ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

龍野御坊

2021-03-21 05:57:34 | 日記 地域
今,龍野では,第15回龍野ひなまつりが行われていて,(3月13日~21日)
たつの市立龍野歴史文化資料館や民家でも,お雛様が飾られていて,
散歩をしながら見ることができます。
「お殿様への贈り物!」と称して,
昔(「龍野惣絵図(部分);寛政10年(1798年)」)の地図を見ながら,町をめぐります。

で,今日も,ひなまつりは置いといて,

道を間違えて,
「龍野御坊 圓光寺」の前に出てきました。

「御坊」と聞いたら,思い出すのが,「亀山御坊本徳寺」です。
「本徳寺は『大谷本願寺』第八代蓮如上人の開基に始まる。」と亀山本徳寺のホームページにあります。
圓光寺のパンフレットには,
「開基は多田祐全,・・・文明16年(1484年)蓮如上人の命により,播磨の国英賀に来たり,
 英賀城主三木家の帰依を受け道場を開く。その道場を後の人は「文明道場」と呼ぶ。」
播磨は浄土真宗が広まります。
大河ドラマ「軍師 官兵衛」にも,
毛利方の英賀勢と信長・秀吉方(官兵衛ら)の戦のシーンがありました。

「亀山御坊本徳寺」は英賀滅亡後,秀吉により,亀山(姫路市)の地に移されてできました。
「龍野御坊圓光寺」は英賀滅亡後,秀吉により,龍野の地に移されてできました。



写真は,「龍野御坊圓光寺」です。
お城のような建物は,太鼓楼。
亀山御坊本徳寺にもあります。

Wikipediaによると,
鼓楼(ころう)は、中国、日本など東アジア文化圏において、
城郭、都市、宗教施設敷地内などに建てられる、太鼓を設置するための建物。
太鼓を鳴らすことによって、時報や、緊急事態発生の伝達などの役割を果たした。
太鼓楼(たいころう)などと称する場合もある。

とあります。

亀山本徳寺のホームページによると,
この太鼓楼自体は,本徳寺資料によると,建設年代は天正八年(1580年)だそうですが,
「英賀時代、太鼓楼は地内町の随所に置かれ24時間体制で見張りが立てられた。
 中世においては、寺と門徒は運命共同体として地内町を形成し、
 外敵の侵攻に対して盤石の体制をとっていた。」

もちろん,江戸時代以降の太鼓楼は,「緊急事態発生の伝達」には使われていないでしょう。
でも,太鼓楼は,今も浄土真宗のお寺の伽藍を形成しているそうです。

太鼓楼については,
2018-11-28 「太鼓楼」に書いています。

今度は「たつの市龍野地区十三ヵ寺めぐりマップ」を見ながら散策したいです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ソメイヨシノ(龍野 3/20) | トップ | 「洛中洛外図屏風 舟木本」... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記 地域」カテゴリの最新記事