ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

伊豆の国市・子ども創作能始動!~レイちゃんが入院した話

2010-07-28 10:24:52 | 能楽
中州でしばらく遊んだあと、今度は川を下って最初の乗船地点に戻ります。「帰りはほとんど漕がなくて大丈夫ですよ~」と係の方に言われて、最初こそみんな「涼しいね~」「きれいだね~」とのんびりと川をたゆたっていたのですが。

カヌーの最後尾に座っていた ぬえが川の水をすくって前の方の席の子どもたちにイキナリ引っかけてみたところ船中は大混乱に。「ぐわっ」「ひぃぃぃ」「冷たいっ」「いかに武蔵殿。この御船には怪士が憑きて候」「ああ~船中にてさやうのことは申さぬ事にて候」(一部創作)と、阿鼻叫喚のありさまになりまして、その後はご想像の通り血で血を洗う…いやいや、川の水をすくっては引っかけ合う報復合戦になりました~ (^◇^;)

岸に戻って、カヌーフェスティバルを準備してくださった関係者の方々にちゃあんと みんなで「ありがとうございました~」とご挨拶もさせて。さて急な呼び掛けなのに集まってくれた子どもたちとお母さん方に ぬえから感謝をこめて かき氷をおごってあげまして。いや、楽しかったっす。ぬえも狩野川の水に、そうだなあ…数年前に一度「触ってみた」ことはあったけれど、その水の上に浮かんでみたのは初めてでした。のどかな流れの川だけれど、かつては洪水で大被害を起こしたり、その昔は頼朝や北条ののどを潤したり、といろんな顔を持った川なのですよね。ここは。

この日は、その前日に子ども能の稽古をして、翌日にカヌーフェスティバルにみんなで参加しました。ぬえはカヌーのために1泊したという…(^_^;) ま、こんなものです。稽古も大切だけれど、みんなで遊び、一緒に学び。礼儀は正しく、稽古は楽しく。こうして10年が過ぎてゆきました。次回はみんなで地元の盛大な花火大会を見に行きます!

ところで、この稽古+カヌーの際に、ぬえの愛車「レイちゃん」が退院してきました。

いやじつは、その前の稽古の際に、稽古開始まで時間があった ぬえは、大きな池がある韮山の公園に立ち寄って のんびりしていまして。人が姿を潜めて野鳥を観察する施設があったり、バスフィッシングをする人がいたり。さあて、そろそろ行くかなあ、と思ってレイちゃんを発進させたとたん…やってしまいました。地面に大きな穴が開いていることに気づかずに脱輪してしまいました…

すぐに自動車保険のロードサービスを頼んだのですが、なんせ稽古の開始時刻に間に合わない。ましてや事故を起こした当事者が現場を立ち去るわけにもいかない… 困ってしまって子どもたちの稽古場に連絡を入れたところ、すぐに救援に父兄が駆けつけてくれまして、レッカー車の対応などはすべて代わってあげるから、ぬえにはすぐに稽古場に向かいなさい、との有難いお申し入れ。…と思ったら、どこから聞きつけて来られたのか、市のエライ人まで救援に来てくださいましたよ… あちゃ~、ぬえは愛する伊豆の方々にご迷惑は掛けないことをモットーにしていたのに…大迷惑野郎になってしまいまひた~(×_×;)

レイちゃんはそのまま伊豆で整備工場に入院することになりまして、ぬえは保険の「帰宅サポートサービス」ってやつを使って、新幹線で無事に東京に帰ることができましたとさ。

結局、修理費用もたいした額ではなく、次の稽古の際に退院してきたレイちゃんを引き取ることができました~。ゴメンよ、レイちゃん。

…ん? なんで車が「レイちゃん」って名前なのか? …真っ黒で「霊柩車」みたいだから、ですが。何か?

伊豆の国市・子ども創作能始動!~付・カヌー乗ってきました(その2)

2010-07-27 01:25:52 | 能楽
さて先日は子ども創作能のお役を決めたのですが、まずは台本の内容の説明をし、それぞれの役の特長などを話し、見どころの型があればそれも説明して、子どもたちに演じたい役割を決めさせます。ここでは最上級生の6年生が主役級の役、5年生がそれに準ずる立ち方の役を演じる、と決めてはいますが、それ以上 ぬえの方から あれこれと誘導したり、指図したりする事は一切せずに、公平に役を決めさせることにしています。あの子が去年よく出来たから主役をやらせようなどということはしませんで、まず役ごとに希望者に挙手させ、希望者がかぶったら、ここは ジャンケンで決めさせています。

以前は「手を挙げられない子もいるのだから、挙手ではなく記名投票にしてほしい」と、そっと実行委員を通じて ぬえに申し入れをしてきたお母さんもありましたが、そんなの、ぬえは当然 却下です! みんなの前で手を挙げてハッキリ自分の意思も述べられない子が、本番の舞台で重要な役を勤められるはずがない。役を決めるのは子どもたちに任せるけれども、いざ役を手にしたからには、それを勤める責任ということを学ばせるのが ぬえの考えでもあります。

とは言え、ジャンケンで決める役は悲喜こもごも~。仲良し同士で「この役を一緒にやろうよ!」と話し合っていた子が、ジャンケンの結果、別れ別れになってしまったり… でも決まってしまえば、いつまでもくよくよしている子はありませんけれどもね~。

そんなこんなで役を決め、稽古スケジュールを確認させ、台本を読み、簡単な動作の作法や、立ち方には基本の型を教えて第1回の稽古は終わりました。そんで、この日の稽古では翌週にある地元のイベント「カヌーフェスティバル」への参加を呼び掛けてみました。

中伊豆には狩野川という大きな川が貫いているのですが、この川でカヌーに乗ってみる、というイベントが、ちょうど行われていたのです。こういうイベント、大概地元の人はほとんど知らないものですよねえ。ましてや自分たちが住む街の中を流れる川に舟(カヌー)に乗って浮かんでしまおう、なんて企画ですから、これはみなさんちょっと体験したことがないでしょう。しかも今回のイベントでは、通常1~2名乗りのカヌーとは別に、巨大な10人乗りカヌーというものがあって、1人1回200円でこれに乗せてもらえる、というのです。これは子どもたちと一緒に参加するしかないでしょう。

まあ…初顔合わせのときに呼び掛けて、その1週間後に行われるイベントに出かけよう! というのですから、ほとんど誰も手を挙げないかなあ、と諦めてはいたのですが、なんと「行く! 行く~!」と子どもたちも次々に参加表明をしてくれまして、保護者も入れて総勢13名という大所帯が集まることになりました。

ライフジャケットを着、実行委員の方に誘導されてカヌーに乗り込み、岸から離れると、みんなでオールを漕いで進みます。流れに逆らって上流に向かって進むのですが、意外にスムーズに進みます。しばらくして川の中州で休憩し、この猛暑ですからみんな膝まで川につかって遊びます。見ればなにかの魚の稚魚がたくさん岸辺近くに群れています。これを見た子どもたちがまた大騒ぎ。

