ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

突然ではありますが...

2015-01-26 00:19:31 | 能楽
毎々 ぬえの能楽通信blogをご愛顧頂きましてまことにありがとうございます。

突然ながら 身内に不幸が起きてしまい、ただいま対応に忙殺されております。

たぶん2~3日で最初の山場を越えて落ち着くとは思います。

それまでしばらくお暇を頂戴させて頂きますこと、お許しください。




つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを

決算報告書(2014.10.30~11.02)

2015-01-22 23:02:51 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第24次被災地支援活動
(2014年10月30日~11月02日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金       127,421円
     募金収入              5,000円         収入計  132,421円

 【支出の部】
  〈活動費〉 67,472円
    ◎交通費        51,598円
     (高速道路通行料         14,090円)
     (ガソリン代            7,600円)
     (ガソリン代            8,848円)
     (ガソリン代            8,300円)
寺井宏明分
     (高速バス代            4,380円)
     熊本俊太郎分
     (高速バス代            8,380円)
    ◎宿泊費        10,800円
     (スマイルホテル塩釜        5,800円)
     (東日本大震災圏域創生NPOセンター1,000円)
     (とみや              4,000円)
    ◎印刷費        2,240円
     (七ヶ浜町チラシ          1,128円)
     (多賀城市チラシ          812円)
     (チラシネットプリント       300円)
    ◎雑費         2,834円
     (ビデオテープ           1,911円)
     (ビデオテープ           923円)        支出計    67,472円

 【収支差引残額】                          残額    64,949円

※注※
・前回活動からの繰越金のほかの収入は、募金2件2,000円(いずれもハシモトさま)、活動中に頂戴した募金1件(石巻・Paoさまより3,000円)である。大変ありがたい事で各位に御礼申しあげる。
・プロジェクトの活動にかかる支出については節約を旨とし、おおよそ次のような基準を設けている。①高速道路の利用については体力や公演スケジュールも鑑みるが、休日・深夜割引を利用するなど工夫する。②宿泊はボランティア団体や個人宅に泊めて頂くなど節約するが、継続して活動を続けるボランティア団体が減少し、また市民生活も通常の落ち着きを取り戻しつつあることから、現状では旅館等の宿泊施設を利用する機会が増えた。その場合の宿泊費の基準としては、素泊まりとし、おおよそ1人1泊5,000円程度までに収める。③食費については旅行がなくても掛かる費用であること、酒食の区別がつきにくいため、宿泊プランに朝食が組み込まれている場合を除いて参加者の自費負担とする。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・プロジェクトでは従来活動資金を募金に頼っていたが、震災から3年半を迎え、一般からの募金は皆無の状態である。そこで本年よりプロジェクトの活動を継続するために、活動内容を大きく 仮設住宅への慰問活動や仮設商店街の振興協力としての上演など、被災者への直接支援活動と、それ以外の活動に分けて考える事とした。言うまでもなく前者はプロジェクトの活動の本来の目的で、その活動の根幹を占めるものであり、後者は前者を補う関係のものである。そして前者の活動を無償で行うために、後者の活動を有料とする事に踏み切った。
・今後も被災地でイベントやワークショップに限り有料の上演を行う予定であるが、会場の条件により募金を募る場合もある。また被災地以外の場所でも活動報告会を開いたり、引き続き企業スポンサーなどを探す努力を重ねたいと考えている。銀行口座への募金も引き続き呼び掛けさせて頂く。消費増税、また高速道路利用料の割引縮小という厳しい状況であるが今後も変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。

 【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ

                                           以上
  平成27年1月15日

                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                              (住所)
                              (電話)
                               E-mail: QYJ13065@nifty.com








活動報告書(2014.10.30~11.02)

2015-01-21 19:43:48 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒やしプロジェクト
第24次被災地支援活動
(2014年10月30日~11月02日)


 〔活動報告書〕

【趣旨と活動の概要】

 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒やしプロジェクト」では、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに23度に渡り岩手県釜石市、陸前高田市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市、大崎市、登米市および福島県双葉町の住民が避難していた旧埼玉県立騎西高校避難所にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびプロジェクトメンバーのうち能楽チームの八田、寺井およびゲスト能楽師の熊本俊太郎は、去る10月30日~11月2日の4日間に渡り宮城県・七ヶ浜町、多賀城市、および気仙沼市にて仮設住宅慰問、ならびに仮設商店街を訪問して能楽の上演を行いました(※注2)。

