ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

湊小学校で活動する人々(承前)

2011-08-28 00:43:21 | 能楽の心と癒しプロジェクト
湊小学校でしばしば見かけた看板やちょっとしたサインボードなどに描かれた ちょっとかわいいイラスト…これ、女の子のボランティアさんが描いているのかと ずっと思いこんでいたのですが、なんと、この自転車屋さんのちゅんさんが描いたものらしい(!) …はああ、才能ですね~



こちらは 先日湊小学校で盛大に行われたという夏祭りの看板。ついません、ちょっと暗くて見づらいですが…

最近では湊小学校を出て仮設住宅に入居された方のために、仮設住宅の看板を描かれたらしい。→こちらは ちゅんさんのブログからご紹介させて頂きました。避難所の生活というものが垣間見れる、という意味でもこのブログは面白いし、なんと言っても 書かれている内容がとても面白い。お勧めブログですんで、ぜひご覧になってください!

そのうえ、湊小学校で自転車修理や看板にイラストを描いているだけじゃなくて、近隣で被災した焼き鳥屋さんの復旧活動を手伝っておられて、折々に立ち寄って津波の被害を受けたお店の清掃をしたりされています。

その支援の方法がまた面白い。なんと自転車の荷台に焼き鳥を作るコンロを取り付けて、移動焼き鳥屋なんてお手伝いまでしたらしい。ん~文武両道、すごいバイタリティです。面白いなあ、若いボランティアさんの熱意や発想。こちらは ちゅんさんを支援する京都のご友人の報告です。

ちゅんさんを支援する人の報告

おっと →ちゅんさんのブログ で ぬえらの能楽ワークショップのことが書かれてありました。

すんまへ~ん、やっぱり異様でした?(・_・、)

こういう、長い期間を避難所で生活しながら支援活動を続ける、という 辛抱強い活動にも頭が下がりますが、いろいろ検索していたら、津波の被害を受けた湊小学校のインフラ(この場合は水道)の整備を、震災直後に解決した業者さんボランティアがありました。

ニッポー設備株式会社 社長ブログ

本当にいろいろな人が、いろいろな形で、いろいろな時期に支援して、湊小学校の避難所の現在があるのだということがよく分かりました。石巻市だけでも震災当初は100カ所以上あった避難所に、多かれ少なかれこういう多方面の支援があった、そうしてそれは石巻市にとどまらず、また宮城県にもとどまらず、東北地方の東半分の全域に及んでいるのだと思うと、被害の大きさも、支援の力も、どちらも気が遠くなるほど膨大なものだと思います。

その避難所も8~9月までにほぼ解消されるとのこと。食料支援がない仮設住宅へは それでもまだまだ支援は必要で、今後のそれは ますます民間の支援団体の活動の重要性が高まることを意味します。地域の産業が壊滅した状態の中で、ましてや高齢者がいかに仮設住宅から自立していくことができるのか…簡単には結論の出ない、先の見えない戦いはずっと続いていくのでありましょう。

明友館の千葉さんから「支援は数年は必要」というお言葉を伺って、ぬえも非力ながら長い支援を続けていければ、と考えております…

とりあえず能楽師のOくんとTさんとは、三たび被災地に行く計画を立てつつあります。避難所が解消された…つまり小学校の体育館のような広い会場がなくなった被災地で能楽師としてどのような活動をしてお力になることができるのか…ちょっとずつ、模索を続けている段階でしかありませんのですが…

湊小学校で活動する人々

2011-08-27 02:03:51 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ぬえたち能楽師有志一行が湊小学校で行った能楽ワークショップの模様が、石巻市の避難者支援市民団体・明友館のサイトで報告して頂きました! →能楽ワークショップ IN 湊小学校

ところで湊小学校でボランティアとして活躍しておられる方々の事は以前にお知らせしましたが、今日はもうちょっと突っ込んで、避難所というところはどのように運営されているのか、どのような人々の力で動いているのかをお知らせしてみたいと思います。

チーム神戸…こちらは ぬえのブログでも何度もご紹介しておりますが、湊小学校避難所の中枢と言っても過言でない大活躍を続けておられる市民団体。その名の通り神戸を中心とした関西からお出でになっておられるのですが、じつは今回の東日本大震災のために混成で結成されたチームのようです。この中心となっているのが「すたあと長田」というボランティア団体で、これまた想像される通り、阪神大震災をきっかけとして結成されたのですね。

すたあと長田サイト
湊小学校チーム神戸ブログ

もちろん石巻市の職員も湊小学校に常駐しておられるようですが、もとより市内100カ所に近い数の避難所の運営は市の職員だけでできるはずもなく、事実上こういった全国から集まった心ある人々によって支えられているのですね。そういえば ぬえも再三お世話になった明友館も、じつは避難所なのです。そうしてそこのリーダーの千葉恵弘さんも被災者であり避難者です。震災当時、津波の襲来から逃げ延びた人々は、市が事前に決めた避難場所に集まり、それがそのまま避難所となって、この半年を生活の場となった場所も多くあって、湊小学校もその一つのようですが、明友館はそれとはちょっと違っていて、避難者がとりあえず身を寄せた場所が、そのまま避難所となったようです。言うなれば「私設」というか「非公認」というか…そういう避難所もあるのですね。

でも、ぬえが見たこの二つの「公・私」の避難所はどちらもバイタリティあふれた、復興…どころか以前よりも熱い町にしてみせる! というような意気込みや熱意をひしひしと感じた場所でありました。それは…なんか、ぬえから見て うらやましいほどの情熱です。とくに湊小学校で活動している人々は、ぬえがはじめてこの避難所を訪れた際には神奈川県やピースボートのボランティアの人々もおられましたから、時期によって多少の入れ替わりはあるとはいえ、常に県外のボランティアで賑わって(?)いました。一度、まがりなりにもそのお手伝いをさせて頂いた ぬえは、その活気に引き寄せられるように、再訪を願ったのでしょうね。

