ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第26次支援活動<仙台市若林区・名取市閖上>(その2)

2015-04-17 06:57:58 | 能楽の心と癒しプロジェクト
荒浜での今回の「奉納」上演は、石巻と気仙沼を中心に活動する「東日本大震災圏域創生NPOセンター」代表の高橋信行さんにご紹介頂いた方。。荒浜在住で当地で「海辺の図書館」という団体を立ち上げておられる庄子隆弘さんの企画によるもので、その名も「海辺の能楽〜忘れない3.11追悼の会〜」というものでした。

荒浜では住民さんによる「荒浜再生を願う会」が組織されて、震災被害からの復興ぬ向けて様々な活動をしておられますが、その若手メンバーでもある庄子さんは大手書店の社員で、図書館司書でもあることから、志を同じくする友人たちと独自に「海辺の図書館」という構想を持っておられます。図書館と言っても、実際にそういう建物があるわけではなく(将来的に考えておられるのかもしれませんが)、荒浜からの情報発信の場を作ろう、というのがその狙いのようで、庄子さんは「海辺の図書館」サイトで「海辺の図書館は地域の未来をつくる学校です 5年後10年後の日本を形にしていく人を育て地域をつくります」と紹介しておられます。



この日は庄子さんの自宅の跡地。。津波で流された跡にちょっとしたステージのようなものがあって、ぬえたちはそこで上演する予定だったのですが、なにせ風の強いことで。。装束への着替え、往来のお客さまの利便を考えて、急遽会場が「里海荒浜ロッジ」へと変更になりました。

「里海荒浜ロッジ」というのは「荒浜再生を願う会」代表の貴田喜一さんが、やはり津波で流された自宅跡地に建てた手作りのロッジで、慰霊碑や観音像のすぐそばにあるため、ぬえも以前から見知っている建物なのですが。。あれ? そう思っていたら、いつのまにか手作りロッジの隣りにプレハブの立派な事務所? が建てられていました。「海辺の図書館」の活動としてワークショップなどの会場にもなっているようでした。













ロッジに行ってみると、すでに寺井さんは到着していて、やがて関係者の方と上演についての打合せをさせて頂きました。面白かったのはメンバーには東北大学の方が何人かおられて、ぬえも懇意にさせて頂いている大隅典子先生にも繋がる方があったこと。

ロッジには野外に写真を展示しているコーナーがあって、今回はここで上演することになりました。打合せを終えて、少し離れたコンビニで昼食を仕入れて、さていよいよ上演準備に取りかかります。ロッジのプレハブは清潔で快適。みなさん遠慮しておられたようですが、スペースもあるし、せっかくの機会なので関係者の方々もお招きして装束の着付けの様子をご覧頂きました。

この日の上演は午後2時46分。。震災のその時刻です。毎年この日は防災無線のサイレンを聞きながら黙祷を捧げるのが被災地の常で、ぬえらも石巻や気仙沼で黙祷を捧げています。ところが今回は はじめてこの黙祷の直後に奉納上演をすることになりました。関係者一同は写真が展示されている屋外に並び、ぬえはひとり面装束を着込んだまま。。サイレンこそ、この荒浜では聞こえませんでしたが、船の汽笛が。。もう住んでいる人もない荒浜なので、防災無線もないのかしらん。おそらくこの汽笛が合図なのであろうと、ぬえはプレハブの控室で、面の中で目を閉じて黙祷を捧げました。



やがて主催者の庄子さんの挨拶、寺井さんによる能の解説があって、能の奉納上演です。曲目は『松風』を選びました。千年間もの長い時間、愛する人を待ち続ける松風の物語を被災地で上演することは、ぬえにとって特別な意味を持っています。これまでに何度か上演してきておりますが、内容が内容なだけに、最初の上演。。震災の年の夏でしたが、そのときは会場の雰囲気がかなり微妙でした。。やはりまだ早すぎたか。。と、そのときは ちょっと後悔もしたのですが。。

やがて、時とともに そういう微妙な雰囲気は会場に流れなくなってきましたが、ぬえも特別な催しのときに限ってこの『松風』を上演しております。そう。。前回 被災地で『松風』を上演したは気仙沼の「煙雲館」で昨年5月に上演したのですが、その直前。。3.11の日に同じ煙雲館で上演する機会があったのに、さすがに当時の ぬえには3.11の日に『松風』を上演する勇気がなくて。。それで2ヶ月経ってから再び訪れた煙雲館で上演したのでした。