ところが、水の中をじ~っと見つめていたアリサ(6年)がいきなり両手でガバッと水をすくったかと思うと…「捕れたよ~」 …(゜_゜;) あなた、素手で魚を捕まえられるのですか…

スゴ過ぎるぞ! 伊豆の子どもたち。

伊豆の国市・子ども創作能始動!~付・カヌー乗ってきました(その1)

2010-07-26 01:23:03 | 能楽
先日からようやく始まった 子ども創作能のお稽古。伊豆は熱かった。

まあ、いろ~んな事がありまして、今年は 神社の秋祭りで上演することになりました伊豆の国市の 子ども創作能ですが、ぬえとしては 子どもたちの指導のために10年間伊豆に通っています。その間には、これまたいろ~んな事がありました。子どもたちと一緒に汗をかき、泣き、笑い。本当に涙を流して、自分の指導力のなさをお母さんに手を付いて謝ったこともあります。「私、将来は能楽師になりたい」って言ってもらって本当にうれしかったこともある。半年の稽古を積んで、さて公演が終わったその夜、もう稽古がなくなって、お友だちとも会えなくて、フトンの中でしくしく泣いていた男の子の話をそっとお母さんが話してくれたこともある。あの子たちのお陰で ぬえは成長することが出来ました。

そんな子ども創作能も何度も存亡の危機に直面しました。ぬえはイヤな事も見てきたし、悪意も感じたこともありました。でもここで培ってきたものは ぬえにとって本当に大切なものだし、子どもたちも同じ思いだと確信できます。今回もいろんな事があって、いわば「村祭り」のような場所で演じる事になりましたが、ぬえはそれで良かったと思っています。地元に密着して、市民に愛して頂き、身近に感じて頂いてこそ本当に意味のある催しかも知れません。ぬえはこうして今回も存続することができた子ども創作能を、どんなことがあっても守り抜いていくでしょう。

さて先日、今年の公演に応募してくれた子どもたちとはじめて会いました。応募は20名を数え、あらあら、例年に比べて大幅にスケジュールが遅れているのに、予想を大幅に超えた人数にびっくりです。しかも、去年の参加者が今年も挑戦してくれるのは予想通りでしたが、新人さんも数名もいて、これはちょっと予想外のうれしい誤算でした。新しく書き直した台本をもとにさっそく配役を決め、そうして次の稽古日には実際に声を出し、演技指導も始まりました。

今年の子ども創作能は、演目こそ去年と同じですが、台本は大幅に書き換えました。もう10年続いている子ども創作能ですが、読んで字の如く、子どもたちによる新作の能です。地元に伝わる民話を題材に能の形式で新作の台本を作って、地元の小学生がそれを演じるのです。高学年の子が立ち方を勤め、低学年の子は地謡を勤めます。もう10年のうちに、作品は3作を数えるようになりました。地元に伝わる、勇者が大蛇を退治した民話を舞台にしたりもしたのですが、今回の3作目の作品『伊豆の頼朝』は、平治の乱のあと伊豆・蛭が小島に流罪になった頼朝が、平家討伐のためにこの地で挙兵した史実に基づいて台本を書き上げました。『吾妻鏡』や『源平盛衰記』を題材にしたのですが、ぬえのことですから、ちょっと凝り過ぎちゃって…去年の初演の際は、我ながら難しいセリフを小学生に課してしまったと思います。今年は大幅に詞章を削って、小学生にも負担のない台本を心がけましたし、型のうえでも史実にあまり忠実でなく、子どもたちが楽しめるような作品になるよう注意して作りました。

子どもたちの装束も、浴衣や着物のうえに役の軽重に応じて最低限度の装束を着るだけ、その装束もほとんどがお母さん方の手作りです。ぬえが金襴の(でも化繊の)生地を調達して、本物の装束をお母さん方にお貸しして、大人用の装束のサイズを落とした小学生用の装束をミシン縫いして頂くのです。…ぬえとしては、新作能を子どもたちに演じてもらうのではなくて、ちょっと悪い言い方かもしれませんが、お遊戯の中に能の形式を取り入れた劇、というスタンスで取り組んでおります。だから本物の能装束を貸して子どもたちに着させることはありません。「能」を演じさせるのであれば ぬえも容赦がなくなっちゃう。お遊戯であれば、その中に日本の伝統の心を織り込むことで、それを子どもたちに理解してもらえるように心を配って、そうして みんなに舞台を楽しんでもらえる事を第一に考えられる…この違い、わかります??

『必死剣 鳥刺し』見に行きました~

2010-07-23 01:01:39 | 能楽
ぬえもちょいとだけ撮影に参加しました映画『必死剣 鳥刺し』、ようやく今日 見に行きました~。
なんだか慌ただしい昨今なのですが、なんとか時間を見つけてようやく見に行った、という感じです。

で、映画館に着いてみると…ちまたは『借り暮らしのアリエッティ』や『3D版 トイ・ストーリー3』でにぎわっていると言うのに、なんでまた よりによってこの家族連れは時代劇見てんのかいな? という好奇の目をよそに、ぬえは期待に胸躍らせながら、上映を待ったのでした。

ををっ、ホントに最初に能のシーンから始まるのねえ! 撮影の日の大変だったことが思い起こされます。ありゃ、しかもこんなに長く映るなんて~。ほうほう。ふむふむ。…あれ? おや、どうして…こりゃ意外に…
…正直に言えば、なんだか ぬえ「だけ」が映っていない感じでしたorz
んん~、残念~。伊豆の子どもたちのお母さん方からはすでに何通かメールを頂いていまして、「先生の声もちゃあんとわかりましたよ~」と言って頂いたりで、ちょっと期待が大きくなり過ぎたか~。

とはいえ、おシテは何度も大写しになっていた割には…アップになったのはおシテの顔ではなく、「野干」の面でした。(;^_^  こういうところが能楽師の宿命ですよねえ… でも、この「野干」は ぬえの師家の名物面で、おそらくこれより良い品の「野干」はないだろう、と ぬえは思っているほどの名品です。ぬえも昨年『殺生石 白頭』を勤めさせて頂きましたが、その際にも使用が許されるという幸運がありました(でも実際にはその写しを使いましたのですが)。この面が、まさか映画のスクリーンに大写しにされる日が来るとは、数百年前のこの面の作者は考えもしなかったでしょうね。

→ 師家所蔵「野干」の写し(ぬえ所蔵品)

さて映画そのものですが、とてつもなく怖い映画でした。そうして、とっても面白かったです。原作を読んでいませんが、必死剣というのは、自分が死んでからも働く一種のトラップのようなものなのですね。これが働いた時にはビックリしました~(×_×;)

…でも、ぬえは映画の中で、どうもほかのお客さまと違うところを見ちゃったりしていました。主人公と、主君の分家の当主が斬り合いになるシーンで、互いに間合いを測りながらにらみ合うそのとき。大きく映し出された白足袋を見て…

「…足に合ってないなあ」
「汚れてるな…」

ああ~、こんな事を考えるなんて、完全に職業病! (T.T)

…と思ったら、一緒に見ていた チビぬえも、あとで聞いてみたら同じ事を思っていたそうです。

ぬえたちの仕事って…なんだか不幸。(__;)

『自然居士』無事終了しました~

2010-07-19 01:20:26 | 能楽
土曜日に師家の月例会にて無事『自然居士』を勤めさせて頂きました!

