ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

東北支援の旅、スタートしました!(その6=気仙沼)

2011-12-31 10:32:08 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さてさて話はもとに戻りまして、気仙沼に到着したところから。あ、それから ぬえ自身では撮影できない釜石などでの上演の画像が届けられましたので、先日のブログ記事にさかのぼってアップさせて頂きました~

気仙沼で、まずは被災地域を廻り復興の進み具合を定点観測。

あ、定点観測で思い出したが、以前からお知らせしている気仙沼線の陸前小泉駅の周辺。道路の上に走っている線路の、その上に家の屋根が乗ってしまっている衝撃的な光景がずっとそのまま放置されていましたが、ようやく屋根は撤去されていました。



こちらは今年6月に撮影した画像。



で、こちらは8月。ほとんど状態は変わっていません。



あいかわらず陸前小泉駅は更地のままでしたが、聞いた話では気仙沼線の復旧は経費の問題から取りやめとなり、代わりにこの線路の部分をバス専用の車道にするのだそうです。渋滞による遅延のない、電車の代わりとなる正確な交通手段として復活するのですね。

気仙沼では南気仙沼駅のまわりがすさまじい被害があって、気仙沼湾と大川にはさまれて半島のような地形のその地区では、6月の時点では、せいぜい南気仙沼駅から5~600m程度しか先へは進めませんで、あたりは車の残骸だらけ、地盤沈下による浸水がひどい状態でした。その後ここを訪れる度に先へ進めるようになり、なんと今回は初めて川口町・朝日町がある先端部まで車で行くことができました。車の残骸はほとんど撤去されていましたが、さすがにこの先端部ではそのまま。。しかし復興に向けては着実に前進しつつあることを確信することができました。







ここが半島部分の先端部。この左側の海から津波が襲いかかりました。



さて会場となった気仙沼駅前のコミュニティセンターは和室の大広間でステージ付き。これを見た狂言のOくんは携帯式の柱と橋掛リセットを持ち出します。ああ、こういう物を器用に作る能楽師はありますね。簡易に能舞台を再現する方法。お客さまにもイメージを作りやすい。ぬえも作ろうかなあ。

上演曲は狂言「柿山伏」と能「羽衣」。お客さまは少なかったのですが、こういう活動は人数の多少は問題ではありません。。あれ? 見れば子どもたちも混じって。。これは今回 ぬえらのプロジェクトの活動を受け入れてくださった地元の子どもミュージカル劇団「気仙沼 うを座」の団員さんですね。この子たちには翌日ワークショップを行う予定になっています。事前の宣伝活動はあまり広く行われていなかったようですが、それでも新聞に催しの予告記事が載り、これを見てお出でになってくださった方もありました。あとで聞いた話では能の美しさに惹き込まれて「帰りたくないなあ」とおっしゃって下さった方があったとか。過分なお言葉です~



終演後は うを座の座長さんたちに連れられて、近くの居酒屋へ。ここも仮設店舗でしたが、絶品のおでんやお刺身を頂きました! そう。。何年か前に学校公演で気仙沼に伺ったときは、鰹のあまりの美味しさにびっくりしたもので、今回の気仙沼での上演が決まったときも うを座の関係者に「鰹!鰹!」と騒いだのですが、あいにく鰹漁はすでに時期が終わったそうで。。

ま、食べ物はともかく、気仙沼と石巻での学校公演が ぬえの活動のきっかけでした。あの子どもたちはいまどうしているかなあ。。と震災後にずっと考えていて、そうして石巻での活動が始まったのでした。その意味で ぬえにとって気仙沼はどうしても訪れたかった土地です。いや、6月から何度も訪れてはいるのですが、知っている人がなく、ただ呆然と変わり果てた町並みを眺めるばかり。。今回、偶然にも東京の「演劇倶楽部 座」とお近づきになり、その代表である壌晴彦さんが気仙沼の うを座に指導に来られている関係で、壌さんのお計らいで気仙沼での上演が実現しました。ぬえにとっては ようやく訪れることができた、という感慨でいっぱい。

そうして今回初めてプロジェクトに同行してくれたワキのNくんも、ぬえと同じ学校公演で石巻と気仙沼を訪れていました。彼も今回は気仙沼での公演があると聞いてぜひ同行したいと申し出てくれたのです。年内に気仙沼を訪れることができて本当によかった。

トップ画像は、宿泊場所として提供頂いた町会施設の前での記念撮影。プロジェクトメンバーが全員写っている集合写真はこれだけです。こういうのはヒマを見つけてパッと撮らないと、ついつい撮影するのを忘れてしまいますね~~

東北支援の旅、スタートしました!(その5=頂いた勲章)

2011-12-31 01:00:17 | 能楽の心と癒しプロジェクト
気仙沼でのお話の順番ではありますが、今日はあまりにも嬉しいことがあったので、まずそのご報告をさせて頂きます!

いま滞在しているのは石巻2日目なわけですが、この日の最初の公演会場は、ぬえが6月以来ずっとお世話になっているボランティア団体「チーム神戸」の新オフィスでした。新オフィスというわけは、震災直後に湊小学校を拠点として活動を続けていた「チーム神戸」でしたが、10月に湊小学校はじめすべての避難所が解消になって、活動の拠点を失ったのでした。この機会に多くのボランティア団体が撤退してしまったそうですが。。「チーム神戸」は近所の「内海歯科医院」から、被災した住居の提供を受けて、以来ここを拠点として活動を続けているのです。

さて ぬえたち能楽師一行は、この新拠点「チーム神戸ふれあいサロン」の、遅ればせながら開所祝いのつもりで公演をさせて頂くことになりました。もちろん近所の住人さんたちをお客さまとしてお招きしてのイベントです。そのうえ、以前おこのブログでもご紹介させて頂いた、曹洞宗庄内青年会の渡辺さんがわざわざ ぬえのお招きに応えてくださって、山形県からお越しになり、車いっぱいにお茶やコーヒー、お菓子、玉こんにゃく(←絶品)、はりはり漬けを持参してお客さまにサービスしてくださいました。



ぬえたちは到着してすぐに開所祝いとして居囃子「高砂」を演じて新オフィスの多幸をお祈りし、さて公演では能「菊慈童」を上演しましたが、お客さまもも大勢お見えになって大にぎわいでした。



