遊 悠 素 敵

なんて事ない日々を、野の花や野菜の花とともに綴っています。

初めての手紙(仙人草)

2018-09-18 19:08:05 | 思い出

古い写真や手紙を整理しましています。
その中に、こんな手紙がありました。チチ(舅)が孫に充てたものでした。
言葉数の少ない チチ(舅)の孫への愛が溢れる文面です。


H S 両君へ
小生のたん生日プレゼント ならびに写真 拝受しました。厚々お礼申します。
君たちの写真が来ると家内中 とりがちして
何度も何度も見て居ます。 Hは大分 兄さんぶってきましたし 
Sも目付きなど大分しっかりして来て居ます。
今度の写真は 特にムードがあって よかった
家に来る人は 君たちの写真を見ては、Tちゃん(HとSの父親)に似ているとか、
Yちゃん(HとSの叔母)に似ているとか、Jちゃん(HとSの叔父)に一番似ているとか、
中には 年寄りの人たちは、やっぱり〇(我が家の屋号)の顔して居るとか、
色々に言っています。
N(私の実家)の方の人たちは、Nの誰々に似ているとか
言って居るのでせうがね。
五月には来てくれるとかで、あと二ヶ月、指を折って待っています。
Hは去年の夏のこと まだ覚えているかな
小生も忙しかったり、ひまだったり、碁を打ったり、
木を植え替えてみたり、何やかやしながら 日が過ぎていきます。
からだは今のところ達者です。
君たちのイトコになる人も あと4・5日したら この世に姿を現す筈です。
君たちの すこやかな成長を切に祈って居ます。
みなさんに よろしく お伝えください。 
                            I



封書の消印から、長男が2才10ヶ月、次男が9ヶ月ぐらいだった事が解ります。
チチ(舅)は、たぶん60代後半。あら!今の私ぐらいだったのだわ。

孫に難しい漢字は避けたのでしょうか?って、平仮名だって読めなかったでしょうに、、
チチ(舅)が、迷いつつ書いたことがしのばれます。

別の手紙には、今、とても幸せだ。と、言ったことが書かれていました。


 

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みっちゃんのこと、(キランソウ)

2016-04-03 15:08:09 | 思い出

雨、三日目です。 お家に篭っています。。。

みっちゃんのことを話題にしたら、思い出しちゃって、チョッとみッちゃんことを書きます。

子供の頃、ご近所に子供の居ない家はなかったくらい、(あったけど、
男の子も女の子も、大きい子小さい子、、

同い年の男の子と女の子が一人づつ、しかもお向かいとお隣仲良く遊んでました。
そして、みっちゃんちは斜め向かい。。。

私は3.4歳の頃母の実家である その町にっ引越してきました。

一つ年上のみっちゃんは、お婆さんと叔父さん一家と暮らしていました。
お婆さんは、チョッと怖い人って印象。
叔父さんも叔母さんも役場に勤めていて、昼間 居なかったので、あんまり覚えていない。

初めは、みっちゃんのお母さんも一緒に住んでたんです。
けど居なくなっちゃって、

私はうちの母のように他所で働く事になったのかと思っていましたが、
そんな風にみっちゃんから聞いたのかも、

ちっとも帰ってこないなぁーーって、思ってたら、お嫁にいったんだと聞きました。
祖母が、「みっちゃんに、ゆうたら駄目やよ。」って、
だったら、言わないでって思いましたけど、知らないで、
私が、みっちゃんを傷つける事を言ってしまうことを心配したのかも、

オジサンとオバサンに赤ちゃんが出来て、みっちゃんも可愛がってた。
私も一緒に遊んであげたりしてた、、、と思う。そして、みっちゃんちに遊びに行ってた。

5年生の時、みっちゃんから靴下の編み方を教えてもらいました。
「来年になったら、のん太ちゃんも習うけどね。」って、来年まで待てない私は、すぐに教えてもらって
みっちゃんの教え方は上手で、編み目の増減で大きさを変えることも教えてくれてたのです。
ですから、自分の物は勿論、祖母や大叔母、弟の靴下を編みました。
大叔母は、「ぬくうて、ええよ。」って、喜んでくれました。嬉しくって、何枚も編んだ物です。
家にある残り糸や古いセーターなどを解いて、