『松風』という曲は、愛する人を待ち続ける、という、被災者の気持ちを考えると かなり厳しい内容の曲ではあろうと思いますが、ぬえはそう捉えているのではなくて、純粋に人を愛する心の尊さを、この曲は描いているのであろうと思っています。愛する心の美しさを形として演じることで、ぬえはそういう心でおられる方々に寄り添うつもりでおります。4回目に巡ってきたこの日、はじめて ぬえは3.11に『松風』を舞うことができました。





しかし。。面を通して見る荒浜の、なんと清らかなことでしょう。ちょっと ぬえはびっくりしながら舞いました。突風はいつの間にか扇を拡げて舞えるほどの心地よい潮風に変わり、青空が松の梢の上に清々と広がり。。ふと目を下に転じると、たしかに瓦礫がまだそこここに残されているのに、再び目を上げると、まるで震災などなかったかのように、清らかな空気を感じました。野外での上演は何度もあるのに、こうした気持ちになったのは元日に気仙沼大島の大島神社で海に向いて舞囃子を舞ったとき以来な気がします。





この荒浜での奉納の様子は YOUTUBEでも紹介されておりますのでご覧頂けると幸甚です。

海辺の能楽260MB

終演後、閖上での上演の時間が迫っているので、今回はなんと、装束を着込んだままでの移動になりました。寺井さんに運転して頂いて、荒浜を出発したのですが、震災が起きた時間に合わせて荒浜の慰霊碑を訪れた方が多かったのでしょう、もう会場の前から大渋滞。ぬえはこの日の移動のスケジュールが厳しいとわかっていたため、この日は朝から2か所の会場の移動時間を計ったり、裏道の見当をつけたりしていましたが、ここまでの渋滞はちょっと想定外でした。貞山堀に沿って、荒れ地となってしまったような道とかさ上げ工事の隙間を縫って、何度も行き止まりに阻まれながら、それでも渋滞にはまったまま大人しく待つよりははるかに早く、無事に閖上に到着することができました。

伊豆の国市子ども創作能「鎌倉まつり」公演(その2)

2015-04-14 23:24:12 | 能楽
そして いよいよ子ども創作能『伊豆の頼朝』です。ぬえが書いた子ども能の台本としては3作目で、まさに伊豆で頼朝が挙兵した事件を扱っています。

頼朝(コウミ=6年)が北条政子(あっこ=6年)と北条時政(ケイゴ=5年)を従えて登場、後白河法皇の院宣を受けて挙兵を決意します。





政子は戦勝を祈願して八幡神に舞を奉納。一同は勇んで平家追討に立ち上がります。





地謡は4年生のタカラをはじめ子どもたちのみ。ちゃんとプロの囃子方の演奏に合わせて謡います。



一方こちらは平家の伊豆目代・山木兼隆の屋敷。ちょうど8月の三島大社の祭礼の日にあたり、兼隆(ソオ=6年)は わずかな郎党(きっぺ、たかのり=4年、まさと=4年)とともに屋敷に居残っていました。





兼隆の屋敷を急襲した頼朝軍。郎党も奮戦します。





頼朝と兼隆の一騎打ち。ちょっと史実とは違いますが。ついに兼隆は捕らえられます。こうして源氏の世が花開いたのでした。







終わってみて。。そうだなあ、良い舞台ではあったけれど、あの子どもたちにとって、全員がベストな演技だったか、と問われれば、ぬえは否と答えるでしょう。

終了後のミーティングでも彼らにそのことは伝えたし、鎌倉市観光協会の方から成果を問われて、同じことを答えました。観光協会の方は「厳しいですねー。。」と驚かれたようですが、彼らの実力はあんなものではない。一生懸命に与えられたお役を勤めた子も多かったし、ちょっとしたアクシデントがあってもすぐに克服した子など個人的には称賛したい子もあったのだけれど、雰囲気に呑まれたのかな、実力を出し切れなかった子もいたように ぬえには思えます。

まあ、そりゃ、小学生にそこまで要求するのは酷、という意見もあるでしょうが、何度も最高の舞台を ぬえに見せた彼らだからこそ、ぬえはまだ余地が残された舞台だったと感じました。彼らはもっと出来るのです。そうして ぬえに言われたことは彼らにもわかっていると思います。

