ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

11年目の3.11 4年ぶりの気仙沼で追悼式典に参加してきました!(その3)

2022-03-31 02:07:01 | 能楽の心と癒しプロジェクト
すがとよ酒店さんでの発災時刻の奉納上演を終えて、気仙沼の鹿折地区では仮設商店街時代からお世話になっている うどん屋の「団平」さんで昼食。うどん屋さんなのに、ここでは中華そばしか食べたことがないですが、安定の美味!



一度はうどんを食べてみたいけど。。美味しいんだもん! この日はまだ開店時間前でしたが、すがとよさんのお客さんが店主の塩田賢一さんに電話してくださり、ぬえたちのためにわざわざ早めに出勤頂きました! 貸し切り団平!

団平さんは被災後、重機の免許を取って瓦礫の撤去をしたり、行政と交渉して仮設商店街の発足のため、まその運営のために尽力なさった方です。以前の滞在中には仮設商店街の入口をふさぐような かさ上げ工事の業者と対決したりも見ていましたが、その後なんとニューヨークに出かけて出店したり、東京・東日本橋に出店したり、と、気仙沼での再建のための資金調達に臨む姿勢とバイタリティーは常人の及ぶところではございませぬ。そしてついに念願の気仙沼に店舗を再建しました。東日本橋の店舗は今年3月いっぱいで閉店だそうです。本日まで!

太鼓の大川典良さんはスケジュールの都合でこれにて帰京、その後 ぬえたちは南町にある「キャンドル工房」に向かいました。

こちらは震災後に気仙沼に移住している杉浦恵一さんが代表を務める「ともしびプロジェクト」の本拠地であり、本日の2度目の上演場所でもあります。「ともしびプロジェクト」さんは震災の月命日である毎月11日にキャンドルを灯そう、という運動をSMS等で全国に呼びかけていて、気仙沼市内でも折にふれキャンドルを灯すイベントを開いています。ぬえたちも過去に何回かお盆の精霊送りの夕にお寺の枯山水庭園でクラシック音楽と能楽のイベントを企画して、その際には「ともしびプロジェクト」さんがたくさんのキャンドルを飾ってくださり、大変に幻想的で美しい舞台となりました。

杉浦さんも震災10年を経て、この災害を伝えるためにいろいろな模索をなさっていて、この日の出演を電話で相談したところ、まあ30分は語り合いました(笑)。この日のコンセプトはいろいろな形での「祈り」ということで、空と海を表現する青いキャンドルを全国で灯し、本拠地・気仙沼では宗教を超えた祈りを捧げたい、とのことでした。

カトリックの神父さん、真宗のお坊さんがそれぞれのやり方で犠牲者に祈りを捧げるので(!)、ぬえさんも何か能楽のやり方で「祈り」の形を取れないだろうか、という相変わらずアイデア満載のこの方らしく興味深いもので、ぬえはこの日は能『葛城』を舞うことにしました。『葛城』は「祈り」とはちょっとイメージが違う曲かもしれませんが、それでもシテがキリスト教と仏教の祈りに対して神道の女神であり、なんといっても純白の雪山が舞台なので、震災の日の夜の出演には好んで選んでいる曲です。震災の当日には雪が降っていました。。



この日も各地から集まったお手伝いボランティアさんが集い、生配信も行われました。会場が狭いのは仕方ないのですが(舞いながら扇で一度。。お客さんを殴った感触が。。)ん-、ただ、被災者。。というか市民の前での上演ではなかったのがちょっと残念かな。ぬえたちプロジェクトはずっと被災者や傷ついた街の市民に寄り添って活動を続けてきたので。とは言えボランティアさんが灯したキャンドルは気仙沼の夜に美しく映えていました。「ともしびプロジェクト」さんでは全国で青いキャンドルを灯してもらうために、キャンドル自体は無料で、送料のみで全国にキャンドルを届けておられるそうです。



今回昼間の追悼式典をコーディネートしてくださった村上充さんといい、移住して活動を続けている杉浦恵一さんといい、長い長い、無報酬での活動が11年目を迎えました。こういう人たちがいることを知ったのも ぬえたちプロジェクトが(これらの人々から比べたらほんの少ない回数ですけれども)活動を続けていくうちの出会いで、そう考えると 11年前のあのとき、被災地に行けて幸せだったんだな、と思います。

とりあえず今回もこれにてミッション・コンプリート♪

11年目の3.11 4年ぶりの気仙沼で追悼式典に参加してきました!(その2)

2022-03-28 10:34:36 | 能楽の心と癒しプロジェクト
久しぶりの気仙沼は、知らぬ間に大きな橋が二つも架かっていて、ちょっとした近未来都市みたいになっていました。

本当は去年の11月、石巻市観光協会さんのイベントにご招待を受けたとき、東京に帰る途中に気仙沼に立ち寄った(笑) ので橋が架かったのはすでに見ているのですが。それどころか、最初の橋。。気仙沼市民の悲願で朝ドラ『おかえりモネ』(ちゃん?)でも重要なモチーフとなっていた本土と大島とを結ぶ橋。。愛称「鶴亀大橋」は本土で組み立て作業が公開された際には見学に行ったし、いざ架橋の場面はNHKのドキュメンタリー番組として放映されて、これも息をのんで見守ったものです。

それでも変わった気仙沼の様子を見て、今回は ほっとひと安心しました。不思議なもので、活動しているときだけは、ほんの1日だけ、その場所の市民になったような気持ちになるんです。だから3年かな、プロジェクトの活動で気仙沼を訪れなかったところに去年立ち寄ったときは、この変貌ぶりを見て自分が「よそ者感」がありました。今回は同じ橋を見て、ああ、悲願がかなって良かったな、と、思ったのです。

さて311の震災の日、発災時刻の14:46には被災地一帯では防災サイレンが鳴らされ、それに合わせて1分間の黙祷を犠牲者に捧げます。私どもプロジェクトでは毎年、このサイレン~黙祷の直後に、明日の幸せを願って『羽衣』を奉納上演することにしています。

。。考えてみれば、311の日というのは追悼のための日なので本来イベントが出来にくいのですが。。これも本当に幸せなことに、プロジェクトの主旨をご理解頂いて、どこかの地元の追悼行事に受け入れて頂き、この11年間、1度も欠かさず奉納させて頂くことができました。

今回も住民ボランティアの村上充さんのご紹介によって、はじめての場所となる「すがとよ酒店」さんの店舗前の駐車場で奉納上演させて頂きました。
 
「すがとよ酒店」さんは気仙沼市の「鹿折シシオリ地区」で今年でちょうど創業100年を迎える老舗です。しかし11年前のあの日。。津波によって店舗は流され、そうして。。店主のご主人も流されてしまったそうです。



ところが震災から1年も経ってからご主人は発見され。これを見た奥さんは決意されて、ご主人の発見場所に店舗を再建を果たされたのです。なんとも凄まじいお話。
がしかし、現店主である菅原文子さんは単に店舗の再建だけでなく鹿折地区を中心に気仙沼の文化の発展の本拠地となるべく次々と活動を開始されたそうで、店舗2階には音楽家から寄贈されたグランドピアノを備えた小さなホールがあって、今でもしばしばコンサートなどのイベントを企画しておられるそうです。





菅原文子さんとは電話であらかじめご挨拶と打合せはしましたが、この日初めてお目にかかりました。この方はマスコミにもしばしば取り上げられ、この日も京都放送のラジオに生出演されるとのことでしたが。。お会いしてみると意外や控え目で、能楽師の活動にも感謝のお言葉を頂き、頭が下がる思いでした。たしかに。。震災後にマスコミに取り上げられて、いつの間にか被災者というよりタレントみたいになってしまった方を何人か見てきたのですが、この方にはそんな俗っぽいイメージはまったくなく。逆境から、むしろそれを乗り越えて地域に貢献しようという希望にあふれた方でした。

さてその2階の小ホールを楽屋に使わせて頂き、こちらとしてもかなり好待遇なスタートです。

やがてサイレンが鳴り黙祷が捧げられて、いよいよ「羽衣」を奉納上演させて頂きました。今回はプロジェクト・メンバーの寺井宏明さんは舞台監督、笛の実演はそのお弟子の寺田林太郎さん、そして何度も活動に協力してくださっている太鼓の大川典良さんが今年も参加してくださいました。サイレンの前にはご近所の女性の僧侶さんが、店舗の前に備えられたお地蔵様の前で法要をされることになっていましたので、「羽衣」も最後のトメ拍子のあとにお地蔵様に向けて合掌する型を入れることに致しました。







驚くべきは、この追悼行事に、およそ30名様ほどのお客様が参加していられたことです。すがとよ酒店様にはあらかじめプロジェクトのプロフィールやら「羽衣」の画像をお送りしていたのですが、コロナ禍の中積極的な宣伝は控えておられ、店内に控え目に小さな掲示をしておられた程度とのことだったのに。

舞いはじめた ぬえはお客さまが多いのを見てびっくり。こういう時は正面を1方向に定めず、右側のお客さんを正面に見たり、左側のお客さんを正面にとったり、こうして発災時刻の奉納上演無事に終了しました。



11年目の3.11 4年ぶりの気仙沼で追悼式典に参加してきました!(その1)

2022-03-16 18:52:35 | 能楽の心と癒しプロジェクト
すでに11年前になってしまった東日本大震災、その当日である3月11日に気仙沼市の追悼式典に出席、奉納上演させて頂くことができました。
 
1.11と言えば犠牲者を偲ぶ日で、イベントはできにくい日なわけですが、能楽の持つ追悼と、残された人々の幸せを祈る心が受け入れられて、この11年間、欠かさず追悼式典などに受け入れて頂いたことは本当に幸運だと思います。ずっとお付き合いさせて頂いた移住ボランティアさん、住民ボランティアさん、そしてもちろん住民さんの協力なくして成しえなかった事と、心より御礼申し上げます。

ぬえは前日の10日に宮城県に入り塩釜に前泊。
。。相変わらず睡眠時間が短い ぬえは長距離運転のあとなのに やっぱり5時には起きてしまいました。明けの明星。
 
それから数年前に訪れた能『融』にも登場する歌枕「籬が島」に行ってみました。
 

 

 
籬が島は岸近くに自然のままの島で残っていますが、コンクリート岸壁やそこに繋がれたプレジャーボートとの対比があまりに痛々しい。。 以前にはなかった防潮堤によって、陸からはほとんど見えない状態で、なお かわいそうな感じでした。。
 
それでも前回に訪れた時と同様、島には架け橋が掛けられ、岸からは厳重な封印が。祭りのときだけに開かれるのでしょう、この島が神の島として崇敬されている様子は変わらずに伺い知れました。
 
塩釜神社にも参詣したかったのですけれども、時間に追われて今回は断念。震災当時は1~2週間もスケジュールを空けて何度も被災地に赴いていて、国道45号線を走りながら、復興工事によって変わっていくあちこちの被災地の有様を「定点観測」なんて言って撮影していたものですけれども、今となっては限られたスケジュール、まして三陸道が整備され現在は時間に追われて細かいところまで見る余裕がありません。ゴメンなさい塩釜神社の神様、志津川、歌津、小泉、大谷、階上のみなさん。。
 
次に訪れたのは利府町の「馬の背」と呼ばれる名勝。松島の一部で、波の浸食によって小さな岬の先まで馬の背中を歩くような狭い通路を通って行く場所です。
 

 

 
少し前に石巻で熊谷町長さんに教えて頂いたので今回初めて訪れましたが、なるほど、馬の背中みたいな路を通って。。行きついた先から見た景観は、まさに「松の島」を実感させるものでした。
 
さて急いで気仙沼へ。三陸道の開通で驚くほど近くなりましたね。先行している笛の寺井さんからはすでに到着しているとの連絡が。
 
急いで気仙沼に向かいました(ここまでの投稿じゃただの観光ですね。。)

3.11 気仙沼で追悼式典に奉納上演

2022-03-10 08:07:39 | 能楽の心と癒しプロジェクト
今年も3.11の東日本大震災発災の日に気仙沼市で追悼式にて能楽の奉納上演をさせて頂けることになりました。
 
震災から11年目。欠かさず311の日に奉納上演させて頂けることのありがたさ。関係各位にお礼申し上げます!
 
【追悼式】14:46発災時刻のサイレン・黙祷のあと
気仙沼市・鹿折地区「すがとよ酒店」前駐車場
能楽「羽衣」シテ=ぬえ、笛=寺田林太郎、太鼓=大川典良
      後見=寺井宏明
※すがとよ酒店さんの菅原文子さんは震災で店舗とご主人を流され、1年後にご主人が発見された場所に店舗を再建されました。以後イベントを主催されたりネットで発信されたりと精力的に活動を続けておられます。
※今回は コロナ禍のためあまり宣伝はなさらないそうです。
 
【3.11 Blue Candle Night】19:00頃〜配信のみ
気仙沼市・南町「ともしびプロジェクトキャンドル工房」
能楽「葛城」シテ=ぬえ、笛=寺田林太郎
      後見=寺井宏明
 
「ともしびプロジェクト」さんは全国で毎月11日にキャンドルを灯そう、という運動を続けておられ、何度かコラボの活動をさせて頂きました。
こちらでも発災時刻の14:46のサイレン・黙祷時間にも追悼の配信イベントがあり、そこではキリスト教の牧師さん(神父さんかも)と仏教のお坊さんが宗教の垣根を超えてお祈りをされるそうです。
 
ぬえら「能楽の心と癒やしプロジェクト」が参加させて頂くのは夜の部で、10年を経て311に青いキャンドルを灯す追悼イベントを行うそうです。
能楽の上演のあとトークイベントもされるとのこと。
※この時節なので無観客・facebookでの配信のみだそうです。
 
配信url https://fb.me/e/17RqU23AW