一昨日の散歩道で、エンドウの山茶花が咲き競っていました。
右利きの私は左手が弱い。で、左手強化のため、鍬を逆手で持って見たけど、
力が入らない。で、続かない。
そんな事をエアロビで話したら、
「それはダメ、強すぎる。まずは拭き掃除から」と、アドバイスを貰っていたのです。
で、昨日はカーテンを外した後の窓拭き、左手で
平らな所は良いのだけど、角とか、狭い所がやり難い。
気が付くと、右手に力が入ってる、手を出すのを我慢してる。
子供の成長を見守る母のように、、グッと堪えている 右手ちゃんでした。
床をふいて、台所も始めると、黙って席を立つ夫。
以前は、「しなくて良い。」と、仰ったり、座ったまま動かないので、
留守を狙ってやるか(ほとんど回ってこない)
空いてる所のみの拭き掃除しかできなかったんですけど、
大人になったねぇ~~。
今日もカーテンを外して、お布団も干します は、無理でした。
左手で窓拭きは、やりました。
強風注意報が出ていない。
やっと布団を干しました。今晩が楽しみぃ~~
雨は降らないのだけど、毎日 強風。
注意報が出ないまでも布団干せば土台ごと倒れそうな風。でしたから、、
それに大物 干しても大丈夫かと、洗濯機 4回。
洗濯機の番しながら、そうだ 拭き掃除だ。
で、終了したのが11時。
今日の畑仕事は水やりのみ、
今日も花壇ボラは午後になってしまった。 去年の葉ボタン。
茎がぐ~んと伸びてるので、支柱をして貰っています。
お昼過ぎ、風が出てきました。
お布団取り込まないと危ないかな?
と、何か白い物が?
間に合わなかった。お布団は1枚 落っこちてました。
続いて落っこちる前に取り込んで、ついでに洗濯物も取り込んで
日当たりの良い部屋で畳んでると睡魔が、、
ようやく花壇ボラの当番に行ってきましたとさ、
農作業時間です。
引き継いだころは、仕事も持ってたから毎日とは行かない。
夫の勤務時間の制約もあったし、だから時間を決めずに、、
何時間でも(若かったしね。)
何時ごろからか?畑仕事は2時間と決めてる。
で、気が乗らない日は、「せめて2時間頑張ろう~~」と、自分を励ます。
乗ってる日は、「やり過ぎは禁物、後で堪えるよ。」と、自分を諫める。
天使の階段
今日も午前2時間、順番を間違えて(予定ミスだ)仕事が残った。
午後、切りの良いところまで1時間余りやってきた。
まだやれそうだったけど、
後に堪えたら困る。
と、潔く帰宅。
洗濯物を片付けつつ、ビデオを見つつ、お茶しつつ、、、
畑仕事は歩数が伸びないので、散歩でもするか、、
と、画像です。
雪が降り出した途端 大雪だそうです。
そのニュースを見たら、まず40数年前の光景を思い出しました。
北陸自動車道の開通も無い頃です。
当時の勤務地の金沢から夫の実家に向けて車を走らせていました(夫が )。
積雪の為の渋滞で動きがとれず、まさに立ち往生してた時のことです。
8ヶ月ぐらいだった息子は、その時とてもお利巧でした。
車にお湯をタップリ入れたポットとミルクと即席の離乳食を積んで
布おむつもあるだけ積んでたと思います。
そんな状況で、不安はなかったように思います。
息子の寝顔が可愛かった。と、思う。
母が入院した知らせを受けたのは大雪の年でした。
ゴム長靴を買って雪道を母の病院へ通ったのは、まだ新しい記憶なのに、
忘れてた。
記憶を辿ってたら、
ラッセル車(除雪車)を初めて見たのは小学生のころ。
同じく小学生の頃、道路に雪が高く積もって家から階段を作って道路に上がったこと
その階段に隠れて、お向かいの子と遊んだこと、
毎年、雪が降り出すと朝礼で「道の端を歩かないように」と、注意を受けた事。
思い出しています。
今月の100分で名著、
第1回で興味深いことを
自分の人生、と言うか、何事も自分で選択しているようではあるけど
選ばされてるというお話。
(私の解釈です。)
例えば、趣味。やりたいと思ったから、選んだ。と、思い込んでるだけであって、
其々の条件下の中で選ばされてる。
高校に入って、必ずクラブ活動をしなければならない決まりでした。
運動が苦手な私は運動部以外って条件の中、茶道部を選びました。
趣味の手芸も、思えば、、諸条件の中、そこにたどり着いたのだと納得できます。
畑仕事はハハ(姑)から押し付けられたって言っていますが、
(そうなんですが、)
苦にはならなかった。
難を探してのダメ出しには閉口したし、
叔母の助言と称した突然の指示にも振り回されたけど、
止めなかったし、
そして昨日の私は、
午前 体操クラブ ⇒ 午後 畑仕事1時間ほどの後、編み物の続きをして
夜は今年最後の茶道クラブでした。