goo blog サービス終了のお知らせ 

ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

改めまして…3度目の石巻市訪問(その7)

2011-10-30 00:57:50 | 能楽の心と癒しプロジェクト
仙台では「みたらし団子総本店」…いやいや、「玉澤総本店」での、こちらは能楽ワークショップでした。和菓子屋さんの喫茶部でのワークショップということでスペースも限られていましたが、うん、まあ、これぐらいなら舞うのは大丈夫です。

なんと言ってもここでの上演は東北大学の長神風二さんの尽力なくては実現はあり得ませんでした。前述しましたが、この時の訪問では事前にほとんど公演地が決まっていませんで、かなり焦りました。あまりにも多くのイベントが全国から集まっている石巻では、受け入れ側も少々お疲れ気味…そんな印象もありましたですね。ですから事前にT氏が現地に交渉に行ってくれたり、また、最初は、例の横浜での国際学会のあとで ぬえに連絡をくださった長神さんも「宣伝をしましょうか?」という問い合わせだったのですが、ぬえが正直に公演が決まらなくて困っている、と相談したところ、それなら、とこちらの和菓子屋さんに突撃交渉してくださったようで、こうした、相手の顔を見ての交渉が、この度はどれほど大きな力になったかわかりません。

いま東京に帰ってみれば、この訪問で出会った方々とはいずれも深い絆で結ばれた気がします。次回からは上演の機会に困ることはないですし、また逆に、ご恩返しのためにも再び訪れなければならないと思う場所がいくつもできました。考えてみれば最初に避難所で掃除をしなかったら、ここまでのご縁は生まれなかったなあ。それもこれも、相手の顔を見てお話してから始まったことなのです。

…が、正直言って、長神さんから「玉澤総本店」で上演できますよ~、と言われて、最初はよく事情が飲み込めませんで。それが「みたらし団子」の和菓子屋さんだと気がついて爆笑! そこに話を持っていったのかいっ! 何年か前に東北大学の大隅典子先生が東京で行ったサイエンス・カフェの対談の相手に ぬえを指名して頂いて。そのとき同じ東北大学の長神さんが楽屋に差し入れをしてくださったのがこの「みたらし団子」でした。もう、そのとき ぬえが ひと口それを食べて狂喜乱舞したこと。もうこれは世界一うまいお菓子だろう!

…ちなみにそのとき大隅先生が ぬえの様子を見て「どうしたの…あの人?」「いや…仙台のお菓子です、と私が みたらし団子をお持ちしたんですが…」「そうなの…(ホントにあの人で大丈夫なの?)」「(いえ…たぶん開演までには発作は収まるのではないかと…)」という会話があったとかなかったとか(カッコでくくった部分は ぬえの妄想です)。…そんで、先日 ぬえがボランティア出演した大隅先生がリーダーで3,000人が集った横浜の国際学会。この時もボランティアとは言いながら、しっかり「みたらし団子」は出演の条件だったりしました。

ま、何だかんだと ぬえはついに「みたらし団子」の蜜のプールでの遊泳に一歩近づいたのでした。たぶん。お店に着いてからも、すぐに避難所のボランティアさんたちのために「みたらし団子」を何箱も予約して。…ここがミソで、日持ちがしないのが唯一の弱点なのですよね。「みたらし団子」。普通は冷凍したままで売っているのです。そのままでせいぜい3日、解凍したらその日のうちにお召し上がりください、というシロモノ。ああ…それでいいんです。ウツクシイものは、それが簡単に手に入らないからこそ いよいよ輝いて見えるんです。それでこそ「みたらし団子」。あなたはウツクシイ。ああ、そうやって あなたは今日も ぬえを苦しめるのね。ここまで…わざわざ東京から恋焦がれてやってきた ぬえに、それでもあなたは冷たくするのね。…冷凍だし。

ああ、みたらし団子の話になると長くなるなあ。さて狂言は袴狂言『柿山伏』。ぬえは『松風』を、紋付の上に長絹だけを羽織り、面を掛けての一部だけの上演です。ぬえは『松風』がホントに好き。この曲には人間が…もう幽霊ですけれども、「狂う」その豹変する有様が描かれていますね。「三瀬川…」から「あら嬉しや、あれに行平のお立ちあるが…」のところ、ここが舞台で謡いたくて、自分の会で演じたことがあります。そうして「中之舞」を「悲しげに」「孤独に」舞う…。現代から数えれば「千年間恋人の帰りを待つ女性」…ぬえはそう考えて この曲を演じるのですけれども、これは被災地にとって見たら心をえぐるような仕打ちになりかねなくて…。でも今回の訪問では限られた装束の中で、『羽衣』のほかに『松風』を舞う用意はしてありました。仙台市内ならば、そしてこの時期になっていれば、この曲も演じられるかも。

この催しはチャリティ・イベントでして、収益は今回の訪問の活動資金…残額はボランティア団体への寄付も目的にして…になっています。この『松風』に、仙台市民の気持ちも乗せて石巻に届けられればいいな。

…で、みたらし団子ですが。(^◇^;)
この日は「玉澤総本店」の社長さんも専務さんもお見えになりまして、小さな喫茶部ではあってもお客さまは満員、そうしてお客さまには茶菓がふるまわれたのですが、ぬえがあんまりうるさいものだから、そのお菓子には みたらし団子もしっかり加えられてありました。

開演の冒頭にも、終演後の挨拶にも みたらし団子~、みたらし団子~と連発していた ぬえ。終演後には楽屋にも みたらし団子がお土産に配られ、まあ、出演者のみなさんも汗をぬぐって、お客さまにお出ししたのと同じ茶菓をどうぞ…と ふるまわれたのですが…じつはすでに! この日のお店の在庫の みたらし団子は完売だそうで(お客さまが うるさい ぬえに哀れを思って買って帰ってくださったらしい)、終演後の茶菓の中の みたらし団子は出演者全員には足りないという事態に! こうなると宣伝も良し悪しですな~。必然的に一番後輩たる狂言のKくんのお皿には みたらし団子は盛られませんでした。南無阿弥陀仏。 …え? ぬえですか? 何度も みたらし団子を食べている ぬえですが、もちろんKくんの目の前でも おいし~~~~~く頂戴致しました! ん? ひどい? なんで? おいしいんだも~~ん♪

あ、出演者全員に「お土産」として配られた みたらし団子は、Kくんにもちゃあんと配られまして。翌朝になってこれを食べた彼もまた。激賞!! でした。ふ~んだ、遅いよ~ん。(´。`)

終演後、長神さんのお誘いで近所でちょいと一杯。ところが湊小学校のボランティア団体「チーム神戸」の金田さんから翌日の催し…湊小学校での、茶道と、曹洞宗のお坊さん方との合同イベントの打合せをしたい、という連絡が入り、ええ~ビール飲んじゃったのに??

急遽湊小学校に帰りましたが、前もって予約しておいたので無事終演後に ぬえの手元に届いた みたらし団子をばしっかり抱えて。打合せはまあ簡単に終えまして、詳しいことは翌日に、という事になりました。さあ、お風呂に、と思ったけどこの日はさすがに仮設のお風呂はもう終わっていて、そのまま音楽室で就寝となりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

演劇倶楽部「座」~詠み芝居『歌行燈』…観てきました!

2011-10-28 01:44:21 | 能楽
ん~今日はプロの芸というものを堪能して参りました。

「詠み芝居」という、近代小説の文章そのままを台本として演じられる劇『歌行燈』。いろんな意味で驚異的な体験でした。

去年の8月に縁あってこちらの劇団に謡・仕舞・鼓を教えに通うことになったのですが、まあ…いくら未知のジャンルである能の技術を習得して有料公演で披露するためだとはいえ、公演の1年以上も前から稽古を始める、という念の入れ方にまずは脱帽です。

ぬえにとってもリアリズム演劇の役者さんたちとお話するような機会はそうそうあるものではないので、こちらのお稽古はいつも新鮮な驚きに満ちあふれていました。謡や鼓は、これは ぬえたちの専門分野ですから稽古もそう特別なものでもなかったのですが、役者としての人生観とか生活の糧とか…話題はいろいろなことに及んで、毎回3時間くらいは稽古…というか話し合っていたのではないかと思います。

実技は…やっぱり みなさん苦労されておられたようでしたが、とくに謡は難しかったようです。もとより若年者の謡というものは、よほど才能がないかぎり、まず なかなか感心するほどには到達するのは難しいとは思いますが、謡に慣れ親しんでいない若い人にとってはまさに未知の世界。そのうえ鼓を聞きながら地拍子で謡うのだから。