終演後は「羽衣」の装束を着付けてあげました~。モデルはこの日がお誕生日の和子さん!おワキのNくんも装束の着付けに参加して。。お内裏さ~まとお雛さま~。



そうして。。

すべてが終わり、次の公演地である仮設住宅の集会所に移動しようとしたそのとき、リーダー金田真須美さんから、「何度もここに足を運んでくれてありがとう。これは住人さんみんなからの気持ちや」と言って ぬえに手渡されたもの。それは。。

この日集まってくださった住人さんからの 寄せ書き でした。。



これはには参った。。マジ泣きそうでした。

これまで何度も石巻の湊小学校やその周辺には来たけれども、そのたびに住人さんの温かさに触れてきた ぬえでした。6月に湊小学校避難所を掃除していたときに、廊下を通りかかる度に「ありがとね」「どっから来たの?」と挨拶してくれた おばあちゃん。8月には装束の着付けを実演して見せたら「暑いだろう?」とパンフレットで扇いでくれた住人さん。9月には終演後に「今日はありがとね。あなたには幸せが来るよ」と言ってくれた おばあちゃん。。最初は自分の心に刺さったトゲを抜くために東北地方に来た ぬえでしたが、来るたびに逆に住人さんに励まされているみたい。。被災地支援のつもりの活動でしたが、いつのまにか、正直、またあの町に行きたい、あの住人さんたちに会いたい、という気持ちで石巻・湊地区に来るようになってきたように思います。これを聞いた金田さんも「それでいいんやで」と、これまた ぬえを励ましてくださいました。

がしかし、形のある「モノ」を住人さんから頂いたのはこれが初めてでした。たった半年、たった4回しか当地に来ていない ぬえなのに。。本当にありがたく、これは初めて ぬえたち「能楽の心と癒しプロジェクト」が頂いた勲章です。

ああ!ダメじゃん。またここに来たくなっちゃうじゃない~~(>_<)ヽ
こうして。。涙をこらえながら「行ってきま~~す!」と挨拶して湊地区を後にした ぬえでした。

東北支援の旅、スタートしました!(その4=釜石・仮設商店街での上演)

2011-12-29 09:34:27 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ぬえ@石巻まで来ました。ご報告は遅れに遅れ。。

もう一昨日になりますが、釜石の旅館・宝来館のプレ・オープニングとして「三番三」「羽衣」を上演した翌日、釜石市・鵜住居町の仮設商店街「鵜(う~の)!はまなす商店街」にて「菊慈童」を勤めて参りました。住宅は避難所から仮設住宅への移行が進み、いま町は生活の糧を得る基盤を整えつつあります。そうして、町のあちこちに商店街が開かれ始めました。…とはいっても あくまでプレハブの仮設商店街。いつかまた、活気を帯びた本物の商店街ができるその日まで、懸命な復興の作業は続くのです。

さてそういった場所での演能ですから、会場としてはかなり難しい条件でした。店舗の中はとても能を上演できるスペースはなく、無理に演じたとしても客席は作れない。。そこで商店街の前にある駐車スペースを会場とすることになりました。

ところが生憎の強風で、出演者一同…どころかお客さまも吹き飛ばされちゃいそう。おまけに駐車スペースは砂利敷きで。。結局狂言チームは紋付のまま「痿痺」を演じ、「菊慈童」はシテのみ装束を着け、ワキはやはり紋付に草履ばき。ぬえも強風の中で師匠から拝借した葉団扇を使うのは危険と判断して持ち物は中啓に替えまして、それも最初から最後まで開かないことにしました。残念ではありましたが、まあ。。扇が壊れちゃうのも困りますので。。(・_・、)



この上演でも宝来館の女将さんにご挨拶と能の後見の仕事をお願い致しました。終演後に出演者一同がお客さまにご挨拶し、6月から続けている支援活動についてお話すると、ご覧になっておられた年輩の男性から「ありがとう!」と大きな声で声援を頂きました~(^^)

さて終演後は急いで支度をして一路 次の公演地である気仙沼へ。途中、大船渡と陸前高田を通りました。正直に言って、岩手県の被災地の清掃は、宮城県と比べると少し遅れているように感じました。差し伸べられるボランティアの手も、どうしても宮城県に重心が傾いてしまっているように思います。じつは ぬえはずっと以前から岩手県内での活動ができないか模索していたのですが、受け入れをしてくださる団体や施設を探すのは難しかったです。石巻では活動をする度にだんだんと知人が増えて、活動の規模も拡大しているのですが。。要するにお互いに顔を見てお話をし、信頼感が生まれることによって次のステップに進める、ということだと思います。ぬえたちの活動は瓦礫撤去のようなものとはちょっと違うので、受け入れ側にも負担はあろうと思いますし。。受け入れてくださった事に感謝しております。そうして、今回は初めて岩手県で活動ができ、何といっても ぬえの心に刺さったトゲの もう一つの原点・・気仙沼を訪れることができたのは、本当にうれしいことでした。

大槌町市街



途切れてしまった鉄路(大槌町)



震災後に宝来館の前に建てられた津波を忘れないための石碑の碑文。



鵜住居駅前(釜石市)



スクールバスに描かれた「捜索完了」を意味する「スミ」(鵜住居町)



大船渡郊外



陸前高田の「一本松」


東北支援の旅、スタートしました!(その3=釜石・宝来館での上演と鵜住神社奉納)

2011-12-28 00:38:22 | 能楽の心と癒しプロジェクト
夕方遅くに到着した岩手県・釜石市の旅館「宝来館」。ここは鵜住居(うのすまい)という地区になります。「宝来館」は海水浴場にもなっている美しい浜辺に面していて、やはり津波で甚大な被害を受けました。このときの様子は Youtubeなどでも配信されていますが、ぬえはその動画…泣き叫びながら裏山に避難する人々、そのあとに押し寄せる津波の映像を見て驚愕しましたが、まさかここであるとは知りませんでした。



