ぬえがもう長年指導を続けています静岡県・伊豆の国市の「子ども創作能」の出演小学生のママさんから1通のメールが。なんでも静岡県のテレビニュースで、伊豆の国市にある名刹・願成就院さまにおわす仏像が国宝に指定されることになった、と報道されている、とのこと!
YOMIURI ONLINE/ 願成就院・運慶作仏像5体 国宝指定へ
ん~、そうでしょうね~。あんなにスゴイ み仏たちですもん。
願成就院さま、子ども創作能には ゆかりの深いお寺です。伊豆きっての名刹ですが、毎年みんなで参詣して舞台の成功祈願をしますし、そのおり小崎祥道ご住職さまには子どもたちのために法要を営んでくださり、また当地の歴史について子どもたちに易しくお話しを頂いておりまして、子どもたちには身近な存在でしょう。
それどころか~~。子ども能の保護者の中に願成就院さまの檀家の方がおられて、そのご縁から小崎住職さまに「能」の字をご揮毫願うことになりまして、ご住職もこれを快諾、それが現在の子ども能の「制服」みたいになっている「子ども能Tシャツ」略して「能T」の背中に鮮やかに映えていますのでした~
考えてみると ぬえもずいぶん無茶なお願いをしたものだと思いますが、このご縁で小崎住職さまとは以後懇意におつきあいさせて頂いておりまして、昨年お嬢さまが結婚された折にはお祝いの舞を所望頂きました(その日はあいにく ぬえは公演の都合で出席できず、代役の能楽師を立てさせて頂く失礼になってしまいましたが。。)。
それにしても願成就院さまの み仏たちは素晴らしい作です。み仏なんだから作の優劣を論じちゃいけないですけれども、ぬえが心酔する運慶の真作で、阿弥陀如来、毘沙門天、不動明王、その眷属の矜羯羅童子制多迦童子の両脇侍の、なんと5体もの、いずれも見る者の心を奪うほどの見事な尊像。子どもたちの稽古に通っている ぬえが初めてこの尊像を拝見したときは驚愕でしたね~。正直言って、なんで関東の片田舎(失礼!)にこれほどのスゴイものがあるのかと思いましたが、頼朝の、また北条の力が当時いかに大きいものだったかを初めて肌で感じた瞬間でもありました。
もうひとつには、この尊像が重文の指定を受けていることに違和感も。。これほどのものであれば国宝であってもおかしくないでしょう。そう思った ぬえはその後も当地ではずっと「いずれは必ず国宝になりますね」と広言していましたが、まさかこんなに早くそれが現実になるとは思いませんでした。やはりちゃんと見る目を持った人はいるんですね~。いや、ぬえがこの尊像を見てからこんなに早く、とは思いますが、戦後の新制度で旧国宝が新国宝と重文に分けられた際になぜか重文にされてしまった尊像の歴史から考えれば、今回の国宝指定は遅かったのかもしれませんが。
さてその後、前述のように毎年子どもたちを連れて参詣に訪れて、小崎ご住職さまに親しく子どもたちに声を掛けて頂いたり。。またあつかましくも本堂を楽屋に使わせて頂いて、お隣りの守山八幡宮さまで奉納上演をさせて頂いたりしております。ご住職さまにも子ども能を温かい眼でご覧になって頂いて、みんな幸せだと思います。
ともあれ、願成就院さまは北条時政の願による建立で、その成就を祈念した願とは、自分の娘婿である頼朝が異母弟の義経を攻める奥州討伐の成功でした。頼朝は同じく異母弟の範頼も当地のすぐそばの伊豆・修禅寺に幽閉して謀殺しているといわれていて、いわゆる歴史の暗部なのですが、それらを引っくるめて子どもたちには伝えるようにしていますし、子ども能の経験から子どもたちも自分で歴史を調べて、ショックを受けたりしていますね(笑)。
こんなわけで ぬえが通う伊豆の国市に吉報がもたらされたわけですが、考えてみると伊豆にある国宝はMOAの紅白梅図屏風などや佐野美術館にある薙刀で、いずれも美術館が収集したものなので、800年前から当地にある願成就院さまの尊像は特別な意味を持つと思います。。あ、もう一つあった。三島大社に梅の蒔絵の手箱がありますね。三島大社は伊豆国の一宮なので宝物があるのは当然ですが、じつはこれ、北条政子の奉納、と伝えられているもので、内容物の鏡や櫛などが揃った最も古い品なのだそうです。ここにも頼朝と北条の影響が。長い歴史の間にこうした素晴らしい文化をちゃんと保存してきた先人に敬意を表します!
