ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『歌占』。。運命が描かれる能(その15)

2008-05-31 07:03:18 | 能楽
『万葉集』にはホトトギスは153首も登場します。杜鵑、時鳥、子規、不如帰、杜宇、蜀魂、田鵑などなど日本の古典文学でも表記はさまざま。それだけ愛されてきたのでしょう。ホトトギスはカッコウに似たホトトギス目ホトトギス科の鳥で、その「キョッ、キョッ」という鳴き声が「ホ、ト、ト、ギ、ス」と聞こえたところからの名だとも言われています。現代では鳴き声が「テッペンカケタカ」とか「特許許可局」とか聞こえると言われていますが。

そんで、何と言っても有名なのは、ホトトギスはウグイスの巣に卵を生みつけて、卵を孵すことから育児まで、み~んなウグイスに押しつけてしまう習性~托卵なんですよね。

ホトトギスは巣を作らずウグイス(やミソサザイ)の巣に卵を生みつけて、雛の育児はすべてその仮親に任せてしまいます。そして仮親の巣の中でホトトギスの雛は誰よりも先に孵化して、仮親の本当の卵をみんな巣の外に押しやってしまいます。自分の巣の中で、なぜか自分よりも大きく育ってくるホトトギスの雛に親鳥は一生懸命餌を与え続けるという。。なんだかそら恐ろしい話です。

『歌占』の中で子方が引く歌「鴬のかひこの中の子規。しゃが父に似てしゃが父に似ず」とは、仮親の巣の中で孵ったホトトギスの雛は、その姿は本当の父親であるホトトギスに似ているけれども仮親のウグイスには似ていない。。という意味で、不確実な親との関係を詠んでいます。

シテはすぐさま、子方がやはり父親の事を占いで知ろうとしている事を看破し、その旨を確認すると、はたして子方は離ればなれになった父親を探している、との答え。そうであれば、この歌はすでに親子が出会っている事を意味する、とシテは答えます。だんだんと、シテ自身も歌占いに振り回されていくストーリーが、なんとも不思議で面白い趣向だと思います。つまりシテは占い師という、ある種超能力者のような存在ではあっても、あくまで「運命」や「未来」というものを予言するのは短冊に書かれた歌であり、彼はそれを読み解いて質問者に解説するのに過ぎず、いわば目に見えず耳に聞こえない神慮を人々に伝えるメッセンジャーだという事を表しています。彼がそれをする事ができるのは、彼が神に仕える神子であるからにほかなりません。ここで親子が再会できるのも、神の咎めを受けて頓死した身であっても、いまだ神の信頼は失っていない、ということを意味するでしょうか。

シテ「これも父の事を御尋ね候な。
子方「さん候父を失ひて尋ね申し候。
シテ「是ははや逢ひたる占にて候物を。
子方「いや逢はねばこそ尋ね申し候へ。
シテ「さりとては占に偽よもあらじ。鴬に遇う言葉の縁あり。又卵の中の子規とも云へり。時も卯月程時も合ひに合ひたり。や。今啼くはほととぎすにて候か。
子方「さん候ほととぎすにて候。
シテ「面白し面白し。当面黄舌の囀。鴬の子は子なりけり子は子なりけり。不思議や御身はいづくの人ぞ。
子方「伊勢の国の者。
シテ「在所は。
子方「二見の浦。
シテ「父の名字は。
子方「二見の太夫渡會の何某。
シテ「さて其の父は。
子方「別れて今年八箇年。
シテ「さておことの幼名は。
子方「幸菊丸と申すなり。
シテ「こはそも神の引き合はせか。これこそ父のなにがしよ。
子方「不思議や父にてましますかと。云はんとすれば白髪の。
シテ「身は白雪の面忘れ。
子方「されども見れば我が父の。
シテ「子は子なりけり。
子方「ほととぎすの。

『歌占』。。運命が描かれる能(その14)

2008-05-29 01:27:26 | 能楽
ツレに対する歌占いの結果はまずまずツレを安心させました。
ここでツレは自分が連れてきた子方も占いを希望している事を告げ、シテに促された子方はツレと入れ替わりにシテの前へ進んで下居、ツレと同じように短冊を取り上げてそこに書かれている歌を読みます。

ツレ「あら嬉しや。扨は苦しかるまじく候か。
シテ「なかなかの事御心安く思し召され候へ。
ツレ「近頃祝着申して候。又これなる幼き人も占の所望にて候。
シテ「扨はおことも占の所望にて候か。以前の如く一番に手に当りたる短冊の歌を御読み候へ。

さきほどツレが引いたのは自分から見て一番右の短冊でしたが、子方はそのとなり、右から二番目の短冊を取り上げて読むことになっています。

子方「鴬のかひこの中の子規。しゃが父に似てしゃが父に似ず。
シテ「これも父の事を御尋ね候な。
子方「さん候父を失ひて尋ね申し候。

このとき子方は、短冊に歌が2行に渡って書かれているつもりで短冊を読みます。『歌占』に限らずこういうところ、すなわち文なり短冊なりに歌や手紙が認めてあるのを読む、という場面では、意外かもしれませんが どのように、つまり何行に書かれているか、みたいな事は決められている事が多いのです(決まっていない曲もあります)。『歌占』『熊野』『花筐』。。それぞれに文面がどのように書かれているか、が型附に記載されているのはなんだか面白いですね。

短冊の取り方ですが、型附には記載がありません。。というか珍しく短冊の上部をどちらの手で持ち、どちらの手で下方を持つか、という事が師家の型附には書かれていませんでした。書かれていたのは「短冊を左手にて取り、扇を折り返して右手も添え二行に読み。。」といった感じです。まあ、普通に考えればまず左手で短冊の上部を取り、続いて右手で下部を取るのでしょうが、それでは左手の袖が邪魔になってお客さまに短冊が見えない。このへんが工夫のしどころなんです。先輩にもやり方を聞いてみましたが、それよりも ぬえはある『歌占』の実演に接して、その演者の工夫を感じました。

その上演では子方は右手で短冊の上を取り、そのまま右手を短冊の下まですべらせて、その間に扇を折り返した右手で短冊の上部を取ったのです。なるほど、そのままではプラプラ揺れてしまう短冊の、小弓の弦に結びつけられている上部をまずつかんでしまって、それからその手を下げて、改めて右手で上部を持てば、確実に短冊を手に取れるうえ、お客さまからも見やすい形で短冊を読む型ができると。う~ん、配慮の行き届いたシテです。今回は ぬえもこの型で演じるよう、今のところは子方に稽古をつけています。あとはこの型でよいかどうか、師匠に稽古を受けてご意見を伺ってみなければなりませんが。

さてここで子方が引いた歌「鴬のかひこの中の子規。しゃが父に似てしゃが父に似ず」は『万葉集』に詠まれた高橋虫麻呂の長歌(巻九1755)のアレンジです。

鴬の 卵の中に 霍公鳥 独り生れて 己が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛び翔り 来鳴き響もし 橘の 花を居散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし 賄はせむ 遠くな行きそ 我が宿の 花橘に 住みわたれ鳥

(現代語訳)うぐいすの卵に交じって、ほととぎすよ、お前は独り生まれて、父に似た鳴き声で鳴かず、母に似た鳴き声でも鳴かない。卯の花の咲いた野辺を飛びかけっては、その声を響かし、橘の花にとまって花を散らし、一日中聞いていても聞き飽きない。褒美をやろうから遠くへ行くな。私の家の庭の花橘の枝に住みついておくれ、この鳥よ。

『歌占』。。運命が描かれる能(その13)

2008-05-27 01:17:57 | 能楽
ん~~、今回見てみた須弥山を中心にしたこの世界の構造というのは、これは日本人の発想ではないですね。ちょっとこちらがついていけないような飛躍も含めて大陸的なスケールの大きさに培われた考え方でしょう。