豪華な夕食を頂きながら女将さんとそのお嬢さんとお話をしましたが、それはそれは大変な有様だったそうです。まずは女将さんご自身が、お客さまを誘導しているうちに波に呑まれたのだそう(!)。そのときの話がすごかったです。水の中で女将さんは、頭上に自分の旅館のバスが流れていくのを見たのだそうです。もうダメかと思ったとき、瓦礫だと思って手を伸ばしたところにあったのが旅館の身内の人の手だったのだとか。そうして命をつないだのですね。。しかし旅館は津波によって2階までが被害を受け、しばらくは4階で暮らしていましたが、旅館ゆえに食糧なども備蓄があり、近所の住人さんを受け入れて避難所となったり、食糧を配るなどの活動をされていたそうです。

さて ぬえは翌朝近くを歩いてみましたが、海水浴場だった砂浜はすでに姿を消していました。近所はもう誰も住んでいないこの土地で、それでも女将さんたちは旅館の再建を志して、ついに来年1月5日にオープンにこぎ着けたのだそうです。この日はプレオープンとして能楽の上演が企画されたのですが、これは、ずっと釜石を支援している横浜の団体「海をつくる会」の計らいによって ぬえたちがお呼ばれに預かった、という形になります。「海をつくる会」はダイバーの市民団体で、海や湖に潜って清掃活動をしたり、汚れた海の再生のための行動をしたりしておられます。

この日の夕方、ぬえたちは「三番三」と能「羽衣」を演じました。まだ完全ではないとはいえほぼ改修がなった旅館を踏みしめ、そこに幸福をもたらす、という意味を込めてあります。余談ですがこの日NHKと民放の取材が来ていました。民放の方は みのもんたさんの「朝ズバ!」の取材で、もうずっと「宝来館」を密着取材しているのですって。来年1月5日の正式オープンの際にはその様子が生中継されるされるそうで、その中で ちょっとだけ ぬえたちの上演の模様も放映されるかも、ということでした。そのときは「能楽の心と癒しプロジェクト」という団体名を流してね~、とスタッフさんにお願いしておきました。

ところでこの日は女将さんにも急遽レクチャーして、「羽衣」の後見として出演頂いたのですが、終演後のご挨拶が感動的でした。「再建した旅館を三番三でしっかりと踏みしめて固めて頂き、羽衣はみなさんの魂を天に届けて頂いた、と思っております。お空にいる方も、海にいる方も。。幸せが届けられたと思います」 …震災から9ヶ月を過ぎて、いろいろな思いがあってはじめて出るお言葉だと思います。涙なくしては聞けないお言葉でした。



話は前後しますが、この日の朝は ぬえと笛のTさんと二人で鵜住居地区の「鵜住神社(うのすみじんじゃ)」に奉納に出かけました。ぬえもいろいろな事を考えて、今回の上演では幸せを呼ぶ曲ばかりを用意してきたのですが、このたびの上演曲は舞囃子の「高砂」でした。お祓いを受けてから拝殿で舞わせて頂けたのはありがたいことでした。また初めて訪れた釜石の街で、最初に土地の神様の前でご挨拶できたことも ぬえの気持ちとして大変うれしいことでした。



…ところが、終演後に社務所で休憩していると、次々に近所の方が正月の用意に神棚や床の間を飾る注連縄などを求めにいらっしゃいました。そのとき、訪れる方々が誰もみな一様に震災のときの話しを、雑談のようにされていくのですね。これがまた ぬえは絶句するようなことばかり。。「私らはみいんな、逃げろ、というから訳もわからずに山さ登って、それで助かったんだよ。だから津波は見てねえの。でも○○さんのじいさんは、位牌があるから、って家に戻って。。あれから見つかねえのさ。○○さんのところは、大きな家だから2階なら大丈夫だろう、って思ったんだろうね。家ごと流されちまって。…うちも小さな子、3年生の子を預かってんの。お母さんはやっぱり亡くなってしまって。お父さんは北上の方で運転手してるんだって。だから一人ぼっちになってしまって。かわいそうでねえ。。」

この鵜住神社も、近所の人々が避難してきて、高いところにあるために大勢の命を救った神社でありました。神主さんはやはり神社にいたため難を逃れましたが、お住まいは下の道路に面してあったため、流されてしまったそうです。






再びこの土地に幸せが訪れますように。。

追伸:そうこうしているうちに、このあと2つの公演を行いました。今 ぬえがいるのは気仙沼です。。ご報告がだんだんと後回しになってしまっています~。あと、今日 陸前高田にいたときに東京からメンバーに画像が届いたのですが、上記の釜石・宝来館での「羽衣」が読売新聞の全国版にカラー写真入りで掲載されたようです!

東北支援の旅、スタートしました!(その2=パレットおおさきの挑戦)

2011-12-26 08:46:05 | 能楽の心と癒しプロジェクト
宮城県・古川市に泊まったのは、ここで今回ではなく次回の東北支援活動のための事前打合せのためでした。まずは ぬえより先に石巻に入って、現地での打合せをしてくださっていた笛のT氏と合流して、さて向かった先は「パレットおおさき」と通称される「大崎生涯学習センター」でした。

ここには500名を収容できるホールや視聴覚施設、そうして「伝統文化室」と名付けられた和室などもあるのですが、なんといっても素晴らしいのは天文台や立派なプラネタリウムがあることです。館内に入った ぬえはびっくり! プラネタリウムなんて何年も行っていませんでしたが、やっぱり圧倒される巨大さ。最近は映画館に近いような投影もされているようで、この日もお客さんでにぎわっていました。

そうして、やはりこちらの施設でも震災の被災地支援のために、さまざまな活動をされておられました。被災地へ赴いて子どもたちのために星空を見上げる集いを開いたりする「天文ボランティア」活動、親子で楽しむことによって家族や地域のつながりを深める試みである「星を見る会」「星空音楽会」をプラネタリウムで開いたり。。「絆」プロジェクトという名前の活動をされておられます。

こうした取り組みに、ぬえらの「能楽の心と癒しプロジェクト」もご協力させて頂く提案を、幽玄堂さんより頂きまして、この日はその可能性を探る打合せです。ところが ぬえらの活動を説明させて頂いているときに、担当の方が意外なお言葉を。「あ。。石巻の湊小学校で活動されておられるんですか。。? そこの子どもたちのために“移動プラネタリウム”の投影をしてきましたよ」

またしても湊小つながりが。いやいや、その前に「移動プラネタリウム」って何??

