ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第19次支援活動<気仙沼市>(その13)~元日の朝、矢作駐在所へ。

2014-02-28 12:06:36 | 能楽の心と癒しプロジェクト
起きました。2014年の元朝。寒い寒い元日の朝は曇り空でした。

今日は朝から2カ所の神社で初詣を兼ねて舞囃子を奉納する予定です。

が。。だ~れも起きて来な~~~い! 出発予定時刻が近づき、さすがに心配になって2人の出演能楽師に電話してみましたが。。どちらも出な~~~い! さすがに午前3時まで飲んでたからなあ。。



やがて太鼓の大川さんとフルートの浩乃ちゃんが起き出してきました。音楽チームはこの日の活動はなく、この朝に自然解散の予定でしたが、せっかくなので浩乃ちゃんに撮影班として能楽チームに加わってもらうことを提案。日出子さんは やっぱりまだ眠ってる、というので別行動になる承知だけはしてもらうよう言い残して、ぬえは一人で先に出発。いえ、今朝の奉納の先である五十鈴神社に向かったのではなく、宿の陸前高田・矢作の駐在所に向かったのでした。

じつは今回の活動で気仙沼市内では宿泊できず、ようやくこの陸前高田・矢作に宿を確保したとき、宿の周辺に陸前高田市の仮設住宅が散在していることに気がついて、それで、せっかく矢作に宿泊するのも何かのご縁と考えて、元日の午前中にはこの仮設で活動することも考えました。

ところが陸前高田市では過去に仮設で活動したことがなく、また知己の方もいないので情報が足りず。。プロジェクトの活動を仮設住宅で行うには、ある程度広い集会所が併設されていることが必要ですし、その仮設住宅にどれほどの世帯の住民さんが入居しておられるのかも知っておいた方がよい。。この情報をどうやって集めるのか。。いろいろ考えた末、地図検索をして見つけた1軒の駐在所に直接電話をして地域の情報をお知らせ願うことにしました。

それが矢作駐在所です。仮設住宅の隣りに立地していることがまず目を引きましたが、その仮設だけではなく地域の仮設住宅を訪問して住民さんを気遣ったりもしておられるでしょう。いろいろ調べるうちに矢作駐在所が大船渡警察署の管轄だとわかり、電話番号も調べることができました。

年末も押し迫っているというのに、突然の電話にもかかわらず、若い声の駐在さんは ぬえの説明を聞くと矢作周辺の仮設住宅の現状を詳しく教えてくださいました。大きな集会所がある仮設住宅ならここが良いのではないか、大晦日にどこにも行かず仮設にとどまる住民さん。。? はい、たくさんおられますよ。
。。あまつさえ駐在さんは、上演のときには私も見に行きますよ、とまで言ってくださいました。

…結局、陸前高田市の社協に連絡してみたところ、元日の午前中は朝寝坊する住民さんも多いので受け入れは難しい、とのご判断で、矢作での活動は実現しなかったのですけれども、これほど親身になってくださった駐在さんにご挨拶をしないで立ち去ることはできず、この朝駐在所に向かったのでした。

じつを言えば、ぬえは12月30日に矢作の旅館に投宿しましたから、そのときすぐに駐在所に行ってみたのです。しかし駐在所の玄関にはパトロール中の看板が出されてあって駐在さんは不在。その後ももう一度訪ねてみましたが、このときも不在。

さらには大晦日の深夜、唐桑での活動を終えて矢作に帰る途中、コンビニで夕食と朝食を買い込んでいるところに、たまたま1台のパトカーがコンビニの駐車場に入ってきました。これは ひょっとして。。? と考えた ぬえはパトカーに近づいて、乗っていた警察官の方に矢作駐在さんですか? と声を掛けたのですが。。大船渡警察署の方ではありましたが別の警察官の方でした。親切にして頂いた事情を話して翌日もう一度駐在所を訪ねてみるつもりです、と話しましたが、深夜にいきなり声を掛けられて警察官の方もびっくりしたかも。

そういうわけで、この朝が矢作駐在さんを訪ねる最後のチャンスだったのです。早朝でもあり、やはり玄関は閉じられたままでしたが、思い切って住居部分のチャイムを鳴らしてみると。。若い駐在さんが出て来られました!

ぬえはこの時初めて会う駐在さんに電話での親切にお礼を言い、結局矢作での活動は実現しなかったこと、今日は急いで気仙沼に行かなければならないけれど、今後また機会を見つけて陸前高田市で活動をしたいと思っていること、を伝え、東京から持参したワイン。。本当は大晦日の唐桑の仮設で開けるつもりだったのですが、お酒を召し上がる住民さんがおられなかったため残ったものなのですが。。をお渡ししました。 もちろん「今朝は もうお酒はしばらく見たくもない気分でしょうけど」と付け加えるのは忘れませんでした~。(^。^)

第19次支援活動<気仙沼市>(その12)~あけましておめでとうございます (×_×)

2014-02-27 01:45:10 | 能楽の心と癒しプロジェクト
そうして、やって来た2014年。

ちょうど時計が0時をさしたところで、陸前高田に向かう車列の先頭を走っていた ぬえは路肩に3台の車を停めるスペースがある場所を見つけて停車しました。

なんだなんだ、と訝しげに ぬえに続いて停まる車。車から出てきた演者のみんなを集めて「あけましておめでとうございます」「本年もどうぞよろしく」と新年のご挨拶をしました。みんなも互いに顔を見合わせながら新年の挨拶を交わし。。ぬえたちの正月は街灯が怪しく照らす国道45号線の暗がりの中で迎えました。