ぬえも、「謡である必要はなくて、プロの役者として謡の“声色”を使う、というので良いと思うし、むしろどれだけ謡に近いか、というよりも、舞台上の芸として“成立している”かどうか、が問題なのでは」というアドバイスをしましたが、彼らの立場に立って考えられるところまで近づいたかも。結果的に、大変良い出来になりました。とくにヒロインの仕舞は相当切れもある素晴らしい出来だったと思います。お稽古の成果が出てよかった~

それにしても、主役の周囲にいる役者さんの微妙な「佇まい」の演技…稽古では座長の壌さんが「空気感」と表現していましたが、それがみなさん上手いこと! ぬえは座頭(按摩)役の佐藤光生さんの演技や、それから ぬえが小鼓を教えた捻平こと内山森彦さんの演技にとくに感心しました。いや、感動と言ってよいくらい。やっぱりこの辺は役者さんの“年輪”がモノを言うようですね。このへんは能楽界も一緒だと思います。

そういえば…この劇の中で一部 肉声ではなく謡の録音が流れるシーンがあるのですが、それは役者さんに指導した ぬえの声ではありませんでした。これは合う程度仕方がない…ぬえには ああいう年輪を重ねた謡のその声はまだ出せません。

このような芸の“年輪”の問題、セリフの間や滑舌、“空気感”に象徴されるような演技の方向性、照明や音響、舞台監督の存在…こうしていろいろな刺激を受けた ぬえでしたが、やっぱりスゴイと思うのは小説の読み込みの深さ…そうして泉鏡花のスゴさでしょうか。

こんなわけで演劇倶楽部『座』の「詠み芝居」『歌行燈』は日曜まで公演が続けられています。ぬえはあさって29日の夕方に再び拝見に伺う予定です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改めまして…3度目の石巻市訪問(その6)

2011-10-27 01:22:20 | 能楽の心と癒しプロジェクト
9月29日

この日は石巻のショッピングセンターでの公演と、仙台市でのチャリティ・ワークショップの予定が入っていました。前回も書きましたが、次第に瓦礫の撤去が進んできた状況で、また避難所も解消が近づいているこの時期、慰問支援の方法も少しずつ自然に変化してきました。ぬえの場合で言えば、最初はどうしてよいかわからないままに避難所の掃除からはじめ、次には能楽師の友人を募って避難所で実演をし…これには邪気の退散の気持ちをこめました…、そうして今回は幸福をもたらす意味をこめて、避難所にとどまらず、市民のみなさんに能楽をお見せする、という感じでした。さすがに東京から東北地方は遠く、行くたびに変わっている状況を感じ取って、それを次回の訪問に活かす、という感じ。常に活動は現地の状況の変化からは遅れ遅れになっているはずなのですが、割とそういう違和感はなかったと思います。

…ところで、つい前回ご紹介したばかりの、ピースボートによる仮設のお風呂「不動の湯」も、避難所の解消に伴って閉鎖となったようです。→ピースボートブログ

さて、ぬえらがこの日に上演したのはイオン石巻ショッピングセンターという、高速道路の出口のすぐ脇にある、もう何度その前を通ったかわからないぐらい交通の要所にある建物でした。が、中に入ったのは今回が初めてで、そのあまりの巨大さにまずビックリ。もう、車を停めるにも場所を間違えると装束をかかえたまま延々と歩かなければならない、という…。幸い、笛のTさんが数日前に下見をしてくれていたので、その誘導によってステージのすぐそばの駐車スペースに車を停めることができました!

ちょっとショッピングセンターという場所で舞った経験もありませんが…。意外や準備をしている段階からお客さまも集まって来てくださいました。それどころか、その中で、お孫さんを大川小学校で亡くした、とおっしゃる方がわざわざスタッフに声を掛けてきてくださいました。これには ぬえも絶句。。この1ヶ月半前に ぬえらは偶然その大川小学校の前を通りかかり、破壊しつくされた校舎や、子どもたちに手向けられた祭壇を見てきたばかりだったものですから…。

「避難するところは三角地帯しかなくて…そこと決められていたんですけれど…」そのお母さんは ぬえに言いました。「三角地帯」とは大川小学校から100mほど離れた新北上大橋のたもとの…山がせまっているためほんの小さな面積しかない交差点のことでした。学校から見て標高はいくぶん高い…とはいっても数メートルの違いでしかないでしょう。津波はそこを越え…それどころか小学校の屋根をも越えて校舎を破壊し、三角地帯から北上川の上流に向けてまた低地となる地形の集落を根こそぎさらって行ったのでした。



どうにもやるせない、苦さ。

幸せがもたらされますように、とお祈りしながら勤めます、と ぬえも答えて…そのお母さんは、別のお孫さんとの待ち合わせでこのショッピングセンターにいらしたそうで、東京からわざわざ被災地支援のためにやって来た ぬえらをねぎらうために声は掛けてくださったのですが、能の上演には間に合わないかもしれない…とおっしゃって、その場はお別れをしました…ところが ぬえが『羽衣』を演じたそのとき…このお母さんが最前列の中央に座ってご覧になっておられるのを発見…。この日、その後このお母さんとはついに再びお話を交わすことはありませんでしたが…(・_・、)

汗だくとなって上演を終えましたが、ショッピングセンターの担当者さまからは絶賛! と言ってよいほど気に入って頂き、次回石巻に来るときもぜひ出演してほしい、スケジュールもあるが やり繰りして予定を空けましょう、と言って頂きました。

上演を終えて、もう、いくらでも水分が身体に入る…胴着を干すために湊小学校にいったん帰り、ついでにショッピングセンターで買った一升瓶をおみやげに「その子ども」…ちゅんさんのお宿に行きましたが あいにくお留守。書き置きを置いて小学校に戻り、それから次の公演地…仙台へ向けて車を走らせました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改めまして…3度目の石巻市訪問(その5)

2011-10-23 01:17:43 | 能楽の心と癒しプロジェクト
石巻駅前の「ロマン海遊21」の公演のあと、さて「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」のメンバー一同が揃ったところでいよいよ湊小学校避難所に宿泊となりました。深夜走行して朝からふたつの公演をこなした狂言方のOさん、Kさんは大変だったと思います。

ぬえたちの活動をサポートしてくださっている湊小学校駐在のボランティア団体「チーム神戸」の金田リーダー、無尽、水島の若手事務局には朝に挨拶し、また湊小学校のボランティア本部にも指示を受けて寝具は運び込んでいましたので、まっすぐに指定された宿泊場所である音楽室に。もう何度も書いていますが、ここは3ヶ月前に ぬえが初めてこの小学校を訪れた際に住人さんの前で舞を見せた思い出深い場所です。

これまた思い出深いホワイトボードに描かれた「その子ども」の落書き。そしてこれまでにここに宿泊しながらボランティア活動を続けてきた多くの「ボラ戦士」たちのメッセージ。

さて湊小学校の校庭にあった大きなお風呂の施設…「希望の湯」…これは埼玉県の民間企業がボランティアで現地入りして4月に設置した施設で、同じように震災の被害を受けた新潟地方からのお礼の意味がこめられた大きな横断幕が掲げられていました…もすでに活動を終了させていましたので、少し離れた不動町の市民会館の駐車場にピースボートさんによって設置された「不動の湯」へ。ああ、すごいな。至れり尽くせりとはまさにこのこと。入口で簡単に氏名や住所(都道府県名程度)をリストに書き込んで中に入ると、外見こそただの運動会などで見かけるようなテントが並んでいるだけでしたが、中は立派な入浴施設。シャンプーもリンスも石けんも、ちゃあんと揃っています。ぬえらはタオルは持参しましたが、持ってこなかった人のために販売などの対応もちゃんと考えられているに違いありません。

そうして湯から上がると、さきほどの受付テントのボランティアさんから「飲み物もありますよ」とのお言葉。水・冷たいお茶のほかに、この日はジュースも紙コップに入れてサーブされました。それを持って外に出ると、いくつかのベンチを置いた「喫煙所」まで! ちょうど夜は涼しくなってきた頃でしたので、ここで涼むと、もう最高の気分です。すごいなあ、ピースボート。そういえば6月に ぬえが訪れた湊小学校でもピースボートのボランティアの方々が忙しく立ち働いておられました。…隣は偶然にも やはり ぬえがずっとお世話になっている「明友館」。窓越しに事務所を覗いてみると、千葉さんらスタッフはまだパソコンを見ながらの作業が続いていました。

