11月5日のブログ「浄土寺」のおまけコーナーの写真と同じ場所の写真です。
今日の龍野公園内,龍野神社横の紅葉谷です。
2週間で,こんなにきれいに紅葉しました。
さて,龍野神社。
このブログにはたびたび登場しています。
2016年1月22日 秀吉の手紙 その1
昨日,全国ニュースでも報道していました!
龍野神社にあった秀吉の手紙33通が,東京大学史料研究所で解読され,報道陣に発表されました。
火事にあい,消火の際に濡れて,張り付いて,それでも復原されました。
(以下省略)
2016年3月11日 秀吉の手紙 その2
1月22日に「秀吉の手紙 その1」を書きました。
今日,行ってきました。
たつの市立龍野歴史文化資料館
特別展「秀吉からのたよりーよみがえる龍野神社の宝物」
(中略)
前半目立つのは,木材に関する朱印状。
新聞にもあった通り,
これでもか,これでもかと言うぐらい木材の催促が続きます。
「木材ってそんなに重要ですか?」と尋ねると,
きっぱり,
「重要です。この時代は建築ラッシュです。
江戸時代の初めには木材不足になります。」とのことでした。
城や橋など土木工事そんな古文書がありました。
(中略)
買ってきた図録は,古文書集とセットになっています。
木材に関する古文書だけでも,(と言っても,10枚以上あるけど)
読み下し文を参考に読んでいきたいです。
(以下省略)
この秀吉の手紙は,2017年10月7日から
兵庫県立歴史博物館の 特別展「ひょうごと秀吉」
でも展示されました。
(ブログには,龍野神社で発見された手紙はほとんど触れていません。)
さて,2016年に買った古文書集,
今見ても,・・・私は「読めます!」とはとても言えないレベルです。
特に,龍野神社にあったものは,
火事にあい,消火の際に濡れて,張り付いて,それでも復原されたものですから,
黒くなっていたり,穴あきになっていたり・・・です。
でも,今,「1日10分は古文書を読む」は頑張っています。
今日の龍野公園内,龍野神社横の紅葉谷です。
2週間で,こんなにきれいに紅葉しました。
さて,龍野神社。
このブログにはたびたび登場しています。
2016年1月22日 秀吉の手紙 その1
昨日,全国ニュースでも報道していました!
龍野神社にあった秀吉の手紙33通が,東京大学史料研究所で解読され,報道陣に発表されました。
火事にあい,消火の際に濡れて,張り付いて,それでも復原されました。
(以下省略)
2016年3月11日 秀吉の手紙 その2
1月22日に「秀吉の手紙 その1」を書きました。
今日,行ってきました。
たつの市立龍野歴史文化資料館
特別展「秀吉からのたよりーよみがえる龍野神社の宝物」
(中略)
前半目立つのは,木材に関する朱印状。
新聞にもあった通り,
これでもか,これでもかと言うぐらい木材の催促が続きます。
「木材ってそんなに重要ですか?」と尋ねると,
きっぱり,
「重要です。この時代は建築ラッシュです。
江戸時代の初めには木材不足になります。」とのことでした。
城や橋など土木工事そんな古文書がありました。
(中略)
買ってきた図録は,古文書集とセットになっています。
木材に関する古文書だけでも,(と言っても,10枚以上あるけど)
読み下し文を参考に読んでいきたいです。
(以下省略)
この秀吉の手紙は,2017年10月7日から
兵庫県立歴史博物館の 特別展「ひょうごと秀吉」
でも展示されました。
(ブログには,龍野神社で発見された手紙はほとんど触れていません。)
さて,2016年に買った古文書集,
今見ても,・・・私は「読めます!」とはとても言えないレベルです。
特に,龍野神社にあったものは,
火事にあい,消火の際に濡れて,張り付いて,それでも復原されたものですから,
黒くなっていたり,穴あきになっていたり・・・です。
でも,今,「1日10分は古文書を読む」は頑張っています。
秀吉の手紙、知りませんでした。見られたとのことうらやましい限りです。
たかだか150年の歴史しかない北海道とはずいぶん違います。北海道関係の古文書を読んでみていますが、そちらとの違いを感じます。でも地元の古文書類、大事に読んでいこうと思います。
毎日音読、初心に返って通信講座の最初のテキスト、はじめての古文書を読み返しています。
いつもありがとうございます。
播磨には,古い寺院や古文書がたくさん残っています。でも,奈良時代以前の寺院などは,ほとんど残っていません。平安時代のはじめに,「播磨国地震」といって,山崎断層による大きな地震があったためです。
雪花さま,もう9月の地震の影響はないですか?まだ余震があるのでしょう?それに,そちらはもう冬ですよね。
お互い,無理をせず,マイペースで,でも,頑張って古文書勉強しましょう!ね!
また,お越しください。