イタリア文化セミナー『イタリア広告が庶民の生活に及ぼした影響(l'influenza della pubblicita' nella cultura popolare Italiana)』に参加して なつかしのカリメロに再会してきました(2018.2.25)@LCI
カリメロは昔アニメを見てたけど もとはイタリアのアニメだったのですね...トッポジージョ(Topo Gigio)もそうなんですね! 「Carosello(カロゼッロ)」(1957~1977)という 広告とアニメ等が合体したイタリアの超人気番組の中で放映されていたのですね(^.^)
Caroselloは約10分の番組で 「カロゼッロの後ベッドへ(a letto dopo il Carosello)」という言葉が 当時の子どもたちが夜9時に番組が終わったらベッドに行く合言葉ともなっていたそうです (旧東ドイツにも同様の人形アニメ『ザンドマン/ Sandmännchen』がありました) その中の2分強のアニメが「Calimero」で 1963年から始まりました 日本でも1974~75年に「カリメロ」は東映動画によってアニメ化され 劇場映画もできました! あぁ 懐かしい~(*´▽`*) ← 学生の頃アニメ大好きで 実は東映動画F.C.にも入っていたくらいです♡
Calimeroの名前の由来を調べたら 作者Nino Pagot氏が結婚式を挙げたBasilica di San Calimero(サン・カリメロ大聖堂)に祀られている聖人Calimelloの名にちなんでつけたとあります
もともとカリメロという名前はよくあったのですが この人気アニメが出来てからは どうしても黒いヒヨコのイメージが強いのであまりつけられなくなったそうです♪
(ちなみに「カリメロ」という名は ギリシャ語のKallimerosを由来とし Kalosは「美しい」 merosは「脚」で カリメロ=「美しい脚」を意味する(日本語版Wikipedia)とありますが アニメのカリメロの由来とは直接関係はないようです)
カリメロの有名なセリフ: "Ava, come lava!" Avaは洗剤(detersivo)の名前で ”Calimero non è nero, è solo sporco!"との少女の言葉に続きます
"È un'ingiustizia però!" は そんなのずるいよ!という抗議のセリフですね
* * *
1946~1969の奇跡の経済発展(miracolo economico)でイタリアのGDPが年率6.3%も上昇する中で FiatやOlivetti社等が急成長し 就職率が増加し楽天的な空気の中で消費社会が到来しました
1948~1962年の教育改革(Riforma scolastica)により 義務教育や 教師がイタリア語を話すことが義務付けられました 文盲率も割と高く方言(dialetto)が主流でした
イタリアで1954年に初めてRai(Radiotelevisione Italiana/イタリア放送協会)がテレビ放送を開始し その3年後に消費社会(società dei consumi)の到来に合わせたかのように始まったのが この「Carosello(カロゼッロ)」(1957~1977)という広告合体番組でした
← Caroselloのオープニング sipario(幕) 音楽はナポリ民謡の一節
広告(pubblicità)はまだ当時はネガティブなものととらえられており(TV番組には広告を出せない決まりがあった) 当時この番組以外にTVコマーシャルはなかったのだそうです (ちなみに日本では1955年に広告が始まっています テレビ放映そのものは1953年からです)
最初はテレビも高額なため バールや裕福な家に集まって見ていました 60年代初めにはほぼすべての家庭にテレビが普及し (私も日本で同じくらいにテレビが家にやってきたのを覚えています) 家族が夜テレビの前に座る風景が見られました
新聞は読めなくとも テレビは見られるし受動的に楽しめるし 当時は皆が冷蔵庫や洗濯機や車やバイクなどを買い始めた時期で 広告は庶民にとって重要なものでした
← イタリアで普及し始めた冷蔵庫のCM 洗濯機は最初からドラム式だった
この「Carosello」は毎晩放映され 特別なイベントや災害・大事件(テロやケネディ大統領暗殺とかローマ法王ご逝去等)以外は 必ずお茶の間に現れていました
Totò Domenico Modugno Eduardo De Filippo等 実に多くの名優たちがここに登場しており驚くばかり いかに当時のイタリアでこの番組が人気だったかわかりますね テレビは国民の意識を刺激し固める役割を果たしており 道徳を学べる学校のような役割も持ち 「テレビの言うことが正しい!」と当時は皆思っていたそうです
この番組が当時 方言(dialetto)が主流だったイタリア人に 話し言葉の標準語(standard della lingua parlata)を普及させていったのですね
ちなみに2017年に"Carosello"は60周年を祝いました
約10分の番組の中で 2~3分のエピソード(siparietto)が5本ほど ラストに30秒程度の広告(codino/しっぽ)つきで 毎日続き物で放映されていました 子供向けアニメ コメディ(コント) ショートムービー等です
中にはストーリーとはまったく関係のない広告もありました そこでいよいよクイズ!!3本のビデオを見てどれがどの広告か当てるのですが 内容と関係ないのもあって当たらなかった~(笑)
チンザノ(Cinzano)の広告では 女性が外で働き始め より独立した女性像を望み 女性も男性同様に余暇を楽しみ 飲みたいということを表す広告もご紹介いただきました
ガスコンロの宣伝(それ以前は窯)では "Non c'è due senza tre"(二度あることは三度ある)ならぬ "Non c'è due senza triplex!"(triplexはガスコンロの名前) その他いくつかの面白い"Carosello"のビデオを見せていただきました
