ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

北海道で能楽公演(その2)

2008-09-29 01:38:48 | 能楽

え~、まずは訂正とお詫びから。

先日お伝えしました伊豆での結婚式への ぬえの出演の様子がテレビニュース番組の中で放映されます、という予告ですが。。どうやら延期になったそうです。

ぬえは放映当日は北海道におりましたので、伊豆の子どもたちやそのご父兄に放映の宣伝をして、録画をお願いしておいたのですが、放映時刻になって、伊豆の子どもたちからメールが入ってきました。「やってないよ~」「終わっちゃったよ~」。。ええ~~???

驚いて関係者に問い合わせたところ、上記の通り「延期」になったそうです。え~ん。すみません、放映日が決まったらあらためてアナウンスしますんで、今回はゴメンなさい~。m(__)m

さて北海道の小学校を廻る「本物の舞台芸術体験」の催しですが、今回の3公演は無事に終了しました。札幌に続く公演は帯広市のつつじヶ丘小学校と、そのお隣の幌別というところの忠類小学校でした。こちらの子どもたちはお行儀良く舞台に集中して見てくれました。ぬえとしては札幌での「山伏がんばれ~」という声援が飛ぶような楽しい催しが印象的だったので、それとは少し勝手が違いましたが、ところがこちらでは終演後の質疑応答がとっても活発で、かえってそれが印象的でした。「女の人は能をやらないのですか?」という質問から、はては能楽師が使っている楽器や能面が古そうだと気づいて、その価値についての質問が出たり。ここまで来ると大人を対象にした質疑応答とほとんど遜色がありません。初めて触れる芸能についてどん欲に知ろうとする態度はまことに立派だと思いますし、ある意味でピュアな感受性が機会を得てそのまま演者に包み隠さず投げかけられたというか。ぬえはとっても感心しました。

公演中はちょうど晴天に恵まれて、東京と比べると気温がおよそ10~15度は低いのですが、とっても爽やかな気候でした。本当に気持ちがよい季節に訪れることができて、ぬえたちも幸運だったと思います。それにしても帯広という街は、建物も道路もじつに広々として気持ちの良いところですね。道路にはほとんど駐車禁止の標識を見かけないし、ぬえの先輩は「コインパーキングがないね」と言っていましたし、別の先輩は「こういう環境ならば子どもたちはのびのびと育つだろうね~」と感心しきり。うらやましい限りです。

うらやましい、といえば ぬえが驚いたのは幌別の忠類小学校で、学校に到着してみたら、なんと小学校のお隣りにはスキーのゲレンデがあるではありませんか!!



小山、という感じではありましたがその山の斜面に備え付けられているのは、明らかにリフトとナイター設備の照明です。これはっ!と思って学校の先生に伺ってみたところ、スキーは冬季の体育の授業でみ~んな習うのですって。それどころか、冬になるとまず校庭に氷を張って、スケートリンクにするのだそうです。時期としてはスキーはそのあとで、10時間ほどのスキーの授業があって、最後は校内スキー大会のようなものまで行われるんですって! これはうらやましい。。

かくして北海道での小学校公演は終わり、帯広から羽田空港に戻ると、ぬえはそのまま横浜に泊まって、翌日には お招きを頂いていた岐阜の大垣での催しのお手伝いに参上させて頂きました。ここでは ぬえが尊敬する京都の浦田保利先生にも久しぶりにお目に掛かる事ができ、嬉しい日でありました~。

で、その深夜にようやく東京に戻って、翌日の昨日は師家のお弟子さんのおさらい会。さすがにちょっと疲れましたが、伊豆~北海道~岐阜~東京と6日間続いた催しも一段落しました。来週には師家の別会があるけれど、なんとかその前に1日だけ休日がありそうです。あ~久しぶりのお休みだ~、と思って手帳を見ると。。えっ、5週間ぶりの休日なの!?

北海道で能楽公演(その1)

2008-09-25 10:40:53 | 能楽
先日もお伝えしましたように、ぬえはただいま北海道に公演旅行に来ております。通信環境が整わないはずだったのですが、投宿しているホテルにパソコンがあって、書きこむことができました~

ぬえが参加しているのは「本物の舞台芸術体験事業」というもので、のべ3週間の期日を費やして北海道・東北の計12の小中学校を廻って、その体育館で ぬえの師匠が上演する能を子どもたちに見て頂くという画期的な公演。そのはじめとして昨日から北海道に来ていまして、今回は3日間で札幌、帯広方面の三ヶ所の小学校で公演を行います。

事前にすでに ぬえの後輩たちが各学校を回ってワークショップを行っていて、この公演は能について子どもたちが行うお勉強の集大成ともいえる公演です。

昨日はその初日の公演で、札幌の東園小学校で行われたのですが、体育館には本格的に舞台も組まれ、そのうえ現代語訳した詞章もスクリーンに投影されて、これは子どもたちにとっては至れり尽くせりの能楽体験でありましょう。

今回上演された曲は『安達原』。これまた事前に子どもたちには紙芝居のような方法でお話や見どころを学習していたり、またマンガの形式を借りたあらすじが配られていまして、地謡に参加した ぬえも、みんながこの曲の演出などをよく理解していると感じました。それにしてもみんな元気がいいね!

ところが、後シテが登場してちょっと雰囲気が変わってきました。さすがに般若の面をはじめて目にした子どもたちの中には、こわがる子も出てきて。

これからが面白かった!ワキの山伏とシテが対決する場面で、本当にこわがっている女の子が ぬえの目に入りました。すると、クラスのお友達たちが大勢でその子を気遣って、目をふさいであげたり、後シテの鬼女の姿がその子の目に触れないようにガードしてあげたり(^_^;)。もうその子のまわりにはお友達が鈴なり状態でした。仲が良いのね~。その子をみんなで守ってあげようという姿勢が、なんともほほえましかったです~ ^^;

とは言ってもシテは決められた型として、その子が座っているそばの方面にも行かなければならないワケで。そうすると、おシテの耳にお友達の言葉が入ってきたそうです「また、こっち来た~」「大丈夫だからね!」(^_^;) 対する山伏のおワキには「がんばれ~!」という声援まで飛んでいました。もう完全にシテは悪者状態。

開演の前にはあらためて能楽師による能全般の解説や楽器の説明も行われ、素囃子の実演もありました。「本物の舞台芸術体験」なのですから、やはり能の上演だけでなく解説を交えての実演に意味があるでしょう。また、こういうことは能楽堂での通常の公演ではできないことですね。なかなか能の上演も少ない地方でこういう画期的な事業を行って頂けるのは能楽師にとっても大変ありがたいことでもありますし、また受け入れてくださった12校の小中学校にも感謝!です。

また事前ワークショップでは「運び」などの基本的な型と謡の稽古もつけていたので、参加した子どもたちはみんな立ち上がって「運び」や「謡」を再度指導してもらって体験しました。

終演後には質疑応答の時間も取られました。「鬼女がこわかった」という意見が多かった(^_^;)ですが、それでも楽器についての質問が出たり、活発でもあったし、伝統文化について興味も持ってもらえた事と思います。初日からこういう楽しい体験ができて、こちらもうれしい限り。

終演後は出演者はバスで帯広に移動しました。う~ん、札幌から帯広までは高速道路はまだ途中まで建設中の段階で、いくつかの峠越えをして行程は4時間を越えました。う~ん、東京にいると交通網は整備されているけれども、まだまだ整備が遅れているところもある。。この峠道には道路の車線の上にずうっと「↓」と矢印の標識があって、これはなんだろう?? とずっと ぬえは考えていたのですが、なんと冬季に雪が降り積もると道路が見えなくなるそうで、走行する車はこの矢印の下をトレースしながら走るのだとか。。整備された高速道路が整うことを願ってやみません。

今日はまた帯広の小学校での公演です。初日のあの楽しい体験があるから、こちらも大変楽しみにしています!