で、湊小学校の面々。前にも書きましたが、6月に湊小学校を訪れた ぬえは、それから1ヶ月半後に再訪して、ほとんど同じメンバーが変わらずここに常駐しているのを見て、本当に驚きました。6月に作業しておられた自衛隊はすでに去り(それによって炊き出しがなくなり、被災者への食事の提供も民間ボランティアによって支えられている現状です)、今回はピースボートの方もお見かけしませんでしたが、それでも6月と同じ場所で、同じように作業している方がある…衝撃的でした。あの若さで…いや、若いからできるのかもしれないけど、文句や不平も言わずに良い雰囲気のまま、ただ当たり前のようにそこで生活をするように、支援活動をしている…

そんなわけで、たった2度しか湊小学校に行っていない ぬえの事を覚えておられるはずもないけれど、ぬえにとっては印象的だったボランティアさんのことを 勝手にご紹介しようと思います。

以前、→こんな記事で、湊小学校で自転車修理をしていた青年のことをご紹介しました。真っ黒に日焼けして、上半身は裸のままで。

この方、ちゅんさんと呼ばれている方で、なんと4月に京都から石巻にボランティアに来られて、以後ずうっと湊小学校におられるらしい。そうして、いまや被災地の重要な「足」となっている自転車のケアをしておられるのですね。

被災地ではいまだに道が悪いために、せっかくの「足」である自転車も しばしばパンクなどのアクシデントが起きるらしく、ちゅんさんはその修理をひたすら行っているのです。

それだけなら、まあ「なるほど、そういうボランティアさんもいるのかあ」で終わるのですが、この方、才能はそれだけじゃないらしい。

能楽ワークショップin湊小学校終了~♪

2011-08-23 00:28:47 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さて ぬえの上演が終わってすぐに、面だけを取って装束のまま、お客さまに『高砂』の「待謡」のレクチャー。これは前回の湊小学校訪問でもやってみたのですが、やはり見て頂くだけじゃなくて声を出して頂くことが重要だと思っていました。

避難所で住民のみなさんは…正直言ってあまりやることがないのですよね…。もちろん被災者であっても体力のある方は自宅の片づけをされたり、またはボランティアに混じって瓦礫の撤去など町の復旧作業をされる方もあるようですが、ここ湊小学校では住民には高齢の方が多く、暑い教室の中でじっとしている方が多いように思いました。ですからボランティアとして体操教室なども定期的に行われているようです。

ぬえは前回の訪問で、住民の方に大声を出すことをお勧めしておきました。大声…これは出していないでしょう。もとより団体生活ですから簡単ではないでしょうが、場所を見つけて大きな声を出して発散することは身体の内側の筋肉を使うから良いんですよ~、とお勧めしました。考えてみれば、ぬえなどは毎日大声を出すお仕事なわけですが、そうでもないと、なかなか普段の生活で大声を出す機会ってないかもしれませんね。魚屋さんは別ですが~(←なぜ限定?)

今回は ぬえはしっかり「待謡」のプリントを作って持参しておりました。これでも ぬえはプリント魔でありまして、謡をお稽古されている生徒さんには どっさりプリントを出します(ときどきヘキエキされてしまいますが…)。ヨワ吟であれば音階図に五線譜…はてはPCで開くと自動演奏するファイルまで作ります。仕舞のお稽古をされている方には自作のDVDまで! …今回もプリントをお渡しして さらっと待謡を謡って頂きました。

…こうして ぬえの出番は終わり、この日のうちに東京に帰るスケジュールでしたから、ワークショップの「締め」は狂言のOくんと囃子方のTさんにお願いして、ぬえは装束の片づけを始めました。チーム神戸のボランティアさんの水島さんが、なんとキンキンに冷えたタオルを持ってきてくださり(どうやって冷やしたの??)、ペットボトルの水を人数分持ってきてくださいました。これはうれしかったです~。もう、いくら水を飲んでも足りない~

で、ワークショップが終了するのを待ったのですが…これがいくら待っても終わらない。(O.O;)

もう「レイちゃん」に荷物を積み込んだ ぬえが体育館に戻ってみると、あれあれまだお話しています。結局予定を1時間オーバーしてようやく終了したようで、つまりそれほど質疑応答が活発だった、ということです。見たところ、参加者のうち10名さまほどが居残ってくださって、 ずっと質問をしたり、二人の能楽師がそれに答えたりしていたようです。すごいなあ。

ようやく終了してお二人が着替えているうちに、ぬえはチーム神戸のみなさん、湊小学校の避難所本部、そして明友館にもご挨拶を済ませて、夜7時半頃に石巻を出発しました。

ああ~まだノドが乾く~、腹へった~、というわけで石巻市内のラーメン屋さんで、ええと、ラーメンで乾杯~。ここはとってもおいしいお店でした~。そうして、あとはひたすら東京への帰り道…交代で運転しながら、OくんとTさんをおうちまでお届けして、ぬえが自宅に帰ったのは翌朝5時でした。

このワークショップ、三人三様の特色が出て面白いものになったと思います。最初こそ、狂言方ひとりでは本狂言もできない、シテ方ひとりでは能もできない、囃子方ひとりでは四拍子が揃ったあのアンサンブルの力強さも聞いて頂けない…結局、三人がそれぞれ「お話」をすることになるのかな? とも思ったのですが…。それでも ぬえは今回は 能を知って頂くためには装束を着る事は必要と思いましたので、ちょっと変則な形で、狂言のOくんに着付けをお願いしたり、囃子方おひとりをお相手に願って舞うようなご迷惑をお掛けしてしまいました。でも、結果として 能をよく知って頂けたと思いますし、ぬえの目標であった「浄化」というようなことも曲がりながらにできたのではないかと思います。

それに、なんと言っても住民の皆様に喜んで頂けたのがよかった。1時間の質疑応答が、それをよく表していたのではないかと思います。ぬえに賛同して献身的にお付き合いしてくださったOくん、Tさんに改めまして御礼申し上げます。そして今思うのは、やっぱり事故がなかったのがなによりでした。OくんもTさんも、身軽に ぬえにお付き合い頂いたのですが、能の家を継ぐ立場の方でもありますんで… ぬえも事故は恐れました。正直言って、万が一のことがあったら、被災地支援どころか反対に能楽界にとって大事件になるかも…。師匠にはもちろん事前にご報告申し上げていたのですが、その折も「まずは無事に帰って来ること」と、厳しく申し遣っておりました。

また、今回の湊小学校訪問を実現させてくださいました金田真須美さんや水島緑さんはじめチーム神戸のみなさん、千葉恵弘さんほか明友館のみなさん、には感謝のしようもありません。そのほか石巻市の復興に携わるすべての方々に ぬえは心から敬意を表させて頂きたいと思います。

能楽ワークショップin湊小学校開始!

