荒浜での今回の「奉納」上演は、石巻と気仙沼を中心に活動する「東日本大震災圏域創生NPOセンター」代表の高橋信行さんにご紹介頂いた方。。荒浜在住で当地で「海辺の図書館」という団体を立ち上げておられる庄子隆弘さんの企画によるもので、その名も「海辺の能楽〜忘れない3.11追悼の会〜」というものでした。
荒浜では住民さんによる「荒浜再生を願う会」が組織されて、震災被害からの復興ぬ向けて様々な活動をしておられますが、その若手メンバーでもある庄子さんは大手書店の社員で、図書館司書でもあることから、志を同じくする友人たちと独自に「海辺の図書館」という構想を持っておられます。図書館と言っても、実際にそういう建物があるわけではなく(将来的に考えておられるのかもしれませんが)、荒浜からの情報発信の場を作ろう、というのがその狙いのようで、庄子さんは「海辺の図書館」サイトで「海辺の図書館は地域の未来をつくる学校です 5年後10年後の日本を形にしていく人を育て地域をつくります」と紹介しておられます。
この日は庄子さんの自宅の跡地。。津波で流された跡にちょっとしたステージのようなものがあって、ぬえたちはそこで上演する予定だったのですが、なにせ風の強いことで。。装束への着替え、往来のお客さまの利便を考えて、急遽会場が「里海荒浜ロッジ」へと変更になりました。
「里海荒浜ロッジ」というのは「荒浜再生を願う会」代表の貴田喜一さんが、やはり津波で流された自宅跡地に建てた手作りのロッジで、慰霊碑や観音像のすぐそばにあるため、ぬえも以前から見知っている建物なのですが。。あれ? そう思っていたら、いつのまにか手作りロッジの隣りにプレハブの立派な事務所? が建てられていました。「海辺の図書館」の活動としてワークショップなどの会場にもなっているようでした。
ロッジに行ってみると、すでに寺井さんは到着していて、やがて関係者の方と上演についての打合せをさせて頂きました。面白かったのはメンバーには東北大学の方が何人かおられて、ぬえも懇意にさせて頂いている大隅典子先生にも繋がる方があったこと。
ロッジには野外に写真を展示しているコーナーがあって、今回はここで上演することになりました。打合せを終えて、少し離れたコンビニで昼食を仕入れて、さていよいよ上演準備に取りかかります。ロッジのプレハブは清潔で快適。みなさん遠慮しておられたようですが、スペースもあるし、せっかくの機会なので関係者の方々もお招きして装束の着付けの様子をご覧頂きました。
この日の上演は午後2時46分。。震災のその時刻です。毎年この日は防災無線のサイレンを聞きながら黙祷を捧げるのが被災地の常で、ぬえらも石巻や気仙沼で黙祷を捧げています。ところが今回は はじめてこの黙祷の直後に奉納上演をすることになりました。関係者一同は写真が展示されている屋外に並び、ぬえはひとり面装束を着込んだまま。。サイレンこそ、この荒浜では聞こえませんでしたが、船の汽笛が。。もう住んでいる人もない荒浜なので、防災無線もないのかしらん。おそらくこの汽笛が合図なのであろうと、ぬえはプレハブの控室で、面の中で目を閉じて黙祷を捧げました。
やがて主催者の庄子さんの挨拶、寺井さんによる能の解説があって、能の奉納上演です。曲目は『松風』を選びました。千年間もの長い時間、愛する人を待ち続ける松風の物語を被災地で上演することは、ぬえにとって特別な意味を持っています。これまでに何度か上演してきておりますが、内容が内容なだけに、最初の上演。。震災の年の夏でしたが、そのときは会場の雰囲気がかなり微妙でした。。やはりまだ早すぎたか。。と、そのときは ちょっと後悔もしたのですが。。
やがて、時とともに そういう微妙な雰囲気は会場に流れなくなってきましたが、ぬえも特別な催しのときに限ってこの『松風』を上演しております。そう。。前回 被災地で『松風』を上演したは気仙沼の「煙雲館」で昨年5月に上演したのですが、その直前。。3.11の日に同じ煙雲館で上演する機会があったのに、さすがに当時の ぬえには3.11の日に『松風』を上演する勇気がなくて。。それで2ヶ月経ってから再び訪れた煙雲館で上演したのでした。
