ぬえの能楽通信blog

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三位一体の舞…『杜若』(その11)

2024-06-07 01:26:09 | 能楽
序之舞が終わるとシテが「ワカ」と呼ばれる小段を謡います。地謡がこれに続けて謡うのですが、この地謡と合わせると言葉通り和歌と同じ文字数になりますね。

シテ「植ゑ置きし。昔の宿のかきつばた。
地謡「色ばかりこそ昔なりけれ。色ばかりこそ昔なりけれ。色ばかりこそ。


物着のあとのシテの言葉の中に見える「玉雲集」の歌がここに現れます。そのときは「女の杜若になりし謂れの言葉」だとして引かれた歌ですが、このワカではそれを踏まえつつ、別の意味で謡われていると思います。もとの歌は昔の恋人に贈った歌ですが、ここでは昔を懐かしむ思いで、シテが藤原高子の立場と考えれば恋人の業平との逢瀬を懐かしむのであろうし、杜若の精の立場とすれば業平の歌に詠まれた思い出、ということになるでしょうか。いずれにせよこれらは女性の立場(杜若の精も女性と考えれば、ですが)から業平への思慕なのですが、すでにこの能では業平は菩薩の分身であって恋も衆生を仏の道へ導く方便だった、と語られているわけですから、これは単純に恋人との楽しい時間を思い返した、と読むわけにはいきません。

「昔なりけれ」と言うように、いまワキ僧に物語をしている「伊勢物語」の恋のお話はすべて過去のもの。藤原高子も、歌に詠まれた杜若もすでにこの世にはいないはずで、そうなれば業平菩薩の功徳によって彼女たちは極楽世界に再誕したと思われます。つまり衆生である高子や杜若の精は業平との邂逅によって仏果を得たのであって、その端緒となる業平との出会いを仏縁のはじめとして思い返しているのでしょう。

ここでようやく能「杜若」のシテが一体誰なのか、ということが明白になってくるように ぬえには思えます。これはすでに前述したのですが、ぬえは「杜若」のシテは業平を中心に、高子、杜若の精の三者がひとつの身体に共存している姿と捉えています。すでに他界し極楽浄土に再誕した女性たちは業平菩薩の脇侍のように彼に付き従って、菩薩がいま再び衆生を救済しようとして舞台に登場したのに一心同体のように従っているのであって、身にまとっている冠や唐衣をシテは「形見」とはっきりと述べているにも関わらず、それは三人が共存している姿なのだ、と ぬえは読んでいます。

この舞台での衆生救済、ということについても、戯曲上はワキ僧を救おうとしているようにも見えるけれども、実際にはワキを代表としながらそれを通して衆生全体が救済の目標であろうし、作者はこの能を見ている観客を想定してこの能を書いていて、むしろこの能を見に来た観客を救済。。というか観客に寿福を与えるのがこの能が作られた目的なのだと ぬえは確信しています。

シテ「むかし男の名を留めて。花橘の。匂ひうつる。菖蒲の鬘の。
地謡「色はいづれ。似たりや似たり。杜若花菖蒲。梢に鳴くは。
シテ「蝉の唐衣の。


もうひとつこの能で思うことは、三人の物語であるはずなのに藤原高子の影がどうも薄いように思えますね。でもまあ、歌を通して業平が心を通わせた高子も業平菩薩から見れば杜若の精と同じ衆生の立場であるし、それが極楽往生したのであれば身分の違いも人間や植物という違いもすでに消滅していて同じ仏弟子であるはず。この能の舞台は都ではなく三河国なのだし、いまや一心同体のような存在となった二人を杜若の精が代表している、と考えるほかないかも。

「蝉の唐衣の」というところで珍しい型があります。扇を持ったまま右手で長絹の左袖を引っ張る型。。似た型は「高砂」にもありますが、かなり珍しい型です。袖を見る型なのですが、「蝉の抜け殻」と自分が着ている唐衣を同一視する、というような意味で、ちょっとわかりにくいかもしれませんが、じつはここは重要な型だと ぬえは考えています。唐衣はいわば高子の人間界での衣裳なのであって、東下りをして遠く隔たっている業平との接点でもあります。しかしながらこれを「抜け殻」と見るとき、人間界からの決別を意味するのであって、今や業平との思い出さえ昔の話となり、菩薩に従う自分の身には必要のないものなのです。

そう読めば、次に来る能「杜若」の最後の詞章は意味が深くなります。

地謡「袖白妙の卯の花の雪の。夜も白々と明くる東雲の。浅紫の杜若の花も悟りの心開けて。すはや今こそ草木国土。すはや今こそ草木国土。悉皆成仏の御法を得てこそ。失せにけれ。

高子と同じように今や杜若も「悟りの心開けて」極楽世界の住人となり、シテもこのとき扇を胸の前から頭上にまでゆっくりと引き上げる「ユウケン」という型をします。「心が晴れやかになる」という意味を込めるのですが、扇を上げるときにシテの顔が短時間隠れるとき、シテは往生を遂げた純粋無垢な存在へと変身した、と ぬえは考えています。

仕舞でもよく演じられるこの部分なので「ユウケン」の意味は以前からこのように ぬえは捉えていましたが、今回「杜若」の本文をよく読むと意外な発見がありました。。この部分でシテの色が変わっているのですよね。

「袖白妙」「卯の花」「雪」。。すべて白一色で、純白のイメージといってよいでしょう。さらには「夜も白々」。これも白。。そして極めつけが「浅紫の杜若の花も悟りの心開けて」です。

何気なく本文を読み、またこれまで何十年も自然に謡っていましたが、考えてみるとシテは最初の登場の場面でこう言っているのです。

さすがにこの杜若は。名におふ花の名所なれば。色も一しほ濃紫の。。

紫色の杜若が、この八橋ではさらに「濃紫」なのだ、と誇らしげに言うシテ。それは名所の杜若だから、とうだけではなくて業平に歌に詠まれた、という自負でもあろうし、あとで明かされるように仏縁によって成仏できた花だから、という意味もあるでしょう。

ところが能の終盤に至ってその杜若の色は「濃紫」から「薄紫」に色が変わっているのです。

「薄紫」は「薄い紫色」ではなくて、「白妙」「卯の花」「雪」、そして夜明けと溶け込んだ、つまり純白、と読むべきでしょう。今や舞台全体が白一色になってしまった。それは清浄な仏の世界が舞台に現出した象徴なのでしょう。ぬえはこれに気づいて今回の上演での装束の色の取り合わせを決定することができました。いや、白にしたのではありません。むしろ ぬえ自身が所蔵し、また「業平菱」という業平にゆかりの文様が織り出された白い長絹を使うつもりだったのをあえて封印したのです。✌

矛盾に聞こえる、と思われるでしょうが、それには ぬえがこの難解な仏教世界が投影された能「杜若」をどうやったら現代人の前で違和感なく上演できるか、について、この半年ばかりずっと悩んできた経緯があるのです。結局その方法についてひとつの結論には至ったのですが、この発見はその結論を強く補強するものだったのです。    (続く)

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