10月27日,久しぶりの姫路です。
姫ちゃり(レンタル自転車)に乗って,
まずは,総社
「総社では、古来より臨時に行われてきた重要な2種類の祭礼があります。
時代の変遷は経ていますが、現在は60年ごとに「丁(てい)卯(ぼう)祭/一ツ山大祭」20年ごとに「臨時祭/三ツ山大祭」が執り行われています。
起源は、藤原純友の乱・平将門の乱を鎮定するため、天慶2年(939年)に斎行された「天神(てんしん)地祇(ちぎ)祭」に由来するとされていますが、はじめは式年(定まった期間)ではなく、天災や特に国中安泰を願う時、不定期に執り行われていました。
三ツ山大祭が式年となったのは、天文2年(1533年)播磨国守護職 赤松政村(晴政)の下知による時からで、20年に一度行うことが定められてから後も、播磨国の平安と発展を祈るお祭りとして、今日まで一度も途絶えることなく継承されています。」
という,歴史ある祭です。詳しくは,ホームページを見てください。
と,2016年に私はブログに書いています。
今回はちょうど「~伝統を再現する~造りもの展」を総社御門2階でやっていて,
チラッとのぞいてきました。
会場でいただいた「神のやま 第6号」によると,
総社の祭礼で山がつくられ始めたのは1521年(大永元年)からで(播磨国飾東郡国衙庄総社略記)
いわゆる装飾された曳山でした。
山は,翌年の臨時祭で形式が改められ,置山にされたようです。(『総社集日記』)
1733年(享保18年)の臨時祭を描いた絵図には,山から台が迫り出し飾り人形が据えられています。(英賀神社蔵)
享保の改革で倹約令が厳しくなり,造り物のついた山は作られなくなりますが,
これと入れ替わるように,町中の造り物と曳き物が登場します。
各町で作られ始めると,他に引けを取らない演出や趣向を凝らすようになります。
1793年(寛政5年)『臨時祭礼見聞録』によると,
造り物は大型になり,屋根にも作られ,家の屋根から屋根へ橋を渡し造作するなど,近代まで盛んでした。
「神のやま 第6号」には,1928年(昭和3年)の時の写真がたくさん載っていますが,
まるで町じゅう「お化け屋敷?」いや,「菊のない菊人形?」のようです。
(すみません。よくわかりませんね。)
町ごとで競っていたようですが,
太平洋戦争,
その後も,造り物は人形師や興行師の手によるものとなったようです。
しかし,2013年(平成25年)造り物を復活させようと総社が呼びかけ,十点の造り物が復興しました。
残念ながら私は行ったことがありません。でも,見てみたいですね。
(とんちんかんなことを書いていたらすみません。)
今回の「~伝統を再現する~造りもの展」によると,
毎年少しずつ造り物をつくっていっているとのこと,
写真はその造り物の一部です。
この後,姫ちゃりで工事中の歴博の前を通り,文学館へ
(文学館「特別展 没後10年 西山松之助展」については,後日)
姫路城の周辺をぐるりと姫ちゃりで走りました。
写真は姫路市立美術館と動物園の間の道から撮りました。
ほとんど紅葉していないのですが,ここだけかすかに・・・。
そして,山電に乗って帰ろうとすると,
なんと,「阪神甲子園球場100周年記念ラッピングトレイン」
全くの偶然,見ることができました!
他にも,星野さんの胴上げとか,高校野球のワンシーン・巨人の星・タッチなどなど
久しぶりの楽しい休日でした。
姫ちゃり(レンタル自転車)に乗って,
まずは,総社
「総社では、古来より臨時に行われてきた重要な2種類の祭礼があります。
時代の変遷は経ていますが、現在は60年ごとに「丁(てい)卯(ぼう)祭/一ツ山大祭」20年ごとに「臨時祭/三ツ山大祭」が執り行われています。
起源は、藤原純友の乱・平将門の乱を鎮定するため、天慶2年(939年)に斎行された「天神(てんしん)地祇(ちぎ)祭」に由来するとされていますが、はじめは式年(定まった期間)ではなく、天災や特に国中安泰を願う時、不定期に執り行われていました。
三ツ山大祭が式年となったのは、天文2年(1533年)播磨国守護職 赤松政村(晴政)の下知による時からで、20年に一度行うことが定められてから後も、播磨国の平安と発展を祈るお祭りとして、今日まで一度も途絶えることなく継承されています。」
という,歴史ある祭です。詳しくは,ホームページを見てください。
と,2016年に私はブログに書いています。
今回はちょうど「~伝統を再現する~造りもの展」を総社御門2階でやっていて,
チラッとのぞいてきました。
会場でいただいた「神のやま 第6号」によると,
総社の祭礼で山がつくられ始めたのは1521年(大永元年)からで(播磨国飾東郡国衙庄総社略記)
いわゆる装飾された曳山でした。
山は,翌年の臨時祭で形式が改められ,置山にされたようです。(『総社集日記』)
1733年(享保18年)の臨時祭を描いた絵図には,山から台が迫り出し飾り人形が据えられています。(英賀神社蔵)
享保の改革で倹約令が厳しくなり,造り物のついた山は作られなくなりますが,
これと入れ替わるように,町中の造り物と曳き物が登場します。
各町で作られ始めると,他に引けを取らない演出や趣向を凝らすようになります。
1793年(寛政5年)『臨時祭礼見聞録』によると,
造り物は大型になり,屋根にも作られ,家の屋根から屋根へ橋を渡し造作するなど,近代まで盛んでした。
「神のやま 第6号」には,1928年(昭和3年)の時の写真がたくさん載っていますが,
まるで町じゅう「お化け屋敷?」いや,「菊のない菊人形?」のようです。
(すみません。よくわかりませんね。)
町ごとで競っていたようですが,
太平洋戦争,
その後も,造り物は人形師や興行師の手によるものとなったようです。
しかし,2013年(平成25年)造り物を復活させようと総社が呼びかけ,十点の造り物が復興しました。
残念ながら私は行ったことがありません。でも,見てみたいですね。
(とんちんかんなことを書いていたらすみません。)
今回の「~伝統を再現する~造りもの展」によると,
毎年少しずつ造り物をつくっていっているとのこと,
写真はその造り物の一部です。
この後,姫ちゃりで工事中の歴博の前を通り,文学館へ
(文学館「特別展 没後10年 西山松之助展」については,後日)
姫路城の周辺をぐるりと姫ちゃりで走りました。
写真は姫路市立美術館と動物園の間の道から撮りました。
ほとんど紅葉していないのですが,ここだけかすかに・・・。
そして,山電に乗って帰ろうとすると,
なんと,「阪神甲子園球場100周年記念ラッピングトレイン」
全くの偶然,見ることができました!
他にも,星野さんの胴上げとか,高校野球のワンシーン・巨人の星・タッチなどなど
久しぶりの楽しい休日でした。
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