← STARのコンソメをいただきました! この女性の写真は何十年も変わらず使われているそうです
当時はテレビが教育的な役割も果たしていて あまりふだん使わないような単語の意味を説明する場面もありました 広告の中では方言はおバカなキャラクターが使うことが多かったそうです
* * *
さてこちらは予習編ですが(だんだんと予習が密になってくる...) Wikipedia等の他に「イタリア人に最も愛された番組Carosello(Carosello, la trasmissione più amata dagli italiani)」という記事が 当時のイタリアの社会的背景もわかって大変参考になりました:
"Carosello, dunque, può essere una fonte molto ricca per osservare come l'Italia divenne una società indistriale-urbana." (Caroselloは どのようにイタリアが工業都市社会になってゆくのかを観察するのに適した番組となった)
さらに興味深いのは 「なぜイタリア人に最も愛された番組がla pubblicità(広告)だったのか?」というくだりです Carosello テレビ 当時のイタリア社会がそれを解くキーワードとのこと
paleotelevisione(旧テレビ)の時代
イタリアのテレビは1954年に始まりました(当時は1チャンネルのみ) アメリカでは最初からTv private commerciali(民放)の広告収入によって賄われていましたが イギリスではBBC放送が政府のコントロールのもとでrigorosamente senza pubblicità(厳格に広告が禁止)されていました (日本のNHKもそうですね)
そこでイタリアが選んだ第3の道が 3つのI(informare, istruire, intrattenere/知らせる、教育する、楽しませる)のミッションだったわけです 実際教育的な番組はたいして面白くなかったようです
1960~68年には「Non è mai troppo tardi(per imparare leggere e scribere)」という教育番組を通して 文盲(analfabeto)の人びとがイタリア語や文化・教養等を身に着けたそうです
テレビのcodice morale (道徳基準)
テレビは当時の政権DC(Democrazia Cristiana/キリスト教民主党)のコントロール下にあり 50~60年代はカトリックの検閲(censura)がありました そのためRaiの初代代表Filiberto Guala(1954~56)は 厳格なun codice d'autudisciplina(自己検閲)を施し 卑猥な言葉 暴力的な表現等を排除し 70年代まで続いたそうです
彼にはCMを打ちたいという勢力とのせめぎ合いがあり 辞職(1956)のあとに広告番組"Carosello"が誕生した(1957)とありました
1957年にRaiがmessagi pubblicitari(宣伝広告)の放送を始めようとした時 "non poter fare pubblicità durante gli stepptacoli TV(テレビ番組の間はコマーシャルは出せない)"というテレビ放送の法律により 新しいformat televisivo(テレビのフォーマット)を作ったとのこと (wikipedia)
広告を導入したことを容赦してもらうために番組は12分のみ 商品よりもストーリー重視
アニメのラストにのみ商品名を言える アニメのストーリーとラストのCMは切り離されている キャラクターは週1回のみ登場し(ひとつのキャラクターがひとつの商品を宣伝していた) 1作品ごとに内容が違い(製作コストの増加を招いた) 商品名を連呼するのは6回まで等の決まりがあったとのこと
SipraがRaiのpubblicitàを管理していました 広告を許してもらうかわりに内容を面白くしたとのこと また当時はまだアナウンサー自身が広告を読むこともあったようです 広告番組の広告が新聞に載ることもありました
1976年に憲法裁判所(Corte Costituzionale)がTv private commerciali(民放)を自由化しました 1978年にはテレビ王ベルルスコーニの息のかかったCanale 5が始まりました
そして1977年にこの番組は終了しました この20年間でテレビ契約者は3倍の1,200万に増えました 終了の理由は色々あり 広告業界の成長や変化 CM(spot)の時間制約等が我慢できない テレビが教育を担う時代が終わった 国際市場は多くの国に通用するCMを望みイタリアのみに通用するCMを好まなかった等です ちなみに次の番組は「Spazio F」でした(Wikipedia)
今回のセミナーの準備はテーマが身近だったこともあり数日間みっちり取りかかり 以前イタリアのテレビについてIPAのレッスンでやったのまで見直して 日本とイタリアのテレビの比較までやってしまいました(笑) おかげさまで当日もバッチリ! イタリア語で2つ質問ができました 数年前は聞き取るのも難しかったのに 先生にも成長をお褒めいただき嬉しかったです(#^.^#)
こちらの先生とはサークルを通じて 何年か色々とご一緒させていただいたので 終了後の送別会では思わず涙が...先生 どうかお幸せに!!
セミナーは こちら
ここの「関連記事」でカリメロの映像が見られます カワイイ♡ 本当にアニメ2分+CMの構成でした!
*素晴らしいセミナーを開催してくださいましたLCI様に心よりお礼申し上げます
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