ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

千葉県・野田市で「観月会」に出演~(その3)

2010-09-30 01:25:28 | 能楽
松風と村雨…ぬえの考えでは松風ひとりだけ、ですが…は、千年もの間、恋人の帰りを待ちわびているのですね~。

生活のために汐汲みの仕事に戻った松風ですが、その重労働に気を紛らしながら、いつとも分からない、再び恋人との幸福な生活が戻ってくる日を待ち続けたのでしょう。そうしてついに命を落としてしまって、それでも彼女は汐汲みを止めないで、生きていた頃と同じように、永久に汐を汲みながら待ち続けているのでしょう。

ところが、前回書いたような理由で、ぬえには彼女の姿は浦人には見えていない、と思えてならないのです。その苦悩も、恋人を想う狂おしい気持ちも押し殺すように、毎夜汐を汲む彼女の存在は誰にも気づかれない。

…でも、と ぬえはまた思います。それだからこそ彼女は待ち続けることができるのでしょう。つまり、彼女の許へ行平が帰ってくるあてもないまま、半ば絶望しながら、それでも行平を忘れることができない彼女の心の平安は、ただ、誰にも邪魔されずに汐汲みの作業に没頭することによってのみ、維持されているように思えてならないのです。本当に行平が帰ってくるのか…その疑念を思い浮かべたならば、たちまち彼女は苦悩に苛まれてしまうことでしょう。それを考えないこと…ただ「待つ」こと。それが哀れな松風が心の均衡を保ち続ける唯一の方法なのではないか…? 当地の浦人にさえその存在を知られない、もうすでに幻のようになってしまった亡霊…

ところが、能『松風』では、登場したワキ僧が彼女に宿を借りてしまいます。つまり霊験あらたかな修行者には、彼女が「見えて」しまったのですね。そうして、ワキはさきほど浦人に聞いた松風の悲恋物語をつい口にし、それを聞いて涙する彼女に不審を感じて、名を名乗る事を求めます。

…これはいけない。千年の間、汐汲みを続けることで、帰らない恋人の事を考えずに心の均衡を保ってきたのに、それをワキ僧がかき乱してしまったのです。そうして彼女は「妹」とともに一糸乱れぬ口調で昔物語をし…同一人物の二つの「心」なんですからこれも当然でしょうが、そのうちに彼女の心は行平への狂おしい思慕に没入していくのです。形見の装束を、何度捨てようと思ったか。そうして行平を忘れようと思ったことか。そういう思いを吐露しながら、ついには形見の装束を身にまとって、行平と一体になろうとし、さらに海辺に立つ松を見て「あの人が帰ってきた…私を招いている」と駆け寄ろうとする。…ここで彼女のもう一つの心…帰らない行平のことはもう忘れなければいけない、と考える気持ちが「妹」として「姉」を制止しようとします。

…結局、この曲には「救い」がないですね。そうして、彼女の心をかき乱してしまったのは、じつは彼女の姿が「見えてしまった」ワキ僧であったのだと、ぬえは考えています。朝になり、「夢」が覚めた僧は、昨夜の出来事が現実だったのか訝しみながらも再び修行の旅に出ることでしょう。そうして松風は…心の落ち着きを取り戻して、再び汐汲みの作業に没頭してゆくのでしょうね。なんともやりきれない曲ではあります。

…こういう解釈を ぬえは『松風』に持っているわけですが、今回の ぬえ一人での略式上演の機会に、その感触は確かめられたように思います。これは はからずもの発見ではありました。関係各位に感謝です。

…『松風』は、それでも演者にとっては演りがいのある曲だと思います。初演のときの稽古では、クセの中で形見の装束を扱う型に、何気ない型なのですが、とんでもない突っ込んだ表現が企図されているのを感じました。左手で烏帽子を持って、それを顔の近くまで上げて、手首を廻してしげしげと見入る…これ…キスではないですか! そうして、クセの後半では装束をかき抱いてクルリと右の後ろに廻る型があって…これは、恋人と一緒にダンスをしているよう。