今回の活動は寺井のスケジュールが合わなかったため後半はゲスト能楽師の熊本俊太郎氏が初めて参加致しました。また特筆すべきは、やはりプロジェクトの3年半におよぶ活動の中で、はじめて七ヶ浜町および多賀城市の仮設住宅での上演が実現したことでしょう。同市町での活動のコーディネートは仙台市在住の梅津周子さんがその労を担ってくださいました。梅津さんは気仙沼市民でプロジェクトの協力者である村上緑さんにご紹介頂きましたが、気仙沼を中心に、人と人との繋がりがプロジェクトの活動の幅を拡げていることを実感致します。

この時期、公営災害住宅の建設が計画より遅れ、当初2年間の予定だった仮設住宅の設置が、宮城県の場合5年にまで延長された、というニュースに接しました。是非の議論が続きながら建設が始まった防潮堤、また東京オリンピックの開催決定による競技施設の建設などにより、建設作業員の不足や資材の高騰が起こったことが公営災害住宅の建設が遅れる原因になっているとも仄聞しております。一部では抽選が始まったとも聞く公営災害住宅ではありますが、仮設住宅の解消にはまだまだ道は遠い、というのが実感です。

また気仙沼では旧「鹿折復幸マルシェ」が移転した「鹿折復幸マート」にてはじめての上演をさせて頂きました。毎々お世話になっています「鹿折復幸マルシェ」は、1年ほど以前から始まった地盤沈下した地域のかさ上げ工事により期限を区切って移転営業する事になり、「鹿折復幸マート」として再オープンしたのですが、仮設商店街から仮設商店街への移転もまた他に例がないと思います。この地区にはかつて震災遺構として残すか解体かで揺れた巨大漁船「第十八共徳丸」がありましたが、1年ほど前に解体された後は「マルシェ」のお客さんが1/20に激減したとも聞いております。「マート」への移転によって、ある程度賑わいがある内湾地区に近づいたことで、新たな発展に繋がることを祈念しております。

【出演者】
八田達弥、寺井宏明(能楽の心と癒やしプロジェクト)
ゲスト能楽師 熊本俊太郎
【協力者】(敬称略)
 村上緑/梅津周子/高橋信行/東日本大震災圏域創生NPOセンター/NPO法人アクアゆめクラブ七ヶ浜町応急仮設住宅総合サポートセンター/ 多賀城市社協復興支えあいセンター/鹿折復幸マート/㈱五十番タクシー
【主催】
 能楽の心と癒やしプロジェクト

【活動記録】(敬称略)

10月30日(木)

八田のみ未明に 東京を出発
仙台市秋保等にて打合せのあと多賀城市に移動、今回七ヶ浜町および多賀城市の仮設での活動をコーディネートしてくださった梅津周子さんに会い、翌日の活動の移動方法などを下見。および2か所の仮設住宅の事務所に挨拶。
10月31日(金)

早朝 夜行バスで到着の寺井宏明および気仙沼から到着の村上緑をピックアップ、七ヶ浜町の七ヶ浜中学校第2グラウンド応急仮設住宅へ。

◎「能楽の心と癒やしをあなたに」10:00~11:30
会場:宮城県七ヶ浜町 七ヶ浜中学校第2グラウンド応急仮設住宅 集会所
出演:八田達弥・寺井宏明
内容:能「羽衣」の略式上演(15分)・能楽ワークショップ(60分)
参加者:約20名

終了後すぐに撤収して多賀城市の多賀城公園野球場仮設住宅へ。

◎「能楽の心と癒やしをあなたに」15:00~16:30
会場:宮城県多賀城市 多賀城公園野球場仮設住宅 集会所
出演:八田達弥・寺井宏明
内容:能「羽衣」の略式上演(15分)・能楽ワークショップ(60分)
参加者:約15名

装束の着付け体験は毎度のことながら、七ヶ浜町では大いに盛り上がりを見せた。また多賀城市では参加者は少な目ではあったが、お隣の仮設住宅の住民さんもお見えになった模様。早朝から準備に取りかかり、それでも開演までの時間に制約があったため七ヶ浜町では面や扇などの展示は行えなかったが、多賀城市ではやや準備時間に余裕があったため展示品を陳列することができた。

