ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

子ども創作能~おおひと梅まつりで上演しました!(その5)

2011-02-28 13:29:59 | 能楽
おっと、実際に舞台で活躍した子どもたちの事を書かなければいけませんね~

子ども能ではお役の子は常の能の通り囃子に乗って舞台に登場します。今回の『伊豆の頼朝』でも平家の登場には「次第」、源氏軍の登場には「一声」をお囃子方に演奏して頂くことにしていたのですが、やっぱり幕揚げのキッカケを小学生に教えるのはなかなか難しいです。能楽師のサポートがあれば幕内に控えている誰か能楽師が囃子を聞いていて、キッカケを聞いてお役の子に「お幕だよ」それを聞いた子が「お幕!」…(^_^;) ま、これはこれでいいんですが、今回は能楽師の参加がないうえ ぬえが囃子パートをアシライで補っているため、手が離せない…

稽古では ぬえがアシライを打ちながら、キッカケのところで右手をサッと挙げたりしていましたが、どうもこれも本番の舞台では見栄えがよくないし…そこでお役の子にも少し囃子の感覚をつかんでもらって、自分で幕揚げのキッカケを聞き取れるように稽古してみました。

少し囃子の手配りも簡単にしてはあったこともありますが、意外やすんなりと覚えてくれまして、当日は見事に舞台に登場~! 声もよく出ていたし、なんと言っても立ち回り…というか斬り組の場面の源平の郎党役の子たちが迫力があってよかったです~。殊にカホとありちゃん。…繰り返しになってしまいますがこの二人、11月の上演のときより遙かにカッコよかったです。そして主役の頼朝役のりっちゃんと、平家の山木兼隆役のみーちゃん。物着もすんなりと出来上がり、斬り組の型も決まって、とっても盛り上がった演技となりました。

…ん~、お囃子方をお招きして上演した11月が最高の出来で、今回はまあ、予算もないしアシライでの略式の上演だし、まあリバイバル公演、ぐらいに考えていた ぬえは、稽古もたった2回だけにしたのですが…それなのに11月の出来をはるかに凌駕したのは間違いないです。

大きな声、と言えば地謡がスゴかったです。子ども能の地謡のホープ、サラちゃんもさることながら、その左右で地謡の声量を何倍にも増幅させたのは リサべ~とユカべ~の活躍でした。そのうえ感心したのは地謡の子どもたちが端座していること。今回は8人の地謡の中に幼稚園生が3人も混じっていた(!)のに、飽きることもなく、見事に微動だにせずに正座して自分の役を全うしようと全力を尽くしていました。これまた過去の子ども能でも例がない快挙でありましょう。

どこまで進歩するんだ? 子ども創作能! この奥をもうちょっと覗いてみたい、と考える ぬえなのでありました。

あ、そうそう、この子ども能の上演の翌日…やっぱり地元紙が1面で子ども能の上演を取り上げてくださいました!

ああ、本当にありがたいことですね~。今回は1面トップ記事は前日に降った大雪についての記事だったのですが、それに次ぐ扱いです。そういえば伊豆で雪が降るのは大変珍しいことのようで、ぬえも最近は箱根の山を越えて伊豆に向かうところ、この日ばかりは危険だと思って東名高速を使いました。伊豆の当地のシンボルの城山も葛城山もすっかり雪化粧…こんな様子は ぬえも見たのは初めてです。

ついでに言えば、子ども能の翌日は伊東市の「大室山」で「山焼き」が行われることになっていまして、ぬえもこれを楽しみにしていたのですが…やはり荒天のために延期になってしまいました。来年こそ見に行きたい~。

子ども創作能~おおひと梅まつりで上演しました!(その4)

2011-02-22 02:30:20 | 能楽
あ~なかなかブログの更新ができません~

木曜は師家の月例公演で ぬえは仕舞があったのですが…曲はなんと『実盛 クセ』(×_×;)
こんな大曲の仕舞は初めての経験で、もちろん緊張もしましたが、この公演の当日までの稽古の段階ですでに神経をすり減らしてしまいました。

翌日の金曜日は チビぬえが通う小学校でワークショップを行い、ぬえは装束を着けて『嵐山』のダイジェスト版を演じました。その後子どもたちに能面を見せたり楽器の体験をさせたり…どうしても洋式の生活をしてしまう現代の子どもたちに、これほど深い文化を持つ日本人としての誇りを持ってもらいたい、というのが ぬえの狙いでしたが、楽しみながらもわかってくれたと思います。今回は割とうまく出来たかも~。(^^)V