2011-08-21 01:13:41 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さて大体 舞台(といっても体育館のフロア)の準備が整ったところで装束の準備。今回のワークショップでは、お客さまは能をご覧になった経験がない方が大半であろうし、もとより能をご覧になろう、という意欲を持って集まってくださった、とは言い難く、むしろそこにあるから見た、という感じになろうとは予めわかっていました。むしろ能が持つ力を知る者として、このパワーをみなさんの心の中に打ち込んで来たい、というのが ぬえをはじめ今回参加してくれた能楽師の願いであったろうと思います。そこで、出演者は少人数であってもできるだけ本式の能に近い形でお見せすることを旨として臨みました。

会場となったのは体育館でしたが、それを決めるのにも現地ボランティア~チーム神戸の水島緑さんと事前に入念に打合せをさせて頂きました。前回 ぬえが飛び入りした「音楽室」であれば、2階と3階に居住している住人さんが参加しやすい…ですが近隣の住民は来にくいでしょう。一方体育館であれば広く近所の方々にも広報できるけれど、湊小学校の高齢の住人さんは行くのが大変…そこで水島さんのアイデアで、夕食の配給時間に体育館で行うことになりました。湊小学校では夕食の配給を体育館で行っていて、近所の住民の方々も同じく配給を受けるために集まるから…この予想は大当たりでした。

というのも ぬえたちが訪問したのがちょうどお盆の最中で、湊小学校の住民の方々もお墓参りなどで一時避難所を離れておられたり、かなり少ない状況でした。正直、湊小学校の中を久しぶりに歩いてみましたが、ほとんど住民の方がおらず、これは…せっかく石巻まで来たのに能楽ワークショップは開店休業か?? とまで危ぶんだほどだったからです。ところが開演時刻になると、いやその前から少しずつお客さまも集まり始め…最終的には2~30名の方が参加してくださいました。

今回の ぬえの上演曲は 能『石橋』より「獅子」舞の部分です。狂言方のOくんに装束を着付けて頂いて、そのアシスタントとしてリーダーの金田真須美さんをはじめとするチーム神戸のボランティアの方々がお手伝いしてくださいました。こうして開演前に装束の大部分を着付けておいたのですが、もうこの時点から湊小学校の住人さんが10名近くお越しになり、自然に着付け実演のデモンストレーションになりました。そのうち親切な住人さんが「暑いでしょ?」なんて言って団扇で ぬえの顔をあおいでくださる…なんだかアットホームで楽しい雰囲気になりました。雑談しながら装束を着付けたのは初めてかも。もちろん東京の楽屋では許されないのですが。夕食の配給に集まった方々は、そのままお帰りになる方もありましたが、足を止めてご覧になってくださる方も多く、ぬえも嬉しく思いました。





さてワークショップでは司会進行担当の狂言方Oくんからスタート。結構マジに能狂言のお勉強のようなお話をしています…と思ったら、いきなりお客さまにレクチャーを始めました。主に呼ばれた太郎冠者が主人のもとに駆けつけながら発する返答の「ハアーーーー」という発声を、お客さまにも真似るよう言っています…ところがこれ、意外に面白いものでした。同じ返答の文句でも、近い場所から主人にこたえる場合と、廊下の遠くから駆けつける場合とではずいぶんと感じが違います。そのうえこの返答の「ハア」は、抽象的な言葉だけに、感嘆詞的に別の場面でも使われることがあるそうで、物を見て「へええ~」と感心するような場面をOくんは実演しましたが、これも「大きい物を見上げるようなときは、また感じが違うんです」と、それら場面によっての発声の違いを演じ分けてみせてあげていました。最後には狂言の真骨頂! 笑う場面です。大声で「ハーッ、ハッハッハ…」。これを参加者にもやってもらうのですが、本当に吹き出してしまう方まであり、みなさん喜んでいらっしゃいました。

これが終わってからいよいよ『石橋』の獅子舞。震災後、いろいろとありましたし、いろんな方法で被災地に支援の手を差し伸べた能楽師は多いと思いますが、曲がりなりにも装束を着て「能」を被災地…わけても避難所で演じたのは ぬえたちが初めてではないかなあ、と妙な感慨を持ちつつ、簡単に曲の説明をして、さてお客さまの前で「子獅子」の面を掛けました。

今回の上演ではTさんと ぬえの二人だけでの上演です。完曲としての『石橋』は大切にされていますし、略式に、能の中の舞の部分だけを抽出した演技とはいえ、この曲を上演するのには賛否もあろうかと思います。しかし ぬえは冒頭に申しましたように、キズを負った街に、その住民のみなさんの心にパワーを打ち込んで来たい、という思いがありました。

さらに言えば、6月に東北地方を訪れたときに…ぬえは、いくつかの土地で感じてしまったのです。人が、街が負傷したそのキズのために生じた隙間に…入り込んで巣くっている魔物の影を。当地に暮らす方々には言えませんでしたが、その体験を伊豆の子ども能のお母さん方に話したところ、そのうちのお一人が ぬえに言いました。「…それ、やはり東北にお見舞いに言った友達が…同じ事を言っていました…」

今回、8月に再びその地を訪れたときに、ぬえはその「影」がだいぶ薄れている事に気がつきました。瓦礫の撤去、泥出し…そういった復興に向けた地道な作業は、こういう人の心のキズのためにふと出来てしまった隙に入り込んだ「モノ」の棲む場所を、一つひとつ潰していく作業なんだな、と思います。能には、もとよりこういう「邪気」を払う要素が多分にありますね。今回『石橋』をテーマに選んだのは、こういう「魔」を払拭したいという気持ちがあって、その意味で能の中にある強さを、これほど圧倒的に全面に押し出し、なおかつ「聖」なるものとのバランスを取り得た曲がほかにないからでもあります。大切な曲である故に「不謹慎」と思われる方も、それでもおられるとは思いますが、ぬえは曲を軽んじたのではもちろんなく。むしろこの曲を作り、また伝えた先人の心を思えば、当地での上演こそふさわしい、と ぬえが浅はかながら考えた、その気持ちを どうか了とせられますよう。

