ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その15)~気仙沼「出船送り隊」に参加

2013-05-31 02:29:33 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【3月10日(日)】

。。すいません、ブログでのご報告は2ヶ月前の出来事です。。しかもまだまだ続く。

飲んで食べて騒いで。。楽しく1日目の公演を終えて宿で就寝。催しというのはいつもそうですけれども、始まるまで不安で不安でたまらないものです。そうして最終的に自分の出来、お客さまの反応、進行が円滑であったか。。いろいろ考えて、眠れぬこともあれば幸せな気持ちでいっぱいになる事もある。この夜の ぬえはまさに幸せの絶頂でした。ここまで公演の出来映えとお客さまの反応が良いとは思ってもみませんでしたからね。公演旅行の始まりがこれほどの成果を挙げると、活動自体に弾みがつきます!

さて明けて10日の日曜。今日は13:00に昨晩飲みに行った「復興屋台村 気仙沼横丁」での公演と、夜には18:00頃から階上の地福寺さんでの追悼法要への出演が決まっています。

宿をチェックアウトして、ちょっと早いけど屋台村さんへ行き、会長さんにご挨拶してカギを開けて頂いて上演準備。で、こんなに早く楽屋入りしたのには理由がありました。それが、ぬえが楽しみにしていた「出船(でふね)送り隊」への参加です。

漁船は、ひとたび出航すると遠洋なら1年以上、近海でも1ヶ月程度は陸に戻りません。そこでしばしのお別れとなる「出船(でふね)」~出航を地元の人が盛大に祝って送り出す行事が行われます。気仙沼のそれは震災前から殊に有名だったようで、地元の婦人会「つばき会」が中心となって大賑わいで行われていたそうです。ぬえもその事は聞いていましたが、YOUTUBEの次の映像を見て、あまりの盛大さにビックリ!

気仙沼つばき会 さんまの出船おくり

送り出す側は飛び入り自由で、「出船送り隊」なんて呼んでいるみたい。で、これは見てみたい、いや、参加してみたい、と ぬえはずっと思っておりました。たまたまリアス・アーク美術館での「星と能楽の夕べ」公演や、そもそも気仙沼で活動を始めた頃からお世話になっている高橋和江さんが「つばき会」のメンバーだったことから、この旨も伝えてあったのですが。しかし、YOUTUBEの映像を見るかぎり、これほど盛大な行事であれば、逆に開催はレアなんだろうな。。と思わざるを得ません。毎日とか毎週末では、この人数は集まりますまい。ぬえが気仙沼に滞在しているときにこれに当たるかどうかは運次第。

ところが今回、高橋さんから事前に連絡があり、「11日は大安だから出船送りがあるかも」という情報が。大安だから。。船乗りさんは本当に縁起をかつぐものなのだとはその後も何度か聞く機会がありましたが、この大安の出船のお話しがその最初だったかもしれません。。そうして「星と能楽の夕べ」公演の当日になって、高橋さんから「明日11時に出船送りがあるそうです!」と連絡を頂きました!!

この日の屋台村さんでの上演は13:00からだから、11:00の出船送りに参加しても、30分で切り上げて楽屋に戻れば上演にはギリギリ間に合う計算。そこで上演の準備を早めに済ませて魚町の周辺の、よく漁船が停泊している場所に行って待っていました。

。。が、待てど暮らせど人が集まる気配がない。。高橋さんに電話してみると、「ええ~っ? 出船送りの会場はそこじゃなく、コの字岸壁っていう。。わかるかなあ、ええとそこからの行き方は。。」完全に ぬえの勝手な思いこみでした。「コの字岸壁」。。名称こそ知らなかったけれども、地形を表している呼び名だとすれば、これは鹿折の方ヘ向かう途中の。。あそこしかない! もう、当てずっぽうですけれども、ダテに2年近くも気仙沼に通っていない。急いで車を走らせると、案の定 ぬえの思ったその場所がまさしく「コの字岸壁」でした!

高橋さんに挨拶して、さっそく「福来旗(ふらいき)」を1本貸して頂いて漁船に声援を送ります。「行ってらっしゃ~~い」「行ってらっしゃ~~い」2~30名の人々が「福来旗」。。気仙沼の伝統的な日の出の文様をあしらった、大漁旗を小型にしたような手旗をてんでに振って送るのです。



この日は近海漁船だというので 送る人もこの人数ですが、遠洋航海の出船となると、それはそれは盛大な「出船送り」が繰り広げられます。さきほどのYOUTUBEの映像も遠洋航海のそれなのですね。



この日は3~4隻の出船があるとのことで、それで遅刻した ぬえも間に合ったわけですが、高橋さんの説明では ぬえが送り出すこの船には、初航海の若者があるとのこと。ををっ、それは!「行ってらっしゃ~~い」「初航海おめでとう~~」!!

船も汽笛を鳴らして、出船送りに応えます。まさに心と心が触れ合う現場に ぬえは立ち会うことができました! 感激です~~!

第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その14)第2回公演~そうして打ち上げへ~!

2013-05-27 03:43:24 | 能楽の心と癒しプロジェクト
第1回目の公演を終えて、ほんの10分程度の入れ替え時間を挟んで2回目公演の開演。当初は1回の公演の予定で、むしろ市街地から少し離れた山の中腹にある美術館なので、そもそもお客さまが集まってくださるか? の方が不安だったのですが、気仙沼の関係者から前評判は上々、というご報告を頂いて、もしお客さまが入りきれなかったら? という心配が出てきました。

プラネタリウムを気仙沼に出現させる! という『星と能楽の夕べ』公演のコンセプトからして途中入場や立ち見は難しいかも、と思い、せっかく来て頂いたお客さまを追い返すようなことはできず、それならばむしろ、ガラガラであっても2回公演にしましょう、と関係者さまとの相談の中での ぬえの判断によって、2回公演に決まったのは公演の数日前だったと思います。

結果的には第1回目がほぼ満員、2回目はその宣伝ができなかったことから20数名の参加、という感じでしたが、合わせて120名のお客さまにご覧頂けたのは ぬえの予想を大幅に上回った好成績だったと思います。

2回目公演の終演後、同じ美術館内の別の場所にあった富永成風さんの作品展会場に装束を着けたまま移動して、画伯、出演者、スタッフ、関係者一同で記念撮影~

すでに美術館の閉館時刻も廻っていたので急いで撤収して、星空解説のKさんとピアニストのMさんはそれぞれ新幹線と車で帰宅。この方たちは0泊2日の行程で ぬえらプロジェクトの活動にご協力頂きました。スタッフさんもすごいけれど、このお二人もすごいねえ。ぬえの思い描いた『星と能楽の夕べ』の世界、というものがあるわけですが、事前にメールで説明したって、電話で話をしたって、微妙なニュアンスというものだってあります。それが伝わらない、誤解されちゃうのを ぬえは恐れていました。ここまでロマンチックな催しとなると、ちょっとした勘違いとかミスで台無しになってしまうもの。

結果として、ぬえが描いた理想の100倍美しい世界を、この当日になって到着した出演者。。それから映像オペレーターのM島さんも、ですね。。が、見事なまでに描いて見せたのです。

さて ぬえや笛のTさん、縦横無尽の活躍を見せたスタッフのAさん夫妻、A夫人のお姉さんのNさん、映像オペレーターM島さん、カメラマンのMさんは、この夜は気仙沼に宿泊なので、それぞれの宿舎に荷物を置いてから打ち上げをする事になりました。

行き先は「復興屋台村 気仙沼横丁」! 震災後には気仙沼大島に渡るフェリーの乗り場となり、震災前には観光桟橋+ショッピングセンターとして大層な賑わいだった「エースポート」の向かいに作られた仮設商店街で、ぬえらプロジェクトが翌日に公演を行う会場です。

。。が、そのエースポート。。もちろん津波の被害を受けてショッピングセンターは営業中止のままだったものの、それとともに震災後もずっと機能を果たしてきた立体駐車場も、この時訪れてみると跡形もなく撤去されていました。それでも今でも海に沈んだ乗船のための桟橋だけは無残な姿をさらしたままですけれども。。

ともあれ「復興屋台村」に到着してみると、何やらあちらで輝く美しいものが。。



これ、地元で活動している伊藤雄一郎さんらが立ち上げたプロジェクトの一環で「風の広場」での「希望のたまご」というものですね。自転車などエコ発電を利用したライトアップのイベントです。近づきましたが、何度か連絡は取り合った伊藤さんとは会えず。。

