ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

決算報告書(8/10~13)

2012-10-30 06:37:43 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第9次被災地支援活動(2012年8月10日~13日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金(ボラ扱い) 80,592円
     前回活動繰越金(ギエ扱い) 32,500円
     チャリティ公演(ボラ扱い)    74,804円        収入計  187,896円
                           内訳:ボラ 155,396円 ギエ 32,500円

 【支出の部】
  〈活動費〉
    ◎交通費   77,696円
     (八田高速道路通行料       11,050円)
     (野口高速道路通行料       13,150円)
     (ガソリン代 51,896円)
     (気仙沼大島渡航費        1,600円)
    ◎宿泊費    2,000円
     (藤田ゲストハウス         2,000円)
    ◎印刷費    3,800円
     (プログラム印刷費          3,800円)
    ◎雑 費    1,029円
     (ビデオテープ            1,029円)       支出計   84,525円

 【収支差引残額】                         残額    103,371円
                           内訳:ボラ 70,871円 ギエ 32,500円

※注※
・プロジェクトの活動にかかる資金はすべて募金によって賄われている。
・「ボラ」とはプロジェクトの活動費用に充てる事ができる資金。「ギエ」は募金者希望により被災地への直接的支援のために使途を限定する資金。
・ただし「ギエ」についてはすでに一定の役目を終えた段階にあると考え、現在は募金者の要望によるものは受け入れるが、プロジェクトからとくに「ギエ」の呼びかけはせず、チャリティ公演等の際は使途を「ボラ」と明言して募金をつのっている。なお「ギエ」については、被災地で継続的に活動を続ける信頼すべき支援団体に寄付する予定である。
・活動に先立つ8月3日、佐藤仁重さん主宰の「女性だけの写真展」オープニング・パーティーに八田が出演し、チャリティ出演として会場にて募金を呼び掛けたところ、74,804円もの多額の募金を頂戴した。大変ありがたいことで、関係者に厚く御礼申し上げる。
・今回の宿泊は住民ボランティア藤田利彦氏宅「藤田ゲストハウス」を拝借。2,000円。
・食費については例の如く旅行がなくても掛かる費用であること、遊興との誤解を招くこと、酒食の区別がつきにくいことから自費負担とした。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・今回は参加能楽師が多数(4名)だったため交通費の負担が多かった。しかし各自ETC深夜割引制度を利用して高速道路通行料の軽減を図ったり、また本人申し出によってガソリン代を自己負担して頂いたりしたため、最低限の支出で済むことになった。ご協力に深謝申し上げる。
・今回も被災地における自主公演「能楽の心と癒やしをあなたに」公演を雄勝町・大須小学校で開催し、チラシ類の印刷・送料が支出されたが、前回第8次の活動の際にこのチラシ類の印刷・郵送費が多額の出費になった事をメンバーで話し合い、これに多額の出費を充てる事は募金者の期待する使途とは微妙にずれが生じるのではないか、という意見が出た。このため今回は印刷費は活動費に計上したが、送料はメンバーの自己負担とした。チラシ類の製作は自主公演活動には不可欠であるが、活動費にどのような比率で計上するかは今後の課題となろう。
・今回は上記のようにチャリティ出演もありプロジェクトの活動資金を賄うことができた。しかし銀行口座への募金はすでに皆無であり、今後も厳しい活動状況が予想される。あらためてみなさまに資金的援助をお願い申し上げる次第である。

                                           以上

  平成24年8月24日


【振込先】
三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)
普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ




                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥

                             (住所)

                             (電話)











活動報告書(8/10~13)

2012-10-29 08:39:16 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第9次(注1)被災地支援活動(2012年8月10日~13日)


 〔活動報告書〕

【趣旨】
 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒しプロジェクト」の4名(※注2)は、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、すでに2011年8月15日、9月26日~30日、12月24日~2012年1月1日、2月10日~13日、3月9日~12日、5月2日~4日、6月18日~21日の7度に渡り岩手県釜石市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、仙台市および大崎市にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびメンバーの八田・寺井とゲスト出演のワキ方・野口能弘氏、太鼓方・大川典良氏は、去る8月10日より13日の4日間に渡り宮城県・石巻市および気仙沼市の計6カ所にて能楽の上演を行いました(※注3)。

とくに今回は、石巻市の災害FM「ラジオ石巻」への出演、石巻市雄勝町での自主公演、石巻市・気仙沼市で夏祭りの花火大会への出演が実現し、これまでにない大きな成果を挙げることができました。また今回はかねてプロジェクトの活動を応援してくださっている石巻市民の相澤利喜子さんが石巻市での活動に参加してくださったばかりか、雄勝町での活動を企画してくださいました。気仙沼市での活動では毎度お世話になっている児童劇団「うを座」のみなさん、5月の活動を出発点として我々の活動を応援してくださる大島のみなさんのご協力をもって活動が実現致しました。石巻市については、もう1年以上我々の活動を支えてくださっている観光協会、商工会、チーム神戸のほか、2月の活動から知遇を得ました住民ボランティア藤田利彦さんなど、多数の方々のご協力を得ることができました。さらには東京近郊から写真家のYさん、活動のお手伝いにボランティア支援者の河向貴子さんが同行して頂き、大変大きな功績を挙げてくださいました。そのほか 伊豆の国市子ども創作能の保護者さまより多数の支援物資を提供頂き、雄勝町・女川町にお届けすることができました。併せてご報告申し上げます。

※注1 プロジェクトの発足は3011.8.15の活動後でありますが、前回より2011.6.29~7.2まで八田が石巻市で行った活動まで遡って活動歴と数える事に致しました。
※注2 プロジェクトメンバーは八田達弥(シテ方・観世流)、寺井宏明(笛方・森田流)、大蔵千太郎(狂言方・大蔵流)、小梶直人(同)の4名。ただしスケジュールの都合により狂言方2名は今回は欠席。
※注3 今回の上演場所は①石巻市・ロマン海遊21②石巻市雄勝町・大須小学校③石巻市雄勝町・旧総合支所前④気仙沼市・復興商店街南町紫市場⑤気仙沼市大島・大島神社⑥気仙沼市・浦の浜の6箇所。このほかラジオ石巻への出演があった。

【活動記録】
 8月10日(金)
八田・寺井 終夜走行にて早朝石巻に到着。住民ボランティアさんのご厚意により休憩を取らせて頂き、午後より活動開始。相澤利喜子さん、河向さんと合流ののち「ラジオ石巻」の番組「復興へ1・2・3はつらつラジ石ワイド」に出演。

ラジオ出前後に相澤さん・Kさんに能『松風』の後見の稽古。夕方よりロマン海遊21にて「能楽の心と癒やしをあなたに」公演。能『松風』の一部を上演。後見=相澤氏・河向氏。終演後夕食を摂っているところにワキ方野口能弘氏到着。能楽師3人は住民ボランティア藤田さん宅に投宿。

 8月11日(土)
早朝起床して、相澤さん・河向さんとともに雄勝町へ。午前11時より市立大須小学校にて「能楽の心と癒やしをあなたに」公演。能『松風』の一部を上演。当該公演は雄勝町での初めての活動であると同時に、6月に石巻市で開催した「星と能楽の夕べ」以来の自主公演。公演に併せてバザーを開き、静岡県・伊豆の国市の「子ども創作能」の保護者さまなどより頂戴した扇風機3台ほか支援物資を住民さんに持ち帰って頂いた。

夕方、雄勝町の旧総合庁舎前へ移動、「おがつ花火大会」の関連イベントに参加。能『羽衣』の一部を上演。終演後花火大会を鑑賞して石巻市内に戻り、前日と同じく藤田さん宅に投宿。。

 8月12日(日)
気仙沼市へ移動。途中、前回6月の活動のあと丁寧なお礼状を頂いた女川町の仮設住宅の住民さんを表敬訪問。大変お喜び頂き、次回の公演を約束して辞去。志津川など視察しながら気仙沼に到着、宿所をご提供頂いた島田呉服店さまにご挨拶ののち南町紫市場へ。

この日気仙沼市では年で一番大きなお祭り「みなとまつり」の最中。やがて太鼓の大川典良氏も到着、午後4時頃紫市場の仮設ステージにて能『菊慈童』を上演。終演後は島田呉服店さまのご厚意により夕食をごちそうになったうえ入浴までお世話になる。八田と大川氏は復興した市内の銭湯「亀の湯」さんに入浴に行き、少々被災地区も視察。

 8月13日(月)
朝、これまた島田呉服店さまのご厚意により朝食をごちそうになり、お礼にご主人さまほかに簡単な囃子のレクチャーを体験して頂く。それより気仙沼の被災地区を視察。フェリーにて気仙沼大島に渡る。

大島・浦の浜にて菅原さんはじめ関係者と打合せ。その後菅原さんのお計らいで軽自動車を貸与されこれは以後もっぱら八田が運転して大川氏とともに使わせて頂くこととなった。菅原さん送迎、および八田運転軽自動車にて大島神社に移動。午後2時より大島神社にて謡および舞の奉納。独吟『鷺』野口能弘、舞囃子『養老』八田達弥・寺井宏明・大川典良ほか。

終演後、大島神社宮司さま宅にてしばし休憩。八田と大川氏は軽自動車にて島内視察。寺井・野口氏も宮司さま案内にて別に島内を視察に。

夕方7時すぎ、浦の浜にて「大島浦の花火」に付随して能『羽衣』の一部を上演。上演は路上であったがお客さまの注視、雰囲気の良さ、どれを取っても最高の状態の中での上演に感激。

