このところブログの更新も怠り気味でしたが、いやはや、この会が終わったらどっと疲れが出てきまして。とくに忙しいワケではないのですが、もう、何時間でも眠っていられる。(^^;)
。。でも「ああ~、ブログの続き書かなきゃなあ」と思って、ようやく昨日、幸清会のレポートの続きを書き込んだのですが、このとき久しぶりにアクセス数を見たら。。「331」。。うう。。どうしてこんなにたくさん。。ご愛読ありがとうございます。。でもなんだか ぬえ、怖くなってきまひた~(;_:)
(でもまあ。。ぬえは書き込みの内容にはこれでもかなり神経を遣っているので、書き込みに対して苦情が来る事はないと確信はしております)
さて、
>Kさんへ
コメントありがとうございます。お返事を書いていたら(またしても)長文になってしまったので新規発言とささせて頂きます。
今回の『檜垣』に対して ぬえの師匠の気持ちについて補足させて頂ければ、前回の書き込みで申し述べたように、当然「失敗は許されない」という気概はあったに違いないのですが、じつは ぬえは今回、こんな大役が近づいてきているのに、なんだか師匠はリラックスしておられるように思いました。
装束の取り合わせを決めるためにも師匠は何度も弟子を集めて、装束蔵からいろいろな装束を出して、それを弟子に着付けて(!)、その色合いを見比べたのですが、これを行っている師匠はなんだか楽しそう。。(*^。^*)「この長絹にこの色の露じゃ、ちょっとキレイすぎないかなあ」なんて、ご次男や ぬえら弟子にまで感想を求めてこられて。いや、師匠は割と重い曲を勤められる時にはよく装束の取り合わせに悩まれて、ぬえらを総動員してたくさんの装束を舞台に並べて「う~~ん」と考え込まれる事がよくあって、ぬえもそういう場で装束の色合いについて勉強したものなのですが、今回の下準備では、師匠は輝いておられました。
また、最近 ぬえは小さな催しを持ったのですが、その日取りをどのようにやり繰りしても、『檜垣』の下申合の前日にするほかなかった。。ぬえはこんな時期に師匠に来演頂くのは迷惑だと思うから、ドキドキしながら師匠にその旨をお伺いしたのですが、師匠は「あ、その日は何も予定を入れていないから(←あたりまえ!)、いいよ」とご快諾頂きました。さすがにこの日の楽屋では『檜垣』の副後見を勤める弟子のひとりを相手に、舞台の手順の指示など『檜垣』の事ばかり話しておられましたが、大曲の前なのに緊張されていることもなく、むしろご機嫌よくご来演頂きました。
これらを見て、なんだか ぬえには師匠が、師匠にとって旧友である清次郎師との信頼関係が、『関寺小町』での共演を経て、そこをクライマックスにして強固に結びついて、なんというか、美しい形で軟着陸したもののように思いました。長い舞台人生の中で、いろんな紆余曲折はあったかも知れませんが、こういう形で手に手を取って老女物を一緒に勤めるなんて、本当に美しいと ぬえは思う。
思えば、2年前の師匠と清次郎師との『関寺小町』は、もちろん ぬえは拝見したのですが(ただし、見所で)、じつはその前日まで ぬえはアメリカにおりました。そのとき ぬえは、もう3度目になる米国での大学での講義と公演を行っていまして、これは『関寺小町』には ぬえはお役を頂かなかったからこそ実現したのです。
で、この渡航は20日間の長きに及んだのですが、ぬえは米国との交渉の中で、師匠の『関寺小町』を拝見するために、この公演の前日に日本へ戻ることを絶対条件として主張しました。結局 ぬえのその主張は認められて、時差ボケの瞼をこすりこすり『関寺小町』を拝見する事ができました。この大曲の直前の師匠を、ぬえは見ていない。あとで、インタビューの聞き手を勤めさせて頂いて、どれほど師匠が心を砕いて舞台に向き合っておられたのかを知ったのです。。
ぬえにはこの(推測するよりほかないわけなのですが)、同門から様子は『関寺小町』と、『檜垣』との、それぞれの直前の師匠を見て、なんだか「仲間」ってものの良さを再認識させられたような気がします。