やっとこのブログも年を改めることができました~ 苦節2ヶ月。中国の旧正月さえもすでに1ヶ月前に過ぎ去っているという。。ぬえって、なんて気が長いんでしょ。(・_・、)

やがて陸前高田・矢作にあるお宿に到着。途中のコンビニで夕食(大晦日の!)と翌日の朝食(元朝の!)を買い込んだので、もう時間は深夜1時近くになっていました。仮設の住民さんがお酒を飲まなかったので、そっくりそのまま残ってしまったお酒やビール。見れば ぬえたちのほかに少々いた宿泊客も、宿のご家族もまだ起きているようでしたし、ぬえらが泊まっている部屋もお隣は空室だらけのようだったので、じゃ、ちょっと打ち上げでもしましょうか、という事になりました。

乾杯~!。。と、しばらくすると夏に気仙沼の仮設住宅で活動に協力してくれた住民ボランティアさんのひとり、足ツボマッサージの米倉さんが旅館に現れたとのこと。じつは今回の活動では 緑さんのほかにもこのような住民ボランティアさんに協力を打診していたのですが、さすがに大晦日の活動ということで、みなさん家事のため無理とのお返事でした。ところが米倉さんは、むしろお仕事の都合で遅くなってから参加できるかも、というお返事で、それならお仕事が終わってからお出でください、ということにしておいたのです。仮設での活動が早めに終わったので、結果的には米倉さんの出番はなかったのですが、わざわざ陸前高田の宿まで訪ねてくださったのでした。

米倉さんが来ると、やはり足ツボ マッサージが始まりますね~。米倉さんの足ツボは「激痛」というウワサだったので、ぬえは気仙沼に行くたびに何度も「やってあげましょうか?」と聞かれましたが、そのたびに「いえ、その。。ちょっと時間がなくて。。」と言って逃げ回っていました。

この夜はお酒も入っていたし、みんな順番に足ツボ・マッサージを受けていたので、ついに ぬえも受けることにしました。うをぉぉっ 激痛ぅぅ!!

自分の分は撮れなかったのですが(当たり前)、それでは足ツボ・マッサージで激痛に苦しんでいる能楽師2名の姿をどうぞぉ。(^。^)





こちらは いろいろ出来上がって来た方々のお姿。浩乃ちゃん かわゆす。




やがて夜も更け午前3時になりました。だいぶみなさんお酒も廻ったところで「もっと注げ」状態になりかかっていましたけれども、翌朝も活動があるので ぬえが閉会を宣言! へへ。ぬえももうちょっと飲みたかったですけどもね。

みなさん、それぞれの部屋に戻って。。あとでぬえの部屋に酒を調達しに来た方もおられましたが、まあ、平和に年が明けたばかりの夜は更けてゆきました。ぬえも酔った頭で翌日の活動の準備を確認して眠りました。

第19次支援活動<気仙沼市>(その11)~ホテル観洋さんでお風呂に入りました

2014-02-26 02:10:28 | 能楽の心と癒しプロジェクト
内湾地区に到着して、まずはまだ灯っているクリスマス・イルミネーションを見よう、ということになって、前日に緑さんに案内されて見に行ったプラザホテルにて名残惜しくイルミネーションを見ました。この場所で来年は能を上演したいなあ。

さて観洋さんに到着して、仮設ではできなかった活動終了のミーティングを、ぬえの呼びかけでロビーで行いました。年越しの予定からは短く終わったのだけれど、ぬえはこの活動に大変満足しています。浩乃ちゃんも演奏の最後の曲。。ぬえたち能楽チームが自分たちの出番を知るために、最後の演奏曲はあらかじめ音楽チームと打ち合わせておきます。。その「花は咲く」を演奏したとき、涙していた住民さんがいて、浩乃ちゃんも演奏しながらもらい泣きしそうになったことを教えてくれました。

ここで ぬえから緑さんに扇をプレゼント。

現地での受け入れ等、プロジェクトの活動に便宜を計ってくださった方には、折々 笛のTさんが細やかな心遣いで手土産を持参してくださって、労をねぎらうことをしておりますが、とくに大きな貢献を頂いた方には、プロジェクトの代表である ぬえがシテ方として扇をご用意させて頂いて、それをプレゼントしております。

石巻では何人かの方に ぬえは扇をプレゼントしたことがありますが、気仙沼ではこれが初めてだと思います。それほど緑さんは今回の活動に貢献してくださいましたね。思えば半年前、障害児童の支援団体「ネットワーク・オレンジ」さんの新拠点の開所式にお邪魔させて頂いた折にご挨拶したのが始まりでしたが、3日後の気仙沼への再訪から  ぬえたちプロジェクトの活動にお客さまとして参加され、それからは折々 気仙沼での活動について相談させて頂くようになりました。緑さんが元々顔が広いこともあって、アイデアは次々と広がって、プロジェクトの活動も順調に進めることができるようになりました。もとより東京に在住している能楽師のプロジェクトですから、被災地での活動をするために必要な現地関係者との交渉はメール。。いやいや、むしろ もっぱら電話で行うしかない事が多いのですが、こと気仙沼に関しては緑さんが情報を仕入れたり、関係者と直接交渉してくださったり。とてもスムーズに物事が進むようになりました。ぬえも緑さんを なんとなくプロジェクトの「気仙沼リーダー」なんて冗談で言っていたのですが、だんだんと冗談ではなくなってきました。