…もちろん日本の文化にはキスも、男女が身体を密着させてのダンスの習慣もないことは十分に承知していますが、恋人と一体になりたい、という気持ちには洋の東西は関係ないわけで、そういう肉感的な気持ちの発露だと考えれば、これを現代で言えば「キス」「ダンス」と捉えることは無理とも言い切れないのではないかと思いますし、実際に ぬえは「キス」「ダンス」のつもりで初演を勤めました。

なんとも…スゴイ曲だと思います。

千葉県・野田市で「観月会」に出演~(その2)

2010-09-27 01:05:08 | 能楽
松風・村雨ともに行平が名付けた名前だと謡曲本文にも書いてあって、やはり行平の恋人は二人の姉妹だったのかなあ、と考えることもできるのですが、やっぱり ぬえは恋人は一人だけだったのではないかと思いますね。ではこの二つの名前はどうしたことなのか、という事になるのですが、これもまた、行平が一人の娘につけた二つの名前だったかも…

「さても行平三年がほど、御つれづれの御船遊び。夜汐を運ぶ海士乙女に姉妹選はれ参らせつゝ、折に触れたる名なれやとて、松風・村雨と召されしより、月にも馴るゝ須磨の海士の、汐焼き衣色変へて、かとりの衣の空薫きなり」

美しい修辞に彩られた美文ではありますが…どうなんでしょ? この行平くんの態度。都から罪を得て流されてきた割には贅沢三昧ですし、姉妹の扱いを見ても、どうも愛情や誠意が感じられないというか… 彼女の本名はさっさと捨てさせて、「折に触れたる名」だと言って松風・村雨と呼んだ…と。彼女たちの方も粗末な「汐焼き衣」から、かすかに香を漂わせた「かとりの衣」…絹の薄衣で身を包む身へと生活も一変したようですが、要するに行平は都での豪奢な生活をそのまま須磨の浦に持ち込んだわけで、さりとて流刑の身ですから都の女房衆を引き連れることはできず、恋人は当面、現地採用とした、と読めてしまってならないんですが…。

そうして、名月を眺める際に潮風が松籟を呼び奏でるのに耳を傾けては、傍らにいる恋人を「松風」と呼び、にわかに降り来る雨によって月を眺められない晩には、しとしととかすかに響くその音によそえて、同じ恋人を「村雨」と呼んだのではないかなあ。「松風・村雨と召されしより」の「召され」に、そういった気まぐれな行平の態度が現れているように思えてならなひ。

ところが、というか案の定、と言うか、行平はそのまま恋人を北の方にするわけではなくて、都に召還された際には恋人は須磨に置いてきぼり。形見の衣装だけを残して、あの松を僕だと思って待っていてくれ、なあんて うまいことを言って納得させちゃいまして、そうして彼女は再び生活のために汐焼きの仕事に戻っていったのでした。

うらやま…いやいや、なんてヤツだ! この娘も、汐焼きなんて重労働をしていたのだから、腕っ節にはちょいと自信もあったことでしょう。「あの松を麿だと思うでじゃる」なんて言っているひ弱な都の白塗り草食系なんて、ガバと組み敷いて「おまえ…戻ってこんかったら どうなるか、よう分かってるんやろうなあ? ええ?」ぐらい言っておやり。…えっと、そのあとこっち方面の言葉では「頭かち割って脳みそガタガタ言わせたろうかい」って言うんでしたっけ。すみません、不勉強にして ぬえ、よく知らないんですが。



ともあれ、従順にして行平の言葉を信じて、そうして千年もの間待ち続けた一人の娘。その純情さが儚くも、悲しくも美しい…『松風』はそんな曲なのだろうと思います。しかし、彼女が単純にその言葉を信じているだけではないところが、この曲の説得力のあるところ。(ぬえは一人だと思う)松風の心の中には行平の言葉を信じて待ち続ける心と、彼を忘れなければ永久に成仏できない、と思う心とが、千年間、せめぎ合っているのではないかと思うのです。

