ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

伊豆の国市・願成就院さまの運慶仏が国宝指定に!

2013-02-28 10:55:53 | 日本文化
ぬえがもう長年指導を続けています静岡県・伊豆の国市の「子ども創作能」の出演小学生のママさんから1通のメールが。なんでも静岡県のテレビニュースで、伊豆の国市にある名刹・願成就院さまにおわす仏像が国宝に指定されることになった、と報道されている、とのこと!

YOMIURI ONLINE/ 願成就院・運慶作仏像5体 国宝指定へ

ん~、そうでしょうね~。あんなにスゴイ み仏たちですもん。

願成就院さま、子ども創作能には ゆかりの深いお寺です。伊豆きっての名刹ですが、毎年みんなで参詣して舞台の成功祈願をしますし、そのおり小崎祥道ご住職さまには子どもたちのために法要を営んでくださり、また当地の歴史について子どもたちに易しくお話しを頂いておりまして、子どもたちには身近な存在でしょう。









それどころか~~。子ども能の保護者の中に願成就院さまの檀家の方がおられて、そのご縁から小崎住職さまに「能」の字をご揮毫願うことになりまして、ご住職もこれを快諾、それが現在の子ども能の「制服」みたいになっている「子ども能Tシャツ」略して「能T」の背中に鮮やかに映えていますのでした~



考えてみると ぬえもずいぶん無茶なお願いをしたものだと思いますが、このご縁で小崎住職さまとは以後懇意におつきあいさせて頂いておりまして、昨年お嬢さまが結婚された折にはお祝いの舞を所望頂きました(その日はあいにく ぬえは公演の都合で出席できず、代役の能楽師を立てさせて頂く失礼になってしまいましたが。。)。

それにしても願成就院さまの み仏たちは素晴らしい作です。み仏なんだから作の優劣を論じちゃいけないですけれども、ぬえが心酔する運慶の真作で、阿弥陀如来、毘沙門天、不動明王、その眷属の矜羯羅童子制多迦童子の両脇侍の、なんと5体もの、いずれも見る者の心を奪うほどの見事な尊像。子どもたちの稽古に通っている ぬえが初めてこの尊像を拝見したときは驚愕でしたね~。正直言って、なんで関東の片田舎(失礼!)にこれほどのスゴイものがあるのかと思いましたが、頼朝の、また北条の力が当時いかに大きいものだったかを初めて肌で感じた瞬間でもありました。

もうひとつには、この尊像が重文の指定を受けていることに違和感も。。これほどのものであれば国宝であってもおかしくないでしょう。そう思った ぬえはその後も当地ではずっと「いずれは必ず国宝になりますね」と広言していましたが、まさかこんなに早くそれが現実になるとは思いませんでした。やはりちゃんと見る目を持った人はいるんですね~。いや、ぬえがこの尊像を見てからこんなに早く、とは思いますが、戦後の新制度で旧国宝が新国宝と重文に分けられた際になぜか重文にされてしまった尊像の歴史から考えれば、今回の国宝指定は遅かったのかもしれませんが。

さてその後、前述のように毎年子どもたちを連れて参詣に訪れて、小崎ご住職さまに親しく子どもたちに声を掛けて頂いたり。。またあつかましくも本堂を楽屋に使わせて頂いて、お隣りの守山八幡宮さまで奉納上演をさせて頂いたりしております。ご住職さまにも子ども能を温かい眼でご覧になって頂いて、みんな幸せだと思います。

ともあれ、願成就院さまは北条時政の願による建立で、その成就を祈念した願とは、自分の娘婿である頼朝が異母弟の義経を攻める奥州討伐の成功でした。頼朝は同じく異母弟の範頼も当地のすぐそばの伊豆・修禅寺に幽閉して謀殺しているといわれていて、いわゆる歴史の暗部なのですが、それらを引っくるめて子どもたちには伝えるようにしていますし、子ども能の経験から子どもたちも自分で歴史を調べて、ショックを受けたりしていますね(笑)。

こんなわけで ぬえが通う伊豆の国市に吉報がもたらされたわけですが、考えてみると伊豆にある国宝はMOAの紅白梅図屏風などや佐野美術館にある薙刀で、いずれも美術館が収集したものなので、800年前から当地にある願成就院さまの尊像は特別な意味を持つと思います。。あ、もう一つあった。三島大社に梅の蒔絵の手箱がありますね。三島大社は伊豆国の一宮なので宝物があるのは当然ですが、じつはこれ、北条政子の奉納、と伝えられているもので、内容物の鏡や櫛などが揃った最も古い品なのだそうです。ここにも頼朝と北条の影響が。長い歴史の間にこうした素晴らしい文化をちゃんと保存してきた先人に敬意を表します!