この日は初めての試みとして伊豆の子ども能のビデオも見せたのですが、これはかなりインパクトがあったようです。まさか自分たちと同じ年頃の子どもたちが囃子方に合わせて謡い、舞うなんて考えもしなかったでしょう。…とはいえ ぬえも、ずう~っと伊豆にお稽古に通っているから、ついついこれが世間一般からして見れば あまりに子どもたちにとって特別な体験であるらしいということを忘れてしまいます。なんせ ぬえは毎日 能に携わっているから、これが当たり前ですもんね。もうちょっと出かける先で伊豆の成果を宣伝してみても良いかもしれませんね~

さてさらに土曜日は自分のお弟子さんのおさらい会で、日曜日は師匠のお宅で月例のおさらい会。う~ん、大変でした。とくに師家の催しでは素謡『遊行柳』の地頭があって…(хх,) 心労の連続の数日間でした~

そんなこんなで伊豆の子ども能から1週間が経ってしまったのに、まだご報告が途中までです~(×_×;)

じつはこの日、雨の中 市長さまや議会の偉い方がお見えになっておられました。市長さまとはこれまでに何度もお目に掛かったこともありますが、まあ…ふた言三言お言葉を頂いた程度でしかありませんでしたが、この日は開演前に親しくお話をさせて頂きました。ようやく ぬえも昨年いろいろご心配をお掛けしたことのお詫びができましたし、思わずも温かいお言葉を頂いてとてもありがたかったです。

そうして子ども能の本番! 今回は予算がなくてお囃子方のご来演を願うことができず、囃子のパートは ぬえが…アシライと申しますが、張り扇という革を張った扇で拍子盤という木のブロックを打つことで代用しました。能楽師の中ではもっぱら稽古のときに用いる方法なのですが…このために困った事も起きました。

すなわち、ぬえは囃子に専念しなければならず、そのために両手も塞がっているので、それ以外の一切の仕事ができないのです。子ども創作能『伊豆の頼朝』ではシテにあたる頼朝も、その相手方の平家の目代・山木兼隆も、どちらも物着があるのに。…で、これは子どもたちのお父さんやお母さんにお任せすることにしました。

物着の後見の担当となったママやパパには事前にそのお稽古をつけて、装束をお貸ししてご自宅で研究して頂いて…いや、これが。とっても上手に後見の役をこなして頂しましたよ~。舞台に端座するママ後見(りんちゃん)の勇姿を見よ!



こちらは まさに物着を手伝っている最中の、中学1年生のライチ。去年の子ども能の兼隆役です。とっても しっかりした子で、彼ならば ぬえも安心して役を任せることができる。



おかげさまで舞台に破綻なく上演を進行させることができました!(^^)V

画像はいずれも道の駅「伊豆のへそ」の駅長さんブログから拝借しました~ m(__)m

子ども創作能~おおひと梅まつりで上演しました!(その3)

2011-02-17 01:28:04 | 能楽
そうして始まりました! 子ども能の申合。ん~、もうな~んにも心配がありません。ゆっくり見てられるし、子どもたちの熱演についつい笑みがこぼれてしまいます~笑っちゃいけないのに~(実際、出演者の子から「なんで先生笑ってたの…?」(・_・、) と不審されてアセりました。いやいやいやいや、ヘタだからせせら笑ったんじゃないよ~、あまりにもみんなが上手いから、ついつい嬉しくなっちゃったんだよ~)

前回の秋公演でお囃子方の来演を願ったため、そこで実行委員会の昨年度の予算は使い果たし、今回の公演は ぬえが囃子どころを拍子盤を打ってアシライ、後見は子どもたちのパパやママに特訓をして勤めて頂きました。その後見も、よく稽古してきましたね~。なんせ『伊豆の頼朝』では子ども能初の「物着」があるんですもの…しかもこの物着、限られた時間内で完了させないと、次の場面ができないという… この日の申合でも、また当日も後見は無事に物着を済ますことができました。やんややんや。

ところが午前中に申合を終え、片づけをしていて気がついた…子どもたちと一緒に神社の拝殿で神様にご挨拶するのを忘れてた…。こういうところ、ぬえは大切にしているのですが、この日は午前中に申合が終わって、あと翌日に備えていろいろと準備が必要だったために、ついつい忘れてしまったのですね~(×_×;)