終演後は本土とを結ぶ定期航路はすでに終了していたため臨時船「ひまわり」にて気仙沼市内に帰る。島田呉服店さまの相も変わらぬご厚情にて入浴させて頂き、寺井・野口氏はそのまま東京に帰り、八田と大川氏はこの夜も島田呉服店さまに投宿。

 8月14日(火)
八田と大川氏はこの日に活動を終了、それぞれ被災地視察を兼ねながら帰宅。

【収入・支出】
  プロジェクトの活動は基本的に募金によって行われております。募金は基本的にプロジェクトのボランティア活動資金(以下「ボラ」)として使わせて頂きますが、とくに被災地への直接支援を目的にプロジェクトに寄せられた義援金(以下「ギエ」)はプロジェクトとして支援するのに然るべき団体。。被災地に拠点を置き、直接被災者の支援活動に従事することを目的とした、非営利で公明正大な活動が長期に渡って期待できる、信頼すべき団体に寄付させて頂きます。

今回は活動に先立つ8月3日に佐藤仁重さまによる「全日本写真連盟 東京・女性支部 第35回女性だけの写真展」のオープニング・パーティーに八田がお招きを頂き、出演させて頂いた代わりに、プロジェクトの活動について講演をさせて頂き、出席者には募金箱による寄付をお願いさせて頂きました。その結果 募金総額は 74,804円となりました。

  これにより今回の活動資金は前回活動繰越金 113,092円(内訳:ボラ 80,592円 ギエ32,500円)、および募金箱への寄付 74,804円(ギエ)=合計187,896円(ボラ155,396円 ギエ32,500円)となりました。

  頂いた募金の使途につきましては別紙「決算報告書」にて改めてその内訳を明示致しますが、今回の活動終了時で残額 103,371円(内訳:ボラ 70,871円 ギエ32,500円)となっております。これらは今回の活動繰越金として次回活動の資金として有効に使わせて頂きます。関係者各位に対し、厚く御礼申し上げます。

  これに対してプロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費につきましては高速道路の通行料、ガソリン代の全額をプロジェクトの負担としておりますが、交通費節約のため、できるだけ深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するようにしました。

  宿泊につきましても住民ボランティアさまのご厚意により石巻市内被災地区のお宅に計2,000円にて寄宿させて頂いたほか気仙沼では島田呉服店さまに無料で泊めて頂きました。

  これにより今回も支出の内訳は公演の宣伝ポスターの印刷費、記録用ビデオテープ購入といった事務雑費のほかはもっぱら交通費と多少の宿泊費に限られることとなりました。

前述の通り収支差額として 103,371円(内訳:ボラ 70,871円 ギエ32,500円)が出ました。これは今後の被災地訪問の活動資金として活用させて頂きます。前述の通り今後の活動には資金的に困難な状況が予測されます。引き続きまして活動支援をお願い申し上げる次第です。

【成果と感想・今後の展望】
プロジェクトとして第9次となる今回の支援活動では、大変目立った活動ができたと思います。まずもって石巻市の「ラジオ石巻」へ出演させて頂いたことで、プロジェクトの活動の主旨などを石巻市民に広くお知らせする機会となりました。当初知らされていた出演時間を大幅に超えての出演となり、謡と笛の実演も行うなど、プロジェクトの活動の内容として、これまでとは一線を引くほど大きな宣伝の手段となりました。

石巻雄勝町では、ここも初めて公演する町でしたが、夏休み中にもかかわらず公演会場を大須小学校さまにご提供頂きました。雄勝町の大須地区は、これまでプロジェクトの活動にずっと協力してくださっている石巻市民の相澤利喜子さんの出身地で、相澤さんはかねてより当地でのプロジェクトの活動を希望しておられたことから、この度のプロジェクトの自主公演の実施となりました。学校との交渉、現地でのチラシ類の配布宣伝など、相澤さんには絶大なご協力を頂くことで実現できた催しです。市民の企画によって活動ができたのも、また新しい活動の局面と考えております。

また、能の上演に付加価値をつけること---炊き出しを行う団体との共同の活動などは かねて考えていたところで、何度か実現もしたことがありましたが、この大須小学校での活動では静岡県伊豆の国市で八田が長年指導を続けている「子ども創作能」の出演児童の保護者や、またこの日同行してくださった写真家Y氏より多くの支援物資の提供を頂き、扇風機・日用品・玩具などを住民さんに配布する「バザー」を行うことができました。

また雄勝町では「おがつ花火大会」という夏祭りの関連イベントへの出演を実施しました。今回はプロジェクトが活動した雄勝町と気仙沼市、気仙沼大島の3カ所すべてで夏祭りが開催されており、そのため今回は仮設住宅での活動は行いにくく、反面、これら夏祭りのイベントへの出演という形での活動が主体となりました。

これらの各地の夏祭りは、昨年は震災の直後にあたって軒並み中止となっていたものが、支援団体などの後押しを受けて復活したものばかりです。言うなれば復興のひとつの象徴のイベントであり、同時にお盆の季節にもあたって鎮魂の祈りも込められた催しが各地で開かれました。このような意義深い夏祭りに参加できたことはプロジェクトにとっても幸福なことと言えましょう。

石巻から気仙沼への移動の途中には女川町の仮設住宅の住民さんを表敬訪問致しました。じつは6月の第8次活動の終了後、この仮設住宅の住民さんより大変心のこもったお礼状を頂きました。お礼状には感激致しましたが今回の活動のスケジュールはすでに組み上がる頃のことで、女川町で活動をする時間的な余裕はなく、やむなく表敬訪問となりましたが、住民さんには大変喜んで頂き、これが10月の第10次支援活動(現時点ですでに実施済み)につながることになりました。

気仙沼市では町を挙げて「みなとまつり」が開催中でしたが、こちらも毎度お世話になっております仮設商店街の南町紫市場さんのイベントに出演させて頂くことができました。このイベントへの出演、また宿泊に至るまで、すべて気仙沼の児童劇団「うを座」の関係者のみなさまにひとかたならぬご支援を賜りました。「みなとまつり」の開催中のため関係者にはほとんどお会いすることが出来ませんでしたが、改めまして深謝申し上げます。

気仙沼大島での活動はプロジェクトメンバーの寺井宏明が関係者とすべての打合せを整えてくれました。横浜を本拠地に各地で海底清掃などのボランティア活動を展開している「海をつくる会」の活動への参加からから出発した大島での活動ですが、同会のご理解を頂いて、今回はプロジェクトとして独自の活動となりました。

前回と同じく大島神社に参詣して独吟と舞囃子を奉納させて頂きましたほか、大島でもこの日「大島浦の花火」が開かれており、そこでの能の上演を行いました。花火大会の関連イベントは我々プロジェクトの上演だけで、津波被害により壊滅した浦の浜に集った住民さんの前での能の上演、続いて花火打ち上げの鑑賞は大変感慨深いものになりました。

一方、今回の活動では写真家のYさん(匿名を希望)が石巻で撮影に参加してくださり、石巻では相澤利喜子さんが公演の際に後見として出演してくださいました。また石巻のボランティア団体を支援している河向貴子さんは全行程でプロジェクトに同行頂き、写真撮影に、公演の後見のお手伝いに、と活躍してくださいました。多方面でのご支援を頂いてプロジェクトの活動は実現できております。この度のご協力にも深く感謝申し上げます。

また出演者につきましては、今回はシテ方・笛方のプロジェクトメンバー二人のほか、ワキ方の野口能弘氏、太鼓の大川典良氏がゲストとして参加してくださいました。これも過去に例を見ない人数での上演となり、本格的な能の上演に近い形での活動ができました。とはいえ、ワキの野口氏には、会場設備や上演時間の制約から出演頂けない場面も多かったのです。また野口氏は前回プロジェクトの活動に参加してくださった際の様子から、仮設住宅などでのワークショップでもとても興味深い活動を期待できたのですが、あいにく現地が夏祭りの最中で、仮設住宅での活動が実現できなかった事も残念でした。事情により仕方のない事ではありますが、野口さんの力を最大限に引き出すことが出来なかった事が心残りではあります。

今回のゲスト能楽師 野口能弘氏、大川典良氏は八田とともに かつて学校公演で石巻と気仙沼を訪れた事があります。東日本大震災のあと八田が支援活動を始めたのも原点はその学校公演で出会った子どもたちに抱いた好印象があったからで、野口、大川両氏も同じ思いを抱いてプロジェクトの活動に参加してくださいました。両氏ともスケジュールが許せば今後とも活動に協力、同行する事を申し出てくださっております。ハードスケジュールの中での奉仕の姿勢、献身的なご協力に心より御礼を申し上げます。

夏祭りの時期の被災地訪問は、復興のひとつの到達点でもあろうと思い、それ自体は大変喜ばしく、プロジェクトメンバーとしても感慨深い公演活動となりました。しかし一方、夏祭りのおかげで巡回することができなかった仮設住宅の現状がどうなっているのか、復興の進捗の真の部分は、今回は見えなかったのかもしれません。これからもプロジェクトは息長い活動を続けてゆければ、と考えております。


平成24年10月29日




                             「能楽の心と癒しプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その25…旅の終わり)

2012-10-28 09:35:56 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【8月14日(火)】