なお寺井はこの2か所の仮設住宅での活動のみ参加となったため、村上緑が「羽衣」の装束の着付けを習得し、気仙沼での上演の際に手伝うことになっていた。

終了後、寺井は別件の催しのため仙台へ移動、村上は気仙沼へ帰宅。八田は高橋信行氏が主宰する「東日本大震災圏域創生NPOセンター」のお世話になり宿泊させて頂く。この日は秋保や気仙沼でそれぞれ復興事業に携わる方々が集っており、会食しながら意見交換を行うことができた。

11月1日(土)

この日は活動なし。
八田のみ気仙沼に移動し、個人的な能楽ワークショップを行う

11月2日(日)

この日の活動のため東京から夜行バスで駆けつけてくれた笛の熊本俊太郎を早朝にピックアップ。
休憩場所がないため、早朝より市内被災地域を案内。朝食後「鹿折復幸マート」楽屋入り。

◎「能楽の心と癒やしをあなたに」13:00~14:00
会場:宮城県気仙沼市 鹿折復幸マート 駐車場
出演:八田達弥・熊本俊太郎
内容:能「龍田」の略式上演(15分)・控室にて能楽ワークショップ(60分)
参加者:約30名

ここのみ「龍田」を上演したのは、活動した時期がおおよそ宮城県の紅葉の時期に重なったため。ただし七ヶ浜町と多賀城市では「羽衣」を上演したが、これは初めて活動する場所では最初に「羽衣」の上演から始めることが半ば慣習化しているため。

前述のようにこの日の公演では村上緑に装束の着付けの大役を担って頂いた。当地での活動では装束は八田がほぼ一人で自分で着付けるのだが、鬘などどうしても自分で着るのは難しいものもあり、手助けが必要となる。通常はプロジェクト・メンバーの寺井に手伝ってもらうのだが、今回はスケジュール上不可で、毎度プロジェクトの活動を支えてくださっている村上さんに上演の手助けを願うことになった。
気仙沼市内には知人も増え、この日も多くのお客さまにお集まり頂きありがたいことであった。当初は予定していなかったが、七ヶ浜町や多賀城市の仮設住宅での活動のためにせっかく展示品も持参したことでもあり、終了後控室にて能楽ワークショップを開催した。

終了後八田と熊本は帰京。熊本は今回はじめて被災地を訪問したので、帰途は沿岸部を通ることで被災地域の現状やすでに建設が始まった本吉町の防潮堤などを視察した。

【収入・支出】

プロジェクトの活動資金としては、前回活動の繰越金が127,421円あるほか、2件の募金2,000円を頂戴し、また活動中に1件の募金3,000円を頂戴しました。これによって繰越金を含めた活動開始時点での資金の総額は 132,421円となります。

一方支出は、スケジュールの関係から寺井および熊本の2名の笛方に活動に参加頂きましたが、いずれも夜行バスを利用して頂いたため、高額な出費には至りませんでした。また宿泊も今回は八田のみで、安価なビジネス・ホテルを利用したほか「東日本大震災圏域創生NPOセンター」の事務所に宿泊させて頂き、比較的支出は低額に抑えることができました。ボランティア事務所での宿泊は震災当初でこそ当たり前でしたが、ボランティア団体の撤退などにより近来ではその機会は極端に減りました。やはり専門の施設に宿泊するよりはるかに安価で、ご協力に感謝申しあげたいと思います。これらの結果、支出総計は 67,472円(交通費 51,598円、宿泊費 10,800円、印刷費 2,240円、雑費 2,834円)となり、次回活動の繰り越し金は差し引き64,949円となりました。(詳細は決算報告書を参照ください)

【成果と感想・今後の展望】
今回の活動で特筆すべきは、なんといっても七ヶ浜町・多賀城市という2つの町ではじめて活動を展開できたことに尽きます。コーディネートしてくださった梅津周子さんに改めて御礼申しあげます。
またかつて「鹿折復幸マルシェ」という名称だった仮設商店街が周辺のかさ上げ工事のため移転を余儀なくされ、新しく「鹿折復幸マート」としてオープンし、ここに出演できたのもありがたいことでした。
しかし「復幸マート」は仮設から仮設への移転であり、再び設置期間は限定されていることに変わりはありません。震災の記憶の風化が言われるなか、この移転に象徴されるように かさ上げ工事なども進んではいますが、一方では公営復興住宅の建設が遅れ、宮城県では仮設住宅の使用期限を5年に延長しました。仮設住宅で暮らす住民の精神的負担は深刻で、また仮設住宅そのものの老朽化も問題となりはじめています。まさに復興は端緒に就いたばかり、というのが正直な感想です。また他方では防潮堤の建設の是非をめぐっての議論が続き、被災地をめぐる情勢は複雑。プロジェクトの活動も仮設住宅が解消された時がひとつの大きな転換点になるのではないかと考えていますが、その時期はいまだ見えてこないのが実情でしょう。息の長い支援活動を今後とも継続していきたいと考えております。
今回も村上緑さんをはじめとして多くの方々にご協力を賜って活動ができました。改めまして御礼申しあげるとともに、今後とも皆さまの変わらぬご支援をお願い申し上げる次第です。