この日は午前中に申合を設定したために ぬえが東京を出発したのが午前6時。伊豆に到着して、お世話になっている願成就院さまのご住職や観光協会にご挨拶にまわって、それから神社に向かいました。そうして申合を終えたところで、子ども能をご覧になるために わざわざ東京からお出でになった知人のお世話もあって。なんだか忙しい一日でしたね~。

さて日も替わって公演当日。どうも天気予報はかんばしくなかったのですが、案の定の雨…というか一時は雪も降る悪天候でした。「梅まつり」の催しは雨天決行なので、おそるおそる会場の神社に行ってみました。

ああ~やっぱり雪が降ってきた…。しかしすでにお客さまも(少数でしたが)いらっしゃって、楽屋では子ども能の前の出番の雅楽の方々のリハーサルも行われています。この雅楽はかなり聴き応え、見応えがありましたが、なんとその中で子ども能にも出演している3年生のリサべ~が「浦安の舞」を披露するんですって。子ども能の上演は午後1時からの予定でしたが、それを見るために ぬえは午前10時に神社に到着しました。ををっ! リサべ~は白い千早に冠を着け、檜扇を持って優雅に舞っていましたぞっ!



お昼前にだんだんと子どもたちも集まってきたので、楽屋として使わせて頂いた社務所の中の祭壇に向かってみんなでご挨拶をし、さて装束着けを始めました。これがまた大変だった…なんせ着付けをする人員は ぬえ一人。とはいえ着物を着るところまでは、さすが長年やっている子ども能ですから、お母さん方も手慣れたものでした。ぬえは袴や鉢巻、主役の子の装束の着付けに専念して…それでも1時間近くかかったかもしれませんね~。

そうして、準備が整ったところで みんなで記念撮影をしました~

子ども創作能~おおひと梅まつりで上演しました!(その2)

2011-02-16 02:23:15 | 能楽
まあ、子どもたちの指導に当たる ぬえ自身が今回を「卒業公演」程度に思っていた事と、これまでの子ども能が年に1回だけの上演をしてきたところが、今年度はすでに夏と秋に公演を成功させていまして、これだけでも異例なのに好評を受けて今回の冬の公演が急遽決まったこともあり…正直に言って、これほどの公演の多さに、子どもたちのご家庭がついてこれないのでは…という危惧も ぬえにありました。実際にご家庭のスケジュールと合わなくて、秋の公演のあとに脱落してしまった子もありましたし…

それで今回の「梅まつり」の公演に向けては稽古を2回だけに絞って行うことにしたのです。まあ…子どもたちも大体は覚えているだろうと信じて。

…ところが、どうしたことでしょう。稽古を始めてみると、明らかにみんな上達している。本公演と位置づけた秋公演ではお囃子方もご来演願って本式に公演をしましたので、その迫力が子どもたちを奮い立たせたのかなあ。役に対する責任感…ひと言でいえばそういうものが、今までにない程にわき上がったのかも知れません。とくに主役でない立ち方の、源氏と平家の武士の役の中にそういう、舞台の充実に向けての努力が顕著に見られたように思います。もう何回かこの役をやっている カホとありちゃん…舞台で斬り組をする二人は、ちょっと小学生とは思えないほどの迫力があったし、何と言っても呼吸が合っていました。

そのうえ、秋公演と今回の「梅まつり」公演との間に地謡に新入生が入り(なんと幼稚園生)、また前述の通り脱落した子もあったので、その役の補充に地謡から立ち方に抜擢された子もいたのです。これがまた…ぬえが指導する前に、ちゃあんとそれぞれの役の自習稽古は出来上がっていたりしていました。それってアリですか?? だって、みんながやっているのって…能だよ?? そんなに小学生の身近にあるものでもないのに…

それほどに出演者が充実していたので、たった2回の稽古も第1回目は たった1時間で終了してしまいました(!)。ちゃんと ぬえからのアドバイスもあって、その時間です。スゴ過ぎ。2度目の稽古も、装束合わせの時間を入れて2時間ちょっと。