石巻・湊小学校はどうなったか

2011-08-18 21:38:39 | 能楽の心と癒しプロジェクト
湊小学校では、もうだいぶ避難者の方も少なくなっているようでした。聞けば今は100名ぐらいの住民の方(「避難者」と言わない、このボランティアさんの言葉、とても良いと思います)がおられるそうです。

しかし驚いたのは、6月末に ぬえがここを訪れたときと同じ人々が、ボランティアとして留まっておられたことです。今回はワークショップの準備のため写真は撮っていないのですが、ボランティア受付の方々、自転車修理をしている日に焼けた青年…すべて6月に ぬえが会った方々です。その時ボランティアさんと少し話したところでは、それぞれのボランティアさんは大体2週間程度をこの避難所で滞在して支援活動をし、それから他のメンバーと交代する、というようなお話でしたが…つまり、それぞれの都合によって短期間の滞在の人もあれば、ずっと長期に渡って支援活動をされている方もある、ということなのですね。

ちなみに湊小学校で中心的に支援活動をされているのは、チーム神戸というボランティアグループで、阪神淡路大震災をきっかけとして誕生した、主に関西の方々による災害支援団体です。神戸から石巻まで…その距離も ぬえが住む東京から考えても気の遠くなるようなものですが、古里から遠く遠く離れて、長い期間をずっと避難所の支援に当たっておられるとは…頭が下がります。…伺えば、ぬえたちの能楽ワークショップの調整をしてくださった方は4月からずっと湊小学校に滞在しておられるとか…すごいことです。

それにしても…避難所で感じたのは、まずは住民の方が少なくなったことですが、それにも増してハエが少なくなりました。前回の訪問では清掃活動のあとボランティア・イベントとして行われていたミニ・コンサートに飛び込みで参加した ぬえですが、ハエ取りリボンをかき分けかきわけしながら、のように舞いましたのに。少しずつ少しずつ、ここでも復興の兆しを感じた ぬえでした。

…しかし。難しい現実も知ってしまいました。石巻市では8月~9月に避難所を解消すると発表しているそうですが、なんと ぬえが到着したその前日に、「最後の」仮設住宅入居の抽選が行われたのだそうです。これから建設される仮設住宅も含めて抽選はこれが最後。これにはずれると、あとはキャンセル待ちしか入居する方法がない… こちらの避難所でも住民の多くは高齢者でした。若く身体が利く方々はご自宅の修繕をしたり、家族を連れて引っ越して行ったり、と避難所を去って行かれた人々のあとで、弱い立場の方だけが、プライバシーも守れない避難所に残されるわけで…。この方々に希望を持って頂ける施策を、国や地方自治体は行って頂きたいと切に思います。

また仮設住宅に入居できても、食料支援などが一切なくなったり、仮設住宅自体に使用期限があって、それまでに自力で生活を再建することが求められていることなど、問題は山積ですね…。湊小学校でも住民の方だけでなく、近在の住民や仮設住宅などへも広く食事の支援をしておられました。しかしまた一方、今回 ぬえが見てまわったところでは、市街地から遠く隔たった場所に建つ仮設住宅も多く、これは本当に日常必需品はどうやって入手するのだろう? と考えてしまうほど。家財を失い、収入を失った方々に自力で生活再建を要求するのは簡単ではないでしょうし…6月に明友館の千葉恵弘さんが「支援はこれから先もずっと…数年間は必要でしょう」と言われたのが思い出されました。

そして避難所は…ともかく暑かったです。そうして体育館の床は…ドロドロでした。考えてみれば湊小学校の1階は津波被害を受けていたのでした。そのときにかぶった泥は掻き出されたのですが…そうして避難所の食事配給の場所として使われている体育館は土足禁止になっているのですが…それでも床はひどい有様で、到着した ぬえたち一行がまず始めたのが床の拭き掃除だったりします。

狂言方のOくんが床を拭きたくなるのは当然でしょうが、囃子方であるTさんまで拭き掃除に参加してくれたのは感激~。でタイトル画像は小学校の体育館を猛スピードで雑巾掛けするOくんの勇姿。気合い入ってます。

え? ぬえですか? …すみません、この体育館の広さに、それからあまりの暑さに、そして床の汚れに負けて、拭き掃除ではモップを使ってしまいました…(хх,)

石巻・湊小学校を再び訪問

2011-08-17 02:19:25 | 能楽の心と癒しプロジェクト
まずは無事に帰還致しましたことをご報告申し上げます~。ぬえは初日の出発からして伊豆の稽古から帰って数時間後の深夜の出発でしたが、その後も気仙沼、南三陸町(タイトル画像は南三陸町の様子)、女川町とまわって塩竃市の宿に到着するまで一睡もしておらず、この夜はよく眠りましたが、翌日の石巻市・湊小学校の避難所でワークショップを済ませてそのまま東京へ帰り、自宅に到着したのは午前5時。ちょっとハードなスケジュールでしたが、まずは事故やケガが起きずに無事に帰れたことが最大の成果と言うべきでしょう。今回は ぬえ一人ではなく、能楽界の中でも家を継ぐべき人が参加してくださいましたから、事故でも起こしたら大変なことに…。これは暗黙の了解で、お互いに無理をしないように気を付けていましたし、運転は交代できましたが、無理があればその場でそれ以上の進行をうち切って仮眠に入ることに躊躇はありませんでした。

さて塩竃市でホテルにチェックインしてから近所のお店で作戦会議。翌日のワークショップの内容を詰めましたが、これがまた面白かったです。ぬえは面装束を着て能『石橋』の一部を見せることにしていましたが、装束というのはワークショップの際には意外に厄介で、もちろんご覧になって頂く方にはインパクトはあるのですが、そのほかの事が何もできなくなってしまいます。そのうえ準備にも片づけにも相当の時間を必要としてしまいますし、着る前…はともかく、脱いだ後の面装束はほったらかしにする事は許されませんから、その扱いや置き場所にもかなり神経を使い…事実上演じるよりほかの事をするのは不可能になるのです。このことは今回同行してくださった狂言方のO君も同じ事を言っていまして、囃子方のTさんと3人で話し合いの結果、そのO君が司会進行役を務め、シテ方である ぬえは舞を、それからお二人は囃子方、狂言方のそれぞれの立場でお話をしたり実技を見せたり、参加者に体験して頂いたり、と、順番に参加者にアプローチをする、ということに決まりました。

それでホテルに帰って…この日はそのまま バッタリとベッドに倒れ込んで眠りました。ああ、布団って、なんて優しいの~??