なんとそれは小型の投影機を使って、プラネタリウムを学校などに持ち込んじゃおう、というものでした。そしてその「携帯投影機」がトップ画像! なんと元々はプラネタリウムに固定されていたものを取り外して車輪を備えた台座に据えたもの。そうしてその星空を映し出すスクリーンは、空気を送り込んで膨らませる、やはり移動式のドームです。投影機は50kgの重量しかなく、驚くべきことにドームは折り畳めば一人で持ち運びができるほどコンパクトになります。トップ画像の投影機の横に見える青いバッグにそれは納められているのでした(!)。これで収容人数は大人で20名ほど。学校の子どもたちが対象であれば、1クラスみんなで一緒に星空を見ることができます。

この機材はプラネタリウム業者さんが開発したもので、こちらでは1年間の貸与を受けておられるそうでしたが、これを駆使して、湊小…の校舎は被害を受けているので、その子どもたちが通う住吉中学校を会場に、星空の投影を行ったのだそうです。う~ん、素晴らしい!

さてさて打合せは順調に進み、先方のご意向も伺って、いろいろなアイデアを出し合って ぬえどももご協力させて頂けるのではないか、という確信を持つことができました。今からとっても楽しみです~~

が。。ふと事務室から外を見やると、そこは雪が渦を巻くように建物に吹き付けています。。「!!」 「…いや、こんなものじゃないですよ」「今日はおだやかですよ」なんて事も無げにおっしゃる担当の方。そしてダメ押しのひと言が。「次にお出でになる頃は地吹雪ですんで、覚悟してお出でください」 。。。(×_×;)

覚悟を、今日から決めて外に出ました。次に目指すのは岩手県の釜石市。最初の活動地です。東北道を走っていると、だんだん吹雪になってきました。もう3時を過ぎてだんだんと暗くなってきて、あたりの車は慣れたもので陽が出ているうちに少しでも距離を稼ごうとするかのように猛スピードで走っています。ぬえは4時間の行程でしたがビクビクしながらノロノロと。。

やがて高速も終点を迎えて、それでもあと釜石まで80km! そのうえ、カーナビが選んだ最短ルートは。。山越えでした。。走りながら ぬえは考えた。「これが。。釜石に向かう幹線道路。。? あり得ない。。」。。はい、その通りでした。釜石の宿所に到着してそのことを話すと、一様に驚かれたのでした「あそこを通って来たんですか!?」すぐに明日到着するメンバーにメールしました。「カーナビを信じるな。ヤツは裏切り者だ」

東北支援の旅、スタートしました!

2011-12-25 02:48:09 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ぬえら能楽師有志による東北支援公演の旅…ぬえにとってはもう4度目になる旅がとうとう始まりました!

まずは朝日小ホールで行われた震災チャリティの写真展に ぬえ一人で出演。一人で何をしようかと考えたのですが、このときは ぬえが8月に石巻の湊小学校避難所で演じた『石橋』…避難所で初めて上演した記念すべき舞台…のビデオをスクリーンに投影して頂き、その前で 面装束を着けないで紋付のままで『石橋』を舞いました。いうなれば避難所で演じたそのままの舞台を感じて頂きながら再演を試みたのです。

こういう試み…初めての経験でしたが、なかなか面白い体験でした。まず照明が大問題で、スクリーンに映像が投影されているのに、その前の小さなステージで ぬえが舞う。。ぬえにスポットを当てたらスクリーンの映像は消されて見えなくなってしまうし、逆に映像を尊重して照明を落とせば舞っている ぬえが見えない。。担当者さんに「ぬえはシロートなのでお任せしま~す」と勝手に逃げてリハーサルを行いましたが、ステージの横から当てるライトを駆使して、見事に ぬえと映像を両立させて見せてくれました。次にはスクリーンの前で ぬえが舞うことで、ぬえの影がスクリーンを遮っちゃう。これはどうなのかと思いましたが、スタッフの方は「かえって面白いんじゃないですか?」というご意見。つまり映像と同じ動きをしている ぬえの影が映像に落ちるのは、二つの動きが同期するというか、不思議な効果を出すものらしいです。

ぬえも湊小学校での活動を短く編集した映像を追加してありましたから、冒頭は石巻での体験をお話し、ついで舞をお見せして、最後に息長い支援をお願いする。。と、割とうまくまとまったような気がします。

さて銀座での舞台を終えてすぐに高速に乗り、一路 東北を目指しました。普通なら眠くてたまらないはずなのですが、ここでまた面白い経験を。

午後7時をかなりまわり、SAで夕食を摂ったのですが、ふと建物の外に出てみると、段ボールに行き先を書いたものを持った青年が。。

ををっ、ヒッチハイカーですか! しかも遠い行き先に「石巻」と書いてある…どうぞどうぞ、と ぬえの愛車「レイちゃん」に誘導。礼儀正しく自己紹介から始めた彼は秋田県在住で、高校を卒業してから少し仕事もしたけれど、ヒッチハイクでいろいろな人に出会って、その経験から自分の可能性を模索しているよう。でも行動力は半端ではなくて、日本一周はまだ達成していないけれど縦断はすでに達成。ヒッチハイクと徒歩で富士山をふもとから…つまり5合目でなく0合目…浅間神社からスタートして登頂も果たしているのですって。そういえば湊小でも ぬえが公演した日に自転車で日本一周を果たした若い女の子が来ていたっけ。若さゆえの冒険。ぬえも、こんな大規模じゃないけど経験があるなあ。14歳の北海道一人旅。大したことないか。今日会った彼はヒッチハイクで世界一周を目指しているそうな。。

それより驚いたのは、彼も石巻でボランティアをした一人だったこと。いや、そこまでなら まだ「よくある話」なんですが、なんと ぬえがずっとお世話になっている湊小で活動していたんですって! ここで一気に話は盛り上がり、いろいろな話をしました。お互いに共通の知人までいたようですよ!