さて「気仙濡横丁」では、事前に送ってあったプロジェクトの公演ポスターをお店の前に貼ってくださっていた「たすく」さんに入ってみんなで乾杯~~ いやいやお疲れさまでした~。





を? あとで分かったことですがトイレにもチラシが貼ってありましたよ。



帰ろうかと思ったところで、お店から「せっかくなんだからお名前を書いていってください」というお申し出が。見れば店内のいたるところに寄せ書き風の書き込みがあります。ぬえたちもみんなで。。しかも店内のカウンターに署名しました。









かくして初日から大成功の公演となり、ぬえは幸せを感じながら宿舎。。安価なビジネスホテルへ。いやいや、この打ち上げも、宿舎も、スタッフさんにはすべて自己負担をお願いするような どうしようもない財政状況ではありますが、それでも思いだけは強い人々が集って、そうすれば ぬえなんぞの理想よりも遙かに素晴らしいものが出来る! そんな事を、おそらくこの活動の中で初めて実感した一日だったと思います。


第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その13)翔べ翔べ、天女~

2013-05-25 00:10:00 | 能楽の心と癒しプロジェクト
やっと天女さん、登場しました~ もう宮城県で何度『羽衣』を舞ったことだろう。でも、今回はまた感慨深いものがありました。





素晴らしい会場、素晴らしいスタッフ、そしてもちろん気仙沼の関係者の並々ならぬご協力がなければ、この公演は実現できませんでした。震災から3ヶ月後には気仙沼には来ていたけれども、知人ひとりない状態で(それ以前には学校公演で新月中学校にお邪魔しただけでしたので。。)、指をくわえて見ているしかありませんでした。

それが、たまたま震災後に舞台のお手伝いをさせて頂いた東京の劇団 演劇倶楽部『座』の主宰者・壌晴彦氏と知己になり、その壌さんが偶然にも気仙沼の児童劇団『うを座』の指導をしておられたご縁でご紹介を頂くことができました。こうして気仙沼でプロジェクトの活動が開始できたのは、震災の年の、ようやく年末になってからでしたね。末になってからでしたね。あ、『うを座』の鈴木座長さんもこの日応援に駆けつけてくださいました!



それから、『うを座』の関係者のご紹介で、ちょうど今 ぬえが向かっている気仙沼の障害児童支援団体『ネットワーク・オレンジ』さんで公演をさせて頂いたり、笛のTさんの関係から海底清掃などのボランティアを行っている横浜の団体『海をつくる会』さんのお招きで、気仙沼大島で活動させて頂いたり。。こうしてご協力を頂ける方が次第に増えてゆきました。気仙沼では仮設住宅よりも仮設商店街での活動がどちらかというと目立つのですが、南町の紫市場さんや、もう撤去されてしまったけれど、フェリー乗り場の前のエースポートのすぐ脇の復興屋台村・気仙沼横丁さんなどでも活動させて頂きました(そうして今日は来週に鹿折の復幸マルシェさんにも初めてお邪魔させて頂けることになりました!)。

気仙沼で活動を始めて1年半になろうとしていますが、気仙沼に限らず復興の進捗を見て、それは必ずしもはかばかしいものではないのだけれども、建物や産業の復興は ぬえには手に負えないけれど「文化の復興」という事を考え始めました。これが1年前くらいのことです。ちょっとナマイキですけれどもね。

こうしたところにKさんからプラネタリウムでの能の上演のアイデアが出され、これは宮城県の大崎市で昨年の2月に実現しました。ぬえはこの発想に大いに刺激されて、もともとプラネタリウムがない石巻や気仙沼。。お友達がたくさん出来たこれらの街で、同じような試みが出来ないかと考えたわけです。市民が普通に文化活動や芸術を楽しめる街にしたいな、というのが、今の ぬえのもっぱらの気持ちです。

昨年6月に、石巻の栄光教会さんを会場に拝借して1回目の『星と能楽の夕べ』公演は実現しました。今回の気仙沼公演が2度目の試みになるのですが、まさかこんなに素晴らしい会場があるとは。

手前味噌ではありますが、この『星と能楽の夕べ』公演、本当にロマンチックで素晴らしいものになったと思います。ぬえや笛のTさんは能の上演についてはプロだけれど、PCを使って星空を投影したり、ピアニストをお招きして演奏頂いたり。。そのときの音響や照明の扱いについては素人です。いや、Tさんは、ことハードに関しては玄人同然ですけれども、ソフトや演出を含めた、いわゆるプロデューサーのような立場に立てる人は、この公演では皆無でした。ぬえはこの公演には思い入れが強いし、またマメに導入DVDを作ったりするのは得意ではありますが、実演の場では演じること以外は人にお任せするしかありません。

「星と。。」公演の成功には賭けていました。そのサポートを、ボランティア・スタッフさんにお願いするところに そもそも無理はあったはずなのですが、それがこれほどの成果を挙げるとは、正直思っていませんでした。今回の公演の出来映えは、ぬえの想像を100倍上回るものだったと思います。

素晴らしい会場ももちろんですが、優秀すぎるスタッフさん、もう何度この言葉を言ったかわかりませんが、賞賛してもし尽くせないです。そうしてご多忙の中をご挨拶から司会から、会場受付から、一人で何役をこなしたの? と思う活躍を見せた高橋和江さん。翌日の追悼コンサートと法要を控えて駆けつけてくださり、重厚な黙祷を率いられた片山秀光ご住職。美術館で行われた作品展にプロジェクトの公演の参加を快くお許し頂いた富永成風画伯と実行委員会の熊谷光良さん、プロジェクトの公演に多大な便宜を図って頂いた美術館のみなさん。この方々のお力添えで成功した公演だったと思います。













天女、気仙沼の星空を翔ばせて頂きました~!

第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その12)星空解説とピアノ演奏

2013-05-24 19:02:45 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ご挨拶と黙祷のあと、星空の投影が始まって(たぶん。。ぬえは見れないのでした)、こうしてとうとう「星と能楽の夕べ」気仙沼公演の開始。ぬえには夢の時間です。

星空解説担当。。どころか、この公演のアイデアをもともと実現した「星と能楽の融和実行委員会」のKさんは、今回も星座の和名の話題を出したのですが、なんと『小袖曽我』に登場する曽我兄弟の星座があるんだとか!



Kさんには、今年は彗星の当たり年だという情報を事前に頂いていたので、ぬえ製作のオープニングDVDでもその話題を入れておきました。いや。。Kさんに教えてもらうまで、彗星が来るなんて全然 ぬえは知りませんでした。。しかも、この公演のその当日がまさに彗星がやって来ている日なんですって!! 。。実際にはこの彗星はあまり観測の条件が良くなかったのですが、秋には大きな彗星が見られるらしいですよ!

やがて解説のバックに、控えめなストリングスの演奏が絡んできました。ピアニストのMさんが奏でているものなのですが、この場面では星空解説の邪魔をしないようにBGMに徹した演奏。。素晴らしいです。

今回は会場にピアノがなく、Mさんは安~いキーボードを持参します、という事前のお話しでした。聞けばMさんは石巻などでの活動の際に、会場にピアノがなければこのキーボードを持参するそう。とはいえ、そのキーボードは。。千円で買った安物なんですって(!)。。このフレキシブルな感じが良いですね。まさにボランティアさんらしいです。実際には重い電子ピアノは持ち運びが無理な場合があるから、という事情もあっての選択でもあるそうですが。。でも演奏すると鍵盤が足りなくなるんですって(笑)。

で、いろいろ考えて今回は ぬえが中古の電子ピアノを買って持参しました。これも2千円で買ったんだけど。でも88鍵、ピアノ・タッチのれっきとした電子ピアノ。ちと不具合もありましたが、それは笛のTさんが東京でハンダごてを片手に改造して直しちゃいました(笑)。

でも、ぬえもそうじゃないかな~、とは薄々思っていたのですが、星空解説のBGMにはピアノよりもキーボード系の音の方が良いんですよね。そうして、今の電子ピアノにはストリングスの音源も入っているけれども、タッチの重い電子ピアノではストリングス系の音は弾きにくいのです。Mさんもそう思って、電子ピアノは用意してあるけれども、この場面のためにキーボードを持参されたのでした。

