遊 悠 素 敵

なんて事ない日々を、野の花や野菜の花とともに綴っています。

お茶会?

2024-07-06 13:47:51 | 📓日記

地元の神社でお茶会が開催されると聞いて、地元の茶道友と行ってきました。
主催者の方を知りません。
ちょっと緊張しつつです。
行く前に汗になっては、と近いけど車で
神社は森の中にあるような静かで会場の社務所への道は涼しい。
心まで澄んできそう~

七夕飾りも設えられ
お座敷からの庭の眺めもご馳走です。
極ラフな感じのお茶席で、点て出しでした。
先客も後の客も顔見知りばかり、久しぶり~~の挨拶が飛び交います。
(⌒▽⌒)アハハ!

席を辞する時、「この後~~の講演会があります」と、お誘いいただきました。
「バスが来ましたよ」のモデルとなった山崎さんがいらっしゃると言うことです。
バスが来ましたよ
絵本の読み聞かせもしていただきました。とってもお上手で感動しました。 
中途失明をされた後、1年訓練を受け仕事に復帰された後、通勤のバス停での小学生との交流の話です。
山崎さんは失明すると分かった時、退職届を出されたそうです。
それを同期の友人が止めてくれ
訓練施設がある事、休職し訓練を受けて仕事に復帰するよう勧めてくれたそうです。
そして復帰後2カ月間はご家族が送迎の助けをしてくれ
初めて一人での通勤はとても不安で、毎日緊張の連続だったそうです。
そして小学生との出会いの話になるのですが、

今、山崎さんは講演依頼には必ず応じるようになさってるそうです。
「幸い 毎日が日曜日なので、この優しい出会い、小学生のことを知って欲しいから」

そして、手助けをしたいと思ったら、どんな風に声を掛けるのが良いのでしょうとの質問に
「大丈夫ですか?」と問われれば、
「大丈夫です。と、答えてしまいます。何か手伝えますか?と聞いて欲しい」
とのことでした。

山崎さんは串本町の出身で、ご両親は串本町で暮らしていらっしゃいます。
お父様もいらっしゃっていました。
息子さんが失明する、治療法もない時の親の気持ちは、、
「家内は毎日泣き暮らしていました・・・・・
しかし泣いていても何も変わらない、泣いて治るなら一緒に泣くが
息子が頑張ってる手助けをするのが親の役目」
と、諭されたそうです。
そして中途失明を克服された息子さんを誇りに思っていらっしゃることが言葉の端々に、
けど、親って、いくつになっても、、、、
会場になる神社は石段や坂を上り下りすることを心配したそうです。
でもその手前の社務所と聞いて安心したと、高齢のお父様の言葉。


良いお話をお聞きしました。






コメント (6)