仮設のお風呂…どうなっているかお知りになりたいでしょ? 探してみたらピースボートのサイトに「不動の湯」の紹介記事がありました。

こっちが女湯の記事 …男湯にもアメニティグッズがありましたが、女湯はさらに充実しているようです。
こちらは男湯の記事 …一部キワドイ写真もあるので閲覧注意だそうです(笑)

こうしていい湯につかり、湊小学校で持参の寝袋にくるまれて就寝。狂言方の二人は…泥のように眠ってしまいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改めまして…3度目の石巻市訪問(その4)

2011-10-22 01:21:02 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ようやく石巻市訪問のご報告の続きです。。写真もできあがってきましたので、それも併せてご報告させて頂きます。

9月28日

深夜に高速を走ってきた狂言のOさん、Kさんと合流し、湊小学校が間借りして授業を続けている住吉中学校に佐々木校長先生をお訪ねしたのは前述の通りです。ちょうど湊小学校の子どもたちは運動会の予行演習をしていました。

それから、前日に急遽決まった門脇中学校に移動し、「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」最初の公演となりました。避難者が暮らす体育館はとても綺麗でしたが、なんと今年完成したばかりなのだそうです。それが避難所として半年以上使われる事になるとは…。仮設住宅の建設も進み、すでに住人さんも少なくなっていましたが、それでもまだ行き先の決まらない住人さんがいます。ここでは狂言「寝音曲」、能「羽衣」の一部を上演しましたが、大変喜んで頂き、帰り際には拍手で見送ってくださいました。









しかし…門脇中学校での公演と最初に聞いたときは驚きました。…というのも、海辺に近い門脇(かどのわき)地区は、石巻の中でもとくに被害が甚大な場所で、その象徴といえるのが…焼け焦げた「門脇小学校」でした。6月に初めてこの学校の光景を見たときは ぬえは本当に戦慄をおぼえました。日和山の崖の上と下でここまでも違う光景。まさに生死の境はこの崖ひとつだったのです。その崖ぎわに建つ門脇小学校は、地域の避難所に指定されていたため、ここより海に近い住民さんたちは、この門脇小学校に避難したのでした。…ところがそこに津波が襲い、流されて校舎に激突した車が火災を起こし…。



ところが、その悲劇の中で門脇小学校の子どもたちはほとんど無事だったのだそうです。避難の指導が行き届いていたのか、みないち早く崖の上に避難したのだそうで、素速い決断と日頃の訓練などがうまく連携して作用したのですね。それでも子どもたちは間違いなく心に傷を負ってしまったことでしょう…その門脇小学校の子どもたちが、いま授業を受けているのが、この門脇中学校なのです。ぬえたちは子どもたちを対象に公演をしたのではなく、避難所の住人さんたちに能楽をお見せしたのですが、あのすさまじい被害から生還された方々の前に立つのは やはり緊張しました…


その後石巻駅前にある「ロマン海遊21」という建物へ。日和山を下りて駅前はすぐそこ。この建物は 正式には「石巻観光物産情報センター」と言い、石巻市の観光協会もその中に事務所を構え、土産物なども扱う、観光客のための施設です。これまたこの前日にここでの上演が決まりました。今回の旅では、避難所など直接被災された方々を勇気づける目的ももちろんありましたが、瓦礫の撤去、という意味では次第に復興も進んできた被災地ですから、広く市民の方々に能楽を見て頂くことを目的にしておりました。広く言えば石巻では市民の誰もが心に傷を持つ被害者なのです。市民みなさんに元気を出して頂くのが、大きい意味で我々のプロジェクトの目的である事を考えて、こういう場所でも上演をすることにしておりました。

こちらのお客さまは…不特定多数の市民…駅を出てバスを待ったり家路を急ぐ方々のうち、たまたまこの建物に立ち寄った方で、開始前はどうなることかと思うほど人通りが少ない駅前でしたが、いざ能楽を上演すると たちまち30人ほどの人垣ができました。能「羽衣」の一部に引き続いて袴狂言「痿痺」が演じられましたが、最後は大きな笑い声のうちに終わったようです。







観光協会さまからも好評を頂き、再訪を依頼され、まずは順調な滑り出し。…ところがあとで店員さんや観光協会の方に震災当時のお話を伺うと…どの職員さんの自宅も全壊か半壊されいるそうで…。しかも震災の影響で駅前が浸水し、みなさん何日もこの建物の中で救助を待つ有様だったそうです。食料もなく、当地の物産として売られている菓子などを食べつないだのだとか…。それでも職員さんは ぬえに言いました。「でも笑顔でお話できるんですよ。人の被害がありませんでしたからねえ」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子ども創作能「本公演」…感無量!(その4)

2011-10-20 00:37:08 | 能楽
え~、あっちゃ行ったりこっち来たり…

かくして子ども能の本番とはなりました。囃子方をお招きしての「本公演」は年に一度きり。それがこの守山八幡宮で上演できたのは感無量です。現在上演している子ども創作能『伊豆の頼朝』は当地・伊豆で平家に対して反旗を翻した源頼朝の姿を描いているわけですが、およそ800年前、その歴史的事件はまさにここで起こったのでした。北条館に居住していた頼朝は、都の男山八幡と同じ神を祀るこの守山八幡を崇敬して、平家によって派遣された当地の伊豆目代・山木兼隆を最初に襲撃したときも、この八幡宮に戦勝祈願をしています。

ん~、とくに最初は ぬえはそれを狙ってこの地区の区長さんのお宅に伺って、この神社の祭礼に子ども能を出演させて頂くようにお願いしたのではなかったのですが。寺社の多いこの土地で、なんとかあちこちの神社の祭礼に子どもたちを出演させてあげたくて、たまたま2~3年前からこの地区の願成就院さまにお参りをしたり、この守山八幡宮で謡を奉納させたりと、何かとこちらの地区にはお世話になって…というよりお邪魔をしていまして、そうしてついに去年は子どもたちのユニフォーム…「子ども能Tシャツ」略して「能T」の背中に願成就院のご住職さまに「能」の字をご揮毫頂くご縁に恵まれたのでした。ああ、それならいっそ、と、ぬえが厚かましくもこの地区の祭礼での子ども能の上演をお願いしたところ、快くご承諾頂いて…。あとで気づいてみれば、まさしく ぬえが書いたこの台本の、その事件の現場だったんですね~(遅)

それでは子どもたちの勇姿をご覧ぜよ~


伊豆に流された頼朝(カホ)は政子(ヒトミ)という妻を迎え平和に暮らしていたが、高倉院より源氏蜂起の令旨を受け、山木兼隆を討つ事を決意する


政子も氏の神である八幡神に祝いの舞を奉納する(※史実とは異なります~)


不意を突かれた兼隆(ユイ)


北条時政(リサ)、平家の郎党(イチイ、ユカ)も奮戦


最後は頼朝と兼隆の一騎打ち!(※史実とは…)


終演後はカーテンコールでお客さまにご挨拶!地謡のサラ・ミサト・ケイゴ・サキもがんばりました~

この台本、上演のたびにリニューアルしています。おととしの初演の時には『太平記』や『吾妻鏡』の記述にかなり忠実に台本を書き、頼朝役には後白河の院宣を読み上げるくだりがあったり、記録の通り頼朝は後半の兼隆館の襲撃の場面には加わりませんでした。こういうところ、ぬえは杓子定規で、ちょっとアタマが固い。。

翌年の台本リニューアルに至って、ようやく史実を曲げて台本を作ることが自分に許せるようになって、いまのように頼朝と兼隆の一騎打ちという、まあ舞台としては見応えのある場面を作ることができました。

そしたら今度はタガが外れちゃって。政子に舞を舞わせよう、というトンデモな試みを起こしてしまいました。これ、短縮版とはいえ、ちゃあんと中之舞の一部を舞わせるのです。最初はどうかなあ? と心配でしたが、難なく子どもたちは乗り越えて行っちゃいましたね~…

これに限らず、たとえば地謡も台本をリニューアルする毎に難度を上げております。…というのも、どうも課題を子どもたちに与えると、ま、多少は苦しみながらも、最後はちゃあんと乗り越えてしまいます。これを見ちゃうとね~。ほう…このキッカケを聞いて謡い出す事もできるのか。じゃ、次はノリを難しくしてみよう。この方が面白く聞こえるからな。さあどうかな…?ああ、やっぱり苦しんでるな…。ダメかな?やっぱり。を?? ほう…これも出来るようになったのか。じゃ、この長い引キはどうだろう。。?