ちょいといろいろな事故は起こったのだが、それらを ひらりひらりと かわしながら、 (;^_^A  ぬえてはとても楽しく舞うことができました。

やっぱり面白いですね。『自然居士』。じつは稽古している段階から、すでにこの曲を勤めたことのある先輩からは「稽古していても面白いだろう?」なんて言われていましたが、まさにその通りでした。劇的で、ワキと本当にケンカしながら舞うようなこの曲は、自分のものでありながら、おワキとの協力関係が構築されないと成立しない、という 何というかもどかしさもある曲です。協力して、納得し合って、そうして舞台の上で本当にケンカする。なんだか変な言い方ですが、そういうものだと思います。

じつは ぬえも上演にあたって着座位置、立ち位置に工夫をしていましたので、申合の際にそれをおワキと綿密に打合せしました。ところが ぬえも知らなかったおワキの立場としての主張もあって、ややそこに齟齬も生じてしまったのです。とりあえず ぬえの工夫を優先して頂いて申合を行ってみたのですが、どうもうまくいかない。終わってからおワキもちょっと困った顔をしておられまして、ぬえにも妥協を求めてこられたところもありましたし、調整も致しました。

でも家に帰って録画を見てみると、その調整を行ってみても、やっぱり お互いの演技がぶつかってしまうのですよね。そこで当日までの間に解決策を ぬえなりに考えて、さて楽屋入りしたおワキともう一度綿密に打合せをして、そうして本番の舞台に向かいました。当日になってからの変更をおワキにお願いした形になりましたが、結果は大成功でした。それどころか、演技に支障のなくなったおワキの演技…とくにその謡の迫力に感激してしまいました。またお囃子方にも ぬえの工夫におつきあい頂いた点もありましたが、これも お囃子方の中でその工夫が生きるようにさらに調整頂いたようで、とても面白く拝聴致しました。

能は定められた型があり、それを逸脱するのは本来許されないのですけれども、まあ舞台経験によっては、何というべきかな、曲の持つ「振幅」の範囲内であれば、少々の工夫も許容されることもあります。もちろん師匠や共演者の同意のうえで、ではありますから、それらをもって「振幅」の範囲内と言うべきでありましょう。

ところで、当日使った「喝食」の面は、新進気鋭の能面作家・新井達矢氏の作品でした。春に彼の面を掛けて撮影の被写体になったのですが、その縁から ぬえの方から今回の『自然居士』のために新作をお願いしたものです。新井氏はとっても勉強家ですから、出来上がった面を見て、ぬえはすぐに気に入りました。子どもでもなく、大人過ぎもしない。能楽の名家の蔵品を参考にされたそうですが、演者がこの曲に求めるところを良くつかまえているな~、と感心しました。考えてみれば面を打つときは、それを使った曲までは普通には想定しているわけではないはずで、『自然居士』を前提とした「喝食」の注文なんて、新井氏にとっても珍しい経験だったのではないでしょうか。それでもこの面が出来てくるわけですから、そこには単なる面作家として家の中に閉じこもっているだけでなく、舞台に対する深い理解があるものだと思います。

こういうわけで、今回の『自然居士』は、いろいろな方々の協力によってようやく舞うことができたのだと思います。各位の協力に、この場をお借りして深謝申し上げます。

またご来場頂きましたお客さまには、心より感謝申し上げます。まずは失態がなくてひと安心致しました~、今後ともよろしくご支援、ご教示お願い申し上げます~。m(__)m

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その20)

2010-07-16 22:34:44 | 能楽
鞨鼓が終わると、あとは怒濤のようなキリの場面です。

地謡「もとより鼓はと足拍子波の音と大左右。寄せては岸をと正先にノリ込拍子。どうとは打ち。雨雲迷ふ鳴神のとサシて跡へ廻り撥を両手に持ち橋掛リへ向き。とゞろとゞろと鳴る時はと両撥を打ちながら一之松まで行き正ヘ向き。降り来る雨ははらはらはらとと見廻しながら出下居、撥で欄干を打つ。小笹の竹の。簓をすりとヒラキ撥を重ねて見。池の氷のとうとうとと片撥打ちながら舞台に戻り。鼓を又打ち。簓をなほ擦りと数拍子。狂言ながらも法の道と撥を捨て扇を抜き持ち開き。今は菩提の。岸に寄せくると子方の側へ行き立たせ。船の内より。ていとうとうち連れてと子方の跡より常座へノリ込拍子。共に都に上りけりと正へヒラキ。共に都に上りけりと右ウケ、トメ拍子。

このキリ、切能でもないのに、能の中でもかなり忙しい型の連続ですね。考えようによっては『殺生石』よりも忙しいかも。なんでかなあ、と考えてみたのですが、このへんは生きている人間と、獣性を持った悪鬼といえども超人間的な存在のシテとの性格の違いですね。動作の激しさといったら『殺生石』や『小鍛冶』の後シテの方が勝るかもしれないけれど、こういう役にはどこか「大きさ」のようなものも重要な要素なので、動かないところも大切だったりします。それに比して現実に生きている人間の役は、バイタリティのままに動ける、ということもあるのではないか、と思います。だからこそバタバタとしないように努めなければならないのですけれども。

さて、最後の場面でシテはワキの言葉もなにも関係なく、有無を言わせぬ勢いで子方を救出します。撥を捨て、扇を開き、子方の側に駆け寄るのですが、ここがまあ、忙しいところでして。ただでさえ忙しいのに、ここで もしも子方の足がしびれていて立ち上がれなかった場合の事を考えると…恐ろしいです~(×_×;)

ところで常の型ではシテは このように撥を捨てるだけで、すぐに扇を開いて子方の救出に向かうわけです。その場合物着で着けた烏帽子や鞨鼓はそのまま身につけた姿で終曲に向かうのですが、考えてみれば、烏帽子や鞨鼓、そしてその撥は、すべてワキが貸し与えたものなのですよね。そこで最近では烏帽子を脱ぎ、鞨鼓を外して、ワキの前に置いてから子方の救出に向かう型をすることがあります。これまた、忙しい型に拍車を掛けてしまうわけですが…

烏帽子や鞨鼓をワキの前に置くのは、もちろんそれらを返すからで、もとより少女を返してもらう代わりに小袖を返した居士であってみれば、烏帽子や鞨鼓といったワキの所有物を身につけたままでは庵には帰れず、貸し借りは一切精算したうえで都に帰りたかったのでしょうね。そうしたシテの心情の表現として、最近ではまた烏帽子をワキに投げつけるような思い切った型をする演者もあるようです。