今回も食材の調達の段階から緑さんの手腕が光り、そのうえ大晦日だというのにご家庭の事をやりくりしてプロジェクトの活動に参加してくださり、そのうえ実際の活動でも鍋の調理に掛かりっきりにお手伝い頂いて。。

そうなのです。活動を開始して気づいたのですが、能や音楽の実演家による炊き出し、って無理。。
装束が着いていたり、上演後は大切な楽器を丁寧に片づけたり。。演奏者が、その終演後に即座に住民さんのために作業を始めるのは難しいのです。今回は緑さんのほかにも村上充さんなど、受け入れに尽力してくださった現地ボランティアさんが参加してくださったので、終演からほどなく鍋のサービスを開始することができました。。これらボランティアさんがいなかったら、終演後に間髪入れずに炊き出しを開始することはできず、今回の活動は失敗に終わったことでしょう。。ぬえも見込みが甘かった。

こうした貢献があったために。。実際には活動の準備段階で緑さんの貢献を鑑みて ぬえは扇を用意したのですが、実際の活動では準備以上の大変な役目をひとりで引き受けてくださって。。ああ、扇を用意しておいてよかったぁ。

さてさて観洋さんでお風呂に入ることができて、ようやくひと息つきました。プロジェクトの活動に参加してくれた日出子さんや浩乃ちゃんもお疲れさまでした。

こうして大晦日の活動は無事に終わり、緑さんを気仙沼市内のお宅に送り届けてから、ようやく能楽師と音楽家の一団は陸前高田の宿に向かうことになりました。

気仙沼市内から宿まではおよそ40分もかかるでしょうか。ぬえは車を運転しながら、ずっと時計を気にしていました。

第19次支援活動<気仙沼市>(その10)~『大晦日あったか鍋の集い』(2)

2014-02-20 00:01:17 | 能楽の心と癒しプロジェクト
まだブログの中では大晦日~ (・_・、)

コンサートのあとは再び能で、今度は派手で面白い曲をと思って『石橋』を勤めさせて頂きました。





「呂」の手のところで、一畳台はないので、たまたま客席の最前列、真ん中の椅子だけ空席だったので、それを台に見立ててドンッ! と足を掛けたのですが。。予想以上にインパクトがあったようで。。住民さん、ビックリだったようです。。すみません。。





これにて催しは終わりで、お待ちかねの「あったか鍋」の時間です。緑さんが食材の多くを用意し、ここでもろくに公演も見ずに準備してくださった「カニ鍋」~。



じつは東北に向かう直前に伊豆の子ども創作能の参加児童のママさんから ぬえ宛てに椎茸を贈ってくださることになりまして、それなら、と気仙沼の仮設での活動に役立てることに致しました。。それを伝えたところ、ママさんは 仮設の住民さんの人数にはちょっと足りないかしら、と気を遣ってくださいまして、それこそ出発の直前になって椎茸が追加されることになりました。もう時間がなくて仮設に直接送るほかはなかったのだけれど、宅配便に問い合わせてくださったところ、大晦日だというのに夕食時には到着はギリギリ間に合う、とのこと。ぬえも到着まで心配でしたが、開演前に無事到着。すぐに写メを撮って伊豆のママさんに到着を知らせました。



この椎茸、巨大でビックリ。気仙沼の仮設の住民さんも ちょっと見たことがない大きさだったようで、これもひとしきり話題になっていました。

やがて「紅白歌合戦」も始まり、ぬえも片づけを進めながら住民さんに混じってしばし懇談。ぬえたちが泊まっている陸前高田の矢作というところは温泉で有名で、どうやら ぬえたちのお宿は日帰り温泉として気仙沼の市民が通ったりするのですって。それだけでなく高田というところは気仙沼の市民にとって海水浴に行くところであったり、ちょっとしたリゾートのような場所だったのかも。ぬえたちも気仙沼で宿の予約が取れずに、苦労してようやく高田で宿泊できたこと、こちらの宿は あまり宿泊客がおらず、ぬえたちも今回は5人がこの夜泊まるのだけれど、それぞれ個室に宿泊することができたことなど、親しくお話しさせて頂きました。

この日の活動は年越しイベントのつもりだったのですが、集まってくださった住民さんは おばあちゃんばかりで、誰もお酒を飲む方がありませんでした。酒盛りにならないので夜更かしにもならず、9時くらいには散会になりました。

。。が、ぬえたちは ほとんど食べていないので、コーディネートくださった村上充さんたちとともに、ここで少しばかり残り物を頂きました。あ、村上さんに勧められてビール飲んじゃった。すみませ~ん、大変ですが帰りは運転できませ~ん。(^^)V

やがて仮設を辞して唐桑を出発しました。みんなの意見を聞けば、やはり入浴したい、とのことで、前夜ご協力をお願いしたホテル観洋さんに電話してみると、深夜なのに快くご承諾頂き、宿のある高田とは反対方向だけれども気仙沼内湾に向かいました。

伊豆の国市子ども創作能「ぬえ」…おおひと梅まつり公演(その2)

2014-02-19 05:42:31 | 能楽
やがて子どもたちも集合してきて、まずは神社の拝殿の前にて神さまにご挨拶。こういうことは重要ですね。



子ども能の上演の前に、「大仁雅楽会」さんによる雅楽と神楽、そして舞楽の上演がありました。中でも巫女神楽「浦安の舞」に出演したのが、子ども能にも参加しているリサ(6年生)とサキ(3年生)の姉妹です! こちらは楽屋での装束姿。毎年二人はこの梅まつりの時には「浦安の舞」と子ども創作能のふたつの出番があって大変。でも二人は先日地元ローカル紙で雅楽を学ぶ小学生姉妹、として写真入りで取り上げられたんですって!