そういうわけで(どういうわけだ)『歌占』の最初の歌占いは、シテによってこのように判読されました。

「今度の所労(病気)の源は、どこかから吹き来る風のように平凡な風邪から起こったものだが、今や重病になってしまっている。それはこの世界が虚空に風輪がとどまたところから始まり、次第にその上に水輪と金輪が重なり結びついてついに目に見えて顕現するに至ったようなものだ。その中心となる須弥山について述べれば、金輪より長じたその高さは十六万由旬という、目を見張るほどのもの。周囲にある四つの島は喜びの絶えない海の波間に浮かんでいる。須弥山の四方の金・銀・碧色の瑠璃、玻球迦宝(頗胝迦寶の訛り。紅色の瑪瑙)が放つ光は五重(たくさん、の意)に積み重なった色界の雲に鮮やかに映じる。それだから我らが住む南瞻部州の草木は緑色なのだとされている(注:須弥山の南方の瑠璃の青が映じるために空が青く、植物の緑はその空の色をまた映して緑色なのだ、という説もあるのだそうです)。歌にも「南は青」と書かれたのはこういう事情なのだ。

ところでなぜこの歌が父の事を表しているのかといえば、子にとって父はその恩の高いことは、どんな高山も千丈の高さの雲さえ及ぶものではない。だから須弥山を描くこの歌はそのまま子にとっての父の事に通じるのだ。さてこの歌に表れる須弥山の別名「染色」とは、その父の現在の状態や病状を表すのだが、人の一生を表す生老病死を四方に配すれば、死を表す西の方角が紅色と詠まれている。紅は不吉な色で寿命を表し六十歳の齢の限界をも表す。これはすでに病状は重体と見るほかあるまい。

しかしまた「染色」と詠まれている、という事を考えると、これは文字を借りた当て字とも言える。本当の意味を表記するならば「蘇命路」であろう。実際にいま父君の命は寿命の路に立ち至っているが、再び蘇生する路に通じている、とこの歌は語っている。この歌占の言葉を頼もしく思いなさい。」

ふ~む、これは。。最後は「駄洒落?」と思うけど、それも含めて、この歌はかなり深い知識に裏打ちされて、しかも解釈の多様性とか、その説明の中で「どんでん返し」まで用意されている。。相当に練られた歌ですね。一説には紫式部の詠歌と古来からいわれているそうですが、そうではあるまい。歌占という仕事が大道芸の一種のようなもの。。すなわち当時にあってはれっきとしたプロの職業であったならば、そういった専門家が作った歌に相違ないでしょう。この歌が『歌占』の作者・観世十郎元雅の作ではないか、と考える ぬえはちょっと考えすぎでしょうか。だって、能楽師だって大道芸人から出発したんですし、能本を書く能力があれば仕掛けを持った歌を作るのは、むしろ専門分野と同じであったでしょう。

ぬえは思うのですが、『歌占』の中心に据えられている「地獄の曲舞」の文章は、これは明らかに能楽師の作ではないです。でも、この歌占いの歌は能作者の考案と思います。プロットの中で「語リ芸」としてひとつのクライマックスを形づくりながら、シテの役の見る眼の確かさを印象づけることで、お客さまに彼の言葉が信頼置けるようにちゃあんと誘導もしている。つまり伏線になっているわけです。しかもこのあとの子方への歌占いでは、シテの方が歌に翻弄されたりしていて、シテを超える超人間的な力の存在をまたまた印象づける。この歌は、能を作る時に新規に書かれた歌ではないかと ぬえは思いますね。

ぬえは、どうも『歌占』という曲には観世十郎元雅のカラーが出ていない曲だな、と ずっと思っていて、それは彼がまだ若い頃に書いた曲だからだろう、と簡単に推測もしていたのですが、今回この曲と向き合ってみて、やっぱり彼の影を感じるし、それがほかの彼の作品とは違う意味で出ているから気づきにくいのだという事を思いました。『歌占』の作者が観世十郎元雅ではないのでは、という意見も出されているようですが、やっぱりこの曲の根っこには ぬえが知らない十郎元雅がいる、と感じています。

『歌占』。。運命が描かれる能(その12)

2008-05-26 00:45:07 | 能楽
ツレ「扨はその謂はれにて候な。さらば歌占を引き申し候べし。

あ、ツレは臨死体験の身の上話を聞いても「あ、そなんですか。」ってな調子で驚きませんな。。(^◇^;)
ま、舞台進行上はさっさと歌占の段に進みたいわけで、これはこれでいいのかも知れませんが。。

シテ「易き間の事。一番に手に当たりたる短冊の歌を遊ばされ候へ。考えて参らせ候べし。
ツレ「承り候。

ここでシテは舞台中央に行って床几に掛かり、右肩に担いでいた弓を膝に下ろして両手で持ち、ツレの方へ向きます。ツレはこれを見てシテの前へ進み出、下に居て両手で短冊を取り、謡い出します。

ツレ「教へにまかせ短冊を取り上げ見れば。何々北は黄に。南は青く東白。西紅の染色の山。かやうに見えて候。
シテ「須弥山を詠みたる歌にて候。これは父の事を御尋ね候な。
ツレ「さん候親にて候者この程所労仕り候間。生死の境を尋ね申し候。
シテ「心得申し候。委しう判じて聞かせ申さう。

ツレは「一番に手に当たりたる短冊の歌」を読むわけですが、舞台上では決マリがあって、ツレは自分から見て一番右の短冊を手に取ることになっています。野外で演じる薪能などの時、そよと風が吹いてほかの短冊が手に当たったら。。どうするんだろう。(←よけいなお世話)

ここで『歌占』の最初の見せ場。。というか聞かせどころである歌占いの段になります。これ、結構面白い内容です。

それ今度の所労を尋ぬるに。辺涯一片の風より起つて。水金二輪の重結に現る。それ須弥は金輪より長じて。其丈十六万由旬の勢。四州常楽の波に浮み。金銀碧瑠璃玻球迦宝の影。五重色空の雲に映る。されば須弥の影映るによつて。南瞻部州の草木緑なりといへり。さてこそ南は青しとは詠みたれ。こゝにまた父の恩の高き事。高山千丈の雲も及び難し。されば父は山。染色とは風病の身色。しかも生老病死の次第を取れば。西くれなゐと見えたるは。命期六爻の滅色なれば。おうこれは既に難儀の所労なれども。こゝに又染色とは。声を借りたる彩りにて。文字には蘇命路なり。蘇る命の路と書きたれば。まことに命期の路なれども。又蘇命路に却来して。再びこゝに蘇生の寿命の。種となるべき歌占の詞。たのもしく思しめされ候へ。
ツレ「あら嬉しや。扨は苦しかるまじく候か。
シテ「なかなかの事御心安く思し召され候へ。
ツレ「近頃祝着申して候。

まず基本資料。ここをおさえておかないと占いがわかんないんですが、この資料の方がもっとわかんないです。

須弥山は仏教にいう世界の中心をなす想像上の霊山で「蘇迷蘆(そめいろ)」とも、玄奘三蔵訳では「妙高山」とも言われます。この世界は虚空に浮かぶ風輪、水輪、金輪、という巨大な円盤状の三輪が順に重なっていて、その一番上の金輪の上に須弥山を中心にして山や海、そして島があるのだそうです。須弥山はピラミッド形の四角形をしていて、その高さは16万由旬、そのうち8万由旬が海底から姿を現しています。その四面は異なった材質、すなわち北面は黄金、東面は白銀、南面は瑠璃(ラピスラズリ)、西面は玻璃(水晶)で出来ています。その頂上には帝釈天の宮殿「喜見城」があり、その四つの門に天人が遊楽する四大園があって、「甘露」の雨が降って飢えを知らない楽園なのだそうで。日月は山の中腹あたりの高さを回り、その中腹には四天王がいて、東方を持国天、西方を広目天、南方を増長天、北方を多聞天がそれぞれ方角の世界を守護しています。。ああ、トリップしそう。