1回だけしかない本番に賭ける。。能は良いシステムを持っていますね。彼らの次の舞台は真夏の花火大会のイベントです。そのときにはまた ぬえは大喜びで彼らを誉めてあげられるよう願っています。

伊豆の国市子ども創作能「鎌倉まつり」公演(その1)

2015-04-13 12:43:15 | 能楽
昨日、4月12日(日)、ぬえが指導する 伊豆の国市子ども創作能は鎌倉市のお招きを頂いて「鎌倉まつり」に出演させて頂きました。

もう恒例となった行事で、伊豆の子どもたちが鎌倉で上演するのは今年で4年目になります。鎌倉市と鎌倉市観光協会さまには いつも大変親切にして頂いて、子どもたちも毎年 鎌倉に行くのを楽しみにしております。

静岡県にある伊豆の国市は伊豆長岡温泉や大仁温泉が有名ですが、じつは源頼朝が流された蛭が小島がある場所で、そのほかにも多くの史跡を残す歴史の宝庫です。頼朝はここで平家に対して挙兵し、ついにこれを滅ぼすと鎌倉に幕府を置きました。頼朝によって始められた武士による政権は明治維新まで続くことに。頼朝の挙兵に限って考えてみれば、いわば伊豆がスタート地点で鎌倉がゴールということになります。こうして5年前に、ゆかりのある市町村が協力して頼朝の史跡を中心として観光などを活性化しようという「頼朝ジャパン」という事業が始まりました。

ぬえが指導する伊豆の国市子ども創作能でも頼朝の挙兵を扱った『伊豆の頼朝』という新作の台本の創作能を上演していたので、このご縁で鎌倉市のイベント「鎌倉まつり」に招聘頂くことになりました。

今年は鎌倉市も伊豆の子ども能を大変大きく取り上げて頂き、「鎌倉まつり」のチラシにも1ページをつかって大々的にご紹介頂きました。会場となる鎌倉宮さまもいつも子どもたちを温かく迎えてくださり、関係の方々にはいつも大変感謝しております。

さてこの日は前後の数日ずっと雨が降り続いているのに、なぜか「鎌倉まつり」当日だけ見事に晴れ渡りました! 早朝6時半にバスで伊豆を出発した子どもたちも10時前に無事鎌倉に到着。





まずは鎌倉宮から徒歩数分の場所にある伝・頼朝の墓に参詣して、みんなでこれから上演する『伊豆の頼朝』の一節を謡って奉納しました。鎌倉市観光協会の遠藤さんも引率頂き、子どもたちのために わざわざ頼朝の伝記や墓についての言い伝えなどを記したプリントまで用意してくださいました。







奉納のあとは、開演時刻まで時間があるので、今回唯一の自由時間。鶴岡八幡宮を見に行ったりおみやげを買いに行ったり、自由にしていいよー、と言ったら。。

「そこにある公園で遊びたーい」

ええ。。? 鎌倉までわざわざ来たのに。。??



公園で遊んでから(笑)、やがて会場に戻って舞台掃除。これは ぬえが毎度、神社などでの公演のたびに子どもたちに課している奉仕作業です。使わせて頂く舞台への感謝をし、併せて多くの大人の協力によって公演ができることを感謝して。掃除のあとはお祓いも受けさせます。神様の前で奉納するのですから、神様へのご挨拶も忘れずに。



やがて東京からお囃子方も到着され、舞台で申合。



このあたりでちょっと予定の時間から遅れが出始めたので、子どもたちは急いでお弁当を食べて、着替えて。。立ち方の子に装束を着付けるのは ぬえ一人なので、毎回1時間掛かる計算なのでちょっと焦りましたが、なんとか多少の時間の余裕を残して着付けも完了、いよいよ公演が始まりました。

今回は鎌倉市長さんもお見えになり、最後まで熱心に子どもたちの熱演をご覧頂きました。



まずは ぬえが講師演目として仕舞『玄象』を勤めます。地謡は初の試みとして子どもたちに謡ってもらいました。まるで王様気取りじゃね。



次に子ども仕舞。2年生になったばかりのセイヤの『猩々』と、4年生の きっぺによる『敦盛キリ』。





子ども舞囃子『小袖曽我』。これは伊豆が舞台の物語なので、折を見つけては子どもたちにやらせる演目です。ちょっと難しいですけどね。今回の上演は中学3年の ひとちゃんと、6年生の よっちの二人。