え~、またテレビに出ます。そして伊豆の子どもたちとの再会。

2008-09-24 01:05:04 | 能楽
今日は沼津・伊豆長岡で結婚式に出演してきました。沼津にある旧・御用邸での結婚式で、昔ながらの祝言式。こういう和式の結婚式を専門にプロデュースしておられる、ぬえとはもう そろそろ1年になろうというお付き合いの八千代ウェディングさんのお仕事です。

昨日までは東京でも雷雨だったのに、今日はなぜか晴れ渡った日本晴れ。新郎さんに聞いてみたら「はい。私晴れ男ですから」と平気で答えた。。これほど強力な晴れ男はちょっと見たことないです~~。

で、初めて伺った沼津御用邸は、それはそれは雰囲気のよい、絵に描いたような風光明媚のお屋敷でした。えっ、庭に待庵の写しの茶室まであるの!? 70年に渡る御用邸としての利用はなくなったけれど、そして惜しむらくは戦災に遭って本邸こそ焼失してしまったものの、東西にある附属邸は往時のままの姿を残し、そのうち東附属邸は一般に貸し出し利用ができるようになっています。そしてその東附属邸で、『高砂』の謡も入る古来の祝言式を再現する試みを提案したのが前述の「八千代ウェディング」で、これは沼津市の昨年の第5回ビジネスプランアワード地域資源活用コンテストにおいて、なんとグランプリを受賞したのでした。この祝言挙式はその受賞記念ともいうべき、第1号の実現プランなのでした。友人の晴れ舞台に出演して微力ながらもお手伝いできた ぬえは幸せです~ そして新郎新婦もとっても気さくな方で、ぬえは心からお幸せを願わずにはおれませんでした!

しかし御用邸の附属邸は本来「学問所」として使われていたため、祝言挙式にはちょうどよいとしても、さらにそこに仕舞などを入れるにはスペース不足は否めない。。ところが、ここのお庭が、それはそれは趣のある明るい庭園で、ぬえはそこにゴザを敷いて『高砂』を舞わせて頂くことにしました。残念ながら伊豆の薪能でも協力して頂いている、そして沼津には縁の深い能楽師のKくんは多忙で助力を頂けず、録音音源に合わせての祝言舞ではありましたが、いやこれが庭で舞う『高砂』はとっても気持ちよかったです~

この時の模様がテレビ放映されるようです。

9月26日 午後6時~7時 静岡第1テレビ

ニュース番組の中で数分間ではありますが、特集記事として放送されるようです。ん~、またしても ぬえはこのテレビ局の番組は見る環境にない。。

沼津御用邸で祝言挙式は滞りなく挙行され、披露宴は場所を移して伊豆長岡の旅館で開かれました。ここでも ぬえは祝言舞『羽衣』を勤めさせて頂きました。

あ~久しぶりの伊豆の国市だ! 薪能が終わってから1ヶ月も経っているだね~。。あれからずっと忙しくしていた ぬえにとっては半年も経ったような感覚です。。ん? 待てよ? みんなはどうしているんだろう。

で、前日にネットで調べてみたら、なんと!! その日は同じ伊豆長岡の体育館で「伊豆の国市剣道大会」が開かれているではありませんか! 。。あの「秒殺」の。。いやいや、もとい。何人かの子どもたちが打ち込んでいる剣道大会。それで伊豆に向かう列車の中からメールで尋ねてみると。やっぱり出場しているんだ! あ~、これは居ても立ってもいられず、沼津から長岡に移動すると、すぐにスタッフさんに車を借りて体育館に行ってみました。

当たり前だけど、すでに試合は終わっていて、会場は大勢の子どもたちではち切れんばかり。それでも綸子ちゃん、千早ちゃん、夢知ちゃんには会場で会うことができました! 久しぶりだねっ。みんな元気そうでよかった! お母さん方にも会うことができ、今一度お互いの健闘を讃えあって。聞けば、試合は終わったけれど(今回は三回戦まで進んだんだって!)、そのあとみんなで合同稽古があるらしい。でも披露宴の出演時刻が迫っていた ぬえは、本当に残念だったけれど、体育館を後にして披露宴会場に戻ったのでした。。結局 体育館にはおよそ10分程度しかいられなかったけれど。。元気なみんなを見て、ぬえも元気をもらいました! 明日から3日間の北海道公演と、その翌日の岐阜での公演を前にして、うれしい日でしたね。八千代ウェディングさん、伊豆でのお仕事に招いて頂いてありがとう。(;.;)

明日からの北海道の公演のあいだ、ぬえは通信環境がありません。。(旅行用のノートパソコンの電源コードが見つからない、という淋しい事情だったりしますが。。)うまくすれば携帯から投稿できるのかな? まだ ぬえは試したことがないので何とも言えませんが。。ごめんなさい、しばらく書き込みができないかも、です。。

二日続けて狂言『磁石』を見た

2008-09-22 03:29:22 | 能楽
自分のシテのお役が終わってひと息つけるかと思いきや、もう立て続けに催しが殺到してきまして。。すみません、ブログもまともに更新できていない。。

で、昨日は東京で、今日は静岡県で催しがありました。このところ天候が不順ですが、皮肉なことに昨日は気持ちの良い秋晴れだったのに催しの会場は最初からホールで、一方今日の催しは降水確率が高く、野外の会場から雨天会場に変更になってしまいました。こういうのはホント、運と言うほかないですよね~。そうは言っても今年はとくに天候には恵まれない年だなあ、という感じはありますけれども。。伊豆の狩野川薪能も今年は雨天会場に変更になりましたが、ここに至っては3年連続の雨天会場。こうなると「薪能」とはちょっと言いにくくなってしまうので、ぬえも心を痛めております。

そういえば、先日の『氷室』の上演の当日前後に、何人かの伊豆の子どもたちからメールやお手紙で激励を受け取りました。やっぱりみんな、薪能が終わってしまって寂しく思っているらしい。。ぬえも同じだよ~~

そんなこんなで、まだ『氷室』が終わって4日しか経っていないのに、もう1ヶ月は経ってしまったかのような多忙な日を送っております、ぬえ。来週も静岡、北海道、岐阜、東京と、1週間に大小6つの催しがあるという。。さすがの ぬえも体力がもつかしらん。。

ところで昨日の東京の催しと、今日の静岡の催しで、偶然にも2日続けて狂言『磁石』が上演されました。これは珍しい。。いや、そういう場合もたまにはあるのかもしれませんが、シテ方は公演の日には自分たちの上演する能の準備や後片付けに忙殺されていて、なかなか楽屋でお狂言を拝見する機会がないのが実情で、まことに失礼なことではありますね。。