ああ、すまん すまん。なんだかみんなを使って実験しちゃってるね、ぬえ。(^^ゞ だってみんな出来ちゃうんだもの。…もう、ほとんどプロの能楽師が舞うような事を要求しちゃってるような…

こうして無事に子ども能の「本公演」は終わりました。願成就院さまに戻って装束を脱いで、終わりの挨拶になりましたが、ぬえはまたしても彼らに「300点」をつけてあげました。

そうして「本公演」ならでは! 子どもたちに ぬえからの「ごほうび」のオモチャが配られました。毎年、これと、クリスマス会やら進級お祝い会を開催しては ぬえ、散財してしまひまふ。(・_・、)

でも今年は大丈夫! 神様、この世に「100均」を与えてくださった事に感謝致します~(^◇^;)


…で、「本公演」の興奮も冷めやらぬままに、じつはもうすでに次の公演のための稽古が佳境に入っています。

今年は公演回数が多いので、次回はなんと! 小学1ねんせいが立ち方を勤めるというっっっ!

その稽古を先日やってきたのですが…大丈夫かなあ。と思っていたのですが。いや、この年齢になると、型を覚えられるか、ということより、ちゃあんと決められた型を、自分のやりたいようにではなく順番通りにやってくれるか、とか、恥ずかしがって急に何も出来なくなるんじゃないかとか、そういう心配もありますので…

結果は…ちゃんと出来ました! しかも、もともと高学年を想定してつけた型を、今回の1年生のために簡単にしたり省略したりすることなく…真相は型を作り直すヒマがなかったのですが…そっくりそのまま要求したのですが、ちゃんとできていました。わがままを言う子も、すねたりする子もなく。

…ほう。これも出来ちゃうのかぁ…(・-・) では次は…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

決算報告書

2011-10-18 08:21:14 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト

宮城県訪問活動(2011年9月26日~30日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     東北大学学会参加者寄付金    53,939円
     匿名個人より寄付          60,200円
     路地裏チャリティイベント収益   10,000円
     玉澤総本店チャリティ収益      5,600円        収入計  129,739円


 【支出の部】
  〈活動費〉
     ◎交通・宿泊費 59,616円
     (ガソリン代              35,066円)
     (宿泊費                18,400円)
     (駐車代                 4,850円)
     (高速代                 1,300円)

   ◎雑費     4,447円
     (電池・ビデオテープ         3,270円)
     (領収証                  127円)
     (湊小学校長土産代          1,050円)       活動費計  64,063円
  〈寄付金〉
    ◎被災者支援団体寄付金      45,000円
     (チーム神戸へ            25,000円)
     (明友館へ              20,000円)       寄付金計  45,000円

                                       支出計  109,063円


 【収支差引残額】                               残額    20,676円

※注※
・同人宿泊費は素泊まりのみに限定。
・食費については旅行がなくても掛かる費用であること、遊興との誤解を招くこと、酒食の区別がつきにくい
 ことから経費として支出しなかった。
・収支差額(20,676円)は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。

                                           以上


平成23年10月18日

                    「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」

                               代表   八田 達弥
                              (住所)(電話)
                               E-mail: QYJ13065@nifty.com




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

活動報告書

2011-10-18 06:50:19 | 能楽の心と癒しプロジェクト
また話題があっちこっち…
昨日は久しぶりのオフ日で、これを利用して先般の「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」石巻訪問公演の報告書と決算書を一気に作り上げました。もう遅すぎるくらいでしたが…。とくに国際学会の会場に募金箱を設置してくださったり、仙台の和菓子店でイベントをまとめてくださった東北大学の方々をはじめ、チャリティ・イベントを開いてくださった方々へは、募金の使途を明瞭にするのが遅れて申し訳ありませんでした。以下はそういった関係者へ送った活動報告書です。
 たぶん、このブログで ぬえが本名を書くのは初めてだと思いますが…(^^ゞ

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト

宮城県訪問活動(2011年9月26日~30日)


 〔活動報告書〕

【趣旨】
 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志3名(※注1)は、すでに8月15日に石巻市立湊小学校避難所にて能楽の獅子舞を披露する活動を行って参りましたが、この度「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト(※注2)」という団体を組織し、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、ゲスト出演の能楽師1名、記録写真撮影のための写真家1名(※注3)とともに去る9月下旬に宮城県を訪問、計5カ所にて能楽の上演を行いました(※注4)。

※注1 能楽師有志は八田達弥(シテ方・観世流)、寺井宏明(笛方・森田流)、大蔵千太郎(狂言方・大蔵流)の3名。今後同人が増加する予定があります。
※注2 この度の訪問の経験をふまえ、団体名は「能楽の心と癒しプロジェクト」(仮称)などと改称する予定があります。
※注3 今回の訪問のゲスト出演者は小梶直人(狂言方・大蔵流)、写真家はY氏(匿名を希望しております)。ともに無報酬での同行です。
※注4 公式な能楽上演場所は1.石巻市立門脇中学校避難所 2.ロマン海遊21(石巻駅市観光物産情報センター) 3.イオン石巻ショッピングセンター 4.玉澤総本店一番町店(仙台・和菓子店) 5.石巻市立湊小学校避難所。


【活動記録】
 9月26日(月)
 八田・寺井・Y氏が先発隊として宮城県入り。Y氏は石巻市内、八田と寺井は南三陸町・歌津崎の旅館「ニュー泊崎荘」に宿泊。

 9月27日(火)
 八田・寺井は早朝、被害が甚大な泊崎漁港の堤防にて鎮魂の祈りをこめて舞囃子『融』の一部を上演。
 その後石巻市内に入り、Y氏と合流後、関係者を訪問。いまだ未確定な上演の詳細を詰める。地元ローカルFM局「ラジオ石巻」に情報を伝えて上演の宣伝を依頼する(その日のうちに3度放送で紹介があったとのこと)。
 上記3名にて石巻市・牡鹿半島~女川町までの被災状況を視察。台風15号の被害により牡鹿半島東岸は土砂崩れのため通行不能で女川町にはたどり着けず石巻市街に戻り、Y氏は市内に宿泊。八田・寺井は松島町の旅館「光」に宿泊。

 9月28日(水)
 深夜に東京を出発した大蔵・小梶と合流。石巻市立湊小学校駐在のボランティア団体「チーム神戸」と市内不動町の支援団体「明友館」に挨拶。また市立住吉中学校に間借りして授業を続けている湊小学校の佐々木校長先生を訪問。先生は我々の活動をすでにご承知で、湊小学校の校舎で授業が再開された際には、今度は子どもたちのために能楽を上演したい旨お伝えし了承を頂く。
 午後、石巻市立門脇中学校避難所にて能『羽衣』の一部、狂言『寝音曲』を上演。住人さんに大変歓迎を受け、また住人のリーダーから石巻市の復旧の現状など貴重な意見を聞く。
 夕方、石巻駅前の「ロマン海遊21」(石巻市観光物産情報センター)にて能『羽衣』の一部、狂言『痿痺』を上演。館内に事務所を置く観光協会から再訪を依頼される。
 Y氏は石巻市内に宿泊、能楽師4名はこの日より湊小学校避難所に宿泊。

 9月29日(木)
 午前中は宿泊している湊小学校避難所の周辺、およびとくに被害が甚大だった門脇地区の被災状況を視察。
 午後、イオン石巻ショッピングセンターにて能『羽衣』の一部、狂言『寝音曲』を上演。イベント担当者より次回の訪問時には優先的に上演枠を与えて頂けるとのこと。石巻市立大川小学校の重大な被害でお孫さんを亡くしたというお客さまが声を掛けてくださり、その鎮魂の意味もこめて舞台を勤める。
 夕方、仙台市内の和菓子店「玉澤総本店 一番町店」の喫茶部にて能『松風』、狂言『柿山伏』の能楽ワークショップ。この公演はかねて八田と懇意の東北大学の長神風二氏が交渉・実現したもので、チャリティ・イベントとして、唯一有料の公演。
 この公演終了後Y氏は東京での用事のため帰京。能楽師4人は湊小学校避難所に宿泊。

 9月30日(金)
 湊小学校にて茶道と曹洞宗僧侶との合同イベント。コーディネートしてくださった「チーム神戸」リーダー金田真須美氏が総合司会となり、能『羽衣』の一部、狂言『寝音曲』を上演ののちお客さまに薄茶がふるまわれ、引き続いて能『松風』、次席の薄茶、狂言『痿痺』、曹洞宗僧侶による果物のサービスが順次行われる。とくに僧侶のみなさんは早くから湊小学校避難所で活動され、茶菓を届けながら住人さんの心のケアに携わっておられたとのこと。近く市内の避難所はすべて解消される予定で、事実上住人さんとのお別れの催しとなったこのイベントは大変華やかなものとなったと確信。
 終演後、活動費など支出を精算、残額の一部を「チーム神戸」および「明友館」に寄付して石巻を出発、各自帰京。