そうして、もう一つ ぬえが思うのは、夜な夜な汐汲みの桶を車に載せて運ぶこの姉妹…じつは人には見えていないのではないか? と考えています。

と言うのも、能の冒頭に登場したワキが、大切に祀られている松の木を見て不審に思い、浦人(間狂言)にその謂われを尋ねますが、浦人の答えは松風・村雨という姉妹の旧跡だというものであって、その土地に言い伝えられた民話の範囲を超えていないのですよね。『鵺』や『鵜飼』には「夜な夜な現れる得体の知れないモノ」というような表現で、毎夜現れる前シテの存在が おぼろげながら村人にも噂されているのですが、『松風』にはその片鱗もありません。もちろん『鵺』と『松風』を同列に論じられるわけではありませんが、少なくともこの里人は、あとでワキが出会うような若い女性の汐汲みが現れることは知らない、ということになります。…知らないのではなくて、彼女たちは毎夜現れているのに、里人にはそれが見えないのではないか、というのが ぬえの考えなんです。

千葉県・野田市で「観月会」に出演~

2010-09-24 01:33:25 | 能楽
今日は千葉県・野田市で行われた「観月会」に出演、略式版ながら能『松風』を勤めて参りました。

え~、「観月会」ですが…雷まで鳴る荒天に恵まれまして…。ぬえ、またやってしまひました~(×_×;) ←雨男

本当は、会場には立派な日本庭園があるんで、そこで上演したかったんですよお。そこで月が上がるのを待ちながら…、淡い照明の下で舞う『松風』! 良いじゃないですかぁ。『松風』こそ、野外で…できれば薪能などで上演したい能だと、ぬえは思いますね~。もっとも、どちらかというと動きの少ない能の部類に入るでしょうから、薪能などの場面では前半をなんとか短縮して、シテの狂乱の面に焦点を当てて上演する方法を考えた方がよいでしょうが…

会場は純和風のお屋敷でして、この庭園…要するに芝の上で舞うつもりだったわけですが、装束を汚さないようにどう舞うか…ずいぶん考えを巡らしてはおりました。まさか芝の上に直接座るような型はできないし、ビニールシートなどを敷き詰めてしまっては せっかくの芝生の良さもでませんし…できるだけ床几を活用して、あとは座る型を立ったまま行うなどを考えていたのですが、今日は雨天のためお座敷で演じることになりまして、そこで床几に掛けながら「…やっぱり野外は無理だったかな?」とも思いました。床几に掛かるだけで装束は地面に触れる危険性があるのですね~ ちょっと再考の余地ありです。

さて『松風』ですが、今回は ぬえ一人での上演です。え??村雨は? …いえ、ぬえはツレの村雨を出さなくても、デモンストレーションでは『松風』という能は成立すると思っていましたので、今回はじめてその実験をしてみたのでした。ぬえ、松風・村雨というのは、じつは姉妹ではないのではないか? とずうっと思っていまして…

『松風』という能には常々考えるのですが、行平という一人の恋人の愛を、二人の姉妹が仲良く分かち合う、という設定がいかにも不自然でしょう。ましてやこの姉妹がともにこの世を去ってからも二人で協力して、かつての生業である汐汲みの仕事を続けながら、恋人の帰りを仲良く待ち続ける…現代劇として考えるならば、彼女たちは千年もの長い間を、ずっと恋人の帰りを待ち続けているわけですが、こんな事はありえるのでしょうかね?

そうしてもう一方、この能を見たときに、行平への思慕の深さに、姉妹の間でどうも温度差があるように思えてならないのです。姉・松風が行平の形見の装束を身につけて松の木に駆け寄ろうとした時に、妹・村雨がそれを制止しようとする場面に端的にそれは現れてきますが、要するに松風の激情に対して、村雨はどこか冷静に居続けているところがあります。姉に引きずられているために村雨は成仏できないでいる、というか…

ぬえは、本当は行平の恋人は一人ではなかったかと思っています。そして行平は都に呼び戻される時に、形見の装束を残し、松の木を指さして「君が私を“待つ”と聞いたら、すぐに帰ってくるから…」と言い残して彼女の許を去りました。ああ、なんて罪作りな… そうして彼女は、来る日も、来る日も…結局千年も彼の帰りを待ちわびているのです。当然彼女の心の中には、いくら「待つ」と叫んでみても帰ってこない恋人の心への疑念も生じたことでしょう。忘れてしまえばラクになれる…そう思う心と、それでは恋人を裏切ることになってしまう、とそれを打ち消す心とが葛藤して…そうして二つの人格が彼女の中に生まれてしまった…姉妹のように見える二人は、じつは二つに裂けてしまった彼女の心なのではないか…?