サスペンス・ドラマに出演(その2)

2013-02-24 02:24:53 | 能楽
ところで撮影会場となったのは江東区にある浅間神社だったのですが、都内にこんな趣のある神社があるとは知りませんでした。

とはいえもっと驚かされたのは撮影のためのセット。能を舞う舞台は神楽殿でしたが、その前には鉄柵があり、由緒書きの金属プレートがあったのだそうです。さらに神楽殿の左右には なぜか狐?の像が置いてあります。これらがみな、ドラマに設定された時代~昭和初期と合わない、ということで、鉄柵の前には木製の柵を置いて隠し、金属プレートの由緒書きは木製のそれに取り替えられ、狐?像にはすっぽりと木製の覆いを取りつけて。。いやはや、さすがプロの技ですね。

能が上演されるのは天神社の初祭りという設定で、境内にはうどん屋さんの露店が出ています。これもみんな持ち込みのセットですが、当たり前だけどお品書きに書かれた値段が何銭という単位だったり、そもそも のれんの「うどん」という文字が右から読む書き方だったり。もう、ここだけ80年昔にタイムスリップしたかのようです。これらのセットを作った美術さんとも親しく話をさせて頂きましたが、こうした説明をこの方に聞いて、ようやくその努力を知った ぬえなのでした。

さて ぬえが撮影会場に到着したすぐ後に、子役の子どもたちも集まってきました。こちらは演劇を勉強している劇団員さんなどではなくて、やはりエキストラとして参加したようです。でも撮影が始まってみると、あ、そうか! と思いましたが全員和服で、中には裸足の子も。。 待機時間が長いのでダウンジャケットなんか羽織っていましたが、もちろん撮影が始まったら薄い和服のままです。これもまた大変だ。

ぬえも朝9時には装束を着て、すぐにリハーサルが始まりましたが、やがて金田一と明智の会話のシーンの撮影に移ってしまって、ちょっと時間を持てあましました。ずっと神楽殿の上で待っていましたが、しばらく能の撮影もないようなので、装束を着たまま神楽殿を下りて火に当たり(本当に極寒でした!)ついでに子役の子どもたちと遊びました。



よく見ると、子どもたちは新聞紙にくるんだ焼き芋やお団子なんか持っています。おやつかと思ったら、これも撮影の小道具なんですね! なるほど~昭和初期の神社の祭礼では 綿菓子でもチョコバナナでもなく、焼き芋やお団子を食べながら芸能を見て楽しんでいたのか。

で、それだから子どもたちは手に持った焼き芋を食べるわけにはいきません。撮影が始まったら、それを手に持っていないと。でも、やることのない子どもたちは焼き芋を持ってるだけで我慢できるのか。 はい、やっぱり出来ずに、なめたりなんかしてました。ぬえもそれに混じって「上の方1cmだけ残して、下を方だけ食べちゃえばいいじゃん」「撮影のときどうするの?」「新聞紙にくるんだところは見えないんだから食べてもわかんないよ」「中身がないのに新聞紙のところ、持てないじゃない」「それは、エアでお願いします」「手で持ったら新聞紙がつぶれちゃうよ~」。。と、延々と子どもたちと遊んでいました。女の子に「山P好き?」と聞いたら「ん~?わかんない」「どっちでもない」と、おや? そういう反応かい。

あ~! わかった!「バレンタインデーが近いからか!彼氏がいるんだ!」「違う! 違うよっ!」。。何しに来たんだ ぬえ。

さてようやく ぬえたちの撮影が始まり、これも滞りなく終わりました。まあ、ぬえたちの仕事は特殊なので、監督さんからの演技指導などもないのが普通ですが、やはり面を外す所作は意識して、撮影されている様子をイメージして稽古はしましたので、これも問題なく進みました。終わってみれば予定よりも大幅に早く終了したことになり、お昼ご飯。。いわゆるロケ弁を頂いて解散。

やっぱり今回感心したのは美術さん? のセットの精緻さですかね。張り出された能の番組も、ちょっと内容はアレですが古い字体で細かく書き込まれていて、何というかプロのこだわりを堪能させて頂きました。





で、家に帰ってから持参したデジカメをチェックしたら。。山Pと一緒に焚き火に当たっているところや。。なんとお囃子方が ぬえの知らぬ間に伊藤英明さんに鼓の体験コーナーなんかやってるぢゃないか!



(俳優さんはいずれも顔を出した写真はNGだそうなので、雰囲気だけご覧下さい。)

肝心の放送日なんですが、今年の秋か来年か、ということでした(!)