こうして とうとう少女の身柄を取り返したシテは正面にヒラいて、誇らしくトメ拍子を踏んで終曲となります。なんだか世阿弥より以前の時代の、豪快で劇的な、生き生きとした舞台…それを見守り喝采を上げる見物の姿が見えるよう。『自然居士』はシテ方が みんな憧れる能のひとつで、劇的である分、難易度の高い能であるかもしれません。

今回の ぬえの公演も、もう明日に迫ってしまいました。なんだか稽古以外のことでも やたらと喧しい時期だったように思いますが、まずまず稽古はできたと思っています。あとは明日…出来る限りの事はしたいと覚悟しております。

どうぞご来場頂けます方には、よい1日でありますように心から願っております。
よろしくお願い申し上げます~ (^^)V

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その19)

2010-07-15 23:51:16 | 能楽
おワキの流儀によって本文が異なるのは当然ではありますが、通常はその流儀による本文は、シテ方の演技に影響のない範囲内で主張されるのが普通です。たとえばシテとの会話であるならば、おワキの本文がシテ方の台本と異なっている場合、ワキのお流儀の本文で謡っていても、その最後にシテに会話を渡すところでは、その最後の一句だけはシテ方の本文の通り謡ってくださる、ということがあります。そうして下さらないと、会話を渡されたシテ方の役者が絶句してしまうのです。

ですから、公演前の申合でシテを勤めているとき、会話の中でしばしば「??おワキはいったい何を言い出されたんだ?」と思うことがあります。そうして混乱していても、最後は自分が知っている自分の(シテ方の)流儀の言葉で会話を渡されますから、スムーズに自分の会話の部分を謡い出すことができるのです。

そういうわけですから、おワキはシテ方五流のすべてについて、その本文に合うように微調整しながら詞章を替えて謡ってくださっているのです。その勉強量といったら大変なものでしょう。考えてみればシテ方は、おワキがおつきあいして下さるのに おんぶに抱っこで依存していますね。本来ならば各流儀…おワキに限らず囃子方や間狂言でもそれぞれの主張があるのだから、それを持ち寄ったところでお互いが歩み寄って、それぞれを活かすように演出が決まるのが理想ではありましょうが、シテ方・ワキ方・囃子方・狂言方のそれぞれの主張を200曲からあるレパートリーの中に反映させるのはまず無理で、そのために便宜上、シテ方を優先して各お流儀がおつきあいして下さっているのでしょう。

ですから『自然居士』のこの部分で観世流では地謡の受け持ちである「もとより鼓は波の音」という文句を、下懸リ宝生流では前半部分をおワキが謡うのは珍しい例と言えます。なぜここでおワキが謡うのかというと、下懸リ宝生流のおワキではこの鞨鼓を着ける物着でも、おワキはシテに鞨鼓を着けてあげている心で囃子方の前に下居していますので、その着座位置から元の座へ立ち戻るためには、ご自分で謡いながら立ち上がるのが最も自然で都合がよいのです。この部分を誰が謡うかはシテ本人にとっては大きな問題ではありませんが、シテ方である地謡方はおワキの方を尊重して、それにおつきあいして、この句の前半部分をおワキに譲るような格好になります。

さてシテはこれにて鞨鼓を舞います。鞨鼓という舞は、前に着けた鞨鼓を両手の撥で打ちながら舞うもので、『自然居士』のほかにも『東岸居士』『放下僧』などにある舞です。『望月』では子方が鞨鼓を舞います。

掛かり・初段・二段・三段と四つの小段に分けられる鞨鼓ですが、そのうち掛かりは中之舞の譜が吹かれ、初段・二段・三段が鞨鼓の独特の譜が吹かれます。さらに三段目には「直り」と言って、再び中之舞の譜(ただしかなり急調)になります。

そのうえ、『自然居士』ではそのうち「掛かり」の段を省略する決マリになっています。理由の一つは、すでにこの曲では中之舞がシテによって舞われていますので、重複を避ける、という意味もあると思いますが、前述の通り、この曲の舞はすべてシテは嫌々舞っている、という心ですので、少しく省略されることがシテの心情に合っている、という事もあろうかと思います。

ところで鞨鼓について、意外に知られていないのは、子方が舞う鞨鼓と大人(シテ)が舞う鞨鼓とでは微妙に型が違っていることです。

それは本当に微細な相違なのですが、三段目の冒頭に舞手は鞨鼓を打ち、足拍子を踏み、また鞨鼓を打ち、足拍子を踏み、と繰り返しが、ほんの短時間ですがあるのですが、このときその順番に違いがあるのです。いわく、

シテ 鞨鼓→足拍子→鞨鼓→足拍子 の順
子方 足拍子→鞨鼓→足拍子    の順 になります。

鞨鼓を舞う曲が少ないので、いざ稽古するときには あれ、どっちからだっけな?? と思うこともありますが、そんな時には能楽師は各自いろいろ語呂合わせなどを用いて、自分なりに解決できるようにしておきます。

ぬえの場合は「子どもは足が速い。大人は手が早い」と覚えるようにしています。

子どもは駆けっこが速い→子方が舞う鞨鼓は足拍子を先に踏む
大人は(女性に)すぐに手を出す→シテが鞨鼓を舞うときは両手の撥で鞨鼓を打つのが先になる

…というわけです。ちと不謹慎な覚え方ですが…(こういう、混乱しやすいところをどうやって語呂合わせで覚えているのかを能楽師同士で話すと、たいがい大爆笑になります。みんな、ヘンな言葉で覚えているのねえ)

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その18)

2010-07-14 23:53:49 | 能楽
後見座にクツロいだシテは、ここで2度目の物着となります。先にも記した通り、2度目の物着は非常に手順が多くやっかいで、数珠を捨て、掛絡を取り、扇を前へ挿し、水衣の両肩を上げ、鞨鼓を前へ着け、撥二本を一緒に右手に持つ…というところまでを致します。このうえに、これまた前述の通り本来はここで掛絡を取り去ったのですが、すでに烏帽子を着けているため、首に掛けた掛絡を取り去るためには、頭のはるか上にある烏帽子の頂きを通して外さなければならず、またこの2度目の物着の手順が多いため、掛絡は1度目の物着で取り去ってしまうことが多いようですね。

あ、そういえば1回目の物着の説明で書き忘れたのですが、『自然居士』『東岸居士』『花月』の3番では烏帽子を前後逆に着ることになっています。通常は額の上から前に折れ曲がっているように着ける「前折烏帽子」を、前後を逆に、背面の方に曲がっているように着けるもので、これを「後折烏帽子」と称していますが、そういう名称の特別な烏帽子があるのではなくて、前折烏帽子を前後わざと逆に着けるのです。

烏帽子を着けることそのものは当時 身分にかかわらず俗体の男性の常識だったようですが、この3番の能の主人公…喝食の面を掛ける半僧半俗の立場の者の場合は微妙ですね。また一方 白拍子など女性の芸人も烏帽子を着けました。男装、という意味もあるのだと思いますが、ここから転じたのか、芸能の披露には烏帽子は欠かせないものだ、という意識が当時広く流布していたようで、能の中にも色濃く反映されています。そういった芸能の中でも「遊狂」というべきもの…滑稽な芸で人に面白おかしく感じさせる芸能を司る者が、わざと前後を反対に着けた烏帽子をかぶるのでしょう。