さて翌日はチェックアウトぎりぎりの10時までねばって部屋に居座って休養のだめ押しをしてから出発。まずは塩竃神社に参拝して今回の度の成功を祈り、それから石巻に向かう途次に、被災地を見て回ることに。奇跡的に大きな被害を免れた松島は、それでも1ヶ月半前に訪れた際は営業を再開しているお店は半数程度、ということでしたが、今回見た印象ではほとんど 震災以前と変わらないほどに復旧しているように見受けられました。前回食べたスタンド売りの焼き岩牡蠣の味が忘れられず、今回も楽しみにしていたのですが、観光客でいっぱいの松島は駐車場も満杯で、ついに諦めることに。これなら松島の復興も時間の問題でしょう。やはり自然の堤防は偉大だった。

しかし女川や奥松島は…ほとんど見捨てられたかのような有様でした。瓦礫はずいぶん撤去されましたが、それはつまり…更地になっただけのことで…。今回の訪問ではお盆休みということもあるのか、重機が動いている場面には一度も遭遇することがありませんでしたが、それだけに更地になった土地が空虚にしか見えなくて…。今回印象的だったのですが、甚大な被害があった地域では、まず被災者の捜索が行われ、次いで重機が入る道を作り、さて瓦礫を撤去して。ここまで順調に進んでも、さてその後は…? これは難しい問いかもしれません。こうやって更地になった土地をどうやって復興に導いていくのか。今はまだそこまで考える段階ではないかもしれませんが、この土地の再利用は元通りに建物を建てれば進む、というほど単純ではないでしょう。難しい問題はこれから長い年月を費やしてひとつ一つ克服してゆくしかないのかもしれません。

女川の被災状況


この後 ぬえたち一行は明友館の千葉さんにご挨拶に伺いました。今回の訪問では ぬえが前回ちょっぴりだけボランティアに参加させて頂いた湊小学校を再び訪れて、今度は本業の能楽のワークショップを持つという慰問ボランティアが実現したわけですが、そのコーディネートはすべて千葉さんのご尽力によるものです。そこで御礼を申し上げるために明友館に行ってみると…ををっ、ちょうど千葉さんが物資を積んだ軽トラックで出動するところです。急いで車を停めて千葉さんにご挨拶、今回同行してくれた仲間の能楽師を紹介して…ぬえは用意した扇を千葉さんにプレゼントしました。こんな事では恩義に報いることはできませんけれどね…

こうしてようやく楽屋入り。ワークショップの会場である湊小学校に、1ヶ月半ぶりに到着しました。





東北・宮城にやって参りました。

2011-08-14 19:17:50 | 能楽の心と癒しプロジェクト
昨日、伊豆の稽古を終えて帰宅してから、今度は深夜に出発して無事東北に到着しました。

昨日お知らせしたように、今回の訪問は避難所での能楽ワークショップです。ぬえの思いつきに友人の能楽師2名がボランティアとして参加してくださいました。まずは彼らと深夜0時に北千住駅前に集合。そこから東北道をひた走って、一関までたどり着きました。

被災地に ぬえと同じような思い入れを持っている彼ら。やはり支援物資を送ったり募金はしていたそうですが、それ以上のことはできないか、と考えていたとのこと。そこで避難所での能楽ワークショップは明日なのだけれど、やはり被災地の現状をその目で見ておくことは大切と思い、1日早く現地に入りました。

当初は仙台あたりに早朝に到着してそこで仮眠をとって、いくつかの被災地をまわるつもりだったのですが、意外にみんな元気なので、がんばって一関まで…約500kmを交代で運転して…到着した頃にはもう夜は白々と明けていましたので、そのまま高速を降りて走り続けることになりました。

ぬえが前回訪れた気仙沼は、あれから1ヶ月半が経ちましたが、瓦礫もだいぶ撤去されて、ずいぶんきれいになったようでした。トップ画像がそれで、きれいに片づけられた南気仙沼駅の様子です。

また焼け焦げたり陸に打ち上げられた船も、もうほとんどが撤去されたようで、それを運んだのであろう、びっくりするような大きなクレーンをつけた台船が港に泊まっていました。ぬえが前回感じた、なにか、良くないものの影もだいぶ薄れてきたように思います。着実に進む復興…まだまだ道のりは長いと思いますが、一歩一歩進んでいる実感を得ることができました。



それに対して気仙沼線の列車の線路は、ズタズタのままでした。前回 ぬえが見た、道路をまたぐ線路の、そのまた上に乗り上げた家屋の残骸も、まったく同じ状態で残されていました。こういう、生活の場と直結していない場所の復興はまだまだ後回しになっているのですね。ぬえたち一行は気仙沼から南三陸町、女川町と進んでいきましたが、同じように、市街地から離れた集落の瓦礫はそのまま残されている箇所がまだまだ多くあります。一日も早く復興が叶いますように。



ぬえたちは結局昨夜からほとんど眠っていないのですが、とりあえず塩竃市の宿に到着し、これから明日の成功を祈って乾杯し、デモンストレーションの詳細を詰めることにしています。明日天気になれ~(^。^)

石巻の避難所を再訪します

2011-08-13 22:56:20 | 能楽の心と癒しプロジェクト
この6月に東北の被災地を訪問し、避難所で清掃のボランティアをした ぬえですが、今夜から再び現地に行って参ります。

目的地は前回と同じ、石巻市立・湊小学校。津波の被害を受けて校舎では授業はできず、避難所として使われています。ちなみに児童は近隣の中学校を間借りして授業をしているそうですが、聞けば現地では8月いっぱいで避難所は閉鎖する目標なのだそうですが、それまでに仮設住宅を建て、夏休み明けから小学校も本来の機能を回復する、という計画なのでしょうね。そういえば前回 ぬえが訪れた際も、自衛隊がぬかるんだ校庭に砂利を敷いて整備しておられました。