さて須弥山のふもとには七つの黄金の山と、八功徳水という水で満たされた海が、交互にやはり四角形のリング状に取り囲んでいます。その最も外側の海(これは円形で普通の塩水の海)の中には四つの島があって、北側にあるのが正方形の倶廬洲(くるしゅう)、東側が半月型の勝身洲(しょうしんしゅう)、西側が円形の牛貨洲(ごげしゅう)、人間が住むのは南にある島。。というか大陸ですな。逆三角形の南贍部洲(なんせんぶしゅう)=または閻浮提(えんぶだい)=とされます。四つの大陸には位の差があって、住人の身長や寿命まで違っています。もちろんこの人間さまが住む南贍部洲は最下位みたいです。その南贍部洲には香酔山、無熱悩池、大雪山、九黒山があって。。ああ、もう分からなくなってきた。

南贍部洲の下、つまり海中に沈む部分には能『求塚』に描かれる八大地獄がありますが、それは南贍部洲の世界の話で、それぞれの島の地下にはまた別の地獄が。。で、北の倶廬洲には地獄がないとか。。もうやけくそ。

また上を見上げれば須弥山の上空にも世界が広がっています。『舎利』に出てくる「欲界」「色界」「無色界」ってのがそれで、やはり上空に行くほど徳は高いのですが、その上空の世界の中にもさらに階層がありまして、一番上の無色界の中のトップにあたるのが「有頂天」。ところが釈迦入滅後56億7千万年後に下生して衆生を救う、とされる弥勒菩薩が修行中の兜卒天は人間界のちょっと上、徳の高い世界からは足もとのような世界に過ぎなかったりします。がんばってくれぃ。(T.T)

『歌占』。。運命が描かれる能(その11)

2008-05-24 02:00:13 | 能楽
上歌、と言いますが、「神風や」からの小段の中でシテは舞台に歩み行き、常座に止まります。このときツレは立ち上がり、シテに声を掛け、以下問答となります。

ツレ「いかに申すべき事の候。
シテ「何事にて候ぞ。
ツレ「さて御身は何処の人にて渡り候ぞ。見申せば若き人にて候が。何とて白髪とはなり給ひて候ぞ。
シテ「げにげに普く人の御不審にて候。これは伊勢の国二見の浦の神職なるが。われ一見の為に国々を廻る。ある時俄に頓死す。又三日と申すによみがへる。それより斯様に白髪となりて候。是も神の御咎と存じ候程に。当年中に帰国すべきと怠りを申して候。
ツレ「扨はその謂はれにて候な。さらば歌占を引き申し候べし。

ここで初めてシテの素性が明かされます。シテは伊勢の二見の浦の神職なのだそうですが、二見浦と言えば「夫婦岩」で全国的に有名な観光地。。もとい、現代ではそうかもしれませんが、根元的には著名な霊地です。神職とは禰宜とか宮司に限らず広く神に仕える者の総称で、神官と言った方が解りやすいでしょうか。ぬえも以前 夫婦岩を見に行ったことがありますが、正確には海岸にへばりつくように鎮座する「二見興玉神社」(ふたみおきたまじんじゃ)の「境内」にあります。大注連縄を渡したこの夫婦岩、じつは海中にある神石を拝するための鳥居なんですよね。その神石とは猿田彦にゆかりの「興玉」で、この神社の祭神は天照大神と猿田彦です。そしてこの神社の所在地こそは。。三重県「度会郡」。シテの苗字はのちに明かされるのですが、その苗字「渡会(わたらい)」には度会の表記もあって、どうやら二見興玉神社と『歌占』のシテとは、虚構ではなく密接な関連があるようです。これについてはもっと面白い事もわかったので、それはまた後日お知らせしましょう。

それにしてもここで語られるシテが白髪となった理由は、淡々とした語り口ながらなんともショッキングな内容です。諸国一見の旅に出たところが、ある日突然 死亡してしまった。え?え?え? しかしまた三日後に蘇った。なに?なに? そしてその時にはすでに髪は真っ白になってしまっていた、と言うのです。シテはいわゆる臨死体験をしたわけで、その時に見た地獄の有様が、これまたのちに出てくる彼が創作した曲舞の原拠で、これを披露している事が有名であることも、のちに語られています。

さてここで分からないのは、その臨死体験をした原因が「神の御咎」である、とシテが認識しているところでしょう。このへん、下掛りの詞章では「われは伊勢の国二見の浦の神子にて候が、廻国の望みあるにより神に御暇も申さで、諸国を廻り候ひしその神罪にや頓死し、三日と申すによみがへる。その間の地獄の苦しみかやうに白髪となりて候」となっていて、これは非常に納得できる合理的な説明です。神に仕える身でありながら、神に暇を申すこともなく突然 諸国を巡る旅に出てしまった神官に対して神罰が下った、というわけで。このへんの事情は観世流の詞章には書かれていないけれど、観世流の役者も下掛りのこの説明を念頭に置いて、そのつもりで演じなければならないでしょう。

しかしまた、シテは「是も神の御咎と存じ候程に。当年中に帰国すべき」とまで語っているのに、「怠りを申して候」と、急いで二見浦に戻って神に謝罪することもせずに、辻占いを続けているのです。要するに神に仕える身として得た「力」としての歌占を生活の糧にしているままで諸国行脚を続けているわけです。なぜ彼はそこまでして諸国を巡っているのでしょうか。

ぬえはこの『歌占』のシテの姿に、『邯鄲』のシテ・廬生のような、一所に留まっていては得られない、と彼が感じる「人生の目的」のような物を探し求める求道者の姿を感じています。神に仕えていながら、それでも得られない安堵感。その神を裏切るように出奔してしまった若者。こんな構図が『歌占』のシテの姿に見え隠れしています。

『歌占』。。運命が描かれる能(その10)

2008-05-23 01:08:34 | 能楽
シテの登場音楽は「一声」(いっせい)です。「一声」は大小鼓による演奏に笛がアシライで彩りを添える囃子で、大小鼓は「ノル」と言いますが、リズムに合わせた演奏をし、これによって登場した役者は「ノラズ」、つまりリズムに合わない謡を謡います。大小が「ノラズ」に打ち、登場した役者が「ノッて」謡う「次第」とは全く逆になるわけですね。「一声」で登場した役者は拍子には合わせないまでも定まった文字数の謡を謡うのが普通で、定型では「五・七・五・七・五」の文字数です。また「サシ」という散文調の謡を謡う曲もあります。

「一声」は「次第」と比べてノリのある軽やかさが持ち味で、カッチリした感じの「次第」とはこれまた好対照です。ですから、前シテというよりも後シテの登場にしばしば用いられます。「次第」はそれが打たれる曲により非常に重厚な感じの登場を演出できるので、シッカリと、あるいはシットリと登場する前シテの役にはいかにも似つかわしいのです。それに対して「一声」は、そのノリの良さをうまく生かして、後シテが勇ましく、あるいは優美に、なんというかスーーッと、異次元から音もなく現れる感じにうまく合っているように思います。

「一声」には役者が登場する前に演奏されるプロローグの部分の中の一節「越シノ段」にいくつか手組の種類があって、それにより「本越一声」「片越一声」などに分類されます。もっとも現代では「一声」を区分するこの「越シノ段」の部分をしばしば省略して上演するので、実演上多くの場合「一声」はどれも同じになってしまっていますが。。