『自然居士』でもワキはシテに舞を所望するとすぐに(後折)烏帽子を着るように命じています。つまり居士に対するワキの要求は最初から「遊狂的」な芸だったのであって、それに対してシテが選んだ芸能は「中之舞」と舟の起源を語るクセで…これではまさに唱道の世界です。居士が高座の上で舞ったことがあると仄聞したワキがそのことを言うと、シテもみずから「それは狂言綺語にて候程に。さやうの事も候べし」と答えていますが、ここにワキが期待した「遊狂芸」と、シテが仏法流布の方便として行った「唱道芸」とでもいうものとのギャップが鮮明に現れているのだと思いますね。

あくまで仏道修行のため、仏法流布のために、荘厳な寺社に納まることなく民間に交わった自然居士の姿が、ここに垣間見えてくるようです。半僧半俗の風体で髪も剃らず、聴衆の興味を引きつけるために舞を見せる居士。非常にアクティブな青年求道者がひたむきに努力を傾注しているその姿を、俗人…仏教用語で言えば「悪人」である人商人には「遊狂人」としか見えていなかったのです。

さてこの2度目の物着ですが、1度目の物着と同じくお囃子方の演奏はなく、静寂の中で物着が行われます。それだからこそ後見も手際の良さが求められるところです。そうして下懸リ宝生流のおワキでは、1回目の物着と同じく、囃子方の前に着座してシテの物着を見守るような形になります。これもまた、鞨鼓はワキがシテにつけている、という心なのでしょうね。

さらに下懸リ宝生流の面白いところは、物着が済んで常座に出てきたシテに向かって謡い掛けるところです。

このところ、観世流の本文ではシテが常座に出てきたところを見計らって地謡が「もとより鼓は波の音。と謡って、さてシテは「鞨鼓」を舞うことになるのですが、下懸リ宝生流の場合は

ワキ「もとより鼓は 地謡「波の音。

と1句の前半をワキが謡い、後半だけを地謡が謡うことになります。

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その17)

2010-07-13 03:30:31 | 能楽
この簓の芸のあとでさらにワキが所望するのは「鞨鼓」を打つことです。鞨鼓といえば、能では『望月』の例があるように、お座敷芸として子方が打ち鳴らすほど、簓よりもさらに庶民的で卑近な楽器だったのでしょう(『望月』の本文の説明では鞨鼓ではなく「八ツ撥」を打つのですが)。

すなわちシテが自分で選んで披露した芸である「中之舞」や舟の起源を説き聞かすクセは、ことごとく「知的」な興味を満足させる次元にある芸なのです。これに対してワキが所望した芸は どちらもより直感的に楽しめる楽器であり、それも最初は どちらかといえば品の良い簓を所望し、それに続いては子どもも打ち鳴らすような鞨鼓を打つことを指示したのです。

こう見てくると、ワキがシテに披露を希望した芸とは、より世俗的なものだったことがわかり、それに対してシテが自分から選んだ芸は、宗教者…というよりも説法者として当を得た、知的で高踏的な芸だったことがわかります。これに気づいたのは ぬえが稽古を始めてからなのですが、こう考えると、『自然居士』が「芸尽くしの能」と簡単に紹介されている以上に、これらの芸はシテとワキの性格の違いが明瞭に現れるように慎重に選ばれて台本が書かれていることに気づきます。『自然居士』は観阿弥が得意とした古曲ではありますが、これほど精緻に考え込まれ、練り上げられて作られた曲だということに感服を覚えます。

さて簓を擦って見せた居士はその最後に「簓よりなほ手をも擦るもの。今は助けてたび給へ」とワキに向いて下居して合掌します。もうこれ以上の恥辱は勘弁してくれ、という切望に対して、ワキは

ワキ「とてもの事に鞨鼓を打つて御見せ候へ。

と、むげもなく断り、重ねての芸の披露を所望します。
このところ、観世流の本文ではちょっと違っていて、

ワキ「手を摩るなどと承り候程に参らせ候べし。とてものことに鞨鼓を打つて御見せ候へ

となっています。このあと、最後の芸としてシテは鞨鼓を打つわけですが、そうしてついにシテは舟の中から少女を助け起こして連れ帰り、この能は終曲を迎えます。…となれば、ここは観世流の本文では 簓を擦って見せたところでワキは一応の満足を見せ、シテが少女を連れ帰ることに同意していることになり、鞨鼓は名残の曲として演じられることになります。鞨鼓を打ち終えたシテは、意気揚々と少女を連れ帰ることができたことでしょう。

ところが下懸リ宝生流の前者の文によれば、最後まで人商人は居士が少女を連れ帰ることを承服していないようです。となれば鞨鼓を打った後でシテが少女を連れ帰るのは「ここまで芸を見せたのだから、もういいだろう!」と自分で頃合いを見計らって、人商人から奪い取るようにして少女を連れ帰った、という印象になりますね。

おワキのこうしたちょっとした文句の違いでも、舞台上には大きな意味の違いとなって影響することがあります。この部分で言えば、観世流の本文の方がわかりやすいとは思いますが、また一面、下懸リ宝生流の本文では、最後までどうしても「少女を返す」と言えない人商人の体面と、それを後目にタイミングを計って、この場から少女を担いで(…かどうか知りませんが)、一目散に都へ駆け帰る颯爽とした居士の姿が重なって見えるようです。

ともあれ、ワキに乞われて鞨鼓を打つことになった居士は立ち上がり(このへん、「まだやらせる気か…」と思いながら立ち上がる風情が出せることが肝要かな、と ぬえは考えています)、後見座にクツロいで後見により鞨鼓を腰の前に着けます。

船中に簓はなかったが、鞨鼓はあったのね…

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その16)

2010-07-11 01:52:01 | 能楽
ワキ「我等が舟を龍頭鷁首と御祝ひ祝着申して候。さああらば簓(さゝら)を摺つて御見せ候へ。
シテ「さらば竹を賜はり候へ。
ワキ「船中のことにて候ほどに。竹は持たず候。
シテ「苦しからず候。かの仏の難行苦行し給ひしも。一切の衆生を救けんためぞかし。居士もまたその如く。身を谷下に砕きても。彼の者を救けんためなり。夫れ簓の起りを尋ぬるに。東山に在る御僧の。扇の上に木の葉のかゝりしを
(と扇を開き)。持ちたる数珠にて。さらりさらりと払ひしより(と扇の上を数珠にて二つ払う)。簓といふ事始まりたり。居士もまたその如く。簓の敔(こ)には百八の数珠(と左手の数珠を見)。簓の竹には扇の骨(と扇を逆手に持って要を出し見)。おつ取り合はせこれを擦る(と両手を前にて合わせ)。所は志賀の浦なれば(と扇の要にてサシ廻シ)
地謡「さゝ波や。さゝ波や
(と数拍子)。志賀辛崎の(と両手何度も合わせながら大きく右へ廻り)。松の上葉をさらりさらりと簓のまねを。数珠にて擦れば(と常座にて両手を合わせ)。簓よりなほ(と数拍子)手をも擦るもの。今は助けてたび給へ(と扇持ち直しワキへ向き下居ながら合掌)