YOMIURI ONLINE/ 願成就院・運慶作仏像5体 国宝指定へ
ん~、そうでしょうね~。あんなにスゴイ み仏たちですもん。
願成就院さま、子ども創作能には ゆかりの深いお寺です。伊豆きっての名刹ですが、毎年みんなで参詣して舞台の成功祈願をしますし、そのおり小崎祥道ご住職さまには子どもたちのために法要を営んでくださり、また当地の歴史について子どもたちに易しくお話しを頂いておりまして、子どもたちには身近な存在でしょう。
それどころか~~。子ども能の保護者の中に願成就院さまの檀家の方がおられて、そのご縁から小崎住職さまに「能」の字をご揮毫願うことになりまして、ご住職もこれを快諾、それが現在の子ども能の「制服」みたいになっている「子ども能Tシャツ」略して「能T」の背中に鮮やかに映えていますのでした~
考えてみると ぬえもずいぶん無茶なお願いをしたものだと思いますが、このご縁で小崎住職さまとは以後懇意におつきあいさせて頂いておりまして、昨年お嬢さまが結婚された折にはお祝いの舞を所望頂きました(その日はあいにく ぬえは公演の都合で出席できず、代役の能楽師を立てさせて頂く失礼になってしまいましたが。。)。
それにしても願成就院さまの み仏たちは素晴らしい作です。み仏なんだから作の優劣を論じちゃいけないですけれども、ぬえが心酔する運慶の真作で、阿弥陀如来、毘沙門天、不動明王、その眷属の矜羯羅童子制多迦童子の両脇侍の、なんと5体もの、いずれも見る者の心を奪うほどの見事な尊像。子どもたちの稽古に通っている ぬえが初めてこの尊像を拝見したときは驚愕でしたね~。正直言って、なんで関東の片田舎(失礼!)にこれほどのスゴイものがあるのかと思いましたが、頼朝の、また北条の力が当時いかに大きいものだったかを初めて肌で感じた瞬間でもありました。
もうひとつには、この尊像が重文の指定を受けていることに違和感も。。これほどのものであれば国宝であってもおかしくないでしょう。そう思った ぬえはその後も当地ではずっと「いずれは必ず国宝になりますね」と広言していましたが、まさかこんなに早くそれが現実になるとは思いませんでした。やはりちゃんと見る目を持った人はいるんですね~。いや、ぬえがこの尊像を見てからこんなに早く、とは思いますが、戦後の新制度で旧国宝が新国宝と重文に分けられた際になぜか重文にされてしまった尊像の歴史から考えれば、今回の国宝指定は遅かったのかもしれませんが。
さてその後、前述のように毎年子どもたちを連れて参詣に訪れて、小崎ご住職さまに親しく子どもたちに声を掛けて頂いたり。。またあつかましくも本堂を楽屋に使わせて頂いて、お隣りの守山八幡宮さまで奉納上演をさせて頂いたりしております。ご住職さまにも子ども能を温かい眼でご覧になって頂いて、みんな幸せだと思います。
ともあれ、願成就院さまは北条時政の願による建立で、その成就を祈念した願とは、自分の娘婿である頼朝が異母弟の義経を攻める奥州討伐の成功でした。頼朝は同じく異母弟の範頼も当地のすぐそばの伊豆・修禅寺に幽閉して謀殺しているといわれていて、いわゆる歴史の暗部なのですが、それらを引っくるめて子どもたちには伝えるようにしていますし、子ども能の経験から子どもたちも自分で歴史を調べて、ショックを受けたりしていますね(笑)。
こんなわけで ぬえが通う伊豆の国市に吉報がもたらされたわけですが、考えてみると伊豆にある国宝はMOAの紅白梅図屏風などや佐野美術館にある薙刀で、いずれも美術館が収集したものなので、800年前から当地にある願成就院さまの尊像は特別な意味を持つと思います。。あ、もう一つあった。三島大社に梅の蒔絵の手箱がありますね。三島大社は伊豆国の一宮なので宝物があるのは当然ですが、じつはこれ、北条政子の奉納、と伝えられているもので、内容物の鏡や櫛などが揃った最も古い品なのだそうです。ここにも頼朝と北条の影響が。長い歴史の間にこうした素晴らしい文化をちゃんと保存してきた先人に敬意を表します!