年齢を重ねると、いろんな経験をするので、物事を深く読むことができるようになります。
たとえば、ある人に「今日はちょっと疲れた顔をしてるね」と言われたとします。
その人は、私を心配してくれてるのだろうかな?
それとも、私をわざと落ち込ませようとしているのかな?
その人の性格と今までの関係性から、その言葉の裏を読んでいきます。
経験が増えると、だんだんそういう裏読みが上手くなっていきます。
しかし、裏読みが妄想になって、必要ないのに感情的になる場合もあります。
そうすると、やたら疲れますよね。
だから、敢えてその逆をするのです。
「第一印象で感じたこと以外、何も自分に語るな。誰かが君の悪口を言っているという話を聞いたとする。ならば、それが話のすべてだ。君がその悪口で傷ついたと言っているわけではない。また、息子が病気になっているのを見るとする。しかし、息子の命が危ないわけではない。このように、常に第一印象にとどめておき、頭の中で考えをエスカレートさせないこと。そうすれば、何もお前の身に降りかからない」マルクス・アウレリス(自省録)
マルクス・アウレリスは、ストア派の哲学者です。
ニーチェは、「ストア派の哲学者は、表面的で深遠さとは無縁である」と言いました。
これは、悪い意味で言っているのではなく、哲学者の能力の一つだと言っているのです。
つまり、物事を敢えて表面的にしか見ないようにする。
そうすることで、感情に流されず、平穏な気持ちで過ごすことが可能になります。
今の世の中は、SNSが発達していて、常に評価の対象になりますね。
だから、悪口を言われても、表面的に見る訓練が、どうしても必要になってきます。
「お前は馬鹿だ」と言われて、感情的になってはいけません。
馬鹿ってどういう意味だっけと表面的にとらえます。
馬鹿とは、手元にある新明解国語辞典によると
1、記憶力や理解力が世間一般の人に比べてひどく劣っているととらえられること
2、社会通念としての常識にひどく欠けていること
、だそうです。
あの人はそういう風に僕を見ているんだ、に留めておきます。
いちいち、どういう意味だっけと辞書を引くのも、いいかもしれません。
訓練としてね。