フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

ものごとの本質を見ること

2021年03月25日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

食卓に肉料理やおいしい食事の数々が並んでいるのを見て、

それは魚の死骸で、これは鳥や豚の死骸だ、と受け止める。

高級ワインは、ブドウのしぼり汁に過ぎない。

セックスは、内部で摩擦され、けいれんをともなって精液を放出することである。

このような見方をすれば、ものごとを貫いて核心に到達し、

ものごとの本質に迫ることができる。

ものごとがまことしやかな印象をもって立ち現れるときは、

横たえて丸裸にし、いかに取るに足らないものかを観察し、

礼賛する言葉をすべてはぎ取ってしまわなくてはならない。

自省録 マルクス・アウレリウス


ものごとの本質を見るということは、身も蓋もないことで、

口に出したら、その場がしらけてしまうようなことです。

例えば、ひろゆきって、本質をつかむ天才だと思っています。

ちょっとムッとしますけどね。

当たり前のことを当たり前に見る。

心の中で、ものごとをそういう視点で見ることは、すごく重要なことです。

あえて口に出さなくてもいいですけどね。

まっすぐありのままの本質をつかむこと。

そうすれば、何かに惑わされることはありません。

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