平成27年1月21日





                             「能楽の心と癒やしプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)
                              E-mail: QYJ13065@nifty.com

第24次支援活動<七ヶ浜町・多賀城市・気仙沼市>(その6)

2015-01-20 15:32:21 | 能楽の心と癒しプロジェクト
鹿折復幸マートは前述の通り、かつての「鹿折復幸マルシェ」が周辺のかさ上げ工事のために数百m内湾に近い場所に移転して新たにオープンされた仮設商店街です。以前の「マルシェ」のときは津波によって内陸に運ばれた「第十八共徳丸」の近所にある仮設商店街ということで、この船を見に来る観光客(?)で賑わったようでしたが、その後2013年10月に船が撤去されてからは商店街に来るお客さんの数も激減したのだとか。そうして鹿折地区のかさ上げ工事も進んで、「マルシェ」も移転することになりました。

仮設商店街から仮設商店街への移転というのも例が少ないことだろうと思いますが、ぬえたちプロジェクトでは「マルシェ」で1回、マルシェの小野寺商店さんからご紹介を頂いて近くの鹿折中学校の仮設住宅でも1回の活動をさせて頂きました。その後も ぬえの師家が学校公演で鹿折小学校を訪問させて頂いた折にも能楽公演団員で「マルシェ」に立ち寄らせて頂いたり、なにかとお世話頂いております。

昨年10月の「マート」オープンの日は東京で舞台のスケジュールがあったために参加できませんでしたが、今回活動させて頂きたいと小野寺商店さんを通じてお願いしたところ、快く受け入れくださいました。

「マルシェ」当時には敷地内にステージがありましたが、「マート」になってからはまだステージは解体されたまま敷地の端に置かれていました。組み立てましょうか、まで言ってくださったのですが、それは大変な作業だし、「マート」になってからは以前よりもずっと大きな駐車スペースが作られてあったので、むしろ駐車場で広く舞う方がよいかな、と思ってそのように。

早朝に夜行バスで到着した熊本くんはここで早めに楽屋入りして仮眠・休憩願うつもりでしたが、この日はぬえたちの控室には学習塾のような利用との同居となりました。以前、仮設住宅に住む子どもたちの学力が低下している、という話題を聞いたことがあります。それは仮設住宅の限られたスペースで学習の環境が不利なことや、学校自体もほかの学校に間借りしていて、やはり学習の環境が整っていないことや、さらに通学には自治体が用意した通学バスを利用するなど時間が取られることなど、いろいろな原因があるようでした。

そこで仮設住宅に住む子どもたちの学習支援のボランティアさんが一時はたくさんいらっしゃいましたが。。これは継続的な活動が必要だから、近隣の住民さんたちが中心になっていたのでしょう。ぬえもいくつか、そのような「学習塾」を見たことがありますが、今回控室で同居した方もそういうものが続けられているのかしら。若い先生が1人に、指導して頂いているのは小学生が3人くらいと中学生か高校生が1人、という構成でした。

そんなわけで熊本くんが休憩するには ちょっと無理もありましたが、これは仕方のないところです。熊本くんも不平ひとつ言わず ぬえの上演準備を手伝ってくれました。やがて塾も終わり昼食の時間になって、熊本くんは緑さんの案内で「団平」さんに行ったみたい。ぬえは準備もあり、広げた装束の管理もあり、で今回は昼食抜き。

午後1時より「鹿折復幸マート」にて能『龍田』の上演。秋にちなんでの選曲でしたが、紅葉真っ盛りはもう少し先のようでしたが。

で、大勢のお客さまがお見えになりました。およそ30名ほどもお出まし頂いたでしょうか。その中に、なんと東京・日野市の郵便局長さんの増島さんの姿まで! いや、正確にはお客さまの中に顔が見えた、というよりは、すでに商店の中に。。まるで店員さんのようにいた、というのが正しかろう。。