翌朝。。島田呉服店さんでゆっくり休ませて頂いた ぬえと太鼓のOさんはこの日 1日をかけてゆっくりと東京に帰ることにしていました。Oさんは山形県に行ってみるとのこと。気仙沼からは一関まで内陸を走って東北道に出る方法もありますが、ここはやはり国道45号線を通ってずっと沿岸沿いを走って、各地の被害の状況をご覧頂きたいと思い、その旨お願いしてお別れをしました。

ぬえは島田呉服店のみなさんにお礼を申し上げてから出発。ぬえもやはり定点観測。。というか各地のその後の復興の様子を見ながら石巻まで南下して、通い慣れた三陸道、東北道を経由して、深夜にならずに東京に帰ることができました。

それでは帰途に見てきた現在の様子など。

気仙沼南町 傾いたままの街路灯



気仙沼・本吉の岩井崎海岸への入口。



近づいてみると。。ホヤぼ~やが。。



裏に回ってみると岩井崎の近く、波路上地区で精力的に支援活動を続ける地福寺さんの看板がありました。



こちら地福寺さん。ぬえたちもここで一度公演をさせて頂きました。今回もご住職さまと久しぶりにお話をさせて頂き、来年。。になりますかね? ご一緒の活動について相談してきました。



同じく波路上地区のガレキ置き場。分別も進んできています。



このあと本吉町の はまなすホールと図書館にご挨拶に行って、それから小泉地区へ。
これは気仙沼線の「陸前小泉駅」の跡地です。砂利の小山にしか見えませんが。。でも鉄橋の上に残されていた家屋の残骸は今年のはじめにきれいに取り除かれました。





はるか遠くにはぽっかりと空いたトンネル。線路は残骸しか残されていませんが。



小泉小学校の近くに建てられた震災の記憶をとどめるための石碑。



昨年9月に舞囃子を舞った南三陸町の泊崎漁港。陸には土嚢が積み上げられて、着々と土地のかさ上げが始まっていましたが、肝心の港はまだ水没したままでした。





志津川の近くの袖浜。う~ん、こちらはあまり片づけが進んでいないようです。







石巻市北上町の相川小学校。体育館がつぶれてしまっていました。。





でも相川小学校のサイトを見ると、子どもたちは別の小学校を間借りして元気に学校生活を続けているようですね!

こうして8月のプロジェクトの活動は無事に終了しました。今回は2度の夏祭り~花火大会への出演など、恵まれた時期の訪問となりましたね。そのうえラジオ番組への出演や雄勝町でのはじめての活動など、プロジェクトとして初の経験も多く、とても印象的な活動となったと思います。

そして夏祭りの復活はまさに復興の象徴ですね。この場に立ち会うことが出来て本当によかったと思います。ガレキの片づけには順調に進んでいるところと、そうでもない場所との対比が際だっていたとは思いますが。。それでも前進しています。少しずつ!

現地でプロジェクトの活動を支えてくださったみなさん、そして何より各地の住民さん、忘れてならないプロジェクトのメンバーおよびゲストの能楽師のみなさん、活動に同行してくださった協力者のみなさん。お陰様で無事に、また有意義に活動を終えることができました。関係各位に改めまして御礼申し上げます~!

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その24…大島航路)

2012-10-27 07:42:30 | 能楽の心と癒しプロジェクト
気仙沼大島の「浦の花火」を満喫して、さて ぬえたちは本土に戻らなければなりません。じつは。。笛のTさんとワキのNさんは翌日に東京での予定があるため、この日のうちに帰宅する予定でした。公演後に気仙沼から東京に直行する強行軍ではちょっと心配でもありますが、Nさんは一人で東北地方の友人を日帰りで訪ねたりするツワモノなので、まあTさんと運転を交代もできるので、道中にくれぐれも気を付けるようお願いしてこのスケジュールとなりました。

本土と大島とを結ぶ定期航路はすでに花火打上の前に運行は終わっていたので、これも当初からの計画通り「臨時船 ひまわり」という船に乗って本土に戻ります。漁船を改造したような小さな船。でも帰りが遅くなった住民さんを本土に運ぶための足として震災前から重要な存在だったそうです。ぬえたちもこの船があったからこそ大島の花火大会での公演が実現できたのでした。

ここで大島への航路が震災で受けた被害とその後の復旧について触れておこうと思います。

気仙沼本土と大島を結ぶ大島汽船では旅客船とカーフェリーを運航、また遊覧船の営業も行っていました。ところが震災の津波によって所属の船は陸に打ち上げられたり、延焼したりと甚大な被害を受け、一時は運行できない状態でした。

震災から1ヶ月後、広島県江田島市からフェリー「ドリームのうみ」が無償貸与され、航路が再開。ふたつあった乗船場も一つは津波によって壊滅したので、現在のエースポートを利用しての運航となりました。その後愛媛県新居浜市のフェリー「おおしま」が無償譲渡されたり、陸に打ち上げられた「フェリー亀山」が修理されて復活したり、今年3月に「ドリームのうみ」は江田島市に返還されたり、「おおしま」はお世話になった「ドリームのうみ」への感謝のしるしとして「ドリーム大島」という名前になったり。。事情は複雑ではありますが、関係者の努力によって気仙沼大島への航路は現在のようにまで復興したのでした。

このへんの事情は以下の記事に詳しいですからご参照ください。

ブログ「フェリー・鉄道・自転車・噺・歴史・本・カレー」
ブログ「島じろうとさくらの気仙沼大島探訪!!」
江田島市サイト
大島汽船サイト

。。ところで ぬえたちが乗った「臨時船 ひまわり」ですが、やはり震災時には大活躍していたようです。

震災当時、津波の被害を直感して船を沖に出した船長さんは、周囲で同じように沖に出た船が転覆するのを目にしながら波と格闘し、翌朝ようやく島に戻りました。ところが浜も定期船も壊滅状態だったため島は孤立。船長さんは震災2日後の3月13日から昼間に運航を開始。満載の人と荷物の輸送を続けて島を孤立から救ったのでした。。

日本財団ブログ・マガジン

。。ということは、船長さんは震災の起こったその夜に波と格闘して操船して翌朝に島に戻り、わずか1日休んだだけで島のために運航を再開したのですね。。天地がひっくり返るような体験をされて精神的な負担も多かったと思うのに、これほどの行動力。まさに島を救った人だったのですね。

さて本土に戻って、宿舎を提供してくださった島田呉服店さんのおはからいでお風呂を使わせて頂きました。TさんとNさんはほどなく出発。これにて今回の活動は無事に終了することができました。メンバーのみなさん、本当にお疲れさまでした!

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その23…大島浦の花火公演)

2012-10-25 20:45:21 | 能楽の心と癒しプロジェクト
小田の浜でまったりしていると笛のTさんから電話がかかってきて、そろそろ公演の準備をしなきゃ、ということで、早々に浦の浜に戻りました。笛のTさんは大島神社の宮司さんのご案内で龍舞崎の雄大な景色を見てきたそう。やっぱり地元の人に案内してもらった方が効率よく島内を視察できたかも。。さて浦の浜は来た時と変わらない荒れ果てた風景。。今日は花火大会での上演ということだけれど、どこで花火を打ち上げるんだろう。。?

よく聞いてみると、台船を入り江に浮かべて、その上から花火を打ち上げるんですって! よく見れば浜には本部テントらしきものもありまして、ちょっとした露店も出ていました。小さい盆踊り程度の規模のように ぬえには見えて、花火がここで打ち上げられるなんて、にわかには信じられないのでしたが。。

さてここ浦の浜は津波の被害によって建物はすべて壊滅、かろうじてプレハブの乗船券の発売所と、コンビニの「グリーンアイランドおおしま」があるだけです。拝借した車をお返しして、着替え場所に指定された「グリーンアイランドおおしま」の一室、普段は釣具売り場や店舗の事務所として使われている広い部屋を拝借しました。

花火は打ち上げられるのかなあ? お客さま…島民のみなさんはここまで集まられるのかなあ? と心配になりましたが、それよりも次第に悪化してきている天候の方が心配かなあ。

…と思っているうちに島の住民さんたちも大勢集まって来られました。浴衣を着た若い人も露店で焼きそばなんか買ってうれしそうにしています。でも、この賑やかさは。。大島に到着時に花火大会の関係者の方から「能を見る雰囲気ではない」と言われていましたが、なるほどそうかもしれない。まあ、仮設商店街などでの上演経験もたくさんあるので、お祭りのイベントと考えればよいのですが、さすがに今回の上演曲『羽衣』のワキの出から始めるのはちょっと無理でしょう。

こうしてワキのNさんにはお休み頂いて、囃子方のお二人と上演することにしましたが、今度は小雨が降ってきました。。雨は面には大敵なので、さてどうしたものか。。と考えまして。。結局『羽衣』と『菊慈童』の両方の装束の準備を致しました。面が露わになる『羽衣』では雨によってダメージを受ける。黒頭を着る『菊慈童』なら少々の降雨の下でも短時間ならば上演ができる。。でも、ライトに照らされた夜間の上演であれば、『羽衣』の方が装束が映えるに違いない。。上演時刻が迫る中、着付けの開始をできるだけ遅らせて、天候の変化を見守りました。

やがて上演30分前に。ワキのNさんが「雨、止んできています。風上のあの雲の切れ間が、ちょうど上演時間に重なって、上演中は雨は降らないでしょう」と予測をしてくれて、『羽衣』を上演する事に決定、すぐに装束を着ました。

。。そして上演の様子がトップ画像です。写真の撮影していなかったので、ビデオからのキャプチャーで申し訳ないです。ステージもなにもない、普通の路上ですね。もとより激甚被災地区なので、アスファルト舗装まで復旧しただけでもめでたいことです。打合せの段階では砂利の上にコンパネを敷いて。。という案も出ていたのですが、広さが限定されたり、つなぎ目の段差が解消できないなら、かえって路上そのままの方が舞いやすいので、そのようにお願いしました。

天候もNさんの予測通り回復して、地面も乾いてきました。舞うのには絶好の条件です。お囃子方のTさんとOくんはともに座布団を持って登場。控室からここまでは徒歩2~3分かかる距離なのでシテの面はこの路上で着けました。お客さまも興味深そうにご覧になっています。よし、これなら上演は問題なし。が、思わぬ伏兵が。。

手前に。。投光器に照らされた路上に点々とある。。黒いモノ、わかります? ぬえはまったく気づかなかったのですが、終演後に控室に帰ったところ、関係者や大島神社の宮司さんが「あ~~っ! 装束!装束! そっと脱いで! そうそう、ここじゃダメだ、表ではたかないと」と、あれよあれよと ぬえが脱いだ長絹を持って外に出てしまいました。

。。この黒いモノ。。じつはカメムシだったんです。投光器の明かりに誘われて、それこそ路上の照り返しや、ぬえが着ている白地の長絹に集まってしまったんですね。装束の上でつぶしたら大変!と、ぬえが脱いだ長絹はみなさんで戸外ではたいてカメムシを落としてくださいました。。

それにしても。。上演中の ぬえは、花火を見に集まったお客さまのはずなのに、とっても熱心に能をご覧になっておられる姿に感動していました。やっぱり気仙沼は文化的なレベルが高い街なんじゃないでしょうか。舞いながら、これならワキのNさんも登場願って、本式に『羽衣』を演じてもよかったのではないか? と思いました。そのうえ今回の『羽衣』は短縮版にするようお囃子方と打ち合わせてあったのですが、「ここならば。。」と思った ぬえは、急遽、省略ナシでの上演に切り替えました。お囃子方は約束と違う ぬえの行動に「う。。」と思ったに違いありませんが、さすがにすぐに変更に気づいて、それに合わせるように吹き、打ってくださいました。うんうん、さすがプロ。

へへ。じつは ぬえ、被災地での上演ではしばしば事前のお囃子方との約束を破って、違う寸法で演じます。実際のところ、演じてみて初めてお客さまの反応も見えてくるので、興味を持ってご覧頂ける場合は省略するはずだった部分も演じたりするのです。臨機応変、と言えば聞こえは良いですが、お囃子方にとってはシテがなにをしでかすかわからないのですから、こんな迷惑な話もありませんね。終演後、「ごめんね~」とお囃子方には謝りますが、謝罪、ではありませんね。同じお客さまの空気をお囃子方も感じ取っておられるはずです。ま、これも ぬえがお囃子方に信頼があるから安心して身を任すことができるのです。

着替えて。。浦の浜のみなさんからお刺身の差し入れが控室に届けられました。そうこうしているうちに花火大会の開幕となりました。最初の1発目が打ち上がった瞬間、ぬえは控室を飛び出して浜へ。



壊れた港、あちこち防波堤のコンクリートの残骸や、いまだに応急の防波堤。。つまり土嚢が並べられた無惨な光景であるはずなのに、手に取るような近くの台船から打ち上げられた花火は凪いで鏡のように澄んだ海面に映えて、夢のような美しさです。ぬえはいつまでも見とれて。。「あ~、そこの人、港が壊れていますからあまり水に近づかないように」とお巡りさんに注意されました。(^◇^;)

ぬえが控室を飛び出したのにはワケがあります。それほど気仙沼大島での、つい先ほど上演した『羽衣』が印象深くて、この花火も自分の身体いっぱいで感じたかったのでした。それほど良い上演になりました。すばらしい雰囲気、すばらしいお客さま。そしてすばらしい仲間たちと一緒に作り上げるお手伝いをしたこの一夜は ぬえにとって忘れ得ぬものとなりました。汗だくのまま、ここで ボーっと花火を見上げながら、ここにいる幸せを ぬえは心から感じました。来てよかった。。

梅若研能会11月公演

2012-10-24 03:08:48 | 能楽


もう来月に迫っておりますが…来る11月15日、師家の月例会「梅若研能会11月公演」にて ぬえは能『邯鄲(かんたん)』を勤めさせて頂きます。夢の中の世界を描くという点で夢幻能のようでありながら、実際には現在能。そのうえ夢の中でシテは夢幻能のように語り手となるのではなく夢の中で展開してゆく事件を受容する身。ワキが現実の人間ではない唯一の能で、一畳台の中で舞われ固有の譜で奏される楽、空降り、遠見、そして『道成寺』の鐘入りと並び称される緊迫した演出の覚醒の場面…見どころ満載の難しい能ですね。

奥深さがある能も好きではありますが、もともと切能が好きな ぬえ。『邯鄲』は切能ではないのですが、それに匹敵する激しさと、静と動の対比の鮮やかさがある能です。今から上演を楽しみにしております。平日の昼間の公演ではありますが、どうぞお誘い合わせの上ご来場賜りますよう、お願い申し上げます~

梅若研能会 11月公演

【日時】 2012年11月15日(木・午後2時開演)
【会場】 観世能楽堂 <東京・渋谷>

    仕舞 小 督   長谷川晴彦
        籠太鼓   梅若 紀長
        鉄 輪   梅若万佐晴

能  忠 度(ただのり)
     前シテ(尉/忠度の霊) 青木一郎
     ワ キ(旅僧)森 常好/間狂言(里人)三宅近成
     笛 寺井義明/小鼓 幸信吾/大鼓 大倉栄太郎
後見 梅若万三郎ほか/地謡 中村 裕ほか