それにしても ぬえがこの避難所を訪れたのは震災から3ヶ月半が経った頃でしたが、市内の現状は惨憺たるものでした。この当時に避難所の校庭がぬかるみのままだったのも、今考えるとそれだけ復興の歩みがなかなか簡単には進まないということの証左だったのですね。

前回の訪問では、どうしてよいやら分からず、居ても立っても…という感じで、ようやくまとまったスケジュールの空きを見つけて、ともかく走り出した、あまりにも無計画な訪問でありました。そういえば出発の日にあわててカーナビ買ったんだっけ。ようやく石巻市で避難者の支援を続ける明友館という団体(と言うべきなのか…正確にはもとは「勤労者余暇活用センター」の名称だったものが、震災後 この建物も避難所となり、ご自身も避難者でありながら交友関係の広さとその人望から人が集まって今では石巻にとどまらず広く避難者支援を続けるリーダー・千葉恵弘さんのもとで活動する団体名となっている、という感じでしょうか)に面会することができ、そのご紹介で湊小学校でのボランティア活動にちょっぴりだけ参加させて頂いたのでした。

そこで ぬえは1日中ひたすら避難所の床を磨いていたのですが、夕方に小栗慎介さんというテノール歌手さんがミニコンサートを開いているのに遭遇、ようやく慰問ボランティアという支援方法があることを知ったのでした。いえ、掃除も瓦礫の撤去も大切ですが、ぬえのような仕事ではこちらの方が正しい支援かなあ、と考えまして、そうして東京に戻ってから、またスケジュールとにらめっこしながら、しかし今回は計画を立てて、慰問支援の実現を模索してゆきました。…それでも結局はまたしても明友館の千葉さんのご配慮を頂いて実現できることになりまして…千葉さんには感謝しきれないです。ぬえも前回の訪問の後も、ちびちびと野菜などを送ってはおりましたが、しかし今回の慰問訪問で、ようやくう少しだけご助力に報いることができるかもしれません。

さて、能楽師の仲間のうち、仲の良い何人かに ぬえの計画をうち明けたのですが、なんと狂言方のO君と囃子方のTさんが ぬえに同行して、一緒にボランティア活動をすることを申し出てくださいました! ををっ、一時は一人でやろうと思っていたのですが、これなら能楽ワークショップとして かなりまとまったものが出来るでしょう。

それでも東北までの道は遠い…前回の訪問では片道4時間以上掛かりました。もう、帰りは高速道路のSAがある度に仮眠を取りながらの帰京になりました。よくまあ、一人で運転したものだ。今回も ぬえの愛車「レイちゃん」が出動するのですが、こうして今回は能楽師3人が乗車して深夜の出発。そうして仙台の付近まで歩を進めてから車中泊、というのが初日の計画です。3人の車中泊…窮屈そうだ~~(хх,)

それでも今回 ぬえに同行してくれる彼らは、ぬえと同様に やはり東北地方での公演や稽古の経験があって、思い入れが強い人々。援助物資の手配などはすでに行っておられるそうで、多少の不都合や無報酬でのボランティア活動も快く引き受けてくださいました。しかし ぬえは彼らに自分の目で被災地を見て欲しいと思います。ぬえ達が避難所で能楽ワークショップを開くのは15日なのですが、その少し前に東北に入り、被災地の現状を見て頂こうと思って、この出発日になったのでした。

能はもとより鎮魂の意味も持ち合わせていますし、邪気を払う強さもあります。しかも今回の訪問は奇しくもお盆ではありませんか。ぬえは面装束を持参して、ちょっと凝ったワークショップにしようと思っております。

成田美名子さんと飲みに行きました~

2011-08-12 00:00:21 | 能楽
ちょっと前になってしまいますが…

劇の役作りのために謡と鼓を期間限定で習得中の劇団…演劇倶楽部「座」の役者さんたちと稽古後に暑気払いを致しまして。その際漫画家の成田美名子さんをお招きしてみたところ、お忙しいのにわざわざお出まし頂きました~

成田さんは ぬえも取材のお手伝いをさせて頂いたことがありまして、その時にお近づきになったのですが、なんと一方、こちらの劇団「座」で ぬえが鼓を教えている方が、やはり成田さんのお知り合いでして。世間は狭いものですね~。そのうえ同じく謡を稽古している劇団員さんの一人が成田さんのファンだというから、ああ話がややこしいじゃありませんか。

この日、成田さんはその劇団での稽古の途中からお出でになりまして、珍しいお菓子を持参されました。謡と鼓、そして仕舞の稽古をひと通りご覧になって、さて劇団オススメの中華料理店で暑気払いとはなりました。このお店がおいしかったのですよ~。劇団ではちょっとした打上げなどでよく利用されるお店だそうですが、う~ん、なるほど、これならそれも頷けます。

そうしてその場で成田さんが取り出したお土産がこちら! コミック『花よりも花の如く』の一筆箋です。なんでも掲載雑誌の付録のようなものなのだそうですが、これが出たとたんに みんなが「おお~~~っっっっ!」となりました。成田さんファンのTくんは この日が成田さんと初対面だったのでずっと落ち着かない様子でしたが、一筆箋を頂いてさっそくサインのおねだり。(^◇^;) 名前もちゃあんと入れて頂いていました。

これを見た ぬえは…別なことを考えていました。

こ…これは… 「商売になる」

ぬえも一筆箋をおねだりすると、ついでにサインも頂戴して。

「お名前も入れますか?」

「…え? えっ! ああ、いや、その、名前はいいです。その方が高く売れ…あ、いやいや、その、なんだ、…な、なんて失礼なことを言うんだTくん! …え? 何も言ってない? ああ、そだね。そうでした。いやその、大切に…そうだ。これだ。大切にします。ありがとうございます。きっとヤフオクで高値で…いや! そうじゃない! なんて事を言うんだTくん! …え? 何も言ってない? …ああ、…あ、そうだよね。そうでした…」

こんなことが数分続いて…ああ、酔った酔った。(хх,)

そゆわけで、成田さんから ありがたくサイン入りの一筆箋を頂きました。

…宛名は入っていません。

あ、いやいや、そゆ意味ぢゃなくて。(*^。^*)

…でも宛名は入っていません。

あ、いやいや、そゆ意味ぢゃなくって。ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ



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伊豆の国市・子ども創作能~みんな、よくやった!(その4)