ここまでは、何年か前に ぬえが『松風』を初めて勤めた際に考えたことなのですが、その時には、そうして裂けた心の人格化された姿である妹が、なぜ「村雨」という、具多的な名前を持っているのか、が分からないでいました。能の中でも松風・村雨という名前は、ともに行平が名付けた、と書かれていますしね。やっぱり二人は姉妹だったのかなあ…

ところが今回は、もう少し考えを進めることができまして、これ…ひょっとすると折々の情景によって興趣が動かされた行平が、一人の恋人を無責任にあれこれと名前を変えて呼んでいたのではないか…? 恋人はやはり一人で、なんとこの娘は本名さえもわからないんですよね。行平が彼女を「松風」と名をつけて、彼女自身もそれを大切に思っている。行平にとって彼女の本名は…極論すれば、その人格やそれまで歩んできた人生は興味の対象でなかったかも…

子ども能…プレ公演。良い出来でした!

2010-09-13 12:30:50 | 能楽

昨日は伊豆で子ども創作能のプレ公演でした。

いや、想像以上に良い出来になりました! まずはこの子どもたちの「眼」を見て欲しいです。この真剣な…というよりも「強い」まなざし…もうほとんど役者の目ですな。






タイトル画像は主役・頼朝役のリツカ、こちらの画像は準主役・山木兼隆役のミサトと、もう一枚は地謡ですが、なんと今年は子ども能開始以来、はじめて幼稚園生が二人混じっています(^◇^;) ともに画像提供は山口宏子さん。感謝です。

考えてみれば、今年はなんだかんだと稽古のスタートが遅れに遅れて、7月下旬にようやく開始になりました。本公演は11月に神社の秋祭りで上演することになるので、稽古の日程としてはギリギリのところです。ところが問題もありまして…去年までは本公演の前に一度小学校でプレ公演を致しまして、これが非常に出演者の子どもたちのためには良かったのです。見学する児童にとっては古典芸能を見る勉強の機会でもありましたでしょうが、出演者にとっては、これが本公演の前にはじめて人の前に立って舞台を勤めてみる千載一遇のチャンスだったのです。

今年はその機会もなくなってしまいまして、さてどうしたものか…秋祭りでぶっつけ本番でお客さまの前に立つことができるのか…??と不安もありました。そうしたところ、子どもたちのお母さんが尽力してくださって、なんと地元の敬老会からお招きを受けて、ついに昨日、その場に出演させて頂くことになったのでした。

とはいえ、稽古が始まってようやく1ヶ月で上演…という、とんでもない無理な上演スケジュールだったのも事実です。地謡は台本を見ながら謡ってよい、ということにはしましたが、立ち方はそういうわけにはいかないです。…しかし、ここでもし失敗したら、お客さまの前に立つ度胸を身につけるどころか、反対に挫折してしまうかも…(×_×;)  引き受けるのがよいか…ここは見送りか…でも、ぬえが悩んだのは一瞬でした。経験に勝る勉強法はないのですからね。

それでも、いろんな危惧も心の中で持ちながら、ある時には稽古で厳しい叱責もしましたが…そうして、昨日の成功に彼らは到達することができました! お客さまの中には「この子たちは…ずいぶん練習を積み重ねているんだろうな…」というつぶやきもあったそうで、また子どもたちも おうちに帰ってから「あ~楽しかった! 私、やっぱりお能が大好き!」という言葉があったそうです。くく~、能楽師としてはこのひと言があれば、どんな苦労も疲れも吹っ飛んじゃうね!

それにしても、よく1ヶ月の稽古でここまで来たですよね…考えてみれば ぬえは子ども能の指導を11年続けています。もちろんその間稽古を続けている子は一人もいなくて、2~4年ほどで、出演者は進級とともに入れ替わってしまうのではありますが、それでも毎年数人~10名ほどは前年と同じ子どもが残るわけです。そういう子どもたちの間に、知らない間に伝統…なんて言うとおおげさかも知れませんが、受け継がれていったものがあって、そうしてそれが、こういう形で結実したのかなあ、なんて、漠然と考えた ぬえでありました。