増島さんは石巻で活動していたときに某ボランティア団体を通じて知り合いました。その後 ぬえたちプロジェクトが気仙沼のリアス・アーク美術館で「星と能楽の夕べ」公演をしたときにスタッフさんとして、それこそ超人的な活躍をしてくださいました。が、じつは増島さんは ぬえたちが活動を始めるよりずっと以前、かなり早い時期から気仙沼への支援を続けている方で、ぬえたちプロジェクトがはじめて 移転前のこの「鹿折復幸マルシェ」で上演する事が決まったときも、商店のみなさんも増島さんはよくご存じでした。

この日は「あれ~? 何してるんですか~?」と ぬえもビックリして増島さんに聞きましたが、愚問だったかも。休みとなれば気仙沼に来ている人なのですから。

そんなことで増島さんは知らないわけではない方なので早速お仕事を割り振ってお手伝いをお願い(笑)。今回は撮影班として、上演中の写真を撮って頂きました。本日のブログ記事は増島さんの撮影によるものです。ありがとうございました~♪

さて、こういう仮設商店街や仮設住宅での上演の場合、もう ぬえには装束が着いているため、大概は笛の寺井さんが解説をするわけなのですが、今回は寺井さんスケジュールが合わず、この日はそのお弟子の熊本くんが笛を勤めてくれました。熊本くんは被災地に足を運ぶのは今回が初めてなので、さすがにこういう場で挨拶や解説をするのは負担かな、と思い、ぬえがその役を引き受ける事にしました。

解説を始めると、あれあれ客席に知ってる顔が。。気仙沼市民の方や子どもたち、石巻と気仙沼を往復しながら活動している住民ボランティアさん。。あれ、安波山の瞬間移動ばあちゃんまで! いろいろな方が集まってくださいました。挨拶したり、知り合いに手を振ったり、また解説したり。。なんだかまとまりのない挨拶でしたが、まあ、もともと ぬえの挨拶はまとまりがないし、どうしても笑わせようとする解説になっちゃうから、これでいいか。

能はマジメに『龍田』を上演しました。ちょっと動けば暑さを感じるような天気でしたが、やはり野外で風を受けながら舞うのは気持ちが良かったです。紅葉の頃にこの能を演じたいな。













終了後は控室に戻り、ご希望の方のみ面装束や楽器の体験をお楽しみ頂きました。





やがて日も傾き、今回の活動はこれで終了、熊本くんとともに一路東京を目指して帰りました。
途中で、いろいろ議論がある防潮堤の建設が始まっている本吉町・野々下海岸の工事現場、それから南三陸町の、これまた保存か撤去で意見が分かれている防災対策庁舎も見ておきました。





熊本くんは結局夜行バスで到着以来まったく休憩が取れていない状態でしたが、帰りには少し眠って、それから少し運転も代わってくれて、大忙しの旅ではありましたが、立派な働きをしてくれました。あとで聞いたところでは、次にはゆっくり気仙沼を訪れてみたい、と感想も漏らしていたみたい。

こうして報告は遅れに遅れましたが、10月下旬から11月初旬に掛けての活動のご報告をさせて頂きます。関係各位のご協力に心より御礼申しあげます~。

【この項 了】

第24次支援活動<七ヶ浜町・多賀城市・気仙沼市>(その5)

2015-01-16 10:28:21 | 能楽の心と癒しプロジェクト
。。すみません、まだ昨年の11月に行った活動の報告だ。。

【11月1日(土)】

朝、この日は午後に気仙沼でワークショップを開く予定で、時間には余裕あり。珍しいこともあるものです。

というわけで石巻でお世話になった方々にご挨拶にまわることにしました。駅前の観光協会、立町復興すれあい商店街。。それから気仙沼に向かいまして、公民館の分館で能楽ワークショップを行わせて頂きました。小学生も参加で楽しい集まりになりました。

【11月2日(日)】

活動最終日のこの日は気仙沼・鹿折地区にある仮設商店街「鹿折復幸マート」さんでの上演が予定されています。。しかしながらこの日寺井さんは都合がつかず、代役として寺井家の門人である熊本俊太郎くんが気仙沼に来てくれることになっていました。

午前5時に起床、6時に市役所の前に到着する夜行バスに出演者をお迎えに行くのももう何度目か。。もともと睡眠障害があって、3時間程度しか眠らない ぬえには苦でもありませんでした。午前6時定刻に夜行バスが到着、無事ピックアップが済みました。