話は尽きなかったが、彼は各駅停車の旅を望んで、次のSAで下りていってしまいました。 いろんな場所でいろいろな出会いを楽しんでいるんですね。ちなみに ぬえは彼のヒッチハイク歴の中で226台目のクルマでした。

そんなこんなで、いまは宮城県の古川のホテルに投宿しています。じつは昨日になって、タイヤチェーンは買ったけど夏タイヤのままで東北に向かおうとしていた あまりにも無謀な ぬえに東北からお叱りも頂きまして、今朝は急遽スタッドレスタイヤを買いに走った ぬえでした。。すんません、世間知らずは ぬえのトレードマーク。。

こうして、事前に立てた今日のスケジュールはズタズタでしたが (..;)、無事にスタートがきれて まずはひと安心。明日まではまだ あくまで事前交渉日。あさってから本番の舞台が始まります。


東北地方、慰問の旅がいよいよ。

2011-12-23 02:30:56 | 能楽の心と癒しプロジェクト
あまりにも疎い更新。。申し訳ないです~

前回9月に石巻に向かった時は、事前に催しが一つぐらいしか決まらなくて、ホント泣きそうでしたが、現地に行ってから多忙になりました。今回はこれまでの活動の成果が反映されたのか、とんでもなく忙しいスケジュールです。今回はその交渉のために忙しくしております。うれしい悲鳴なんですけれども、前回と同じく二日に一回しかお風呂に入れない状況は同じ。。それってどうなの~? (・_・、)

で、まずは御礼から。

先日お願い致しました ぬえらの「能楽の心と癒しプロジェクト」の活動につきまして、募金のお願いを申し上げましたところ、昨日までに。。というか昨日やっと記帳に行ったのですが、とんでもなく多額のご寄付を頂いておりました。

お名前は差し障りもあるかと思いますので いちいちは書き上げませんが、総額は106,000円にのぼり、内訳は「ボラ」=活動資金援助(無指定含む)101,000円、「ギエ」=義捐金5,000円と、圧倒的に ぬえらの活動資金へのご支援を賜りました。m(__)m

今回の活動ではワキのNくんも参加してくれ、車3台を連ねての東北訪問ですからガソリン代だけでも大変なのです(それでも新幹線の費用に比べたら格段に安い)が、先日お話したとおり、高速料金はボランティア活動の認定を受けて無料になり、また今回はすべての宿泊を現地活動家の支援を受けて無料の宿泊所を確保できました。いやどうも。。暖房設備も、寝具もないところもあるようで、それらはすべて持参、例によって雑魚寝ですが、石巻では雪が積もっているそうで、今から不安です。。(×_×;)

そんなわけで経費は切り詰めての活動です。頂いた支援金も食費には支出しない、という ぬえのスタンスを無理にメンバーに強いておりますが、活動資金も募金の意図を考えれば ぬえどもを通して被災地への支援をなさりたいのだと思うのです。「ギエ」は当然そうなのですが、「ボラ」についても余剰金が出た場合には、まとまった金額になってから、になりますが、現地の支援団体へ みなさまの善意を寄付の形でお届けしたいと思っております。

細かい事を言い出せば、面装束や道具(楽器)の損料とか、資料の送料、イベントの広報のためのチラシ類の印刷費など、メンバー各個がそれぞれの立場で引き受けてもらっている費用もあるのですが、ボランティアというのは元来そんなものですよね。メンバーの気持ちに ぬえからもエールを送りたいと思います。

さて、いよいよ明日。。クリスマスイブに ぬえらは東北支援に旅立ちます。

今日は車にチェーンを巻く練習をしちゃったい。(×_×;) もうやりたくない~~(←そうはいかない)

今回の支援活動につき、現在までに決まっている公演をお知らせ致します。


12/24(土)

①【東日本大震災チャリティフォトトークショー 今を伝える】(ぬえのみ出演)
イベント詳細
会場:「浜離宮 朝日小ホール」東京都中央区築地5-3-2
時間:開場12:00/開演13:00(ぬえの出演は17:30頃)
主催:朝日新聞社/全日本写真連盟 東京・女性10支部
内容:トークショーと懇談会の間の上演=スクリーンに映し出された湊小学校での公演ビデオを背景に「石橋」(紋付にて)

12/26(月)

②【釜石・鵜住神社奉納】(ぬえ・笛のT氏のみ出演)
会場:「鵜住(うのすみ)神社」岩手県釜石市鵜住居町第13地割79-2
会場
時間:朝
内容:一管・小謡(場所があれば舞囃子)

③【釜石・宝来館オープニングイベント】(シテ方・ワキ方・狂言方を入れた本格公演に近い上演)
会場:「宝来館」岩手県釜石市鵜住居町20-93-18
会場
時間:開演17:00
内容:「海をつくる会」坂本事務局長・寺井氏挨拶
「三番三」(裃にて)、能「羽衣」

12/27(火)

④【釜石・鵜(う~の)!はまなす商店街慰問公演】
会場:「鵜(う~の)!はまなす商店街」釜石市鵜住居3-7-2
会場
仮設商店街での公演。
時間:開演10:00
内容:狂言「痿痢」、能「菊慈童」

⑤【気仙沼・劇団「うを座」団員対象ワークショップ】
会場:未定
時間:未定(18:00 あるいは19:00)
内容:児童ミュージカル劇団の団員対象に実演と体験など。

12/28(水)

⑥【気仙沼慰問公演】
会場:市内(未定)
時間:開演10:00
内容:狂言「仏師」、能「羽衣」(会場の状態によっては菊慈童)

⑦【石巻市役所公演】
会場:石巻市役所(1F)石巻市穀町14-1
会場
時間:開演17:00
内容:狂言「伯母ヶ酒」(会場の状態によっては仏師)、能「羽衣」
※これにて狂言チームは帰京

12/29(木)

⑧【石巻・イオンモール公演】
会場:イオンモール石巻 石巻市蛇田字新金沼170番地
会場
時間:開演13:00
内容:能「松風」

⑨? そのほかの石巻市内での上演については現在交渉中

12/30(金)

⑩【チーム神戸「ふれあいサロン」慰問公演】
会場:チーム神戸「ふれあいサロン」石巻市湊町1-6-10
会場
時間:開演13:00
内容:能「菊慈童」※開所祝賀公演の意味も込めて。

⑪? そのほかの上演については現在交渉中
※これにてワキのN君は帰京

12/31(土)

⑫? そのほかの上演については現在交渉中

⑬【カウントダウンイベント】
会場:開成仮設住宅
時間:13:00~深夜
内容:種々イベントの中での上演の可能性。年越しを住人さんと共に迎える。

1/1(日)