人まえで初めて役を演じて、その重圧や責任に子どもたちも思いを馳せたことでしょう。これから11月の本公演まで2ヶ月の稽古日程が残されています。もうみんな上演の「形」は覚えたわけだから、あとは洗練させていく作業になりますね。ひょっとすると、これまでとは格段に違う、小学生とは思えない上質の舞台が期待できるかも…

演劇倶楽部「座」の役者さんに謡の稽古(その6)

2010-09-11 02:45:33 | 能楽
木曜日は東京で申合があり、夜は自分の稽古。そして金曜は伊豆で子ども能のリハーサルがありました。土曜日は栃木県でホール能がありまして、深夜に帰りますが、翌日の日曜は朝9時に伊豆に楽屋入りしなければなりません。なんだか忙しい1週間です。

ところで先日の大雨で通行止めになった東名高速ですが、すでに開通していました。…と思ったら、東名高速の下り線には大井松田~御殿場の間は右ルートと左ルートに分かれているのですが、その右ルートが通行止めでした。その時はあまり事情が判らなかったのですが、帰りにはじめて理由がわかりました。上り線の同区間が復旧工事中で、便宜的に下り線の右ルートを上り線に割り当てていたのです。いつもは下りで走っているこのルートを、上りで逆走することになるわけで、なんだか不思議な気分…イケナイ事をしているような気持ちになってきました~(¨;)

子ども能のリハーサルは…残念ながら先日の稽古の方が出来が良かったかな。つまり、役別の稽古をしてから、さてその日の稽古の集大成として通し稽古をするならば、みんな自信を持って演技をし、大きな声も出せるのですが、今回のリハーサルのように、いきなり本番通りに通して上演すると、急にみんな自信がなくなって、他の子の様子を伺いながら演技したり、おっかなびっくりの声になってしまったり。7月末にようやく稽古を始めて、考えてみればまだ2ヶ月も経っていないのですね。前回までに、ほとんど演技自体は完成していたもので、子どもたちの習得の進度には目を見張りましたが、やっぱり ぶっつけ本番にはまだ無理もあるようです。とはいえ日曜にはプレ公演として、はじめての人前での上演です。ここでお客さまの前で演じる恐ろしさも感じ、自分の責任について思うことができれば、稽古に対する態度も変わってくるでしょうし、11月の本番の公演はもっと素晴らしいものになるでしょう。

さて月曜日のことなのですが、演劇倶楽部「座」の「詠み芝居『歌行燈』」の稽古に伺って参りました。

へへ。今回は稽古のほかに ぬえには別の目的があったのです。…それは、先般会ってみて、とても興味を持った高野力哉さんの演技力を、実際に目の前で見せてもらうこと!

いやまあ、稽古をつけるために伺う ぬえにとっては失礼も甚だしいのかもしれませんが、ひとつには、どうしてもDVDの『歌行燈』の中で見せる無頼風の、あるときには激情をほとばしらせる、その鬼気迫る演技が、ぬえが稽古でお会いする素顔の高野さんと一致しないので、その人格を変化させてみせる演技術というものを実際に見てみたかったこと。もう一つは、リアリズム演劇と、能の象徴的な演技の違いをお互いに見せ合うことで、お互いの刺激にもなるのではないかと思ったこと…こう考えて、あえて事前に「座」の事務局には ぬえの希望を伝えておきました。

もちろん、一方的に「やって見せて~」と言うだけじゃイケナイので、ぬえも「若女」の面を持参して、『松風』の一部を演じて見せました。こちらも興味を持って頂けたようで、まずはよかった。ここでの稽古は同じ舞台人同士の交流でもあるのですから、ぬえも能の技法について実演したり、またこちらの役者さんからもいろいろと教えて頂こうと思っています。今回はそのほかにも、面を見せたり笛を体験して頂いたりしました。