『歌占』では「片越一声」と定まっていて、これは「一声」の中でも最も軽く扱われる種類のものです。しかし ぬえが所蔵する幸流小鼓の手付では、『歌占』の一声にはわざわざ「アマリサラリナラズ」と注記がされています。「サラリ」というのは謡や囃子の演奏の速度のことで、つまり位取りとして あまり速く打たないように」と書かれてあるのです。一概には言えないにしても能では男性の役は女性の役よりも軽く、速く扱うのが一般的な傾向ですし、『歌占』のシテは白髪であっても「若き人」と本文にあります。そのうえその役割も「辻占い師」。どちらかというと小品に属する『歌占』のシテは、どこまでも軽く登場するのがふさわしいようにも思えますが、やはり「占い」という神の心に触れる職業を行っている流浪の神官、という神秘性が登場時に立ち現れる事が求められているのでしょう。それが表現されてはじめて、この曲の眼目たる「地獄の曲舞」を舞う意味づけがされるのかもしれないですね。

シテは上記のような装束の取り合わせの姿で、短冊を五枚つけた小弓を右肩に担いで登場し、橋掛り一之松に止まると正面に向いて謡い出します。

シテ「神心。種とこそなれ歌占の。引くも白木の。手束弓。
  「それ歌は天地開けし始より。陰陽の二神天のちまたに行き会ひの。小夜の手枕結び定めし。世を学び国を治めて。今も道ある妙文たり。
  「占問はせ給へや歌占問はせ給へや。
  「神風や。伊勢の浜荻名を変へて。伊勢の浜荻名を変へて。よしといふも芦といふも。同じ草なりと聞く物を。処は伊勢の神子なりと。難波の事も問ひ給へ。人心。引けば引かるゝ梓弓。伊勢や日向の事も問ひ給へ日向の事も問ひ給へ。

『歌占』。。運命が描かれる能(その9)

2008-05-21 23:47:05 | 能楽
能楽師にとって面を掛けるか、あるいは直面で演じるか、というのは とてつもなく大きな決断が必要です。。なんせそんな選択をする曲が他にありません。『船弁慶』の後シテで「怪士」を使うのか、それとも「鷹」を使うのか、そういう選択ならば簡単なのですが。。というより、この二つの面では演じ方。。正確には気持ちの持ち方をちょっと変えなければなりませんから、稽古している段階で自分なりのイメージというものは出来上がってくるんです。ところが面と直面との選択となると。。まるっきり違う曲を舞うようなもので、さりとてシテは亡霊の役ではないから、それほど極端に演じ方を変えられるほどではないですし。。

そういった視線でこの曲を考えると、また違ったことも考えます。たとえば前半部分にあるツレを相手にした長大な占いの文句は、これは直面の方が具合がよいのです。内容が「生」というか劇的というか、こういった語リは面を選びます。女面とか慈童ならばよいだろうけれど、邯鄲男や今若という面は語リには似合いませんね。

逆に、後半のクセやキリの部分は直面よりも邯鄲男の方が映りが良いのです。この曲の派手で様式的な動きは面の方が良いですね。また夢うつつで歩む立廻リも、これも面の方が良いと思います。考えてみればこのシテの狂乱は神懸かりなのですから、邯鄲男ならばもってこいですね。

このように『歌占』は前半と後半で面の使用の有無の効果が違ってくるのです。さあ困った。直面で登場してまさか途中で突然面を掛けるわけにもいきませんし。。

それから、こんな事もあります。シテ方は。。「直面で登場するのが恥ずかしい」んです。。これはシテ方はみなさんおっしゃいますね。いつも面を掛けているせいか、直面だと裸で舞台に出ているような気持ちになる、というか、一番大きな武器を取り上げられたような感覚になる、というか。ぬえも、多少同じ気持ちは持っています。『望月』を舞ったとき、直面でずうっと舞台に登場しているのは厳しかったです。まばたきもできないし。

先日、最近『歌占』を舞ったあるシテ方と話をして、面を使われたかどうか伺ってみました。答えは、やはり今回は面を使ったそうです。でも、次に舞う機会があれば直面でやってみたいな。とおっしゃっておられました。ん~、やっぱり面を掛けたかあ。。

また『歌占』という曲の異形の姿もまた、直面には合いにくいかもしれませんね。翁烏帽子に白垂をつけて白髪に扮するという。。なんというか顔の造作もモノを言うんじゃないかなあ、と思います。タマゴ形の顔じゃダメですね。(^◇^;)

で、ぬえが『歌占』で面を掛けるか、それとも直面で勤めるか、は じつはとっくに結論が出ていまして、今回は直面でいきたいと思います。ぬえ、仕舞のときなどはコワイ顔をして演じていて、あとで写真を見るとガッカリするんですが、『歌占』はやはり直面の曲なのではないかと思います。前のツレに対する占いの語リがあって、それではじめて我が子と巡り逢う運命の不思議さが際だつ。前シテが成立していないとお客さんは後シテを退屈に感じてしまうのと一緒で、『歌占』ではクセとなって動き出す前に雰囲気を作り上げる、前半部を大切に勤めたいと思います。

ちょっと救いなのは、『歌占』のシテは狩衣の肩を上げて登場し、そのまま最後まで舞うのですが、なんと ぬえの師家では途中で肩を下ろすことになっているんです。これでずいぶん見た目の印象が変わり、舞も袖を翻して華やかに見えると思います。肩を上げる、というのは労働をしているサインで、『歌占』では言うまでもなく弓を扱いながら占いをしているのです。親子が邂逅して弓を捨て、これから帰郷しよう、という場面になってからは肩を上げている理由がないはずですが、観世流では普通は最後まで肩を上げたまま。おそらく後見が狩衣の肩を下ろすほどの間隙が舞台進行上ないからでしょうが、どうも狩衣の肩を上げた姿、というものは下半身が妙に大きいのに比べて上半身がさみしく見えるので、ちょっと派手には動きにくいんですよね。ぬえの師家の決マリでは肩を下ろして舞うので、これなら直面でも映りが良いかもしれません。

『歌占』。。運命が描かれる能(その8)

2008-05-20 23:02:25 | 能楽
面を掛ける、掛けないという極端な選択肢の幅がある能『歌占』。前回類例として『鷺』と『善界』を挙げてみましたが、年齢制限によって面を掛ける場合がある『鷺』や、演者の工夫によって怪異性を出すために面を用いることがある『善界』と、『歌占』とは面に対する捉え方がずいぶん違うような気がします。

たとえば『鷺』で「延命冠者」を掛けた場合は、この面を掛けるのは古くからのしきたりではありますが、正直に言わせて頂ければずいぶん無理な面の選択で、お客さまにも違和感が感じられるのは間違いないでしょう。どこまでも「直面の代理」として面が使われていて、いわば『鷺』という能のシテの性格を表すために注意深く選ばれた面ではないからです。言葉を選ばずに言わせて頂ければ、『鷺』で面を掛ける場合、それは「覆面」に過ぎないのです。

また一方『善界』では面を使う場合と直面では大きく前シテの印象が異なってきます。魔道を日本に広めるために来日した中国の大天狗・善界坊が日本の天狗・太郎坊に会って情報を集め加勢を求める、という前場は、終始人目につかない山中で行われる密議の場面です。山伏姿で現れる両者ですが、これが面(シテは「鷹」、ツレは「千種怪士」など)を使うと、いかにも化け物の化身の謀議に見える。これは現代の演者が工夫として始めた演出が広まったのですが、成功した例と言えるでしょう。

ところが『歌占』では面を用いる、用いないの選択の別によって、シテの性格が大きく変わってくることがありません。これはシテが生身の人間の役だからで、面を使うかどうかで変わってくるのはあくまでもシテの風情、といった程度に過ぎないでしょう。