能には言葉としてはよく出てくる民俗楽器の「簓」(ささら)ですが、この楽器として思い浮かべられるのは、木片をつなぎ合わせてその両端を両手にて持って弓形に反らせ、しなわせるようにして音を出す楽器でしょう。

画像はこちら

これは「びんざさら」という楽器でして、『自然居士』の本文に言う「扇の上に木の葉のかゝりしを。持ちたる数珠にて。さらりさらりと払ひしより。簓といふ事始まりたり。居士もまたその如く。簓の敔(こ)には百八の数珠。簓の竹には扇の骨。おつ取り合はせこれを擦る」という文句と合わないです。

ここでいう「簓」とは「びんざさら」と区別して「棒ざさら」と呼ばれる楽器で、左手に切れ込みの多く入った木製の棒を持ち、右手に先を割った竹の棒を持って、この二つをこすり合わせて音を鳴らす楽器です。

画像はこちら

こちらのサイトも参考になります

中之舞、舟の起源を仕方話に語るクセ、と比べると、いかにも大衆芸能の感じになってきました!
…いや、よく考えてみると、そういう趣向になっているのかも、と思うようになってきました。

『自然居士』のシテが芸尽くしとして舞う芸のうち、最初に舞われる中之舞は、ほかの能でもシテやツレが舞う一般的な舞です。それどころか、これを舞う曲の中には深刻な恋の苦しみの果ての表現として舞われることもある、言葉を伴わない器楽演奏のみを背景に感情を表現する、いわば止揚を体現する身体表現とも言えるわけで、これはワキにとって「あまりに舞が短かうて見足らず」という以上に、宗教者らしいマジメで退屈な舞だったのではないでしょうか。

次に舞われるクセは、仕方話ということで、中之舞よりはずっと具象的な芸でしょう。しかしそこに引かれるのは舟の起源という、一見 大津の船出の場面に似つかわしいテーマでありながら、漢文の知識を下敷きにした歴史物語という意味で、あくまで堅苦しい芸とも言えると思います。

そして簓。じつはワキはここで初めてシテに対してこの場で披露する芸の内容を指定しています。そうしてワキが指定した芸とは、とっても庶民的な楽器である簓を擦ることであるわけです。

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その15)

2010-07-10 23:55:47 | 能楽
シテ「そもそも舟の起を尋ぬるに。みなかみ黄帝の御宇より事起つて。
地謡「流れ貨狄が謀より出でたり。
シテ「こゝに又蚩尤といへる逆臣あり。
地謡「彼を亡ぼさんとし給ふに。烏江といふ海を隔てゝ。攻むべき様もなかりしに
(とワキへ向き)
地謡「黄帝の臣下に。貨狄と云へる士卒あり。
(と左足拍子)ある時貨狄庭上の。池の面を見渡せば(と右を見渡し)。折節秋の末なるに(と正ヘ出)。寒き嵐に散る柳の一葉水に浮みしに(とサシ込ヒラキ、左足拍子)。又蜘蛛といふ虫(と右跡へ小さく廻り)。これも虚空に落ちけるが(とサシ込ヒラキ)その一葉の上に乗りつゝ(と正先へノリ込右足拍子)。次第々々にさゝがにの(と少し下がり扇にて前の下をサシ)いとはかなくも柳の葉を(と角へ行き右へ小さく廻り正ヘ直し)。吹きくる風に誘はれ。汀に寄りし秋霧の(と中へ廻り正ヘサシ込ヒラキ)。立ちくる蜘蛛の振舞実にもと思ひそめしより。工みて舟を造れり(と左右打込ヒラキ)。黄帝これに召されて(と大きく体を直し)烏江を漕ぎ渡りて(と右へ廻り大小前へ至り)蚩尤を安く亡ぼし(と正ヘ出サシ込ヒラキ)。御代を治め給ふ事(とサシ廻シヒラキ)。一万八千歳とかや(と打込扇を開き)
シテ「然れば舟のせんの字を
(と上扇)
地謡「公にすゝむと書きたり
(と大左右)。さて又天子の御舸を龍舸と名づけ奉り(と正先へ打込)。舟を一葉と云ふ事(とサシ廻シヒラキ)この御宇より始まれり(と常座へ廻り正ヘサシ)。又君の御座舟を(と角にてカザシ扇)。龍頭鷁首と申すもこの御代より起れり(と大小前にて左右、ワキへ向きトメ)

さてここに語られる内容ですが、黄帝(こうてい)が蚩尤(しゆう=謡の発音ではシイウ)と戦いをしたとき、烏江(おうこう)を隔てて攻めあぐねていると、黄帝の臣下の貨狄(かてき)という者が、庭の池の上に柳の葉が落ち、それに蜘蛛が乗っているのを見て舟を考案し、この発明によって黄帝は烏江を渡って蚩尤を滅ぼし、そののち御代を治めること一万八千年に達した、というものです。

舟の起源というからには遙かな太古の話であることは容易に想像がつきますが、しかしこのお話は中国の伝説なのです。黄帝は三皇五帝と呼ばれる伝説上の帝王の一人で、人間というよりはほとんど神話の中の登場人物と呼ぶべき存在です。『史記』などに見える伝記によれば、蚩尤との戦いにおいて、常に南を指し示す「指南車」を用いたり、『自然居士』に見えるように新兵器の舟を使って逆賊を滅ぼしたり、と、新しもの好きな帝だったようですね。実際に舟を発明したという貨狄については、彼が一人で舟を発明したのではなく「共鼓」という臣下と二人で発明した、と描かれているようです。もっとも中国の歴史書等の中で舟の発明者に関する記録はおびただしく、貨狄の話はその一つに過ぎませんようですが…

さらに言えば、ここで黄帝に滅ぼされた蚩尤とは、これまた人間ではなく妖怪の類だそうです。銅の頭に鉄の額、鉄石を食し、人の身体、牛の蹄、四つの目、六つの手を持つ…などという記述もあるようで…これじゃまるで「鵺」ですね~

このクセの動作は基礎的な型の連続で、そのうえ同じ型が何度も出てくるのに対して、印象に残る型が何ひとつなく…正直に言わせて頂ければ、あまり上手な振り付けとは言いにくいです。それまでの、たとえば少女が居士に捧げた布施の小袖を首に巻き、さて人商人に追いつくと、とりあえずそれを返すとしてワキへ向かって投げつける、というかなり思い切った型があるのに対して、このクセは 何というか消極的な感じがしますね。ワキの言うがままに嫌々舞う、という意味を強調しているのかもしれませんが、また一方、ぬえはこの部分だけは能『自然居士』全体の型の作者とは別人の手によって型がつけられたのではないか? という疑問も持っています。…このへんは傍証がないので何とも言えませんが…

