ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

和船の歴史

2024-11-17 15:30:25 | 日記 地域
今年は暖かい秋です。というか,9月まで夏で,10月は9月で,11月は10月っていう感じでしょうか?
折角姫路城周辺に行ったのに,紅葉はごくごく一部以外は・・・まだですね。
でも,向こうの動物園にあるイチョウの葉が黄色くなっていたように見えました。

そんな中,11月16日に行ってきたのは姫路市立城郭研究室。
市民セミナー「和船の歴史」 講師 溝下和裕(かずひろ)先生です。
レジュメは目次程度なので(権利の関係で画像は載せられない。)
以下,メモを取ってきたので,内容等を思いつくままに書いていきます。

導入 プロジェクト
 旧 なにわの海の時空間 菱垣廻船“浪華丸” 帆走実証実験
 「なみはや」プロジェクト 1989年 古墳時代の「準構造船」を埴輪の10倍の大きさで再現
 「大王の棺 実験航海」 2005年 6世紀,継体天皇陵墳墓の今城塚古墳(高槻市)に納められた
                熊本(宇土市)産の石棺の実験航海
 「3万年前の航海」 2016,7年 丸木船で台湾~与那国島

1.和船とは
 和船という言葉ができたのは,幕末から明治にかけて
 開国前後に多数来訪した洋式帆船に対する日本独自の船をさす。
 千石船 北前船 樽廻船 菱垣廻船 など 
 小型の伝馬船 高瀬舟 押し送り船(葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」の船) など
2.日本と大陸の関係
 日本海側は倭国の表玄関
 大陸から人,物,文化等すべて「船」で運ばれた。
3.縄文時代~古墳時代 
 丸木舟 千葉県 雷下(かみなりした)遺跡など多数出土
 準構造船へ 鉄器の伝来 木材の接合
       埴輪 宮崎県 西都原(さいとばる)古墳 大陸との往来の船か?
4.古代船に帆はあったか?
 『日本書紀』神功皇后記の記述
 今城(いましろ)塚古墳(高槻市)の埴輪の線刻→帆がある。(今城塚古代歴史館)
5.遣隋・遣唐・遣明船
 最澄・空海の時は,4隻のうち,唐にたどり着いたのは2隻
 遣明 真如堂縁起絵巻の船→むしろ帆など(綿帆は江戸時代,綿がつくられるようになってから)
6.戦国時代~江戸初期
 絵巻・書物・絵馬に描かれた船
 大型廻船 水軍の船 朱印船貿易
7.渡航の状況
8.弁才船(べざいせん)の登場~18.弁才船のまめ知識
 瀬戸内海地域で誕生(江戸初期)
 関船(村上水軍など)の優れた性能を踏襲し大型化
 基本は棚板構造で1本水押し 
 大型の帆を有し,木綿帆を使用
 少人数(15人ほど,以前は30人)で操船 櫓・櫂は用いない
 甲板は揚板(?)構造で荷役に便利
 100石~2000石積み (陸路は馬1頭で3俵 駅でつめかえ 手間と人数)
 河村瑞賢 東廻り航路・西廻り航路(9割が西廻り,東は千葉沖が難しい)
 北前船という船型はない 弁才船(べざいせん べんざいせん)バイ船ともいう
  (北前船と言うようになったのは,司馬遼太郎『菜の花の沖』から?)
 賃積船から買積船へ 1航海1隻1000両もうかる 移動式総合商社
 今も各地に豪商の船主屋形が残る(日本海側に多い)
 北前型弁才船 税が安くなるようにそこを小さくするなど
 地乗りから沖乗りへ 海路図・遠眼鏡・和磁石
 帆印 持ち船の識別
 弁才船 船体約1000両~1300両 でも,1航海で1000両もうかる

ミツカンミュージアムの動画「弁才船」も見ました。
1時間の時間オーバーでしたが,とても分かりやすく,楽しく勉強することができました。


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2 コメント

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北前船 (ATSU)
2024-11-22 17:21:05
雪花さま,お久しぶりです。お元気でしたか?
早速ですが,「北前船」という言葉について・・・
私もびっくりしました。以前,兵庫県立歴史博物館で,「北前船」という展示を見ましたから。(2015年)でも,図録をよくよく見ると,
「コラム 北前船って何?・・・その後,歴史研究の中で「北前船」という呼称が,西廻り航路を行き来した船全体を指すものとして使われ始めたが,現在でもはっきりした定義はない。そこで,当展覧会では,「北前船」を広くとらえ,「江戸時代後半から明治時代にかけて大阪と北海道の間の西廻りり改選で活躍した商船」としている。・・・なお,「北前船」という言葉が広く知られるようになったのは昭和60年代から,「北前船」を使った地域おこし事業が盛んに行われるようになってからのことである。」とありました。
北海道の雪花さま,調べた結果をまたお知らせください。
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Unknown (雪花)
2024-11-22 13:42:33
お久しぶりです。

いつもブログは拝見しております。
ATSUさんよく勉強なさっているので、感心しております。

さて、今回のブログで北前船という言葉は「菜の花の沖」?からということにちょっとびっくりしました。もっと古くから使われていたと認識していましたから。ほんとうなのかどうか調べてみようと思いました。
疑問を持つことは老化防止なるかもしれません。

うちの庭の紅葉はすべて終わり、落ち葉掃きも終わり、木々はまる裸になりました。
雪を待つだけです。
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