なぜ『歌占』にこんなに極端な選択肢の幅があるのかと考えるとき、やはりこれはシテの特異な風体と、その曖昧な人物像によるのでしょう。若い神職の姿でありながら白髪。そして短冊をつけた小弓を肩にかついで登場して、辻占いをしている。。どうも怪しいヒトと言うほかありません。

同じような異形の人物、それも生身の人間としての役となると、ほかに『放下僧』や『望月』が思い浮かびます。が、これらはいずれも直面で勤めることになっていて、面を掛ける、という選択肢もなければ、演者の工夫によって面を掛けることを試みたという話も聞いたことがありません。それは、これらの役がいずれも「敵討ち」という生々しい行為を行う役であることが大きな理由でしょう。面を掛けて敵討ちはちょっとしにくい。。『望月』は獅子舞を見せるための覆面をしていますが、やはり敵討ちの場面では獅子頭も覆面も脱ぎ捨ててしまいます。

ところが『歌占』のシテは流れ者で、特別の目的を持って登場した人物ではないのです。舞台に登場した段階ではこのシテの人物像は はなはだ曖昧で、むしろ彼が行う占いの不思議な結果が、登場人物たちに事件を巻き起こしてゆく、というストーリーなのです。シテはむしろ事件の中では受動的な役割で、運命に弄ばれる人間です。そうした人物像の曖昧さが、直面をも許し、また面を掛けることも拒絶せず、どちらを選んでも能楽師自身にしても違和感がない、という不思議な現象を起こしています。

ちなみに『歌占』のシテの特異な扮装については上記に書きましたが、短冊をつけた弓を持つ役には『放下僧』の後ツレに類例が、また若い人物でありながら白髪、という設定は『鶴亀』のツレ(または子方)の「亀」に類例がありますことを報告しておきます。

さてこうして『歌占』では演者の選択によって面を使うか、あるいは直面で演じるかを決めるわけですが、これはまあ、なんという大きな決断をシテに強いるんでしょう、この曲は!

『歌占』。。運命が描かれる能(その7)

2008-05-19 00:13:00 | 能楽
話がちょっと飛躍したかも知れませんが、謡本が役者の手控えから出発したとするならば、舞台で実演上定型となっている問答が割愛されるのもあながち不思議ではないような。

ところで前回「僧のワキと従僧のワキツレであれば、主の立場にあるワキが「しばらくこの所に休もうずるにて候」と宣言すれば、従の立場のワキツレは「尤もにて候」と応じて。。」云々と書いた件について補足しますが、ワキの提案に対してワキツレが同意するこの定型の言葉、おワキの流儀によって違いがあります。関西ではまた違いがあるかもしれませんが、東京の場合で言えば、下掛り宝生流では上記の通り「尤もにて候」ですが、福王流の場合は「然るべう候」とおっしゃるようです。まあ例外の曲もありましょうが。

さて『歌占』に戻って、ツレの言葉に促されて子方は脇座に行き、ツレもその隣に行って、二人とも着座します。なお二人の装束は以下の通り。

ツレ=直面、襟…萌黄、着付…無地熨斗目(または段熨斗目)、素袍上下、小刀、鎮折扇
子方=直面、襟…赤、縫箔、稚児袴、黒骨扇

両人とも至って一般的な庶民の服装ですね。ツレが段熨斗目を着れば少し格が上がるけれども、小書などによって重く扱われる事のない『歌占』という曲は、別会など大きな催しには出しにくく、ツレが段熨斗目を着るような公演は多くないと思います。

ツレ、子方が着座すると囃子方が「一声」を打ち、やがてシテが登場します。

シテは男神子という特異な役割の人物ですが、能の役の扮装の中でもかなり特徴的です。

シテ=面…邯鄲男、今若、また直面にても。白垂(尉髪にも)、白鉢巻、翁烏帽子、襟…浅黄、無色厚板、白大口(また色大口にも)、縷狩衣(肩上る)、白無地腰帯、神扇、小弓(四尺五寸。白布にて巻きても)短冊を五枚付る

観世流の大成版謡本に記載された装束付けによれば、直面が本来で、邯鄲男の面を掛ける方が替エになっているようですが、ぬえの師家の装束付けによれば面を使うのが本来で、直面が替エのようですね。

それにしても。。面を使っても使わなくてもよい、という能はめったにありません。強いて例を挙げれば。。『鷺』でシテを勤める者が元服までと還暦後の年齢であれば直面、その間の年齢の時には基本的には勤めてはならないけれども、仕方ない場合には「延命冠者」を掛けて勤める。。というのが有名ですね。要するに役者に「色気」がある年齢の間は勤めない、どうしても勤める場合には面を掛けて素顔を隠すのです。もっとも、現代では子どもは早熟だし還暦はまだまだ若いうち。この年齢制限は平均寿命が短い時代に定められたものなので、現代ではあまり拘泥されていないようです。

あとは。。『善界』の前シテを「鷹」で勤める場合ぐらいでしょうか。。この曲も本来前シテは直面なのですが、日本に魔道を広めるために中国から来日した天狗が、日本の天狗に会って密談する、という内容。前シテ・前ツレとも山伏姿ですが、天狗の化身、しかも人知れず山奥で密談する、というストーリーのため、役から人間性を廃するためにシテが「鷹」、ツレが「千種怪士」などを掛ける事が行われています。これは装束付けに記載はなく、演者の工夫が広まったもので、ぬえも『善界』を勤めた時は前シテから面を掛けました。この類例として『車僧』や『大会』の前シテで面を使う演者もあるようですが、これらの曲は同じ天狗の化身とはいえ、直面の方が合うのではないかな、と ぬえは思います。

やってくれました!綸子ちゃん

2008-05-18 01:04:07 | 能楽

みなさまにご心配頂いている伊豆の国市の綸子(りんず)ちゃん。今日は2週間ぶりの伊豆の国市での「狩野川薪能」の稽古でした。いや! 綸子ちゃんはよく勉強してきました!

「狩野川薪能」(8月23日開催)では毎年 ぬえがシテを勤める能の子方を地元の小学生から抜擢しているのですが、今年 ぬえが決めた上演曲は『嵐山』。ん~~、能楽師の子弟でない子方にこの曲はどうかな~、とと ぬえ自身ちょっと危惧してはいました。なんせ「下リ端」の登場楽を、笛の譜を聞きながらそれに合わせて歩んで、定められた譜のところで定められた位置~橋掛り一之松~にピタリと到着しなければなりません。そのあとの型も左右やら打込やら。。サシ込ヒラキは当たり前で、サシ廻シやら中左右やら、はては雲ノ扇やノリ込七ツ拍子まであって、これらは み~んな能楽師やその子弟が稽古の段階を経ながらひとつ一つ覚えてゆく「舞」の動作なのですから。言うなれば十分に経験を積んだ役者が演じる役で、子方であればなおさら いくつもの子方の役を経た後に勤める役でありましょう。『嵐山』を選んだ ぬえが酷だったかもしれないけれど、綸子ちゃんならば最終的にはちゃあんと習得するとは思っていました。

ところが。。まあ最初の方の稽古では見るも無惨で。。

「どうしてよいかわからない」。。ひと言で言ってしまえばそういう気持ちでしょう。でも、そんなの ぬえは先刻承知しているから、プリントやらDVDやら懇切丁寧な資料は作って送ってあったのですが。でもやっぱりそれだけで習得するのは難しかったらしい。それだけならば理解もします。でも、実際の稽古で注意した点をその場で直せず、何度も同じ注意を受けているのでは心構えの問題もある、と言わざるを得ないです。たとえ小学生とはいえ、薪能当日はプロとして扱う、と ぬえが宣言して、ほかの子どもたちとは違う厳しい稽古になるよ、と説明したうえで引き受けたお役です。そして去年も先輩が同じ大役を勤めているのも見ているし。