【収入・支出】
 今回の活動資金は 1.東京でのチャリティ・イベント(路地裏de狂言特別公演) 2.横浜で開催された国際学会「第34回日本神経科学大会」の際、大会長たる東北大学・大隅典子先生の厚意により参加者より集められた募金 3.匿名個人よりの寄付金 4.滞在中仙台市内の和菓子店「玉澤総本店 一番町店」で行われたチャリティ・イベントにより、合計129,739円が集まりました。関係者に対し、厚く御礼申し上げます。
 これに対して今回の訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。「災害派遣等従事車両証明書」を取得することで東京~宮城県間の高速道路料金が免除され、宿泊につきましても湊小学校避難所に宿泊させて頂きました。事情により一部旅館を利用しておりますが、この場合も宿泊費は素泊まりに限定し、参加者の食費は一切自費による出費と致しました。記録用ビデオテープや乾電池、領収書、湊小学校長さまへのご挨拶の菓子など多少の雑費はありましたが、活動費の支出合計は64,063円となり、現地で被災者の方々に直接の支援を続けておられる「チーム神戸」「明友館」の2団体に計45,000円の寄付ができた事は望外の幸でした。
 この訪問公演の結果、収支差額として20,676円の残金が出ました。当初プール金などは考えていませんでしたが、次回の訪問につながるチャリティ・イベントの宣伝費用等に多少の資金は必要、という同人の意見に鑑み、この残金は今後の活動資金の一部とさせて頂き、改めまして使途は明瞭に致します。


【成果と感想・今後の展望】
 石巻市を中心に今回計5回もの公式公演を行えた事は予想を遙かに超えた大きな成果でした。しかし実際には石巻という「著名被災地」ならではのイベントの多さや、いまだに続く被災地の混乱により事前には計画は遅々として進まず、東北大学の長神風二氏や、さらに数日前に現地入りして関係者と交渉してくれた同人・寺井の活躍を抜きにしてはこの成功はあり得ませんでした。
 しかしながら実際に上演した5カ所ではいずれもお客さまに非常に喜んで頂く事ができました。これにはとくに同人・大蔵の司会の話術が寄与したと思いますが、今回はじめて能と狂言とを本格的に近い状態でバランス良く上演することで能楽の「癒し」の心を伝えることができたのではないかと思います。とくに門脇中学校避難所では終演後に住人さんのリーダーから果物を振る舞って頂き、そうして避難所から帰る時には住人さんから立ち上がっての拍手を頂戴しました。これはあとでリーダーさんからこの避難所ではおそらく初めての反応と伺い、ありがたいことだと思います。避難所ではこのほかにも感謝のお言葉を度々頂戴し、また開催させて頂いた施設の担当者の方々からは再訪しての出演を依頼されたりと、次回の活動に向けての手応えを感じることができました。
 被災地の復興の状況は、市街地では着実に進んでいながら、そこから少し離れた地域では6ヶ月前とほとんど変わっていない状態。これに対して被災者支援については、今回の訪問公演終了後の10月11日までに石巻市では避難所を完全に解消し、仮設住宅に移行するなど大きな転換点に差し掛かっています。
 ボランティア団体も活動拠点を新たに立ち上げることになり、仮設住宅へ移られた被災者への対応はかえって困難となり、食料支援や住人の孤立や孤独の問題に対して長期間の取り組みが必要になると思われます。
 一方、今回の訪問で新たに多くの方々と知り合いとなることができました。。いま「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」では年末~来春頃を目標に2度目の訪問公演を計画しております。これらの新しい出会いから我々の活動も新たな展開を遂げ、息の長い支援が続けられるよう意気込みを新たにしております。どうぞ今後も変わらぬお力添えを賜りますよう伏してお願い申し上げます。



平成23年10月18日

                    「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」

                               代表   八田 達弥
                              (住所)(電話)
                               E-mail: QYJ13065@nifty.com

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


 なお、上記活動報告書には記しませんでしたが、ぬえが指導する「伊豆の国市子ども創作能」の出演者(小学生)のお母さん方から新鮮な野菜が寄付され、「明友館」を通じて被災者に配布されましたことを併せてご報告させて頂きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子ども創作能「本公演」…感無量!(その3)

2011-10-17 01:22:47 | 能楽
どうも話題があっちゃこっちゃですけれども…また伊豆の国市の子ども能の話題に戻って。

そうそう、今日は次回の公演まで稽古日が少々足りないようでしたので急遽 稽古日にして伊豆に行って参りました。そしたら、たまたま隣のホールで大仁中学校の吹奏楽部の演奏会が開かれていまして…ああ、子ども能を卒業したOGの中には、この学校のこの部活に入って活躍した子も何人かいるなあ…それももう高校生だから、今日は来ていないだろうが…。と思って、演奏会は見ずに稽古場に戻りましたのです…が。

そのOGが二人も稽古場に姿を見せました! なんでも後輩の演奏会にはちゃあんと顔を見せていて、そしたら隣の公民館から聞き覚えのある声で能の指導をしている様子が聞こえてきたので、わざわざ挨拶しに来てくれた、とのこと。「最近すっごく能を見たいんです」なんて言ってくれる。ん~、子ども能も上演の機会が増えたし、来年あたりOB・OGに連絡を出して ちょっとした役で出演させちゃおうかなあ!

さて先週の公演のご報告の続きです。

願成就院さまの本堂を拝借して子どもたちの着付けを終えて、さて ぬえも守山八幡宮で三番叟を拝見して、その運動量に驚愕していました。そして いよいよ子ども能の出演時間となりました!

…が、今日はその前に守山八幡宮さまへ一同でお祓いを受けた様子や、願成就院さま本堂での着付けの様子など。写真家のY氏が急いでくださり、写真も出来上がって参りましたので、まずはそのご紹介から~

今日もお揃いの「子ども能Tシャツ」で集まってくれました~



そうして守山八幡宮さまにてお祓い!



さて願成就院さまに戻って着付け開始です。



上は兼隆役の唯。下は北条時政役の里咲。
なかなか決まってますっ



ちなみにタイトル画像は…題して「オマエら何やってる…」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

演劇倶楽部「座」~詠み芝居『歌行燈』

2011-10-15 03:46:30 | 能楽
去年からずっと、1年間を通して謡と仕舞、それから小鼓の稽古をつけて参りました 演劇倶楽部『座』の俳優さんたち。ついに稽古も仕上がって公演を迎えることとなり、ぬえも稽古の見学に行って参りました。

上演作品は泉鏡花の『歌行燈』で、それを「詠み芝居」という独特の形式で上演するのがこの劇団の特徴的なところです。「詠み芝居」とは原作となる小説などを、そのまま上演する…つまり新たに台本を書き起こすのではなくて、ト書きまで含めた原作をそのまま台本とするのです。…圧倒的に精緻な読み込みがなければこれは成立しますまい。

でも、去年はじめてこのお稽古の話を頂いたとき、すでにこの劇団は『歌行燈』を上演していまして、その上演の模様を納めたDVDを渡されました。その録画がすでに衝撃的。…白状しますが、国文学科だった学生時代に ぬえがこの小説を読んだ時は…正直、ちんぷんかんぷんでした。おそらく能と出会ってまだ日も浅い頃だったと思うし、鏡花の、あの何とも言えない擬古体調の文体…いや、擬古体それ自体なら好きなんですけれども…が妖しすぎて、当時のお子ちゃま ぬえにはちょっと無理かな~~?という感じでしたかね。ああ、ダメなら残していいのよ? でも牛乳はちゃんと飲みましょうね~。

それがこのお芝居を見て、ようやく小説全体の構造が見えたのでした。なぜ『東海道中膝栗毛』なのか。なぜ舞われる仕舞が『玉之段』なのか。ちゃあんとそれぞれに意味があったのですね。泉鏡花は知的な人だったとは思うけれど、こんなにも考え抜かれた展開でストーリーを作っていたのか…絶句。…そうして何よりも、この劇団が『歌行燈』を上演するにあたって、そこまで精緻な読み込みがなされている事にまた絶句。能楽師も、この徹底的な読み込みの姿勢は見習わねばならないと思います。

さて、そういうわけで上演間近になって稽古に参加した ぬえでありましたが、まあ、お芝居の稽古なんて参加したのが初めてだったもので、これまた、それはそれは衝撃的でした。能の世界とはまた違うリアリズムの世界…これはこれで とっても面白いものでした。迫力ももちろんあるし、それがまた能の迫力とはちょっと方向性が違う感じが新鮮でした。