⑭【住吉神社奉納上演】
会場:「住吉神社」石巻市住吉町1-3-1
会場
時間:朝8:30
内容:舞囃子「高砂」

⑮【イオンスーパーセンター石巻東店公演】
会場:イオンスーパーセンター石巻東店 石巻市流留字七勺1番1
会場
時間:11:00開演
内容:能「菊慈童」

これで東京に帰ります。お名残惜しいですけれど。。翌2日は師家の謡初めなので。


義援金および活動協力金募金のお願い~

2011-12-13 02:50:30 | 能楽の心と癒しプロジェクト
いよいよ年末が見えてきました。1年の経つのは早い。。歳を取った証拠かしらん。。
この年末は4度目になる石巻支援のほか、はじめて訪れる岩手・釜石、気仙沼を廻る予定。石巻で年越しです~

すでに着々と公演地の受け入れ態勢も整いつつあり、また今日は ぬえは区役所に行って「災害派遣等従事車両証明書」を交付して頂きました。あ、あなた前にも来ましたよね?とか担当の方に言われて、次回の公演にはぜひお出で下さい、などと宣伝をする ぬえ。(^◇^;)

が、この証明書を受け取るまでの道のりも険しいものでした。11月いっぱいまで学校公演で東京にいなかった ぬえ。プロジェクトの銀行口座も作らなければいけないし、そろそろ証明書も交付してもらわなければならないし。。あれ?

なんといつの間にか東北地方の高速道路が例外なく無料化されていました。
ドラぷら
NEXCO東日本

んん~? と思いながら、それでも有料である東京~福島県・白河の区間も出費としては痛手なので、やはり前回と同じく石巻のVC(ボランティアセンター)に証明書の交付をお願いしたのですが。。なんと答えは「高速道路無料化措置は12/10を以て終了しました」とのこと(!)。。久しぶりに青ざめました。活動資金ナシの「能楽の心と癒しプロジェクト」略して「能プロ」としましては、活動計画そのものが瓦解する可能性が。

すぐに問い合わせをしたのですが、「県の決定に従わざるを得ません。。」「こちらとしてもボランティアの方がまだいらっしゃる現状を伝えて延長をお願いしようと。。」とのこと。県のホームページに終了の旨が告知されています、とのことなので、泣く泣く電話を切って。。さて宮城県の当該サイトを見てみると。。あれあれ?? なんとボランティア活動のための高速無料化措置は来年3/10まで延長されていました。

すぐに石巻市へ電話。その旨を伝えると、担当の方さえ「ええっ?」と驚かれて。県から市町村レベルまでの連絡はまだまだ機能が回復していないのでしょう。ここでは、もちろん県からの正式の通達がなければ石巻市としても動きが取れないのですから、とりあえず電話を切ってその動向を待つことにしました。担当の方は、最初「廃棄させて頂いて。。」だった ぬえの申請書もお預かり頂けることになり、後日無事に受理して頂きました。石巻市のVCの担当の方は本当に親切な対応で毎回頭が下がるのですが、この度も心優しい態度でしたね~。滞在中に一度お会いしてみたいものです。

こうしてようやく高速道路の通行料金を免除して頂いたとはいえ、先月の学校公演などのスケジュールが立て込んでいて、東京でのチャリティ活動ができず、活動資金はほとんど底をついた状態です。なんとか今回の訪問先の受け入れ団体のご厚意によって宿泊は無料の。。ま、寝具持参の雑魚寝ですな、例によって。。を確保頂けるようですが、それでもガソリン代とか食費、風呂代にも事欠く有様で。。ちなみにこの風呂代ですが、先日東京にお出でになったチーム神戸の金田真須美さんに事情を伺ったところ、すでにピースボートなどの支援団体の仮設浴場も撤退し、現地に駐在するボランティアは高価なスーパー銭湯に通っていたり、懇意な「住人さん」のお宅。。つまり仮設住宅ですが、そこをお借りしたりしている状態なのだそうです。

現地の別の支援者から伺った話でも、この年末を区切りに。。いや、そうでなくても来年の3月の震災1周年を区切りに、ボランティア団体は大量に撤退するだろう、との観測があるそうです。まあ。。これまで常駐して支援を続けてきた事こそが賞賛されるべきですが、避難所が閉鎖され、住人さんの生活拠点が仮設住宅に移ったこれから先こそが、本当の戦いが始まるのですよね。。食料支援にしても、ましてや孤独と向き合うことになる住人さん個々人の問題にしても。。

じつは昨日、プロジェクトのメンバーが一堂に会して(これはめったに機会がない)今回の活動や今後の活動方針について相談をしました。そこでも息の長い支援ができたらいいね、という点で一致はしています。現地に常駐しているわけでもない ぬえたちは、それでも活動の継続にはいろいろな問題や矛盾も抱えているのですよね。でもそれは現状に対しては、甘えに過ぎないこともあると思います。せっかく助かった命が、これから失われるかもしれない。。そういう状況なのです。命には代えられない、ですよね。(・_・、)

これについては次回にもう少し詳しく ぬえの考えを書こうと思っていますが。。

とりあえず本日の本題。今回の活動について、上記のような理由で、実質的な活動資金不足に悩んでおります。昨日の会合でも「それでも決行!」というメンバーの意思は固いのですが。。継続的な支援を続けるために、この度プロジェクトの銀行口座を作り、広く義援金と我々の活動資金への協力金を募ることとなりました。

以下はプロジェクトのメンバーが作ってくれた協力のお願いの文章です。どうぞ暖かい善意を届けてくださいますように。。


みなさまからの義援金ならびに活動協力金をお願い致します。
義援金は、主に「明友館(石巻市)」「チーム神戸(石巻市)」に直接お届けする予定です。
活動資金は、私たちが現地で活動するための必要最低限の経費(主にガソリン代と宿泊費用・事務諸経費の一部等)に充てさせて頂きたく存じます。

【振込先】
三菱東京UFJ銀行
練馬光が丘支店(店番622)
普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ

【お振り込みの際のご注意】
義援金ご指定の場合には、振込人名(あなたのお名前)の前に「ギエ」、活動協力金の場合は「ボラ」とご記入ください。
 例)義援金   ギエ ノウガクタロウ
 例)活動協力金 ボラ ノウガクタロウ
何もない場合は活動協力金として活用させていただきます。ご面倒ですが宜しくお願い申し上げます。