やがてMさんのピアノ演奏になります。星空の投影は続きますが、これはPCでのシミュレーションではなく、実際の星空を写した映像DVD。ここでも映像スイッチャーのM島さんが見事に切り替えをして見せました。すごいすごい!(ぬえからは見えないけどあとでビデオを見ました~)。。星空解説のときはPCによる天文シミュレーションを使ったのに、なぜここでは実写のDVDなのかというと。。じつはMさんのピアノ・コンサートは10分程度しか時間が取れなかったのですが、それでもPCでは どんなにゆ~~~~っくり時間を動かしても、どうしてもシミュレーションが朝になっちゃうんですって(笑)。

ま、そんなこんなの裏事情もありますが、ともかく星空は美しく(見てないけど)、ピアニストのMさんは電子ピアノを、まさに弾きまくっていました。



やがて再び星空の解説。今度は能『羽衣』に導入するための月の宮殿のお話しです。M島さんはまたまたPCにスイッチし、その間に月の画像のスライドショーを準備、できあがったところでそちらに再び切り替え。。神ワザですな。ぬえが要求したんですけども。音響・照明のAさんも、ここではMP3プレイヤーのオルゴール音源をひそかに流す。。この「ひそかに」ってのが大切です。今回はそういうセンスを持った人たちが集まってスタッフさんになってくれました。

M島さんは今度は会場の照明を薄く点けて、ぬえの登場の準備。笛のTさんはそっと外のロビーを通って客席に入り、ステージに上がるとオルゴール音源と交代するように笛を奏で始めます。



こうしてやっと ぬえの出番がやってきました! M島さんにドアを開けて頂いて、真っ暗なステージに踏み出すのは不安ですが、ステージから落ちないように、あらかじめ仕掛けは施してあるので大丈夫~。(←痛い経験あり)

第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その11)開演~地福寺・片山秀光さんの黙祷

2013-05-23 01:43:59 | 能楽の心と癒しプロジェクト
いよいよ気仙沼「星と能楽の夕べ」公演の開演。

開場からずっと流し続けている ぬえ製作のロマンチックなイントロDVDの音声だけを、装束を着たままステージ裏の通路で床几に掛けたまま聞いていました。美しい。。この音楽や映像に出会ったのは ぬえの幸せだったと思います。DVDの制作には2晩掛かったけど、自信がある出来になりました。

で、あとはずうっと自分の出番を孤独に待ち続けるだけ。。笛のTさんは機材ハードに強い方なので、万が一のトラブルに備えて映像をオペレートしてくださっているM島さんと一緒に進行を見守っているようです。この会場はステージとその裏側の装置類のある部屋とはドア1枚で隔てられているだけなのですが、事故が起こってもこのドアを開けるわけにはいかない。スクリーンのすぐ隣りにあるドアなので、これを不用意に開けると、せっかくの公演が台無しになってしまいます。だから、このドアのすぐ前。。ステージ脇でPCや照明・音響を操作しているKさんやA氏にトラブルが発生した場合は、Tさんは ぬえが待機している通路を駆け抜けてロビーを廻り、客席入口のドアを通って対処に向かう、という荒技になる手筈でした。そんな心配もしながら、ぬえは何もできずに座っているだけ。。

やがて開演時間となり、気仙沼の呉服店の店主で、精力的に日本中を飛び回って活動しておられるTさんが司会で、富永画伯の作品展の実行委員長のKさんのご挨拶が聞こえてきました。





富永さん、そうして作品展の実行委員会のご協力がなければ、こんな素晴らしい会場で上演することはできませんでした。改めて感謝。。

そうしているうちに、この日までついにご挨拶ができなかった、気仙沼の階上地区のお寺 地福寺さんのご住職である片山秀光さんの声が聞こえてきました。

片山さんは、ご自身もお寺も被災されながら、震災直後から様々な活動を進められ、階上地区の精神的な支柱となっておられます。弟さんがプロのジャズ・ドラマーのバイソン片山さんだということもあって、音楽やステージイベントには並々ならぬ才能をお持ちで、お寺でもしばしば追悼や復興のためのコンサートを開かれておられます。ぬえたちも昨年2月に地福寺さんで活動させて頂き、この時に片山さんとは終演後に深く深く話し合う機会を持たせて頂きました。

この時から ぬえは片山さんとご一緒に活動することがひとつの目標になり、とうとう今回の活動に結実しました。この日は ぬえらプロジェクトの公演に参加頂き、翌日は地福寺さん主催の追悼コンサート+法要に こちらがゲスト出演させて頂くことになっています。

ところがご多忙な片山さん。。この日も開演間際に会場にご到着になったようで、そのうえ公演の冒頭にご出演? 願ったのですが、直後に会場を後にされたようです。結局、この日は一度もご挨拶もできないままに終わったわけなのですが。。

ところが。ここで ぬえが瞠目するような事が起こりました。

片山さんはこの日、「祈りの言葉」としてご挨拶を賜り、また震災2年目を目前にして、お客さまとともに黙祷を捧げることをお願いしていました。

じつは ぬえ、待機していたステージ裏の通路では、会場で話されているご挨拶は断片的にしか聞こえてなかったのです。このときも、あ、片山さんの声だ。ご多忙なのにちゃんと駆けつけてくださったんだ。。と思った程度だったのですが、その後、静寂が ぬえに訪れました。

??

いや、ホント、ステージ裏にいて事情が見えない ぬえは、何らかの事故が起こったのかと思ったほどの、咳払いひとつ、雑音ひとつない。。恐ろしいほどの静寂だったのです。

あとで、公演の模様を撮ったビデオを見て、それが何なのか、ようやくわかりました。
片山さんが「それではご一緒に黙祷を捧げましょう」と宣言して、ご自身も黙想するように瞼を閉じられて。。その時に 片山さんが発した凄まじいまでのオーラが会場を支配して。。言うなれば物音ひとつ立ててはならないような。。そんな迫力があって、失礼かもしれないけれども、お客さまは身じろぎひとつできないような、そんな雰囲気に一瞬にして片山さんは空気を変えてしまったのでした。

舞台人として普段からビデオで自分の演技の録画を撮っては反省材料としている ぬえにとって、ビデオの功罪は理解しているつもりで、実際 録画映像というのは平板にしか映らないことは身にしみています。欠点も隠すし、うまくいった所も臨場感がない。

そのビデオを後日になってから見て、片山さんの発するオーラに ぬえは圧倒されました。映像でこれだけの発信をするなんて。。その場に居合わせたお客さまが沈黙するのも無理はないです。

こちらに、その時の画像をアップしておきます。あの迫力はどこまで伝わるでしょうかね。。






伊豆の国市子ども創作能~望月 前市長さんに感謝の集い

2013-05-20 16:10:35 | 能楽
昨日は伊豆の伊東市で薪能に出演、今日は沼津で結婚式への出演、そうして伊豆の国市で子ども能の稽古、と、伊豆三昧の2日間でした~。

で、この日の一番のニュースは、前伊豆の国市長の望月正和さんをお招きしての「感謝の集い」の開催でした。

望月さんは市町村合併によって伊豆の国市となる以前の旧・大仁町時代の町長さんで、その当時の14年前に大仁町のイベントの一環として、望月町長さんや、大仁町の有力者の方々のご尽力によって、いま ぬえが指導する「子ども創作能」が誕生したのでした。ぬえがこれに携わって すでに14年か~。その後伊豆の国市となってからも望月さんは市長さんとして、子ども能を支えてくださいました。

伊豆の国市の「子ども創作能」は、新作の台本を使った能形式の創作舞台で、試み自体が大変珍しいし、それが14年間も継続して上演され続けている、というのも日本中でほかに例がないと思います。そうして、14年間の間に子ども能自体も成長を遂げて、誰も成し得ないレベルにまで到達しています。子どもたちは最初はチャンバラを楽しみたいだけに参加したりするんですけれども、だんだんと友達が増えてきたり、舞台の中でお役を全うする、という責任や、それを成功させたときの達成感を得て、次の目標にチャレンジしてゆきます。。こうして ぬえもどんどん演技のハードルを上げていって。。いま、この街の小学生たちに ぬえは、能楽師と同等のレベルの舞を舞うことを要求したりしています。

活動の幅も広がって行って、昨年からは鎌倉や沼津でも公演を持つようになりました。それから、単に舞台で上演するだけでなく、子どもたちに郷土の歴史を学ぶ機会を持ったり、上演前に開場となる寺社に参詣したり、舞台の清掃をしたり。。いろいろな経験をさせるようにしていますが、これも14年間も稽古を続けてきた中ででだんだんと積み重ねてきたものです。

こうして発展してきた伊豆の国市の子ども創作能ですが、先日 伊豆の国市の市長さんが交代されまして、望月さんは市政から離れることになりました。そこでこの日、子ども能の稽古の前に、望月さんをお招きして、子どもたちから感謝の言葉をお伝えすることにしました。

子どもたちを代表して感謝の言葉を伝えたのは、6人の兄弟姉妹がある中で(!)、なんと5人までも子ども能に参加したIさんのおうちから リカちゃん(5年生)とタカラくん(2年生)の二人。。と、ここまでは ぬえが人選して、あらかじめお願いしておいたのですが、なんと! 二人は自作の感謝の作文を暗記してきていて、文章を読まずに感謝の言葉を伝えたのでした。これは驚きました。ぬえの期待以上のことを、いつも子どもたちは見せてくれますが、またしても やられた~~(*^。^*)

そのうえ、このとき読み上げられた感謝の作文が大変良いもので感動的でした。せっかくだからご紹介しちゃいましょう!



