ぬえの能楽通信blog

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三位一体の舞…『杜若』(その10)

2024-06-04 00:39:22 | 能楽
一方、動かなければよいという訳でもなくて、それが「杜若」のような例なのです。

本性の化身である前シテであるならばワキに問われるままに昔の物語をするために着座して居グセにすることができますが、後シテや「杜若」のように本性を現わしてワキの前に立った場合、それは僧ワキに懺悔なりの物語をするのであって、そこで改めて着座してじっくり語るのは舞台の進行上は不自然でもあり、また戯曲の後半に至ってまで動作を伴わないのは不利であるなどの理由もあって、いわゆる仕方語りのように動作を交えて物語をすることになろうかと思います。

情緒的な曲でシテの心理や感情などを描く能。。「杜若」のクセではそれらからは少し離れて「伊勢物語」の展開や、そこには菩薩の衆生済度の目的があるのだ、という哲学的な内容なわけですが、こうした能では具体的なシテの動作が伴いにくく、抽象的な型でそれを補うことに傾きます。

それに加えてクセは前述のように曲舞という能とは別の芸能を取り込んだ章段であるためか、独特の「約束事」に則って型が組み立てられているのです。いわく最初は扇を閉じて舞い出し、地謡も前半部では主に低音で謡い、クセの途中では「上羽」と呼ばれる部分があって、ここではシテがうって変わって高音で短く1句か2句を謡い、続く地謡もこれをきっかけに煌びやかな高音を中心にして謡う、その「上羽」の直前にシテは左右打込というこれも定型の型を行って扇を広げそれを前に立て、さて「上羽」を謡いながら上扇という扇を頭上に上げる型をする、さらにはその後には必ず大左右と型を続けて正先まで出ながら打込の型をする。。ここまでシテが行うべき型が決められているとなると、クセは物語のストーリーに即して演じているとは言えない部分もあると思います。

考えてみれば能はそれ自体、いわゆる演劇の一種ではあろうと思いますが、同時にある種の儀式のような一面も持っていると言えると思います。能の終曲部分では必ずシテはシテ柱の前で右ウケして二足詰め、広袖の装束を着ていれば左袖を返して「留め拍子」を踏んで終わるのです(若干の例外はあり)。「羽衣」であれば地謡は「霞に紛れて失せにけり」と、シテ天女が富士山の上空の春霞の向こうに姿を消した、と言っているのにシテはやはり音を立てて拍子を踏んで終曲するのです。能の終わりにはシテは戯曲を離れて儀式として曲を終わらせると考えられるわけで、能の特長と言えると思います。

こうした、演劇と儀式が同時に共存する能の様式のためか、能の動作もあえて抽象的に作られているように思います。ひとつの動作に意味を込めることもできるし抽象的な身体動作にすることもできる、とも言えるし、逆に抽象的な動作にシテの工夫で意味を込める(あるいは込めない)のでもあり、そこがシテの工夫のしどころであり責任でもある、という。。

ですので、お客さまとしても能の演技ひとつひとつに意味を求めるのはあまり意味がないことがあります。シテとしても抽象的に舞うところと具体的な意味を込める動作は明確に意識していて、前者ではできるだけ突出した動作として印象づけないように舞い、後者ではその逆でお客さまに印象的に見えるように気を付けています。自分でここまで書いてきて、やはり能は特殊な芸能だと思います。

然るにこの物語。その品多き事ながら。とりわきこの八橋や。三河の水の底ひなく。契りし人々の数々に。名をかへ品をかへて。人待つ女物病み玉簾の。光も乱れて飛ぶ蛍の。雲の上までいぬべくは。秋風吹くと。仮にあらはれ衆生済度の我ぞとは知るや否や世の人の。