そして、サイクリング同様、6年生になっても靴下の編み方を習うことはありませんでした。
みっちゃんに習っておいてよかった~って、思ったものです。

みっちゃんが中学生になって、私も中学生になって、中学では近隣の小学校から集まったマンモス校でした。

新しいお友達が出来、段々、みっちゃんちに行くことがなくなって、

中学を卒業したら、みっちゃんは、どっかに就職してしまいました。

みっちゃんから、おじさんたちの愚痴など聞いたことありませんでした。従弟も弟のように可愛がってたし、
けど、進学しなかったのは遠慮があったのかも、

そして、何時だったか、、、みっちゃんが亡くなったって聞いたとき、

一度だけ、帰郷した都会的な綺麗なオネエサンにに成長してキラキラ輝いた みっちゃんを思い出しました。


私にとって、とっても綺麗な思い出です。
 

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自転車の練習(西洋タンポポ)

2016-04-02 12:50:56 | 思い出

今日も雨です。
晴れを期待してたのに、、
珍しくもないタンポポですが、日本タンポポと西洋タンポポの違いは額の反り返りと聞きました。
今は日本タンポポの方が珍しくなりました。(私は確認できていない。)
額のところを見てみると
ビックリポンです。1本の茎から2つめの蕾がついていました。



息子ンチに行くと自転車がマイカーになりまする。
息子が家と駐車場までを乗るのに使ってるのを私が居る間、置いといてくれます。
自宅ではずっと乗っていなかったので、久しぶりで乗れるかな?
案外スムーズに乗れるものです。



私が自転車の練習をしたのは、小学 4・5年生の時でした。

その頃、5・6年生になったら、学校でサイクリングに行ったのです。
でも、その頃の子供たちは自分用の自転車を持っていたのは、限られていたはずです。
家に大人用の自転車があれば、サドルの間から足を入れて、アクロバットのような走法です。

それでも、サイクリングに出発する先輩たちをカッコイイ~~と、見送っていました。

いよいよ私もサイクリングに参加できる前年、
1つ年上の女の子が
来年のサイクリングを前に、練習すること、それに付き合ってくれるといってくれました。

我が家には、大人用の自転車もありませんでした。買ってもらえない物とも思っていました。
じゃぁ、どうしたのかと言うと、貸し自転車があったのです。
それもその子が教えてくれました。

料金は、私のお小遣いで、借りられる金額だったと思います。
その頃、近所の子は一日10円を貰っていて、私もそうして欲しいと交渉したのを覚えています。^^;
そのお小遣いの1日分だったのか?何日分だったのか^^

大人に相談する事もなく、貸し自転車を小学校の校庭へ運び、練習しました。
すぐにスムーズに乗れるようになり、その後、弟を連れて練習に行き、後ろの荷台に弟を乗せて走る事もできました。

そうして 練習したのに、翌年のサイクリングということはありませんでした。
とっても残念。と言うより、せっかく練習してたのに、、、悔しい思い出です。



それから、自分の自転車を持つことも無く、結婚し、2人目の子が自転車の前に乗せられるようになった時、
自転車を買ってもらいました。
子供の頃は、片足をペダルに乗せて少し走らせたところで、サドルに乗るってやり方でした。
でも、前後に子供を乗せた状態でそれは危険です。つうか、出来ない。
で、先にサドルに座った状態からの発進の練習です。
初めに子供の頃のやり方で自転車を走らせ、感覚がつかめたところで、トライしました。
転ぶことも無く、会得いたしました。^^v

勿論、子供たちを乗せて転ぶことはありませんでしたが、
バランスを崩して、踏ん張った時、ハンドルに胸をぶつけて

肋骨にひびが入ったってことが1回。



最初に自転車の練習に付き合ってくれた みっちゃん、ありがと~~



 

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また出かけます。≪ツワブキ≫

2015-11-08 18:22:30 | 思い出

夜中、、3時か4時ごろ、かなり降ってるなぁ~と、風が無いので、雨音だけです。

一昨日・昨日とチョッと頑張りました。気がかりな事が済んだ後の雨。

今日は、1日心置きなく、のんび~りしています。

そして明日、また出かけます。またまた、ソラジの付き添いです。
なので、新聞や郵便物、そして宅配牛乳をストップしてもらうよう電話しました。



牛乳ストップで、思い出すのは、

ず~~と、昔のことですが、一晩だけ留守をすることになった時の事です。
1日分の牛乳を断らなくってもいいのですが、そのままにしては置けないので、
ハハ(姑)に、冷蔵庫に入れておいて貰えないかと、お願いしました。 初めての事です。