明友館
チーム神戸


子ども創作能 年内最後のお稽古

2011-12-11 02:22:58 | 能楽
今日は伊豆で子ども能の年内最後のお稽古でした。学校公演などで長いこと東京にさえいなかったので、伊豆の子どもたちに会うのは久しぶりな感じ。

何と言っても、今年は今までに前例がないほど子ども能の公演回数が多くて、なんと合計5回もの公演がありました。もっとも最後の5回目はまだ公演日を迎えておりませんで、この公演日は来年2月です。とはいえ、これほどの多くの公演も初めてなら、それでは、っていうんで配役を毎回替えてできるだけ多くの子が主役を勤められるようにしたもんだから、稽古もちょっと大変でした。いやいや、公演のたびに違う役を勤めなければならなかった子どもたちや、それを家庭で支える保護者の方が大変だったと思いますけれどね~



そんなわけで、次回。。2月の公演では ちょっと思い切った配役にしました。これまで最上級生の6年生が勤める慣習だった 子ども能の主役・準主役を、5年生と。。なんと、1年生に勤めてもらおう、というのです。

まあ、半分冗談…ではないですが、上演会場が神社の舞台で、観梅を主たる目的とした催しへの出演ですから、こちらも ちょっとお祭りのような気分の配役。1年間の総決算でもあり、子どもたちへのご褒美でもあり…そうして、いつも地謡ばかり勤めている低学年の子どもたちにも、1回くらいは重要な役目を与えることによって、責任感を持ってもらおう、という狙いも ぬえにはありますのですけれどね。

まあそうやって、失敗して爆笑して、という感じのお稽古でしたけれども、もう一度、通して稽古してみよう、と ぬえが呼び掛けてやってみたら。。あら? エライ良い出来ではありませんか。なんで?? いかにも運動神経のよさそうな1年生のタケトは大抜擢の準主役の型も身軽にこなし、はじめて立ち方を勤めることになった4年生も、ちゃあんと段取りまで頭に入っている。。アナタ方、何者??



そうして稽古終了後はみんなで近所の大きな公園に行って、これも段々と恒例になってきましたが、遊びに行きました。サッカーに、ダルマさんが転んだに… ぬえはバレないように、できるだけ走らないで済むように上手に参加。そのうちロープで作ったジャングルジムのような高い遊具を使って、なんと、たぶん世界初の「3Dダルマさんが転んだ」まで始まりました。いえ、もっとも、「はじめの一歩」ができない、という理由で数分で自然消滅して、またボールを追っかける みなさまではありましたけれど。(^◇^;)



そのうちに山の端から大きな月が昇ってきました。そういえば今夜は皆既月食!

昇ってきた、あまりにも美しい月。これを見たママたちの一人が言いました。

まあ!まるで満月みたい!

そうです。まるで、ぢゃなくて「満月」なのです。皆既月食があるんですからね~~(・_・、)

チーム神戸 in 幡ヶ谷(!)

2011-12-10 01:13:19 | 能楽の心と癒しプロジェクト
あまりにも突然なことでびっくりしました。

この年末に4度目の石巻訪問を計画している ぬえら「能楽の心と癒しプロジェクト」は、現地でとっても頼りになるボランティア団体「チーム神戸」のお世話になっていて、いまも報告やら相談やらを度々メールで申し上げているのですが。そのリーダーの金田真須美さんから「東京で仲間と飲むんですが いらっしゃる?」とお誘いを受けました。へ?東京に見えるんですか??

そして伺いましたのがここ、新宿にほど近い幡ヶ谷にある「36°5」というアコースティック・ライブ・バー。。んん~~っ!?

ぬえが驚いたのも無理はない。ここ幡ヶ谷は ぬえの師家のお宅にほど近く、ぬえは書生時代10年以上をこの街で過ごしていたのでした。この歩道は ぬえの汗と涙が染みついている場所なんです。涙は本当に染みついているかもしれません。

で、このお店。ぬえはまだ入ったことがなかったのですが。。このお店になる前は。。一時ラーメン屋さんでしたね~。その前は。。ピアノが置いてある、やはりライブもやるカフェ兼バーのようなお店でした。この頃は何度も訪れたことがあるのですが。

さて到着してみると、若い方々が「チーム神戸関係者」として一角を占めている席に案内されました。なんとなく話しているうちに、「能の方ですよね?」なんて、ぬえの事を知っている方まであってまたびっくり。程なく「チーム神戸」リーダーの金田真須美さんも登場して、一気に盛り上がりました。金田さんは東京や神奈川の支援団体や関係者との打合せでこちらにいらしていたんですね。

さてようやく集った面々できちんと自己紹介。なんとここに集った若い人たちは、ほとんど阪神大震災の際に東京近郊から神戸に駆けつけた人々だったのでした(!)それ以来ずっと「チーム神戸」(…というか、これは東日本大震災の救援のために神戸で組織された混成ボランティアで、その母体となる「すたあと長田」という団体)の金田真須美さんとの親交があって、いろいろな形で「チーム神戸」とリンクして今回の震災の援助活動をされているのです。うわ~。神戸の震災のときは ぬえはまだ書生でして、この幡ヶ谷で朝テレビを点けて愕然としていたものでしたが。この、ぬえよりも若い方々はその当時からのお付き合いがあったとは。。

そうして、この「36°5」というお店を経営している若いご夫婦は、アコースティックのユニット「815」を結成していて、この日も歌って踊って楽しそう。



これを見ながら金田さんが ぬえに教えてくれました。「この曲…これはカバー曲なんやけどな。阪神の震災のことを歌った曲で。この二人はまだその頃は出会ってもいなかったんだけれど…」その曲に打たれて 自分たちなりに突き詰めていって…そうしてある日突然金田さんにコンタクトがあったのだそうです。「調べていったら…あなたに突き当たった…震災からずいぶん年も過ぎているんだけれど、何かできることはありませんか?」。「おお!あるで。」

こうして親交が始まったのだそうです。世の中って面白い。そうこうしているうちに「815」のお二人の歌も佳境になり、奥さんの方の「宇海(ううみ)」さんがピアニカを吹きながら廻っています! 金田さんは目を細めて「あの子…湊小でもああやって廻ってたんやで。ボランティア・テントの横で」と うれしそう。お店には「チーム神戸」のための募金箱もちゃあんと用意されてありました。

