もう3ヶ月も前のご報告になってしまいますが。。
今年の3.11の日は、すでにご報告した仙台市若林区・荒浜での活動に引き続き、名取市・閖上で活動させて頂くことができました。どちらも震災では甚大な被害を受けた場所で、ぬえが震災後に初めて被災地を訪れた際には通行止めのため近づくこともできなかった地区です。
閖上で活動を受け入れてくださったのは「3.11閖上追悼イベント2015」を主催する名取観光物産協会の復興部会さまで、この日は会場である旧閖上中学校に絵灯籠が飾られ、黙祷のほか閖上太鼓の演奏や当時中学生だった生徒の被災体験の作文朗読などが行われました。荒浜では地震の時刻に合わせての上演となり、ここ閖上では津波の到達時刻に合わせてイベントが行われたため、ぬえたちプロジェクトは両方の地区において活動させて頂くことができたのですが。。荒浜から閖上までの移動は大変あわただしく。。震災当時の避難の模様も想像されることでした。
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会場の旧閖上中学校は津波の被害を受けたままの姿を残していました。
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荒浜から装束を着たまま閖上に来たのですけれども、控室に拝借した教室はとても装束を広げられる状態ではなく、立ったままで面を掛け天冠を着ける有様。。しかしこの時に撮って頂いた画像。。トップ画像がそれですが、ぬえはこの画像が好きです。被災地での活動の中で忘れられない一枚になりました。
ここでの上演は『羽衣』です。荒浜では追悼の意を込めた『松風』であったのとは対照的に、犠牲者への鎮魂の意味は込めながら、未来へ向けて幸せを築いてゆく希望をもたらす曲という思いも込めて。。
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終演後、着替えての帰り道には絵灯籠が優しく揺らめいていました。
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続いて4月18日(土)、プロジェクトでは塩竃神社で奉納上演を致しました。
塩竃神社は、これまた ぬえたちが一度は奉納したいと思いながら果たせずにきた神社です。こちらも ぬえは震災3ヶ月後のはじめての来訪時に訪れて参詣しましたし、また当時、ネットでホテルの予約ができたのも塩釜市だけでした。右も左も分からず、ただ被災地の支援をしたいという思いだけで出発した ぬえにとって、東京から宿泊場所が確保できたのは大変心強かったのを覚えています。
そうして塩釜や松島が思いのほか被害が少ないのを見て安堵したのもまた事実。そのあと東松島市や石巻の有様を見て絶句したのですが、どうやら松島の、あの、陸地からは まばらに見える小さな島々が、全体としては松島湾を守る防波堤の役割をしたらしいのです。そういえば震災の1ヶ月後、静岡県の美保の松原で「松島は無事らしい」という情報を ぬえは得ていました。どうやら日本三景・新日本三景の地域ネットワークがあるらしく、そこからの情報だったのですが ぬえにはにわかには信じられなかったのですが。。
しかし震災3ヶ月目の当時、松島には焼き岩牡蛎を売る屋台が出てましたし、五大堂も無事。遊覧船こそ休航していたように思いますが、観光客も戻っていました。聞けば塩釜市と松島町では「浸水」程度の被害で済んだそうで、しかしながら厨房の冷蔵庫が浸水して使えなくなった多くの食堂が休業していて、この復旧にはしばらくの時間が掛かりましたし、なんと言っても軽微な被害、といっても やはり犠牲者は出ていたのです。その夜 夕食を摂った食堂では「塩釜市は忘れられた被災地です」という声も聞きました。
こうして塩竃神社とは ぬえは活動の初期から関わりがあり、また某所で ぬえは「塩竃神社は ぬえさんにとって良い神社ですよ」と教えて頂いた事もあって、ここでの上演は念願でもありました。これが実現したのはプロジェクト・メンバーの笛の寺井さんのおかげで、なんでも松島の円通院さまでの笛の演奏がきっかけになって塩釜市の有力者と知り合い、この日の奉納につながったようです。
ただ、この催し「しおがまさま神々の花灯り」の当日は ぬえも寺井さんも 東京での舞台やらでかなり厳しいスケジュールの中での上演で、ぬえは日帰り。。往路こそ交通費の節減のために高速バスを利用しましたが、帰りは新幹線を使うことになりました。プロジェクトの活動で新幹線を使ったのは ぬえ自身ではこれがようやく3回目。
そんなこんなで奉納させて頂いた催しは、塩竃神社の舞楽の奉納もあったため、大変美しい立派な舞台ができあがっていました。こんな立派な舞台で活動したのも初めてかも。
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会場には3.11でお世話になった荒浜の庄子隆弘さんも駆けつけてくださり。。いや、それどころか気仙沼からも応援が! ほんとみんなフットワーク軽いなあ。
こちらでの上演は『吉野天人』でした。ちょうど桜の盛りの時期で、多くのお客さまを前にして ぬえもしばし花に酔いながらの奉納でした。
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終演後、なんと塩竃神社の宮司さまより感謝状を頂戴致しました。なんだか申し訳ない。。
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こうして3月・4月の活動は無事に終わることができました。ぬえは仙台と気仙沼に教室を持つことができ、どちらも順調にお稽古を勧めております。方や鎌倉で子ども能の上演があり、母の埋葬があり、鎌倉から意外や伊豆の子ども能に参加者があり。。
事態がいろいろと揺れ動きながら進んでおります。今月は気仙沼でプロジェクト初の災害公営住宅での活動があり、7月にはこれまた初めて被災地の学校でのワークショップも予定されております。さらに8月にはお盆送りの催しのほか、石巻から出演のオファーも頂きました。ご報告が遅れまして申し訳ありません。今後とも ぬえたちにご愛顧賜りますようお願い申し上げます~