。。でも「ああ~、ブログの続き書かなきゃなあ」と思って、ようやく昨日、幸清会のレポートの続きを書き込んだのですが、このとき久しぶりにアクセス数を見たら。。「331」。。うう。。どうしてこんなにたくさん。。ご愛読ありがとうございます。。でもなんだか ぬえ、怖くなってきまひた~(;_:)
(でもまあ。。ぬえは書き込みの内容にはこれでもかなり神経を遣っているので、書き込みに対して苦情が来る事はないと確信はしております)
さて、
>Kさんへ
コメントありがとうございます。お返事を書いていたら(またしても)長文になってしまったので新規発言とささせて頂きます。
今回の『檜垣』に対して ぬえの師匠の気持ちについて補足させて頂ければ、前回の書き込みで申し述べたように、当然「失敗は許されない」という気概はあったに違いないのですが、じつは ぬえは今回、こんな大役が近づいてきているのに、なんだか師匠はリラックスしておられるように思いました。
装束の取り合わせを決めるためにも師匠は何度も弟子を集めて、装束蔵からいろいろな装束を出して、それを弟子に着付けて(!)、その色合いを見比べたのですが、これを行っている師匠はなんだか楽しそう。。(*^。^*)「この長絹にこの色の露じゃ、ちょっとキレイすぎないかなあ」なんて、ご次男や ぬえら弟子にまで感想を求めてこられて。いや、師匠は割と重い曲を勤められる時にはよく装束の取り合わせに悩まれて、ぬえらを総動員してたくさんの装束を舞台に並べて「う~~ん」と考え込まれる事がよくあって、ぬえもそういう場で装束の色合いについて勉強したものなのですが、今回の下準備では、師匠は輝いておられました。
また、最近 ぬえは小さな催しを持ったのですが、その日取りをどのようにやり繰りしても、『檜垣』の下申合の前日にするほかなかった。。ぬえはこんな時期に師匠に来演頂くのは迷惑だと思うから、ドキドキしながら師匠にその旨をお伺いしたのですが、師匠は「あ、その日は何も予定を入れていないから(←あたりまえ!)、いいよ」とご快諾頂きました。さすがにこの日の楽屋では『檜垣』の副後見を勤める弟子のひとりを相手に、舞台の手順の指示など『檜垣』の事ばかり話しておられましたが、大曲の前なのに緊張されていることもなく、むしろご機嫌よくご来演頂きました。
これらを見て、なんだか ぬえには師匠が、師匠にとって旧友である清次郎師との信頼関係が、『関寺小町』での共演を経て、そこをクライマックスにして強固に結びついて、なんというか、美しい形で軟着陸したもののように思いました。長い舞台人生の中で、いろんな紆余曲折はあったかも知れませんが、こういう形で手に手を取って老女物を一緒に勤めるなんて、本当に美しいと ぬえは思う。
思えば、2年前の師匠と清次郎師との『関寺小町』は、もちろん ぬえは拝見したのですが(ただし、見所で)、じつはその前日まで ぬえはアメリカにおりました。そのとき ぬえは、もう3度目になる米国での大学での講義と公演を行っていまして、これは『関寺小町』には ぬえはお役を頂かなかったからこそ実現したのです。
で、この渡航は20日間の長きに及んだのですが、ぬえは米国との交渉の中で、師匠の『関寺小町』を拝見するために、この公演の前日に日本へ戻ることを絶対条件として主張しました。結局 ぬえのその主張は認められて、時差ボケの瞼をこすりこすり『関寺小町』を拝見する事ができました。この大曲の直前の師匠を、ぬえは見ていない。あとで、インタビューの聞き手を勤めさせて頂いて、どれほど師匠が心を砕いて舞台に向き合っておられたのかを知ったのです。。
ぬえにはこの(推測するよりほかないわけなのですが)、同門から様子は『関寺小町』と、『檜垣』との、それぞれの直前の師匠を見て、なんだか「仲間」ってものの良さを再認識させられたような気がします。