熊本くんは気仙沼は初めてという事ですし、また ぬえが泊まっている定宿も宿泊者以外の者の入室は厳禁と言われているので、夜行バスで仮眠程度しか休んでいない熊本さんでしたが、本人の了解を得て被災地区の視察に参りました。かさ上げ工事が進むこの地区にはもうすでに震災の遺構は残っていないはずだったのですが、意外やいくつかの民家などは残されていて、熊本くんは驚きをもって見ていました。









熊本くんが目ざとく見つけた、水産工場の壁に残る津波が達したときに残したと思われる痕跡。ぬえはこれまで気づきませんでした。





このような、現在でも残されている被災家屋は、親族と連絡が取れないなど撤去の承諾が得られていない家なのだそうですが、被災地区でもやはり かさ上げ工事は行われていて、かさ上げ工事を進めるために 法律の改正が行われて、被災家屋はすべて撤去されることになったそうです。今回お世話になる「鹿折復幸マート」の前身「鹿折復幸マルシェ」も、やはり かさ上げ工事のために移転することになったのでした。







えー、ところで旧南気仙沼駅のあたり。。ちょうどかさ上げ工事によって南郷地区と内湾地区を結ぶ道路が通行止めで大きく迂回させられるあたりを田中前方面から通りかかったところ。。

道ばたに 活きた鮭が落ちていました(!)



なんでもかつて港町・気仙沼では魚市場で仕入れた魚を山積みにしたトラックが行き交い、交差点で曲がるトラックが道ばたに ぼたぼたと魚を落として行った、それをご近所で拾って晩ご飯のおかずにした、という豪快な話が伝わっていますが(実話とのこと)、まさか今の気仙沼で似たような事に遭遇するとは。。

たまたま散歩に通りかかったご近所さんらしいご夫婦も「あらまあ!こんな事が。。」と驚かれていました。どうしようか~と考えた末、近くの気仙沼大橋から放流することにしました~ (^◇^;)





ピチピチ~っと跳ねる鮭をビニールシートにくるんで熊本くんに抱きかかえてもらい、今来た道を引き返して気仙沼大橋に向かいます。そして橋の上から大川へドッボーン! さあさあ、また子孫を増やして気仙沼に戻って来いよ~、ともちゃんと言い含めておきました。

それから、またしても早朝に伊藤祐一郎さんの「WINE BAR 風の広場」を襲撃。寝込みを襲うつもりでしたが、あいにく伊藤さんはお留守で、ニャンコのハナがお留守番をしていました。





さらにさらに、足を伸ばして五十鈴神社や安波山にも上りましたよ~。ぬえはヘタレなので安波山は駐車場より上は登ったことがありませんが、熊本くんは山頂の方まで見に行きました。元気だ。



いまは電車が不通で線路も撤去されてしまった大船渡線。ここにBRTを通すつもりなのでしょうかね。ちょうど整地を行っているようでした。



ところで安波山に車で上る途中、おばあちゃんが山道を登るのを追い越しました。この道は山頂まで延々と続く一本道。。車を停めて「お送りしましょうか?」とお勧めしたのですが、聞けば毎日山頂まで歩いて登ることを日課にされているのだそう! これまたお元気なことで。。

さて山頂から気仙沼を見渡して、ぬえたちが車で下ろうとすると。。先ほどのこの おばあちゃんがもう山頂の直前まで登っていらしていました(!) 。。どう考えても尋常なスピードではない。。瞬間移動したとしか考えられない。。エスパーおばあちゃんに、この日の午後に復幸マートで上演するチラシを差し上げたところ、ご近所だから見に行きますよ、とのこと。たぶん瞬間移動して見えるのでしょう。

さて朝食を、という時間にようやくなって、寺井さん行きつけの喫茶店「エスポアール」に。ここも仮設商店街でして「復幸小町」という名前です。復幸小町は気仙沼市内に3か所あって、ここは田谷通りというところ。ちょっとプレハブの仮設商店街とは思えないほどきれいなお店です。ぬえの気仙沼の定宿のすぐ目の前でもあり、BRTや路線バスの停留所もすぐそこ。気仙沼の仮設商店街は賑やかなお店が多いですね~



「エスポアール」でモーニングセットを頂いて、熊本くんの休憩を兼ねてちょっと早めに「鹿折復幸マート」に楽屋入りすることにしました。