いつも子ども能の上演に協力してくれる笛のTさんも到着、上演曲『ぬえ』で子どもたちが笛に合わせて舞う「舞働」をいっぺん稽古して、観光協会さんからは 子どもたちに食券とお茶が配られて、そろそろ着替え開始。立ち方の3人には装束を着付けます。

こうして予定通り12時30分に開演になりました。まずは2年生と3年生の男子による仕舞『猩々』。



ん~、このシリーズは相変わらずバラバラなところが魅力(笑)。一番よく合っている画像を、彼らの名誉のために選び出しました!(笑) 。。顔が写ってないな。

それでは顔がよく写ってる画像をどうぞ!



ああ、やっぱりバラバラだ。。やっぱりさっきの画像だけにしとけば良かったかなあ(笑)

そして子ども創作能『ぬえ』の上演。この曲ももう3度目の上演になります。



大臣役のよっち(4年)。ををっ、なかなか狩衣姿が似合うじゃないか。両手が上がっちゃってるのが惜しい。普通に謡ってるんだけど笑ってるみたい。



軍装凛々しき頼政(=きっぺ。2年)と家臣の猪早太役のこうみ(4年)。梅まつりは年度の最後の公演なので、学年にこだわりなく役にエントリーして良いことにしたんだけど、2年生が「はいっ」と頼政役に手を挙げて。立候補した以上、役は全うするよう責任を課しますが、身長の割に弓もよく引けたし目線もよかったと思います。どこ向いてるの? って場面が少しあったけど。



頼政が黒雲の中に怪しい影を見て矢を放つと、怪物の一群…小ぬえ(うれし=5年、そお=4年、よっち=4年、もーちゃん=2年、たから=2年、るぅちゃん=幼稚園児)とボスキャラの鵺(りか=5年)が登場します。繰り返しになるけど、幼稚園児が笛や太鼓を聞きながらそれに合わせて舞働を舞うのは驚異的。今年で子ども能の指導も16年目になるのですが、そういった継続が力になっているし、何といってもご家庭の協力がなければ成し得ないですね。おうちでもママと一緒に楽しみながらお稽古してるみたいだし。



地謡もがんばっています。地頭は6年のゆかべー。もう鼓にも太鼓の手にもピッタリ合わせて謡うのは子ども能では普通のことです。以前は ぬえが後ろについて謡っていましたが、それももう遠い昔の話。今回はこの地謡が一番よかったです。大きな声で、囃子をアシライで打つ ぬえの耳にもビンビン響いてきました。



鵺は頼政と一騎打ちしますが、かなわないと見て黒雲に乗って逃げ去ろうとします。すかさず頼政がひと太刀をくわえ、早太がとどめを刺して鵺を退治したのでした。



終演後、舞台に戻ってみんなでご挨拶~。お客さまからは暖かい拍手を頂きました!

楽屋に戻って笛のTさんからもご褒美のお菓子を頂きました。





今回は大雪に悩まされた ぬえでしたが、考えてみれば幸運にも恵まれていました。

じつは子ども能は当初、日曜(16日)ではなく土曜日(15日)に開催される予定だったのです。その後 ぬえに茨城県での中学生対象のワークショップの依頼を頂き、それが土曜日に期日を指定しての依頼でしたので、やむなく伊豆の子ども能の方を1日遅らせて日曜に上演することにしたのでした。たまたま子ども能が出演する「おおひと梅まつり」が土日の2日間に渡るイベントだったために可能だった変更でした。



大雪が直撃したのは土曜日の方で、おかげで茨城のワークショップは延期になりました。中学生のみなさんには申し訳ないことでしたが、公演を1日送らせた伊豆の子どもたちにとっては快晴の下で舞える絶好の機会になったのです。これまでずっと稽古を重ねてきたから、神さまに通じたのね。彼らにはそういった。。いや、神さまだけでなく、いろいろな関係者の努力と厚意によって上演できるのだ、ということを伝えて、感謝の気持ちをもって上演するよう伝えていかねば。



伊豆の国市子ども創作能「ぬえ」…おおひと梅まつり公演(その1)

2014-02-17 19:35:57 | 能楽
まずは2週にわたる大雪の被害に遭われたみなさまにはお見舞い申し上げます。…ぬえも大変な思いをしました。。

まずはこの前週、2月8日の土曜日は伊豆の子ども創作能の稽古日でして。。前夜から降り始めた雪があんなに大変な事になるとは思わずに東京を出発。現地からも伊豆に向かう ぬえを心配する声もありましたが、昨日。。2月16日が子ども能の公演の日だったので、子どもたちの演技を仕上げるために、どうしてもこの日は稽古をしなければならなかったのです。

東北へも行く ぬえなので車はスタッドレス・タイヤをはいていましたが、どうも朝から豪雪の予報は出ていたので、運転はやめることにしました。電車で向かう場合、伊豆までは新幹線を使わなければ3~4回も乗り換えが必要なので、この日は新宿から出ている高速バスを利用。案の定東名高速はすいていて、いつもより早い時間に伊豆に到着しました。稽古では子どもたちも前回の稽古から日が開いたためか ちょっとレベルが下がっていまして、これを修正して終了。やっぱりこの日に稽古をして良かった。