今年の3.11の日は、すでにご報告した仙台市若林区・荒浜での活動に引き続き、名取市・閖上で活動させて頂くことができました。どちらも震災では甚大な被害を受けた場所で、ぬえが震災後に初めて被災地を訪れた際には通行止めのため近づくこともできなかった地区です。
閖上で活動を受け入れてくださったのは「3.11閖上追悼イベント2015」を主催する名取観光物産協会の復興部会さまで、この日は会場である旧閖上中学校に絵灯籠が飾られ、黙祷のほか閖上太鼓の演奏や当時中学生だった生徒の被災体験の作文朗読などが行われました。荒浜では地震の時刻に合わせての上演となり、ここ閖上では津波の到達時刻に合わせてイベントが行われたため、ぬえたちプロジェクトは両方の地区において活動させて頂くことができたのですが。。荒浜から閖上までの移動は大変あわただしく。。震災当時の避難の模様も想像されることでした。
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会場の旧閖上中学校は津波の被害を受けたままの姿を残していました。
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荒浜から装束を着たまま閖上に来たのですけれども、控室に拝借した教室はとても装束を広げられる状態ではなく、立ったままで面を掛け天冠を着ける有様。。しかしこの時に撮って頂いた画像。。トップ画像がそれですが、ぬえはこの画像が好きです。被災地での活動の中で忘れられない一枚になりました。
ここでの上演は『羽衣』です。荒浜では追悼の意を込めた『松風』であったのとは対照的に、犠牲者への鎮魂の意味は込めながら、未来へ向けて幸せを築いてゆく希望をもたらす曲という思いも込めて。。
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終演後、着替えての帰り道には絵灯籠が優しく揺らめいていました。
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続いて4月18日(土)、プロジェクトでは塩竃神社で奉納上演を致しました。
塩竃神社は、これまた ぬえたちが一度は奉納したいと思いながら果たせずにきた神社です。こちらも ぬえは震災3ヶ月後のはじめての来訪時に訪れて参詣しましたし、また当時、ネットでホテルの予約ができたのも塩釜市だけでした。右も左も分からず、ただ被災地の支援をしたいという思いだけで出発した ぬえにとって、東京から宿泊場所が確保できたのは大変心強かったのを覚えています。
そうして塩釜や松島が思いのほか被害が少ないのを見て安堵したのもまた事実。そのあと東松島市や石巻の有様を見て絶句したのですが、どうやら松島の、あの、陸地からは まばらに見える小さな島々が、全体としては松島湾を守る防波堤の役割をしたらしいのです。そういえば震災の1ヶ月後、静岡県の美保の松原で「松島は無事らしい」という情報を ぬえは得ていました。どうやら日本三景・新日本三景の地域ネットワークがあるらしく、そこからの情報だったのですが ぬえにはにわかには信じられなかったのですが。。
しかし震災3ヶ月目の当時、松島には焼き岩牡蛎を売る屋台が出てましたし、五大堂も無事。遊覧船こそ休航していたように思いますが、観光客も戻っていました。聞けば塩釜市と松島町では「浸水」程度の被害で済んだそうで、しかしながら厨房の冷蔵庫が浸水して使えなくなった多くの食堂が休業していて、この復旧にはしばらくの時間が掛かりましたし、なんと言っても軽微な被害、といっても やはり犠牲者は出ていたのです。その夜 夕食を摂った食堂では「塩釜市は忘れられた被災地です」という声も聞きました。
こうして塩竃神社とは ぬえは活動の初期から関わりがあり、また某所で ぬえは「塩竃神社は ぬえさんにとって良い神社ですよ」と教えて頂いた事もあって、ここでの上演は念願でもありました。これが実現したのはプロジェクト・メンバーの笛の寺井さんのおかげで、なんでも松島の円通院さまでの笛の演奏がきっかけになって塩釜市の有力者と知り合い、この日の奉納につながったようです。
ただ、この催し「しおがまさま神々の花灯り」の当日は ぬえも寺井さんも 東京での舞台やらでかなり厳しいスケジュールの中での上演で、ぬえは日帰り。。往路こそ交通費の節減のために高速バスを利用しましたが、帰りは新幹線を使うことになりました。プロジェクトの活動で新幹線を使ったのは ぬえ自身ではこれがようやく3回目。
そんなこんなで奉納させて頂いた催しは、塩竃神社の舞楽の奉納もあったため、大変美しい立派な舞台ができあがっていました。こんな立派な舞台で活動したのも初めてかも。
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会場には3.11でお世話になった荒浜の庄子隆弘さんも駆けつけてくださり。。いや、それどころか気仙沼からも応援が! ほんとみんなフットワーク軽いなあ。
こちらでの上演は『吉野天人』でした。ちょうど桜の盛りの時期で、多くのお客さまを前にして ぬえもしばし花に酔いながらの奉納でした。
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終演後、なんと塩竃神社の宮司さまより感謝状を頂戴致しました。なんだか申し訳ない。。
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こうして3月・4月の活動は無事に終わることができました。ぬえは仙台と気仙沼に教室を持つことができ、どちらも順調にお稽古を勧めております。方や鎌倉で子ども能の上演があり、母の埋葬があり、鎌倉から意外や伊豆の子ども能に参加者があり。。
事態がいろいろと揺れ動きながら進んでおります。今月は気仙沼でプロジェクト初の災害公営住宅での活動があり、7月にはこれまた初めて被災地の学校でのワークショップも予定されております。さらに8月にはお盆送りの催しのほか、石巻から出演のオファーも頂きました。ご報告が遅れまして申し訳ありません。今後とも ぬえたちにご愛顧賜りますようお願い申し上げます~