ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

震災10年雑感(その15)~能楽師の支援活動

2021-09-18 13:02:55 | 能楽の心と癒しプロジェクト
コロナ禍で能楽界も未曽有の混乱がもう1年半以上も続いています。
それでもようやくワクチン接種も広がりを見せ、ぬえも2回の接種を終えました。このためか東京ではこのところ感染者が減ってきて、あと2週間で緊急事態宣言が解除される予定です。これが最後の我慢になり、公演や教室が以前の賑わいを取り戻すことを祈りつつ。。

さて、そんなこんなで ぬえも生活を続けるためにいろいろな試みをしておりまして、なかなかブログの更新ができず申し訳ありません。。それでも震災10年を振り返るこの連載は細々となりとも続けていきたいと考えております。

東日本大震災に関して、じつはぬえたち「能楽の心と癒やしプロジェクト」のほかにも多くの能楽師が被災地支援に携わりました。今回はそのような能楽師の活動についてちょっと紹介したいと思います。

まず震災の年、各地の能楽堂ではチャリティを目的とした義援能が数多く行われました。
この年の義援能を網羅した記録を見つけられなかったのですが、一部をご紹介すると、震災の翌月にはすでに義援能が行われていたようです。

「東日本大震災チャリティー狂言会」 平成23年4月12日 京都・大江能楽堂
「東北地方太平洋沖地震 義援能」 平成23年4月25日 京都観世会館 
「東日本大震災チャリティー能」 平成23年4月29日 京都・金剛能楽堂
「震災復興支援能」 平成23年5月3日 石川県立能楽堂
「東日本大震災チャリティー能」 平成23年5月4日 神戸・上田観正会能楽堂
「東日本大震災チャリティー能」 平成23年5月5日 名古屋・ミッドランドスクエア
「東日本大震災チャリティ能」 平成23年5月11日 東京・阿佐谷神明宮
「東日本大震災復興支援能」 平成23年5月23日 東京・観世能楽堂

こちらは震災の年の記録は見つからなかったけれど、翌年の平成24年に「第2回」と銘打った義捐能が行われていた事がわかった公演です。

「第2回 東日本大震災義援能」 平成24年3月10日 福岡・大濠公園能楽堂
「第2回 東日本大震災義捐能」 平成24年3月11日 大阪能楽会館

これらはそれぞれの都市の流儀や能楽師、また会場となった施設や社寺が協力して行ったもので、いわばオフィシャルな義捐公演というべき性格のものですが、これに対して ぬえらのプロジェクトと同じように有志や個人として被災地支援を行った能楽師もあります。

これについてまず特筆されるべきは「息吹の会」でしょう。
ぬえたちプロジェクトと同じく能楽師有志によって立ち上げられた団体ですが、もともと教室を開いていたなど東北に所縁のある数人が集まって、さらに数多くの、そして能楽界の主だった人々まで広く協力したことによって、被災地支援の取り組みの中で最も規模も大きく充実した成果を上げた会だと思います。

メンバーは柿原光博さん(大鼓方高安流)を代表として、小島英明さん(シテ方観世流)、小寺真佐人さん(太鼓方観世流)、佐々木多門さん(シテ方喜多流)、八反田智子さん(笛方一噌流)、水上優さん(シテ方宝生流)、山井綱雄さん(シテ方金春流)で、さらに補佐役として岡久廣氏(シテ方観世流)、國川純氏(大鼓方高安流)が名を連ねておられます。
ともかく活動が大規模で、まず震災の翌年に東京の観世能楽堂でチャリティ公演を行い、これには能楽各流儀の宗家や人間国宝の先生方をはじめとして多くの能楽師が無報酬で参加、この収益をもとに被災地各地で能楽の本格公演を行いました。公演地は福島県いわき市・南相馬市・須賀川市、岩手県大船渡市、宮城県多賀城市・名取市の各地に及び、入場無料の公演を行ったそうです。

仮設住宅などをまわって小さな活動を続けている ぬえから見ても立派な公演が行われるのは素晴らしいことですし、ぬえたちも「文化の復興」ということを活動テーマのひとつとして捉えていましたから、大勢の能楽師が協力して実現したことはまさに大きな成果だといえますし、羨ましい限りです。

「息吹の会」の活動自体は平成29年に東京で最終公演となったそうですが、先日「息吹の会」代表の柿原さんと話す機会があって、この震災10年目の機会に再び活動をする計画もあったそうです。コロナ禍の現状で実現はしなかったそうですが、いまでも東北に心を寄せている能楽師がいることに感激。

被災地での能楽公演はほかにもいくつかあったようですが、ぬえ自身も震災の翌年の3月10日、石巻の駅前に設えられた追悼式の前夜祭(?)の式典に、仲間の観世流の能楽師の山中迓晶さんが出演すると聞いて見に行きました(笑)。ぬえもこの震災1周年の日には閉鎖された旧避難所での追悼集会に出演することになっていて、その前日には会場の飾り付けをしておりましたので、ちょっと手を休めて式典に行き、山中さんとも面会。どちらも「こんな所でお会いするなんて!」と驚いていました。

このほかにも被災地での慰問公演の話はピアノと共演される津村禮次郎さんなどいくつか聞きましたが詳細がわからないので。。

でも慰問に限らず、東北に教室を持っていた能楽師の多くは率先して義捐金を送っていたそうですし、中には師匠が先導して門下で協力して大量の支援物資を送った例もあったと聞いています。

能楽師の仲間もみんな頑張ってるなー。
東日本大震災とは話題が変わりますが、楽屋で仕入れたこんな話も。

2016年に起きた熊本地震で重文の楼門などを破損した阿蘇神社に、ワキ方下掛宝生流が流儀をあげて義捐金を送ったのだそうです。

熊本地震については東北で一緒に活動するプロジェクト・メンバーの寺井宏明さんとも支援活動をするかどうか話したのですが、東京からは熊本はあまりに遠く。。交通費の負担が重すぎるので断念した経緯があるのですが、なぜワキ方の能楽師が熊本。。わけても阿蘇神社を支援したのかというと。。

それは普段の舞台で能『高砂』でワキの「阿蘇の宮の神主 友成」の役を勤める機会が多いからなのだそうです(!)。古来大切に上演されてきた『高砂』のワキ「友成」は平安時代に実在した阿蘇神社の大宮司で、その役に扮する機会が多いことから、日頃の感謝とご恩返しの意味をもって阿蘇神社の復興のお手伝いをしなければ、とお考えになったのでしょう。「誰言うということもなく」提案がなされて自然にみなさん賛同されたとも聞いていて、これを聞いた ぬえは感激しました。