綸子ちゃんには2度に渡って ぬえは「今日の稽古は0点だよ」と言い放った。その時はつらそうな、疲れた顔をして帰ったけれど、今はそれで良かったと思っています。そして次の稽古にも笑顔で現れる綸子ちゃんは ぬえよりも偉いと思う。

前回、自宅でしっかり稽古を積んできた綸子ちゃんは、めざましい進歩を見せてくれました。もう、ぬえが要求した事は全部出来上がってる。まだ細かいソフィスティケーションの作業はこれからだけれども、少なくとも地謡が謡う文句にちゃんとシンクロして型をこなすレベルでは完璧でしょう。それで、その時の稽古では2回の0点を凌駕した、として300点を綸子ちゃんにあげました。

でも、そこまでの稽古は、まだこの子方の役としては半分までしか進んでいないのです。ぬえも改めて後半部分の模範演技のDVDを送っておいて、そして今日の稽古の日を迎えました。

そうしたら、どうでしょう、彼女はまだ ぬえが実際に目の前で教えるその前に、すでに ぬえが送った資料を研究して、後半部分の型をとっくに習得してしまっていました。もともと賢い子だと ぬえは思っていましたから、驚くこともなかった。この日は綸子ちゃんに200点をあげました。前回の300点よりも低い数字のように思えますが、1度の稽古で100点の倍、という意味です。だって ぬえが説明する前に出来ているんだから。

見よ。綸子ちゃんの勇姿を。



。。あ、ちょっと大人びた感じに写っていますが、本人はまだちっちゃいんですけどね。(失礼>綸子)

いや、本当によくやってきたと思います。

。。だから。。ぬえはまた、試練を与えてしまった。

本来この役は「天女之舞」を舞うことになっているんですが、今回は綸子ちゃんのキャリアを考えて、それは割愛しました。でも、この5月の段階で最後まで舞えるのならば。ん~天女之舞は難しいけれども、もう少し短い舞ならば綸子ちゃんなら舞えるかも。師匠のお許しを得てからですけれども、これから勉強して綸子ちゃんは もっとジャンプアップできると思います。そこまで到達できれば出演する能楽師も驚くよ。

今の状態そのままで真夏の薪能に突進して行ってもいいんだけど。。まだその日までは3ヶ月あります。ぬえは、彼女がつらく思うほどではなく、もっと高いところに行けると思う。可能性は引き出してみたいと思います。

がんばれ綸子!

『歌占』。。運命が描かれる能(その6)

2008-05-17 01:36:02 | 能楽
子方に占いへの同道を勧めたツレは、ここで謡本に書かれていない一文を謡います。

ツレ「まづかう渡り候へ

有り体に言えば、この後に登場するシテのために舞台の場を譲って脇座に退くために、子方に移動と着座を促す言葉であるわけですが、これは子方やツレなど、曲の中で一つの核となる人物を「伴った」役。。大概はワキですが、その役が道行、着きゼリフを謡ったあとに着座するのになくてはならないセリフです。

たとえば登場したのが僧のワキと従僧のワキツレであれば、主の立場にあるワキが「しばらくこの所に休もうずるにて候」と宣言すれば、従の立場のワキツレは「尤もにて候」と応じて、これで談合はまとまって異論なく着座できるのです。ところが登場した一同の主導をするワキに対して主従ではなくて、一同の中にちょっと異質な存在の人物がある場合~それは曲の中で一つの核をなすため、その人物は主導役のワキよりも先に登場します~、その人物を尊重して、ワキはワキツレに対するのとは別に声を掛けて着座を促します。

観世流の『歌占』の場合は登場の先導をする役目はワキではなくてツレですが、やはりこの曲では子方はツレよりも先に登場しますし、ツレはワキの場合と同じように子方に着座を促す言葉を発するわけです。

間狂言のセリフが謡本にほとんど書かれていないのはよく知られていますが、このように短いセリフとは言いながら、シテ方やワキ方が舞台で発するセリフが謡本に記載されていないのは なんだか不思議ですね。このへん、ぬえは謡本というものの成立を考えるのに、考えなければならない事実だと考えています。

謡本は、もとは能楽師の手控えとして書かれたものだと ぬえは考えていて、それは世阿弥が書いている「能本」を自分の後継者に「相伝」した、という記事とは別に考えた方がよいのではないかと思います。

世阿弥の伝書には舞台での即興性が前提になった上での演技の心得、という面が非常に強く、これは世阿弥の文言を単純に現代の能。。少なくとも式楽となった以降の能の演技の規範として捉えるのには非常に危険だという事を意味している、と ぬえは思っています。世阿弥時代には多武峰で実馬実甲冑で舞台に登場する具足能も行われていたぐらいですから、当時の能を取り巻く状況や、それに従った演出の実際を把握しないままで世阿弥の言葉をそのまま現代の舞台に応用するのは難しいのではないか。。世阿弥の言葉をもっとメンタルな感じで、たとえば警句として読むなどの工夫が、現代の能楽師には欠かせないのではないかと ぬえは考えています。

一方、謡本に書かれている節を表す記号に、ぬえは「実演者の手控え」を感じています。メロディの上がり下がりを稽古の時に瞬時に書き留めておく方法。。五線譜とは無縁の我が国の文化では、現代であれば矢印なんかで書き表すんでしょうが、それと同じような感覚で、「クリ」とか「廻し」の記号にはメロディを直感で書き表した、という印象を ぬえは感じるんですよね。世阿弥の「能本」には節を表す記号はほとんど見られず、これは広い意味での「台本」でしょう。世阿弥が後継者に相伝したのは、あくまでもレパートリーとしての曲だと考えるのが妥当ではないかと思いますから、謡本は、むしろ実演者の中で生まれた物のように思います。

だから現代にも版を重ね発行され続けている「謡本」は、世阿弥ら能作者の「能本」を踏襲したものではなく、これらの能を実演するに際して演者。。シテとは限らず、たとえば地謡の中の聡明な一員が自らの手控えとして節のメロディを記号で記譜したものが、その記譜法が他の演者に重宝に思われて、それが演者に広まったのが謡本のルーツなのではないかと ぬえは想像するのです。例外はあるにしても世阿弥時代から能の詞章が現代でもほとんど変わっていないのも、レパートリーを棟梁に相伝するのが目的たる「能本」と、棟梁以外の実演家のために。。実際には後世アマチュアの愛好家のために整備され続けてきた謡の実演の台本としての「謡本」とは別に考えれば、長い歴史の割に詞章の異動が少ないのも説明がつくように思います。

成田美名子さんが取材に。。(続々)

2008-05-16 00:20:32 | 能楽
これまでこの「インターナショナル邦楽の集い」で出会った外国人の生徒さんの中には、その後 ずっと ぬえの活動を支えて手伝ってくれた人までいます。

そもそも、ぬえが会主である西村真琴さんと出会ったのは、ぬえの主宰会「第一回 ぬえの会」で『道成寺』を披いたときでした。あの時は本当に命を懸けてしまって、恐ろしい体験をした日々でしたが、終わってみるといろいろな人との繋がりが出来たりして、ぬえには舞台上以外の面でもエポックメイキングな時期だったと思います。

この時、西村さんからチケットのお申込を頂いて、その時はお電話で初対面でしたから、西村さんという人についてはとくに何も知りませんでした。ところが終演後にメールを頂きまして、そのメールはこんな感じの内容でした。

