10月10日、本来であれば伊豆の教え子の子どもたちによる「子ども創作能」が当地の霊社・守山八幡宮の祭礼の場で奉納上演をする予定でしたが、例によってコロナ禍のために祭礼自体が中止になってしまいました。守山八幡宮の祭礼は去年も台風の直撃を受けて中止となったので、2年連続しての災難に見舞われたことになります。しかもこの日も台風の影響で雨模様。コロナ禍がなくてもやはり祭礼には難しい日になりました。
この守山八幡宮は源頼朝が伊豆で平家に対して挙兵したときに戦勝祈願をしたとされ、頼朝の挙兵を扱った子ども創作能「伊豆の頼朝」をここで毎年奉納上演させて頂くことはとっても意義深いことです。しかも今年は延期になってしまった東京オリンピックの年であっただけでなく、じつはその頼朝の挙兵から840年目にあたるアニバーサリーイヤーで、伊豆でもこの奉納は記念イベントの一つとなるはずでした。返すがえすも残念。
そういうわけでこの日も普通通り子どもたちの稽古になりましたが、奉納上演が中止になったから稽古に切り替えた、というような消極的なものではなく、来月には公演の代わりの発表の場としての「公開稽古」を行うので、これまでと違って子どもたちにも目標ができました!
ところが子どもたちが集まってくると、一人の児童。。我らが精鋭、6年生の のんのママさんから早退のお願いが。。
よく聞いてみるとこういう事でした。いわく、のんは子ども創作能のほかに地域の「しゃぎり」のメンバーで笛を吹いている。地域の神社の祭礼で演奏されるのだが、今年は例によってコロナ禍のため祭礼は中止になり、せっかくの子どもたちの練習が無駄になってしまう。そこで代わりにこの日に「しゃぎり」だけ発表の場を設けることになった。とのこと。なるほど ぬえが考えた「公開稽古」と同じ発想ですな!
これを聞いた ぬえは、子ども能の稽古のあと のん出演の「しゃぎり」を見に行くことにしました。
「しゃぎり」とは、能の世界でも使う言葉で、狂言の「末広」などで めでたい終わり方をするときに笛一管で演奏される、ほんの十数秒ほどの囃子のことですが、この伊豆では神社の祭礼のときなどに笛・鉦・太鼓で賑やかに演奏される、一種の祭囃子のことをいいます。
調べてみると「しゃぎり」は語源不明ながら歌舞伎や落語でも使われている囃子で、名称は同じながらそれぞれ関係性はなく内容はまったく別物のようですね。ぬえも今から20年前に伊豆の子ども能に携わって、すぐにこの「しゃぎり」の存在は知ったのですが、今回調べてみると全国でも伊豆はとくに盛んで、三島のしゃぎりが有名なようです。
さて子ども能のお稽古も終わり、ママさんの車に乗せて頂いて会場に向かった ぬえ。到着してみると会場は地域の公民館のお隣にある倉庫でした。近づいただけですぐわかる賑やかな囃子の音。雨の中、倉庫の中で立派な山車に乗って子どもたちだけが演奏しています。そういえば当地で何度か「しゃぎり」を見ましたが、やはり山車の上で演奏されていました。地域によって大人ばかりだったり、子どもが混じっていたり、いろいろなようです。ここは普段山車を収めている倉庫なのかも。
演奏は素晴らしく、曲により明らかに16ビートの曲もあって(笑)興味深いものでしたが、聞いてみると本当はお祭りのときにこの山車に乗って「しゃぎり」を演奏しながら町内を練り歩くものなのだそうです。今回はその機会が奪われ、地域の大人たちが子どもたちのために山車の倉庫の中で日頃のお稽古の成果を発表する機会を設けてあげたのです。
なるほど。。見学者は地域の役員や保護者のみ。山車の上の子どもたちは密のようでしたが、全員マスク着用、笛の担当の子はフェイスシールドの姿。。 しっかりと感染対策はしながらの発表のようでした。
なんだかなあ。。ここまで地域の伝統を踏みにじり、子どもたちにまで悲しみや屈辱感を与えたのが目に見えない小さなウイルスだなんて。
病気なんかに負けたくないなあ。。そんな話を東京の生徒さんにしたらこんなやり取りに。
ぬえ「目に見えない、ってのが困りますよねえ」
生徒「ウイルスに色でもついていればね~」
ぬえ「そうなら殺虫剤をプシュー! ってね!」
生徒「見えたらそれも怖いですけどね。あっちこっちに緑やら赤やらのものがフワフワと。。」