とくに感じたのは、主役以外であっても役者さん個人々々が、それぞれそこに佇んでいる、その「たたずみ方」を徹底的に追求しているんですね。お稽古では監督さん(座長の壌晴彦さん…ぬえはセンセと呼んでおります)が指導するのに、それを「空気感」と表現していましたが、それぞれの場面に合わせて、その展開に応じてちょっとした反応をする…あるいはわざと反応しない、ことで、その場面全体を作り上げる、という。能ではツレがこれに相当するでしょうが、能の行き方であれば、ツレはほとんどの場合「無機質」であったり、場面によれば「気配を消す」ことが要求されて、これによって、シテの演技を際だたせる方向に向かうわけです。地謡も囃子方も、最低限以上の動作は厳しく戒められているのも同じ理由に拠るのでしょう。

結果的にリアリズム演劇も能も、どちらもこれらの役者の動作は主役の演技の補強に寄与するのが目的であろうけれども、リアリズム演劇はもっと場面全体の雰囲気を広く捉えているのに対して、能はシテの心理描写を集中的に描き出すことによって、お客さまの個々の心に共感を促す、という手法を採っているのでしょう。主役というのも演劇では場面々々に中心となる人物が違う…あるいは複数存在するのに対して、能はあくまでシテ一人ですね。能が群像劇であることを極端に嫌うのは注意すべき点でしょう。

ともあれ端役に到るまで存在感を追求して場面を構成する、その役者の緊迫感はただならぬものでした。そうしてその演技に対して監督から「それは説明的過ぎる」…などの指示が飛ぶのでした。このへんもちょっと能と違うかな。話が長くなるので割愛しますけれども、やはり演劇では監督・演出家の意図のもとに劇は作り上げられます。能ではシテ中心主義とは言われるけれども、実際には囃子やワキ、狂言にいたるまで、それぞれの役者が曲に対する基本的な捉え方を共有していますね。それから極端に逸脱すれば、申合の時点で共演者からも異論は出るし、まずはその前に流儀の中で…すなわち師匠から修正は加えられる。この共有するべき曲のイメージというものを、若年のうちから地謡の末席に座ったり、囃子方ならば後見として本役の後ろに座って師匠や先輩の演技をつぶさに見て学び、その世界観を共有するわけです。もちろん能でも役者の工夫などが禁止されているわけではないのですが、曲のイメージを共有するのは絶対条件で、それぞれの役者はそれぞれの役割によってそこから逸脱しないように、その曲を最高の作品として仕上げるように工夫を加えるのですね。

さてこの演劇倶楽部『座』の「詠み芝居 歌行燈」ですが、もう最高に素晴らしい出来映えです。そうして役者さんたちも圧倒的な技術力!ぬえも2回は見に行くつもり。どうぞみなさんもご覧になって頂ければありがたいです~

演劇倶楽部『座』サイト

詠み芝居 歌行燈

構成・演出 壤晴彦
音楽・演奏 中村 明一(尺八)
振付 林 千永

キャスト
門附        森 一馬/高野 力哉[ダブルキャスト]
お三重       相沢 まどか
捻平        内山 森彦(コスモプロジェクト)
弥次郎兵衛     真船 道朗(フリー)
饂飩屋の亭主    山 春夫
饂飩屋の女房    輪 眞知子(浅野川倶楽部)/秦 和子[ダブルキャスト]
湊屋女中・お千   五十野 睦子/冨田 美恵子[ダブルキャスト]
湊屋小女・喜野   大坂 優
按摩        佐藤 光生
若衆        忌部 祥
新地の姉さん・語り 溝上 伊都子
宗山・語り     壤 晴彦

公演日程
【金沢】
10月18日(火) 石川県文教会館
【京都】
10月19日(水) 京都府立文化芸術会館
【徳島】
10月20日(木) 徳島県郷土文化会館
【広島】
10月22日(土) 南区市民センターホール
【東京】
10月25日(火)~30日(日) エコー劇場(恵比寿)

料金
ツアー公演料金(金沢、京都、徳島、広島)
(全席自由・税込)
前売4,000円
当日4,500円
学生3,000円(前売当日共)
東京公演料金
(全席指定・税込)
前売5,000円
当日5,500円
学生3,500円(前売当日共)

スタッフ
美術 大田創
音響 寺田泰人(SCアライアンス)
照明 望月太介(A.S.G)
舞台監督 加藤事務所
衣裳 山口徹(東宝コスチューム)
謡・仕舞・鼓指導 ぬえ(観世流能楽師)
宣伝美術 久末冴子
チラシ挿絵 大竹明
企画・制作  演劇倶楽部『座』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子ども創作能「本公演」…感無量!(その2)

2011-10-13 07:58:06 | 能楽
子ども創作能の話題に戻って…

願成就院さまの本堂を拝借して子どもたちの装束を急いで着付け、せっかく守山八幡宮の祭礼の場に出演させて頂くのだから、神社の境内に行ってその祭礼に参加するよう子どもたちに言いつけます。

…やがて始まる「三番叟」。

じつは子ども創作能が地元の神社の祭礼に出演しているのには意味がありまして、これは子ども創作能の実行委員会の方々の意向により、地元のいくつかの神社に伝わる神事「三番叟」と「子ども創作能」とを競演させる、という意図があるのでした。

もともと伊豆には金山があり、かつて幕府の金山奉行を一手に任されていた大久保長安が伊豆の金山奉行を勤めていた時期があります。長安はもともと猿楽師の家系の出身で、そのため彼の赴任と同時に当地にも猿楽が伝えられ、それが現在伊豆各地の神社に神事として残る「三番叟」として残っているものなのだとか。全国各地に「三番叟」…要するに能の『翁』の古態である「式三番」が郷土芸能として残っていますし、また、そもそも『翁』は猿楽の専売特許ではなく、その大成よりずっと以前から、とくに農耕集落における神事として広く国内全体に定着している神事芸能ですから、とくに長安が直接伝えたとも言い切れないのだけれども、金山がある地方には幕府直轄の代官所が置かれて、中央との往来も頻繁だったでしょうから、伊豆に赴任してきた奉行の代官らが能を伝えたことは十分に考えられることですね。

ともあれ、こうして古来から地元に伝わる、能がそのルーツと考えられる郷土芸能と、次代を担う子どもたちが同じ日本の伝統芸能を通じて交流し、刺激し合うのはお互いのために画期的な計画だと言えるでしょう。伊豆で ぬえが見てきた限り、伊豆の国市では5カ所の神社で伝えられる「三番叟」で千歳・翁・三番叟にあたる役を勤める演者は、その地区の名士、または定められた特別の家系の人に限られる、地区にとってきわめて重要な人物。ところが近年ではご多聞に漏れず後継者に悩む事態も起こり始めているのだそうです。

こうした中で子どもたちの創作舞台とが競演することで、子ども能の出演者の子どもたちは言うに及ばず、祭礼を見に来たその地区の子どもたちにも伝統芸能や…ひいては地域の伝統文化に対する関心を呼び起こすことにも繋がることでしょう。

さて、子どもたちの着付けを終えた ぬえも遅ればせながら上演会場である守山八幡宮に向かって「三番叟」を拝見することにしました。

去年、大仁神社で拝見した「三番叟」では舞を舞うのは稚児でしたが、こちらは『翁』でいえば千歳・翁・三番叟に相当する役は大人が演じていました。大仁と共通するのは顔を白く塗っていることで、近世に歌舞伎の影響を受けた、と言われているのと関係があるのかしらん。しかし、古来 汚れのない稚児は神の使い、とする信仰はありますし、大人が顔を塗ることも肉体を覆い隠して神の寄り代となる意味が込められているのかも。

それにしてもこの「三番叟」…ぬえが拝見したときは『翁』でいう三番叟の「揉之段」の最中でしたが、これは とてつもなくスゴイ運動量でした。やがて「揉之段」が終わると三番叟の役者は一旦クツロいで…黒式尉の面を掛けます。その時には役者さんは、もう息も絶え絶え…。水をもらって、相当に苦しい表情で、さて面を掛けました。この面のかけ方も、1本の面紐を二重に結ぶ独特の締め方でしたが、面を掛けて息が苦しいでしょうに、さらに「鈴之段」が舞われたのでした…

【参照】

伊豆の国市観光協会ブログ
道の駅・伊豆のへそ駅長ブログ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石巻・湊小学校避難所が閉鎖

