ぬえの能楽通信blog

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三位一体の舞…『杜若』(その7)

2024-05-27 03:21:07 | 能楽
その曲舞の上演の形式というものの正格とされるのが
・「次第」「一セイ」「イロエ」「クリ」「サシ」「クセ」をすべて備えていること。
・「クセ」は「二段グセ」であること。
・「次第」の文句と「クセ」の終わりの文句が一致していること。

。。なのだそうですが、意外や能の中にこれらすべてを備えている曲は少なく、この「杜若」のほかは「百万」と「源氏供養」のわずか合計3曲のみで、このうち「源氏供養」は「次第」と「クセ」の終わりの文句が一致していませんから、厳密に正格を備えるのは「杜若」と「百万」のただ2曲だけ、ということになります。これに準ずるものとしては「山姥」「歌占」が「一セイ」と「イロエ」を欠いた形、「千手」が「次第」を欠いた形、「花筐」は「次第」「クリ」を欠いた形です。

とはいえこれらの曲の中で「杜若」と「百万」が特に難易度が高かったり重く扱われている曲というわけではなく、作者が厳密に曲舞の様式を取り込んだのには何らかの意図があるのは確かでしょうが、このことだけを取り上げて能の上演曲の中での位置づけを考えるのはあまり意味がないかもしれません。むしろ脚本を構成するうえで別の芸能である曲舞の様式を厳密に取り入れることには意味はないばかりか場合によっては劇の進行を阻害する恐れさえあるわけで、そのエッセンスだけを場面の進行に応じて適宜に取り入れ、不要な部分をカットする方が能の作者としては洗練されているという考え方もあると思います。

さて「杜若」の次第~「一セイ」ですが、ぬえはちょっとこの文句に注目しています。

地謡「遥々来ぬる唐衣。/\。着つゝや舞を奏づらん。
シテ「別れ来し。跡の恨みの唐衣。
地謡「袖を都に。返さばや。 【イロエ】


「遥々来ぬる唐衣」は「伊勢物語」の和歌をあらためて取り上げながら、同時に「本地寂光の都」から衆生を救済するためにやって来た業平菩薩のことを言っているのでしょうし、「着つゝや舞を奏づらん」も「来つゝ」と掛詞になっているので「歌舞の菩薩」が本来の職掌として舞を舞う。。それがそのまま衆生済度の意味を持つのだ、と解して良いと思います。

「跡の恨み」という文言に少し引っ掛かりますが、旅によって恋人と離れたことを恨む。。まあ、旅に出たことを後悔する、というか恋人と離れたこの境遇を悲しむ、という程度の意味と解釈すれば、「袖を都に返さばや」も今これより舞う舞で袖を翻すのも自分の心を恋人のもとに届けたいという思いを込めているのだ、という意思でもあり、それは遠い昔の事なので美しい恋人との時代に時を戻したい、という希求とも考えられると思います。

がしかし、すでに「杜若」ではシテは業平の恋は菩薩としての衆生救済のための行動なのだ、と言ったのであり、それに従えばここに普通の意味の恋愛感情を当て嵌めてはいけないはず。。

じつは今回 ぬえが「杜若」の本文を精読するにあたって、一番心に引っ掛かったのがこの「袖を都に返さばや」なのです。結論としてはうまく落着はしましたけれども。(^▽^)/

まず ぬえが気づいたのは、これは業平の立場に立って言っていることだということです。

シテはすでに「まことは我は杜若の精なり」と言っていますが、三河の八橋に自生した杜若の花の精が都に懐旧の念を持つはずがない。これは先に考察した通り、杜若の精は業平の恋人などではなく、たまたま、この花を通して遠く離れた都の恋人。。高子を思った業平の歌のモチーフになったに過ぎないのです。

とすれば、「袖を都に返すさばや」という言葉は、シテがはっきりと「まことは我は杜若の精なり」と言っているにも関わらず、杜若の言葉とは思えず、これは業平の言葉と解するのが合理的であろう、と ぬえには思われるのです。

こう考えてきて ぬえはようやく、シテの言葉をそのまま受け取るのではなく、もう少し掘り下げてこれらの言葉を聞くべきだ、と考え至りました。

結論を先に言えば、ぬえはこのシテは杜若の精であると同時に、業平、すなわち歌舞の菩薩でもあり、さらには高子でもある。。いわば三位一体の存在なのではないか、と考えています。そう考えれば、杜若の精がなぜ業平の冠を持ち、高子の唐衣を着ているのかが納得されると思います。

このシテは自分が身に着けている冠や唐衣を「形見」と言っているけれども、ほかの曲「井筒」や「松風」、「富士太鼓」「梅枝」が「形見」を身に着けて亡き恋人や夫と一体になろうとするのとは根本的に違うのでは、と ぬえは考えています。言うなれば「杜若」のシテの扮装は、意味の上では「井筒」「松風」よりもむしろ「春日龍神」とか「胡蝶」「小鍛冶」に近いのではないか?

能役者も人間である以上、「春日龍神」の龍や「胡蝶」の蝶、「小鍛冶」の狐に扮するのは無理があります。着ぐるみを着たら動作ができないし。そこで能では「立物」と言い慣わしますが、頭上に冠をかぶって、その上に龍や蝶、狐のミニチュアを頂いて「私はこういう姿なんです」と意思表示をするのです。「杜若」の場合はその手法をさらに発展させて、冠が業平、長絹が高子、そしてそれを着ている女性が杜若の精なのであって、一人の人物に同時に三人の人格が共存している、というのが ぬえの解釈です。

「杜若」のシテは花の精の姿を借りながら本質は業平=菩薩なのであって、その菩薩は衆生を極楽に転生させることを目的に仮に業平という人間に姿を変えて現世に現れ、女性を救済したのです(いや「伊勢物語」には友情譚もありますので女性だけを救済したとは言い切れない)が、それらも遠い昔の話。高子も杜若もとうにこの世を去っているのであり、しかしながら業平と契り、または和歌に詠まれたことをきっかけに両者とも極楽浄土に転生することができたのならば、いまは業平菩薩の脇侍のような存在となって菩薩の衆生救済の協力者のような存在となって、一心同体の姿となっているのだと ぬえは考えています。

そしてその主たる人格は杜若の精ではなくて、業平。。すなわち菩薩であろうし、そう考えれば以下の「クリ」「サシ」「クセ」で言われる文言が主に業平の立場で語られていることについても納得することができるのではないかと考えています。                     (続く)

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