ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

秀吉の手紙 その1

2016-01-22 11:04:33 | 日記
昨日,全国ニュースでも報道していました!

龍野神社にあった秀吉の手紙33通が,東京大学史料研究所で解読され,報道陣に発表されました。

火事にあい,消火の際に濡れて,張り付いて,それでも復原されました。

内容は,いろんな新聞やニュースを見ていただけたら分かる事なので,省略します。

①復原について
昨年,歴博の特別企画展「阪神・淡路大震災20年 災害と歴史遺産 ー被災文化財等レスキュー活動20年ー」がありました。
その企画で,古文書や文化財のレスキューのお話しを岩手県立博物館の学芸員の方から聞きました。また,陸前高田市立博物館学芸員の方とお話しをしました。
私は学芸員ではないので,お話を聞いたり,ビデオを見ただけですが,
その後,歴博や近隣の博物館・美術館の学芸員さんたちは実際にレスキューの方法を実演,勉強しました。

今回の事とはまた違いますが,復原は大変であった事と思います。

②話は変わって,秀吉の手紙です。
室町時代の将軍の文書は,実際に書くのは右筆(ゆうひつ)で,将軍は花押を書きます。
このことは,JMOOCの本郷先生の講義で学びました。
では,「秀吉の手紙」はどうなんでしょうか。

個人的には,
「85年の書状は、2カ月で13通に及んだ。正親町(おおぎまち)天皇が譲位後に住んだ京都の仙洞(せんとう)御所造営に使う材木の手配を伊賀(現在の三重県北西部)で行うよう命じた安治に対し、越中出陣を望んだことや材木輸送の遅滞を再三叱責。」(朝日新聞より)
がいちばんおもしろいと思ったのですが,
秀吉がしゃべった事を隣で右筆が書くのでしょうか?

③2月26日から龍野歴史文化資料館で展示されるそうです。
歴史はいわゆる英雄だけがつくったものでないことはこれまでの私なりの“歴史学”の勉強から分かりますが,
秀吉の手紙は,直に見て,話を聞きたいです。





コメント
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