2011-10-12 00:22:16 | 能楽の心と癒しプロジェクト
子ども創作能のご報告の途中ですが…

8月末日の夏休みが終わる時に、とかずっといろいろと言われてきました石巻市の避難所の閉鎖。ついにその日を迎えました。市ではこの日を以てすべての避難所を閉鎖しました。

ぬえが何度もお邪魔した湊小学校に駐在するボランティア団体は近所に別の拠点を構えて活動を継続。つい先日 能楽ワークショップを行った門脇中学校からは、ぬえらが東京に帰った直後に住人さんのリーダー格の方からのお知らせで、その会場となった体育館は学校に返上し、残った少数の住人さんは1階に移動、それも10日までに公民館に移って、完全に学校から退去するとのことでした(リーダーさんご自身も仮設住宅に入られた由)。最初は冗談で言っていたのに、ぬえらの「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」の活動は、はからずも本当に最初で最後の避難所での能楽の上演となったようです。


(写真は明友館サイトより拝借)

一時は200カ所以上、5万人の命のよすがとなった石巻市の避難所。もとより一時的なシェルターであり、そのご仮設住宅の建設や住宅の補修によって生活の場を再建し、やがて生活そのものを自立させるための一時的な施設であったのは事実なのですが、ぬえが6月から見てきた実態は、そのスケジュールの実現への期待とはかけ離れたものでした。

ぬえがお世話になった湊小学校では、震災時 数百人の避難者を収容し、その1週間後に予定されていた卒業式は延期を余儀なくされ、3月末にようやく図工室で行われた卒業式では自衛隊が見つけだした金庫に納められていた泥だらけの卒業証書が、この災害を記憶にとどめるために、あえてそのまま子どもたちに手渡されたそうです。その後も学校の再開は成らず、子どもたちは毎朝校庭に集まっては、バスで市内の住吉中学校の中に同居する形となった臨時の湊小学校に通うことになりました。

ひとつの校舎に小中ふたつの学校。どうしても無理はあり、中学校の行事の都合によっては小学校の体育の授業が公園で行われたりもした、と、同校でずっと撮影を続けるカメラマンの加藤さんから伺いました。ぬえが先日住吉中学校に伺った際も、湊小の子どもたちは明日から1泊の修学旅行だというのに、その前日に運動会の予行演習をしていました。



こうして学校の機能が失われ、震災の影響でスケジュールも崩れて、子どもたちも大変に窮屈な思いをしているわけですが、一方避難所となった湊小学校では…。ぬえが初めて訪れた6月には150名ほどの住人さんがおられました。その後の8月にも100名強、そして9月末には70名ほどの住人さんが残っておられ。着実に住人さんは定住の地を見つけて避難所を去られていました…が。ぬえがお会いした、避難所に残された住人さんは圧倒的に高齢者が多かったです。中には階段を上ってご自身の居室に向かわれるのも大儀そうな方も。仮設住宅に入って、生活を自力で再建する、という計画は、果たして誰にもあてはまるものなのか…

そうして仮設住宅はプライバシーは守れても、反対に「孤独」と向き合わざるを得ない二律背反な命題を抱えることにもなります。現実に、6月に避難所の掃除をしていた ぬえの耳に、さきほど笑顔で「ありがとね」と声を掛けてくださった おばあちゃんが、あちらで住人さんと話す声が聞こえてきました。「…私、いまは気が張っているけれど、ここを出たらどうなっちゃうかわからない…」……

食料の問題も深刻です。避難所では配食があるのですが、ぬえが最初に見た6月では自衛隊の炊き出しがあり、その時の食事はコンビニ弁当程度のものは用意されていました。意外に食事には問題がないようだ、とその時は感じたのですが、その後自衛隊が去った後の8月と9月の訪問では、どちらもパンか おにぎりにパック飲料、そうして果物がひとつ付くかどうか、という ひどい有様でした。炊き出しというのは本当に大変な作業で、工場で作ったパンなどを配るのが現実的なのでしょう。9月の訪問では、ぬえらの能楽の上演のほかのイベントといったら、ピザの炊き出し、うどんの炊き出し…炊き出しがすでに「イベント」と化していました。


(湊小学校体育館…配食準備を終えたボランティアさん)

この粗末で不健康な食事…しかし、9月当時で市内には1万人の食事の配給を必要としている人がいました。こうした食事のレベルで1日ひとりあたり千円の予算なのだそうで、ところがこの大量の被災者にすべて配食すると、1日に掛かる費用は1,000万円…ひと月で3億円の資金が必要という計算…。やはり各自が生活を再建するよりほかに手だてはないのか…? しかし雇用は民間の問題であり、そうして沿岸部の企業は壊滅に近い状態。そのうえ深刻な地盤沈下で旧北上川流域の河口部では数10cmも増水したらたちまち重大な水害になることは容易に想像できる有様。そうでなくても下水道の被害による日常的な冠水…生活を再建しようにもどこを見ても矛盾と、山積した問題ばかりなのだ、ということがわかります。







避難所が解消され、仮設住宅には行政による食料支援は行われないとも聞きます。しかし現実には仮設住宅への移動が生活の再建の1歩になっているとはとても言えない現状も数多くあるわけで、これからは ますます民間のボランティア団体の活動が重要になってくるでしょう。その援助は食料にとどまらず、「孤独」の問題に対処するために戸別の訪問をして安否を確認するなど、これまでよりも困難で精緻な作業が重くのしかかてくるものと思われます。

6月に初めて石巻の被災者支援団体「明友館」に伺ったとき、リーダーの千葉恵弘さんから「被災者への支援は数年間は続けなければならないでしょう」とお話を伺いましたが、それは仮設住宅へと住人さんが移ったことで、避難所とは比べものにならないほど難しい作業になる事をも同時に意味していたのでした。

いま、我々に何ができるか…? やはり原発ばかりでなく、広く被災の実態を忘れず、その現状を把握して、支援を…できれば赤十字などの大口の団体ばかりではなく、こうした草の根の活動をしている民間ボランティア団体に直接支援を行うことだろうと ぬえは確信します。そのために、こうした団体も国民に広く活動を認知できるような、そんな、ひと目でわかりやすい支援のシステムができればな、と ぬえは思います。今回の訪問でも何人かのボランティアさんとはそういう話をしたのですが、果たしてこれから、避難所を離れて活動する民間支援団体が連携できることを期待しています。

ぬえら「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」も、活動の場は以前とはずっと違ったところになるでしょう。でも、少なくとも学校がその本来の機能を取り戻し、子どもたちの笑顔がそこに戻ることは、やはり大きな1歩と考えなければ。ぬえたちも、以前のように学校の中で子どもたちに能楽を見せてあげたいと思っています。

最後に、今回は湊小学校とその周囲を見て頂こうと思います。

石巻市立湊小学校は市街中心部からほど近いとはいえ、旧北上川を隔てた対岸に位置しています。以前にも市街地から離れた地区は瓦礫の撤去や建物の取り壊しなどの作業が遅れている、ということはご報告したと思います。被害が甚大だった門脇地区では道路にアスファルト舗装がされるほど復旧作業が進んでいたのに驚きましたが、川ひとつを間においた湊地区では震災から7ヶ月を経た現在でも、漁船が陸に乗り上げ、破壊された建物がそのまま残されています。湊小学校に通う子どもたちは、今でもこの景色を見ながら通学している…

石巻・湊地区(9月29日)


それでも ぬえに大きな衝撃を与え、経験を積ませて頂いた湊小学校。ここで出会ったボランティアさんや住人さんからは人間の偉大さ、崇高な心を まざまざと感じました。



湊小学校、ありがとう! いつかまた訪れることができますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子ども創作能「本公演」…感無量!(その1)

2011-10-11 01:09:47 | 能楽
土曜日は伊豆の国市の「子ども創作能」の本公演でした。本公演、というのも、今年子ども能の公演は市内で5回もあるのですが、これがなかなか予算不足で…お囃子方の来演をお願いできるのはただ1度しかないのです。

それにしても今年の「本公演」はすごかった! 以前から ぬえは願成就院さまに参詣を重ね、2度に渡って子どもたちを連れて謡の奉納に行ったり、また厚かましくもご住職さまに「子ども能Tシャツ」の背中に「能」の文字をご揮毫願ったりして…まあ、ちょっと ぬえのムリヤリ押し掛け風ではありましたが、ずっと懇意にして頂いた縁がありました。こうしてお寺に隣接する「守山八幡宮」の祭礼の場での上演を希望して、これらの寺社がある「寺家」(じけ)地区の区長さんに突撃訪問を敢行し(またムリヤリかい…)、ついに土曜日の上演の実現に漕ぎつけたのでした。