問題は東京への帰りで、やはり積雪もかなり心配になってきました。夕方に予定していた一般の生徒さんへの稽古は申し訳ないけれどキャンセルさせて頂いて、それでも電車で帰るとすると、途中で万が一 電車が不通になった場合、寒い駅で運転が再開するまで待たなければならないので、帰路もやはり高速バスを利用。。これが運の尽きでした~ (×_×)

まずは渋滞のため伊豆長岡から東名の沼津インターまで2時間かかって。。でもこれはまあ、今となっては許せる範囲。問題は東名高速でして、バスが本線に乗ったとたんにピタッと止まってしまって、そのまま2時間。。3時間。。 運転手さんも最初は「終電には間に合うようにしたいです」と言っていましたが、とうとう沼津から数kmも行かないうちに深夜になってしまいました。。運転手さんも「もしいま渋滞が解消しても、終電がない時間に新宿で降ろされてもお客さんも困るでしょう。。今夜はサービスエリアで仮眠を取って、翌朝の始発が走る頃を見計らって新宿駅に到着したいと思います」という提案に変わり、乗客も同意。乗客と言ってもこの日は ぬえを含めてたった3人(!)しかおりませんで、でもこのトラブルの中、不思議な連帯感が生まれました。何も食糧を持っていなかった ぬえもお菓子と缶コーヒーをほかの乗客から分けて頂きました~ (・_・、)

深夜1時にようやく神奈川県に入って足柄サービスエリアに停車。。ここまで来ると渋滞も解消していましたが、コンビニ弁当で夕食を摂って、それから仮眠。バスは3時頃に再び走り始めました。こうして新宿に到着したのが翌朝5時で、なんと10時間遅れの到着です。この日はそのまま帰宅して、雪かきをしてから都知事選の投票に行って。。やっと眠りました。

その1週間後がきのう、おとといの週末で、土曜日には茨城県で中学生対象のワークショップを行い、日曜には伊豆の子ども能の公演が予定されていました。。が、またしてもねらい撃ちのような豪雪に見舞われまして。。

茨城のワークショップは やはり中止になりました。前日から現地入りする予定だった ぬえはホテルをキャンセルしましたが、じつはこの日、茨城のワークショップを終えてから、今度は伊豆まで走って子どもたちに稽古。。公演前日の調整程度。。をするつもりだったのです。茨城に行かないことになった ぬえは、それでは、と伊豆に向かうことにしました。日曜は晴れという予報でしたし。。

今回は装束を運ばなければならないから、どうしても車での移動でなければなりません。ところが東名高速が、この日は大雪のため通行止めとのこと。朝から開通を待っていたのですが、待てど暮らせど。。夕方近くになって、業を煮やして見切り発車で出発することにしました。高速が開通しているか、または一般道を延々と走るか。。

ところが! 今回は都内も大渋滞です。自宅から2時間かかって、それでも東名高速の入口にもたどり着けません。このまま走り続けても伊豆に到着するのは翌日の朝になっちゃう。。こう考えた ぬえはこの日の移動を諦めて帰宅しました。

翌日の公演は正午頃の予定なので、朝に楽屋に入るためには早朝に東京を出発する必要が。。それも東名高速が不通のままならば、電車で向かうしか方法はありません。その電車もダイヤが乱れている可能性が。。こうして始発電車に乗る覚悟を決めて、自宅で荷物を詰め直し。宿泊の用意は不要になるし、公演についても どうしても必要なもの以外は置いていく事にして、電車で装束を運べる分量に調整しました。

翌朝。。4時に起床してすぐにチェックを入れるも、やはり東名高速は不通のまま。電車で向かうことになり5時に出発しました。この日は予報通り快晴でしたが、トランクを引きずりながら雪道を駅に向かうのは大変~。それでも電車に遅れはなく、むしろ早すぎる時間に伊豆に到着しました。

第19次支援活動<気仙沼市>(その9)~『大晦日あったか鍋の集い』(1)

2014-02-15 01:36:59 | 能楽の心と癒しプロジェクト
午後5時、「能楽の心と癒やしプロジェクト」主催の『大晦日あったか鍋の集い』を開演。ちょっとこれまでにないタイトルですね~。プロジェクトのメンバー ぬえと笛のTさんは、活動の準備から公演まで、なんとなく自然に受け持ち分担が決まってきまして、ぬえは準備段階では主に渉外担当で、活動場所を探したり、上演に向けての交渉を行います。Tさんは主に機材担当とチラシ・ポスターを作ったりそれを発送する宣伝係で、こういうイベントのタイトルは、チラシを作る段階でTさんが考えています。

これがとても秀逸なのが多くて。通常の活動ではもう決まったタイトルとして定着した『能楽の心と癒やしをあなたに』。。これは震災の年、石巻の避難所に大きく掲げてあった垂れ幕? を参考にしたんですって。