ところが昨日の公演では ぬえは久しぶりに開演前の解説を担当させて頂きまして、その日の上演曲の狂言『磁石』も下調べをしておきました。結果的に 今まで知らなかった演出の細部まで知ることが出来たし、その日はあまり楽屋も忙しくない催しだったので、自分の解説に間違いがないかが気になって、舞台袖からお狂言のお舞台も一部拝見させて頂きました。ところがその翌日。。今日、昨日とはまったく違う場所で、まったく違う演者で、しかもそのお流儀さえ違う、という場面で、同じ『磁石』が上演されたのでした。こちらは会場に到着してからよくよく番組を見て、はじめて気がついた。

今日の楽屋は忙しかったのですが、こういう機会もなかなかないかも、と思って、ぬえもツレのお装束の着付を済ませてから、すぐに舞台袖に行ってお舞台を拝見しました。

へええええ、これは面白いですね~。昨日の和泉流に対して今日の大蔵流、それぞれの演出の違いがよくわかって。ストーリーはほとんど変わらないのに、ある型が行われる場所が全く違っていたり、コトバの言い回しが微妙に違っていたり(←それが舞台の印象を大きく左右していました)、それより何と言ってもコトバの詰め開きがこんなに舞台の成果に影響を及ぼすものなのかと、ちょっと驚かされるほどの印象を持ちました。

たまたま今日の大蔵流の『磁石』のアド、磁石の精の役が、このブログでも何度か言及しているDくんだったもので、終演後にいろいろとお流儀の決マリのような事も教えてもらいました。

さらにまた、ぬえとDくんとは骨董屋めぐり仲間でもあるので、そんな情報交換も。。ははは、こんな仲間もあってよい。なんだか楽しい楽屋ではありました。

『氷室』無事に終了致しました~

2008-09-20 01:27:50 | 能楽
18日(木曜日)、観世能楽堂での師家の月例会にて、無事に『氷室』を勤めることができました。まずは無事でなにより。ご来場頂きました方々にはこの場で失礼ではございますが、厚く御礼申し上げます~ m(__)m

で、出来なのですが。。ぬえ自身の考えでは40点ぐらいかなあ。。

文句も間違えていないし、もちろん絶句なんてしません。それに型も一応は手順通りには運ぶことができたと思うのですが。。何かが足りないのですよね~。。思い切り、というか安定というか。相反する言葉のようですが、そういうところが、もう一歩踏み込めもせず、落ち着きもなく。。というところでしょうか。

それと、あとでビデオを見て痛感したのですが、後シテの小ベシ見の視線が甘い、と感じました。前シテはそうでもないし、女面であればもう少し面をコントロールするコツも多少はつかみかけてきたつもりなのではありますが、どうも強い面の視線。。瞬間的にパッと一点を凝視するように面を向けることが、もう一つできていないです。具体的に言うと、たとえば氷を膝にグッとためこんだ時に面が追いついていない。それからドンッと前に氷を突き出したところで真っ正面を見れていない。これは氷を持つ手の形をつい、気にしているからでしょう。う。。ヘタだな、ぬえ。。というのがビデオを見た偽らざる感想だったりします。

テンション。。かなあ。狩野川薪能の、あの仮設舞台での、お役を勤める前に子どもたちの多くの番組をサポートしたそのあとでの、その『嵐山』の方がクオリティが高かったと思う。あのような場での、失敗したら子どもたちに示しもつかん、というような状況が、あのときの ぬえを燃焼させたとすれば、その直後の舞台は演者としてのテンションを保つのが難しい、という事はないとは言えないでしょう。でも、そういう状況でなければ良質の舞台を勤められないのであれば、これはもう演者としては失格ということになってしまいます。

でも、舞台上でキレていない、というわけでもないんです。舞働の初段目で正先へ出てグワッシするところ、気持ちを入れすぎて目測を誤って、もう舞台のヘリのギリギリまで出てしまって。。あれはもう一歩出たら舞台から転落するところでした。あとでお囃子方に聞いたら「おおっ!行ったな」と思ったそうです。

間違ってはいない。気持ちも入っていると思う。でも充実度が低い。。おそらく演者であれば みなさん逡巡した経験を経てきておられると思うのですが、コンスタントに舞台を勤めることが如何に難しいか。そんな事を考えた『氷室』ではありました。。あちらこちらからお誉めのお言葉を頂いているようですが、ぬえの偽らざる感想はそういうことになってしまいます。。しゅん。。(・_・、)

で、チビぬえですが、これは良くできたと思います。まあ、ぬえも作物の中で、間狂言が始まった頃にはすでに装束を着け終えていたので、床几に掛かって、さて チビぬえの様子を作物の中から窺おうとしたのですが、面を着けているために視界はほとんどないうえ、引廻しを透かして見ても チビぬえの影さえもまったく見えませんで、結局帰宅してからビデオを見てからしか評価はできなかったのですが。またこれが。録画というものはなぜか平均点的に撮れてしまいますね。あれはなんでだろう? 良いところは平凡に見え、悪いところは そこそこに見える。あまり頼りにならないのがビデオだったりします。逆に、スチール写真はシビアですね。これは演技のスキを容赦なく突きつけてきます。。



ともあれ、ビデオで見た チビぬえは、ほどよいテンションを保って舞っていました。本来大人の役者が勤める役ですから、子方として舞うのではない、というつもりであらかじめお稽古はしておきました。子どもが演じる役だから差し引いて見て頂く、という甘えは、これは本来役者のあるべき姿ではないはずです。そういう要求を ぬえはチビぬえに課していましたが、遺憾なく本番で発揮してくれたようですね。だって。。ビデオで見る限り、チビぬえ、やっぱりほとんど まばたきをしていませんでした。小学校4年生にしては、うむ、だいぶ集中力も身に付いてきたのかも。だんだんプロの役者に近づきつつあるようですね。近づきつつあっても、慢心が見えたら ぬえがひねりつぶしてくれるけれどね。



この夏は狩野川薪能と『氷室』のお役のために、ほぼ夏休みはナシの チビぬえでしたが、ま、どちらも成功したのでごほうびが出ました。いわく、就寝時間はこれからは自分で決めて良い。

ま、こんなものです。

『氷室』。。本格的な脇能(その16)

2008-09-18 01:01:53 | 能楽
後シテの面、小ベシ見は、どう表現したらよいだろう、なかなか動かなくて、動いたら機敏。それでもあくまで動作は重厚、といった感じの面でしょうか。面によって演技は規定されるのです。たとえばこれが大ベシ見であったならば、最初はごくごくシッカリ、重々しく。ところが次第に動作はテンポが良くなってきて、最後はビュンビュン走り回る、という感じでしょうか。ですから大ベシ見を掛ける曲には飛返りの型がほぼ必ず現れるのに、小ベシ見では飛び安座はあっても飛返りの型はほとんど出てこないですね。小ベシ見の面を掛けたシテに、龍神のような俊敏な動作は禁物だったりするので、派手さの面ではあまりご期待には添えないかも。。


シテ「畏き君の。御調なれや(足拍子を踏む)
地謡「畏き君の。御調なれや(正へ出、氷を両手に持ち)。波を治むるも氷(ヒラキ)。水を鎮むるも(六ツ拍子右へノリ)氷の日に添へ月に行き(両手を上げて角の方へ少し出)。年を待ちたる氷の物の供へ(ツレへ向き)。供へ給へや。供へ給へと(天女の前へ行き氷を渡し)采女の舞の(右へ廻りながら扇を抜き開き持ち)。雪を廻らす小忌衣の(天女に向き行き掛り)。袂に添へて(胸ザシ、ヒラキ)。薄氷を(正へ二重ビラキ)。碎くな碎くな解かすな解かすなと(数拍子右へノリ踏み)氷室の神は(直ぐに角へ行き)。氷を守護し(左へ廻り)。日影を隔て。寒水をそゝぎ(笛座前より斜に出ながら左袖を返し)。清風を吹かして(サシ分ケ)。花の都へ雪を分け(天女はシテの前を通り橋掛りへ行く。シテは天女の後より脇座の方へサシて行き)。雲を凌ぎて北山の(脇座にてウケ流シ)。すはや都も見えたり見えたり(シテ柱の方へ少し出、左袖を返しヒラキながら雲之扇)急げや急げ(袖を払い左引きシテ柱先まで行き見送り)。氷の物を。供ふる所も(正先へサシて行き左袖を巻き上げ)愛宕の郡(シテ柱へ向きながら右袖も巻き上げ)。捧ぐる供御も(シテ柱へ行き)。日の本の君に(小廻り正へ向き両袖を下ろしヒラキ)。御調物こそ(右へウケ二足ツメながら左袖を返し)。めでたけれ(トメ拍子)。

キリは仕舞で演じられる事があるので目にする機会はあるかもしれませんですね。やはり大飛出を掛ける『嵐山』と比べても型は大人しめに感じられます。きびきびとたくさんの型をこなすよりは、シッカリとヒラキを見せたり、足拍子で存在感を示したりするところに小ベシ見の本領が発揮されるように作られているのだろうと思います。

ともあれ、明日はいよいよ『氷室』の本番です。無事に勤めることができますように。残念ながら天気はあまりよくないようですけれども。。氷室明神が雪を呼ぶのかっ??

【追加情報】

今回の『氷室』の間狂言は「社人」ではなく「末社」なのですが、申合のときに狂言の三宅近成くんに聞いたところ、なんと「末社」であっても演じる内容は「社人」と同じなのだそうです。つまり雪乞いも、雪まろめもあるのだそうです。聞けばお家ではこの形が『氷室』の常の間狂言なのだとか。すなわち、登場した末社の神が、この地を訪れた勅使へのお礼として、神力によって雪を降らせるのです。なるほど、これなら社人が雪を降らせるよりも合理的かも知れませんね。雪乞い、雪まろめを楽しみにしていた ぬえにとっては、末社間ではその型はないのかと思いこんでいたのですが。。これは何とも不勉強でした。ともあれ ぬえの舞台上での楽しみが増えました~。あ、ぬえは作物の中で後シテに着替え中だから見れないのか。。

【こぼれ話】

今回は小4年生の チビぬえが後ツレ天女を勤めさせて頂きますが、これってキリではシテから預かった氷を都に運ぶ役目なんですよね。ぬえ家では ほぼ毎日の稽古の帰りにコンビニでささやかなご褒美としてアイスクリームをみんなで食べているんですけれども、当然 チビぬえがそのアイスクリームをレジに運ぶ役に任命されました。

ところでキリの文句「雪を廻らす小忌衣の。袂に添へて薄氷を。碎くな碎くな解かすな解かすなと。。」という言葉は、シテが氷を渡してから天女に向かって言っている言葉なんですよね。

ぬえとしては チビぬえが天女となると、ひと言天女に 申し添えておきたい。「なめるな~、つまみ食いするな~」

『氷室』。。本格的な脇能(その15)

2008-09-17 15:17:33 | 能楽
昨日『氷室』の申合が無事に済み、あとは明日の当日を迎えるだけとなりました。お囃子方との打合せも十分に納得でき、また子方が勤める天女も今のところ心配はない出来にはなっています。問題があるとすれば、後シテが作物から出るところの処理(後述)と、長大なシテ謡を間違えないようにすることかな。。

引廻しを下ろしてようやく姿を現したシテの装束は以下の通りです。

面=小ベシ見、赤頭、唐冠、襟=紺(または花色)、紅入厚板、半切、袷狩衣、縫紋腰帯、神扇、氷

神扇は懐中し、後シテは両手に氷を持った姿で作物から姿を現します。

シテ「谷風水辺冴え凍りて。
地謡「谷風水辺冴え凍りて。
シテ「月も輝く氷の面(上を見上げ、氷を出して見)
地謡「萬境をうつす。鏡の如く。
シテ「晴嵐梢を吹き払つて(体を左にトリ右上を見、それより見回し)
地謡「蔭も木深き谷の戸に(正面を見)
シテ「雪はしぶき。
地謡「霰は横ぎりて。岩洩る水もさゞれ石の。深井の氷に閉ぢつけらるゝを(氷を右の膝につけ)。引き放し(氷を正へ向こうへ力を入れて引き放し)引き放し(左膝に付け向こうへ引き放し)。浮み出でたる氷室の神風(氷を左にカイ込み立ち上がり右足より作物を二足に飛び降り)。あら寒や(常座へ廻り)。冷やかや(ヒラキ)。

このところが、まことに おっかない型ですね~。と言うのも、シテが穿いている半切の幅よりも作物の柱の幅の方が狭いのです。これは『楊貴妃』であろうが、『菊慈童』であろうが、『景清』『西行桜』であろうが、みな同じ条件です。ですからシテは心得を持って作物を出なければなりません。真っ直ぐに作物を出たのでは、半切(や大口)の幅が柱に引っかかってしまうのです。

そこで、シテは真っ直ぐには作物を出ないで、微妙に腰をひねって出るのです。もちろんそれが不自然な動作になってお客さまにわかってしまってはダメなので、コツの要るところです。こういうところはお客さまには気づかれない苦労ですかね~。。でも、ぬえも、この作物からの出方を失敗して「家」を引きずって歩いてしまった演者を見たこともある。。人ごとではありません。

ましてや『氷室』では一畳台の上に乗せられた山の作物から飛び出すように出て、しかもその直後の舞働になるまで時間的な余裕がまったくありません。躊躇しているヒマがないので、半分は「ままよっ!」と飛び出すしかない、という。。もちろん失敗すれば、山の作物を舞台の上にひっくり返すという大惨事になるわけで。。くわばら、くわばら。。

舞働は三段構成のごく短い舞? で、シテは数拍子を踏んで角に出て正面に直して段。ついで左に廻り、脇座前から大小前に到り、小廻りして正先に出て膝をついて段。この膝の突き方が、龍神や鬼神など役割によって微妙に型が違ってきます。立ち上がって常座に廻って小廻りして、正面にヒラキをしてトメ。

『氷室』では左手に氷をカイ込み持っているので使えず、右手のみを使って舞うことになります。これも珍しいことで、『氷室』のほかには鏡を持って登場する『野守』に類例があるだけかなあ、と思います。

『氷室』。。本格的な脇能(その14)

2008-09-16 21:18:01 | 能楽
さてツレ天女が登場すると橋掛りで立ち止まって正面を向いたところに地謡が謡カケます。珍しい演出ではありますが他にも『海士』などに類例はあります。

問題は「天女之舞」のトメで、『氷室』のツレ天女は「天女之舞」を舞い上げてワカを謡いますね。じつはこの構成の方が珍しくて、「天女之舞」で舞上げにワカがあるのは、わずかに『氷室』と『難波』の2番だけなのです(あ、いえ、他流の所演曲までは未調査ですが。。少なくとも観世流の場合はこの2番だけです)。

後ツレ「変らぬや。氷室の山の。深緑。
地謡「雪を廻らす舞の袖かな。

ツレ天女が登場して、自己紹介の内容の長いサシを謡う曲は『賀茂』や『竹生島』に例がありますが、『氷室』の場合は登場時には地謡が天女の美しい舞姿を短い謡で形容するのみですぐに舞にかかり、逆に舞のトメに天女自身の謡がある、という、まことに変則的な構成なのです。

それだけじゃない。そのワカの後にすぐ地謡が謡う部分がわずかに「雪を廻らす舞の袖かな」の一句だけ、というのも あまりに素っ気ない作り方です。いやこれが、素っ気ないだけならば良いのですが、天女が型をする余地がないのです。

通例、舞のあとには中左右、跡へ打込という型がほぼ必ずつけられているのですが、『氷室』の場合はその型を舞うべき地謡の文句が一句しかなく、そのうえその直後には後シテが作物の中で謡い出すので、天女はそれまでに笛座の前(ツレ天女が舞を舞ったあとに着座する定位置)に着座しなければならないのです。

ではどうするか。ぬえの師家の型では、天女はワカで定型の上げ扇の型をすると、地謡「雪を廻らす~」ですぐに左にとって笛座前に着座することになっています。う~ん、延々と「天女之舞」を舞っていながら、上げ扇だけですぐに着座するとはかなりあっさりした型です。一方 観世流のほかのお家の型では、「雪を廻らす」と中左右をして、その地謡が終わる前に笛座前まで行って着座しておられる場合もあるようですね。型としてはこちらの方が合理的かもしれませんが、どうもこの型も天女の型が忙しいようです。

いろいろ考えた末、ぬえは今回は工夫を入れて、チビぬえには「雪を廻らす」と中左右、打込の型を定型通りしてもらってから、後シテが作物の中で謡い出したら、作物に向いてその場で座らせることにしました。神勅を拝聴する衆生の姿に重ねてみたのです。

ちょっと話が横道にそれますが、天女が舞のトメで謡うワカの文句「変らぬや。氷室の山の。深緑」は、前シテ(と前ツレ)が舞台に入って謡う上歌の初句とまったく同文ですね。何か意味があるのかしらん。前シテの文句がここで天女が謡う文句の伏線になっている、というようなことはないようだけれども。。

※ここで調べてみたところ、観世流以外の『氷室』では、なんと天女之舞が終わると、天女のワカも、「雪を廻らす」の地謡もないのですね! 天女之舞が終わるとすぐに以下のシテの謡になるようです。これまた着座する位置に天女は行きにくいかも。。

さてツレ天女の型が済むと、後シテが作物の中で謡い出します。まだ引廻しはかけたままなので、シテの姿は見えません。

後シテ「曇りなき。御代の光も天照らす。氷室の御調。供ふなり。
地謡「供へよや。供へよや。さも潔き。水底の砂。
シテ「長じては又。巌の陰より。
地謡「山河も震動し天地も動きて。寒風しきりに。肝をつゞめて。紅蓮大紅蓮の。氷を戴く氷室の神体冴え輝きてぞ現れたる。

この最後のところで後見によって引廻しが下ろされ、後シテが姿を現します。今回はその直前、「山河も震動し」とツレ天女が立ち上がり、笛座に着座することにしてあります。

テレビで狩野川薪能が放映されました!

2008-09-16 00:47:46 | 能楽
昨日の午前中、テレビ東京で大倉正之助さんのドキュメンタリー番組が放映されて、その中でしっかり狩野川薪能の一部も放映されました!

いや~、ほんのちょっとだけ放送されるのかと思ったのに、なんと上演されたほぼ全曲目が、少しずつであっても網羅されていましたね! テレビ局の方も「一部の演目だけ放送しちゃ、映らない子がかわいそうかな?」って考えてくれたのかなあ? そう考えても不思議でないくらい、子どもたちが出演する曲目はほぼすべて放映されました! 快挙!

小学2~4年生の大小鼓連調は、並んで着座する子どもたちをカメラを横にパンすることによってみ~んなの顔が映るようにしてあるし、中学生の仕舞も、一番華やかな型が選ばれて映されてる! 子ども創作能『江間の小四郎』はリハーサル風景で、装束も着いていない状態だったけれど、大蛇や小四郎のアップもちゃあんと映っているし、この曲の最大の見せ場である小四郎が矢を放つシーンも、バッチリ映っている! いや、このときの小四郎。。千早は矢を射ったあとの残心の型があんなに決まっていたとは ぬえ、いま初めて知りました! カッコいいぞ、千早!

綸子ちゃんと チビぬえが「天女之舞」を舞っているところも映ったし、そのうえ、ひかり・夢知の二人は結構長くインタビューが流されましたね~。をっ? 夢知は「まばたきも演技になってしまうと聞いて。。」と言っている。これは ぬえが仕舞のお稽古の時に指導した言葉だね。よく覚えていてくれました~。ひかりは大倉さんがスタッフに促されて二人の間に立つとき「ぎゃっ」と言い放ちまして。そこは画面にピンク色のテロップで「ぎゃっ」と流されてしまいました~ ぎゃはは~~っ (*^。^*)

う~ん、こうして考えると、今年の狩野川薪能では子どもたちと一緒に江間の小四郎の墓が残る地元の北條寺に参詣に行ったり、実行委員会の好意で花火大会に招待されたり、これまで9年間 伊豆の子どもたちとお付き合いしてきた中でも、いろんな意味でジャンプアップした年だったと思います。こういう充実が、テレビ撮影をしてくださったテレビ局の方々にも伝わったのかしらん。

子どもたちには、これからまだ追加分の写真も配られるし、10月になってしまうけれど「反省会」と称して、みんなでもう一度集まって、薪能当日やそれに向けての苦労を慰労し、お互いの健闘をたたえ合う機会もあります。あ~これはまだ先になるんだな~。。

ともあれ、子どもたちが これほどシッカリとテレビに映されたのは、まずはおめでとう~、という感じですかね~、ぬえにとってみても。



でも、シテを舞った ぬえは映ってないの。。 (;.;)

『氷室』。。本格的な脇能(その13)

2008-09-15 10:34:22 | 能楽
『天女之舞』はツレ天女専用の舞なので、五段構成ではなく必ず三段で演奏されます。テンポがよい舞なので10分も掛からない「天女之舞」ですが、笛の唱歌を覚えて、その譜を実際に聞きながら舞うのは小学生にとっては ちょっと難しいかも。。今回 チビぬえは「狩野川薪能」で『嵐山』の後ツレ(子方)の一人・子守明神を勤めて、この役も「天女之舞」を舞うので、春から稽古は始めていました。

しかし稽古当初から問題はありまして、笛の譜を聞きながら舞う舞は型と笛の譜だけを覚えただけでは舞えないのです。吹く笛の譜は同じでも笛方によってその音色には個性があります。これが、初めて笛を聞きながら舞う者にとっては混乱を招くのです。