ところが後になって聞いたところでは…「よく守山八幡宮が上演を許したね」「願成就院さまもご機嫌をそこねると難しいはずなのに…」と、なんだか怖いようなお話も…。でも ぬえたちはこの地区からしたら よそ者のはずなのに、そうして祭礼に無理に割り込んで上演させて頂く立場なのに、事前のご挨拶から当日まで、とても親切にして頂いております。

もともと、願成就院さまは北条時政の願により建立され、運慶の仏像をいまに5体も伝える由緒正しい…伊豆半島きっての名刹。そして守山八幡宮も北条の氏社として崇敬を集め、頼朝の挙兵の際にも戦勝を祈願した由緒正しい霊社です。それは ぬえも知っていましたので、伊豆にお稽古に行く時には参詣を欠かさないようにしております。信仰はとくに持っていないけれど信心は持っている ぬえ。神社にはお願いをしに行くところではないのだけれど、必ず子ども能の成功を見守って頂くようお願いします。神様にも郷土愛はありますからね。

寺家区長さまを突然訪問し、祭礼への子ども能の出演をお願いした際も、こんな ぬえの考えもあって祭神への敬意を子どもたちに徹底して、祭礼当日にはお祓いも受けさせることを申し出ましたところ、快くお許しを頂くことができました。それどころか願成就院さまは子どもたちの着替えの場所に本堂を提供して頂き…当日は地区の方々から子どもたちへ飲み物やお餅の差し入れまで頂き…なんだか とっても愛して頂いています~

さて祭礼の前日の朝に、改めて区長さんのお宅にご挨拶に伺うと、すでに祭礼の準備に守山八幡宮にお出かけとのこと。行ってみると…おお、すごいすごいっ、参道には紙の灯籠が並べられ、大きな幟が立てられ、鳥居には国旗が掲げられ、境内にも舞台にも紅白幕や紋幕が飾られています。この灯籠…夜はさぞ美しく引き立つでしょう。







区長さんへのご挨拶を済ませ、翌日のお祓いなど神事への子どもたちの参加についてご注意などを頂きましたが、あまりの壮麗な設えに心奪われ、子ども能15分だけ、とお許しを頂いていた祭礼への出演ですが、急遽 ぬえも5分間だけ舞を奉納させて頂きたい! と…これまたムリヤリなお願いをしました。区長さまは苦笑いで許諾…ああ、ぬえってなんて無礼っ (;>_<;) でもっ、でもっ。ここで ぬえも舞いたいんですぅ。

こうして、呆れる地区の皆様から逃げるように ぬえは子どもたちの最終稽古へ。装束合わせも、それからお囃子方が到着されての申合も順調に進み、そうして祭礼の…子ども能上演の当日を迎えました。

まずは朝9時に八幡宮さまの前に集合しましたが、すでに御神輿も登場、子供会も大盛り上がり。「子ども能Tシャツ」で集まった我々はちょっと異様かなあ? やがて神主様が舞殿と呼ばれる舞台の後方の急な石段を登って拝殿に向かわれると、地区の方々がスーツ姿で従われます。神主様の袍は黒色。まさに威儀を正しての参詣で、それだけ地区でこの祭礼が大切にされているかが分かります。



指示された通り ぬえたち子ども能の参加者はその後をついて石段を登り、そうして ぬえたちは拝殿の外で待機して、地区の役員さんや三番叟の出演者の皆さん(後述)は拝殿の中にて礼拝されたのでした。やがて神主様は拝殿の入口まで出御なされ、子どもたちにお祓いを頂き、さて子どもたちは願成就院さまに戻って、いよいよ装束の着付けを始めたのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改めまして…3度目の石巻市訪問(その3)

2011-10-06 01:37:03 | 能楽の心と癒しプロジェクト
では今度は元気が出る写真をいくつかご紹介。

ぬえたちが泊まらせて頂いた湊小学校避難所の音楽室に残る壁画の数々。
ぬえは震災後の6月に初めて湊小学校を訪れ、1日かけて学校の廊下掃除のお手伝いをしたのですが、それも終わりに近づいた夕方、どうもあちこちから「今日は音楽室でコンサートがある」という会話が耳に入ったのでした。ちょうど掃除もその音楽室の前で終わろうとしていましたので、恐るおそる音楽室を覗いてみたところ、テノール歌手でボランティアで被災地を訪れてその歌声を披露しておられる小栗慎介さんが、まさにこれからコンサートを開こうとしておられるところでした。

ぬえはこれで湊小学校ともお別れでしたから、素性を話して小栗さんの登場前の前座に10分ほど舞を舞わせて頂けないか、とお願いしたところ、小栗さんは快く承諾。考えてみればこれが ぬえが仲間の能楽師と湊小学校を再訪したそもそものきっかけになりました。小栗さんに感謝。

こんなわけで ぬえにとっては思い出深い音楽室ですが、避難所としては一時的な滞在をするボランティアの寝所となっていました。今回の ぬえたちもここに布団や寝袋を持ち込んで休ませて頂いたのですが、見ればホワイトボードに色々なメッセージが。



津波から湊小を守る「その子ども」



世界は「その子ども」





そうして廊下や階段、体育館…いたるところに住人さんたちを励ますために全国から寄せられた激励の言葉。







これらの寄せ書きなどは正面昇降口にも飾られていましたが…もう避難所も閉鎖が近いということで、ボランティア受付テントもないし、昇降口の中もずいぶん寂しい感じになっていました。





トップ画像は体育館のステージです。「あなたへ」。

そうして、それでも毎日早朝に湊小に集まるボランティア・バス。泥かきや瓦礫撤去のために、震災から半年が過ぎた今も続々と集結しています!



すごいぞ! 日本人!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改めまして…3度目の石巻市訪問(その2)

2011-10-05 03:06:09 | 能楽の心と癒しプロジェクト
9月27日

この日は前述の通り、滞在中の催しの関係者の方にご挨拶したり、また飛び込みで上演をお願いしたり、と忙しく立ち働いていました。おかげさまでこの日にいくつもの上演の機会が決まって、ようやく胸をなで下ろしたような有様。午後もかなりまわってから、前回は女川までしか訪れなかった牡鹿半島を視察しました。前回は南三陸の方から南下する感じで女川まで行ったのですが、このたびは石巻から牡鹿半島の西側を行き、ぐるっと廻って女川に到るルートを選んでみました。



…もう、いきなりこんな感じ。震災から半年を経て今回は市街地ではだいぶ瓦礫の撤去が進んでキレイになっていましたが、それだけに地盤沈下の深刻な影響があちこちで強烈な印象を ぬえに与えました。ここはもとは漁港だったのです。船を係留する大きなフックが並んでいる、ここから先が海だったのですね…

こちらは鮎川浜の少し手前の地域。同じく水没した港湾施設。



崩れてしまった家…じつは平屋ではありません。1階が完全に潰れてしまって、そのうえにまるでこれが1階であるかのように、2階部分が乗っているのです。



こちらは鮎川浜。このあたりの被害は甚大でした。海に没した…これは道路なのです。向こうに盛り上がって見える部分が橋で、小さな川が海に注ぎ込むところに架かっていました。そこを越えてこちらに向けて通じていた道は、いまは海の中に通じる道になってしまいました。周囲の家屋も壊滅状態…





牡鹿半島の先端にある御番所山から見た金華山。うっとりするほど美しい眺め。でもこの近くの展望台には大きな地割れが…あちらも無傷ではありますまい。



ここにはかつて大きな施設があったのか、巨大な駐車場だけが残されているような場所。いまは瓦礫置き場となっています。こういう風景はあちらこちらにあって、その巨大さにもあきれるのですが、今後、これらの瓦礫を再利用するための選別は…手作業で行うほかないのだそうです…



ところが、こうして半島の東側に廻ったところでいくばくもなく、道路は台風による土砂崩れのため通れない状態でした。



この現場に近づくまでも、道路が片側車線だけ倒木でふさがっていたりする箇所はいくつもあったので、イヤな予感はあっったのですが、道に通行止めの看板さえない。市街地から見れば牡鹿半島は僻地で、まだまだ復興どころか、瓦礫の撤去どころか、道路の保全さえも捨て置かれている現状が、ここにはありました。

こうして、もと来た道を引き返して石巻まで戻りました…が、途中で野生の鹿が レイちゃん(ぬえの愛車)の前を横切りました! さすが牡鹿半島! …横切ったのは牝鹿でしたけどね。

ようやく鮎川浜の「おしかホエールランド」まで戻ったとき、美しい夕焼けを見ました。夕闇の中に周囲の光景が沈んでゆくと…ああ、平和なんだなあ…と、思いこみたくなりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする