ぬえの能楽通信blog

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三位一体の舞…『杜若』(その8)

2024-05-29 17:13:36 | 能楽
イロエが終わって大小前にて正面を向いたシテは「クリ」「サシ」の間は動かずに、もっぱら地謡がそのシテのが語る物語を代弁する場面です。

【クリ】シテ「そもそもこの物語はいかなる人の何事によつて。
地謡「思ひの露の信夫山。忍びて通ふ道芝の。始めもなく終りもなし。

【サシ】シテ「昔男初冠して奈良の京。春日の里に知るよしして狩に往にけり。
地謡「仁明天皇の御宇かとよ。いともかしこき勅をうけて。大内山の春霞。立つや弥生の初めつかた。春日の祭の勅使として透額の冠を許さる。
シテ「君の恵みの深き故。
地謡「殿上にての元服の事。当時その例稀なる故に。初冠とは申すとかや。


総じて能では「クリ」でかなり大きな、それこそ神話とか社会、世相といったより大きな世界観のようなものを描き、「サシ」でその世界の中でシテ個人がかかわるべき事情とか前提条件のようなことが語られ、さらにその後に続く「クセ」で、さてシテがどう考えたか、とかどんな行動をした、とか、より個人的な話に繋げる、という手法がよく使われます。

たとえば能「羽衣」でも「クリ」では大空について語られ、中でも和歌で空という語を導く枕詞「久方の」についてイザナギ・イザナミの神話世界にまで言及します。ついで「サシ」ではすこし範囲が狭まって、シテ天女が住むという月世界の「月宮殿」での彼女の役割。。月の満ち欠けを司っている、という魅惑的なお話。。になり、さて「クセ」になってシテ天女は「この三保松原の素晴らしい景色はその月世界にも劣ることがない」と言って舞い出す。。ぬえはこの「羽衣」の「クリ」「サシ」「クセ」の構成を読むと、いつも作者は上手だなあ、と思います。単純にシテが三保松原の景観を愛でて舞うのではなく、その前にこれほど言葉を費やすことによってシテの神性が印象づけられますし、大きな世界観からだんだんシテという一個人にまでクローズアップし、そのシテに焦点が当たった瞬間にシテがようやく舞い出すことによって、それまで高められた観客の期待感がシテに集中されることを助ける。そしてこのクセの中ではやがて空からは花が降り下りくだる奇跡が語られ、それを見たシテが勢至菩薩に静かに合掌して、やがて静かに序之舞を舞い始める。。

「杜若」のクリは「羽衣」ほど壮大な物語ではないけれども、やはり「伊勢物語」全体を語るところから始まります。ここに出てくる「信夫山」は福島市にある低山ですが、むしろその音の響きが「恋」を連想させることから古来歌枕として盛んに和歌に取り込まれてきました。ここでも「伊勢物語」が多くの恋の物語が雑然と並べられ、誰が何の目的で書いたのかも、始めも終わりもわからないような謎多き書物、と言います。が、もちろんこれはその後のサシ~クセで、そういった一般的な「伊勢物語」理解が正しくないことが語られる伏線ですね。

サシの冒頭「昔男初冠して奈良の京。。」は言わずと知れた「伊勢物語」の第1段の書き出しです。業平が元服してはじめて冠をかぶったお話なのですが、ご存じの通りこの第1段では狩に行った旧都・奈良でさっそく「いとなまめきたる女はらから(=姉妹)」を見染めて歌を贈りました、というお話。

ところが「杜若」ではその「女はらから」に話題が及ぶことはなく、初冠の経緯が語られます。もちろん「杜若」では業平の恋の相手として藤原高子に焦点を当てているため、他の女性を登場させることによって物語が混乱するのを避けたのでしょう。

さらに特筆すべきはこの「仁明天皇の御宇かとよ。いともかしこき勅をうけて。大内山の春霞。立つや弥生の初めつかた。春日の祭の勅使として透額の冠を許さる。君の恵みの深き故。殿上にての元服の事。当時その例稀なる故に。初冠とは申すとかや。」というサシの後半の文章が「伊勢物語」には見えない、という点です。

じつはこの部分は、前述の「伊勢物語」の注釈書に描かれるお話なのです。このことからも能「杜若」が「伊勢物語」そのものを戯曲化した能ではなく、中世の人々の視点によって書かれた能だということがわかります。

少々長いですが注釈書の当該の部分をご紹介すると。。

「業平は十一より東寺の真雅僧正の弟子にて有けるを十六の年承和十四年三月二日に仁明天皇の内裏にて元服する也。わらは名曼荼羅也。秘事也。此時業平は五位無官にて唯左近太夫といふ也。奈良の京春日の里に知よししてかりにゐにけりとは承和十四年二月三日の祭の勅使に行也。此使は必五位の検非違使の見目よく代にきら有人のする也。其頃此可然人なかりければ、俄に二日業平元服をさせて、三日勅使に立つる也。是は親王の子にてましませば、五位検非違使使すべきにあらね共、容顔に付てかりにし給ふ職なるがゆへに、知よししてかりにゐにけりといふ也。」(伊勢物語抄より要約)

ここに書かれた初冠の由緒が史実かどうかは調べられませんでしたが、先に挙げたような「伊勢物語」を仏説と結び付けた注釈書もあるのですが、案外このように時代考証や人物の系譜などの知識を読者に与えて、理解の便宜の目的で作られた注釈書も多く存在します。「伊勢物語」の注釈書はおびただしい種類があり、同じ系統でも異本がこれまた数多くあるので、大体このようなことが書かれている、とご紹介程度にお考え頂ければと思います。

これによれば「杜若」に「弥生の初めつ方」とあるのと季節は若干の違いはありますが、見目よい五位検非違使から選ばれる春日祭の勅使に適当な人物がいなかったので、美しかった業平に検非違使の白羽の矢が立ち、急遽元服させて勅使とした、とのこと。「殿上にての元服の事。当時その例稀」という文言は見えませんが、天皇の目前で元服した、というのではなくて内裏で勅使の使命を与えられてそのまま元服の儀式に臨んだ、というような意味でしょう。

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