望月先生、子供能はとっても楽しいです。みんなでたくさん練習をして舞台で能をした後は充実した気持ちでいっぱいになります。大仁神社や鎌倉などいろんな所でしました。素晴らしい経験ができ嬉しかったです。能は日本の素晴らしい宝物と思います。能もよかったですが、いい先生と知り合い、たくさんの友達が出来た事もよかったです。日々の学校生活も楽しくなりました。伊豆の国市に生まれてよかったです。望月先生のおかげと感謝しています。本当にありがとうございます。 (学校名)5年 I・リカ

望月先生、子供能は、楽しいです。これからも頑張ります。 (学校名)2年 I・タカラ

う~ん、引っ込み思案だと思っていた(現にママがそう思って子ども能に参加させたらしい)リカちゃん、いつの間にかこんなに立派な文章を書けるようになって。。タカラは低学年ながら子ども能でも人一倍大きい声で地謡を謡える頑張り屋さんなので、こちらは安心して見ていました。

望月さんからも、継続することの大切さについて子どもたちにお話しを頂きました。子ども能が発足した当時、伊豆でもあちこちでいろんな新しい試みが行われたのですが、その中で現在でも続けられている事業はごく僅かなのだとか。能も600年続けて、今の姿にまで研ぎ澄まされてきたのだし、前述のように14年かけて子ども能が発展したことを思うと、続けることの大切さ。。そして難しさに今さらながら感慨深いものがありますね。子ども能だって一時は参加者が10名しかいない時期だってありましたもの。







ついで、子どもたちから感謝の寄せ書きと花束を贈ってもらいました。

と、ここで、これは ぬえの計画で、この日参列された 子ども能の関係者。。元・大仁町の教育長さんだった遠藤宏さんと、先日 伊豆の国市の市議に就任された内田隆久さんにもサプライズで寄せ書きと花束をお贈りさせて頂きました。

お二人は望月さんとともに子ども能を発足させた14年前から、同じくずう~~っと子ども能のために尽力、まさに奔走しながらご支援頂いております。数年前からは「伊豆の国市 能友の会」を結成されて、子ども能の主宰団体となってくださるばかりでなく、市民に能を普及宣伝してくださったり、観光の中に能を取り入れてくださったり、と、能楽界から見ても頭の下がる活動を幅広く展開してくださっています。

お二人は今後も子ども能のためにお力を傾けてくださるのですが、望月さんが市長を退いたこの機会に、同じく14年間の感謝をお伝えすることに致しました。



お二人はやはりご自分たちにまで感謝のしるしが贈られるとは想定外だった模様。サプライズは成功です。しめしめ。

さてこうしてセレモニーが終わったところで会場外のロビーに場所を移して(ホールの中は飲食禁止なので)、ジュースとお菓子で立食パーティーとなりました。わいわいがやがや。



伊豆の、この子どもたち、やっぱり幸せだと思います。先日は感謝をご両親に伝えることを子どもたちに課しましたが、この日は支えてくださる関係者へ感謝を伝えることができました。これからは新しい市長さんのもとで次のステップに向けて進んで行くことになります。さあさ、夏の公演に向けて、新作の『鵺』(古典の能の『鵺』とは別の新作)の稽古、がんばってください~


第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その10)展望室で撮影会~

2013-05-18 10:24:48 | 能楽の心と癒しプロジェクト
リハーサルが無事に終わって手応えをつかんだところで、急いで昼食を摂り、さて『羽衣』の装束を着けました。今回の公演でのもう一つの楽しみ。。リアス・アーク美術館の特別な場所で、プロジェクトの宣伝などに使うための撮影を行うためです。

リアス・アーク美術館に「展望室」というものがあって、これが絶景らしい。この情報を得た ぬえは、これはぜひ撮影に使ってみようと思っていました。実際に行ってみると、なるほど、もともと高台に建っている美術館だけに、見事な景色です!









早速ここで撮影~





Tさんに面を着けてもらって。。被災地での活動でTさんもすっかり手慣れてきました。能楽師の手不足で仕方なく始めた事とはいえ、お囃子方で装束の着付けのお手伝いができるのはTさんくらいのものではないかな~。もちろん通常の楽屋では許されないことです。でもTさんはもともと手先が器用なようですし、ご親戚にシテ方も複数おありだから素養もあったのかも。

スタッフや出演者も楽しそうに見ています。あ、美術館にたまたまお出でになったお客さまも興味深そうにご覧になっていました~。



さて撮影を終えて「希望の光 富永成風展」にもちょっと顔を出しました。京都在住の富永さんの作品展で、今回の ぬえらのプロジェクトがこの美術館で公演を持つことが出来たのは、この作品展の主催者である気仙沼の実行委員会さんのご厚意によります。作品展と連携した公演とさせて頂くことで、会場の提供はもとより、宣伝など様々な便宜を図って頂きました。

そのうえ富永さんの作品も天女などがテーマとなっていて、さらには能に題材を取った作品もあって、まさに今回上演した『羽衣』と似つかわしい作品展でした。これを知って ぬえも、富永さんの作品の展示室でなにかイベントを行おうと考えました。残念ながら美術館の方針として音の出るものは一切使用不可ということでしたので、作品の前で上演することはできなかったのですが、せめて作品の前で富永さんと写真を撮るぐらいはしようと思って。。

残念ながらこの時は富永さんがご自身の作品を解説する「ギャラリー・トーク」の最中でしたので、ご一緒の撮影は不可のようで、これは「星と能楽の夕べ」公演の終演後に改めて機会を窺うことにしました。

これにて公演の準備はすべて完了、もう装束が着いた ぬえは動くことができませんで、ステージ裏の楽屋。。というか通路で出番までずっと待機することになります。万が一の事故のときは笛のTさんが対処する事になっていますが、先ほどのリハーサルの出来映えを考えると、まず失敗は起こりませんね。

ここまで込み入った進行でプログラムを組み立てて、すべてスタッフさんにそれをお任せしちゃったのに、失敗は起こらないだろうという安心感~。ん~、ありがたい事です~。

いよいよ開場の時間。お客さま、集まってくださるかな~、と思っていたところに、Tさんから「満員ですよ~」という報告が。をを~~っ! がんばって練り上げてきた甲斐もあるというものです。飛べ~飛べ~天女さん、気仙沼の大空へ~

第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その9)当日リハーサル<驚異の完成度!>

2013-05-16 02:49:50 | 能楽の心と癒しプロジェクト
会場に向かう道すがら、公演当日。。つまり今日会場内に貼り出す追加の公演ポスターなどをコンビニでプリントして、いざリアス・アーク美術館に到着しました。

この日は出演者・スタッフ全員が集合して朝10時からリハーサルの予定。昨日から参加して頂いた音響・照明のA氏、会場係の美人姉妹はもとより、早朝に到着した星空投影のKさん、そうしてピアニストのMさんと映像スイッチング担当のM島さんも無事会場に到着。忘れてならない気仙沼の住民さんで今回の公演の実現に尽力してくださった高橋さんも到着~~

ざっとミーティングで昨日わかった問題点の既決法を確かめ、M島さんには初めて触るプロジェクターの映像切り替えの機器の操作方法を調べて頂き、こうしてリハーサルが開始されました。



。。いや実際、ぬえがスタッフさんに要求した内容は苛烈だったと思います。。
お客さまの入場時に流す ぬえ特製のロマンチックな導入DVD。開演時にはこれを停めて客電を落とし、スポットの1本目を用意。高橋さんと、同じくぬえらプロジェクトの今回の公演の実現にご協力頂いたKさんのご挨拶、そして地福寺の片山住職さまの黙祷の時間までがスポット照明。

