私は龍野を散歩するのが好きです。
実は,昨日も娘と散歩しました。
娘といっしょなので,散歩だけで,資料館等には行っていません。
資料館は一人で興味のある展示の前で,
好きなだけ眺める(時には,はりついて古文書を頑張って読んでみる。)のが好きですから。
写真は,昨日の龍野紅葉谷横の聚遠亭。
実はまだほとんど紅葉していませんが,なぜかここは少し紅葉。
龍野は,紅葉だけではありません。
春は桜もきれいです。
町並みがいいです。
また何度でも行きます。
さて,龍野のことは,
本当は,もっと調べたくなったことを調べてから書こうと思ったのですが,
いつになるかわからないので,途中経過。
まず,
9月18日,揖保乃糸 資料館 そうめんの里
(龍野の中心からは離れています。)
そうめんの歴史などの展示があります。
「明神講素麺連中約定書」という明治5年の古文書には,
毎年9月の晦日,1月10日に生産者が集まって,協議し,
職人の賃金を決めることなどが書かれていました。
(写真撮影可なのですが,写真うつりが悪いので載せられません。)
(緊急電話がかかってきて,あわてて帰ったので,詳しく見ていません。)
10月21日,たつの市立龍野歴史文化資料館
「特別展 龍野城下のたたずまい」
「たつの市伝統的建造物保存地区」が
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されて1年の特別展です。
(一部写真撮影可)
写真は,七本槍の一人,脇坂安治が豊臣秀吉より賜ったとされ,
安治を祀る龍野神社に伝わった具足・・・を後から写したものです。
具足・甲冑等は,あまり興味ないのですが,
後から見ることはあまりなく,
この写真ではわかりにくいですが,
背中に刀を入れるような筒(?)がついているのがおもしろかったです。
(全く別の目的の筒かもしれません。)
でも,一番興味を持ったのが,
淡口醤油を開発したと伝わる圓尾家に関する史料。
この点については,うすくち龍野醤油資料館に行ってから,また書きます。
実は,網干の一部は江戸時代(17世紀後半以降)は龍野藩。
写真は網干・新在家にある片岡家住宅。
コロナ一色だった頃に読んだ
鈴木則子『江戸の流行り病 麻疹騒動はなぜ起こったのか』
に出てきた片岡家です。
この本によると,
播磨国龍野藩領の大庄屋片岡徳太郎が管轄した15か村は,
文久2年11月「麻疹流行ニ付相煩候人別並ニ病死之もの取調書類」によると,
麻疹にかかったのは2984人,死亡者は103人だそうです。
(国際日本文化研究センター,宗田文庫蔵)
片岡家住宅は元禄15年建築。
以前見学したことはありますが,
普段は非公開です。住んでいらっしゃいますから。
ということで,いずれまた続きを・・・。
実は,昨日も娘と散歩しました。
娘といっしょなので,散歩だけで,資料館等には行っていません。
資料館は一人で興味のある展示の前で,
好きなだけ眺める(時には,はりついて古文書を頑張って読んでみる。)のが好きですから。
写真は,昨日の龍野紅葉谷横の聚遠亭。
実はまだほとんど紅葉していませんが,なぜかここは少し紅葉。
龍野は,紅葉だけではありません。
春は桜もきれいです。
町並みがいいです。
また何度でも行きます。
さて,龍野のことは,
本当は,もっと調べたくなったことを調べてから書こうと思ったのですが,
いつになるかわからないので,途中経過。
まず,
9月18日,揖保乃糸 資料館 そうめんの里
(龍野の中心からは離れています。)
そうめんの歴史などの展示があります。
「明神講素麺連中約定書」という明治5年の古文書には,
毎年9月の晦日,1月10日に生産者が集まって,協議し,
職人の賃金を決めることなどが書かれていました。
(写真撮影可なのですが,写真うつりが悪いので載せられません。)
(緊急電話がかかってきて,あわてて帰ったので,詳しく見ていません。)
10月21日,たつの市立龍野歴史文化資料館
「特別展 龍野城下のたたずまい」
「たつの市伝統的建造物保存地区」が
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されて1年の特別展です。
(一部写真撮影可)
写真は,七本槍の一人,脇坂安治が豊臣秀吉より賜ったとされ,
安治を祀る龍野神社に伝わった具足・・・を後から写したものです。
具足・甲冑等は,あまり興味ないのですが,
後から見ることはあまりなく,
この写真ではわかりにくいですが,
背中に刀を入れるような筒(?)がついているのがおもしろかったです。
(全く別の目的の筒かもしれません。)
でも,一番興味を持ったのが,
淡口醤油を開発したと伝わる圓尾家に関する史料。
この点については,うすくち龍野醤油資料館に行ってから,また書きます。
実は,網干の一部は江戸時代(17世紀後半以降)は龍野藩。
写真は網干・新在家にある片岡家住宅。
コロナ一色だった頃に読んだ
鈴木則子『江戸の流行り病 麻疹騒動はなぜ起こったのか』
に出てきた片岡家です。
この本によると,
播磨国龍野藩領の大庄屋片岡徳太郎が管轄した15か村は,
文久2年11月「麻疹流行ニ付相煩候人別並ニ病死之もの取調書類」によると,
麻疹にかかったのは2984人,死亡者は103人だそうです。
(国際日本文化研究センター,宗田文庫蔵)
片岡家住宅は元禄15年建築。
以前見学したことはありますが,
普段は非公開です。住んでいらっしゃいますから。
ということで,いずれまた続きを・・・。
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