そのほか、プロジェクトが掲げる「文化の復興」の活動として、疑似プラネタリウムを被災地に出現させてその下で能を舞う(注:このアイデアは幽玄堂さんが始めたものです)『星と能楽の夕べ』、ピアノコンサートと能のコラボを被災地で実現する『能とピアノの夕べ』。。と、Tさんの考えるイベントのタイトルはなかなか魅力的。でも今回はこのチラシを見て ぬえ、笑ってしまいました。いや、大晦日に仮設住宅の住民さんと一緒に公演もあり、あと鍋をつついて、というアットホームな催しにはじつに似合っているのですが、プロジェクトの、何というか、これまでのロマンチック路線のイベントタイトルから妙に逸脱しているのが可笑しかったのです。

住民さんも集まってくださり、まずはTさんによる能の解説。



実際の上演にあたっては、ぬえは装束を着けているので ほとんど動くことができません。それで上演時にはTさんが大活躍で、仮設で上演するときにはこのように解説をし、実演では笛を吹き、上演が終わってからも ぬえが装束を脱いでいる間に住民さんとの ふれあいコーナーを一人で仕切ることに。。そういうワケで活動当日はTさんは大変なのです。この日は ぬえも持ってる「気仙沼ファンクラブ」の木製の会員証見せて共感を得ようという作戦らしい。

気仙沼ファンクラブは市が呼び掛けている、気仙沼を愛する人々のコミュニティです→『気仙沼ファンクラブ』の紹介

さてさて解説のあとは能『羽衣』の上演から。



ついで、昨年の秋に東松島で一緒に活動したフルートの浩乃ちゃんと、しばしば彼女と一緒に活動している日出子さんによるコンサート。





宮城道雄の『春の海』(フルートとピアノで!)に始まり、みんなが知ってるクラシックの曲、童謡や唱歌。。日出子さんのMCも冴え渡り、住民さん。。おばあちゃんたちも唱和して楽しいコンサートになりました。ぬえが音楽家とコラボするときはロマンチックな演奏を求めることが多いのだけれど、それは『星と能楽の夕べ』とか『能とピアノの夕べ』とか、イベントとしての公演だからであって、そういえば仮設住宅で音楽とコラボしながら活動するのは滅多にないかも。。仮設で住民さんと応答しながら演奏するのに、日出子さんはよく慣れていらっしゃるようで、ホームコンサートのように温かい演奏になりました。

第19次支援活動<気仙沼市>(その8)~上演準備

2014-02-12 01:26:29 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さて仮設住宅に到着して、まずは自治会長さんにご挨拶させて頂くところですが、あいにくお留守。しかし集会所に行ってみると、今回の活動で自治会との調整をしてくださった地域ボランティアさんがすでに ぬえたちの到着をお待ちになっておられ、それどころか ぬえたちの活動のお手伝いのために、とお嬢さんをご同伴して待機しておられました。

ご挨拶のあと早速に準備を開始。ぬえは装束などの準備、笛のTさんはPA機器の設置、ほどなくピアノの日出子さんとフルートの浩乃ちゃんも到着して楽器の準備。緑さんは炊き出しのための調理準備。もう、大忙しです。





この日お邪魔させて頂いた旧唐桑小学校仮設住宅の世帯数は80弱。でも、住民さんの数はその世帯数を少々上回る程度だとか。。つまりお一人暮らしの住民さんが大勢いらっしゃるのです。

一昨年。。つまり震災の年の暮れにも大晦日に仮設住宅で活動しましたが、そのときは活動の計画を立てる際に「大晦日に住民さんがいらっしゃるのか?」と危惧したのですが、そのときは活動場所の仮設を紹介してくださった方が「いや。。大勢いらっしゃいますよ」と教えてくださって驚いたものですが、実際に活動してみた印象でもその通りでした。

その後事情を教えて頂いたところによると、震災で家を失って仮設住宅にお住まいの方にはいろいろな事情があるようです。震災前には遠方に住む息子さんや娘さんの家族が帰郷してにぎやかに団らんしていたのに、狭い仮設ではそうもいかず、それでもこちらから会いに行ける方はまだ良い方で、やむなく年末に家族が会うことができない方もあり。逆に息子さんや娘さん家族が気仙沼に来る方もあり、その場合は仮設には泊まれないのでホテルに泊まる場合もあったそうです(これは今回はじめて知りました)。今回 ぬえたちが宿に困ったのにはこういう事情もあったのですね。そうして、もちろん年末に顔を合わす親族がない方も。。

あれから2年。。事情は変わっているかと思ったのですが、今回の唐桑の仮設を活動場所として紹介頂いた、気仙沼で医療支援を行っておられる村上充さんのお話しでも、やはり年越しを一人で迎えられる方は大勢おられるとのこと。

今回の活動は能の上演のほかに炊き出しが大きな目的で、この住民さんの人数は重要な情報です。炊き出しというのは住民さんが何人集まってくださるかが予測がつかないのが最大のネックで、住民さんの人数を伺ったうえで、最大その人数が集まって足りる食材を揃えることになります。が、実際には当日の様々な事情で、みなさん集まることはまずないのです。それでもいざ全員の住民さんが集まってくださった場合、食材が足りないのでは困るので。。今回も食材は住民さん全員の分を揃えておいて、実際には活動終了時に大量に余った食材を我々が持ち帰る、のでちょうど良い、というスタンスで臨みました。