稽古では以前の公演のときに記録用に録音しておいたストックから選び出して、これを再生しながら稽古するようにしていますのですが、何度も舞を舞っている能楽師から見ると、同じ流儀の笛方の演奏ならば、どなたの録音でも譜は一緒だから、演奏のテンポなどを考慮して音源を選ぶようにします。ところが初めて譜を聞きながら稽古を受ける者にとっては、じつは笛を吹く演者の「個性」によって、同じ譜でもまったく違うものに聞こえてしまうのです。つまり、ある演者の演奏の録音ばかりを使って譜に慣れさせても、本番の公演で吹く方の演奏を聞くと、その譜がまったく耳に入ってこない、という事があるのです。

そこで、今回は薪能の『嵐山』と、能楽堂での『氷室』について、それぞれ本役の笛方にお願いして、本人が吹いている「天女之舞」の録音を送って頂きました。この録音に ぬえが謡う笛の唱歌を重ねた録音を新しく作り、まずこの音源を覚え込ませます。笛のメロディと、唱歌を同時に覚えさせるわけですね。ほどなく譜は覚えたようだったので、ようやく笛の演奏だけが入った録音を渡して、これで再度 笛のメロディを覚えさせます。こうすれば、笛の演奏を聞いただけで、唱歌が自然に頭の中に浮かんでくるようになるのです。

「狩野川薪能」の『嵐山』で チビぬえとともにもう一人の後ツレ(子方)を勤めた 伊豆の国市の小学生の綸子ちゃんにも同じ方法で「天女之舞」を覚えさせたのですが、チビぬえの場合は薪能の3週間後に東京で『氷室』の天女を勤めなければならないので、事情はちょっと違っていました。今回の『嵐山』と『氷室』は偶然にも出演する笛方のお流儀が同じでしたので、笛の譜こそ1種類を覚えさせればよいのですが、問題はこの笛の演者による「個性」。

このため、今回は笛の譜がだいたい チビぬえの頭に入ったところで、わざと同じ流儀のいろいろな演者の「天女之舞」の演奏の音源を使って稽古しました。同じ「天女之舞」であっても、演者の個性によって受ける印象が違ってきたり、曲や状況、演者によって微妙に演奏速度なども異なってきます。こうして いろいろな音源で稽古することで、「天女之舞」を大きく捉えさせることができるのです。

そのうえ今回は、『嵐山』が薪能での上演だったので「天女之舞」を少し短く詰めて上演しました。これに対して来週上演の『氷室』はフルバージョンでの上演になりますので、チビぬえはその二つの舞い方の違いを混同する可能性もあって、稽古ではこれにも神経をつかいましたですね~。最初は短くした『嵐山』の「天女之舞」の稽古から始めて、しばらくしたらそれと平行して『氷室』の「天女之舞」の稽古もはじめます。またこれが。。『嵐山』と『氷室』の「天女之舞」では掛かりとトメの型が微妙に違うんですよね。この違いもキチンと区別がつくようにして、それで薪能が近づいてきたら『嵐山』ばかりを稽古する。薪能が終わったら頭を切り換えさせて『氷室』の稽古一辺倒。

こうして、なんとか「天女之舞」は覚えられたようです。

明日、テレビで狩野川薪能が放映されるらしい

2008-09-14 20:18:09 | 能楽
もうあっという間に3週間が過ぎたのですね~。。狩野川薪能。その後も舞台が続いたり、またもう来週に迫った『氷室』の稽古で忙しくしているので、なんだか本当にあっという間。。夏休みが終わったみんなはどうしてるかなあ。薪能が近づいてからはだいぶ稽古に熱が入っていたから、疲れちゃった子もいるかも。

さて、その狩野川薪能ですが、明日テレビで一部が放映される模様です。

放映するテレビ局と時間を聞いたので番組表を見たところ、『大倉正之助 モナコ初の能公演』というドキュメンタリー番組らしいです。


◆大倉正之助 モナコ初の能公演◆

9月15日(月・敬老の日) 
午前11時30分~12時25分  テレビ東京



海外公演が非常に多い大倉さんですが、狩野川薪能と同じような時期にモナコで能楽公演をしておられたようで。この便組はその公演の実現までを追ったドキュメンタリーのようです。そういえば今回は雨天会場に変更となった薪能の会場ホールで、昼間にリハーサルを行っているときに、大倉さんは観客席で撮影入りのインタビューを受けていましたね。海外公演を控えている時期に、国内でも子どもたちを対象に能楽の普及活動をしている姿の取材だったのですね。あれがこの番組になったのでしょう。

今回の番組はモナコ公演が話題の中心なので、薪能の放映はほんの一部だけのようです。それも薪能の本公演ではなくて、昼間に行われた「子ども創作能」のリハーサルが一部分だけ放映されるのだそうな。それでも子どもたちにもインタビューしてくれたようで、その模様もちょっとだけ流される、というようにも聞いています。

ぬえは。。地謡の後見をしていたので写っていないと思いますが、まあそれでも今年の狩野川薪能は例年になく大きな反響を頂いていますし、協力してくださった方も多くなりました。このテレビ放映も、薪能が発展してきたひとつの現れでしょうね。喜ばしいことです。

さあ、みんな~、自分が映っているかチェックしよう~!  (^。^)

『氷室』。。本格的な脇能(その12)

2008-09-14 03:04:24 | 能楽
間狂言が引くと、いよいよ後場になり、囃子方が「出端」という登場囃子を奏すると、まずはツレ天女が登場します。今回の『氷室』上演につきましては、師匠のご指名を頂きまして、チビぬえ(小4年生)が天女のお役を勤めさせて頂きます。

お笛のヒシギを聞いて太鼓が脇能打出の手を打ち、大小鼓も加わって演奏される「出端」ですが、「次第」「一声」と並んで、能の中では脇能に限らず最も多用される登場囃子です。それだけに「位」。。単純に言えば演奏のスピードも千差万別です。『高砂』の後シテのような ものすごい急調の「出端」もあれば、『実盛』や『鉄輪』のようにドッシリ、シッカリと演奏される「出端」もあります。まさにシテの人物像をよくよく研究して打たれるのがこのような汎用性の高い登場囃子で、お囃子方は、じつは それはそれは気を遣って「位」の差を表現しようとされていますね。

「あの曲よりは、ちょっと軽めに。。」「いや、それでもこの曲ほどは明るくない方が良いだろう。。」そりゃ「位」というものは師伝を受けていても、囃子方もプロといえども人間ですから、同じ曲であれば誰が打っても、いつ打っても必ず同じ「位」になる、というわけにはいかない。それに、そもそも上演する会場のコンディションや、シテを中心とする出演者の個性や演出意図、それに工夫というものもあるから、同じ曲であるからと言って、いつも同じ「位」で演奏されるはずもなければ、その方が不健康だとすら言えるのです。

でも、おのずから曲によって「位」は大凡の範囲が定められているものです。ぬえは思っているのですが、師伝というのは曲の「位」そのもの、というよりは(いや、それも当然なのですが、さらにそれ以上に)、その許される「振幅」というものを教え、習うものなのではないかな、と感じています。「それじゃ速すぎて(遅すぎて)『氷室』のツレの出端にならない」。。こういう微妙なところを教えるのは、「この速さ!」とキッカリ決めて教える事よりもはるかに難しいと思います。舞台経験に裏打ちされたその曲の「感じ」というものを把握していなければならないからで、さればこそシテやワキ、囃子方、地謡に至るまで、演者がそれぞれの師匠から学んだことを持ち寄って、えいやっ、と一度の申合で合わせてみると、あら不思議、アンサンブルが成立するのですよね。申合とはその際に齟齬があったら修正する、というよりは、むしろ「振幅」の中でどちらの方向に今回は針を触れて上演するのかを合意する、というような意味合いなのだと感じます。