いわく、西村さんは長唄の三味線や鼓を外国人にボランティアで教えている。その生徒の中には熱心で、また長期間お稽古を続けて上達もしていて、会のパートナーとして信頼できるまでに成長した人もいる。今回の「ぬえの会」は、その生徒から「歌舞伎の道成寺ものの演目の本説となっている、能の『道成寺』を一度見ておきたい」とせがまれて、たまたま「ぬえの会」が開催されるのを知って、一緒に出かけた。ぬえの『道成寺』を見て強い印象を持ったので、この秋に催す「インターナショナル邦楽の集い」を、ぜひ能楽堂で開いてみることに決めた。ついては ぬえにもその「邦楽の集い」を見てもらって、日本文化を学ぶ外国人の姿をみてやってほしい。

。。こんな内容でした。ぬえはすぐにお返事して、そういう活動をされておられるなら、ぬえも ぜひお手伝いしたい、希望者があれば仕舞をボランティアで教えて、「邦楽の集い」に出演させたいです、と言いました。これから先は あれよあれよと話が進展して、そうですね。。ほんの2~3ヶ月のお稽古で数人が「邦楽の集い」で仕舞を披露したのでした。

『道成寺』が機縁になった、この生徒さんは、後には ぬえがアメリカの大学で教える際にもアシスタントとして、ステージハンドとして、そしてある時にはステージで鼓を打って見せたりもして、大活躍で ぬえを支えてくれました。そうそう、このときの大学での講義は20日間にも及んだので、アメリカ人の学生を相手にする ぬえの講義についても いろんな批評をしてもらいました。お陰で失敗もなく、学生に信頼してもらう事ができたと思います。

西村さんも、今まで教えて来られた生徒さんの要請で、その生徒の母国で長唄のワークショップを開いたりする事も何度もありますし、今回のような「邦楽の集い」コンサートが開かれると、そのたびに世界中から かつての生徒さんが集まってきて、三味線の弾き方を思い出し思い出し しながら出演したりしています。

そうそう、今回は ぬえが以前に仕舞を教えたカナダ人の生徒さんも急遽来日する事が決まりまして、もうギリギリのスケジュールの稽古になりますが、彼女も簡単な仕舞を舞うことになりました。ワォ!

そんなこんなの「インタナショナル邦楽の集い」。まだチケットはあるそうですので、この機会にみなさまも日本文化を学ぶ外国人の姿を見てやってくださいまし~~m(__)m

成田美名子さんが取材に。。(続)

2008-05-15 00:34:05 | 能楽
ただ、長唄の三味線や鼓を習っている外国人の生徒さんは、どうしても長い期間稽古を続けられる人はそう多くはありませんで、日本で定職に就いていて、もう ぬえとも何年もお付き合いのある生徒さんというのは ほんの数えるほどしかいませんね。ビザ等の関係による滞在期間の制限もあるし、なんというか、バックパッカーの延長のように、なんとなく日本に住み着いちゃっている生徒さんもいました。さあ、そろそろ本国に帰って就職するか、って言って帰った人も。日本人と結婚しちゃった人も何人もいるしね。いろんな人がいて面白いですよん。

話は横道にそれますが(またか。。)、仕事のために日本に赴任してきたような人(生徒の中にはほとんどいませんでしたが)を除いて、日本に興味を持って滞在している若い外国人は生活の糧のためにアルバイトをしていたりします。そのためのビザを取るのは大変なのではないかなあ、と まずは思いますが、面白いのは、生徒さんのアルバイト先ってのが、これが判を押したようにみ~~~~~んな英語教師なんですよね~。要するに「駅前○×」みたいな英語教室の教師で、それぐらい教師の売り手市場なんでしょうか、日本は。そしてまた、ザラにいます。まったく日本語を話せない教師さんも。それで教師になれるなら、こりゃラクちんですが、なんだか見ていると日本は外国人にとっては住みやすい国なんでしょうか。

。。と言っていたのも束の間でした。例の「NOVA」が倒産したときの衝撃を ぬえはモロに見てしまった。。生徒さんの中にもいきなり仕事がなくなってしまった人がいました。。そして仕事を失った元・英語教師の人がちまたに溢れてしまったらしく、今は英語教室の教師に応募する外国人はとんでもない高い競争率なのだそうで、なかなか次の仕事も見つからない。先日 ついに生活が出来なくなって帰国してしまった人もありました。なんだかなあ。。

そんなこんなで今彼らにとっては激動の時代なのですが、お稽古は淡々と進んでいくわけで。(^^ゞ

そうだなあ、平均すれば、彼らの日本滞在期間は1年~2年程度なのではないでしょうか。ですから「邦楽の集い」のために仕舞を教えている ぬえにとっては毎回、生徒さんはほとんど顔ぶれが変わっています。それでも毎年できるだけ違う曲目の仕舞を出せるように選曲を工夫して、生徒さんと相談ながらその才能も見極めつつ、仕舞の曲目を決めています。まあ、毎年ほとんど能のことは知らない生徒さんばかりなので(あたりまえ)、あまり難しい曲は避けて、こんな曲なんだよ、と候補曲について説明して、生徒さんの興味を探りながらそれぞれの生徒に合った曲を選びます。

ところが今年は「源氏物語を題材にした能の仕舞を舞いたいです。たとえば葵上とか」と、事前にメールで希望曲を ぬえに伝えてきた生徒さんがいて、これには驚きました。よく勉強してる。。しかし。。葵上はいかにも難しい仕舞だ。。ぬえはメールを返しました。「君が源氏物語や能について勉強しているのは尊重する。しかし葵上の仕舞は難しい。源氏物語を題材にする曲はほかにもある。半蔀なんかどうだろう。はかない夕顔の物語で、とても清楚な感じで美しい仕舞だ。」ここまではよかった。そのあとちょっと ぬえは書きすぎました。「半蔀はお客さまにとってはやや退屈な仕舞に見えるかもしれない。しかし君が習得するのにはどちらかといえば手が届きやすいと思う。一方葵上は習得が非常に難しい。お客さまにとっては派手で見応えはあると思うが、失敗するような事が起こる心配もある」。。そして余計な事も書きました。「いずれにしても最後は勉強してきた君の決断に任せる。演じたい曲を選んで知らせてくれ」。。相手が外国人だという事を忘れていました。

。。やがて返事が来ました。とても興奮した調子で。「先生! 私に選択を任せてくださってありがとうございます! ぜひ葵上をやりたいです! お客さまを退屈させるなんてイケナイ事だと思います。私、がんばってお稽古をして、絶対に失敗なんかしません! 先生に喜んで頂ける成果を出すことをお約束します!」。。ああ、そうでした。外国人のファイトスピリットを忘れていた。。

その後、この生徒さんは『葵上』の仕舞の稽古に七転八倒して苦しんでいました。そりゃそうだ。(__;)

じつは以前にも、そうやって最初に見せるファイトスピリット。。ちょっと日本人は表面には出さないあの闘志をうっかり信じてしまって、本人には荷が重いはずのやや難しい仕舞を ぬえは選んでしまって。。そうして結局 稽古について来れずに仕舞を断念してしまった生徒さんも過去にはいました。もちろん、とうとう克服して立派に舞台を勤めた生徒もいますけれどね。この催しも伊豆の「狩野川薪能」での子どもたちとの稽古に増さず劣らず、いろんなドラマがありました。

。。でもまあ、今回のこの生徒さんはとっても勉強熱心で、『葵上』の稽古は至難だったと思うけれど ちゃあんとついてきます。まだ仕舞の完成には少し足りないけれど、だいぶ形になってきました。残された時間で、おそらく立派に演じきるでしょう。

成田美名子さんが取材に。。

2008-05-14 00:52:03 | 能楽
。。と言っても ぬえが取材されるのではありましぇん。

この6月1日(日)に東中野の梅若能楽学院で開かれる「インターナショナル邦楽の集い」において、ぬえが指導して仕舞を演じる外国人に取材の申込がありましたんです。

いえ、ぬえにも突然のお申し出でびっくりしましたが、ぬえの舞台にはよくお出で頂いていながらメールでしかお話したことがない。。「メル友」ってヤツですか? その紫苑さんを通じて ぬえにご連絡を頂きましたのでした。紫苑さん、ありがとうございます~