震災の年の夏か秋の頃まで、被災した住民さんは食事に本当に困っておられたので、当初は自衛隊、ついで自治体やボランティア団体がものすごい量の炊き出しを行っていました。現在ではその時とは比べものにならないほど規模は小さくなったものの、個人のボランティアが行うのはやはり大変な費用や労力を必要とします。ぬえがお手伝いした例では埼玉県の旧騎西高校に避難しておられた福島県・双葉町の住民さんへの炊き出しでは、50名を超えるボランティアが炊事に参加、でもその日は行事があって外出しておられる住民さんが多く、大量の料理が余った、ということもありました。今回は住民さんの人数から言えばそれよりもさらにずっと規模が小さい炊き出しではありましたが、事前に行う準備や買い出しも大変だったけれど、炊事の下準備もこれまた大変で、今回は緑さんが一手にこれを引き受けてくださいました。

やがて村上充さんもお見えになり、ぬえも装束を着て上演準備にかかります。

第19次支援活動<気仙沼市>(その7)~いざ唐桑

2014-02-05 00:58:42 | 能楽の心と癒しプロジェクト
そろそろ全員が揃うようなので昼食後すぐに出発して一路 唐桑へ。

唐桑は巨釜・半造という名所や大理石海岸で知られる気仙沼の北端にある半島です。こちらは2年前の夏に撮影した巨釜にある「折石」。なんでも明治の三陸大津波で先端が2mほど欠けたのが名前の由来だそうですが、それでも現在の岩の高さは16m(!)もあるんですって。ということは明治の大津波はそれをしのぐ高さのものだったのか。。



この巨釜は半島の中部にありますが、今回向かう「旧唐桑小学校応急仮設住宅」は半島の付け根近くにあります。南に突き出た唐桑半島なので、気仙沼市街からはまず北上して岩手県との県境ちかくまで行ってから半島を南下するルートになるのですが、気仙沼からも陸前高田からもちょっとした距離があって、それだけに自然が多く感じます。

それと。。これはどこに行っても思うのですが、市街の中心部と比べると復興の度合いが極端に遅れているのを感じますね。これはこの翌日。。元日に大島に渡ったときにも同じ印象を持ちました。





こちらは国道から唐桑半島に入ってすぐにある只越港。小さな川があって、そこに水門が設けられていますが、窓ガラスも割れたままに放置されていました。その周囲は堤防が壊れたままに、土嚢さえも置かれていません。それでも漁業は再開されたのでしょう、漁船を陸にあげるための地ならしだけが行われているようでした。

こうして唐桑小学校に到着したのですが、ずいぶん新しい校舎です。校庭に仮設住宅が建てられているのかな? 。。じつはこれは ぬえの勘違いで、こちらは移転した新しい唐桑小学校です。目的地はこれとは別の、元・唐桑小学校。到着してわかったのですが、正式な名称は「旧唐桑小学校跡地応急仮設住宅」というようです。なるほど学校の広い跡地が仮設住宅の敷地になっていたのですね。

立派な門柱が残されていましたがだけが、これだけがここがかつて唐桑小学校だった事を物語ります。



唐桑小学校跡地応急仮設住宅は12号棟まである比較的大きな仮設で、集会所も立派なものが建てられていました。





でも。。イベントのポスターは ぬえたちプロジェクトのほかは見あたりません。年末年始のことだから仕方ないとはいえ、やっぱりイベントは減っているのかしら。

かと思えば、住宅案内図の左下に、なにやら送迎バスの案内があります。





この「Big House」という店舗は、後日検索してみたところスーパーマーケットでした。なるほど、交通の便が悪く、車を運転しない高齢の方が多く暮らす仮設住宅の住民さんの買い物の便のために、こういう工夫がされているのですね。顧客確保のための店舗のサービスという意味ももちろんあるでしょうが、やっぱり便利だと思います。だって、ここに書いてある店舗の所在地の「本郷」というのはJR気仙沼線の「不動の沢駅」の近く。。市内の中心部で、唐桑からは30分はかかる道のりなんですもの。。

第19次支援活動<気仙沼市>(その6)~食材を揃えました。炊き出しって大変。

2014-02-02 15:00:05 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さて朝食も済んで宿を出発し気仙沼へ。まずは緑さんをピックアップして、今夜の仮設での炊き出しのための食材を買い出しに行きました。

今回は気仙沼の唐桑半島にある仮設住宅の支援活動で、大晦日にも仮設にいらっしゃる住民さん。。いろいろな事情により親族とともに新年を祝うことができない方々に寄り添う活動です。能の上演ももちろんありますが、昨年の夏に地福寺さん主催の催しをしたときに知り合ったフルートの うっちー、キーボードのひでこさんによるコンサートもあり、そして紅白でも見ながら住民さんと一緒に鍋でもつついて。。という計画でした。

幸いに我がプロジェクトの気仙沼リーダー。。支店長。。?支部長。。? である緑さんが主婦の知恵をいろいろと提案くださいまして、鍋は豪華「かに鍋」と早々に決まり、その手配もしてくださいました。この日は野菜など当日に仕入れた方がよい食材や酒などを調達。大川の近くにありながら震災で壊滅的な被害は免れ、その後復興したイオンがありますので、食材は一気に揃いました。よかったよかった。

今回は初めての炊き出し支援ということでしたが、準備が本当に大変なんですね~。鍋が一番簡単な炊き出しだと思いますが、事前の買い出しでは発泡スチロールの皿や割り箸、小分けにする調味料を買い込み、鍋やコンロはみんなで持ち寄る事としました。食材の購入には、申し訳ないけど参加するボランティアが負担し、プロジェクトからも1万円を拠出して。。住民さんのうち集まってくださる人数もわからないから、食材は少し余分に買い込むことにしました。足りなくなるのは惨めな感じですから、どっさり余って、参加者が手分けして持って帰るくらいのつもりで。。