ちょっと話が飛びましたが、ツレ天女の装束は以下の通り。

面=連女(小面)、黒垂、天冠、紅入鬘帯、襟=赤、摺箔、白大口または色大口、縫入腰帯、長絹または舞衣、天女扇

いずれもツレ天女の類型の扮装です。今回は小学生が天女を勤めるため、面は着けず直面での上演になります。

地謡「楽に引かれて古鳥蘇の。舞の袖こそ。ゆるぐなれ。

出端の初段目(ツレの出端は常に一段構成だが脇能はツレであってもシテの場合と同様に二段を本式とする。ただし現今は一段で上演するのが普通)で幕を上げた天女は橋掛りに登場し、一之松で止まって正面を向きます。このところに地謡から上記の文句を謡いカケ、天女はその地謡を聞いて左にトリながら長絹の露を左、右の順に取り、舞台に斜に入ると作物の横あたりで正面に向き、ヒラキ、両手を頭上で合わせる「立拝」という型をして、囃子方は『天女之舞』の演奏に移ります。

『氷室』。。本格的な脇能(その11)

2008-09-13 01:42:40 | 能楽
中入の来序の囃子は、ツレが幕に中入りすると調子を変えて「狂言来序」という不思議な囃子に変わります。これっていつも思うのですが、浮遊感と飄逸さがあって、不思議な囃子だなあ、と思います。考えてみれば大小鼓と太鼓、そして笛という四人だけのアンサンブルで大迫力の「早笛」「大ベシ」「獅子」のような演奏から、静寂の「序之舞」、聞き手を浮きやかな気持ちにさせる「下リ端」「猩々乱」、ノリの良さと不思議な緊張感を持った「神楽」「盤渉楽」まで、まあよくこれだけのバリエーションを生み出したものです。立派にオーケストラと言いなぞらえて良いでしょうね。先人はすごいなあ、と思います。

さて「狂言来序」によって登場するのは間狂言の社人(神社に仕える神職)なのですが、この『氷室』の間狂言は、能の中でもかなり面白く、傑作の一つだと思います。

登場した社人は前シテが言ったような氷室の歴史について一人語りに語ると、ワキの前へ出て勅使の参詣に対して礼を述べます。ついで「当社は神変奇特の御神にて候。ただいまにても雪を乞ひ候へば降り申し候。雪を乞ふて御目にかけ申さうずるか。ただし何と御座あらうずるぞ」とワキに問い、ワキの了解を得ると、さてもう一人の社人を呼び出して、二人で「雨乞い」ならぬ「雪乞い」を始めるのです。扇を使って両手で天を仰ぎながら「雪こう、こう、こう(乞う?)」「霰こう、こう、こう」と賑やかに囃し立てると、どうやら本当に雪が降ってきたようです。

すると社人たちは「雪まろめを致さう。雪を集めてくれさしめ」「心得た」と同心して、雪をまるめ始めます。最初は小さな雪玉が、二人で転がしているうちにだんだん大きくなってきて。。それが、もちろん雪玉が舞台に持ち出されるわけではなくて、間狂言の仕方話として演じられるのですが、まさにその場に雪が積もっているよう! 「雪。。ころばかせ」(転がせ?)「雪、丸まかせ」とかけ声を掛けながら、素手で雪を丸めているので、途中何度も手に息を吹きかけながら、そして雪玉が大きくなるにつれて、かけ声もしんどそうになってくる。。いや、描写が生き生きとしていて面白い間狂言ですね~。

さて大きな雪玉が出来上がると、「殊のほか大きうなった。いつもの通り内陣に納めう。雪ころばかせ、雪丸まかせ。えい、えい、おう」と言いながら作物の方へ転がし入れる所作をして、再び薄雪を乞うための謡を謡いながら退場。。あれ? でも雪を乞えばいつでも降るのならば氷室の存在意義はどこに。。?

こんなわけでとっても楽しい間狂言です。『氷室』は上演が珍しい曲ですが、ぬえも地謡は二度ばかり出たことがありまして、いつもこの間狂言を拝見して楽しませて頂いています。

。。ところが。。今回の ぬえのシテの上演のときには、この間狂言は上演されないようです。お狂言のお家のスケジュールの都合か、どうもその日は末社間だそうで。ん~残念ですが、それぞれ事情もあるでしょうから、ここは ぬえの希望ばかりを主張するわけにもいきませんですね。

『氷室』の末社間というのは ぬえはまだ拝見したことがないのですが、立ちシャベリと三段之舞がある、末社間の典型と同じような感じなのかしらん。いずれにしても未見なので一度は拝見してみたいものです。。と、ぬえは中入で装束を着替えているところがだから見えないのか。。

いや、待てよ? 『氷室』の中入は作物の中で、装束を替えるのも作物の中だから、見ることはできないまでも聞くことはできるんだな。どちらにせよ間狂言に「三段之舞」があって、その後にツレ天女の「天女之舞」があるならば、これは相当時間に余裕がありますから、装束の着付はずいぶん楽でしょうね。

『氷室』。。本格的な脇能(その10)

2008-09-11 23:34:07 | 能楽
クセの真ん中、シテが一句だけ謡う箇所を「上羽」(あげは)と呼んでいます。脇能の多くの場合クセはいわゆる居グセで、シテは着座したままで物語を語る、ということなのですが、『氷室』ではこの上羽の後からシテは立ち上がって少々型をします。

シテ「然れば年立つ初春の。(正へ直し)
地謡「初子の今日の玉箒(居立ちながら扇を腰に挿し)。手に取るからにゆらぐ玉の(朳を右手で取り立ち上がり)。翁さびたる山陰の(右ウケすぐに直し正へ出)。去年のまゝにて降り続く(上を見ながら足を止め右へ見下ろし)。雪のしづりを掻き集めて(両手にて朳を持ち雪を二度掻き)。木の下水に掻き入れて(そのまま朳を引きて行き作物の下へ掻き入れ)。氷を重ね雪を積みて(ヒラキ)。待ち居れば春過ぎて(正へ直し)はや夏山になりぬれば(角へ行き直し)。いとゞ氷室の構へして(左へ廻り)。立ち去る事も夏陰の(シテ柱にて正へヒラキ)。水にもすめる氷室守。夏衣なれども袖さゆる。気色なりけり(ワキへ向き行き中にて下居)。

ふ~む、朳を使って雪を書き込み、それを作物の下、すなわち氷室山に設えられた氷室の中へ掻き入れる、という型なのですが、これは明らかに『高砂』を意識した型なのではあるまいか。『氷室』の作者や成立した時代は特定できないものの、上演記録の初出が天文元年(1532)の一條西洞院での日吉猿楽の勧進能と、世阿弥の没後百年近く後であることなど、世阿弥時代からは少し遅れて作られた能だと考えることもでき、世阿弥の『高砂』が参考になった可能性がないとはいえません。

それにしても『氷室』の上羽あとの型は『高砂』のクセ上羽あと「掻けども落ち葉の尽きせぬは」と本当によく似ている。。もっとも『高砂』が右・左に落ち葉を掻く型をして、それが舞台上に杷(さらえ)で「久」という字を書く心であるのに対して、『氷室』では右の同じ方向だけに二度雪を掻いて、その雪をそのまま引きずって行って、作物の下、つまり氷室の中へ掻き入れ、そこには特には口伝のようなものがない、という違いはありますが。