次に「星と融和プロジェクト」のKさんがPCを駆使して星空を投影、この映像をステージ裏の調整室でM島さんがお一人でプロジェクターへ送る切り替えを行います。このときにスポット照明はオフに。PC映像を投影している間にM島さんは導入DVDを取り出して、代わりにピアノ演奏の際に投影する星空の映像DVDをセット。



星空の解説の間にピアニストのMさんはストリングス系の音色でそっとBGMのような演奏を開始。そのあと本格的なピアノ・コンサートになりますが、このときスクリーンには星空のDVDが投影され、スポット照明の2本目を薄くMさんに当てる。Mさんは演奏の合間にMCもあるので、これの切り替えも要。



ピアノ・コンサートが終わるとスポット照明を落としました。音響のA氏はMP3プレイヤーに収録したオルゴール音源を流し、二回目の星空解説。。これは月宮殿からやって来た天女のお話で、このあとに上演される能『羽衣』へのプロローグともなります。

この星空解説の最中に笛のTさんがそっと登場して笛を一管で演奏開始。それに伴ってオルゴール音源はFO。ステージ上のみ薄く照明が入る。スクリーンには月の画像のスライドショーが投影される。やがて『羽衣』のシテ天女。。ぬえが登場。。



このときの作業を、映像スタッフのM島さんはFBで
「本日の裏方のヤマ場、
一旦PC画面に逃げてDVD取り出して新しいのを差し込んで画面を戻してを30秒以内で、しかも再生の画面表示を出しちゃダメ、無事成功!
まるでアダルトビデオ見てたら母親がノックなしでいきなり部屋に入ってきて瞬時に何事もないように取り繕う中学生の如し!」
と、表現していましたが~~(^_^;) まあ、例えはともかく、それぐらい秒単位の精度を ぬえが要求した、ということです。それならプロを雇えばいいじゃないか、というか、そこまで言うならプロを雇うべきなのかもしれませんが、募金で運営するプロジェクトの資金ではそれはまた無理な話で。。難しい問題です。

ともあれリハーサルは無事終了。。どころではない、完璧な照明・音響・映像でした! まさに寸秒の狂いもないスイッチング。これはスゴイ。M島さんにいたっては前夜に急にお仕事の予定が狂ってこの日に気仙沼にようやく到着。ここで ぬえから構成表をもらって、機材を見て操作を覚えて。。そうだなあ、全員でミーティングをして自己紹介してから1時間も経っていない状態でのリハーサルだったのに、ここまで ぬえの理想。。身勝手な要求を出しての舞台成果が、厳密に実現できるなんて! 

そこに姉妹の会場係さんがやって来て ぬえに言いました。「リハーサルはちょうど ぬえさんが言った通りの時間で進行しました。ピアノの実演奏が長短する可能性と、2回公演のお客さまの入れ替えの時間が未知数ですが、こことここを工夫して、私たちがお客さまにこうアナウンスすればスムーズに進行するのではないかと思います」

。。え? お客さま係はいつのまにかタイムキーパーまで引き受けてくださっていました。しかも上演スケジュールの問題点まで考慮して。。

かくして ぬえは公演の成功の予感は ぐっと現実味を帯びて、とうとう確信にまで到ることができました。長い1日のスケジュールなのですが、ぬえはスタッフさんへの深い信頼と、なにより気仙沼で能を上演する、という熱い思いが ぬえと共有できたことが嬉しくて。

公演終了のご報告のときに改めて申し上げますが、公演の全体は、どこまで行ってもアマチュアの集団の手作りのものだったと思います。ぬえだって能の上演はプロだけど、音響・照明、あるいは演出みたいなものについては素人。でも理想は高くて、そのためスタッフさんに無理な要求をしてしまったのが今回の公演ですが、ここまでの完成度がリハーサル段階で出来るとは思ってもみませんでした。

手前味噌ではありますが、まさに驚異の完成度、と言って過言ではないと思っています。これ、すべてスタッフさんの力ですね。素・晴・ら・し・い!

第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その8)気仙沼・被災地域のいま

2013-05-14 02:20:15 | 能楽の心と癒しプロジェクト
前掲の「構成表」、気仙沼ホルモンのお店で笛のTさんと相談して練り直したものを翌朝に清書したものなんですが、ホルモン屋さんで書いた下書きをお見せしたかったな~。油まみれのギットギト。。ああ、ぬえの心も「構成表」の下書きも蝕む中毒に、あの気仙沼ホルモンは誘うのでした。

【3月9日(土)】

翌朝、例によって睡眠障害で早朝から起きだした ぬえは、夜行バスで早朝に気仙沼に到着しているはずのKさんをお迎えに行きました。気仙沼市役所前に到着する夜行バス、今月は ぬえも初めてこれに乗る予定です。夜行バスってのは経験がないなあ。大丈夫かなあ、眠れるかなあ? 。。あ、どうせ眠らないか、ぬえ。。

早朝に宿を抜け出して大川を渡るところで撮ったのがトップ画像です。いま気仙沼では桜の頃なのですが、これは今から2ヶ月も前の画像で、まだ桜は咲いていません。。が、この大川の川岸に並ぶ桜並木、今年限りで消える運命にあります。地元の人々が植えたことに始まり、震災前には170本以上が育っていた大川の桜並木ですが、震災でこの桜は、その上を越す津波をかぶりました。ところが震災の1ヶ月後、ガレキの中で100本以上の桜が花を咲かせたのだそうです。

ぬえも昨年のGW、この桜が咲いているのを見ました。以前とはまったく変わってしまった街並みの中で、変わらぬ満開の花を咲かせた桜は如何ばかり住民さんを元気づけたことでしょう。

しかし、地盤沈下した土地のかさ上げの対象地域であるため、この大川端の桜並木は消え失せる運命にあるそうで、先日は盛大に「気仙沼大川桜まつり」が開かれました。
気仙沼大川桜まつり

が一方、この桜並木の一部は移植され、また堤防工事が完了してからも桜の植樹は行われるみたいです。
ココロプレイス

さて「星と能楽の夕べ」のアイデアを出し、またこの公演で天文分野の投影と解説を一手に引き受けてくださる公演の要のKさんと気仙沼市役所の前で会いました。Kさんは気仙沼に来るのは初めてで、夜行バスでもちゃんと眠れたとのことなので、取り急ぎ被災地区を案内しました。





こちら、おなじみの「第十八共徳丸」。こうやって見ると大きさがよくわかります。こちらも今年の4月に船主との「貸借」の期限が切れ、いわき市の船主は解体の意向だそうです。震災の記憶をとどめる被災建造物や船などをモニュメントとして保存する意見もあり、これは賛否両論なのは周知の通りですね。。船主さんはこの船を廃船にし、同名の新造船もすでに就航しているそうなので、この船を撤去したいと考えるのは当然でしょうね。ぬえは撤去する意見に賛成。。とくに人的被害があった場所に残る物については残すべきでない、という立場だったのですが、先日名取市の閖上地区を見て、少し気持ちが揺らいでいます。この鹿折地区でも「この船がなくなったら誰も人が来なくなる」という意見が出ていて、考えさせられてしまいました。

気仙沼の内湾地区は、ほとんど整理されて何も残っていません。かつて無残な姿だった南気仙沼駅の周辺もただの空き地になってしまって、かろうじてプラットホームと駅前のロータリーがわかる程度。



半島のように海に突き出したこの地区も、昨年の正月あたりからは突端まで行けるようになりました。遠くに気仙沼大島が見える美しい風景です。



さて、宿に戻ると笛のTさんも起きあがったところ。ドミトリーの安宿の中で狭いながらも個室が我々が宿泊した部屋だったのですが、とりあえずKさんにはここで休息してもらい、ぬえはテレビのある談話スペースのような場所で前掲の「構成表」を清書しまして、朝9時頃、宿に併設している食堂で朝食を摂って、さてリアス・アーク美術館に向けて出発しました。