2011-08-10 01:48:49 | 能楽
控室となったのは地区の集会施設。そこで余裕を持って着替えをして、子どもたち(と、その介添えの保護者)は徒歩で花火大会の会場へ。面白いですね~。普通の街並みを、浴衣や袴や、そうして主役の子は装束を着けて歩いて会場に向かうのですから。徒歩ではわずか2~3分ほどの距離でしょうが、なんだかとっても面白い光景でした。もちろん太刀など、歩いて会場に向かうのには不向きな道具類は ぬえが車で会場に運びました。

会場に着くと、ほかのイベントの時間が押しているかと思いきや、意外や進行はスムーズのようでした。今回のイベントではこれが非常に重要で、花火の打上の前のイベントですから、時間が押してくると打上が遅れる…これは大変~。市民に愛される子ども能でありたいのに、もし花火が遅れることになったら、逆に市民に嫌われちゃいますね。

がしかし、子ども能の出演の前のイベントも早く終わり、主催者としてはオンタイムで次のイベントを始めるおつもりでしたので、なんだか出演前にずいぶん時間の余裕がありましたし、それに従って心の余裕も持てたと思います。主催者からは少し前に ぬえにメールが入りまして、「子ども能を観るために市長さんもすでにステージ前にスタンバイしていますよ~」ですって。よお~し、やるか~

こうして子ども能が開演しました。んん~?なんだなんだ? お稽古よりも数段大きな声でみんな謡えていますよ? 野外ということもあり、今回は子ども能始まって以来のピンマイク着用だったのですが、その数が主役と準主役の二人分しかない、とわかったのが公演の前日。ぬえはそれを公演当日に子どもたちに伝えて、とくに立ち方の役の子はマイクがなくても客席に声が届くようにがんばらなくてはならない、と言いましたが…ん~、これならピンマイクそのものが要らなかったかも。地謡にはスタンドマイクが揃えられましたが、こちらもマイクは要らなかったかもなあ。

そのうえ型は、とっても切れ味が鋭かった。ちょっと子どもとは思えないほど迫力がありましたよ~。今回は主役もそうですが、立衆に当たる武士の役の子の頑張りが印象的でした。スポットライトを浴びる野外のステージで、子どもたちの気合いはキラキラと光り輝いてをりました。

なんと言っても責任感、ですね。役を演じる責任。お客さまの前に立つ責任。これがしっかりと子どもたちの中に芽生えたのが嬉しかったです。

こうして子ども能、今年の第1回目の公演が終わりました。控室に戻った子どもたちに ぬえは「300点」という評価をあげました。それだけの成果はあったと思います。急いで着替えて子どもたちは花火鑑賞へ。ぬえは…装束があれば仕方ないですが、一人で片づけると1時間近く掛かっちゃう。なんとか片づけを終えて、もう一度河川敷に行って…少しだけ花火を観ましたが、子ども能のOBやOGも応援に駆けつけてくれて、しばし同窓会のようにもなりました。

出演を終えた子どもたちを連れて市長さんに挨拶をして、直接お褒めの言葉を頂いたり、子どもたちに夜店のスナックを買ってあげたり。ん~最後まで楽しい思いをしましたが、後ろ髪を引かれながら東京に帰りました。

改めまして、みんな~、良くやったね~

タイトル画像は「静岡新聞」に載った子ども能の様子。いつも報道頂きましてありがとうございます!

伊豆の国市・子ども創作能~みんな、よくやった!(その3)

2011-08-08 02:13:02 | 能楽
子ども能が出演する花火大会3日目の前日。つまり2日目の花火大会に ぬえはやはり主催者のご好意で貴賓席にお招きを受け、市長さまなどとともに楽しく語り合いながら花火の打上を待っていました。

それでも ぬえの関心は、この日も行われていたイベントの上演方法を見るのに釘付け。すると…

観客が多いため、まずは着替え場所となっている地区の集会施設から舞台にたどり着けるか。広い会場なので、できるだけ前の方ヘ出て演技をするように子どもたちには言ってあったのですが、拡声の機材や人混みの状態から見ると、かえって後ろの方で演技する方がよいか。ん~、わからないことだらけです。明日は大丈夫かなあ。

さて子ども能の出演。

前日の昼間に最終の稽古をしましたが、もうこの時は子どもたちの演技はほぼ出来上がっていました。このまた前回の稽古ではまだまだ みんな甘くて…ぬえもちょっと怒鳴ったりしましたが、さすがに本番が近づいてきたからか、この日はなかなか鋭い演技を見せていました。



今回の上演では花火大会の打ち上げ前のイベントのひとつとしての上演で、子ども能にとっても初めての大勢のお客さまの前での上演となります。ところが これほどの晴れ舞台なのに、予算の関係で 囃子方の来演はお願いできず、大小鼓は ぬえが張り盤を打って表現する略式公演です。。仕方ないですね~、これからこういうイベントにたくさん出演して、経済的に応援してくれる企業。。この土地の場合は商店、と言った方が近いと思うけれど、そういった方々が現れるのを待つしかありません。。

ところが能楽師の中にも応援してくれる方はありまして、ぬえ同様ほとんどボランティア状態で出演してくれる方があります。う~んありがたい限り。彼は前日の最終稽古から参加してくれまして、翌日…公演当日の昼間に伊豆の観光地にお連れしました。浄蓮の滝から河津まで…おお、結構遠くまで行ったな~

そうして午後5時。控室となっている集会施設に三々五々、子どもたちが集まってきました。今回は着付けの大部分を父兄にお願いしたこともあって、事前に ぬえが考えておいたタイムスケジュールより かなり余裕がありましたね。主役・準主役の装束の着付けはさすがに ぬえが行いましたが、例年よりもかなり余裕がありました。ん~すべからく こうありたいものです。

そうこうしているうちに、やはりボランティア状態で子ども能の撮影をしてくださっている山口宏子さんも到着されて、ほぼ装束を着け終えた子どもたちと記念撮影~。

これにて準備は万端。いざ出陣! と子どもたちは控室から会場に向かいました。


伊豆の国市・子ども創作能~みんな、よくやった!(その2)

2011-08-07 21:03:25 | 能楽
子ども能を開催している伊豆の国市では夏に3日間の花火大会を行っています。これはかつて大仁町・伊豆長岡町・韮山町という3つあった町が合併した名残といいますか、それぞれの旧町の地元が主催するような形で3つの花火大会が行われています。