やがてシテは前と同様にワキに向かって舞台の中央に座して、ロンギとなります。ここでシテは朳を捨てて扇を持ち、後見が出て朳を引くのと同時に、それまで肩に上げていたシテの両袖を下ろします。これまた脇能の常套の演出で、両袖を下ろすのは、いうなれば雪掻きの作業のために襷がけをしていたのを解く、という感じではありますが、このロンギでシテははじめて自分の本性を明かすので、その神性のようなものがはじめて表される、という意味合いがあります。

地謡「げに妙なりや氷の物の(正へ直し朳を捨て、扇を抜き持ち)。げに妙なりや氷の物の。御調の道もすぐにある都にいざや帰らん。
シテ「暫く待たせ給ふべし。とても山路のお序でに。今宵の氷の御調(ワキへ向き)。供ふる祭御覧ぜよ。
地謡「そもや氷調の祭とは(直し)。如何なる事にあるやらん。
シテ「人こそ知らねこの山の。山神木神の。氷室を守護し奉り(ワキへ向き)。毎夜に神事あるなりと。
地謡「言ひもあへねば山昏れて(直し立ち上がり)。寒風松声に声立て(角へ行き)時ならぬ雪は降り落ち(右を見上げ下を見)。山河草木おしなめて(左へ廻り)。氷を敷きて瑠璃壇に。なると思へば氷室守の(中にて正へヒラキ)。薄氷を踏むと見えて(右へ廻り)室の内に入りにけり(作物の右にて正へヒラキ)氷室の。内に入りにけり(右へトリ作物へ中入)。

地謡の終わりにシテは作物の中に中入りし、太鼓が来序を打ち出すと、ツレはそれに合わせていくつか足遣いをし、やがて幕に中入します。

『氷室』。。本格的な脇能(その9)

2008-09-10 01:02:49 | 能楽
初同でシテに型のある場合は、脇能に限らず多くの曲でこれまた定型の型をすることになります。いわく右ウケ、直して正へ少し出、ヒラキ、角へ行き、正へ直し、左へ廻り、シテ柱に戻り、正面あるいはワキへ向き、少し出、ヒラキ。この型の中に、地謡が謡う文意によりワキ、あるいは作物に向かってヒラキをしたり、右に受けて周囲を見渡すなどの型が加えられて、能の初同は組み立てられています。

もっとも異例もたくさんあって、たとえば先日の『嵐山』では初同が非常に長大で、しかもその終末部分でシテは中入をしてしまいます。そこで『嵐山』の初同の型を見ると、まず初同にはプロローグとしての下歌が付けられていて、そこではシテはワキに向いて二足ツメる程度の型しかありません。ついで上歌では「笙の岩屋の松風は」以下「流れは大堰川その水上はよも尽きじ」までの間に、上記初同の基本の型をすべて演じることになっています。その後「いざいざ花を守らうよいざいざ花を守らうよ」と、これはツレに向かってともに桜の番をしよう、と呼び掛ける言葉なので、シテはツレと向き合って二足ツメる型が付けられています。ここから先は曲によって千差万別の型が付けられているところで、『嵐山』では神威を強調する部分では正へヒラキ、山に咲き乱れる桜を愛でるために右ウケて見回す、などの型があり、やがて幕の方、西の方の落日を見やると、「夜の間を待たせ給ふべし」とワキへ念を押すように二足ツメ、「立ちくる雲にうち乗りて」と雲に乗るつもりで足拍子を踏んで箒を捨て、中入となるのです。

『氷室』ではシテは初同の最後に中にてワキへ向いて下居、朳を右に置くと扇を抜き持ち、正面に向いて、以下 クリ・サシ・クセ・ロンギと本格で長文の謡いどころが主に地謡によって描き出されます。

このようにクリ・サシ・クセ・ロンギという小段がすべて揃って謡われ、なおかつそのロンギの終末でシテは中入する、というのが 能の中でもっともカッチリと構成が組まれた曲と考えることが出来ます。そうでない場合、たとえばクセだけがあるとか、クリ・サシ・クセと来て、そのクセでシテは中入りしてしまうとか、どこか略式に作られている能もあって、まあ明快に言い切ることはできないまでも、曲の「位」というものと、その曲が作られたときに台本の構成をどこまで定型に則っているか、ということは無関係ではないと思います。

また、このようにクリ・サシ・クセ・ロンギときて前シテが中入するのは 脇能にはもっぱら見られる構成で、前シテは座したままクリ~クセの中で神の威光や寺社の縁起を語り、はたまた『氷室』のように賢王の善政やそれによる天下泰平を賛美して、後シテではその平和な御代を祝福するために神が影向する、という演出を取るのが脇能の一つの形式だとも言えます。

これに対して脇能以外では、前場はあっさりと地謡が上歌をひとつか二つ謡ったところで中入してしまい、クリ・サシ・クセは後場に置かれている能もあります。こういう場合は多く後シテはクセを舞うことになります。クセというのは、歴史的に能に取り入れられた経緯はともかく、基本的に「語リ」の芸ですから、後シテがクセを舞う場合も、仕方話というよりは むしろシテが「物語る」内容を、演劇としての方法論を持ってビジュアルに説明することによって、シテにまつわる物語をお客さまに印象づける目的が大きいように思います。ですから後シテがクセを舞う曲は、鬘能だとか修羅能だとか、そういう曲籍に帰すると言うよりは、シテが語る内容が叙情的な物語である能に多く見られるように ぬえは感じています。

ともあれ『氷室』では脇能の常套として、前シテが帝王の威光を物語る内容で、シテの演技としては座ったままの、いわゆる「居グセ」です。『氷室』の場合は、初同で氷室に貯蔵した氷が夏まで消えないのは帝の供御のために貯えられた氷であるから、と帝王の尊厳を強調していますから、このクリ・サシ・クセで語られる事柄は自然に受け入れられる内容だと思います。

さらに ぬえは思うのですが、脇能の前シテが『賀茂』『呉服』『西王母』の例外を除いて、すべて尉(老人)なのは、人生を重ねた尉が どっしりと着座して物語ることで、多くの脇能の後シテが舞う「舞」が遊舞にならず、神威の表現としてお客さまに印象づけられるための布石なのではないか、と考えています。

地謡「夫れ天地人の三才にも。君を以て主とし。山海万物の出生。即ち王地の恩徳なり。
シテ「皇図長く固く。帝道遥かに盛んなり。
地謡「仏日輝ますますにして。法輪常に転ぜり。
シテ「陽徳折を。違へずして。
地謡「雨露霜雪の(ワキへ向き)。時を得たり。(直し)
地謡「夏の日に。なるまで消えぬ冬氷。春立つ風や。よぎて吹くらん。げに妙なれや。万物時にありながら。君の恵みの色添へて。都の外の北山に。つぐや端山の枝茂み。此の面彼面の下水に。集むる雪の氷室山。土も木も大君の(ワキへ向き)。御影にいかで洩るべき。(直し)げに我ながら身の業の。浮世の数にありながら。御調にも取り別きて。なほ天照らす氷の物や。他にも異なる捧げ物。叡感以て甚だしき。玉体を拝するも。御調を運ぶ故とかや(ワキへ向き)。