第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その7)前日リハーサル

2013-05-12 01:19:09 | 能楽の心と癒しプロジェクト
こうして始まった臨時のリハーサル。そもそもこの日は映像の切り替えを担当してくださるスタッフさんはお仕事の都合で欠席。。翌日、つまり上演当日に到着することになっていたので、この日は機材搬入とセッティングだけしかできない、という、ぬえにとっては実は大変心細い状況でありました。それでもスタッフさんに前日に集まって頂いた~交通費や宿泊まで自己負担を求めておいての呼集、という、ぬえってナニサマ状態のお願いでした~のは、音響や照明のスタッフさんにも機材の操作に慣れて頂き、また上演の段取りを事前に覚えて頂くことが、公演の成功にはなんとしても必要な事だったからです。

この日までに ぬえは、機材のオペレートをお願いするスタッフさんの作業のあまりの難しさに(いや、自分が考えたんですけどね。。)、賃金を支払ってでもプロにお願いするべきではなかったか、と悩んでいました。そうしてこの日会場として提供頂いた「リアス・アーク美術館」のあまりの素晴らしさに、なおなお これは必ず成功させなければならない、という思いを強くしたのでした。

それが前述の、ボランティア・スタッフさんへの ぬえの無礼な言葉に繋がってしまったのですが。。ぬえの被災地での活動に、それから「星と能楽の夕べ」公演への熱い思いの故ながら、これでは誰も協力してくれなくなっちゃいますね。でもこの時はそこまで考える余裕もなく。。あ、せっかくだから、ぬえが機材オペレートをしてくださったスタッフさんに渡した、「星と能楽の夕べ」公演の「構成表」をお目に掛けましょう。 いまから思えば、これだけの作業を「課して」、前日から手弁当での参加を要求し、「失敗は許さない」みたいな発言をするなんて。。あまりに無理が大きかったです。。反省。

ところが、この日、機材への習熟を期待しての即席のリハーサルは、ぬえが期待した通りの完成度を見せました。いや、それ以上だったかも。いまだ会場に到着しているのは ぬえと笛のTさん、そうして照明・音響を一人で担当することになったオペレーターのAさん、主にお客さまの誘導を担当されるAさん夫人とそのお姉さまの美人姉妹、カメラマンのM氏だけ。ピアニストも星空投影と解説担当で、そもそも「星と能楽の夕べ」公演のアイデアを出したKさんも、それから映像のスイッチングを担当するMさんも、み~んな翌日の公演当日の到着です。これほど未完成な状態でのリハーサルが、ここまでの完成度を示すとは。。ぬえには想定外でした。

これなら。。いける。。 ぬえがようやく安心できた瞬間でした。

あ、それだけじゃなかったですね。じつは前掲の「構成表」は、事前に ぬえが用意したものとはまた別のものなのです。この日、リハーサルが順調すぎるほどに終了したあと、オペレーターのAさんから出された疑問で、事前に ぬえが作った「構成表」に間違いが見つかり(!)この夜、笛のTさんと再度打ち合わせをして練り直し、翌日の早朝に ぬえが書き直した、いわば公演当日用の「訂正版」なのです。

初対面の挨拶をして、構成表を渡して、機材のセッティングまで手伝って頂いて。こうして2時間ほど後には完璧に「構成表」の役割をこなし、さらに ぬえが気づかなかった問題点まで指摘するなんて。。アナタ方、いったい何者??

この日、妙に上機嫌になった ぬえ(あ~、よく考えると怒ってたり、喜んでたり、初対面の ぬえを見てスタッフさんはビビったでしょうね。。)。明日の成功を約してこの日はスタッフさんとお別れし、気仙沼市街にある簡易宿泊施設にTさんとチェックイン。

さて夕食を兼ねてTさんと「構成表」の練り直しをしたのですが、たまたま入った「気仙沼ホルモン」のお店で、ぬえはまた衝撃を受けてしまったのでした。こりゃ、ウマイ!

。。気仙沼で、こんな美味しいものがあるのか。。と思ったのは何度目でしょうね~。震災前に訪れた時に食べた戻りガツオ、ワカメ。。 これは地元の方も同じで、ことに海産物については、そういえば私たちはゼイタクしていましたね~。なんて何度か伺いました。こんなウマイもの食べているんなら支援なんて必要ないじゃん! 。。なんて思っていたら、そのあとに ひと言。「震災前までは、ですけれどね。。」 うう。。

あ、そういえば ぬえの師家では今年の秋の学校巡回公演で気仙沼を訪れることが決まったようです。なんか戻りガツオの季節らしい(!)。 。。ぬえ、気仙沼には震災3ヶ月後から通っていて、もうこれで活動も2年になろうかとしているのですが、なんと1度も戻りガツオの季節に訪れたことがにゃい。。震災前に衝撃を受けたあの味が再び??

第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その6)機材搬入とセッティング

2013-05-10 02:14:28 | 能楽の心と癒しプロジェクト
リアス・アーク美術館で初めてお目にかかったスタッフの方々。。ボランティアで参加してくれるというのに、ぬえは最初のミーティングで「あ、そうでしたっけ?」「あ~、間違っちゃった」は通用しません、みたいなクギを刺しました。舞台前の ぬえは恐い顔しているそうだけど、まさにそんな感じだったでしょうね。



まあ、それほどこの「星と能楽の夕べ」公演には意気込みがあったし、事前に入念に作り上げてありました。半年前に石巻で上演した同じ催しよりも数段パワーアップして、ぬえとしても自信作と言って良いものだったのです。ところが、PCの星空を投影したり、オープニングでDVDを流したり。また照明を微妙に使ったり、音響もBGMあり星空解説あり、関係者のご挨拶あり、終演後のカーテンコールあり。。機材を駆使しての上演でありながら、その機材操作を ぬえはできないんですよね。開演よりずっと前から装束を着けているから。。

プロジェクトの中でこういう機材ハード担当は笛のTさんで、その知識や技術は さすが理系能楽師(笑)。なんたって高校時代は部活が「無線部」で、ハンダごて駆使していたそうですから。あ、そういえば鉄塔マニア。。むにゃむにゃ。



いえね、Tさんのスゴさといったら、今回の公演のために、ぬえが買った中古の電子ピアノを改造した、というだけでも驚くに値すると思う。石巻では会場が教会だったために、アップライト・ピアノが備え付けられていて、それを使えばピアノ演奏の部分はカバーできたのですが、気仙沼の会場は美術館で、その中の視聴覚室のようなお部屋を提供頂きました。設備は公演には十分なものが完備されていたのですが、さすがにピアノはなかったのです。

ピアニストとして出演をお願いしているMさんは、持ち運びに便利な簡易キーボードを持参する予定でしたが、鍵盤の数が足りずに、工夫しながら演奏するそう(このフレキシブルな感じが良いですね。被災地で活動をされているご縁から ぬえたちと一緒に活動しているのですが、ピアノがない会場ではこの簡易キーボードで演奏するんですって!)。。これを聞いた ぬえは、ん~~、と考えて、88鍵で、タッチもアコースティックピアノと同様に重い電子ピアノ。。でも時代遅れで安い中古を、この日のために購入したのでした。

あ~、ところが。ACアダプタが欠品していたのですが、代替品を探しても どこにもない!。。Tさんに相談したところ、ある時期に規格が替わったのだそうで、ぬえが買った電子ピアノはそれ以前のタイプだったのですね。あ~、後の祭り。。と思ったら、Tさんは ぬえ家に来まして、あれよと電子ピアノを分解すると、ハンダごて片手に改造を始めました。へ~~、と見とれているうちに作業は終了、無事にACアダプタが通電して、そのときに初めて ぬえ家でピアノは再び響きを取り戻したのでした。

話は横道にそれましたが。。こういうわけで、被災地での活動では 装束が着いて身動きが取れない ぬえの分、Tさんは仕事が倍増するのが常です。司会もやり、そのマイクが必要な場所なら機材のセッティングもTさん担当。上演中は笛を吹き、終演後はまた ぬえが装束を脱ぐまで再び司会に戻り。。無言で登場して笛を吹き、また無言で去っていく方がどれだけカッコいいかわかりませんが、プロジェクトの活動ではやむを得ずTさんは、こうした役を引き受けてくれるのです。ところが今回は会場のレイアウトから考えてそれは不可能、ということがわかりました。今回の気仙沼「星と能楽の夕べ」公演でもピアノとPC以外の機材はほぼすべてTさんの所蔵品が活躍したのですが、それらのオペレートは、今回集まってくださったスタッフにお任せするしかありません。機材の操作方法の習熟、上演中の操作の順序やそのタイミング。。正直に言えば、ぬえはここが一番心配だったのです。