『松風』という曲は、愛する人を待ち続ける、という、被災者の気持ちを考えると かなり厳しい内容の曲ではあろうと思いますが、ぬえはそう捉えているのではなくて、純粋に人を愛する心の尊さを、この曲は描いているのであろうと思っています。愛する心の美しさを形として演じることで、ぬえはそういう心でおられる方々に寄り添うつもりでおります。4回目に巡ってきたこの日、はじめて ぬえは3.11に『松風』を舞うことができました。
しかし。。面を通して見る荒浜の、なんと清らかなことでしょう。ちょっと ぬえはびっくりしながら舞いました。突風はいつの間にか扇を拡げて舞えるほどの心地よい潮風に変わり、青空が松の梢の上に清々と広がり。。ふと目を下に転じると、たしかに瓦礫がまだそこここに残されているのに、再び目を上げると、まるで震災などなかったかのように、清らかな空気を感じました。野外での上演は何度もあるのに、こうした気持ちになったのは元日に気仙沼大島の大島神社で海に向いて舞囃子を舞ったとき以来な気がします。
この荒浜での奉納の様子は YOUTUBEでも紹介されておりますのでご覧頂けると幸甚です。
海辺の能楽260MB
終演後、閖上での上演の時間が迫っているので、今回はなんと、装束を着込んだままでの移動になりました。寺井さんに運転して頂いて、荒浜を出発したのですが、震災が起きた時間に合わせて荒浜の慰霊碑を訪れた方が多かったのでしょう、もう会場の前から大渋滞。ぬえはこの日の移動のスケジュールが厳しいとわかっていたため、この日は朝から2か所の会場の移動時間を計ったり、裏道の見当をつけたりしていましたが、ここまでの渋滞はちょっと想定外でした。貞山堀に沿って、荒れ地となってしまったような道とかさ上げ工事の隙間を縫って、何度も行き止まりに阻まれながら、それでも渋滞にはまったまま大人しく待つよりははるかに早く、無事に閖上に到着することができました。
荒浜では住民さんによる「荒浜再生を願う会」が組織されて、震災被害からの復興ぬ向けて様々な活動をしておられますが、その若手メンバーでもある庄子さんは大手書店の社員で、図書館司書でもあることから、志を同じくする友人たちと独自に「海辺の図書館」という構想を持っておられます。図書館と言っても、実際にそういう建物があるわけではなく(将来的に考えておられるのかもしれませんが)、荒浜からの情報発信の場を作ろう、というのがその狙いのようで、庄子さんは「海辺の図書館」サイトで「海辺の図書館は地域の未来をつくる学校です 5年後10年後の日本を形にしていく人を育て地域をつくります」と紹介しておられます。
この日は庄子さんの自宅の跡地。。津波で流された跡にちょっとしたステージのようなものがあって、ぬえたちはそこで上演する予定だったのですが、なにせ風の強いことで。。装束への着替え、往来のお客さまの利便を考えて、急遽会場が「里海荒浜ロッジ」へと変更になりました。
「里海荒浜ロッジ」というのは「荒浜再生を願う会」代表の貴田喜一さんが、やはり津波で流された自宅跡地に建てた手作りのロッジで、慰霊碑や観音像のすぐそばにあるため、ぬえも以前から見知っている建物なのですが。。あれ? そう思っていたら、いつのまにか手作りロッジの隣りにプレハブの立派な事務所? が建てられていました。「海辺の図書館」の活動としてワークショップなどの会場にもなっているようでした。
ロッジに行ってみると、すでに寺井さんは到着していて、やがて関係者の方と上演についての打合せをさせて頂きました。面白かったのはメンバーには東北大学の方が何人かおられて、ぬえも懇意にさせて頂いている大隅典子先生にも繋がる方があったこと。