もう当地に12年も通っている ぬえではありますが、花火大会にはずっと行ったことがありませんで、数年前に初めてこれを見た時は感激しました。なんせ人があまりいない…(^_^;) 東京じゃ押し合いへし合いしながら小さな花火を見ることが多いですが、ここでは河原に寝そべって、目の前に打ち上げられる花火が見られるのでした。正直、感動~(^^)V

それで、これは一人で見るのはもったいないな、ということで主催者にお願いしましたところ、それ以来毎年 主催者のご好意によって、子ども能の参加者は花火大会の初日を飾る旧大仁町の催し「きにゃんね大仁夏まつり 花火大会」の桟敷席にご招待を頂いております。この桟敷席、正規には○万円もするのですから、ご好意というより、もう太っ腹! ですね。 それで ぬえ家では毎年、この大仁の花火大会の日に合わせて家族で伊豆に海水浴に来て、夜は花火大会。そうしてその翌日に子ども能の稽古をするのが恒例になっています。

今年は花火大会3日目に 子ども能が出演するので、当然 終演後には花火が見られる。それでもせっかくご好意で頂いている初日の桟敷席ですから、無駄にならないよう、初日にもできるだけ参加してね~、と呼び掛けましたが、おお、けっこう多くの子どもたちが集まってくれました。この日は去年みんなで作った子ども能のユニフォーム、通称「子ども能Tシャツ」を着て公演の宣伝も兼ねて、みんなで楽しみました~





ぬえも子どもたちのためにジュースくらいは用意しましたが、今年はジュースで済んでよかったです。いつだったかなあ、大勢の子どもたちが花火大会会場に集まって、さあ、これから花火だね~、と言っているときに 子どもたちの一人が言いました。「先生、お腹すいた」 …え??/(.^.)\

そしたら、あっちからもこっちからも「お腹すいた~」「お腹すいた~」

…ああ、それで子どものことを悪口で「餓鬼」って言うのかあ。(×_×;)

「ええ??だって、晩ご飯食べてから集まって、とお母さんたちに言っておいた…」
「お腹すいた~」「お腹すいた~」(>_<)ヽ
「…晩ご飯食べてこなかった人」
「は~い!」と数人以上。

結局その日は花火大会の最初の30分間は ぬえ、焼きそば買うのに並びました…こういう時に限って屋台のお兄さんが「焼きそば6つ? …おおっと、ちょうど切れたところだ。これから焼くからちょっと待っててね~」「はい~~~」(×_×;) …ん~、この年は焼きそば買うので花火、半分も見なかったなあ…

今年はそういう事もなく、しかも3日間すべての花火大会を初めて見ることができました。2日目には市長さんとも膝を交えて、ビールを酌み交わしながら楽しくお話しさせて頂きました。

こうして3日目にいよいよ子ども能の出演~。

伊豆の国市・子ども創作能~みんな、よくやった!

2011-08-06 02:56:54 | 能楽
えと、更新がままなりませんで申し訳ありません~

突然のご報告ではありますが、静岡県・伊豆の国市で行われている「子ども創作能」の公演が行われました!
もう12年間、当地の子どもたちに指導を続けている ぬえでありますが、薪能公演の中での上演から 入場無料の市内のイベントへの出演へと方向転換をしてからというもの、何だか新しい発見の連続で、そうして市民のみなさまにも身近になり、愛されるイベントとなってきたと思います。

なんといっても予算がない催しなので、ほとんどの公演は ぬえがアシライで囃子を表現する略式公演に留まってはいますが、理解を示してくれてボランティアで出演してくれる能楽師もおられまして(ホント、感謝!(・_・、)、 なんと今年は5回の公演が決まりました! そうしてその第1回がおととい、になりますか、8月4日に行われました。

場所は…おおっと、ホント? って感じですが、花火大会の会場。そのイベントのひとつとしての出演です。これは初めての公演場所で、こういう場所へ出演したことは、ぬえ自身もないなあ。それで事前にわざわざ打ち合わせの会合にも足を運びまして、情報を集めて公演に臨みました。いやもう、わからない事だらけです。

会場は野外…なのは当たり前ですが、舞台面(?)は…コンクリートだそうです(!)会場の広さは…え? 横幅27m?? ああ、照明やPAのやぐらがあって仕切られるから、少し小さくなるんですか。え? それでも12m×10m? ええと…あ、能舞台の4倍の広さっていうことですか…



5回の公演が決まったため、出演者にもできるだけ公平に役を振り分けるように配慮し、毎回シテ…というか主役や準主役の役を交代させます。稽古は大変なんですが、やっぱり公平であることが一番でしょう。このことを実行委員会に告げたところ、「すると…去年のように段々と上手になる、というのは見込めないということですね?」と言われてしまいました。…ん~、ま、ある意味そうでしょう。でも、みんなが頑張って、前回の主役より上手く演じてみせる! という気概があれば、案外相乗効果で良い結果が生まれるかも。

こうして、今年で上演も3年目を迎える子ども創作能『伊豆の頼朝』が上演されることとなりました。昨年たくさんいた出演者も、4月に多くの6年生が中学に進学してしまったため、総勢13名と少々寂しい人数となってしまいましたが、5年生・6年生に強力な新人を迎えることもでき、稽古はまずまず順調でした。さあて今回の主役・源頼朝は4年生のイチイ! 準主役の山木兼隆は ぬえの個人指導の稽古も受けている5年生のヒトミ! そうしてそれらの郎党役にカホ(6年)・ユイ(5年)の新人二人と、もうベテランの域に達した4年生 リサ・ユカの二人。



順調、とは書きましたが、稽古では ぬえの怒号も飛びましたし、稽古中に涙する子も出ましたが…まあ、いくら子どもが相手でも、そういうものです。自分が楽しいだけじゃダメなんで、お客さまの前に立つ、見せるという気持ちと責任感がなければ、舞台に立つ意味がない。無理はしませんが、最低限そこは気づいてもらわないと。



で、速報的に様子をご報告すると、いや~すんごい気迫の舞台でした。あんな大きな声と、あんな鋭い切り組ができるとは。お~い、それが実力なら最初から見せてくれれば ぬえはラクに稽古できたんぢゃ…