成田美名子さんと言えば『花よりも花の如く』という漫画で能楽師の家族の実生活を活写されておられる方で、とっても人気があるのだそうで。その作品を読んだことで若い能楽ファンが増えた、いわば能楽界にとっての功労者。。なんですが、ぬえは じつは名古屋の研究者の鮒さんから教えて頂くまで、その作品を存じませんでした。。申し訳にゃい。。

でも、遅ればせながら成田さんの作品を読ませて頂いた ぬえは、能の曲そのものではなくて、能楽師の生活を描いた漫画があることに驚かされました。能楽師が持っている悩みとか、舞台人として生きてゆくことへの葛藤とか。そんな楽屋、というか個人の内面のお話と言うべきかも知れませんが、こういうものが出版されて世に出まわっていたんだ。。ただ、このファミリーが持っている能に対する価値観と、ぬえが持っているそれとは必ずしも合致しませんけれども。。

それでも若い読者に、一生を掛けて古典芸能を学んでいる者、その中にも若いながら がむしゃらに頑張っている者がいること、そういう世界があることを知って頂けるのには とんでもなく大きな力だと思います。

でも。。ぬえは成田さんには恨みもある。。

この作品を読んで。。しまった! と思った ぬえでした。なんと弓道のお話が載っているではありませんか。。ちょうどその頃、ぬえは長く離れてしまった武道の稽古を復活させようと思って、弓道を習い始める事を真剣に考えていた頃で。。でも ぬえが弓道を始めては、まるで人気漫画のマネをしているようではないか! (T.T) うう~。。弓道を始めるのはもうちょっと後にしよう。。(__;)

じつは武道と能との関係については話したいことがたくさんある ぬえでした。この事についてはまたいずれ。。

それにしても、今回は ぬえに仕舞を習っている外国人への取材という依頼なんですが、はたしてご期待に添えるかどうか。この「インターナショナル邦楽の集い」という催しは「代田インターナショナル長唄会」の主宰者・西村真琴さんが、ボランティアで長唄の三味線や鼓を教えておられる、その生徒さんの発表会で、ぬえは もう7年も前から、西村さんの活動に賛同して、やはりボランティアでお手伝いに参加しています。

と言っても ぬえは長唄は教えられないです。三味線を習っている外国人の生徒の中には、これは ぬえもホントに才能というのは洋の東西を超えていると思いますが、彼らにとっては異国の文化、異国の楽器であるのに、日本人以上に習得が早い人ってのは本当に実在するんですよねえ。それで、三味線のお稽古のほかに まだ余力のある生徒さんを西村さんが選抜して、「能の舞もお稽古してみない?」と声を掛けて、本人が希望した場合のみ、「邦楽の集い」コンサートに向けての期間のみ、ぬえがその生徒さんをお借りして仕舞のお稽古をつけているのです。

過去のブログ記事から

→ 今年の「邦楽の集い」の紹介記事
→ 昨年の舞台画像
→ 昨年の記事~外国人生徒への稽古風景

『歌占』。。運命が描かれる能(その5)

2008-05-13 00:10:48 | 能楽
『歌占』のツレは若手の能楽師が勤めるお役で、ぬえも一度だけですが勤めた事があります。その時はまだ ぬえも駆け出しですし、夢中で勤めていたのですが、今になって考えると、やはりこの役はワキ方が勤めるのが本来であろうし、前回書いたようなワキ方の様式的な型が、また舞台の導入部としてある種の効果を挙げていて、似つかわしいと思いますね。

様式的、という話からまた話題が脱線するのですが、そもそもこの登場音楽の「次第」というのがとても様式的に作られているものだと思います。笛のヒシギ(ヒー、ヤーアー、ヒー)に始まる「次第」は大小鼓によって囃されるわけですが、この時大小鼓はわざとリズムを崩して打ちます。そこに笛が彩りを添えるわけですが、これもまた「アシライ吹き」と言ってリズムにはこだわらない吹き方をします。

ここまで書くと、なんだかリズムに拘泥しない自由な演奏が行われているわけで、「様式的」という言葉とは矛盾しているようにも思えるのですが、いざ役者が舞台に登場してからが、じつに様式的な演出になっているのです。すなわち役者が一人で登場する場合には舞台常座に入って(または橋掛り一之松で)後ろを向いて謡い出します。役者が観客席に背を向けて謡う例は、後見座で後ろ向きに座って物着をするシテやツレなどに向かって間狂言が「支度が出来たならばすぐにまかり出よ」と声を掛けるような、演出上仕方のない場合を除いては、この「次第」ぐらいのものでしょう。その演出の意図はよくわかっていませんが、こういう「儀式性」が「次第」には散りばめられています。なお役者が複数登場する場合は舞台で、あるいは橋掛りで向き合って謡い出します。この演出は「次第」のほかにも例があるとはいえ、これまた様式の一種でありましょう。

「次第」で登場した役者は、必ず 同じく「次第」と呼ばれる定型の文字数の詞章を謡います。この詞章が、登場した役者によって拍子に合わせて謡われる点が特徴的で、登場する囃子はリズムを崩して打つのに、「次第」謡はリズムに合う。そしてその謡われる内容がしばしばメタファーを感じさせる、など「次第」には儀式性。。というか呪術的な要素まで感じさせるものがありますね。

その「呪術性」の極致とも言えるのが、役者が「次第」謡を謡い終えたあとに地謡が同じ文句を低吟する「地取」です。言の葉が持つ力をかみしめるかのような、言霊を呼び寄せているかのような。。「地取」には不思議な存在感があります。

こんなわけで、「次第」には独特の様式性、儀式性、呪術性があります。だから、この登場音楽で登場した役にはある種の重み、のようなものがあるのだと思います。これはとっても微妙なものですけれどもね。たとえば新作能を作る場合、役者の登場シーンを考えるとき、割とカッチリとした感じで登場させたい場合には「次第」の登場音楽で登場させるのが似合うのです。それとは逆に、軽快に、あるいは昂揚した感じで、または霊性を登場する役に持たせたい場合には「一声」の方が似合うのではないかと思います。ちょっと説明が難しいので新作能を作る場合なんて例を出してしまいましたが。。お分かりになったでしょうか。。

さて『歌占』。(;^_^A

名宣リを謡い終えたツレは子方の方へ向きながら言葉を掛け、子方もツレへ向いてその言葉を聞きます。

ツレ「いかに渡り候か。歌占の御所望にて候はゞ御供申さうずるにて候。

ツレと子方とがどういう関係なのか、まったく説明されないままに舞台は進行します。まあ、ツレは「男神子の歌占がよく当たるそうだから占ってもらおうと思う」というような事を言っていましたので、なんとなく、子方はツレの男が住む村に住んでいて、ツレとは顔見知りなんだな、という程度の事はわかりますが、どうも親子でもないらしい。ツレは子方を尊重した言い回しで語りかけています。ツレが子方の育て親となっているのかな? そして、ツレが子方を占いに誘ったのは、この子方はなにか、自分自身でも、ツレの手によっても解決できない、生来的な悩みを持っているのかもしれない。ツレはそれが分かっているから占いに誘ったのでしょう。そして想像を逞しくすれば、この年齢の子方が抱えていて、誰にも解決できない悩みとは、どうも彼の出生に関する事なのではないか、とも予想することはできるかもしれません。

やや説明不足な感じのツレと子方の人間像ですが、案外 あとでシテと子方が親子であると分かるストーリーの伏線としてうまく機能しているのかもしれませんですね。