ふふ。なんか得した気分の一日でした。

「36°5」サイト
「815」サイト

仮設のトリセツ

2011-12-05 02:27:16 | 能楽の心と癒しプロジェクト
先日までずっと学校公演で、富山や金沢など、ぬえがまだ行ったことのないところもずいぶんと廻らせて頂き、あまつさえ京都では、この紅葉のシーズンに(ほとんど紅葉していなかったけど)4泊もさせて頂きました…のに、ぬえは観光に行ったのはわずか1日…それも会場へ出発する前の2時間程度だけでした…

それというのも、この年末に予定している4度目の東北訪問の準備のために、関係者とメールのやりとりをしていたのです。もう、ずうっと…飽きるぐらい。何通メールを出したかなあ…。そうして、1通のメールを出すと、その返信から2つの解決しなければならない仕事が生まれる。その2つを出すと…仕事は4つに増える。ん~、こんな法則を発見した ぬえに誰か賞状でもくれまへんやろか。(←気分は一応京都人)

今回は、どうも過去最大の公演?となりそうです。訪問先も岩手県の釜石・宮城県の気仙沼、そうして ぬえの第三の故郷となりつつある石巻の三カ所に渡り、能楽の略式上演やワークショップは最大で10回ほどになりそう。前回の9月の訪問では、出発の前日まで催しが1つほどしか確定しておらず、泣きそうな気分であちこちの関係者とコンタクトを取っていたのが、まるで嘘のようです。

これというのも、やっぱり現地で実際に顔を合わせ、相談し、ぬえたちの思いをぶつけてきたからこそ、ですね。とくに石巻は行くたびに顔なじみの方も増えていきましたし、ぬえたちの思いを感じてくださった多くの方と出会うことができました。これは狂言のOくんの力が大きいと思うけれども、各地でとても喜んで頂けたのは望外の幸。これらの方々がまた発信してくださって、今回はあちこちでスムースに出演の機会を与えて頂けるようになったようです。

とはいえ、それら関係者の方々とメールで話し合うたびに、暗く重々しい現実も見えてきます。

まずはボランティア団体などの撤退が段々と現実味を帯びてきたこと。避難所が閉鎖になった10月に、これを契機として支援団体の撤退ラッシュがあったそうです。行政の方針で、それまで避難所で集団で生活していた被災者が仮設住宅の中での「個人」の生活への移行が行われた結果、きめ細かい支援の手が届きにくくなり、またその活動をする民間のボランティア団体の活動拠点が失われたことが大きな要因だと思います。それでも多くの団体は現地で築いた協力者の人脈の中で新たな拠点を見いだして活動を続けているのですが…来年3月の、震災の1周年をひとつの境目として、活動を終える団体もまた多くあるのではないか、との観測がささやかれているそうです。

しかし…食料支援の問題。プライバシーは確保したけれど、これから孤独と向き合っていかなければならない仮設住宅での生活の現実。そうして厳しい、寂しい孤独な気分が募る冬がやってくる…。いま、とっても大切な時期に来ていると思うんです。震災から1年。その期間をずうっと現地に居住してお手伝いをしている若い方々だって、自分の将来を見据えて生活設計をしていかなければならない現実もあります。時々しか現地に足を運ばない ぬえごときがどうこう言うことはできないですが、明友館の千葉恵弘さんが言うように、支援は数年の単位で続けなければならない。その折り合いをどうつけてゆけば良いのか…難しい問題です。

本日 ぬえがご紹介するのは「仮設のトリセツ」。これは中越地震でたくさんの被災者を生み出した新潟県の、新潟大学工学部岩佐研究室さんが、仮設住宅での不便な暮らしを余儀なくされている被災者のために、どうやって快適な生活を送れるかの技術を集めた、73ページにもおよぶ冊子です。

ぬえはこれを今回の東日本大震災の被災者のために献身的な努力を積み重ねているピースボートのサイトで発見しました。ぬえはこれを衝撃を受けて読みました。不自由な暮らしをどうやって快適に変えていくか…まさしく仮設住宅の取扱説明書であるわけですが、その裏側には天災のために破壊され、失われた幸せだった生活があって、それをすべて思い出の中に閉じこめた上で、はじめてこの冊子は意味を持つわけですから…

「仮設のトリセツ」は以下のページでpdfファイルをダウンロードすることができます。。

仮設のトリセツ(新潟大学工学部岩佐研究室)

学校公演…京都にをりまする

2011-12-02 11:05:34 | 能楽
11月中ずう~っと続いていた学校公演も最後の公演地・京都で今日が最終日です。

まずは学校公演の成果ですが、素晴らしかったと思います。小学校や中学校、そして養護学校も1カ所で公演したのですが、まあ、子どもたちの元気なこと! どこでも終演後は質問が活発に飛びましたが、中には楽屋にまでやってきて能楽師を質問攻めにする子がいたり、なんとシテに「サインください」と言ってきた子までありました。(^◇^;) 上演した曲目は『安達原』でしたが、後見で座って正面を向いていると、後半の「祈リ」の場面では、子どもたちもおワキの真似をして一緒になって数珠を揉む仕草をしています。もう、こういう場所では完全にシテは悪者扱いですね~~(;.;)

さて京都では4泊もしたのだけれど、年末の石巻訪問の関係者とのメールのやりとりでホテルからほとんど出られにゃい。。

ようやく2日目の朝だけ、京都駅からほど近い東福寺に行ってきました。どうも異常気象の関係からか、本来は盛りであるはずの紅葉は市内でもあまり見かけなかったのですが、なぜか東福寺は紅葉の真っ盛り!





美しかったです~。(^^ 通天橋という有名な橋が境内の谷に架かっていますが、ここだけ拝観料? が掛かります。でも400円なら安い! と言うべき紅葉の見事さ。

何人かの囃子方と一緒に行ったのですが、なんと京都ははじめて、修学旅行以来、なんていう人がいてびっくり。…あ、なるほど、京都での催しに東京の囃子方が参加することは少ないのですね。ぬえは京都にも友達が多いので、比較的よく行く方だとは思いますが。

東福寺から廻って、こちらは伏見稲荷。丹塗りの社殿が鮮やかでした。



有名なのはこの千本鳥居なのだそうで、ぬえは初めて訪れましたが、ずっと山の上の方まで鳥居が連なっているのだそうです。



帰りに見かけた うずらの串焼き…