   ~~~休憩 15分~~~

狂言 隠 狸(かくしだぬき)
     シテ(太郎冠者) 三宅 右近
     アド(主  人) 高澤 祐介

能  邯 鄲(かんたん)
     シテ(廬生) ぬ え
     ワキ(勅使)野口能弘/ワキツレ(大臣)能口琢弘/間狂言(宿の女主)三宅右矩
     笛 藤田貴寛/小鼓 曽和正博/大鼓 亀井洋佑/太鼓 小寺真佐人
     後見 梅若万佐晴ほか/地謡 加藤眞悟ほか

                     (終演予定午後5時55分頃)

【入場料】 指定席6,500円 自由席5,000円 学生2,500円 学生団体1,800円
【お申込】 ぬえ宛メールにて QYJ13065@nifty.com

あまり時間が残されていませんが。。例によってこちらのブログで作品研究。。というか、上演曲目の考察を行いたいと考えております。併せてよろしくお願い申し上げます~~m(__)m

第10次支援活動、行ってきます~

2012-10-21 00:25:17 | 能楽の心と癒しプロジェクト


まだまだ8月に行った第9次の活動報告もまだ終わっていないところですが。。

本日より第10次の「能楽の心と癒やしプロジェクト」支援活動に出かけて参ります!
今回の活動地は宮城県の松島町と女川町。1泊2日の弾丸ツアーです。

しかも~。松島での活動は石巻の高校の還暦記念同窓会にお呼ばれして出演するとか、昨日が東京で師家の大きな催しがあったため、深夜に車を運転して東北に向かうのは危険なので避けて、新幹線やレンタカーを利用するとか、能楽師は多忙な時期なので、ぬえの家族での活動であるとか、破格続きの活動です。

まずは今日の朝に東京を出発して松島町のホテルで行われる同窓会に出演、その後は仙台に宿泊して翌日は女川町の仮設商店街と仮設住宅で活動して参ります! 女川町の活動は分単位の過密スケジュールですが。。

とりあえず、東北のあの優しいおばあちゃんたちに会えるのね~~
がんばって活動して参ります!

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その22…気仙沼・大島神社で奉納)

2012-10-19 05:39:21 | 能楽の心と癒しプロジェクト
大島神社…こちらもGW以来の再訪です。延喜式にも載るとても古い神社で、巨大な岩がご神体。明治時代の廃仏毀釈運動によって仏教は打撃を受けましたが神社は逆に格式を求められて拝殿や本殿の整備が行われたのだそうで、立派な本殿の中にご神体の岩がある…いや、ご神体の岩を取り込んで社殿が造られたのですね。古代信仰をそのまま受け継ぐような、不思議な感覚に襲われる神社です。

そのうえ特徴的なのは祝詞でして、太鼓を打ち鳴らしながら唱えられる、大変珍しいものです。石巻の雄勝にも法印神楽というものが伝えられていて、鎌倉と縁が深く、先日も鎌倉で復興祈願の公演があったようですが、こういう郷土に長い伝統を持っている文化の奥深さを感じますね。

プロジェクトとしては、東北地方の支援活動でも地元の神様にご挨拶する事を重要視しています。今回も大島神社での奉納は欠かせない活動で、ワキのNくんの独吟『鷺』、ぬえと笛のTさん、太鼓のOさんによる舞囃子『養老』を奉納させて頂きました。気仙沼大島での活動はすべて笛のTさんがコーディネートしてくれています。このように土地の神様…郷土愛をお持ちの神様にご挨拶をすることで、プロジェクトの活動もはじめて補完されるような気がします。大島神社さんでの活動を組み込んでくれたTさんの配慮には敬服します。



奉納を終えて、宮司さんと親しく懇談させて頂きました。不思議なお菓子をご馳走になったり、御神酒を頂戴したり。。こちらではいつも島の人々が集っておられて、宮司さんと親しくお話をしている姿を目にします。いろんな相談事にのって差し上げているようで、精神的な支柱にもなっておられのでしょう。しばし懇談していましたが、ここで宮司さんが小さな声で。「あの…さっきから変なニオイがしませんか…?」

やがて宮司さんのお住まいにお邪魔することになった一行。社務所から出てみんなが一斉に「あ~!この車のニオイだ!」…ああ、そうかも。昆布やワカメの養殖も手がける大島の方から拝借した車で、磯の香りが染みこんでいます。よくまあ、錆び付いて動かなくならないものだ。。

亀山中腹の神社からまたまた急坂を、太鼓のOさんと ぬえは「うをぉぉぉぉぉ」と冷や汗と怒号をほとばしらせながら走り下りまして、海辺にある宮司さんのお住まいにお邪魔しました。こんなに海の近く。。やはり津波はこのお宅にも押し寄せ、家屋の被害はそれほどではなかったけれども、車も船も名がされてしまったそうです。



しばし歓談していましたが、夜の花火大会の準備もあるし、前回は嵐が来たために断念した島内の視察をしたい ぬえは申し訳ないながら宮司さんのお宅を辞して、再び車に乗り込みました。…すると、太鼓のOさんもやって来て「私も島内を視察したいです」というわけで、三度「うをぉぉぉぉぉ」と冷や汗と怒号をほとばしらせながら島内視察へ。



こちらは亀山の山頂からの景色。雄大です。海の香りもここまで…あ、これは車のニオイか。じつは大島神社からも見晴らしは抜群に良くて、月光が海に射す様子は幻想的に美しいのだそうです。今度はお泊まりに来なくっちゃ。



ぐっと景色がかわってこちらは「十八鳴浜(くぐなりはま)」鳴き砂の浜として有名で、震災後もそれは残ったようなのですが、あいにく天気は小雨交じりになってきて、この日は鳴りませんでした。



こっちは前回お邪魔した旅館のすぐそばの小田の浜。ちょうど天気が回復してきてきれいな虹が空にかかります。ちょっと上演準備の時間が迫ってきたので慌ただしくカメラを構えまして。。ビールの看板が邪魔やね。小田の浜は島内きっての海水浴場として賑わっていました。震災被害で、すぐそこにある堤防の標識灯が傾いているのは相変わらずでしたが、海辺のリゾート施設は営業の準備が進んでいるようで、次第に復興してきたのでしょう。また海水浴客で賑わう海が取り戻せるといいですね~。

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その21…気仙沼大島への道)

2012-10-18 01:52:59 | 能楽の心と癒しプロジェクト
気仙沼大島。これが2度目の訪問になりますね~。前回はGWの頃で。。到着したら嵐がやってきました。本当は海底清掃ボランティア・横浜の「海をつくる会」の活動に合わせて、安全祈願と浜の浄化を願って浜辺で能を上演して、その能を鑑賞した「海をつくる会」のメンバーはそのまま潜水してゆく、という、おそらく能楽界でも初の試み。。いや、最初で最後であろう上演の予定だったのですけれども、あいにくの荒天でして。。海も濁っているし、なにより潮流が活動には危険なので中止になりまして、「海会」のみなさんは牡蠣の養殖のための設備の修復をお手伝いすることになって、大島にそびえる亀山の頂上の土を土嚢に詰めて運ぶ重労働をされていました。海に潜れなかったので登山か。。

ぬえもこの浜辺での上演を大変楽しみにしていましたので少しガッカリ。。つか、このときの活動は笛のTさんのコーディネートによるもので、Tさんは「海会」のメンバーで潜水ボランティアでもあるわけなのです。ええと、晴天で予定通り海底清掃活動が行われていれば ぬえは上演後、「海会」のみなさんに「行ってらっしゃ~い。活動お気を付けて~」と手を振って、すぐに近くの旅館かどこか、控室に戻って自力で装束を脱いで片づけて、「海会」のみなさんが戻られるのを待てばいいんですよね。

…このへん、あまりそこまで詳しくは打ち合わせしていなかったのですが、すると本当ならTさんは。。浜辺で ぬえと一緒に能を上演するはず、ですよね? …するとそこはTさんは紋付姿ですよねえ? で? それから海に潜水して? 紋付で? いやいや、まさかそれはないだろう。。そりゃ、ウェットスーツに決まってる。そりゃそうです。ウェットスーツで笛を吹いてから…いやいやいやいやいやいや、そうじゃない。能は紋付で。それで紋付姿で笛を吹いてから、おもむろに海へ…いやいやいやいやいやいやいやいや。。 本当はどういう段取りだったんだろう?

ともあれ、その時は能の上演は旅館で行うことになりまして。でもその後漁協の人たちから「焼き牡蠣」をふるまわれまして、その美味しいことといったら! 景色の美しさ、人の素晴らしさ、大島での活動は ぬえにとって忘れ得ぬものとなりました。

こうして3ヶ月が過ぎ、ぬえたちは再び大島にやってきました。今回は「大島浦の浜花火大会」の当日の能の上演なのです!しかも今度は見事に晴天で、亀山の美しい山容を眺め、今回の受け入れをしてくださった地元の商店会の菅原さんにもご挨拶して。ところが、花火大会の関係者からは「とても能を上演する雰囲気ではないのです、菅原さんにも無理だ、と言ったのですが。。」と消極的なお言葉。くわしく伺ってみると、案の定、というか、舞台も何もない、浜には(本当はフェリーも着岸する港なのですが、規模や、津波で損壊して土嚢を並べて海との境界をかろうじて確保しているような状態では、浜辺、と呼んだ方が似つかわしい現状でした。。)船も着くし、そのときは車も人も行き交うから、とても能を見る雰囲気ではない、という、ぬえたちに対しての遠慮でした。

軽く受け流して「大丈夫ですよ! ここで上演します」と宣言して、港のアスファルトの上に上演場所を指定して、音響や照明の確保をお願いして、再び菅原さんと打合せに、フェリー乗り場の前で1軒だけ営業している仮設の商店「グリーンアイランドおおしま」へ。夜の花火大会の上演の様子がわかったところで、この日の最初の活動として、これも前回お邪魔した「大島神社」への奉納に向かいました。

…が、もうひとつ ぬえには今回の大島訪問では、島内の各地の状況を視察したい、という希望がありました。ぬえたちプロジェクトのメンバーは合計で車3台で気仙沼には入っているのですが、種々の事情でそれらは3台とも本土の駐車場に置いてきていました。島内では地元の関係者の送迎がなくてはどこにも行けない有様。。

その事を菅原さんに相談したところ「じゃ、うちの車を自由に使ってください」と、軽自動車を ぬえに貸してくださいました(!) おお、ラッキー。

…でもありませんでした。。急勾配の坂道の多いこの大島で、マニュアルの軽自動車! 運転は得意の ぬえですがマニュアル車なんて運転するのは何年ぶりだろう。。しかもエアコンは効かないわ、なによりもってこのニオイが…

笛のTさんとワキのNくんは菅原さん運転の車で亀山山腹の大島神社に向かいましたが、ぬえと太鼓のOくんは「うをぉぉぉぉぉ」と冷や汗と怒号をほとばしらせながら大島神社に向かいました。

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その20…気仙沼の…カツオ~!)

2012-10-15 14:03:38 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【8月13日(月)】

一夜明けて、島田呉服店さんでは なんと朝食まで用意してくださいました~。お礼に、午前中は島田呉服店さんのご主人に囃子のミニ体験をして頂きました。ご主人は鼓や笛などに興味津々。割とちゃんと鳴っていたし、素質は抜群でした。

さて今日は本土から離島の大島に渡って活動をする日。フェリーに乗る前にメンバーとともに気仙沼の被災地区を視察に行きました。太鼓のOさんは、じつは3年ほど前に ぬえと一緒に学校公演で石巻と気仙沼を訪れていたのでした。今回はワキのNくんもその時にご一緒したメンバーで、奇しくも ぬえと同じようにこの町での公演を経験し、そのときの気持ちから震災後に活動を行った能楽師が集まった形になりました。

気仙沼の町。。南気仙沼駅から先の海に突き出した激甚被災地区は、すっかり片づけられて更地になっています。ぬえが昨年の夏に感じたイヤな空気もすっかり消えています。それでもところどころにはまだ車が積み上げられたままになっていたり、観光船や大島に渡るフェリーが発着するエースポートも、桟橋はいまも水に沈んだまま。







こちらは南気仙沼駅のプラットホーム。もう今となっては草が生い茂って、よくわからない状態になっていました。ところが駅の周囲はさらに片づけが進んで、なんと今まで見ることのできなかった駅前ロータリーが姿を現していました。



フェリーの乗船時間までまだ間があるので気仙沼港に面した、前から気になっていた「お魚いちば」レストランで昼食を食べようと思いましたが、店内は大混雑で、散々待ったあげくに出航時間が迫って結局断念。またまたコンビニ弁当が昼食になりました。市場では。。ををっ、カツオが! あの2年くらい以前に学校公演で気仙沼を訪れた際に食べた 戻りガツオが目に浮かぶ。。が、戻りガツオの季節は10月。もう少し先なのでした。



おっと、戻りガツオもありましたよ! こちらは冷凍もので、去年獲れた戻りガツオです。これ、東京に帰ってから気仙沼から送って頂きました。いと美味し。。でも当地で旬のときにプロがさばいた、あの戻りガツオにはかなわないです。



じつは ぬえは気仙沼滞在中にずうっと「カツオ~!」「カツオ~!」と連呼してうるさがられていました。いや、正確には哀れまれていました。だって気仙沼にずうっと通っているのに、戻りガツオの季節にはなぜかここにはいないんだもん。

じつは今週末に ぬえは松島と女川町の支援活動に参るのですが、今回は気仙沼は行程に入っていません。。ちょうど!いまが戻りガツオの旬なのに! カツオ~! カツオ~!(・_・、)

ところが!

今 気仙沼の戻りガツオが東京で食べられる、としたらどう? さあ、どうなのさ? ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ
じつは東京でたった今、気仙沼の戻りガツオを食べる催しが行われているのです。

早稲田かつお祭り公式サイト

ミョウガで有名だったという早稲田地区の大学周辺商店連合会が主催となって、気仙沼の戻りガツオと早稲田のミョウガを味わってもらい、併せて気仙沼の復興を応援しよう、という催しです。どちらかと言えば戻りガツオの料理を堪能できる、というよりは戻りガツオをはじめ東北の産品の即売会のようなもののようですが、「試食」や食べ歩きもできるそうなので戻りガツオの料理も楽しめるようです。抽選会もあって、気仙沼への旅行やカツオが当たるのですって。10月21日までですから、ぬえのブログで興味を持たれた方はぜひ行ってみてください!

なお、会場で「ぬえのブログを見た」と言って頂いたお客さまにはもれなく! …「ああ…あのうるさいヤツね、あんた、仲間?」と! さげすみとも哀れみとも取れる、なんともフクザツな視線がプレゼントされる、のではないかと思います! 多分。

さあて、戻りガツオの夢を抱きながら、ぬえたちは装束などの荷物、とコンビニ弁当を持って乗り込みました。ぬえはコンビニ弁当を目をつぶって食べ、脳裏に戻りガツオを想像しました。ぬえの戻りガツオは。。カレーの味がしました。。

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その19…「亀の湯」さんの復興)

2012-10-14 02:26:39 | 能楽の心と癒しプロジェクト
気仙沼の南町紫市場での公演を終えて控室で着替えを済ませ、宿舎を提供くださった島田呉服店さんへ戻ります。

島田呉服店さんでは、宿舎のみをご提供願い、食事もお風呂もすべて能楽師が自前で確保、という形でお願いしていましたが、戻ってみると、近所のお店にお食事に行きましょう、お風呂は順番にどうぞ、と、大変親切にして頂きました。予想外の厚遇で、申し訳ないやら、ありがたいやら。。

それではお風呂を順番に使わせて頂くことにしましたが、ぬえは そろそろ洗濯もしたいと思い、近所のコインランドリーの場所を尋ねてみたところ。。意外な返事が返ってきました。

「亀の湯」さんにもあるかもしれません。

「亀の湯」さん。。テレビのドキュメンタリー番組などで何度か取り上げられて ぬえの記憶にも鮮明に残っていますし、ある種、気仙沼の復興の ひとつのバロメーターかもしれない銭湯です。ぬえはまだ行った事がないのですが、そしてこの時は、教えられた「亀の湯」さんが、そのテレビ番組で取り上げられたその銭湯であるとは ぬえの中で一致していなかったのですが。

「亀の湯」さんは、気仙沼港のすぐそばにある銭湯です。漁を終えて気仙沼に水揚げした漁船の乗組員さんたちが多くここで汗を流し、そうして夜の気仙沼の歓楽街に旅の疲れを癒しに繰り出しました。だからこの銭湯では、ほかの気仙沼の飲食店でもそうなのでしょうが、漁師さんたちが「ただいま~」と言って現れ、番台のおかみさんは「いってらっしゃ~い」と見送る。。そんな家族のようなお付き合いがあったのですって。

それだから、脱衣所には「○○丸」と書かれた、その漁船の乗組員専用の洗面器がいくつも並べられています。その中には せっけんやらシャンプーやらが入れられて洗面器ごと銭湯に預けられていて、漁師さんは手ぶらで銭湯に来て、入浴後はそのまま歓楽街に繰り出すことができるのでした。そんな、人見知りをしない気さくさは、この日の ぬえも実感することに。

この日 ぬえと太鼓のOさんは入浴のためではなく亀の湯さんのコインランドリーを拝借に行ったのですが、銭湯に到着して、さてどこに車を停めようか、と考える。。その間もなく店外に出ていた おかみさんが「ここに停めていいよ!」と指示してくれました。笑いながら「ここ?」と聞く ぬえにおかみさん。「ここから、こっちまでならいいさ!…こっちの方が帰りに出やすいだろ?」「ああ、ありがとうございま~す」なんて。太鼓のOさんは ぬえに向かって「…お知り合いですか?」「いえ…初対面です」「そうですか…」 。。(^_^;

さて洗濯だ、というんで併設のコインランドリーに入ってみると、粉洗剤の大きな容器がドンッと置かれていて、利用者は無料で使うことができるのでした。おお、これはありがたい、と、もう残り少なくなった洗剤を節約して頂戴し、洗濯機を廻し始め、さて洗濯が終わって乾燥機にかけるまでの間の30分間をどこで時間をつぶすか、と考えていると またまた おかみさん。「洗濯が終わったら洗い物を乾燥機に移しておいてやるからさ」と、大胆なご提案。。。いま考えると、港町に長い航海の憂さを晴らしに来る漁師さんへの、普通の思いやりだったんですね。

ありがたくご温情に甘えることにして車を出した ぬえたち。島田呉服店さんでの入浴も順番待ちだし、それでは、というんで、震災後はじめて気仙沼にやってきた太鼓のOさんと被災地区を少し視察することにして、津波によっていまだに陸上に乗り上げたままになっている「第18共徳丸」に行きました。



。。と、ここでコンビニを発見した ぬえとOさんは相談して、亀の湯さんの親切へのお礼、ではないけれど、コンビニで洗剤を買って、残り少なくなっていた亀の湯さんのために寄付することにし、あわせて亀の湯さんでお風呂に入ることにしました。

買い物をして亀の湯さんに戻ると、すでに30分が過ぎていて、洗濯物は約束通り洗濯機から出されて乾燥機の中で回っていました。感激して番台のご主人に洗剤を寄付し、脱衣所に入ると、なるほど、以前テレビ番組で見たかつての規模には到底及ばないけれど、棚に10数個の、漁船の名前が手書きされた洗面器が並んでいます。亀の湯さんで気持ちよく汗を流し、おかみさんとも親しく話をして、無事に洗濯も終わって宿所に帰りました。

さてこの「亀の湯」さん、震災の津波では、ちょうどこの付近が明暗の分かれ目になりました。昨年末に泊めて頂いた太田地区の自治会館に向かう途上。。ちょうど土地が港から山に向かって上がっていく、そのキワに「亀の湯」さんはありました。ここより港に近い地区にあった建物は全壊。このあたりから山に向かって被害の程度がだんだんと軽くなっていくのが手に取るようにわかる場所です。

幸いにも亀の湯のご主人もおかみさんも犠牲にはならなかったわけですが、その後は紆余曲折。ここからはドキュメンタリー番組の受け売りですが、津波被害は受けながら、なんとか壊れずに済んだ亀の湯の建物に、まずはボランティアさんが入って泥掻きが行われて、きれいに片づけられました。営業再開を要望する声も多く、ご主人もそれを念願にしておられましたが、ボイラーが損傷したため営業は難しい。ところがその後行政から、被災した住民さんやボランティアのために機器の提供と営業再開の申し出があったのです。これにはご主人は喜びましたが。。

