレビューでは、ストーリーが良いとか、絵がリアルとか、現実的とか、いったい何言っているんだろうっていうのが多くてびっくりです。

感動に繋がるであろう、時間を超えた出会いがこれでは台無しです。

組み紐をモチーフに時間を変えられるとか、超えられるとかっていう、前提を置いているので、3年前から時空を超えて出会えるのはSFとしても合格ですし、納得いかないっていう人はSFをあきらめたほうが良い。

だって、その世界をそう設定したのだから。

でもね。

特別設定していないことは、現実に準拠していないとそこで繰り広げられている世界全体が破たんするのです。

スマホもある。

バイトもある。

将来的な予定もある。

っていうときに

「今の日時を認識しない」


っていうことは考えられない。

電波圏外とか、そういう機器のない時代=50年くらい前だったら別だが、



それを、後半にもって来られても、

「そりゃないぜ、セニョール」ですぜ、旦那。



そして、

最後の階段シーンを観ていて、思い出したのは「映画ポスターなどのビジュアル」でした。

たしか、主人公2人の高校生の制服と思しきものだった。

重要なネタなので、効果を出す意味はあるとは思うが、こういう手法は嫌いです。

もう一つ。

2回ほど主人公と市長の親父さんとの軋轢が描かれていたが、最後の決断部分で「表にあらわさない手法」で結果だけを出していました。

でも、あのシチュエーションで親父を説得できる可能性は1%位じゃないですか?

事後のシーンで、手首やのど元を包帯で巻いているとかの説明がないと

「そんなんで説得できる親父だったら、離婚もしないし、家庭円満、その前の事項も解決しているはず」って思っちゃう。



総論。

この程度の映画で感動できる今の日本人って、あんまり映画や本、演劇やアートを観ていないんだぁ、物語や日常にないことへの感受性=文化を享受していないんだなぁって感じました。



今作の評価点75点=お勧めの映画です。