サスペンス・ドラマに出演(その1)

2013-02-13 02:05:54 | 能楽
伊豆の子ども能の発表の前日、テレビドラマの撮影に行って参りました。
同じ観世流の能楽師、Nさんからご紹介頂いたお仕事なんですが、とっても興味深かったのでご報告です~

ドラマのタイトルは『金田一耕助VS明智小五郎』。最初このタイトルを聞いた時は、なんてうさんくさい。。と思ったのですが、頂いた台本をよく読んでみたところ、とっても感心したのでした。

ともあれ、まずはこのお仕事をご紹介頂いた能楽師Nさんに内容についてのお話しを伺い、さて助監督さんと、まずはメールで説明を頂いたときには、とても引き受けられない内容なのではないかと思いました。なんというか、人間の心の二面性を表すために、なんでしょう、面を二つ重ねて、それを外す所作をしてほしい、とのこと。これについて、ぬえに話を頂く前にすでにNさんが『現在七面』や『大会』の例を挙げて助監督さんと相談して頂いたようなのですが、監督さんの意向としては物着ではなく正面を向いたまま面を替えてほしい、とのこと。Nさんもこれは少し困ったようで、物着まではいかなくとも、シテが後ろを向いて着座して面を替え、それをカメラのカット割りや編集で調整して「早変わり」にしたらどうか、と提案されたようですが、監督さんはあくまでも正面を向いたまま、面の下からもう一つの面が現れる場面を撮りたいのだそうです。ぬえも新たに『葵上』などの提案をして、カット割りでの編集を申し入れたのですが、やはり監督さんのこだわりは曲げられず。。一時は能の出演は無理、大衆演劇などほかのジャンルの役者さんに変更か? という場面までありました。

ぬえもよく考えて、師匠とも相談をして『現在七面』を少しアレンジして上演することでお引き受けする事に致しました。すなわち「物着」を正面に向いたまま行う改変をし、それに従って『現在七面』の物着で奏される「イロエ」で少々型をする。装束は替える時間はないので物着あとの天女の装束で最初から演じて、そのまま替えない。あくまで新作を作るのではなく古典の曲のバリエーションとして演じるスタンスを崩さないことにしたのです。撮影当日に現場で新たに演出の要求を出されても、師匠の承知していないことは出来ないことは予め助監督さんにもお伝えしておきました。

こうしてようやく演出に得心がいった ぬえ。さて以前にも映画の撮影には地謡としては携わったことがあります(『必死剣 鳥刺し』)が、ホントにこういうお仕事は朝が早いですね~。撮影は都内の神社の神楽殿だったのですが、朝7:30集合とのこと。都内といっても ぬえが住んでいる場所からは東京の端から端までの移動で、始発の電車に乗らなきゃ間に合わないです。じゃ、少しでも乗り換えの少ない方が、装束の運搬のうえでも有利だろう、と助監督さんに頼んでロケバスに乗せて頂いたのですが、それでも新宿発が朝の6:00でした。。それもこの日はエキストラさんも多いとのことでロケバスは5~6台もあったでしょうか。これらが群れを成して早朝に出発~~

撮影会場に到着してみると、なるほどよく調べたもので、雰囲気のよろしい神社でした。ミーティングもなく、ぬえは神前にご挨拶をして、神楽殿のすぐ後ろに設えられたテントを楽屋に装束の準備。やがて午前9:00から撮影が始まりました。

主演はジャニーズの山ピーこと山下智久さん。彼が主人公・まだ駆け出しの探偵の金田一耕助で、彼に舞い込んだ事件についての推理を、この当時すでにベテランの域にある明智小五郎が蔭ながら助言を加えて推理を修正しながら真相に近づいてゆく、というストーリーです。明智小五郎役は映画『海猿』に出演しておられる伊藤英明さん。

撮影は ぬえが考えた演技をまず監督さんに見て頂き、場面にうまくおさまるように時間的な配分について注文が出たのでこれをお囃子方と相談して寸法を調節すると、すぐにOKが出ました。この日はとっても寒い日でしたが、金田一と明智の会話の場面のリハーサルも何度も繰り返し行われて、お二人も大変だったことだろうと思います。あちこちに置かれた固形燃料のストーブの前でご一緒に暖を取ったりしながら、役者さんと能楽師がそれぞれの場面の撮影に臨みました。

伊豆の国市子ども創作能「おおひと梅まつり」公演

2013-02-10 08:01:36 | 能楽
世間は連休中らしいのですが、ぬえは連日朝4時起床のイベント三昧の生活です~。睡眠障害、と言うのか、普段は3時間ぐらいしか眠らない ぬえなのですが、昨日は三島市のホテルで6時間も眠っていました。

さて昨日は ぬえが指導する伊豆の子ども能の発表会がありました。伊豆の国市のイベント「おおひと梅まつり」での上演で、市内の大仁神社で催行されました。この神社の後ろの山に見事な梅林があって、梅もちょうど咲き始めたところ。前日の強風の寒さとはうって変わって暖かい日射しの中での上演となりました。もう何回も上演している子ども創作能『伊豆の頼朝』ですが、今年の春には上演を完了して新しい曲を作る予定です。