さて本文に戻って、この辺りからクセの後半になります。意味は「伊勢物語」に描かれた挿話は多いけれども八橋の水のように深く果てがなく、業平が契った女性というのも名前も身分も様々である。「人待つ女」(「伊勢物語」十七段もしくは二十三段)、「物病み(の女)」(四十五段)、「玉簾(の女)」(六十四段)などが登場しているが「ゆく蛍 雲の上までいぬべくは 秋風吹くと雁に告げ越せ」(四十五段)の歌のように雲の上からかえって仮の姿として衆生済度を目的としてこの世に現れた私とは世の人は知っているか知らないであろうか。ここでは「光も乱れて飛ぶ蛍」と正先まで出て上を見回し、さらに「雲の上までいぬべくは」と左袖を返して扇を右に広げて空を見上げる「雲ノ扇」という、割と派手な型が連続するところです。

シテ「暗きに行かぬ有明の。
地謡「光普き月やあらぬ。春や昔の春ならぬ我が身ひとつは。もとの身にして。本覚真如の身を分け陰陽の神といはれしも。たゞ業平の事ぞかし。かやうに申す物語疑はせ給ふな旅人遥々来ぬる唐衣。着つゝや舞をかなづらん。


二度目の上羽からクセの終わりまで。意味は「知るや君 我に馴れぬる世の人の 暗きに行かぬ 便りありとは」(注釈書に見える歌)と詠んだように衆生が暗黒世界に迷い行かないように有明の月のように照らすのだ。「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして」(四段)とも詠んだが、かえって私は悟りや真実を体現する菩薩の身の分身として人間の姿となり、男女の仲の神と言われたのもこの業平なのだ。このように申すことをお疑いなさるな旅人よ。そうやって極楽世界から遥々とやって来た身で唐衣を着てこのように舞を奏するのである。という感じ。こうやって読むとクセの前半では「伊勢物語」の「東下り」の行程を並べ、後半部分ではそうした旅や都での女性との恋の物語もすべて菩薩の分身としての業平が衆生を救済するためのことなのだ、と説き聞かせる、とはっきりと書き分けられていますね。

二つ目の上羽のあとは「本覚真如の身を分け」と扇を左手に取って両腕を左右に広げて分身となったことを表し、「かやうに申す物語疑はせ給ふな旅人」とシテ柱からワキに向かってハネ扇、さらに右に小さく廻りながら扇を右手に逆手に持ち替えてワキに念をおすように決める、と意味のある型が続きます。

クセの終わりに太鼓が打ち出して位がぐっと静まり「序之舞」の位に変わってゆきます。

シテ「花前に蝶舞ふ。紛々なる雪。
地謡「柳上に鶯飛ぶ片々たる金。 【序之舞】


「花の前に飛び交う白い小さな蝶の一群が雪のように散り乱れる」「柳の上に飛ぶ鶯が陽を浴びて金色に輝く」。。出典は未調査ですが蝶も鶯も一匹・一羽ではないように思えますね。ぬえはここからシテは業平から杜若に立場が変わったと考えていて、そこにはひと本の杜若だけでなく群生したイメージが微妙に盛り込まれているのかもしれません。なお「鶯」は「蛍」の書き写し間違いの可能性があるんじゃないか、とも思っていますが。。これはあまり自信なし。

「序之舞」は草木の精がシテの場合には太鼓が入るのが原則で、大小序之舞より少々軽やかになります。ほかに「六浦」「藤」などに例がありますが、「芭蕉」は曲柄が渋い能なので太鼓は入らず大小序之舞、「半蔀」はシテが夕顔の花の精のようでもあり夕顔上の霊のようでもあってやはり大小序之舞です。

太鼓序之舞がやや軽やか、といってもやはり7~8分はかかる舞なので、お客さまにはやはり集中し続けるのは難しいかもしれませんね。

今回は初めて能をご覧になるお客さまもいらっしゃいますので簡単に鑑賞のコツをお知らせしますと。。

①序之舞は最初に短い足遣いがあって、舞が始まると全体は四部構成。
②扇を閉じて最初の小段【掛リ】を舞いはじめ、その扇を広げたところで二番目の小段【初段】になる。
③今度は角でその扇を左手に持ったところで三番目の小段【二段】になる。
④【二段】が一番長い小段。正先で扇を右手に逆手に持ったところで最後の小段【三段】になる。
⑤【三段】は短く、最後はシテ柱で扇を広げて前に立てたところでシテが「ワカ」を謡い出して序之舞が終わる。    (続く)

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