東日本大震災から、10年が経ちましたね。
ブログに書いてるかと思ったら、書いてなかったので、
2011年3月11日14時46分のことを話そうかと思います。
その時間は、だいたい会社にいたり外に出ていたりするのですが、たまたま会社にいました。
東京でもかなり大きな揺れが起こっりました。
そのとき、僕のすぐそばに、パートのおばさんがいました。
そうですね、歳は60代くらいだと思います。
彼女は、大きな悲鳴を上げてから、その場にしゃがみ込みました。
相当,怖かったんですね。
僕は、度胸が据わっているのかどうか分かりませんが、
ああいう地震みたいなものはあんまり怖くないんですね。昔から。
それで、おばさんのそばに行ってあげました。
おばさんは僕に「お父さんが、お父さんが」と言いました。
なんのことを言っているのか分かりませんでしたが、ガタガタ震えているので、
(僕は地震より、彼女の体の震えに驚いたのを覚えている)
「大丈夫ですよ、大丈夫ですよ」とやさしく手を握ってあげました。
それで、おばさんは落ち着きを取り戻し、地震も収まりました。
お父さんというのは、家で寝たきりになっている旦那さんのことだったようです。
自分のことよりも、旦那さんのことを心配していたんですね。
あの時の地震の経験は、あの一回しかありませんので(当たり前ですね)
3月11日がくると、自動的に、あのおばさんのことを思い出します。
あの人は、しばらくして辞めてしまったので、今、何をしているのか分かりません。
ただ、彼女も3月11日が来ると、
僕のことを思い出すんじゃないだろうかと推測します。
危機的な状況が起こると、人は助け合おうとします。
それは人間のいい側面です。
ただ、物がなくなって奪い合いも起こります。
その後のコンビニ、スーパーでの品不足、ガソリンスタンドでのガソリンの不足、
奪い合う、生々しい人間の本能が表れてきますね。
それは仕方がないことなのかもしれません。生きなくてはいけませんので。
ただ、そんな時でさえ、みんな温かい気持ち忘れずに生活していましたね。
生きようとする気持ちと助け合おうとする気持ちを両方持っていました。
あちこちで、家族が無事で抱き合ったという話を聞きました。
それをよく覚えています。
多くの悲しみがありましたが、多くの優しさがありました。
それが唯一の救いだと思っています。
またいつか危機がやってくるかもしれませんが、恐れることはありません。
前に進んでいきましょう。
僕たちの愛は、そういうときにこそ試されるのだから。