こちら、食材やら装束やら鍋やらクーラーボックスやらを積み込んだ ぬえの愛車「レイちゃん3」。もうここまでくると何がなにやら。。使いたいものを見つけだすのも容易じゃありません。。

費用の面でも手間の面でも、炊き出しというのは大変だということがよくわかりました。これが震災の年の秋くらいまでは石巻市の場合では毎食1万人分の用意が必要だった、というのですから。。震災直後から夏くらいまでは自衛隊が炊き出しをやっていましたが、その後は市の職員やボランティアが中心となって行われました。人海戦術でないと、とても出来ない。。

なお今回は伊豆で ぬえが指導している「子ども創作能」のママさんから、椎茸を提供頂きました! あとで住民さんからも大好評だったのですが、当初は ぬえにお歳暮代わりに頂いたもので、ちょうど良い時期だから今回の活動の炊き出しの食材として出すことに。ママさんはそれを聞いて、ちょっと足りませんかね~? と心配頂いて、さらに多くの椎茸をくださるとのこと。かれこれそんなやりとりをしていたのが出発間際の頃だったため、椎茸は宅配便にて仮設に直接届けて頂くことになりました。年の瀬にお手間とらせてしまいました~

さて食材も大体買いそろえたところで浩乃ちゃんと日出子さんから連絡が入り、そろそろ気仙沼に到着するとのこと。ぬえたちは昼食を摂ることにして気仙沼横丁(仮設商店街)に行きますと、今度は太鼓の大川典良さんから すでに仮設住宅に到着した、との連絡が。。それはいくら何でも早過ぎだろう。。

大川さんはスケジュール多忙の中、毎度かなりハードな日程でお手伝いくださいます。大概は夜通し走って朝に到着すると、そのまま活動に参加してくれて。。今回で3回目の活動協力だと思いますが、いつもなぜか気仙沼での活動ばかり。彼とは震災前の石巻と気仙沼で ぬえの師家による学校公演にもご一緒していて、そんな事から ぬえたちの活動に協力してくださるのでしょう。この日も前日まで東京近郊で予定があるとのことで、活動の日に直接東京から駆けつけてくださいました。

第19次支援活動<気仙沼市>(その5)~活動の食事事情

2014-02-01 15:06:52 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【12月31日(火)】

翌朝、宿は素泊まりなので前夜に買ったコンビニ弁当で朝食。しかしまあ。。2年半の間、東北での活動では食事はほとんどコンビニ弁当だな~。いや、ときには おいしいものをご馳走になる機会も稀にはないでもないですけれど。。そして今回もこの前日の昼食は登米市で郷土料理の「はっと汁」を頂きましたが、それにしてもコンビニ弁当の頻度は高いです。宿が素泊まりなので、朝食を食べにわざわざレストランに食べに行くよりは活動開始まで朝ゆっくりしていたい、とか、一日に2カ所以上の活動をする場合、どうしても移動や準備に時間が掛かるので、昼食はゆっくり座って食べているヒマがない、など仕方のない事情もありますけれども。

この際、今回の活動を例に食事の事情を整理してみよう。

<12月30日>
未明に東京を出発 … 朝食=高速道路のサービスエリアにて各自パンなどを買って。
登米市に到着 … 昼食=郷土料理「はっと汁」専門店
陸前高田に投宿 … 夕食=未来商店街(仮設商店街)にて

<12月31日>
宿は素泊まりのため … 朝食=前夜に買ったコンビニ弁当
活動のため食材等調達 … 昼食=気仙沼横丁(仮設商店街)にて
仮設住宅にて炊き出し … 夕食=炊き出しの余り物(それにもありつけなかった者あり)

<1月1日>
宿は素泊まりのため … 朝食=前夜に買ったコンビニ弁当
大島に渡航 … 昼食=港の付近で買ったコンビニ弁当
活動終了 … 夕食=高速道路のサービスエリアにてラーメン

。。う~~ん、我ながら寂し~い気持ちになってきました。
そっかぁ、世間ではお雑煮食べてる元日に我々の朝食はコンビニ弁当だったんだなあ。。そのときは深く考えなかったけれど、年が改まって最初の食事だからなあ。ここまで来れば ぬえたちはコンビニのお得意様ですね。コンビニの本社から報奨金でも支給されないですかね~。

まあ。。頂いた募金を資金として活動している身としましては宿は素泊まりと決めているので、みずから調達する朝食が質素なのは仕方ないとして。それから活動のある日の昼食は、前の公演の後片づけ~移動~次の公演地での上演準備に大幅に時間が取られる事情があるので、まずレストランに落ち着いて座れる可能性はないとして。それにしても夕食くらいもう少しマシに改善できないかなあ。。

でも、時には豪勢な食事をご馳走になることもありまする! 震災の年の暮れには釜石の旅館「宝来館」で夕食をご馳走になったし、気仙沼の児童劇団「うを座」でワークショップをした時にはそのお礼に、と、紫市場(仮設商店街)にあるお寿司屋さん「あさひ鮨」さんでご馳走になって、これは衝撃的な美味しさでした。あとは石巻では湊地区の焼き鳥屋さん「東助」さんかなあ。こちらは自費で毎度飲みに行く常連さん。こうして飲みに行ったりすることもあるから、まあ、あんまり食生活を悲観することもないか。