そのときのハハ(姑)の返事が、
娘である義妹が留守をする時は牛乳屋さんに電話をしている。そうすれば良いんじゃないか、と言うようなことでした。
加えて、そんなことも知らないのか。と、チョッと自慢げに言った様に感じました。

仕方ありません。「じゃ、そうします。」と、帰ってきたのですが、
お願いした事がないのは、それまでそうしてきたのだし、、
この時、お願いしたのは、1回分だけだからだったので、
スープの冷めない距離で、ハハ(姑)も、まだ60代で元気でした。
 
ハハ(姑)ンチの用事も車での送迎もやってました。家族と思えばです。なのに、、
そんな思いがあり、ガッカリし、悔しかったのです。

でも、、、

私、ハハ(姑)のことを子供のような人と表現しますが、
そう思うに至ったのは、随分後になってです。 
その頃の私は気付かなかったのです。

こんなこともありました。扇風機を洗って干してありました。
「ソラジが、あろてくれたんや。」
って、自慢げに私に言うんです。貴方は知らないでしょうが、扇風機も洗えるンだと仰るんです。
イヤイヤ、(同じ屋根の下に暮らしてるのです)ソラジが知ってて私が知らないはず無いでしょう。
うちの扇風機をソラジが洗うことはありませんが、、
あろてくれた、だけなら、良かったですねと言えますが、、返事に窮してしまいました。

そんなことなどがあり、ハハ(姑)は、知ったことをすぐに誰かに披露し
自慢したいたいのだと判ってきました。

ハハ(姑)は、宅配牛乳を一時停止してもらうって発想が無かったのでしょう。
娘に聞いて初めて知って、その知識を披露したいと思ってたところに私が行き合わせたようです。
得意になって、披露した知識を感心する事もなく、あっさりスルーされて仕舞い、
それに、、、怒ってるみたい。と、チョッと不思議だったかも、

あの時、「知らなかった~~」の一言を付けたら、
どうだったんだろう?とは、考えたことはありません。
そんな風には言えないですし、
「知ってますよ。」なんて言ったら、大変だったでしょう。

けっこう、難しい人でした。
朝ドラの初さんのお姑さんみたい。って、ドラマを見ながらフッと笑っちゃいます。
大きな諍いも小さな諍いもせずにきたのは、
偏に私のおかげ  と、自負しております。それっ位、自慢してもいいよねぇ~~ 




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雨です。≪ピンクのトレニア≫

2015-09-08 19:49:34 | 思い出

息子ンチの掃除に夢中になって、(他に楽しみはないのか
夕食は息子夫婦も集合しての外食事の予定でしたので、心置きなく 

翌日、昼食を済ませ、息子の夕食を用意して帰宅です。

息子ンチから高速に乗る少し手前までソラジが、その後、私が運転し、途中またソラジに代わるのですが、

今回、和歌山から高速に続いてバイパスを利用して、ず~と私が運転してみました。

一昨年の暮れ通い始めた頃は、車で2時間の田辺までは行かなくなっていました。

ソラジも和歌山までの運転に自信がなく、というより腰に自信がなく、

毎回、嫁が電車で田辺まで迎えに来て貰っていたのです。
串本までは時間が掛かるという事で、田辺まで私が、、、

何度、続いたのでしょう?
嫌な顔も見せずに、、、送迎してくれました。

ソラジの腰も良くなってきて、私も運転に慣れてきました。道に慣れたというべきでしょうか?

で、ある時、帰りは自分たちで帰ってみました。それから自分たちで通うようになりました。
私の運転距離が増えましたが、未だに、市内の運転だけはパスしております。

今まで2時間も運転すると、疲れて眠くなってしまうのです。今回は大丈夫でした。
何でだろう?

終点の江住に道の駅がオープンしたばかりです。
寄ってみる事にしたのですが、オープン直後の日曜日、大混雑です。

何とか駐車して、見て回りました。食堂もイートインもありました。
食事には早すぎ、結局、何にも買わずに見物だけで帰ってきました。

混雑した駐車場からの脱出を心配したソラジが代わって運転。

一日頑張ったんだから、どっかで食べて帰りたいものだけど、 惣菜でもいいから、家で食べたいソラジ、

ソラジが勝ちました。って言うか、負けるけんかはしないことにしておりまする。



昨日、見つけたピンクのトレニア、一株だけ?
少し濃い目の紫が二株。種をいっぱい作ってねぇ~~




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