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その14)

2010-07-09 23:23:50 | 能楽
右手に扇、左手に数珠を持って舞う…簡単なようですけれども意外に難しいのですよ、これ。と言っても難しいのは、舞の中で扇を左手に持ち替え、また今度は逆手に右手に持つ型があることです。

右手の扇を左手に持ち替えるときには、それと同時に左手の数珠を空いた右手に持ち替え、また反対に左手の扇を逆手になるように右手に持つときは、今度は数珠を再び左手に持ち直すのです。単純なようですが、初めてこの型を稽古をしたときは あれ? あれ? という感じでした。数珠が反対側の手に渡らない… どういうことかと言うと、普通に数珠を持っているとき、というのは、親指以外の四本の指にで数珠を握っています。数珠をそのように握ったまま扇を指先で取ると…親指と人差し指(と中指も)で輪ができてしまって、その輪の中にある数珠を反対側の手に渡すことができなくなってしまうのです。

ですから、扇を左手に取る際は、まず左手で握っている数珠を、四本指で握るのではなく、親指・人差し指の二本、あるいは中指を入れて三本の指を解放して、薬指・小指だけで数珠を握り、さて右手の扇を、解放した三本の指を使って左手に取り、それと同時に左手の薬指・小指だけで握った数珠を右手で受け取るわけです。三本の指を解放するために数珠を持ち直すのは目立つ行動ですから、扇を扱っているとき…お客さまの目が扇に引きつけられている間に、目立たぬように数珠を持ち直す必要もあります。こういうところは演者が目立たぬ苦心をしているところでしょうかね。

…それにしても右手に扇、左手に数珠を持っているというのは不便なものです。舞の中によらず、『自然居士』を稽古していると、片手でいろんな物を一緒に持っている事が多いなあ、と感じました。たとえば最初に子方が持参した諷誦文が書かれた文を読む場面。この文は間狂言から受け取るのですが、そのときは数珠を持ったままの左手で受け取ります。それから扇を持ったままの右手で文を支えて、数珠を持ったままの左手で折ってある文をひと折ずつ拡げてゆき、さて扇を持った右手、数珠を持った左手で開いた文を持って、さてその文面を読むわけです。ワキから烏帽子を受け取るときも、扇や数珠を持ったままの両手で受け取るのです。なんだかいろんな物を一緒に持っている曲ですね~

さて舞台に戻って、中之舞を舞い終えると、観世流ではすぐにクリ・サシ・クセと、舟の起源を語る舞になるのですが、これは少々唐突なように思います。中之舞と、このクリ・サシ・クセは全然別の種類の話題と考えるべきで、しかもシテはワキの計略によって 嫌々ながら芸を披露しなければならない、という立場です。乞われてもいないのに、中之舞に引き続いてさらに自分から進んで舟の起源についての仕方語りをするのは、ちょっと理屈に合わないように思います。

…と思ったら、シテ方の流儀によってはこの中之舞とクリ・サシ・クセとの間に、重ねて舞を所望するワキの言葉が入り、シテもそれに応えて舟の起源を語ることを提案するくだりがあるのです。

ワキ「あまりに舞が短かうて見足らず候は如何に
シテ「さあらば舟の起こりを語って聞かせ申し候べし


この文句があった方が、話の流れがスムーズではありますね。さてこれより舟の起源についての物語が始まります。

シテ「そもそも舟の起を尋ぬるに。みなかみ黄帝の御宇より事起つて。
地謡「流れ貨狄が謀より出でたり。


『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その13)

2010-07-07 01:47:10 | 能楽
下懸リ宝生流のおワキでは、物着が済んで立ち上がったシテに対して、なお皮肉の言葉を投げつけます。

ワキ「居士は舞舞うたることはなき由仰せ候へども。一段と烏帽子が似合ひて候。

これに対してシテはちょっと弱気。本心を言うようでは…

シテ「よくよく物を案ずるに。終にはこの者を賜はらんずれども。たゞ返せば損なり。居士を色々になぶつて恥を与へうと候な。余りにそれはつれなう候。

ワキはその言葉も聞き流して、ついにシテはワキの言うがままに芸を見せることになります。

ワキ「何のつれなう候べき。
シテ「志賀辛崎の一つ松。
地謡「つれなき人の。心かな。


これにてシテは破掛り中之舞を舞います。形付けには中之舞三段としか記載はありませんが、もとより いやいや舞う心ですから、どこまでも略式に舞うのが本義でしょう。ぬえが拝見した『自然居士』でも、ずいぶん舞を略式に演じられた例をいくつも見ました。

ぬえの小鼓の師匠、故・穂高光晴師から頂いた手付けを見ますと、初段ヲロシに不思議な省略の譜が記載されています。これは面白い。じつは今日が師家の稽古能の日で、ぬえも初めてお囃子方とご一緒に『自然居士』を演じてみる機会でした。そこで、お囃子方と相談のうえ、この譜にて演じてみることにしました。…案の定、みなさん首を傾げて、こんなのあるんですか…聞いたことがないな~、というお返事。しかも試みにこの譜でお願いしてみたところ、やはり、というか、もう一つしっくり来ない出来ではありました。まあ、相談して、直ちに試みに演奏して頂くのでは致し方ないところでしょう。

稽古会が終わって、これは無理ですかねえ? とお囃子方に聞いてみたところ、それでも 申合でもう一回やってみましょう、と言って頂けました。またお囃子方からの情報では、かつて『東岸居士』の中之舞で、やはり初段ヲロシを略した経験がある、とのこと。曲こそ違え、『東岸居士』は『自然居士』の姉妹曲とも言える曲ですから、先例はちゃんとある訳です。

そうしたらその夜、今日お相手願った笛方よりお電話を頂き、父君に伺ってみたところ、その、省略された譜は、たしかにお流儀に存在する、とのこと。ああ、これで故実の裏付けも取れました。これから申合を経て この不思議な譜がこなれてくれば、齟齬なく上演することができるでしょう。

ところでこの中之舞ですが、省略があるほかに、かなり変わった舞い方をします。

それは『自然居士』に限ったことではなくて、『東岸居士』や『安宅』にも同じ例があるのですが、つまり、シテは右手の扇のほかに、左手には数珠を持ったまま舞う、ということなのです。

意外に思われるかもしれませんが、『自然居士』や『安宅』のように、両手に物を持っているというのはシテとしてはかなり異例なのです。いえ、『井筒』でも前シテは扇のほかに水桶や木の葉を持って出ますし、『海士』でも鎌と和布を持って出るのですが、登場していくばくもなく どちらかの手に持った小道具を後見に渡すなり捨てるなりして、扇だけを持つようになります。

ところが『自然居士』や『安宅』は、扇と数珠を持って出ますが、どちらも宗教者としては必携の道具。そうした訳で、これらの曲ではほとんど徹頭徹尾、両手に扇と数珠を持ったまま舞うのです。これまた稽古でコツをつかむまでは結構手順がわからず大変でした。