でも、よく考えてみると ぬえがこれまで作った3曲の新作の台本のうち、この『伊豆の頼朝』が一番大きく成長したように思います。この曲はもうこれで3~4年上演していると思いますが、当初は能楽師が上演する薪能やホール能の、なんというか前座のような形でスタートしたのですが、何年か前にそこから卒業して、市内の神社の祭礼などのイベントに参加するようになりました。そしたら、それまで年1回の上演が2度になり3度になり。。それにつれて演出も台本も少しずつレベルアップしてきて、いまやプロの能楽師と同じような演技を子どもたちに課すまでになってきましたね。子ども創作能の指導に通う ぬえも今年の夏で14年。ここまで来ると、ちょっとやそっとではマネできないレベルにまで到達してきたと思います。











今回のシテは頼朝のユイちゃん(小6)。この子はもう何年も稽古を続けているので不安なく見ていられましたね~。もう次の春には中学生かあ。だんだん大人になっていくな~。

…と思ったら、この日ユイちゃんは会場に到着するや否や「先生~聞いて~、かあちゃん、○キロ痩せたんだって~」と ぬえに報告してくれました。ああ、そうなんだ~。 …ユイちゃんのママもお荷物両手にかかえて続いて楽屋に入って来ました。当然次の展開はこの通り。「あ、ユイちゃんのママ、○キロ痩せたんですって?おめでとうございま~す」「!!…どうも、ありがとうございます…何でそういう事よそでしゃべるの!!(-_-メ)」

それから北条時政役の2年生の たけちゃん。1年前のこの催しでは1年生ながら準主役の大役を見事に勤めた、チビながらもうベテランの域に到達。先日のどんど焼きでは突然乱入した ぬえと一緒にヤグラを建てた、「仲間」でもあります。賢い子だな~とは思っていたいたけど、今回は稽古日のたびに「オラ(←なぜかこういう言い方)、何の役やるの?」という質問が。(^_^;) …でもこの日も立派に勤め上げました。

こちら市長さんに気安く話しかける たけちゃん。


北条政子役は初めて挑戦のユウちゃん(小6)。以前子ども能に参加していて、ちょとブランクがあって半年前に稽古に復帰。上演している曲目は変わっていなかったけれど、このブランクの間に演出は大きく変わりました。北条政子は中之舞を舞う難しい役どころで、稽古ではかなり苦しんでいました。 …つまり、毎年何度となく上演を重ねているうちに ぬえが少しずつ演技のハードルを上げていったのが、いつの間にか かなり高度なレベルにまで達していたのですね。。ずっと参加している子どもたちは、自分がその役でなくても稽古を通じて目で、耳で、身体の中に吸収して行くから、いざ高学年になってその役を演じる順番が来てもこなすことができる。でも突然高学年になってから参加すると、これほど習得に苦しむほどになっていたんだ。。今回のユウちゃんは稽古でも目を真っ赤にして(泣きはしなかった)、ぬえの方からも「中之舞を省略にする?」と提案するところまで行ったけれど、なにくそ、とそれを跳ね返して猛勉強、とうとう乗り越えて大役を成功させました!  今回一番の殊勲賞はこの子だね~

準主役・山木兼隆も、ようやく稽古を始めて半年のコウミ(小4)。子ども能の役は立候補によって選びますが、この子は最初から大きな声を出して、とくに苦しむ様子もなくスラスラと覚えていきました。もともと器用な子なのかもしれないが、責任感と自宅での稽古、そして家庭のバックアップがなければ成し得ないことでしょう。それが全部あるのだとすれば幸せな事ですよね。よくがんばりました~

その他今回は初めての立ち方に挑んだ1年生、囃子に挑戦した子、みんな ぬえの期待に応えてくれましたよ~。楽屋には高校生になった子ども能のOGも応援に駆けつけてくれ、年度の締めくくりの公演にふさわしい、にぎやかな催しになりました。この日の出来に ぬえも久しぶり、300点をつけてあげましたよ~







この次の公演は4月に鎌倉への遠征公演ですね。その頃にはみんな学年が上がって、学校でも新しいチャレンジをするんだね。この頑張りがあればきっと何をやっても成功は間違いないです!

この日、子ども能に出演する子の中で、雅楽にも出演する子がいました。リサとサキの二人で、サキちゃんは2年生で初舞台です。





こちら、会場のすぐそばで開催されていた児童絵画展。をっ!サキちゃんの絵もありました。これスゴくない??



あ、この日はバレンタインデーが近い、ということで楽屋ではチョコレートが飛び交いました。ぬえにもたくさん頂きました~



。。リラックマの大きなケースに入ったチョコレートは。。もちろんアイツからのものだ!(笑)