ロッジには野外に写真を展示しているコーナーがあって、今回はここで上演することになりました。打合せを終えて、少し離れたコンビニで昼食を仕入れて、さていよいよ上演準備に取りかかります。ロッジのプレハブは清潔で快適。みなさん遠慮しておられたようですが、スペースもあるし、せっかくの機会なので関係者の方々もお招きして装束の着付けの様子をご覧頂きました。
この日の上演は午後2時46分。。震災のその時刻です。毎年この日は防災無線のサイレンを聞きながら黙祷を捧げるのが被災地の常で、ぬえらも石巻や気仙沼で黙祷を捧げています。ところが今回は はじめてこの黙祷の直後に奉納上演をすることになりました。関係者一同は写真が展示されている屋外に並び、ぬえはひとり面装束を着込んだまま。。サイレンこそ、この荒浜では聞こえませんでしたが、船の汽笛が。。もう住んでいる人もない荒浜なので、防災無線もないのかしらん。おそらくこの汽笛が合図なのであろうと、ぬえはプレハブの控室で、面の中で目を閉じて黙祷を捧げました。
やがて主催者の庄子さんの挨拶、寺井さんによる能の解説があって、能の奉納上演です。曲目は『松風』を選びました。千年間もの長い時間、愛する人を待ち続ける松風の物語を被災地で上演することは、ぬえにとって特別な意味を持っています。これまでに何度か上演してきておりますが、内容が内容なだけに、最初の上演。。震災の年の夏でしたが、そのときは会場の雰囲気がかなり微妙でした。。やはりまだ早すぎたか。。と、そのときは ちょっと後悔もしたのですが。。
やがて、時とともに そういう微妙な雰囲気は会場に流れなくなってきましたが、ぬえも特別な催しのときに限ってこの『松風』を上演しております。そう。。前回 被災地で『松風』を上演したは気仙沼の「煙雲館」で昨年5月に上演したのですが、その直前。。3.11の日に同じ煙雲館で上演する機会があったのに、さすがに当時の ぬえには3.11の日に『松風』を上演する勇気がなくて。。それで2ヶ月経ってから再び訪れた煙雲館で上演したのでした。
『松風』という曲は、愛する人を待ち続ける、という、被災者の気持ちを考えると かなり厳しい内容の曲ではあろうと思いますが、ぬえはそう捉えているのではなくて、純粋に人を愛する心の尊さを、この曲は描いているのであろうと思っています。愛する心の美しさを形として演じることで、ぬえはそういう心でおられる方々に寄り添うつもりでおります。4回目に巡ってきたこの日、はじめて ぬえは3.11に『松風』を舞うことができました。
しかし。。面を通して見る荒浜の、なんと清らかなことでしょう。ちょっと ぬえはびっくりしながら舞いました。突風はいつの間にか扇を拡げて舞えるほどの心地よい潮風に変わり、青空が松の梢の上に清々と広がり。。ふと目を下に転じると、たしかに瓦礫がまだそこここに残されているのに、再び目を上げると、まるで震災などなかったかのように、清らかな空気を感じました。野外での上演は何度もあるのに、こうした気持ちになったのは元日に気仙沼大島の大島神社で海に向いて舞囃子を舞ったとき以来な気がします。
この荒浜での奉納の様子は YOUTUBEでも紹介されておりますのでご覧頂けると幸甚です。
海辺の能楽260MB
終演後、閖上での上演の時間が迫っているので、今回はなんと、装束を着込んだままでの移動になりました。寺井さんに運転して頂いて、荒浜を出発したのですが、震災が起きた時間に合わせて荒浜の慰霊碑を訪れた方が多かったのでしょう、もう会場の前から大渋滞。ぬえはこの日の移動のスケジュールが厳しいとわかっていたため、この日は朝から2か所の会場の移動時間を計ったり、裏道の見当をつけたりしていましたが、ここまでの渋滞はちょっと想定外でした。貞山堀に沿って、荒れ地となってしまったような道とかさ上げ工事の隙間を縫って、何度も行き止まりに阻まれながら、それでも渋滞にはまったまま大人しく待つよりははるかに早く、無事に閖上に到着することができました。