そうこうしているうちに、地元の新聞がまたまた子ども能を記事にしてくださいました。



なんと、またまた1面トップです。しかも公演の成果ではなく予告なのに。いくら地元ローカル紙(失礼…)というひいき目で見たって、これは破格の扱いでしょう。ずっと以前からこの新聞社の記者の方は ぬえも公演の度にインタビューを受けたりして懇意にさせて頂いてはおりますが、今回は前回の秋公演からたった3ヶ月を経ただけなので、こちらからアプローチをしたわけではなかったのに。…先日、長岡で行われた「ぬえ祓いまつり」を見に行った際に、あら。この記者さんとバッタリお会いして、まあ、その時には「2月に子ども能をやるんですよ」「ああ、知っていますよ。当日は見に行きますんで」なんてやりとりぐらいはありましたが。

なんだか子ども能は、心ある市民の方々に愛されているなあ、と感じます。そうして子どもたちも、意識こそしていないでしょうが、ちゃあんとその期待に応えているのをうれしく思いますね。

そうして、公演前日に、会場となる大仁神社の神楽殿に参集して、申合…最終稽古が行われました。前回と同じく、まずは子どもたちが舞台に敬意を表するように、舞台掃除から始まります。…タイトル画像がそれ。2度拭きまでちゃんとやったのに、なんせ16名の出演者です。あっという間に終わりました。

子ども創作能~おおひと梅まつりで上演しました!(その1)

2011-02-13 23:58:48 | 能楽
こちらでは上演のご案内もとうとうし損なってしまいましたが、昨日伊豆で「子ども創作能」の上演が行われました。上演したのは「おおひと梅まつり」という、梅林を持つ神社のでの曲目は新作の創作舞台『伊豆の頼朝』! まずは子どもたちの勇姿をご覧あれ~!



画像は「道の駅・伊豆のへそブログ」より拝借させて頂きました~ m(__)m

『伊豆の頼朝』は ぬえと仲間の能楽師との共同作業で台本を作り上げた新作ですが、これで上演も3年目。そもそも子ども創作能は今年で12年目を迎える、いや~、実際、そんなにやってきたかなあ? と自分でも思いますが、それほど息の長い催しです。この『伊豆の頼朝』の前にも『城山の大蛇』『江間の小四郎』という作品を作って上演してきましたが、いずれも地元の民話や歴史的事件を題材にして作り上げた、能形式の新作の創作舞台で、この『伊豆の頼朝』も、平治の乱のあと伊豆の蛭が小島…それこそ当地なのですが、ここに流刑になった源頼朝が平家討伐のために挙兵した事件を舞台化した作品です。こうした題材の台本を、これまた地元の小学生ばかりで上演する、というのが子ども創作能の特徴なんですね~。

子ども創作能は、かつては薪能の前座のような形で上演していたのですが、去年から地元の神社のお祭りなどで上演するようになりました。仮設とはいえそれまでは薪能の本式の能舞台で上演してきたものが神社の神楽殿で上演することになったのは能楽師として少し残念にも思っていたのですが、実際に去年の11月に神社の秋祭りで上演してみて、その考えは一変しました。

なんせ、それまでの子ども能は有料の催しである薪能の中でしか上演されなかったので、それはつまり、市民であってもお金を払わなければ子ども創作能は見ることができなかったのです。ところが神社の祭礼での上演では、入場無料であるばかりか、能に興味のないお客さまの前で上演することで、市民に身近な子ども創作能になることができたと思います。

実際のところ、去年の夏にプレ公演のような上演をしてみたのですが(これも地区の「敬老会」なんて催しの中での上演でした)、お客さまの中からは「この子たちは…ずいぶん稽古を積んでいるようだな」なんて声が聞こえたそうですが、なんと今回も、上演の翌日にまだお祭りが続いている会場に行ってみたら…その日のお客さまの中で「今日は子ども創作能ってのはやらないのかな? 昨日見たけどあれは良かったなあ」とおっしゃっていた方があったそうです(!)

…こういう情報は、子ども創作能に出演している子どもたちのママたちから ぬえにすぐ連絡が入ります。(^◇^;) 子どもたちの保護者のみなさんとも ぬえは仲良くおつきあいさせて頂いておりますからね~

…というわけで今回は前置きばかりになってしまいましたが、本題の催しそのものについて、まずご報告させて頂きたいのは、今回の子どもたちの出来の素晴らしかったこと! 11月の秋祭りでの上演で、それまで11年指導を続けてきた ぬえにとっても過去最高の出来ばえなのではないか? と思わせたほどの充実度だったのですが、今回は明らかにそれを上回りました。これは…どういう事だろう?? 今回の上演にはいろいろと不利な条件も重なって、その中には事前にわかっていた問題もあったので、まあ、正直に言えば ぬえにとっては11月を「本公演」と捉えて、今回は「再演」という以上のものではなかったですし、なんと言うか、4月に子どもたちが新学年を迎えたところで子ども創作能も配役の世代交代をするつもりだったので、「卒業記念公演」程度にさえ考えていました。ところが…

