日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

壁崩壊25周年によせて「シャボウスキーのメモ事件 なぜベルリンの壁は崩れたのか」(2014.11.9)

2014年11月09日 | ドイツ語・独検

ベルリンの壁崩壊25周年によせて 「シャボウスキーのメモ事件 - なぜベルリンの壁は崩れたのか -」(2014.11.9)


1989年11月9日 「ベルリン」の壁は崩壊しました ー

以下は 壁崩壊25周年の今日のこの日を記念して 壁崩壊当時私が書いたエッセイ『シャボウスキーのメモ事件 - なぜベルリンの壁は崩れたのか - 』より抜粋したものです:


●ヨーロッパ・ピクニック計画


鉄のカーテンを突き崩す最初の針の穴を開けたのはハンガリーだった。
西側への復帰を目指した時の首相ネーメトとポシュガイ、そしてその動きを暗に支持したゴルバチョフがその立役者だった。

 1989年8月19日。オーストリア・ハンガリー国境の小さな町ショプロン(Sopron)で、ヨーロッパ・ピクニック計画が行われた。この時千人もの東ドイツ市民が国境を越え、それが大量脱出の引き金となった。

 汎ヨーロッパ・ピクニック計画運動(ヨーロッパ再統一運動)の旗手であるオットー・フォン・ハプスブルクと 市民団体民主フォーラムが計画したこの「ピクニック」計画により、40年間開いたことのなかった国境の門がこの日初めて開けられた。

●極秘のパスポート

 このピクニックの成功を知るや、膨大な数の東ドイツ市民がハンガリーへとなだれ込んだ。首相ネ―メトは東ドイツとの国交断絶をも招きかねない重大な政治的決断を下した。

「すべての東ドイツ市民を、ハンガリー政府の名のもとに、合法的に出国させる」と。プダペストのリゲット教会の一室では、西ドイツ大使館員が極秘で東ドイツ市民のためにパスポートを作っていたのだ。(中略)


●読まれぬはずのメモ


 7万を超える東ドイツ市民がハンガリー国境を抜けていった。月曜デモが規模を大きくし、内乱寸前の状態の中、ホーネッカー書記長は解任。後任のエゴン・クレンツが作った政令の草案メモは、混乱の極みにある中で政治局員報道委員シャボウスキーに手渡された。
 
 夕方6時の記者会見の終了間際、彼はおもむろにこのメモを取り出し、この日の予定にまったくなかったメモを読み上げた。「すべての個人旅行は理由の如何を問わず、ただちに許可される」あまりの唐突な発表に一瞬静まりかえる報道陣。「…では、ベルリンの壁はどうなるのですか?」シャボウスキーは即座に答えた「西ベルリン、西ドイツのどこを通ってもよい」と。
 
 がたがたと席を立った報道陣はこの歴史的ニュースを全世界に流した。そしてこの夜 東ドイツの人々は半信半疑のまま外に飛び出し、国境検問所へとなだれこんだ。

 後にひけないと観念したクレンツは、国境の開放を即座に命じ、1989年11月9日のこの日午後11時、28年の長きにわたって東西ドイツを分断していたベルリンの壁は崩壊した。
(後略)

     *         *          *   

これは 壁崩壊から4年めに書いたエッセーで 歴史の大きな転換点を見つめつつ 精一杯の情熱を込めて書きました
あの頃はよく泣きました そして手術後の身体で家族と共にベルリンに急きょ飛びました
私たち家族の歴史とも重なります あの頃は若かった…

ベルリンの壁崩壊25年のこの日に 私の青春のひとコマを綴らせていただきました


* 出典: NHKスペシャル『ヨーロッパ・ピクニック計画 こうしてベルリンの壁は崩壊した』(1993年12月19日放映)
 「Stern」1989年8月「国境の門をあけろ」同9月「真夜中の逃亡」他


写真: 1989年11月9日のベルリンの壁崩壊を告げる翌日発行の日独の各新聞(うちに保存してあるもの)

  *         *          *  

* この当時のイタリアは 1980年代前半の「鉛の時代」を経て 1990年代の冷戦終結後のマフィア摘発の動きとのはざまにいたのでしょうか...

"La caduta del Muro di Berlino nel 1989 ebbe però ripercussioni anche in Italia, assumendo il significato di un crollo ideale dell'alternativa al capitalismo, e accelerando gli eventi politici. "(Wikipedia)

訳: 1989年のベルリンの壁崩壊はしかし、イタリアにもまた影響を与えた。資本主義へのオルターナティブ(二者択一)の理想的な崩壊の意味を引き受けながら、そして政治的イベントの速度を速めながら。   


* 壁崩壊25周年式典「光の国境」は こちら

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