ところが、この提案の内容は、臨時の移動式ボイラー設備を持ち込み、期間を限定して稼働する、というものでした。亀の湯さんの設備の復旧ではなく。。要するに仮設風呂の設営の場所として使わせてほしい、という意味だったのです。ご主人は複雑な思いを持ちながら提案は受け入れ。。その後亀の湯さんの復興の道筋はまだ見えていない。。というのが、昨年に放送されたドキュメンタリー番組の結末でした。

それが、いまこうして ぬえの前で立派に営業を再開するところまで漕ぎつけていたのですね! 亀の湯さんに到着してから、ようやく事情がわかった ぬえは感無量でした。

さて宿所に帰ってみると、メンバーもお風呂を使わせて頂いたところで、島田呉服店のおはからいで夕食に出かけました。いやいや、コンビニ弁当が当たり前の ぬえたちの活動ですが、ありがたい食事をご馳走になりました。

夕食。。というか飲んでばかりいた ぬえは、解散してみんなが宿所に帰る中、一人気仙沼港を散歩しました。震災後だけでも、もうここに1年以上通い続けていて、活動をはじめてからも すでに8ヶ月、気仙沼には足を運んでいます。少しずつ変わっていくところもあれば、いつまでもあの日のままの場所もある。いろんな思いが ぬえの中にもあって、次の活動に繋げていきたい計画も頭に浮かんでいます。

でも、まずは明日ですね。へへ、飲んだ仕上げにラーメンを食べて、宿所に歩いて帰ると、みんなすでに寝静まっていました。いやいや、お疲れさまです。明日もよろしくです~

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その18…気仙沼・南町紫市場で上演)

2012-10-11 07:48:25 | 能楽の心と癒しプロジェクト
こちらが泊めて頂いた呉服店の店舗部分。なるほど、昔ながらの呉服店なら帳場や商談に使われる畳敷きの場所がありますね。ここに持参の寝袋やらクッションを敷いて、ぬえたち能楽師は休ませて頂きました。ぬえは真夏でもあったし、床に寝袋を敷いて眠りました。あいかわらず睡眠障害の ぬえとしてはあまり眠ってもいませんけれども。。



えと、眠る話はまだ先ですね。まずは島田呉服店さんにご挨拶して、早速に公演準備のため会場の南町紫市場に向かいました。ここは仮設商店街ではありますけれども、50店舗ほどが集まるかなり大きな商店街で、それがいくつものプレハブの建物の中に収まっています。特色があるのが、被災した店舗を改造して作られた「cadocco」という子どものための集会施設があること。角にある被災店舗を改造したから「カドッコ」ね。(^^)V



ここには絵本などが備え付けられて、子どもたちの遊び場になっています。そうして、昨年末から2度に渡って ぬえたちプロジェクトが気仙沼「うを座」の子どもたちに能楽ワークショップを行わせて頂いたのが、この「cadocco」だったのでした。

会場では控室としてプレハブ商店街の2階の空き店舗を紹介頂きましたが、そこに向かう途中に、いつもこちらでお世話になっている商店街の世話人さんにバッタリ行き会いました。「控室はほかの出演者も一緒でごったがえしているから、よければこちらを能楽の控室に使ってかまわないですよ」と、この「cadocco」を使わせて頂けることになりました。ああ、これはありがたいですね~。「cadocco」は1階なので、これで装束を着けたまま階段を上り下りする苦労がなくなりました!

で、こちらが商店街に貼り出されていたこの日のイベントです。
「豪華アーティストによる特別ライブ」。。これは11日、昨日だな。
「特設ステージ」。。これも11日か。
12日のイベントは。。?
ええっ「ガールズ・ステージ」?



よ~く目を凝らして見てみると。。



ををっ、ありました。「能楽」。ここですね。ぬえの出番は。(^◇^;)

いや、笑い話にしてしまいましたが、これは大変な失礼でして。じつはこれは紫市場のみなさんのお心尽くしなのです。

前述のように気仙沼最大のお祭り「みなとまつり」開催中の訪問とあって、ぬえたちプロジェクトの能楽の上演の受け入れ先がなかなか見つからずに困難を感じていたところに、気仙沼商工会議所さまより「ここではステージ・イベントも考えているらしいですよ」と紫市場さんをご紹介頂いたのです。

紫市場さんでは「cadocco」で活動した実績が ぬえたちにはすでにあり、お互いにすでに知己の間柄でした。いや、今回も紫市場さんに先に聞いていれば すぐに能楽の上演も受け入れてくださったのでしょうが、まさかここに仮設ステージを作っているとは思いもよらず。。商工会さんのご紹介を頂いて紫市場さんに連絡を取ってみると、ああ、あなた方ですか~、ってなものですぐに上演を受け入れて頂けました。

この時の電話でのやりとりでは、「能の上演は構いませんが。。この日は歌ばっかりの催しなんですよ」とのこと。ああ、それは別に構いませんし、歌ばかりならば なおさら演劇のような能も目先が変わってよろしいんじゃないですか? と答えて、無事に受け入れをして頂けることになりました。

ところが、その後の電話での交渉では、不思議にどんどん ぬえたちの能楽の開演時刻が遅くなっていきました。「??」 …ぬえとしては石巻市から移動してその日のうちの上演ですし、なんと言ってもこの日東京から出発して活動に参加してくれる もう一人の能楽師。。太鼓のOさんが気仙沼に到着しないことには上演が始められないので、少しでも開演は遅いほうがありがたいのでしたが。

この貼り紙を見て納得。なるほど、この日に計画されていた「歌ばっかりの催し」っていうのはガールズ・イベント、という事だったのね。これではちょいと能は浮いてしまうかな~

しかしイベントとして先に組まれたのは彼女たちの方で、能があとからねじ込んだような形なのです。しかし ぬえたちの活動を知っている紫市場の世話人さんは すぐに受け入れてくださいました。それで、やはりあまりにも違う雰囲気の能の登場にはお困りになったと思うんですよね~。結果的に能楽の上演はこの日のイベントの大トリにさせて頂いたようで、それで上演時間が遅くなったのでしょう。どうもお気遣い頂いたようで申し訳ありませんでした~

そうこうして準備を始めているところに太鼓のOさんも到着。なんでもお盆が近い時期の日曜ということで東北道は大渋滞で、福島県あたりから高速道を下りて一般道で気仙沼までたどり着いたらしい。東京近郊から一路気仙沼を目指して出発、ところが高速道が大渋滞、しかもこの日に公演の開演時間が迫っている。。Oさんも焦ったと思いますが、無事に能『菊慈童』を上演致しました。ワキ・笛・太鼓が揃った、プロジェクトの活動では稀に見る。。はじめてかな? こんなに多くのお役が揃って豪華な布陣での上演となりました。









いや、これが意外にも(?)良かったのです。ガールズステージに出演していた女の子たちも割ときちんと見てくれていました。いや、ホントに真剣に見てくれている子がいて、終演後 ぬえはその女の子にお礼を言ってしまったほど。なんか、気仙沼って文化意識が高いのかな。この後その思いはもっと強くなるのでした。

伊豆の国市「子ども創作能」守山八幡宮祭典公演

2012-10-08 22:38:07 | 能楽
週末、鎌倉薪能に出勤してから伊豆に向かい、子ども創作能の守山八幡宮公演に出演して参りました~

鎌倉薪能の会場は、この4月に伊豆の子どもたちがお邪魔して上演してきたばかりの鎌倉宮! 金春流が中心となって催されているのですが、今回は2日間の薪能の初日に ぬえの師匠がシテを勤め、ぬえは地謡でお手伝いさせて頂きました。鎌倉宮や薪能の関係者の方々とはすでに ぬえは4月にいろいろお世話になりましたが、またまた親切にして頂き、ありがたい限りです。天候にも恵まれ、気持ちのよい舞台でした。

終演後に ぬえは伊豆に向かいましたが、意外に遠いのですね~。1時間半も掛かって宿に到着。翌日は朝から夕方いっぱいまで、翌日に迫った子ども能の稽古のラストスパートでした。この6月に突然参加者が倍増した伊豆の国市・子ども創作能ですが、8月の2回の公演では新人さんたちはさすがにまだ立ち方はできないので地謡を勤めてもらいましたが、その結果、立ち方6名に対して地謡はなんと18名! 3列に並ばないと舞台には座れず、座ったところで今度は舞台が狭いこと!

それから猛特訓が始まり、新人さんたちのうち今回は6名が立ち方デビューを致しました! これで立ち方12名、地謡10名。今回お休みの子もいるから、これでも総勢ではありません。…つい先日まで「このまま人数が減り続けたら。。どうなっちゃうんだろう(・_・、)」なんて思っていたのに、今は稽古が追いつかなくてひ~ひ~言っております。うれしい悲鳴というヤツですな。

で、昨日の日曜が公演日でした。なぜかこの日だけあいにくの雨模様でしたが、いろいろ手違いもあって上演時間が遅れ、そのために天候が回復しました。なんたる幸運でしょう!

会場の守山八幡宮は、およそ800年前北条時政の居館だったところで、伊豆に流された源頼朝はみずからの氏神と同じ神を祀ったこの神社を深く崇敬し、戦勝祈願をしました。ここで行われる秋の祭典に子ども能は出演させて頂きましたが、今年は大河ドラマの恩恵もあって、頼朝がクローズアップされ、この旗揚げの地でも、また源平合戦に勝利した頼朝が政権を開いた鎌倉市でも、子ども創作能が上演されました。子ども能としては記念碑的な年になりましたね。そうして参加者が倍増。どんどん幸運が子どもたちに降り注いでいるようです。

さてさてこの日の上演曲は仕舞『猩々』を みーちゃん(中2)、舞囃子『小袖曽我』を ひとちゃん(6年)とそのパパで演じてもらいました。どちらも長く子ども能に携わり、また個人的にも ぬえのレッスンを受けている子たちで、やはり出来映えは抜群でした。安心して見ていられますね~