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その12)

2010-07-06 22:32:17 | 能楽
舞を舞うことをシテが承諾したことで、ワキはさらにシテに烏帽子をかぶせるわけですが、このところ下懸リ宝生流のおワキの文句は秀逸です。

ワキ「折節これに田舎土産の烏帽子の候。これを召してひと指し御舞ひ候へ。

田舎への土産にと買い求めた安物の烏帽子、というわけです。宗教者であるシテをいかにもバカにした態度ですね。

ところでこの烏帽子、舞台上ではどこにあったのかというと、じつは地謡がそっと舞台に持って出ていたのです。具体的には、ぬえの師家では副地頭が舞台に持って出ることになっています。事前におワキとは申合や当日の楽屋で打合せをしておいて、決められた場面でおワキがクルリと地謡の方に向き直って座ると、すかさず副地頭が烏帽子を渡すのです。本来は後見の役目でしょうが、地謡から渡した方が目立たない、ということもありますね。

こうして、地謡が小さい小道具をワキに渡す、ということは 割に例がありまして、『船弁慶』でも烏帽子をワキに渡しますし、『隅田川』で鉦鼓を渡す、という例もあります。『船弁慶』『隅田川』ともに、地謡が謡っている最中にワキに渡すのですが、そのために地頭ではなく副地頭が渡す役目になるのだろうと思います。

こう言いながら烏帽子を持ってシテに近づいたワキの手からシテは しぶしぶ、烏帽子を受け取ると、囃子方の方へ斜め後ろに向いて下居。すかさず後見が出て、シテに烏帽子を着けます。このときワキもそばに着座したままでシテを見ていますが、これは本来、ワキがみずからシテに烏帽子を着けてやった、という意味合いになります。この例は『船弁慶』や『望月』などにもあります。

このように舞台上で演者が装束を着替えたり、小道具を身につけたりすることを「物着」(ものぎ)と言います。『羽衣』や『杜若』で物着はおなじみだと思いますが、女性の役のシテが物着をする場合のみ、大小鼓と笛が彩りを添えてくださるのです。ツレの物着や、シテであっても男性の役の物着には囃子方は何も演奏してくださいませんで、その代わりに間狂言が立シャベリをして間をつないでくださる曲…『芦刈』や『望月』などの例もありますが、『自然居士』のように、完全に静寂の中で物着をする曲もあります。囃子の演奏も、また間狂言の立シャベリもないと、自然 お客さまの目は物着の様子に集中しますので、なかなか後見はやりにくいですね。また『自然居士』ではこの静寂の中での物着が二度もあります(!)。

この1回目の物着では烏帽子を着けることが本義で、師家の形付け(振り付けを書いた書物)にも、ここでは烏帽子を着けるのみで、わざわざ「掛絡(から=袈裟のこと)はそのまま」と書いてありますが、実際にはここで掛絡を取り去ってしまう事が多いのです。というのも、二度目の物着は鞨鼓を着けるときで、このときは非常に手順が多いのです。いわく、数珠を捨て、掛絡を取り、扇を前へ挿し、水衣の両肩を上げ、鞨鼓を前へ着け、撥二本を一緒に右手に持つ…ここまでを二度目の物着で致します。ここまで作業が多いとどうしても物着に時間がかかり過ぎてしまうという事情もあり、また、それよりも大きな理由として、烏帽子を着けてしまうと、首に掛けた掛絡を取り去るときに後見の手が烏帽子に触れてしまって烏帽子が曲がる危険性があり、さらに、頭の上にニョッキリと高くそびえる烏帽子の上まで掛絡を上げないと取り去ることができず、その見た目の悪さから、この一度目の物着で、掛絡を取り去ってしまってから烏帽子を着ける方が都合がよい、という意味もあります。

宗教者である居士が数珠を捨て、掛絡を取り去るのはおかしいことなのですが、鞨鼓はおなかの前に着けるため、掛絡が邪魔になるのです。実際問題として舞台上での演技の妨げになるために鞨鼓を着ける際には掛絡を外しますが、その前に烏帽子を着けてしまうと、これまた掛絡を取り外すのが舞台上で難儀になりますので、そういった理由からかなり早い段階で掛絡を取り去ることが多いのだと思います。

もっとも掛絡も数珠も、取り外し、捨ててはしまったけれども、どちらもシテは身につけている心で演技を続けることになります。

必死剣 鳥刺し ついに公開!

2010-07-05 23:52:46 | 能楽
去年の夏に ぬえも1日だけ撮影に参加しました映画『必死剣 鳥刺し』がついに公開されるそうですね。

藤沢周平さんの短編小説の映画化で、山田洋次さんが監督を勤めて2004年に公開された『隠し剣 鬼の爪』の続編に当たる映画です(今回の監督は平山秀幸さん)。

ぬえは映画に出演するのは初めての経験でした。いや、出演といっても能の場面の地謡の役ですんで、映っていないかも~。それでも撮影のためにセットの能舞台が建てられたり、場面の設定の季節は桜が満開の春なのに撮影は夏だったり…なんというか、力ずくでそこにないものをリアルに現出させる、という手法を見て、驚嘆しました。能がお客さまの想像に任せて最小限の演技を目指すのとはあまりに対極的な経験でしたね~。

今日…7月5日に試写会が開かれまして、ぬえもお誘いを受けたのですが、あいにく今日は『自然居士』の稽古を師匠につけて頂き、明日の朝は『自然居士』の稽古能の予定となっています。まさに今の ぬえは『自然居士』に どっぷりとはまった生活をしておりますので、試写会は辞退させて頂きました。

んで、劇場公開は7月10日なのだそうですね…ありゃ、ぬえの誕生日だ。ともかく『自然居士』が終わらない事には何も出来ないですが、そのあとにゆっくりと、ちゃあんと入場券を買って映画館に見に行きたいと思います~。

『必死剣 鳥刺し』公式サイト
予告編(能の場面が一瞬映ります)

ちなみに、この時に演じられた能は『殺生石 白頭』で、シテを舞われたのは師匠家の若先生でした。

じつは撮影よりもずいぶん以前に、監督さんからシテに「恨み」というモチーフの能を舞台で演じてほしい、という相談があって、それで『殺生石』が選ばれたのだそうです。そんで、『殺生石』ならば「白頭」の小書がついている方が断然面白いだろう、ということになって、さて最近誰かやったっけ? ああ、そうだ、ぬえくんがやってるよ。となって、ぬえが録画を監督さんやおシテを勤められる若先生に貸して差し上げることになったのでした。(^◇^;)

だから撮影のときの装束や面は、ぬえが演じたときのそれと ほとんどそのまんまです。(;^_^A 録画と全然違った装束を選ぶと、監督さんの持っていたイメージを壊してしまうでしょうしね。

映画では冒頭のシーンにだけ能は登場するようです。なんだか楽しみ~ (*^。^*)

◆関係記事◆

撮影の報告記事
撮影の報告記事(続)
ぬえの『殺生石 白頭』