さて、高野さん。かなり照れていましたが、ぬえの強力な所望によって、やがて『歌行燈』の台本の一節を朗読してくれました。

…うううううううううむ!! トリ肌が立ちました。
やっぱり、目の前で今さっきまで稽古していた、どちらかというと気の弱そうな高野さんが…別人になりました。

読んで頂いたのは『歌行燈』の次の部分。かなり登場人物の心情が揺れ動いて、そうして初めて自分の罪を語る部分です。

「いや、手をやすめず遣ってくれ、あわれと思って静に……よしんば徐(そっ)と揉まれた処で、私は五体が砕ける思いだ。 その思いをするのが可厭(いや)さに、いろいろに悩んだんだが、避ければ摺着く、過ぎれば引張る、逃げれば追う。形が無ければ声がする……ピイピイ笛は攻太鼓だ。こうひしひしと寄着かれちゃ、弱いものには我慢が出来ない。淵に臨んで、崕(がけ)の上に瞰下(みお)ろして踏留まる胆玉のないものは、いっその思い、真逆に飛込みます。破れかぶれよ、按摩さん、従兄弟再従兄弟か、伯父甥か、親類なら、さあ、敵を取れ。私はね、……お仲間の按摩を一人殺しているんだ。」

正直言って、高野さん、語っている間は目が据わっていました。(^◇^;) ぬえのムリヤリの所望だったのに、ときに静かに、ときに激しく、高く、低く、鋭く、大きく間を取り…。面白いねえ、変幻自在です。

その後も役者のみなさんと、いろんな話をしました。演劇や古典芸能の将来性とか現代の問題点もたくさん議論して。

…そうして今回の稽古は4時間もかかっちゃったい。σ(^◇^;)

あさっては子ども能…プレ公演!

2010-09-10 02:03:21 | 能楽

おかげさまをもちまして、子ども能のユニフォームTシャツのデザインをしてくださる方が見つかりました!

能についてのイラストを描いている方でして、それがまた…そのイラストがかわいいこと! そして、なんと言っても品があります。能のイラストはよく見ますが、大概はおどろおどろしかったり、妙にシリアスだったり、逆にデフォルメし過ぎだったり…ところがこの方は能の美しさ・楽しさをよく表現できていて。ネットではじめましての方ではありますが、う~ん、出会いですね~!…イラストをご紹介したいのですが、サイトは作っておられないようで…(・_・、)

子ども能の本番の公演は11月初旬ですが、がんばればTシャツはそれに間に合うように作れるかも、です。あ~ん、ぬえ、うれしいよ~(#^.^#)

さて あさっては子ども能の「プレ公演」です!

伊豆長岡の地区の「敬老会」にお招きを受けて子ども能を上演して参ります。敬老会での公演ってのもなんだか不思議な感じですが、会場はとてもきれいなホールで ぬえは満足ですし、そこで上演される子ども能…お年寄りの前で地元の小学生が一生懸命に能を演じて見せる…子ども能はずうっと大きなホールで、有料のホール能公演の前座として活動してきたわけですが、何というか、この敬老会の催しは、良い感じです。

大きなホールで上演することに ぬえには未練がないわけでもないですが、地元の敬老会への出演というのは、子ども能のあるべき姿だったかも知れないですね。こう考えて、ぬえもサービスして、装束を着けて簡単なデモンストレーションをする事に致しました。

それどころか、以前からずうっと子ども能の指導をしてくれている何人かの能楽師が、ぬえがこの敬老会の話をしたところ、お手伝いに駆けつけてくれることになりました。いや、これには ぬえの方が焦りましたね。事実上ボランティア状態になってしまうのに…でもご本人たちも喜んでおられるし、そのほかにも子ども能についてはいろいろな善意の提案を能楽師の方から頂いております。能楽師の中にも「お金」ではなくて、「気持ち」で動いて下さる方も ちゃあんといらっしゃるのです。子ども能なんて、って、軽んじられる方もあるのではありますが、ぬえと同じく愛してくださる方もある。ぬえはそのお心を、美しいと思います。

ん~、さらに、いつも ぬえの舞台を撮影してくださる写真家の方からも、この敬老会の子ども能の撮影の依頼を頂きました。(゜_゜;) こちらも予算不足を再三ご説明しておりますのですが、いや、ぜひに、と…

う~ん、すんませ~ん。このような善意にいつまでもおんぶに抱っこではいけないのですが…子どもたちのお母さん方とも、なんとかその善意に報いて差し上げなければ…と、いつも話し合っております…

さて、明日…いや、もう今日は敬老会に向けて子ども能のリハーサルですっ! あまりにも遅いスタートだった今年の稽古では、一時はどうなることかと危ぶまれたのですが、前回の稽古でほぼ完成に近づく成果を子どもたちが出してくれました。すごいなあ…