この公演について ぬえが頭の中で作り上げてきたイメージを、いかにスタッフに伝えるか。。もっと言えば、ぬえのこの公演に賭けている意気込みに同調して、共有してもらって、一緒に作り上げていけるか。。これを伝えるのが、この日のミーティングでした。そのために前述の ぬえの厳しい言葉になったのですが、この日もスタッフの中には、急な用で到着できず、翌日の公演当日にようやく全員が集まることになったり、ボランティアのスタッフには申し訳ないですが、ぬえの苛立ちはつのっていました。だって。。ひとつ間違えば台無し、ですから。そうして、過去に意識の低いスタッフさんに公演をぶち壊された経験も、ぬえには何度もあるのです。。







この日はスタッフさんが揃わないこともあって、機材搬入とチェックのみ、リハーサルは 渋々翌朝に延期、ということになったのですが、なんとなく照明と音響だけでも、リハーサルじゃないけれども、手順だけはやっておきましょうか、ということになって、簡易のリハーサルが始まりました。。これが ぬえのスタッフさんへの印象をガラリと変えた。。これなら。。この人たちなら。。行けるかもしれない。。

第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その5)気仙沼リアス・アーク美術館に到着

2013-05-08 04:02:29 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さて階上の地福寺さまを退出して、一路気仙沼市街へ向けて走り出しました。この朝石巻を出て、すでに正午に近づいていますが、翌日に予定されているプロジェクトの催し「星と能楽の夕べ」の機材を会場のリアス・アーク美術館に搬入する予定が午後1時なので、これは昼食は抜きになるかもしれない。今朝も宿泊させて頂いた石巻の「チーム神戸」事務所ではスタッフさんが就寝中なのでコンビニ弁当で朝食は済ませたし、まあ、こんなもんです。いつもいつも。

と思っていたら、笛のTさんから連絡が入りました。「いまどこ~?」

ちょうどBRTの岩井崎踏切のところで写真を撮って、さて国道に出ようとした信号待ちのところにいた ぬえ、その旨を伝えると電話が掛かってきました。「やっぱり、さっき通過した交差点で信号待ちしてた車かあ」。ほうほう。Tさんは ぬえより1日遅れて大阪よりこの朝に仙台に到着、「星と能楽の夕べ」でスタッフを勤めてくださるという友人さんと一緒に車で気仙沼に向かう、とのことでしたが、もうすでにここまで到着していましたか。

だが。

聞けば仙台で友人さんと合流して走り出し、さきほど南三陸でおいしい お蕎麦のお店に入っていましたとのこと。。なにっ!

むうぅ。。で、ぬえはくやしいからコンビニ弁当ですが昼食を取ってリアス・アーク美術館に向かいました。

さて美術館に到着すると、何度も電話でお打ち合わせをさせて頂いた副館長さんと初めてお目に掛かり、会場となる「ハイビジョン・ギャラリー」をご案内頂きました。「ハイビジョン・ギャラリー」は展示室ではなく、いうなれば視聴覚室ですね。通常は気仙沼の民俗的な資料映像を流しているようでした。

しかし、1月に下見に来たTさんの報告は受けていましたが、この会場の設備は大変充実しています。まずはスクリーンの裏側に投影室があること。これによって、映像の前で ぬえが舞ってもその影が映像を隠すことがありません。もちろん照明設備も音響も、また映像機器も取り揃えられていて、至れり尽くせりの上演環境ですね。美術館としても、このハイビジョン・シアターでイベントが行われるのはこれが初めて、とのことで、上演のための電話でのお打ち合わせの段階から大変親切にして頂きました。

こうして会場ではじめて、翌日の「星と能楽の夕べ」のお手伝いをしてくださるスタッフさんとお目に掛かることになりました。ちょっと遅くなりましたがfacebookやミクシイでスタッフさんの募集を行いましたが、結局お手伝い頂くことになったのは、ぬえは初対面ではありながら「チーム神戸」の協力もされている東京のMさん、笛のTさんとお知り合いという登米市出身のAさんご夫妻、Aさんの奥さんのお姉さんに当たられるNさん、そして仙台在住でやはり登米市出身のカメラマンMさん。。という顔ぶれになりました。

この方々の、見事なまでの完璧なご協力によって、翌日の「星と能楽の夕べ」公演は滞りもなく進行することが出来、これが公演の成功に直接的に結びついたのですが、その優秀さを ぬえは見抜けませんでした。この初対面のミーティングでちょっと失礼なことを口走ったり。。いまでも後悔と反省をしております。

第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その4)地福寺さまへご挨拶

2013-05-05 01:15:42 | 能楽の心と癒しプロジェクト
気仙沼市・階上(はしかみ)地区の地福寺さんには1年前の昨年2月にプロジェクトで公演をさせて頂いて、その折 ご住職とはなぜか気が合ったのか、実に深く話し合いをさせて頂きました。震災のこと、日本の文化をどう伝えるか、ということ。もちろん三陸のおいしい海産物のお話しも~。

地福寺の片山秀光ご住職は異彩を放ったお方。そして全力のパワーで突き進んでいらっしゃいます。地域の復興のリーダー的な存在ですし、弟さんがプロ・ジャズドラマーの バイソン片山氏だということもあって音楽に理解も深く、音楽を地元の復興のために役立てたりもしておられます。お寺でのコンサート、「カッサバ」という「音楽説法」の活動、「めげない、逃げない、くじけない」をキーワードに被災者を励ます支援活動。。

ぬえは昨年のこの時お話しをさせて頂いてからずっと、片山ご住職とご一緒に催しをやってみたいという念願を持っていました。それが今回気仙沼でのプロジェクトの自主公演「星と能楽の夕べ」に結実するのですが、それだけでなく、今回は地福寺で行われる追悼法要にも出演させて頂けることになりました。

ふたつの催しの片山さんとのお打ち合わせはもっぱらお電話などでさせて頂いておりましたが、せっかく気仙沼に到着したことでもあり、今日はその「星と能楽の夕べ」のための機材搬入やら準備の日ではありましたが、ご挨拶に地福寺にお邪魔させて頂きました。

追悼法要も間近いこの日、やはりご住職は不在でしたが、奥さまにご挨拶申し上げ、またこちらの催しのタイムスケジュール表をお届けすることができました。が。。もうひとつ、ぬえにはこの訪問には目的がありまして、それが伊豆の子ども能の参加ご家庭からの支援物資をお届けすることでした。

伊豆の子ども能の保護者さまからは、もう何度支援物資を提供頂いたことでしょうね。。えと、調べたら、最初の支援は震災半年後の2011年9月からでした。えっ!?もう1年半もご支援頂いているのか!

震災から2年が経ち、もう必要とされている支援物資は限定的ではありますけれども、それでも ふとしたはずみに必要になる物があります。今回のそれは保育園の再開に伴う備品の類。じつは片山さんが、地域の保育園が再開されるのに合わせて 子ども用品の支援を呼び掛けておられました。それを聞いた ぬえが伊豆でひとりの保護者に相談したところ、そのご家庭から ちょっとした おもちゃなどを提供頂きました。

いや。。よくまあ保育園の復活まで漕ぎつけたものです。このあたりは震災の被害が甚大で、ぬえが最初にここに来た震災3ヶ月半目には、家がひっくりかえっていたり、道路が寸断していたり、あちらこちらで冠水もしていて、目を覆う有様でした。昨年2月にプロジェクトの活動の場として地福寺さんを紹介して頂いた際は、それが階上地区と聞いて、とても能を上演するような環境ではないはずだと思いました。

実際、地福寺さまも1階部分がほとんど水没するような被害に遭ったのですが、その後 修繕を遂げて地域を盛り上げるための活動を開始されたのでした。昨年2月にはその折のお話しも伺い、そうしてなんと、昨年2月のこちらでの我々の活動が、偶然2月11日。。震災の月命日に当たっていたのでした。ぬえたちは能『菊慈童』を上演する予定でしたが、急遽その前に。。津波の到達時刻に『江口』の謡と笛をご本尊に奉納させて頂くことになりました。ぬえたちの思いが込められて、この『江口』は、ぬえの東北での上演の中でも1~2を争う良い出来だったと思います。忘れ得ぬ思い出です。