それから眼目の子ども創作能『伊豆の頼朝』。今年は大小合わせて、なんと8回も公演があるのです! そのたびに ぬえはちょっとずつ演出を変えたりしていますが、大筋は同じ。それなのに毎回違った感動があります。なんでだろう? 今回は、3年ほど以前に子ども能に1年間だけ参加して、その後脱退、そうしてまた小学校の最高学年としてカムバックしたゆうちゃん(6年)が頼朝役を見事に演じきったのが ぬえの心に響いたか、なんだか心が動いた出来映えでした。そのうえゆうちゃんはこの守山八幡宮がある「寺家(じけ)」という地域の子なんです。故郷に錦。立派に主役をこなしました。



もう手慣れたものの リサべ~(5年)には兼隆の役をお願いしましたが、この役も何度も勤めているので、今回は長刀を使って戦ってもらいました。いや、以前にも彼女には長刀を使わせたことがあるのですが、さすがに2度目。長刀さばきがとっても上手くなっていて驚きました~



北条政子。。これは中之舞を舞う難しい役どころで、ゆいちゃん(6年)が初役で挑戦しました。稽古では苦しんでいたけれど、本番ではもう余裕が見えましたね。終わってから「間違った」って ぬえに言っていたけれど。。ぬえが気づかないほど些末な間違いだったらしい。



新人さんのユキナ・リカ・マリア・ヨシノ・コウミは源平の郎党の武士の役。これまたあっという間に覚えちゃって、先輩の武士役のサラ・イチイ・タケトと共に軽々と演じていました。これならだんだんと大役を任せることもできそう!





そして地謡。ベテラン? のユカべ~(5年)とその弟のケイゴ(2年)は、見事に10名の地謡のリーダーとして みんなを引っ張っていきます。ぬえはもうこのところ地謡の後ろに座ってミスを拾うこともやめてしまいました。だって間違えないんだもん。ぬえの方が地謡の文句があやしいのはいつもの事でございます。作者なのに。



それなので、今回の ぬえはもっぱら後見として舞台上の物着を手伝うやら、中入の装束の着替えをするやら、リサべ~が捨てた長刀を引くやら、え~雑用係に徹してをりました。ええ、ええ、それで ぬえは本望でございまする。

公演が終わって、寺家区のみなさんからは子どもたちにお餅とジュースが振る舞われました。1時間半におよぶ地元の郷土芸能『三番叟』。。このすさまじい運動量の上演は今回は上演準備のためしっかり拝見することができなかったのが悔やまれます。一方、開演前には急な石段を登って八幡宮の社殿で三番叟の役者さんたちがお祓いを受けるところにも参集しましたが、宮司さんのお計らいで ぬえや。。雨のため数人だけでしたが ぬえにつきあってくれた子どもたちもお祓いを受けることができました。



寺家区のみなさん、また守山八幡宮さま、上演にご協力頂いたお囃子方の先生方、そして子ども能を支えてくださっている「伊豆の国市能友の会」のみなさま。さらに忘れてならない八面六臂の大活躍の保護者のみなさん。。いや、今回は保護者のママさんたちは大変な努力、機転で救われた場面がありましたね。みなさまの熱いお志で子ども能は上演できています。多方面に感謝いっぱいです~~(^^)V

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その17…島田呉服店さん。。救世主です~)

2012-10-06 07:39:18 | 能楽の心と癒しプロジェクト
気仙沼での宿所が決まらず、ゲストの能楽師もいる以上野宿するわけにもいかず、最悪の場合は一関など近隣の町に投宿して、そこから気仙沼まで「通勤」して活動するはめになる事まで覚悟した。。現に14ヶ月前、ぬえが震災後にはじめて気仙沼を訪れた際も、民宿の1軒くらい見つかるだろう、と、災害の規模を軽視していたために、深夜近くに到着したのに宿が見つからず、はるか30km離れた登米市のラブホに1人で泊まった苦い思い出がよみがえりますが。。そんなことを考えていた時、これまた気仙沼の「うを座」の関係者がご自宅を提供してくださる提案をしてくださったのでした。

伺ったところ、たまたま東京の劇団「演劇倶楽部 座」の主宰者である壌晴彦さんが気仙沼で朗読のワークショップを開き、このとき ぬえたちの訪問のことが話題にあがったそうで、そこに参加していた呉服店の方が、それほど困っているならば、店舗部分でよければ宿所として提供しましょう、と言ってくださったのだそうです。ぬえたちプロジェクトの気仙沼での活動は、壌晴彦さんが定期的に気仙沼に通って「うを座」の子どもたちに指導をしていたところから、「うを座」さんのご協力を頂いて昨年末に開始することができましたが、今回も壌さんや「うを座」さんには窮地を救って頂くことになりました。

ぬえたちの宿所となった島田呉服店さんは、南町のすぐとなりの八日町にありました。上演会場までも徒歩で2~3分、と願ってもない好立地! まずはご挨拶に参上しましたが、ご主人は宝生流で謡の稽古をなさっておられるとのことで、そうしてこのお宅のお嬢さん。。今回受け入れのために ぬえと何度か電話でやりとりをした方ですが、お会いしてみて初めて ぬえの記憶がよみがえりました。このお嬢さんは昨年末に ぬえたちが「うを座」の子どもたち対象の能楽ワークショップを開いたときに参加しておられ、熱心に質問をした方でした。

お父さまの影響もあって能楽への関心をお持ちになり、ご自身も文化的な素養を豊かに持っておられるために、年末の能楽ワークショップにも参加されて ぬえたちとも知己になり、また今回の壌さんのワークショップにも参加されて ぬえたちの窮状を知ることになって、そうして宿所の提供を申し出てくださいました。こうして常に文化的なアンテナを張り巡らせている方があったために ぬえたちも窮地を脱することができたので、まことにありがたい事と思っております。

いま東京に帰ってからも、島田呉服店のお嬢さんとは いろいろとお電話でお話をしておりますが、直近の話題ではお父さまの宝生流の謡の先生も東京からの出稽古を復活させることが決まったそうです。ぬえが目指す「文化の復興」。同じ考えで能楽界の中でも着実に歩みを進めておられる方があるのは素晴らしい事と思います。

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その16…みなとまつりに湧く気仙沼に到着!)

2012-10-05 00:52:13 | 能楽の心と癒しプロジェクト
気仙沼はちょうど1年で一番盛り上がる「みなとまつり」の開催中でした。前日には石巻・雄勝町と同じく「Light up NIPPON」のプロジェクトによる花火大会が行われていたとのこと。

能の上演会場は、いつもお世話になっている南町紫商店街です。こちらも仮設商店街です。気仙沼では駅前から市役所までは何の震災被害もないように見えるのですが、東浜街道と呼ばれる目抜き通りが市役所を過ぎて右に。。港の方ヘぐっと切れると。。突然そこは破壊された建物ばかりになってしまいます。このギャップ。。はじめてこの光景を見る人は、ショックを受けてしまいます。ぬえも最初は恐怖さえ感じたのですが。。気仙沼市民もそうであるように、ぬえももう慣れてしまいました…いや、ここで起こった大災害は忘れ得ぬことですが…しかし実際のところ、去年末から年始にかけて、気仙沼はかなりピッチを上げて清掃がなされたように思います。

この被害が甚大だった地域と、それが軽微だった地域との境目というのが、この南町や八日町だったのです。南町。。実際、よくこれほど立派な仮設商店街を作るところまで復興したと思います。ちょっと海の方向に歩き出すと、がっかりするほど建物が破壊されていますものね。。

会場に到着すると、プレハブの仮設商店街の奥に小さなステージが作られてありました。今回の訪問では偶然に石巻・雄勝町でも花火大会にあたっていたのですが、こちら気仙沼でも年に一度の最大のお祭り「みなとまつり」の開催中でした。これはラッキー!





…とはいえ、実はこのお祭りがあったものですから、ぬえたちのプロジェクトの活動の準備段階から困難の連続でした。

2006年に唐桑町が、また2009年に本吉町が、それぞれ旧気仙沼市に合併していまの気仙沼市が誕生したのですが、この「みなとまつり」は今や旧町も含めたすべての気仙沼で盛り上がりを見せて、人々が気仙沼港に集って楽しむイベントなのだそうです。

このため、毎回 ぬえたちが会うのを楽しみにしている児童劇団「うを座」の子どもたちも、お祭りで披露される「はまらいんや踊り」に出場するため不在。本来の目的であった仮設住宅の訪問もこういう時期ではちょっとそぐわないし、現地の方に受け入れのコーディネートをお願いするのも多忙の時期で憚られ。

それでは「みなとまつり」そのものに出演させて頂こうかと考えて、商工会議所をご紹介頂き、連絡を取ってみましたが、震災の被害によって例年とは大幅に会場を変えてイベントが行われるため、十分なスペースが確保できず、ステージイベントはほとんど行われない、とのことでした。そこで親切にも商工会議所さまから南町紫市場さんをご紹介頂いたのでした。

あれあれ、紫市場さんならよく知ってます。まさに灯台もと暗し。商工会さま情報では紫市場さんでは即時にステージを組んでイベントを企画されているようですよ? と。あれあれあれあれ? それで早速 紫市場さんの教えられた番号にお電話してしてみたのですが、電話口に出られた方に「能楽の ぬえです」と名乗ってみると。。いや、本名を名乗ったのですが、するとすぐに「ああ、お久しぶりです」と、話がすぐに繋がりました。そうしてステージイベントへ出演させて頂きたい旨申し上げて、こちらもすぐに快諾を頂きました。遠回りしましたが、やはり身近なところに協力してくださる方があったのですね~~。

しかし、実際にはまだまだ問題は山積していまして、最大の問題は宿泊場所の確保でした。

なんせ年に一度の最大のお祭りの時期で、全国から集まるボランティアやお祭りの協力者、スタッフ、関係者のために集会所や自治会施設などはすべて使用不可とのことでした。もちろん観光客のため旅館やホテルもどこも満室でしたが、もとより ぬえたちのプロジェクトの活動資金に旅館に泊まる余裕はなく。。

結局「うを座」関係者にかなり無理を言って、まさに東奔西走願い、市街から外れた遠方でも構わないので公的な集会施設に泊めて頂ける場所はないか探して頂いたのでした。

ところが ひょんな事から宿泊場所への心配は解決しました。なんと上演会場となった南町紫商店街のすぐそばの、八日町の呉服店さんが、店舗のスペースを宿所に提供してくださったのです。