そんでタイトル画像です。前回の稽古では装束合わせもできる時間の余裕がありました。男装の麗人たち。主役の りっちゃんと、子ども能のほかにも日常的に ぬえが仕舞の稽古をしている みーちゃんが、今年は6年生になって準主役の大役を勤めることになりました~(#^.^#) どちらもがんばってね~

子ども能~Tシャツのデザイン…誰か作ってくれませんか~(・_・、)

2010-09-01 09:53:24 | 能楽

今回はこのブログの読者の方のお力をお借りしたく記事を書かせて頂きます~ m(__)m

もう10年以上も ぬえが指導を続けております伊豆の子ども能ですが、先日の記事に書きました通り、ユニフォームのTシャツがあります。ずっと以前に、子ども能が「狩野川薪能」という催しの中で上演しておりました折、これはスタッフのために市が製作してくださったもので、イキな計らいで子どもたちのサイズのものまで作ってくださいました。(^^)V 真っ黒の生地のTシャツに、背中に「狩野川薪能」と大書してあって、胸にはワンポイントに伊豆のマークが入っています。ぬえも結構お気に入り。



その後は、まあ、なんとなく着たり着なかったりでしたが、お母さん方の呼び掛けもあって、2年ほど前からかなあ、子ども能の公式行事…稽古や催し当日は言うに及ばず、みんなで花火大会に行ったり、公演の前に成功祈願をかねて物語にゆかりのある寺社を訪ねて、子どもたちが謡を奉納したり、という場面では必ずみんなこのTシャツを着て集まるようになりました。かくしてこのTシャツ、子どもたちのユニフォームとなったのでした~(^◇^;)



ところが、さすがに10年前の薪能のスタッフTシャツ。毎年子ども能に参加する子どもたちに配っていて、今年はとうとうストックが底をついてしまいました。まあ今年はなんとか全員に行き渡ったのですが、それでもすでに子ども能は薪能の催しではなくなり、Tシャツの背中の文字ともズレが生じてきました。そこで、今年からは心機一転、子どもたちのために新しいTシャツを作ろう!という機運が盛り上がりました。

で、ぬえは先日の稽古で伊豆に行った時にTシャツのプリントの専門店に行き、見積もりも取ってきたのですが…ところが、子どもたちのご家庭の中には多くの兄弟姉妹を参加させているご家庭もあって、ちょっと経済的な負担が厳しい…という声も。(*_*) …そこで みなさんで話し合ったのですが、それならば、というワケでパソコンでアイロンプリント専用紙に印字して、各自で買った無地のTシャツにご家庭でプリントすれば、という案が出ました。名案!!

ところが…さて、Tシャツを作るにしても、デザインを作れる人がいにゃい。(×_×;) ん~、ぬえもその才能はないなあ…

そこで、考えあぐねてこのブログの読者の方々にもご相談申し上げます~ どなたかデザインを作れる方をご紹介願えませんでしょうか~。デザインが決まれば、ぬえの子ども能のユニフォームとして長く引き継がれてゆきますですっ m(__)m

【要項】
Tシャツの背中一面のデザイン(と、できれば胸のワンポイントも一新したいという希望があります)

・原寸大のデザイン(イラストレーターかフォトショップのデータファイルが希望ですがその他の形式でも)
・ぬえの今の考えでは、背中に大きく扇や装束の文様などをイラスト化したものを置き、その下や周囲に「Izunokuni Kids Noh Company」なんて入れたらどうかな、と。もう、勝手に「伊豆の国子ども能劇団」です(^◇^;)
・必要であればそのイラストのための扇や装束の文様の画像データなどは用意できます。
・または背中全面に大きく「舞」などの毛筆文字もいいなあ…「龍馬伝」のような文字を書ける方はいませんか~??(・_・、)
・ほんの薄謝程度でありますがお礼させて頂きます~

どなたかお知り合いで、このような無理をお願いできる方がありましたら、ぜひ ぬえまでご一報頂ければ幸甚でございます~。よろしくお願い申し上げますどす~ m(__)m

ぬえ QYJ13065@nifty.com