こうしたご縁で、地福寺さまでは今度は追悼の法要への出演が叶い、こちらの活動にご住職のご協力を賜り、さらに伊豆のご家庭からの志を届けることも出来ました。

活動の最初から、ぬえはすでに幸せを感じています。神仏のご加護か、そうして今回の活動は印象的で、美しいものになりました。

。。そうそう、ついでながらBRTのご紹介をば。

震災で壊滅的な被害を受けたJR気仙沼線ですが、陸橋が崩落したり、駅が流出したりで現在も復旧の目処が立っていません。そこで現在導入が進められているのがBRT(バス高速輸送システム)です。まだ利用できる線路部分をアスファルト舗装してバス専用道路とし、渋滞知らずで鉄道と同じ程度の時間の正確さを確保した、暫定的な代替交通手段。

ちょうど気仙沼線の階上駅のそばで、その建設現場を発見しました。こちらが完成したBRT専用道路。



ところが反対側はようやくアスファルトを敷いたばかりでまだ未完成の区間で、踏切の跡がまだ残っていました



BRTはまだ路線が ぶつ切りの状態で、バスは線路を改装した専用道路を走ったり、一般道を通ったり、という段階なのだそうです。

第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その3)

2013-05-03 09:43:32 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さて「チーム神戸」の新事務所では、湊小学校(元避難所)で行われる3.11の追悼集会の準備が着々と進行していました。が、ぬえはそれに構わず(笑)夕食を頂きに、近所のおなじみさんの「東助」へ~。

ボランティアとして石巻に来て、あるいは継続して支援活動をしている方、あるいはそのまま石巻に住み着いて住民となった方。。いろいろな友人が石巻にはいるのですが、その動静などを「東助」の奥さまから伺ったり、湊小が避難所だった頃にここで暮らしていた方もお客さまも見えていて、懐かしい話をしたり。そういえば湊小避難所は映画にもなりました。ぬえはまだ拝見していないのですが。。「東助」にもその映画のチラシが貼ってあって、それを見ながら住民さんが「この人、いま毎日パチンコしかやってないんだよぉ」なんて話していました。

それにしても「東助」さんの焼き鳥は絶品! この日 ぬえは焼き鳥丼をお願いしたのですが、お客さまはみ~んな普段からお酒のおつまみに焼き鳥を頼んでいるばかりだったので、焼き鳥丼が出来上がると「あ~!このニオイだったのか~」「うまそ~」と声ごえに。。 あげないよ~~~~んん

さて食後に「チーム神戸」事務所に戻ってみると、リーダーの金田さんと遙くんは まだ作業中でした。ようやく ぬえもお手伝いに参加。このときは小学生が描いた絵をフレームに取りつける作業でした。「チーム神戸」では同じ震災の被害を受けた神戸と石巻の子どもたちの絵をそれぞれの街で展示するなどの活動もしていて、3.11の追悼集会では会場に石巻の子どもたちの絵を飾り付ける計画なのだそうです。

それどころか、今回は石巻の南浜地区。。もう被災地の象徴、というか観光地のようになってしまった焼けただれた門脇小学校のある門脇地区のおとなりですが、そこにある、これまた被災地の象徴となっている「がんばろう! 石巻」の大看板の前と、それから渡波保育所。。こちらも震災時の避難所となった場所で生まれた住民ボランティア団体「チームわたほい」と、この2カ所と連携しての追悼集会になるそうで、それぞれの場所にも子どもたちの絵を飾るのだそうです。

こうして絵をフレームに取りつける作業を3人で始めましたが、終了したのは午前3時。。翌朝、まだみなさんお休みの中、睡眠障害の ぬえだけはプロジェクトの最初の活動地である気仙沼に向けて出発。

【3月8日(金)】

朝に門脇地区を見ました。聞いた話では、門脇小の前までのわずかな土地だけを残して、そこから海側の地域は居住が禁止されるそうで、被災家屋ばかりか、すでに土地を掘り起こして建物のコンクリートの土台撤去も進んでいる、ということでしたが、実際には日本製紙の巨大な工場がある南浜地区のほんの少しの部分だけが、コンクリートの土台もない更地になっていた程度でした。。石巻市立病院の看護士宿舎の建物がなくなっていたのが印象的でしたが、日本製紙とは反対側の北上川が海に注ぐあたりにある市立病院の周囲などは まだまだ建物も残っていました。

こうして石巻を出発して気仙沼に向かいましたが、今回は珍しく内陸の道を通ったので、志津川や歌津、大谷など、ずっと見続けてきた地域は見ないままに進みました。

やがて到着したのは、翌々日に上演をさせて頂く予定になっている気仙沼市の階上地区にある地福寺さんです。

第13次支援活動<気仙沼・石巻>(その2)…取り壊された「ふれあいサロン」

2013-05-02 01:56:14 | 能楽の心と癒しプロジェクト

【3月7日(木)】

活動のスケジュールよりも1日早くスケジュールの空いた ぬえのみひと足先に東京を出発、東北道を走る。1月の活動が大雪で中止になったので、ぬえとしては今年初めての東北旅行です。そして、昼間に走るのは本当に久しぶり。高速道路の通行料金が深夜には半額になるので、経費節約のためにいつも終夜運転していましたもので。。 は~、昼間見ると東北道から見た景色はこうなんだ~。山が見える~。きれいだな~。

まあ休み休みで いつものんびりと走るので、今回も5時間以上かけて石巻に到着しました。今回の活動ではまず気仙沼での上演があって、石巻での活動はそのあとなのですが、なんせ今回は震災の日に合わせて開催される追悼集会での出演が最も重要な活動になりますので、 ぬえが出演する追悼集会が行われる石巻市立湊小学校(元・避難所=現在も津波被害のため閉鎖中)の開催準備のお手伝いでもあろうかと、まずは石巻に立ち寄りました。

石巻で現在も活動を続けるボラ団体「チーム神戸」の事務所に夕方到着しましたが、いや、いろいろな変化が起こっていますね。まずは事務所自体が移転して新しい場所になりました。

。。というのも、避難所が閉鎖された一昨年10月に、避難所に仮の拠点を持っていた各ボラ団体は住民さんと同じように避難所を退去することになりました。この時点で拠点をなくしたボラ団体がいくつも被災地から撤退しています。「チーム神戸」では住民さんの協力を得て、被災住宅を提供して頂くことができました。それが旧・内海歯科さんで、「ふれあいサロン」と名付けられて、団体事務所でありながら同時に近隣の住民さんの憩いの場ともなって、手芸のサークルが開かれたり、ぬえたちプロジェクトも能の上演をさせて頂いたこともあります。

ところが開設当初からこの建物は解体される運命でした。1階は津波の被害を受けていて、ボランティア有志の協力によって内装を改修して事務所として出発はしましたが、市によって被災住宅の指定を受けて、順番に取り壊されることが最初から決まっていたのです。こうして一昨年10月から事務所として機能していた「ふれあいサロン」は今年のはじめに解体の順番がまわってきて、「チーム神戸」もまたしての移転を余儀なくされたのでした。

こちら、ちょうど取り壊しが行われている最中の「ふれあいサロン」



この2階に泊めて頂いたこともありますな~

こうして新しい拠点となった新・事務所ですが、名取に住むオーナーさんから、今度は有償で借り受けることになったそうです。こちらは医院ではなく個人宅なので、住民さんの憩いの場となるようなスペースは作れなかったようですが、それでも立派なお宅でした。。とはいえこちらも内海歯科さんと同じく被災住宅であることには変わりはなく、1階は大きな改修を必要としたそうです。なんせ「チーム神戸」のブログで「どなたか窓枠譲って頂けませんか?」お呼び掛けられたほど。

もう改修もすべて終わってからの状態を ぬえは見たわけですが、いやいや、とてもそんなにひどい状態だったとは思えません。でもよく伺ってみると、津波によってアルミサッシがぐにゃりと曲がってしまっていて、お風呂のバスタブにはヘドロが厚くたまって固まっていたそうです。震災から2年近く、まったく放置されたままの被災住宅は、ボランティアさんの努力によってこうして甦りました。

あ、それから。「チーム神戸」が昨年と同様に事務局を勤める湊小での追悼集会にあわせて、その準備のために神戸から学生のアシスタントが来ていました。ぬえとは もちろん初対面です。遙(はるか)くんというこの学生、いや今どきの若い子にしては(←おっさん発言)大変良くできた子だと思います。礼儀正しいし、よく気がつくし。ぬえが到着するよりもすでに数日先に石巻に入り、「チーム神戸」の鬼コーチ・金田さんの指導を受けたんだもんね。そりゃ。

トップ画像は「チーム神戸」新事務所の2階から見た湊地区の様子。取り壊されて空き地が多いです。向こうに1年前に除夜の鐘を撞かせて頂いた松巌寺さん。