「鵺ばらい祭」(その3)

2011-02-06 02:22:49 | 能楽
そのまた翌日。伊豆で今度は大人の(と一部子どもも…)お稽古でした。会場に到着する前に市の施設に行ってみると… をを~っ、鵺が…もぬけの殻になっています (^_^;



またすぐに沼津で「鵺おどり」が再演されるようですので、それまでしばし干されてお休み~ おつかれさまでした~(^_^;)

お稽古の帰り、頼朝のついでに彼に挙兵を勧めたとされる文覚の足跡を求めて韮山の奥・奈古谷(なごや)に行ってみました。

ここは頼朝と同じく伊豆に流罪となった文覚が住んだ地です。文覚は奇人として有名で『愚管抄』などでは蔑む態度で描かれていますが、意外にも『平家物語』は文覚びいきなような気もする。それでも頼朝の決起を促すために頼朝の亡父・義朝のドクロを見せて敵討ちのための挙兵を勧めたり、頼朝がこれを渋ると小堂を建てて鎖にて入口を閉ざし、七日間の入定と触れてこの内に籠もり、夜のうちに床板を剥がして伊豆を出、新都(福原)に行き後白河院の側近の前兵衛督光能を通じて頼朝の流罪御免ならびに平家追討の院宣を得て、これを頼朝に届けるなど、やっぱりヘンな人でした。

その文覚が居住した、とされている場所がこれ。



ほんの小さな祠に石仏が三体あるだけのものでしたが、まわりは白梅の花盛りでした。

文覚が頼朝に見せた義朝のドクロというのは、じつは奈古谷の周辺の道ばたに落ちていた他人の遺骸を拾ってきたものだ、とも言われています。ちなみに『源平盛衰記』では義朝の首は長く都に獄門に晒されていて、それを義朝の恩を受けた者が密かに墓を作って埋めて置いたそうです。世が治まって後にこれを聞いた頼朝は文覚を使者として遣わしてこれを取り納めましたが、それが鎌倉に到着した際には頼朝は庭に下りてみずから首を携えた文覚の馬の口を取って出迎えた、とあります。

文覚についてはもっといろいろ調べる必要があるかもしれませんね。逸話が多すぎる。

いわく、都で後白河法皇に強訴したために流刑となった文覚は源頼政に預けられましたが、おそらくそれが影響して頼朝が頼政の知行国だった伊豆に流されたのではないかと考えられること、当時の伊豆守が頼政の子の仲綱だったこと…『平家物語』によれば頼政が以仁王の挙兵の首謀者となった理由が、清盛のみずからの処遇に不満があったほか、名馬を所有した仲綱から強引にそれを奪ったうえに仲綱を侮辱した宗盛に対する恨みが挙げられていること…。文覚が頼朝に接近する理由に、こういう様々な人間関係が果たした影響を知るべきでしょうね~。すんません、勉強不足で。人物関係としては、明恵上人も文覚の弟子筋に当たる、とか。これを知ると ああ、なるほど、なんて思いますね。(^_^;)

ちなみに、平家滅亡ののちに生き残った六代の助命嘆願を頼朝にしたのも、やはり文覚なのだそうです。平治の乱以後、憐憫の心で源氏の血を絶やさなかったためについに反対に頼朝に滅亡させられた平家。その教訓は生かされずに頼朝は六代を処刑しませんでした…頼朝の死後にやはり六代は斬られて、ここについに平家の直系の血は絶えるのですけれども…



そしてこちらは文覚の庵の跡よりもう少し山奥にある「毘沙門堂」。廃寺であったものを、源平争乱の終結後に頼朝の命により文覚に与えられた寺の跡とか。あまり往時の面影を残す風情はないようですが…

「鵺ばらい祭」(その2)

2011-02-03 10:47:54 | 能楽
「鵺おどり」の終了後は豆が配られて、再登場した「鵺」たちに豆をぶつけます。ぬえも豆をもらいました。



厄払いだそうですが~。着ぐるみの中に入っているのは中学生なんで、みんなそおっと投げつけていました(^◇^;)
それから長岡の芸妓さんたちによる餅撒きがありました。こういうのって ぬえ、初めて。夢中になって餅を受け止めている間に写真を撮るのも忘れてしまった…

そうして日も暮れて、今度は市内の別の場所で「鵺おどり」が再演されました。こちらは篝火もあってちょっと幻想的。「子ども能」の子どもたちもたくさん集まってきましたよ~



この夜は長岡で子ども能の父兄と一緒に歓談。そのまま大仁に場所を移して夜中まで…つきあわされた子どもたちも大変でしたが…み~んなDSで遊んでたから、ま、いいか。ぬえも子どもたちとレゴで遊びました。

翌日は沼津御用邸で結婚式への出演でした。なんだか御用邸は久しぶり。ここでは披露宴ではなくて結婚式で謡と舞を披露するのですが、舞はなんと庭で舞うのです! ちょっと風が強かったけれど、清々しい雰囲気で、ぬえはここで舞うのが好きですね~。

この日も伊豆に宿泊で、それまでの時間に港に車を停めてボ~ッとしていました。トンビがたくさん飛んでいた~。



なんか山もあり海もあり、うらやましい環境ですよね。一度なんて市内のお寺で玉虫が飛んでいるところを見ちゃったし。子どもたちには「え~っ! 東京ではカブトムシ、買うんですかっ? おうちの庭に普通にいるし」なんてバカにされるし。(×_×;)

「鵺ばらい祭」

2011-02-01 01:04:13 | 能楽
前回ご紹介した、「鵺ばらい祭」の冒頭に行われた弓道の試射ですが、なんでも的となった「ぬえ」の絵を ちぎって持ち帰ると厄よけになるらしい。ん~、どこに根拠が… そういえば会場では「鵺のお札」というものも売っていました。こちらも魔除けですが、聞いてみると ちゃんとご祈祷をして頂いたものなのだそうです。ははあ、それが根拠なんですね。やっと納得致しました。でも ぬえ、的も持ち帰らなかったしお札も買わなかったけど…(^_^;

さて弓道の試射のあと、ハイライトの「鵺おどり」が披露されます。「鵺ばらい祭」そのものも、なんと今年で46年目を数えるほど歴史の長いイベントです。この「鵺おどり」もかつては大人が勤めていたそうですが、10年以上前から中学生が勤めることになったそうです。

をを~っ、これが 鵺かあ。開演前になにやら打合せ中~



始まりました! まずは松明を持った村人が登場、遠くに化け物の姿を認めて(頼政に報告のために?)急いで退場します。



ん~、ぬえとしては どうしても装束に目が行くねえ。これ、かなりキチンとした水干…それも麻のようです。こんな良い装束がどこから…? あとで関係者から聞いた正解は、舞台衣装店からのレンタルなのだそうです。なるほどね~。しかし、それはある意味、自前で装束を持つよりも高額につくかも…長い伝統があるイベントだからこそ、そういう補助金などのバックアップ体制が出来上がっているのでしょうね~。子ども能も段々と協力者が増えていくといいなあ。

おっと! ついに鵺が登場です。たくさんいるのね~。なんでも大鵺1匹、中鵺2匹、小鵺4匹がいるらしい。(^◇^;)



なんだか楽しそうです。をっ、これが大鵺か~。これは中学生が二人で扮しているのですが、なかなか息の合った演技でした。



ここで頼政と猪早太ほかの郎党が登場。鵺と闘います。郎党はかなりシッカリした甲冑姿、頼政は狩衣に指貫のような袴です。どうしても装束に目が行きます。あ、頼政くん~、戦うのにタスキぐらいしないで大丈夫~?



ぬえの余計なおせっかいをよそに、鵺たちは退治されてしまいました。だって鵺ったら武器になるような牙も爪もなくて、徒手空拳で太刀に向かっていくんですもの。(×_×;) けなげ…。



でも、やはり伊豆では鵺は悪者では終わらないのでした。去年、「長岡商工会まつり」というイベントで見た「鵺」の紙芝居でも、やはり 鵺は良い人(?)に描かれていましたっけ。今日は巫女さん(?)が二人登場して鵺にお祓いをすると鵺は再生して…


こうして和気藹々と「鵺おどり」は終わりました。上演時間は約15分。子ども能の平均上演時間と同じですね。がんばりました、中学生! 子ども能でもこういう楽しそうなのをやってみようか!